道端のすみれ達

 俳句新聞子規新報は、毎号一人の俳人を取り上げて、みんなで読み合う特集記事から始まります。今号も編集長の小西昭夫氏抄出の平畑青塔の俳句30句から、41名がそれぞれ好きな俳句を自由に選び鑑賞しました。同じ俳句についても、読者によって全く異なる感じ方、或は似たような捉え方など、様々な鑑賞が並んでいるところが、面白く楽しい企画です。

 今号の特集は、平畑青塔の俳句です。明治三十四年和歌山生まれの平畑青塔は、大正十五年京大医学部入学(精神医学専攻)、「京大三高俳句会」に入会。昭和三年、「京鹿の子」、「馬酔木」、「ホトトギス」の投句。昭和八年「京大俳句」を井上白文地、中村三山、長谷川素逝らと創刊し、編集責任者として刊行に尽力。

 私は、以前に「京大俳句 創刊号」を俳友に借りて読んだことがありました。住吉に住みなす空は花火かな阿波野青畝第二句集『国原』)について、会員たちの俳句の表現についての議論が掲載されていたことが思い出されます。

 

 「昭和15年、新興俳句弾圧事件によつて「京大俳句」は廃刊。平畑青塔は仲間らとともに、治安維持法違反で検挙、投獄、その後軍医として応召。

    徐々に徐々に月下の俘虜として進む 青塔

              (昭和21年の「帰還」九句のうちの一句)

 戦後、山口誓子を中心とした「天狼」創刊に参加、編集に携わった。評論として、「俳人格」説(俳句性の確立には俳人自身の俳句的な人格の発展と完成が必要。)が注目を集める」(小西昭夫氏の記事より)

 俳句を詠み、読み続けることは、俳句の言葉つまり季語との対話であり、俳句的発想に触れることなのでしょう。

 

 平畑青塔の一句の鑑賞のページから

 

 病室は大地のつづき青いなご   平畑青塔

 

 まず一読後、えっと驚かされた。と言うのも、病室とは、自分が入院しているときにも、またお見舞いに行くときも、決して楽しく明るい場所ではないからだ。その病室が大地のつづきで、さらに、その大地には湿潤な草が豊かに茂り、その草を食べて育った「青いなご」が跳ねているという。そこでは、例え死にゆくほどの重病人と健康な見舞客との間にある垣根さえ取り払われている。素晴らしい想像力だと思う。人が俳句の言葉に出会って、想像の世界に心を遊ばせ明るく前を向けることこそ、俳句の言葉の持つ力だと思う。(川島由紀子)

 

 新報俳壇 今月の一句と今月の秀句から

 

       大寒のトイレの小窓ステンドグラス 由紀子

        

 

 内湖近くの木五倍子の花。すっくと立った大木の枝に、黄色い小花が集まって垂れ下がって咲けば、なんだか青空の厚みがぐんぐん増していくようです。

 

 昨日の4月のびわこ句会の作品から

キッチンに姿見えねど桜餅 登茂子

桜餅の色と甘さと桜葉の塩加減が、甘酸っぱい切なさを醸し出しています。キッチンという日常の中のふたりの心模様でしょうか。

また拾うまた歩きつつさくら貝 敦子

花吹雪髪にも手にもはらはらと 寛子

さくら貝の句は、何気ない所作のくり返しが、さくら貝と響き合って、静謐で豊かな一人の時間をすっと手渡されたように感じられます。同様に、花吹雪の句も、ゆったり流れる一人の時間が豊かです。

藤の香のきゅっと仁王の肋骨 ひさし

花曇りネクタイキュッと初出勤    千香子

両句とも、「きゅっと」がありますが、ひさし句は藤の香と仁王の肋骨にかかり、千香子句はネクタイと初出勤にかかり、いずれも臨場感が醸し出されています。

バット振る吾子の背中に春の虹  香織

飛行機に子供手を振る黄蝶来る 琴美

春風や赤子のあくびOの型   せり

子供達の未来を、季語が応援しています。

手の内を読まれてをりしヒヤシンス  亮子

手のうちをぜんぶさらして芝桜 雅之

手の内といえば悪だくみと思われますが、それがヒヤシンスや芝桜という季語と響き合って、素敵な秘密の計画のように思えてきます。さらに、それを「ぜんぶさらす」まで言われると、芝桜のかわいらしさと相まってユーモアさえ感じられます。

春の蚊の光に乗りて玻璃障子  和彦 

白れんのはらりと還る黒き土    英子

一句目は小さなものに注目し、二句目は色彩の対比により印象深く、それぞれの情感を醸し出しています。

みんなして牛丼食べて花見して   

捨て切れぬ駄句ばかりなり四月馬鹿  正明

雅(花見)と俗(牛丼)の取り合わせ、そして諧謔は俳句の得意とするところです。ふとしたおかしみ、ユーモアが感じられます。

少女の像がスキップしそう春の雨  由紀子

    

 「窓の会」の春キャベツ大賞の賞品として、淡路島の農協から段ボール一箱の新玉葱が届きました。ありがとうございました。

 淡路島と言えば、二十数年前に私がねんてん先生に初めて出会った頃、江戸時代から行われている淡路島の郷土文芸としての『雑俳』の大会を調べに行かれた話を聞いたことがありました。その『雑俳』の賞品が、古くは牛一頭や米俵であったり、今でも農産物だということでした。『雑俳』は、一日かけてワイワイと遊ぶ庶民の楽しみであったようです。

 新玉葱は、早速、料理して美味しくいただきました。

キャベツの代わりに新玉葱を使ったお好み焼きです。

 新玉葱は1/3くらい包丁で切り込み入れてバターをたらしラップして、7分くらい電子レンジでチンします。終わったら、すぐにラップをはずし醤油をかけていただきます。透明になった新玉葱を食べながら、魂もリフレッシュできたらと思いました。

まるごとチン新玉葱と魂と   由紀子

春キャベツとしらすのパスタ

   大賞 

寝坊してふあっとわたし春キャベツ 由紀子 

 窓の会の春キャベツ大賞をいただきました。ありがとうございます。

 

琵琶湖畔の十六夜公園の枝垂れ桜。浮御堂も見えます。

浮御堂の傍のゆりかもめ

(44)朝茶飲む僧静かなり菊の花 芭蕉

 この句は、堅田の祥瑞寺の作でその庭に句碑があります。祥瑞寺は華叟宗曇が開祖の禅宗の寺院で、その昔、青年期の一休さんが入門を許されるまで門前に座り込んだこともあったという寺院です。そして、その祥瑞寺での修行時代に思い悩んだ一休さんが、琵琶湖に入水しようとしたとき、烏の声を聞き悟りを開いたと言われています。私が句会の仲間と尋ねた時、作務衣姿のひとりの禅僧が静かに落葉を焚いておられましたが、なぜか明るいストライプ柄の足袋が印象的でした。

(45)蝶も来て酢を吸う菊の膾かな

堅田の医師木沅の兄に招かれたときのこと、菊の花を甘酢であえた料理がおいしくて、蝶もやってきたほどだったというのでしょう。宴に招かれた芭蕉の挨拶句です。

(46)雁聞きに京(みやこ)の秋に赴かん

この句は、義仲寺滞在中の芭蕉が、所用のため京都へ赴くが、その折に京都滞在中の門人怒誰(曲水の弟)に会いたいと思い、送った手紙に書かれていた句です。

芭蕉には、敬愛する西行法師の、

    横雲の風にわかるるしののめに山跳び越ゆる初雁の声

が念頭にあったのでしょう。実際は、所用で京都へ赴くことを伝える手紙の中に、「京都の秋に、雁の声を聞きに行きましょう」と書く芭蕉の明るいおしゃれ心が、なんとも楽しい俳句です。

(47)見送りのうしろや寂し秋の風

この句には、「野水が旅行を送りて」と前書きがあります。野水への餞別吟で、旅立つ野水を、情愛を込めて見送る芭蕉です。

 

黄水仙とハナニラ

 句集『三月』は、二村典子さんの第二句集です。

野遊びの誰の話も聞いてない 典子

暴走を許すいちにち春彼岸

貝寄風にのって二巡目のけんか

皿を割るさるとりいばら咲く朝に

よこなぐり雨のこぶしや四月来る

銀杏を割る難題を聞き入れる

風邪をひかない問三がとけない

剝きにくい蜜柑だよって渡される

こっちにも考えがある朱欒剥く

囀りやこんがらがるは懇意なる

 乱暴な言葉たちー誰の話も聞いていない、暴走、けんか、皿を割る、よこなぐり、難題、問がとけない、剥きにくい、こっちにも考えがある、こんがらがるーが、俳句の中で詩の言葉になり、読めば肯定的で、明るく開放的な気分になれます。

接ぎ木する少し現在地がずれる

他人の靴履いてるみたい今日の月

 季語の肯定感により、ちょっと心が動く瞬間です。

石ふたつ並べただけの神様も

掃除機のあとを歩いて十二月

セリナズナゴギョウハコベラ表情筋

 ふっと笑えるユーモアも魅力です。俳句って、いいな。

二村典子さん、句集のご恵贈、どうもありがとうございました。

 

 

        

 

 

内湖の芽吹く木々

 元禄三年三月中下旬の頃から九月末までの六か月余りの芭蕉の第五回目の大津滞在中の句から。

(37)明月や座に美しき顔もなし 芭蕉

 元禄三年八月十五日の義仲寺の無名庵で催した月見の会に、芭蕉は、持病の痔疾が不調で病床に臥せりながらの参加となりました。現在は町中にある義仲寺ですが、埋め立て前の当時は、湖岸にあったと言われています。まさに、琵琶湖から昇る月を眺めた芭蕉達でした。芭蕉は、その夜の即吟で、名月や児立ち並ぶ堂の縁(月光の中の幼い寺の稚児達)、名月や海に向へば七小町(月が琵琶湖上に昇るにつれて変化する美しさを小野小町に例えている)、さらに数日後、月見する座に美しき顔もなし、さらに推敲し明月や座に美しき顔もなしを得たと言われています。この推敲の途中、幼い寺の稚児や小野小町を思い浮かべている芭蕉に、むしろ人間味が表れているのかもしれません。

(38)月代や膝に手を置く宵の宿

 この句は、元禄三年八月中旬に、芭蕉が膳所の門人正秀(水田孫左衛門。医師)の宅を、初めて訪問した時の作。「月代」とは、月の出ようとするとき、東の空の白く明るんでくること。私は、琵琶湖の西の堅田に住むようになって初めて、この月白を体験しました。一緒に月見の句会をしたとき、ある友人は「今日はこんなに曇っていたっけ」と驚きました。太陽による晴れた青空になるのではなく、月の優しい光によるやさしい白い空になるのです。月光の前触れのような白い光に包まれ、厳かな気分になった芭蕉です。

(39)稲妻に悟らぬ人の貴さよ

 この句は、江戸勤務中の膳所藩士の曲水宛の手紙の最後に、置かれています。

   「このあたり破れかかり候へども、一筋の道に出づることかたく、

   古キ句に言葉のみあれて、酒くらひ豆腐くらひなどゝ、のゝしる輩のみに候。

   或る知識ののたまふ、「なま禅なま仏これ魔界」 

           稲妻に悟らぬ人の貴さよ  芭蕉

 この辺り大津蕉門の人、曲水は新風を発揮しているが、まだまだ新風に移りかね句理解のままならない人々を残念がり、稲妻を見て無常を悟ったと言ういい加減な人よりも、何にも分からないと思っている人の方が尊いと述べています。

(40)白髪抜く枕の下やきりぎりす

 この頃、めっきり増えてきた白髪、その白髪の抜け毛のついた枕の下から聞こえるコオロギの鳴き声。このきりぎりすはコオロギのこと。いのちの切なさが、コオロギの澄んだ鳴き声に慰められます。

(41)桐の木に鶉鳴くなる塀の内

 塀の内側には桐の木がそびえています。その屋敷の奥から小さな鶉の大きな鳴き声が聞こえてきます。ゆったりとおおらかな桐の木と、小さいけれど鳴き声の大きなエネルギッシュな鶉の対比が面白く感じられます。

   

 庭の梅が咲き始める朝、まず一羽で偵察にやって来るヒヨドリです。一旦いなくなったと思ったら、今度はカップルでやってきて、梅の枝をゆさゆさ揺らし口の周りに黄色い花粉をいっぱいつけて仲良く蜜を吸っています。初めに偵察にやってくるのは、彼女でしょうか、それとも彼でしょうか。ヒヨドリ達が去ると、今度は目白のカップル達。梅の庭は、賑やかです。

 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける  紀貫之 古今和歌集

紀貫之は、もしかしたら、梅にやってくる鳥のカップルを見て、「人の心はどうだろうか。このふるさとの梅の花は昔の香のままに咲いているのに。」と思ったのかもしれません。

 私は、「新・黎明俳壇 第10号」の近江の言葉たち②に、坂本ケーブルの裳立山からの琵琶湖の眺めが好きで、そこに庵を編んで暮らし、今もその墓のある紀貫之と歳時記について書いています。