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イギリス、フランス、イタリアからのアンティークをご紹介させて頂きます。定番品からマニアックな物まで時代背景やそれに付随する情報を交えてご紹介させて頂きます。

 1919年に発売されたゲランMitsouko(ミツコ)の香水瓶についてです。
どういうわけかスペルはMitsukoではなくMitsoukoとなります。

名前の由来はクーデンホーフ光子との説もありますが、2002年に元NHKディレクター故吉田直哉氏がゲラン社長フィリップゲラン氏に取材したことから、1909年に出版された小説『ラ・バタイユ=戦闘』のヒロイン、ミツコからと判明しております。
著者のクロード・ファレールは3代目調香師ジャック・ゲランと親交があり、ラ・バタイユにゲランの香水が登場したお礼にミツコをイメージした香水を創ったのが本当の由来です。

しかし発売してから2002年までもの間、クーデンホーフ光子がモデルになっていると誰もが思っておりましたし、正直に言わなくてもそっちの説の方が美談だったんではないでしょうか?

◆ラ・バタイユ
舞台は1905年の日露戦争。年の離れた日本海軍大将の夫を持つ若く美しいミツコは、
明るくはつらつな若い英国海軍士官と恋に落ちるも、不倫という関係の為突き進む事を良しとしない。。。
ジャック・ゲランは、そんな奥ゆかしくも強い意志を持つ日本人女性ミツコをイメージして調香
しました。

◆クーデンホーフ光子(1874-1941)
ハンガリー帝国(現在のオーストリア)の駐日代理大使として日本に赴任していたハイニンヒ・クーデンホーフと結婚した日本人女性。騎馬での移動中、凍結した道でスリップして馬ごと落馬して怪我を負った伯爵を光子が手当したのがなれ初めと言われております。 もともと伯爵は光子の父が営んでいた骨董屋に頻繁に通っており、手厚い看病をして貰ったのをきっかけに大使公邸のメイドとして働いて欲しいと光子の父に懇願。1893年(明治26年)に双方の両親の反対を受けるも結婚し伯爵の帰国と共に1896年(明治29年)ハンガリー帝国に渡った。

クーデンホーフ光子(1784年-1941年)

当店で取り扱っておりますミツコの香水瓶になります。下記よりお立ち寄り下さい。
http://www.anticarize.com/1_253.html



正真正銘のバカラ製です。

それでは。

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 金森洋物店初代渡辺熊四郎により1869年(明治2年)に創業した(函館市大町)。現在の末広町にある建物は1880年(明治13年)に建てられた。設計は池田直二。開拓使茂辺地(もへじ)煉瓦製造所製のレンガが使用された。火事の多い函館で不燃物を建材に使うことで明治40年の函館大火(焼失戸数12390戸,死者8名,負傷者約1000名)にも焼かれずに済んだ。

◆開拓使とは
北方の開拓の為に1869年(明治2年)から1882年(明治15年)まで置かれた日本の官庁。
明治維新後、欧米列強に対抗するために北海道の豊富な天然資源を活用し近代国家へと成長するために設けられた。

金森洋物店では舶来製の日用品や雑貨を販売していた。物珍しさから連日人々でにぎわい瞬く間に人気店となる。函館のハイカラブームの火付け役。
現在は郷土資料館として展示物から当時の街の様子や暮らしぶりが伺える。







◆旧金森洋物店
函館市末広町19-15

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 函館は地震による建物の被害は少ないものの、火事による損壊が非常に多い街です。
前回書いた1832年(明治5年)に起きた過去最大の函館大火の他にも、いくつかの大火事に見舞われ歴史的な建物が失われております。

今回ご紹介する旧北海道庁函館支庁が元町公園内に建つ前は箱館奉行所(1803年(享和3年)が置かれておりました。その後、開拓使函館支庁・函館県庁・北海道庁函館支庁となるも1907年(明治40年)の大火で焼失。

◆旧北海道庁函館支庁
1910年(明治43)家田於菟之助(いえだおとのすけ)の設計により現在の元町公園内に建てられた。
1991年(平成3年)の火事で建物内部を焼かれたが、平成6年に修復され現在は函館市写真歴史館・函館市元町観光案内所として利用されている。
コリント式の支柱、アシンメトリーなどルネサンス的な要素を取り入れているのが特徴。

◆コリント式とは
ギリシャの国家アカンサス(ハアザミ)を意匠化した古代ギリシャ建築に用いられた様式。
代表例にローマのパンテオンがある











コリント式









◆旧北海道庁函館支庁
北海道函館市元町12-18

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今日から函館編に入ります。

函館は1859年(安政6年)に横浜、神戸、長崎、新潟と共に国際貿易港として開港しました。
外国人遺留地として栄えただけあり、かなりの数の古い建物が元町に集中しております。
どこから始めてたらいいか迷いますが、その元町の顔の一つでもある旧丸井今井呉服店函館支店からスタートします。

函館市地域交流まちづくりセンターは1923年(大正12年)丸井今井呉服店函館支店して建てられた。当初は3階建であった。
1930年(昭和5年)に営業面積拡大の為、5階建てに増築。建物奥にエレベータ用の塔屋を設けた。1934年(昭和9年)の函館大火により全焼するも同年11月には全焼から僅か8か月で営業を再開する。

昭和9年の函館大火
函館ではこれ以前にも1000戸以上を焼失する大火が10回以上発生している。その中でも1934年の大火は死者2166名、焼損棟数11105棟の大規模火災であった。

1969年(昭和44年)、五稜郭に移転後は2002年まで函館市役所末広町分庁舎として使用された。
老朽化により2005年から2007年に改修工事が行われ、建設当時のように3階建てに復元された。東北以北最古のエレベーターを残すために塔屋そのまま残している。

丸井今井呉服店
1832年(明治5年)に新潟県出身の今井藤七が高井平吉と開業した小さな屋台の様な店舗、今井商店が始まり。低価格と誠実さを売りに評判になり。その後は小樽、室蘭、札幌、旭川など道内各地に店舗展開をした。
※首都圏を中心に展開している丸井(○I○I)とは別の企業






奥はエレベーター用の棟屋









◆旧丸井今井呉服店(函館市地域交流まちづくりセンター)
北海道函館市末広町4-19

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 今日はお客様からのご依頼品をご紹介します。過去の依頼品の中では一番難しかった物です。
ロシアにコネクションもなく正直見つかるか不安でしたが約2年越しにとうとう見つかりました。
何と未開封でまだ外のビニール付きでした。ライカの関連商品は色々出回っておりコレクターも沢山おります。その中でもタバコの紙パックは大変珍しい物の一つです。
今日はそのライカ犬についてご紹介致します。

 1961年4月12日、人類が初めて宇宙に旅立ちました。「地球は青かった」で有名なユーリイ・ガガーリンです。しかし、人類初の宇宙飛行を成し遂げるまでに沢山の動物達が犠牲になってきたのを忘れてはなりません。
彼らは決して行きたくて飛び立ったわけではありません。宇宙の概念なんてもちろんないですから。。
ただ訳も分からず打ち上げられたのです。
 
 それまでロシアは弾道飛行で数匹の犬の打ち上げを成功させておりました。その他の哺乳類としてはハツカネズミ、アカゲザルもおります。そして1957年11月3日、ライカ(本名:クリャドフカ)は人工衛星スプートニク2号で地球上の生物で初めて地球周回軌道に旅立った生物となりました。当時は周回軌道上から帰還する技術がなかった為、最初から片道切符の旅と決まっておりました。予定では7日後に薬で安楽死されるはずでしたが打ち上げから5~7時間後、ライカは極度のストレスと断熱材の損傷による温度上昇の為にライカは亡くなりました。









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洋館や古い建物の街と謳っている弘前ですが、随所に見られるインダストリアルな建物も弘前の街を形成する重要な要素になっております。
ブロック、板、鉄、錆、コンクリートなどが織りなすパッチワーク。長い間、雨風に晒されなければ出せないくたびれ感。
パンフレットやガイドブックには載っていない隠れた観光名所をご自分の脚で探して見て下さい。




















この窓の数はいったい





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翠明荘(旧高谷家別邸)は第五十九銀行頭首、高谷英城の別邸として1933年(昭和8年)に建てられた。奥にある和館は1895年(明治28年)に建設。フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルライト館をヒントにしているだけあり、外壁にスクラッチタイルを使用する等どことなくライト館の雰囲気を感じさせる。

第五十九銀行は現在は青森銀行記念館として現存しております。
青森銀行記念館(旧第五十九国立銀行)については→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11951640510.html

1962年(昭和37年)からは平成2年までは旅館翠明荘(きゅうめいそう)として、現在は屋号はそのままに料亭として営業している。平成24年に登録有形文化財に登録された。



帝国ホテルライト館













◆翠明荘(旧高谷家別邸)
住所:弘前市元寺町69

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登録有形文化財の旧弘前無尽社屋(三上ビル)は1927年(昭和2年)に建てられた。設計は青森工業校長の大竹巽(たつみ)。弘前に現存する最も古い鉄筋コンクリートの建造物である。一階はタイル張りの雰囲気のあるバーが入居している。

見どころは壁面装飾。機械的に長方形を連続させることで当時流行していたアールデコを表現している。ヨーロッパの芸術運動が弘前にまで飛び火しているのに感動すると共に、どれだけ大きいムーブメントだったかが伺える。

◆弘前無尽株式会社
みちのく銀行の前身であり大正13年に設立された。
1956年(昭和24年)に弘前相互銀行へ改称。1976年(昭和49年)に青和銀行と合併ともにみちのく銀行となり今に至る。











◆旧弘前無尽社屋(三上ビル)
住所:弘前市元寺町9

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 日本聖公会弘前昇天教会聖堂は1920年(大正9年)に建てられた。 聖公会とはイギリスで発祥したキリスト教の一教派で、イギリス国教会のイギリス国外での名称である。 設計は横浜山手にある外交官の家を手掛けたジェームズ・マクドナルド・ガーディナー(1857-1925年)。1993年(平成5年)県の重要文化財に指定される。
イギリス積みで積まれた赤レンガは、教会建築に見られるゴシック様式の特徴でもあるバットレス(控え壁)がふんだんに取り入れられている。

◆イギリス積みとは
長手の段と小口の段に交互に積むレンガの積み方 ※写真2枚目参照

外交官の家についての記事は→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11206681163.html

朝夕にならされる鐘の音は市街に住む人や訪れた観光客を和ませている。



















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◆日本聖公会弘前昇天教会聖堂
住所:青森県弘前市山道町7

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旧第五十九国立銀行として1904年(明治37年)に建てられた。日本で59番目に設立された国立銀行から第五十九と命名され、1943年(昭和18年)に五十九銀行を含む県内5つの銀行が合併し青森銀行が設立された。

設計は旧弘前図書館を手掛けた堀江佐吉
旧弘前図書館同様、ルネサンス様式の特徴の一つであるシンメトリー(左右対称)が採用されている。
シンメトリーについての記事は→http://ameblo.jp/anticarize/entry-11884734588.html

1967年(昭和42年)に青森銀行記念館として今に至る。1972年(昭和47年)に国の重要文化財に指定された。










当時窓口であった1階は展示室として設立の際の書類や古銭などが展示されている

 



 


圧巻の広さの2階大広間  天井には金唐革紙(きんからかわし)が施されている



◆青森銀行記念館(旧第五十九国立銀行)
住所:青森県弘前市元長町26

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