-アンティカペディア- -2ページ目

-アンティカペディア-

イギリス、フランス、イタリアからのアンティークをご紹介させて頂きます。定番品からマニアックな物まで時代背景やそれに付随する情報を交えてご紹介させて頂きます。

 瓦屋根にアーチ窓と和洋折衷の旧遠藤吉平商店は1885年(明治18年)に竣工された。防火対策として木材は使わず、外壁はレンガの上からモルタル塗装されている。正面の三連アーチは鋳鉄の柱で支えるなど随所にこだわりが見られる。

 遠藤吉平(1841―1931)は主に米を扱う廻船問屋(船主と契約して積荷を運送したり、船主と荷主の仲介として揚げ降ろしや売買の手配を行う)を生業とし、その後海陸物産商を営み発展させた。また、俵造の改良に尽力をつくした。当時は海産物や穀物、塩などを俵に詰め込んで輸送していた為破損による損失が多かったが、俵造りの統一化による改善が認められ藍綬褒章を受章した。







◆旧遠藤吉平商店
北海道函館市大町9-14

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize

 函館は本当に火事の多い街と何度か書きましたが、旧イギリス領事館はなんと3度も火事で焼失しました。初めに建てられた領事館は1863(文久3)年に竣工。現在の場所ではなく前回書いたハリストス教会付近であった。しかし約2年後1865年に焼失、その後も1879年に仮の領事館が焼失、1885年に現在の場所に移るも1907年の大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)により再び焼失。現在の建物は1913年(大正2年)に立て直されたものである。1992年(平成4年)からは開港記念館として一般公開されている。

ジブリ映画「思い出のマーニー」の湿地屋敷の窓枠の青は領事館の物を参考にしたそうです。
白地の壁に鮮やかな青がよく映えております。

























◆函館市旧イギリス領事館
北海道函館市元町33-14

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize
 函館ハリストス教会は1860年(安政7年)に日本で初めて建てられた正教会である。
1907年(明治40年)の大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)で焼失したが、
1916年(大正5年)に石造りの基礎、漆喰塗りの外壁に再建され今に至る。1983年(昭和58年)国の文化財に指定された。 ロシアビザンティン様式を取り入れている。もし尖塔と背後の三角屋根がドーム状であったなら、まんまロシアビザンティンであったなあと想像してしまう。しかしながら建物の大きさ的にこれでバランスが取れていたのかとも思う。。

◆正教会とは
東方正教会とも呼ばれカトリック教会、プロテスタントが西欧に広がったのに対して
キリスト教の起源となる中近東からギリシャ、ルーマニア、ブルガリア、グルジア等の東欧、ロシアへと伝わった。日本に正教会が伝道されたのは文久元年(1861年)ロシア主教、亜使徒聖ニコライは函館に渡り伝道を開始した。ハリストスはキリストの意味 













◆函館ハリストス教会
北海道函館市元町3-13

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize
 正直、パッと見は地方の武道館みたいな印象を受けた。それもそのはず現在の建物は1979年(昭和54年)に建てられたという。1874年(明治7年)イギリス人宣教師デニングが函館に上陸。日本聖公会の北海道での伝道の始まりとなった。 最初の教会は1878年(明治11年)元町55番地に建てられた。やはり大火の多い函館、翌年1879年(明治12年)の大火(焼失戸数2326戸)により焼失。その後も度重なる火災の度に移転し1921年(大正10年)の大火災後に現在の場所に再建された。十字架が幾重にも重なり合っているのがとても印象的な建物。

◆日本聖公会とは
イギリスで発祥したキリスト教の一教派で、イギリス国教会のイギリス国外での名称
日本で宣教を開始したのは1859年(安政6年)

↓は弘前にある聖公会の記事になります。
target="_blank">http://ameblo.jp/anticarize/entry-11957733100.html

◆大正10年の大火災 
1309棟、2141戸を焼失。繁華街を焼きつくし明治40年以来の大火災となった。





◆日本聖公会函館聖ヨハネ教会
函館市元町3-23

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize
 現在の建物は1924年(大正12年)に建てられたもの。最初の聖堂はフランス人のマレン司祭により1877年(明治10年)に建てたとされている。しかし木造である為に明治40年の大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)で焼失した。1910年(明治43年)にレンガ造りで再建された。

 しかし、1921年(大正10年)の大火(焼失戸数2141戸,死者1名)で再び焼失。この頃から不燃材として使われ始めたコンクリートを焼け残ったレンガの上から舗装し、1924年(大正13年)に33メートルの六角形の尖塔が増築された。ゴシック建築の教会として尖頭アーチや、リブ ヴォ-ルトなどが取り入れられている。

ゴシック建築についての記事は↓から
http://ameblo.jp/anticarize/entry-11217148821.html

















◆カトリック元町教会
北海道函館市元町15-30

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize
 名前の由来は横幅が二十間(けん)分(約36m)あることから。 ※一間=1.81m
二十間坂はかつて大工が多く住んでいたことから大工町坂とも呼ばれていた。 
1879年(明治12)の大火(焼失戸数2326戸)後、北海道開拓使による街区改正により道路そのものが防火線として機能するよう道幅を広く整備された。

石畳の坂沿いには歴史的建造物が立ち並ぶ。有名な建物では東本願寺函館別院、前回紹介した旧目貫商店(現:北斗ビル)もこの坂下にある。東本願寺函館別院は1907年(明治40年)の大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)で焼失。1915年(大正4)年に全国初の鉄筋コンクリート造りの寺院として建て替えられた。




東本願寺函館別院






◆二十間坂
函館市元町

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize

英国アンティークスのグルっぽを管理しております
↓お気軽にご参加ください。↓
http://group.ameba.jp/group/ctnzn3DBkAmg/
 二十間坂下に位置する旧目貫商店(現:北斗ビル)は一見すると昭和中期頃に建てられたかの風貌であるが実は1921年(大正10年)に建築されたビルである。

設計は鉄筋コンクリート建築の先駆者でもある中村鎮(1988年~1933年)
このビルが建てられえた年にも函館の大火(焼失戸数2141戸,死者1名)が発生した。
燃えにくく、安価で短時間で建てられる中村式鉄筋コンクリートブロック方式はこの建物以外にも市内で多く採用された。木造に比べ耐震性もあり1923年(大正12年)に起きた関東大震災の時には復興建築に持ってこいの中村式の需要は高まった。







◆旧目貫商店 北斗ビル
函館市末広町17-15

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。
https://twitter.com/Anticarize

英国アンティークスのグルっぽを管理しております
↓お気軽にご参加ください。↓
http://group.ameba.jp/group/ctnzn3DBkAmg/
1863年(文久3年)に長崎から函館に渡った渡邉熊四郎は1869年(明治2年)、舶来品を販売する金森洋物店を開店。物珍しさから金森洋物店は大変繁盛した。

金森洋物店についての記事は↓から
http://ameblo.jp/anticarize/entry-11999568466.html?frm_src=thumb_module

海外との取引が盛んになり、物が豊かになることで海運業が盛んになると見込んだ熊四郎は洋物店で
得た資金を元に1887年(明治20年)営業倉庫業を始めた。当時は干物などの海産物や穀物、缶詰などを主に預かっていた。熊四郎の予想通り海運業は発展し21棟の倉庫を持った。

街の3分の2を焼いた明治40年の大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)で6棟の倉庫を失うが不燃物を使用し僅か2年で再建させた。

倉庫に見られるカネは曲尺(かねじゃく)と言い、読み方からお金にもかかっている。律義で真っ直ぐとの意味であり、長崎で勤めていた森屋から名づけた。
現在は倉庫の他にショッピングエリア、レストラン、コンサートホール等にも利用し賑わっている。











width=300







◆金森赤レンガ倉庫群
函館市末広町14-12

◆旧函館区公会堂
北海道函館市元町11-13

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。→ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。フォロー返します。
https://twitter.com/Anticarize

英国アンティークスのグルっぽを管理しております
↓お気軽にご参加ください。↓
http://group.ameba.jp/group/ctnzn3DBkAmg/

 モスグリーンが特徴的な株式会社相馬社屋は1914年(大正3年)に完成した。
創業者の相馬哲平は開港から2年後の1861年(文久元年)に越後国(現在の新潟)から一旗揚げるべく函館に渡った。附船渡世(つけふねとせい:港に出入りする船や船員に食料の補給や船員たちの食事や宿の提供をする商いのこと)を生業にしている同郷の岩船屋春蔵の店、岩船屋で働き蓄えたお金を元にその2年後に米穀店を開店。

1868年(明治2年)函館戦争没発。相馬哲平は戦争が終結すれば米が必要になると信じ戦渦の中函館に残り米穀の買い集めに奮闘した。翌年に戦争は終わり予想通り米は飛ぶように売れた。

今度はその資金を元に金銭貸付業や海陸物産委託問屋に移行し莫大な財産を築いた。その後第百十三国立銀行取締役に就くなど北海道の金融界に君臨した。
経営だけでなく郷土報恩の精神から公共慈善事業にも力を注ぎ多額の寄付を行った。有名なものでは前回書いた旧函館区公会堂がある。

現在の建物は1916年(大正5年)に建てられた


相馬哲平(1833年~1921年)













◆株式会社相馬社屋
住所:函館市大町9-1

◆旧函館区公会堂
北海道函館市元町11-13

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。 →ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。フォロー返します。
https://twitter.com/Anticarize

英国アンティークスのグルっぽを管理しております
↓お気軽にご参加ください。↓
http://group.ameba.jp/group/ctnzn3DBkAmg/
 明治40年の函館大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)により町会所が焼かれ新たな集会所が必要とされていた。実業家の相馬哲平が5万円(当時の価値で約10億円)を寄付し1910年(明治43年)に函館公会堂は完成した。

 アメリカンコロニアル様式の建物で左右対称になっており、それぞれの正面入口にはポーチが付いている。アメリカンコロニアル様式は横に張られた板が大きな特徴である。これは国土の広いアメリカでは木材が豊富にあり石材より加工し易い為である。尚、ベランダは東南アジアの文化がヨーロッパに逆輸入され発展したものである。ギリシャ建築で用いられたコリント式の柱やアシンメトリー(左右対称)などルネサンス様式の顔も併せ持っている。

◆コロニアル様式とは
植民地国に母国の建築様式で統治国に豊富にある建材、風土を活かして建てるスタイルの事。

コリント式の記事はここから→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11994163372.html










1F大広間の天井










2F大広間 床板保護の為にカバーされているのが残念






大正天皇が皇太子時代に訪れた時1911年(明治44年)に特設されたバスルーム 
現在浴槽は取り払われている

◆旧函館区公会堂
北海道函館市元町11-13

当店ホームページになります。どうぞ下記よりお立ちより下さい
http://www.anticarize.com/

facebookFacebookでも情報配信しております。 →ここからフォロー宜しくお願いします。

twitterフォローよろしくお願いします。フォロー返します。
https://twitter.com/Anticarize

英国アンティークスのグルっぽを管理しております
↓お気軽にご参加ください。↓
http://group.ameba.jp/group/ctnzn3DBkAmg/