唐突ですが、デリー空港と市内を結ぶ空港アクセス列車と、羽田空港アクセスの勝手に比較してみたいと思います。

 

<東京モノレール>

開業:1964年

区間:浜松町-羽田空港第2ターミナル

総延長:17.8㎞

所要時間:空港快速18分、区間快速21分、普通25分

最高速度:80㎞

運転頻度:朝ラッシュ時3分30秒間隔(普通のみ)、日中は毎時15本(平均4分間隔)

駅数、平均駅間距離:11駅、1.78㎞

軌道諸元:跨座式モノレール、直流750v、複線(浜松町駅のみ単線ホーム)、途中の昭和島駅に退避設備があり空港快速が普通を追い抜く。

沿線概要

浜松町駅は山手線、京浜東北線と接続しこれらの路線に乗り継ぐことで新橋、東京駅などへのアクセスも良い。

隣駅の天王洲アイルは埋め立て地の新興都市の中にあり駅自身もJTBビルというビルの中にある。また、倉庫街にも近くそうした企業への通勤需要、さらにお台場に至るりんかい線との乗換駅でもある。

大井競馬場はその名の通り公営競馬場の最寄り駅であるが、同時に近隣に団地もあり、近年はショッピングモールも出来た。さらにJR東海の新幹線の車庫やJR貨物の東京貨物ターミナルにも近くそうした施設への通勤需要もある。

流通センター駅はもその名の通り、倉庫・流通センターが多く、そうした企業への出勤・訪問客の利用が多い。

整備場、新整備場は空港関係に勤務する人の通勤需要がある。

羽田空港第1、2,3ターミナル駅は名前の通り羽田空港各旅客ターミナルのアクセス駅である。

 

 

 

 

<デリーエアポートメトロ>

開業:2011年(ただし高架橋に欠陥があり2012年に1年程運休)

区間:ニューデリー(国鉄とメトロイエローラインのニューデリー駅近く)-Dwarka Sector 21駅間(空港駅は終点の1駅手前)

総延長:22.7㎞

所要時間:19分

最高速度:時速135㎞ (表定速度71.6㎞)

運転頻度:終日15分間隔

駅数、平均駅間距離:6駅、4.5㎞

軌道諸元:交流2万5千ボルト(インド国鉄と同じ)架空電車線、軌間1435㎜(インド国鉄より狭い、メトロと同じ)、集団見合い式クロスシート、4両編成

デリー駅

 

沿線紹介

始発駅のニューデリー駅は国鉄駅に近いものの、ビジネスの中心地ではない。だが、メトロイエローラインとつながっているため利便性はいい。

次のShivaji Stadium駅は他路線接続もなく地味な印象

Dhaula Kuan駅は、メトロピンクラインと接続(と言ってもかなり離れたところにホームがあり乗り換えには20分以上かかる)、また並行するNH8(ナショナルハイウェイ8)の主要なバス停があり、日本企業が多いマネサール、ニムラナ、レワリをはじめ、ラジャスタン州の州都ジャイプールへの長距離バスも発着するバスターミナルでもある。

Delhi AeroCityは地下駅で、空港近くにある新興ビジネスセンターであり、高級ホテルなども立ち並ぶ場所に隣接している。日系商社の支店などもあり、ビジネスセンターへの通勤需要もになっている。

IGI Airport は空港の真下にある(IGI とはインディラ・ガンジー・インターナショナルの略)文字通り、空港のアクセス駅である。

終点のDwarka Sector21は、メトロブルーラインと接続し、また周辺も商業・住宅の再開発が進んでいる地域である。

デリーエアポートメトロ車内

 

考察

東京モノレールはもともと羽田空港へのアクセスのために作られたものであり、開業当初は浜松町から空港まで途中駅はなくノンストップであった。

しかし現在は駅間が2㎞未満で地下鉄や都市近郊私鉄並みである。しかし、ダイヤについては、都心部起点(浜松町)と羽田空港をダイレクトに結ぶ空港快速と途中の天王洲アイルや大井競馬など沿線需要に対応した普通、区間快速がある。つまり

1本の複線路線で空港アクセスのみならず沿線の通勤、通学、レジャー、と幅広い需要を取り込んでいる。

 

一方デリーエアポートメトロは、全線複線の路線という条件は同じだが、空港アクセスに特化している感が強い。駅間距離も4.5㎞と長く、運転間隔も普通列車のみ15分間隔(普通と言っても1駅が長いので快速列車のような感じである)のみ、途中駅Dhaula Kuan駅など、上手く整備すればバスターミナルとメトロの結節ターミナルになりそうだが、そんな気配はない。接続しているメトロ路線も、線路は交差しているのにとてつもなく両方のホームが離れている。

AeroCity駅は確かに新興都市商業地に隣接しており、ホテルや商業施設に勤務する人の通勤にも使われるが、中心からはやや離れており、アクセス歩道もなく街の外れにある印象である。

デリーエアポートメトロは市内-空港間を直結することに重点を置いており、地域輸送や他の路線、交通機関との連携に消極的である。

 

という感じがする。

 

これは、同じく羽田空港へ乗り入れる京急、成田空港に乗り入れる京成やJR成田線、関空に乗り入れる南海とJR阪和線、セントレアに乗り入れる名鉄常滑線にも言えるが、日本は既存の鉄道路線と後からできた空港を結んだ例が多く、それらの路線は既存の沿線需要に加え空港アクセス機能が追加されたかたちである。

当初から空港アクセスを目的に作られた東京モノレールは、デリーエアポートメトロと背景が似ているが、それでも沿線の開発に対応する形で沿線需要を取り込んできた。

 

デリーエアポートメトロについては、現状は空港アクセス以外に関心が無いようであるが、複線電化の線路がもつキャパシティは大きい。新駅設置、緩急接続設備、他路線との接続改善などで、多くの需要を取り込み、沿線の発展にも寄与できると思う。

デリーに限らず、エアポートアクセス路線を持つ都市はぜひ検討してほしい。

 

 

 

 

デリー近郊のノイダのメトロで、ラッシュ時に快速運転をするということです。

 

ノイダは首都デリーから東に50㎞程の場所にあるUP(ウッタ-プラデッシュ)州の新興都市で、NCR(National Capital Region)の一角を占める重要な位置にあります。

 

ノイダは以前からあるノイダ市街と近年開発が進むグレーターノイダ(Gノイダ)に分かれます。ノイダにはデリーメトロのブルーラインが州を越えて乗り入れており、住宅・商業地域として発展しています。

 

一方のノイダ郊外からグレーターノイダへは、まさに何もないところを開発した、あるいは開発中という段階です。グレーターノイダについてはどちらかというと新興工業団地としての機能が強く、ヤマハ発動機、ホンダ技研の工場や関係する部品メーカーも多く存在します。

日本人の間では、デリーを東京とすればグルガオンが横浜、ノイダが千葉ともいわれています。

 

前置きが長くなりましたが、今回紹介するノイダ・メトロはUP州が運営するノイダとグレーターノイダを結ぶ路線です。

始発駅のセクター51駅ではデリーメトロ・ブルーラインと接続し、市外へ出てグレーターノイダへと至る全長29.7㎞、合計21駅、全線高架の路線で2019年に開通したばかりの新しい路線です。

↓の青い線がノイダメトロです。左上が始発駅のセクター51で画面左から来るデリーメトロと接続しています。

 

 

現在、各駅停車で全線を45分で結んでいるのですが、ラッシュ時(8時-11時と17-20時)は途中10駅を通過して9分短縮の36分で結ぶということです。

 

つまり快速運転を行うわけです。日本人の感覚だと、快速が走るなら当然各駅停車(普通列車)も走るだろうと思うでしょうが、いくら公式サイトやその他の情報を確認しても、その時間に各駅停車の運転はなく、さらにその時間は通過駅で切符の販売もしないということです。

 

つまりラッシュ時(8時-11時と17-20時)は途中10の通過駅に列車は来ない!

 

下図のがノイダメトロの路線図なのですが、青丸の駅が通過駅になります。(Wikipediaより)

 

この付近はまさに開発途上の地域で、セクター142(S142)付近から高速道路と並行するのですが、道路から見ると、まるで昭和40年代の多摩田園都市建設途上の頃の東急田園都市線や多摩ニュータウンのようなイメージです。(当時は生まれてないので写真でしか見たことないですが)

 

仕事でこの近くを通ったことがありますが、荒れ地と工事現場しかないところに高架線の立派な駅があるという場違い感があるところでした。

 

もっとも、急速に経済発展しているインド、そう遠からず間違いないですが、にしても一番人が多い時間に通過扱いとはなんとも、、

むしろ、ゆりかもめの汐留駅(始発駅新橋の隣)のように、周囲が開発されるまで準備工事にとどめ、周りが発展したら駅をオープンでもよかったのではないかとも思います。

 

そして何より、ノイダ、グレーターノイダ両拠点間を結ぶ需要は今後も続くので、むしろ日本の通勤電車のように各駅停車と快速が交互に走り、沿線利用者と拠点間移動の両方の利便性を追求するダイヤにはできなかったのか?

確かに、各駅停車と快速が同じ時間に混在すると、途中駅で快速が各駅停車を抜くようなダイヤが望ましい(そうしないと快速の意味がない)、それには待避線が必要なうえ、ダイヤも単純なものではなく、優等列車退避を組み込んだやや複雑なダイヤにする必要があります。

日本の私鉄・JR各社では自然に行われているこうしたダイヤも、諸外国のメトロ、地下鉄、都市鉄道で行っているところは非常に少ないです。

 

日本は90年代から始まったデリーメトロの建設に資金面、建設技術、運営技術で大きな貢献をしてきました。デリーメトロの一部で行われている無人運転は日本信号の技術が使われています。

 

しかし、あと一歩、ダイヤ策定や駅ナカ商業施設など、ソフト面でも日本の都市鉄道が持つ利便性を伝えて欲しいところであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インドの貨物回廊の最新情報についてお伝えします。よろしければ前回の方もぜひご覧ください。

 

 

 

最終的に6路線が計画されている貨物回廊ですが、現在、東回廊と西回廊の建設が進められています。今回はこの両路線についてみていきたいと思います。

 

<東回廊>

東回廊はデリーの北パンジャブ州の工業都市ルディアナからデリーの郊外を通って進行方向を東に向けて、聖地バラナシを経てコルカタに至る約1900㎞にわたるルートです。

首都圏と最大人口を有するUP州を横断して東部最大都市で港町のコルカタを結ぶ重要路線です。また途中駅で後述のムンバイへ至る西部回廊と接続します。

 

この区間は在来線に並行して複々線を作るような感じで建設が進められています。

↓は筆者がデリー発バラナシ行の列車から撮影したものです。奥の複線が建設中の回廊で、まだ架線が張られていませんでした。

 

現在、途中のBhaupur – Khurja間、およそ350㎞で暫定的に開業しており、貨物列車が運行されています。

 

ちょっと見づらい図ですが、首都デリーの郊外から南東に降りたカンプールという都市の郊外まで結ばれています。

中途半端感が否めませんが、電化方式もレール幅も在来線と同じなので、部分開業であっても在来線と直通して活用することが出来ます。

全線開業は2022年の予定で、完成するとコルカタ東部最大の都市コルカタの路線で客貨分離による輸送力増強と、設備が古く大型コンテナ船が入港できないコルカタ港の整備が進めば、鉄道とリンクした輸送品質の改善が期待されています。

 

<西回廊>

首都デリーと西部最大の都市であり、インド最大の国際的貿易港のムンバイを結ぶもので、都市間の物流のみならず、海運貨物の内陸部への輸送という使命も負っています。

この区間の特徴は、海上コンテナを2段積みにして輸送することが出来ることです。2段積みのコンテナ車はアメリカでは30年ほど前から行われていますが、いずれもディーゼル機関車によるもので、電化鉄道としては初めてです。

 

↓の記事にあるように、先日、全行程1500㎞のうち300㎞ほどが部分開通しました。部分開業の始発駅レワリは、デリーから70㎞ほど郊外で、日本企業の工業団地があるニムラナ、バワルへも比較的近い場所にあります。

 

 

 

部分開業のために港までつながってないので、2段積みをフル活用することは無いでしょうが、2023年の全線開業の暁には、消費財の輸出入や工業団地で使う原材料など多くのデリー首都圏とムンバイ港との物流が鉄道にシフトする見込みです。

なお、記事にあるように、線路敷設や信号システムで日本企業が参加しています。

 

<貨物専用鉄道への期待>

東回廊1900㎞、西回廊1500㎞といえば、日本で言うとそれぞれ、札幌-大阪間、札幌-北九州間の距離になります。現状では輸送力不足の鉄道とトラック輸送が主流のこの区間で、鉄道貨物の輸送力増強・スピードアップが行われることで、以下のようなことが期待されます。

・輸送コスト低下

貨物量のキャパシティが増えることで、単位輸送当りのコスト低下が期待されます。

 

・定時性の改善

現状は在来線を何度となく急行列車に抜かれ、いつ目的地に着くかわからない貨物列車ですが、専用線を走ることでスピードアップと到着時間が読めるようになることが期待されます。

 

・海上輸送との連携

港のそばまで線路を通すことにより、海上輸送のコンテナがそのまま内陸まで輸送できます。既に、内陸部の税関で通関を行う保税輸送も行われてますが、輸送力増強でスムーズに行われるようになると期待されています。

 

・ドライバー不足対策

日本列島を縦断するくらいの距離だと、トラックドライバーも2人交代で片道2-4日となります。毎日運行の定期便であれば多くのトラックとドライバーを確保する必要があります。

人口の若いインドとはいえ、長期間家に帰れない、休みが不規則なドライバーの仕事は敬遠されています。長距離輸送の鉄道シフトはドライバー不足対策にもなります。

 

一方、まだ詳細は出ていないですが、現場サイドからは以下のような施策がとられるとさらに使いやすくなると思います。

・貨物列車ダイヤの策定

現状は貨物が集まったら出発するという、ダイヤの無い状態ですが、キチンと貨物列車のダイヤを作り、列車毎に何時に出発、何時に到着という時刻表を作ると、利用者にとって定時性・速達性のアピールが出来ると思われます。

 

・途中駅での荷役

起点・終点の間だけでなく、途中の貨物駅で荷積み・荷下ろしを容易にできるようにしてほしい。日本のJR貨物が行っている専用コンテナによる着発荷役線方式など工夫が必要だと思われます。

一気にコンテナ化は難しいにしても、何かしら途中駅での利便性向上策を考えて欲しい。

 

いずれにせよ、国家的プロジェクトの貨物専用線(貨物回廊)計画、予定通り建設が進み、早期の開通を願っています。

 

世界最大手の海運会社マースクシーランド社(本社デンマーク)がインドで鉄道を利用して東西を結ぶ輸送を始めたということです。

 

これは、最近のコンテナ不足、海上運賃高騰を受けて、少しでも海上ルートを削減し安定的に貨物を輸送する目的で行われるものです。

インド北東部の中心都市コルカタ(旧カルカッタ)から中東ドバイまでの鉄鋼品の輸送にあたり、従来はベンガル湾を南下し、インドの先端を通ってアラビア海に抜けるルートとなります。

 

↓の地図で見ていただくと、全部を航路にした場合(赤い線)では、インド大陸のさらに下を回るため輸送距離が長くなります。

新しい輸送方法では、輸送はコルカタからムンバイに隣接するナバ・シェバ港までを鉄道で輸送(青い線)、ナバ・シェバ港からドバイまでを航路(緑の線)輸送します。

 

この方法だと、総輸送距離を短くできるうえ、特に運賃が高騰している海上ルートを大きく減らすことが出来ます。

その代わり、コンテナをナバ・シェバ港で貨車からコンテナ船へ乗せ換えるためのコスト・時間が発生しますが、海上運賃の高騰と比べるとこのコストを払ってもトータルではコストダウンになるという算段なのでしょう。

 

今回の輸送は1荷主のために1列車を貸切るという一過性のものでありますが、今後も海上輸送運賃の高騰が続けば、新たな輸送手段として他の荷主の荷物と積み合わせて、続けられる可能性もあります。

 

現在、世界的に海上コンテナの不足が起きており、それに合わせて海上運賃が高騰しています。原因は複合的であり、主な原因は世界的なコロナ禍により、ロックダウン等で生産が減少している欧米と、コロナが収まり生産が急回復している中国との需給ギャップ、大消費地(輸入が多い)で、アメリカでコロナによる港湾やトラックドライバーの人手不足で荷下ろしが滞留しているなどがあります。

 

実際、他地域でも、例えばタイ発のシンガポール行きのような短距離であれば、海上輸送からトラックに替えたり、運賃が高いものの航空輸送への切り替えも進んでいます。

 

インドのような国土の広い国では、東西や南北の輸送で海上ルートをセーブすると言ったことも始まる可能性もあります。

同時に、長距離トラックドライバーの不足もあり、内陸部と港湾地区の鉄道輸送の役割も今以上に重要になってくるとでしょう。インドの鉄道インフラには多くの期待がかかっていると言ってもいいでしょう。

 

ちなみに、↓が今回の輸送を紹介する記事なのですが、写っている写真はインドではなくドイツ鉄道のものです(なぜこれが使われたかは不明? インドで写真撮るの忘れたのだろうか?)

 

 

インドでは国策によりインド主要都市を網羅する広域な貨物専用鉄道の建設が進んでいます。

 

今回は、

・貨物回廊建設の背景とは

・どこを走るのか?

・貨物回廊のスペックはどんなものか?

を解説します。

 

<背景>

インドは90年代に社会主義経済から市場経済への転換を進めていくにつれ経済成長が始まり、2000年代に入るとBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)と言われるようになり、世界経済のけん引役ともいわれてきました。

 

そのため、国内の物流量も右肩上がりで増え続け、鉄道貨物輸送も2000年代に入ると毎年10-15%も伸びていました。同時に旅客数も増加、そもそも人口も増えているので今後も長期にわたり旅客・貨物とも伸びが見込まれます。

 

そこで、速度の旅客と貨物の線路を分けることにより、輸送力増強とスピードアップを行うことになりました。

 

2005年の小泉首相インド訪問から本格的な日印協議が始まり、2008年にシン首相が訪日の際、麻生首相が円借款を提供することが発表されました。ちなみに、円借款とは日本が途上国にインフラ整備など支援のためのお金を「貸す」ことです。貸すと言っても超低金利の長期ローンであり、民間金融機関では出来ない大型案件や有利な条件で行うことが出来ます。

また、民間レベルでも土木・建設をはじめ、信号システムなどで多くの日本企業が参加しています。

 

<具体的な計画>

インド全土に6路線、総延長約9500㎞にもおよぶ貨物専用鉄道になります。

 

 

ttps://dfccil.com/home/corridor から引用

 

全6路線のうち

現在建設中

西回廊(赤線 DADRI-MUMBAI):首都デリー近郊と西部最大都市で貿易港のムンバイまで

東回廊(赤線 LUDHIANA-DANKUNI):首都の北側にあるパンジャブ州の工業都市LUDHIANAから首都デリー周辺を迂回して東部の主要都市コルカタに至ります。

 

計画中

東西回廊(緑線 MUMBAI-ANDAL):東部最大都市ムンバイと西部最大都市コルカタを結ぶ横の動脈

南北回廊(青線および青点線 DELHI-CHENNAI):首都デリーと南部最大都市で貿易港のチェンナイを結ぶ

東海岸回廊(紫線 KHARAGPUR-VIJAYAWADA):インド東海岸をコルカタとヴィジャヤワダを結び南北回廊に乗り入れてチェンナイに至る

南海岸回廊は(ピンク点線 CHENNAI-MADGAON):マハラシュトラ州南部の港町マンガロール、およびリゾート地ゴアとチェンナイを結ぶ。構想中であり建設時期については不透明

 

上記区間は現在でも旅客・貨物ともに混雑している区間であり、多数の長距離急行列車が運行されています。(デリー-ムンバイ間で30-35本の急行列車が運行など)

輸送力増強のために新線を作ると言うと、日本では新幹線の建設を思い浮かぶ人が多いと思われます。インドの場合は逆で、貨物列車を専用新線に移すことになります。

 

昭和30年代、東海道本線が旅客・貨物の増加に追い付かなくなった時、輸送力を増強する目的もあって東海道新幹線が建設されました。

日本は高速の旅客列車(新幹線)を作ることで、既存の線路(在来線)に余裕を持たせ、そこへ貨物列車や普通列車が走るようになりました。

同じように輸送力がひっ迫しているインドでは、貨物専用鉄道で貨物部門のスピードアップ、輸送力増強にフォーカスします。

 

日本では、東京-大阪間をはじめ新幹線のメリットが出しやすい距離に大都市が点在してますが、国土が広く主要都市間が1000㎞以上あるインドでは、都市間旅客輸送は航空シフトが進むと思われるので、むしろ鉄道のメリットが発揮されやすい貨物輸送に重点が置かれているからと思われます。(実際、インドでは100以上の空港建設計画があります)

 

<主要諸元の比較>

貨物回廊の線路は、従来の在来線より多くの貨物を運べるように出来ています。参考までに日本の貨物列車も比べてみます。

   
  日本(JR貨物) インド在来線 貨物回廊 備考
レールの幅 1067㎜ 1676mm 1676mm レール幅は在来線と同じ
車高 4100mm 4265mm 5100or
7100mm
7100mは西回廊のみ、コンテナ2段積み対応
車幅 3000mm 3200mm 3660mm  
編成の長さ 540m 700m 1500m 日本の新幹線16両編成は400m
1列車重量 1300t 5000t 13000t 2段積み対応
最高速度 110km 75km 100km  
電気方式 直流1500v/
交流2万v
交流2万5千v 交流2万5千v 電化方式は在来線と同じ
 

 

インドはもともとレールの幅が広く、日本より車幅・車高ともやや大きく、さらに長編成の貨物列車(50両編成程度の貨車)が走っていましたが、貨物回廊はこれを上回る、長く、重く、速い貨車を走らせることが出来ます。さらに、西回廊(デリー-ムンバイ間)では、海上コンテナを2段積みで運行することが出来ます。

 

一方、架線電圧、レール幅は在来線と同じなので、既存の機関車・貨車が直通することもできます。(2段積みコンテナを除く)

 

次回は、部分開業した西回廊と建設中の東回廊について、詳しく見ていきたいと思います。


その2

 

 

今回は趣向を変えてインドの祝日の1つである、インド共和国記念日、通称リパブリックデーについて紹介します。

 

18世紀から長らくインドはイギリスの植民地でした。1945年の第二次大戦が終わると、

有名なマハトマ・ガンジーの主導する独立運動が盛り上がり、1947年の8月15日にインドは独立を達成しました。8月15日はインド独立記念日(independence Day)として祝日となっています。

 

一方、1月26日の共和国記念日は何の日かというと、1950年にインド憲法が発布された日になります。日本の憲法記念日にも似てますが、むしろ、インド人が言うには、インドの民主主義が始まった日というかたちで認識されています。

 

共和国記念日には、午前9時に首相が国立戦争記念碑に献花します。

インドも独立のための戦いがありました。国のために命を落とされた英霊に敬意を表します。日本では靖国参拝で批判が起きるなど戦争に触れることはタブーになってますが、多くの国では与野党関係なく英霊に敬意と感謝の意を表すことは多く見られます。

 

続いて首相・大統領がパレード会場に移動します。

ちなみに移動に使う車両は印タタグループのレンジローバーでした。

 

いよいよパレードが始まります。

最初は陸軍戦車部隊

 

ミサイル?も登場します。

 

軍の騎馬部隊

 

後半はお祭りの山車みたいなものが出てきます。インド国産の新型コロナワクチンとコロナ収束を願ったものですね。ちなみに、丸く並んでいるワクチンの瓶はぐるぐる回ります(笑)

 

 

リパブリックデーはインドが独自憲法発布により真の独立国になった記念すべき日であり、国のために命を落とした英霊に敬意を表し、国家を守る軍の行進によって、愛国心を思い出させる日なのかと思います。

 

同時に、外国人にとっても毎年楽しい出し物で楽しむこともできます。

毎年1月26日、献花からパレードまでYouTubeで全世界に中継されますので、インドに興味のある方、インド軍の車両や兵器に興味のある方、インドのイケメンが好きな方、ぜひご覧になってみて下さい。

 

毎年各国要人が招待され、2014年は安倍首相、2015年はオバマ大統領が訪問しました。今年はジョンソン英首相が来る予定でしたが、新型コロナ対応のためキャンセルになりました。

 

↓当日の様子です。長いですが、興味のあるところを適当にスキップしてご覧ください。

 

2019年に登場した、Vande Bharat Expressと呼ばれる動力分散式の特急型車両ですが、現在1編成のみで首都デリーとバラナシの間を1日1往復しています。この車両の増備が決定しました。

 

コロナ禍前の一昨年、この列車に乗車してきました。その時の記録は↓です。

 

 

最高時速130㎞、オールエアコン付き、VVVFインバーター制御、というインドとしては最新かつ豪華な列車です。

 

しかし登場から間もなく2年、長らく1編成のみの試験運用のような状態が続いていました。

 

この間、昨年春からのコロナ禍ではロックダウン(日本の自粛要請よりはるかに厳しい封じ込め政策、一時期は全旅客列車、メトロ、バスも運休となった)があり、7月には国境問題で揉めている中国の企業を排除するために入札を延期するなど、紆余曲折の末、やっとインド国内メーカーだけでほぼ量産できる見込みが立ったようです。

記事によると20か月以内に納入されるとのことで、2年以内に44編成がインド各地に広まるのかと思われます。

 

ただ、外野の私からちょっと懸念もあります。

・オールエアコン付きの指定席者は運賃が高く、慢性的に混んでいるノンエアコン車両の乗客をシフトできるか?

・客車急行が20両編成(客車18-19両+荷物者)に対し16両編成で荷物車両は無い

・高速車両が運行しても、遅い急行や貨物が多くどこまで性能を発揮できるかわからない。

 これらについては、一気に客車列車が置き換わるわけではないので現段階では杞憂といっていいことですが、動力分散方式(電車方式)が普及することで、インド国鉄がどう変わって行くのか、注目していきたいと思います。

 

しかしながら、インド国鉄期待の星、モディ首相が進めるメイクインディア(インドで作ろう)の精神も体現しています。

どうか、インド鉄道の発展を願います。

 

 

インドの首都デリーとインド最大の人口を抱えるムンバイの2大都市を結ぶ特急列車で機関車を前後に連結して運転するプッシュプル運転を始めたとのことです。

 

インドの優等列車には、〇〇Express といういろいろな種類の急行列車が走っていますが、このうちRajdhani Expressは首都デリーを中心に限られた高速の列車にのみ使われる列車種別なので、特別急行(特急)と言ってもいいかと思います。

 

インド国鉄によると、この22221/22222列車Hazrat Nizamuddin Rajdhani Express は最高速度130㎞、平均速度86㎞とのことで、日本の在来線特急程度の速さです。

 

プッシュプルにする理由として、Ghat section という、インドの西部と中央部を分ける山間部を越える際に、速度低下を防ぐということです。

インド国鉄は、基本的に普通から急行まで写真のような機関車けん引です。

先頭の機関車が客車や貨車を引っ張って行きます。速度の高い急行列車や重い貨車を引く場合は、機関車2台(重連と言います)でけん引することもありますが、前と後両方に機関車をつけるプッシュプルというのは初めてです。

 

日本では、石北本線の貨物列車がプッシュプルで運転しています(写真は古い機関車、現在は新型機関車に変わっています)

これは、山間部で安定した走行のためと、途中駅の遠軽でスイッチバック(列車の進行方向が変わる)で機関車を付け替える作業を省略するためとのことです。

 

また、有名なフランスTGVやドイツのICEといった欧州の超高速列車も両端の先頭車が機関車で中間が客車のプッシュプルです。(最新型は動力分散の電車タイプもあります)

 

このように、プッシュプルは、プルだけ(先頭に機関車でけん引)より高速性・安定性が高いと言えます。

 

一方でインド国鉄は電車タイプの特急車両も試作して、現在デリー-バラナシ間で運転しています。加速力、勾配(登り坂)での安定性はやはり電車タイプの方が上だと思われます。

 

プッシュプル運転は、将来的な電車タイプへ移行するまでの過度期なのか、それとも機関車けん引の可能性を追求していくのか、注目してみたいと思います。

 

https://www.punekarnews.in/csmt-hazrat-nizamuddin-rajdhani-express-to-run-daily-from-january-192021/

 

 

今回は、インド自動車市場において、日本では見かけることのないブランドについてご紹介していきたいと思います。

 

 1 タタモーターズ(インド)

タタ財閥の自動車部門ですが、タタ財閥は鉄鋼、化学など重工業から食品・飲料など一般消費財まで多くの産業に関わるインド最大の企業グループです。19世紀半ばにペルシア(現イラン)から移民してきた一族がボンベイ(現ムンバイ)で綿貿易を始めたのを皮切りにその業容を広げていきました。

タタモーターズはその中の中心的な企業の一つで、1945年に創業、当初は蒸気機関車を製作していましたが、56年から商用・軍用車メーカーとしてトラックや軍関連の車両を製造していました。

ちなみに乗用車市場については、1958年にイギリスから生産ラインごと輸入して国産車アンバサダーが登場すると、長くインドは社会主義政策として乗用車の輸入も新規参入も禁じられていました。(80年代に部分的緩和でマルチスズキが進出したのみ)

1989年の湾岸戦争による国家破綻危機とその後の自由化を受けて、1991年にSUVのSierra,翌92年にステーションワゴンのTATA Estateを発表、本格的に乗用車市場に参入し、98年発売のインディカは大ヒットモデルとなり、マルチ800(スズキ・アルトベースの小型車)と並びインドの国民車と言われるようになりました。

2008年には旧宗主国(植民地支配をしていた国)であるイギリスの名門メーカーであるジャガーとランドローバーをフォードから買収、他にも、スペイン、イタリア、韓国で商用車の合弁事業を行うなど国際進出も加速しています。

2009年、TATA Nanoが発売され世界一安い乗用車として日本でも報道されますが、販売は振るわず改良も受けたモノの2018年に生産終了となりました。

現在は、マルチスズキ、ヒュンダイにつぐインド乗用車市場で3位の位置につけており、(商用車では5割ほどのシェア)低価格の小型車から安価なSUVまで揃っています。

タタ・ナノ

 

  タタ・インディカ(初代)

 

 

 2 マヒンドラ&マヒンドラ(マヒンドラ)

マヒンドラもインドを代表する財閥の1つで、1945年に北部パンジャブ州で鉄鋼の商社を立ち上げたことが始まりです。47年のインド独立後は、イギリスとの鉄鋼に関する貿易、自動車部品の生産、トラクターの製造など多くの分野に進出していきます。

自動車部門のマヒンドラ&マヒンドラは1948年に設立され、当初はアメリカのジープ(現在はFCA フィアットクライスラーオートモティブの1ブランドですが、当時は米国の軍需企業ウィリス者が生産、軍に納品していました)のライセンス生産を行うことから始まりました。

その後、トラクター(のちに分離)、トラック・バスといった商用車、軍用車の生産を拡大していきます。

乗用車市場に進出したのは2000年、まずSUVのBoleroが発売され、続いて2007年に仏ルノー車と合弁会社を作り、ルノーのルーマニア子会社ダチア社が製造する小型車Roganをベースにしたマヒンドラ版のロガンを発売しました。

余談ですが、1982年の第二国民車構想の際、当初インド政府の高官は大家族が多いインドでは大人数が乗れるルノーの中型車ルノー19をライセンス生産することを考えていたようですが、最終的にはスズキが日本の軽自動車アルトをベースにしたマルチ800を推してそちらが採用されることになりました。

ルノーとの合弁は2010年に解消し、以後はマヒンドラが乗用車からSUVまで単独で開発・販売を行っています。しかしどちらかというと、SUVの印象が強く、Scopioという7-9人乗りSUVは安価で多人数(定員+3人くらい)乗せて走ることもしばしば見かけます。

また、Tharというモデルは、本家ジープの流れを受け継ぐタフなオフロード車で、軍用でも使われています。

マヒンドラ・スコーピオ

 

マヒンドラ・Thar

 

3 ヒュンダイ(現代自動車)

韓国を代表する自動車メーカー2020年時点で世界第5位の規模です。2000年前後に日本にも進出していましたが、販売が振るわず撤退しました。

1967年に韓国で操業、当初はフォードの技術支援で小型車を製作し、70年代以降は日本の三菱自動車の支援で発展を続けました。

インド進出は1996年でトヨタより2年早く、小型車を中心にマルチスズキ、タタと激しい競争をしており、一時期シェア2位となりました。 2020年のコロナ対策によるロックダウン(自粛より厳しい外出禁止、工場など操業禁止措置)が終わったあとも小型車人気を受けて好調な販売を維持しています。

かつては安かろう、悪かろうのイメージが強かったヒュンダイですが、新興勢力同士の戦いとなるインド市場では、マーケティング力(価格、デザイン、広告宣伝の効果、品質)のバランスで勝ち組になっています。

 

ヒュンダイ・i20

 

4 スコダ

スコダは19世紀末にオーストリアハンガリー二重帝国時代に自転車や機械の製造で始りました。20世紀初頭に自動車生産を開始、戦後はチェコスロバキア(現チェコ)で国営化されたあと、東欧民主化の波を受け90年に民営化、まもなくドイツ・フォルクスワーゲング(VW)の出資を受け、VWグループの1ブランドになります。

インドには2001年に進出、マハラシュトラ州に工場を建設しました。インド市場では中・上級モデルとして中型セダンのスコダ・オクタビアを中心に販売されています。

2019年に親会社VW(フォルクスワーゲン)グループとしてVWインドと統合されました。ちなみにVWもインドに進出しており小型車ポロ、中型車ヴェントを生産・販売しています。今後、ブランド・モデルごとの立ち位置が整理される可能性もあります。

スコア・オクタビア

 

5 MGモーター

MGとは元々はイギリスのブランドですが、その遍歴をたどると本1冊書けそうなくらい複雑です。

1930年にイギリスで操業、35年にモーリス社に吸収、そのモーリス社が60-80年代の長期にわたるイギリス自動車産業大再編により、ブリティッシュモーター、ブリティッシュレイランド、オースチンローバーなどの再編していくなかで、MGはスポーツカーブランドとして残ってきました。

2005年、当時MGブランドを所有していたMGローバー社が破綻、中国の南京自動車が買収し、2007年から南京自動車が上海自動車に買収される。同年中国でのMGブランドの生産が始まります。

2016年イギリス工場閉鎖(デザイン、マーケティングの研究機関は残す)、イギリスおよび欧州向けは全て中国工場からの輸入になる。

2017年インド・グジャラート州で同年限りで閉鎖したGMの工場を入手、整備の上2019年からMG Indiaの工場としてインド市場向けSUV社ヘクターの生産を開始となっています。

 

まだインド進出から2年、しかも2020年から印中対立(領土問題で争っている印中国境で度重なる小競り合い)のさなかで、インド政府が中国企業、中国製スマホアプリ締め出しするなど、反中感情が高まっているという最悪な状況にも関わらず、着実にディーラー網を整備し、販売を伸ばしています。

インドは90年代まで乗用車の輸入を禁止していたため、MGブランドはインド初参入となります。つまりMG=英国というイメージはなく、新興企業として受け入れられているようです。さらに今後はEVの発売も予定されており、政治的には国際的な批判にさらされながらも、中国企業の勢いを感じさせるものです。

MG・ヘクター

 

インドの自動車産業は、長く閉鎖市場であり、1950年代設計のアンバサダーと、80年代に国営企業のパートナーに選ばれたマルチ・スズキの2強が続いてました。

そのため、長年の歴史・ブランドがあるメーカーも新しいメーカーもインド市場においては全て新興勢力、良くも悪くも同じ土俵で戦うことになります。

世界最大の自動車会社であるトヨタも、インド市場ではシェアは第5位に甘んじており、一方ヒュンダイはマーケティング力で伸ばし、MGという英国名門ブランドはかつてのスポーツカーのイメージを使わず、近代的なSUVとして、さらに今後はEVメーカーとして売り込もうとしています。

 

このように他国とは状況が大きく異なるインド自動車市場、人口の多さから世界最大の市場になることも考えられます。ぜひご注目下さい。

 

ンドで見かける日本未進出モデル、メーカーについてみていきたいと思います。

まずはインドの自動車産業をさらっとおさらいします。

 

<インド自動車産業の歴史>

インドの自動車産業は古く第2次大戦前にさかのぼります。

1930年代:GM,フォードが進出、ムンバイ、コルカタなどに自動車工場設立(戦後に撤退)

1942年:ヒンドゥスタンモーター設立

1945年 タタモーター、マヒンドラ&マヒンドラ設立、当初は両社とも蒸気機関車や商用車の 設立

1958年:ヒンドゥスタンモーターが、英国モーリス社のオックスフォードシリーズⅢという乗用車の生産設備ごと購入、これがインド乗用車の代名詞であるアンバサダーであり、産業保護のため自動車の輸入禁止政策と相まって、インド国民車となった。

競争のない環境でモデルチェンジもなく2014年までほぼ同じものが生産され続けた。

1981年:第二の国民車を作るためマルチ・ウドヨグ社(のちにマルチ・スズキに改称)設立、翌年、日本のスズキが同社に26%出資して経営参加、83年にスズキ・アルトをベースにしたマルチ800の生産開始、大人気モデルとなる。

1991年:湾岸戦争による中東出稼ぎ労働者減少で、深刻な外貨不足になり国家破綻寸前になる。日本の緊急支援で切り抜けるが、同時に市場開放を求められ、90年代はトヨタをはじめ多くの外資企業が参入する。また、重機・商用車メーカーのタタ、マヒンドラも乗用車市場に参入

1998年:南部バンガロールにトヨタ自動車の工場稼働、デリー郊外のノイダに本田技研の工場稼働

2009年:西部プネにメルセデス・ベンツの工場稼働(部品をドイツから輸入して組み立てるノックダウン生産)

 

 

 

<インド自動車産業の現状>

・依然として強い保護政策

現在のインドには、トヨタ、VW、ヒュンダイなど外資系企業の車も見かけるが、完成車の輸入についてはいまだに100%の関税がかけられており、外資であってもインド国内生産の車両が大半である。

・圧倒的に強いマルチ・スズキ

インドの自動車産業(乗用車)は、1958年から生産開始されたアンバサダーの1車種のみ販売の時代が続いていた。

そんな中1983年に、当時日本で発売されていたアルトをベースにしたマルチ800が発売されると、あまりに設計の古いアンバサダーと比べ、あらゆる面で革新的であり瞬く間にインド乗用車市場を独占した。

そのため、マルチ・スズキはインド市場に長く親しまれ、生産・ディーラー網は他社に先駆けて整備され、かつ同社はインド市場を熟知している。

91年の自由化以降は多くの外資が参入したものの、2021年現在も50%近いシェアを維持している。

・コロナ後の変化

2020年に全世界を襲った新型コロナウイルスはインドも例外ではなく、3-4月に強力なロックダウン、9月には累計感染者数が世界第2位になるなど大きな被害が出た。

6月から順次自動車産業も生産再開されたが、コロナ禍で公共交通を避けるため、通勤目的で二輪車と小型車の売上が増加した。

一方、企業の送迎車やツーリストタクシー、富裕層向けなど中・大型車の販売は落ちている。これによりメーカー間で増加・減少の傾向が分かれてしまった。

 

<日本に進出していないメーカー>

下記は日本に進出、正規輸入されていないが、インドでは営業しているメーカーである。

タタモーターズ(インド)

マヒンドラ&マヒンドラ(インド)

ヒュンダイ(韓国)

スコダ(スロバキア 独VWグループ)

MG(中国 もともとは英国のブランド)

 

次回はインドで活躍するメーカーについてそれぞれ見ていきたいと思います。