内湖の芽吹く木々

 元禄三年三月中下旬の頃から九月末までの六か月余りの芭蕉の第五回目の大津滞在中の句から。

(37)明月や座に美しき顔もなし 芭蕉

 元禄三年八月十五日の義仲寺の無名庵で催した月見の会に、芭蕉は、持病の痔疾が不調で病床に臥せりながらの参加となりました。現在は町中にある義仲寺ですが、埋め立て前の当時は、湖岸にあったと言われています。まさに、琵琶湖から昇る月を眺めた芭蕉達でした。芭蕉は、その夜の即吟で、名月や児立ち並ぶ堂の縁(月光の中の幼い寺の稚児達)、名月や海に向へば七小町(月が琵琶湖上に昇るにつれて変化する美しさを小野小町に例えている)、さらに数日後、月見する座に美しき顔もなし、さらに推敲し明月や座に美しき顔もなしを得たと言われています。この推敲の途中、幼い寺の稚児や小野小町を思い浮かべている芭蕉に、むしろ人間味が表れているのかもしれません。

(38)月代や膝に手を置く宵の宿

 この句は、元禄三年八月中旬に、芭蕉が膳所の門人正秀(水田孫左衛門。医師)の宅を、初めて訪問した時の作。「月代」とは、月の出ようとするとき、東の空の白く明るんでくること。私は、琵琶湖の西の堅田に住むようになって初めて、この月白を体験しました。一緒に月見の句会をしたとき、ある友人は「今日はこんなに曇っていたっけ」と驚きました。太陽による晴れた青空になるのではなく、月の優しい光によるやさしい白い空になるのです。月光の前触れのような白い光に包まれ、厳かな気分になった芭蕉です。

(39)稲妻に悟らぬ人の貴さよ

 この句は、江戸勤務中の膳所藩士の曲水宛の手紙の最後に、置かれています。

   「このあたり破れかかり候へども、一筋の道に出づることかたく、

   古キ句に言葉のみあれて、酒くらひ豆腐くらひなどゝ、のゝしる輩のみに候。

   或る知識ののたまふ、「なま禅なま仏これ魔界」 

           稲妻に悟らぬ人の貴さよ  芭蕉

 この辺り大津蕉門の人、曲水は新風を発揮しているが、まだまだ新風に移りかね句理解のままならない人々を残念がり、稲妻を見て無常を悟ったと言ういい加減な人よりも、何にも分からないと思っている人の方が尊いと述べています。

(40)白髪抜く枕の下やきりぎりす

 この頃、めっきり増えてきた白髪、その白髪の抜け毛のついた枕の下から聞こえるコオロギの鳴き声。このきりぎりすはコオロギのこと。いのちの切なさが、コオロギの澄んだ鳴き声に慰められます。

(41)桐の木に鶉鳴くなる塀の内

 塀の内側には桐の木がそびえています。その屋敷の奥から小さな鶉の大きな鳴き声が聞こえてきます。ゆったりとおおらかな桐の木と、小さいけれど鳴き声の大きなエネルギッシュな鶉の対比が面白く感じられます。