10月中旬の話になるが、日本看護協会地区別法人会が開催された。

全国を6ブロックに分けて、当県は北海道・東北ブロックに含まれる。

7道県で持ち回り開催しており、今年度は青森県での開催であった。

当会は、次年度の課題や取り組み重点事項などを膝を交えて話し合う場である

出席は、日本看護協会の役員と各道県の会長、役員である。

同日には、各道県の職能委員長が出席する

地区別職能委員長会議も開催される。

地区別職能委員長会はオンラインでの開催となった。
本会の職能委員長たちは、司会を務めたり本県の現状を述べたりし
大変有意義な時間になったと思う。


コロナ禍の前は、例年、幹事県が懇親会を開催していたが

さすがに今年は、ホテルの自室で弁当の夕食であった。
まずは、7年に一度の当番としてお役目を終え、ホットしたところである。

余談になるが、”法人会”を”老人会”との、私の変換間違いを

職員から指摘され、思わず吹き出してしまったが

まぁ、あながち間違いではないのではないか、と心の中でつぶやいた。 
口の減らない私の友人は、現役時代に師長会議を
別名”おばさん会議”と呼んでいた。
法人会でも、老人会でも、それぞれで味があり、楽しい(?!)ものである。
 

先日、当協会で、キャリア支援セミナー「ママ・パパCafé」を開催しました。

体験談や交流会の他、ハーバリウム体験も行いました。

子ども連れでの参加もあり、大変癒されたひと時でした。

 

セミナーでは、仕事・家庭・子育ての体験について

お二人のパパナースからお話いただきました。

参加者が現状を語ったり、パパナースに質問もあったり、

とても活発な意見交換でした。

 

参加者からは、「専門病院で勤務していたが結婚を機に移住し

勤務する病院探しをしているが、働ける条件とキャリアを考えて

病院にエントリーしても、なかなかうまくいかない」

「子供が小さいので、病気などの時迷惑をかけている」

などなど、子育てをしながら働く難しさへの意見が多くありました。

参加者数は少なかったものの、充実した内容で

開催してよかったと思うCaféでした。

 

ある日、乗車待ちで並んでいるとき、気配を感じて振り向くと

後ろには、3つの指で3歳をアピールする女の子が母親と立っていました。

マスクの下は満面の笑顔で、これからお爺の家に行くということでした。

無邪気な笑顔は理屈抜きに可愛いです。

 

さて、これはある病院の話。

子どもの病気や、保育のためにママ・パパが休む時は、

色んな思いを飲み込み、「皆で笑顔で対応する」を

職場の合言葉にしているとのことです。

無邪気な笑顔を、職場のみんなで応援したいですね。

以前からずーっと気になっていたCDを購入した
店舗に行っても手に取るだけで、何故か買えずにいたものである
半年ぐらいも経ったと思う

その日は不思議に買う気になり購入
何でも時期ってものがあるのだと思った
ただ単に、あと一押しの決断ができないだけなのかもしれないが

昭和のヒット曲のカバー曲は、同じ歌詞であるのだが

その当時とは一味違う意味に聞こえる

その違った味を噛みしめながら聞いている

玄関にはクリスマスリースが飾られている
今年もそんな時期なのか

気づけば時が流れ、時代が変わっている


昭和から平成、そして令和となったが

懐かしくいい時代だったな~

と、歌をききながら懐古の情にかられてしまう

いきなり聞くとドキッとする言葉だが

昭和58年から続いていた職場のOB会が
この12月で38年間の活動に幕をおろすことになった。
その冊子が届き、巻頭言がタイトルの言葉である。

高齢化により新規入会者もなく

時代の波を受けて、やむなく解散となった。


人生100年時代と言われているが

第2ステージは健康、人脈、スキルがあることが、その後の人生を左右するらしい。
 

お別れといえば、瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなられた。
黒柳徹子が「みんな味方がなくなった」とコメントしていた。
当協会の会長室には、瀬戸内寂聴の「和顔施」の色紙が飾ってある。
さて人生、どう生きてどう散るか。

ちょっと遠出の旅行をしたときなどに

タイトルのようなことを、つい口にしてしまう。

 

自分の家といえば、

今後は在宅療養の大幅な需要が見込まれている。

身近でも同様の事があり、あらためて自分自身も実感している。

 

飲む 食べる 眠る 話す

我が家の水 漂う空気の味

池の音 戸のきしむ音 小鳥の鳴き声

見慣れた棚の飾り …

私達は、環境整備だとか、生活援助とか、日常を取り戻すとか

住み慣れた自宅で、などと呪文のごとくいう。

 

今更ではあるが、言葉では言い表せない

そこは心身をいやす場であり

大きな力を感じるところである。

10月10日は目の愛護デーである。

昔は体育の日いう祝日で、晴れの特異日とされていた。

そのため、運動会をこの日に行う学校も多かったらしい。

現在では10月の第2月曜日となり、スポーツの日と名を変えている。

今年は東京オリンピックが開催されたため7月にその日を移したため

10月には祝日がなくなってしまった。

 

そのオリンピックも終わり、都内の新型コロナウイルス感染者が落ち着きを見せ始めた頃

日本では、時のリーダーが決められた。

聞く力を盛んにアピールしているが、誰しも聞きたいことだけを聞く傾向にある。

余談ではあるが、日本はトップの就任期間が欧米諸国に比べ極端に短いらしい。

 

目の前の患者と話しながらも、心の中では次の患者のこと、

そして、次の業務の事を考えていた。

身に覚えがある

 

バスのドアが閉まり発車寸前に、走り寄り手を振って乗車をアピールする人。

運転手には聞こえない、見えない様子。

乗客からの声で無事乗車した。

 

目は口ほどにものをいうが

聞くも色々、耳は心を映す?

 

※なぜ10月10日がお好み焼きの日なのか

 お好み焼きを焼くと

 10(ジュー) 10(ジュー) と音がするから。 

友人から、赤と白の彼岸花の写メが届いた

赤しか知らなかったが、白もまたとてもステキである

 

彼岸と言えば、彼岸前には、早くも年賀状の注文書がダイレクトメールで届いていた。

もう年賀状か、気が早いものだ、

と思っていたら、テレビではシチューやストーブのCMが始まっていた。

気が付いたら、朝の通勤電車に暖房が入り始めていた。

ポストには年末調整の保険控除の葉書が届いていた。

 

あらためて、そんな時期なのかと。

何事も早め早めで先取りはいいのだが、

もう少しゆっくりでもいいのにな、とも思った、年の瀬を感じるこの頃である。

昨日に引き続き、コロナ禍による生活様式の変化について
病院の入院患者や高齢者施設では

家族であってもなかなか面会がかなわない場合が多い


タブレット活用してのオンライン面会を行ったり

洗濯物の受け渡し時に様子をお伝えしたりと

いろいろ工夫しているとのこと

知人の話であるが

ご高齢で二人暮らしの夫が急に入院することになった
入院後1週間ぐらい経過するが病状が全く分からない


ちゃんと食事はとれているのだろうか

夜はしっかり眠れているのだろうか

苦しかったり痛んだりすることはないのだろうか
トイレはどうしているのかな

病状に変化はないのか

等々、心配は尽きない

高齢の妻は洗濯物を届けるときも
聞き方が分からないので、遠慮して訊ねることもしないそうだ
入院した夫は耳が遠く、携帯電話も待っていない

高齢になると、二人で一人のような日常生活になる
本人の力を引き出すのは家族の力が何よりだろう
家族との距離感を看護師は精一杯つないでいるが
今は家族からの支援は、いろいろな制限で限界があり難しい

新型コロナウイルスの影響については

テレビ等で状況を知っているつもりでいたが
身近に起こると、改めてコロナ禍での対応の困難さを感じる

新型コロナウイルス感染症は仕事や生活の様式を大きく様変わりさせた。

会議や研修が、ほぼオンラインリモートで開催されるようになったのもその一つである。

とあるオンライン研修での裏話。

マイクもカメラもオフにしているから
指名を受けることはないだろう。

しかしそうは問屋は降ろさず
カメラをオンにするようアナウンスがあった。


慌ててマスクをつけ、誤魔化したりする。
まぁ、それが受講のマナーだと言われればそうなのだが
少しリラックスしながら受講出来るのもメリットの一つだろうとも思う。
 

同じように、運転しながらスマホでオンライン研修を聴いていたら
意見を求められ、指名されたことがあった。

さすがに運転中なので勘弁してもらったが
なぜかそういうケースが度々ある。

 

予測出来ることは転ばぬ先の杖で行かないといけない。

オンライン研修に思うところであった。

7月23日に始まったオリンピック熱が冷めやらぬうちに

8月24日にパラリンピックが開幕し、9月5日に幕を閉じた。


パラリンピックの選手は、みな身体にハンデを持った方であるが

そんなことを微塵も感じさせずに競技する姿に

躍動感、可能性、多様性を感じさせ
人間の持てる力、底力を思い知らされた大会であった。

さて、8月23日に学校教育法施行規則が一部改正され
「医療的ケア看護職員」という職名が新たに設けられた。
職務内容には、人工呼吸器による呼吸管理等の医療的ケアが規定され
「医療的ケア看護職員」には、保健師、助産師、看護師、准看護師を
もって充てるとされている。

県内の特別支援学校には、19名の学校看護師が臨時講師として勤務している。
雇用条件や業務内容など多くの課題を抱えているが
これを機に、医療的ケア児について広く周知され

そして理解が進み、配置が進んでほしいものである。
そう切に願いながら、

あらためて、本当に感動のパラリンピックだったと思った次第である。