「食についてその後」、「3」です  (^。^)

 

 

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「不食」に憧れて、以前から少食を続けています。

 

 

 食を少しずつ減らしてくると、だんだん食べなくても平気になってきます。

 

 

でもやっぱり何か欲しくて、少し食べたりジュースを飲んだりしています。

 

 

この「何か食べたいという気持ち」は、お腹が空いたというよりも「胃液が出て気持ち悪いから」・・のような気がしています。

(食べるのはそんな時)

 

 

でもその時、胃や腸は、欲しいって言ってないような・・?

(矛盾?( ゚д゚))

 

 

食べたくなるのは「胃液などの消化液が出て、そのPhを中和したくて、何かを食べたくなる」ように思うのです。

 

 

そのことを「お腹が空く」というのでしょうけど、もしかしたら別のシステムだったりして・・?

(今までずっと食べてきたから定期的に消化液が出るとか??)

 

 

 

・・そんなことを、あーじゃないか、こーじゃないかと、ぐるぐると考えています・・ (^。^)

 

 

 

         

 

 

そして内面の変化ですが・・

 

 

以前にも増して「物欲」がなくなってきた気がします。

(もともと物は少ない方)

 

 

     それは、 ✨「聖者になったから」

 

 

 

   

 

 

 

・・・んなわけなくて!   ( ̄∇ ̄)! 

 

 

物を持つことが、ますます「面倒」になってきたんです。

 

 

「管理するのがイヤ」「掃除が大変」「要らなくなった時いちいちリサイクルショップに行くのが面倒」「捨てるか捨てないか考えるのがユウウツ」

 

 

・・みたいに「煩わしさ」が増してきたんです・・

 

 

     「なるべく持ちたくない」

 

 

・・そんな気持ちが強くなってきました・・

 

 

   (食と関係ない・・? (・∀・)?)

 

 

 

ポケモンのモモワロウの団子や、マトリックスのメロビンジアンのケーキによって欲が増すように、食によって感情が刺激されるのかもしれません・・?  (=仮説! (゚∀゚))

 

 

 

 

 

 

 

・・そしてもう一つ。

 

 

   今までは、「不食なんてすごい」「ヨガの聖者みたい!」

 

 

    「霊的に目醒めるかも?」 ✨「できたら素敵」✨✨

 

 

 

       

 

 

 

・・みたいな気持ちでしたが、今は、「損得勘定」!  ( ̄∇ ̄)

 

 

 

           

 

 

「「三食」食べなければならない、そうしないと生きられない」

 

 

・・という義務? がなくなったとしたら、めちゃ楽じゃないですか?

 

 

 いろんな「束縛」からも解放されますよね・・

 

 

趣味で「食べたい時だけ食べる」という、「自由に選択できる」状態だったとしたら・・?

 

 

 

・・そんな、「便利」なこと、 ないような・・  ( ´▽`)?

 

 

 

            

 

 

 

世間で食糧難と騒がれても、旱魃・飢饉にも影響されない・・

 

 

山登りでも、旅行も便利、食べ物の心配をしなくてすむ!

 

 

 

         =「身軽」! (^。^)

 

 

 

        

 

 

 

「そんな便利なこと、もしできるんだったら、開発しない手はないじゃん!」

 

 

・・という全く「利己的」な気持ちになってきました・・( ̄▽ ̄)

 

 

 

 「だって、その方が、だから 」・・「便利だから」・・

 

 

        ・・みたいな・・ ^o^

 

 

 

        

            うしし・・

 

 

 

    「食べても、食べなくても自由」

 

 

     「なかったらないで、困らない」

 

 

 

そんな「自由さ」に憧れる今日このごろなのでした・・( ´ ▽ ` )

 

 

 

        

 

 

 

 

・・また気づいたことがあったら書きたいと思います (^。^)