カトケンと飲んだ。
メールをもらった時、あいつから誘ってくるとはと一瞬ひるんだが、
槍でも剣でもふってこいな気分でいるし、例の記事の件を直接
問い質してやろうと思って、OKをした。
最初はややぎこちなかったが、彼の話を聞くにつけ、
ああいうことを起こしてしまった経緯が悲しくもわかってしまうし、
それをさせてしまった自分の無力さに詫びの気持ちしか残らなくなる。
例の事件も彼の視点では、不公平感満載というのも納得で、
統制をとるべき人間がそれをしないだけでこうも崩壊するのかと、
痛いほど痛感した。組織と言うのは、それほどまでに、脆い。
貫けるものは貫くべきだ、そうできなくなる時は相当な覚悟が必要だ、
という話は最近常々感じる。自分の評価は他人が決めるものだと思って
いたけれど、他人が見える景色はあまりにも異なるし、時に理不尽な
こともある。
評価を気にして、それに迎合することはできるが、
整合性・一貫性を失い、果ては人間としての尊厳を失う。
自律。
自分にしかできないことは絶対に自分でしなければならないとすれば、
自律的に生きることは、絶対に自分でしかできない。
これだけは、絶対に忘れない。
変えることはあるかもしれないが、
相当な覚悟のある時だけにしなければならない。
そのリスクを回避できる自信があっても、それを犯してはならない。
自律のルールを都合良く変えるのと、大人になるのとは違う。
それを認めた自律さはあってないようなもので、
「自分の都合の良いことばかり並べるのは辞めろ」
とMGS2メソッドで打ちのめされてしまえ。
そして、それ以上にタケベさんの宮本輝短編小説レベルのお話はちょっと衝撃的すぎた。
同じような思いを全然違うテーマでしていたんだなと気づいた時は、
勝手に共鳴できてしまった。残念ながら、このジレンマはどんなドラマでも
使われる手法だし、確実にウケる展開になってしまうのだろう。
共鳴した様は、デスパレートの妻たちにも似ている。謀られたかのよう。
上の役割にいても、自分しか知らないということもある。
そんな状況を解決するための答えは今のところ見出せない。
責任を感じること自体おかしいのかもしれないし、
そういうことがおきても大丈夫なようにしておかないと
いけないのかもしれない。
さて、シミズさんは40歳になったら本かけますよと言ってくれたが、
そんな気がしてきた。
昔の話を、色々な人の視点で解きほぐしていく作業は、
推理小説を解読していく様に似ている。
おもろい小説、一発出して、どっかーんといきたいところだが、
タキさんのような文才もなく、泥臭い構成力だけで勝負できるほど
その世界は甘く無いだろう。
それでも勝ち抜けるとすれば、バックグラウンドと知名度を誇る、
麒麟田村のようになるしかない。自分がそうなれるとすれば、
実業界で名乗りをあげることくらいか。
ただ、ノンフィクションのお話はあまりに多くの人に
迷惑をかけてしまうので、本を出すのは無理そうだなと、
記事を書きながら思った。
いずれにしても、人間ドラマだけは、生きていく上で
絶対に欠いてはならない視点で、それが無いだけで、
あらゆることの面白みは半減するのだろう。
改めて、もったいない時間を過ごしていた気がする。