花筏
「花筏(はないかだ)」は、「散った桜の花びらが、筋になって川を流れ行くさまを筏に見立てたもの」だそうです。近くの大学構内にある噴水の、盆の形をした受け皿(と言うのかしら)にたまった水の上に、花びらが散り敷いてゆらゆら揺れているのを見て、これが花筏というものか、と思って辞書を引いたら、上のように記述されていました。
うつくしい言葉ですが、流れ去るのならともかく、停滞している花びらの群れは、ちょいときたならしいものです。このあたりの桜はもうすっかり散ってしまいました。鬼貫(おにつら)に、こんな句がありました。
去年(こぞ)も咲き 今年も咲くや桜の木
こういう句の味わいが分かる年齢になってしまいました。
おとといもずいぶん寒かったのですが、駅へ行く道すがら、思いがけずウグイスの鳴き声を聞きました。心もち弱々しげに聞こえます。ウグイスだって、この寒さにはびっくりしているのでしょうね。
今朝はみぞれが降ったそうです。知らずに白河夜船を決め込んでいましたけれど。暖かさが戻ってくるのを願って、桜の句をならべます。
寺々を通りぬけけり花ざかり 白雄
人恋し灯ともしごろをさくらちる 白雄
しばらくは花の上なる月夜かな 芭蕉
浄水場遠き桜の落花浮く 橋本美代子
白雄「寺々を」の句、つい先日通った、駒込から本駒込にいたる、本郷通りの光景を彷彿させます。
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ハッピー・バースデイ
今日は誕生日へのメッセージが3通も届きました。1通は、宣伝メールでマイレージ登録した航空会社からのもの。1通は友人からで、YouTube の動画、およびそこから採取して編集した Happy Birthday to You のメロディ。ポルカ風・ウィンナワルツ風など、ちょっと趣向をこらしてあります。毎年忘れずに、音楽サービスを届けてくれます。よく覚えていてくれるもんだと感謝にたえません。
いつか、ここにも書いた「ローマの親戚」のお嬢さんふたりから、動画のメッセージがミクシー経由で届きました。6歳と3歳の美人姉妹です。2月に日本に来たときに1日遊んでもらいましたが、そのときと比べても、いちだんと成長しているのが分かります。本当はその画面を見せ(て自慢し)たいのですが、ひとさまのお嬢さんを公開するのは軽率というものですから我慢します。「だーいすき」なんて言ってくれるので、うれしくてたまりません。孫を持ったことはありませんが、持ったら、こんな幸せな気持ちにさせてくれるのでしょうね、きっと。
ブラームスの交響曲1番をたまたま聞いていますが、多少「自閉的」な傾きが感じられることのある彼の作品でも、こういう喜びの日に聞いていると、しみじみと心に沁みてきます。
よい誕生日です。
やっぱり、カラヤン
『クラシックジャーナル』040号というムック(形式の本)が、いま書店に出ているはずです。A5版。大きな本屋さんに行かないと目に入らないかもしれません。「1号1テーマになって、リニューアル」と題字の下にあります。もとは隔月刊だったようです。初めて手にしたジャーナルです。
この号のテーマが、ヘルベルト・フォン・カラヤン。最初の座談会「やっぱり、カラヤン」が圧巻です。三澤洋史(みさわひろふみ・指揮者)、角皆優人(つのかいまさひと・スキーヤー)、板倉重雄(いたくらしげお・音楽評論家)、中川右介(なかがわゆうすけ・クラシックジャーナル編集長)の4人が、それぞれのカラヤン体験を語っています。2段組で80ページ近くの分量ですから、じつに読みでがある。
三澤さんは、現役の指揮者なので、カラヤンの音楽の作り方がいかに他の人と違うか――意外なことに、カラヤンは、中庸なところをとって異論が出ない演奏を目指したのだそうです――を解説してくれます。「いっせーのせっ」で、指揮棒に合わせても、オーケストラから出てくる音が「音楽」になるわけではない、という話が、説得力がありました。
スキーヤーの角皆さんは、三澤さんの高校時代の同級生なのだそうです。音楽を聴いていると、この指揮者がスキーをすべったら、どういうターンをするか想像がつく、と発言しています。カラヤンは、スキーヤーになっても大成しただろう、ということです。
板倉さんは、CDショップとして有名なHMVの渋谷店のマネージャー、『カラヤンとLPレコード』という著書もあるそうです。本書のLPのジャケット写真はすべて板倉さん所有と最初に書いてあります。
中川さんは『カラヤンとフルトヴェングラー』『カラヤン帝国興亡史』という傑作をものした、売れっ子評論家でもあります。
この、年齢差10年ほど(1955年~65年生まれ)の4人が、どれほどカラヤンに入れ込んできたか、湯気の立ちそうな熱気が伝わる1冊です。他の記事は、裄野條(ゆきのじょう)「わたしのカラヤン」、土井尊博(どいたかひろ)「カラヤンとマーラー」など。税込み1260円は安い。
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高峰秀子
斎藤明美『高峰秀子の流儀』(新潮社)を読みました。『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾年月』『カルメン故郷へ帰る』などの主演女優の生き方を書いた本。高峰秀子は、昭和初年に生まれたようで、昭和の年号と年齢とが同じなのですね。昭和50年の年に『週刊朝日』の扇谷正造編集長が、記念企画として、50歳の有名人を口説いてエッセイを書かせました。のちに『わたしの渡世日記』という上下本になりました。連載当時に読んで、切れ味するどい文章で、係累をたくさんかかえて奮闘する苦労(という風には書いていなかったけれど)に、女優も大変なんだなあ、という感想を抱いたことを思い出しました。55歳で、まったく引退してしまったようです。現在、85歳。
著者の斎藤さんは、『週刊文春』の契約ライターを長く務めた人だそうですが、松山善三・高峰秀子夫妻を「とうちゃん・かあちゃん」と呼んで、松山家の、まるで娘のように振る舞っている様子が文章から伝わってきます。
この本に結実した文章も、雑誌『婦人画報』に連載したもののようです。現在も、同じ雑誌に「高峰秀子と仕事」という連載を続けているそうです。不世出の女優の生き方を、後に続く人々に伝えずにおくものか、という気迫に満ちています。高峰さんは、なんと言っても、普段の生活が素敵です。章のタイトルが、「動じない」「求めない」「期待しない」「怠らない」「こだわらない」など、みんな否定形の語がつけられていますが、余計なもの・しがらみをそぎ落として生きてきた、ということを伝えるのによく選ばれたタイトルだと感心しました。
5歳から映画に出ているので、学校教育をほとんど受けていないのですね。新婚時代のエピソードに心を揺さぶられました。
《まだ新婚のころ、妻はやたらと新聞や雑誌をひっくり返して何かを“探して”いたそうだ。
「何をしてるの?」
妻は答えた、
「字を探してるの」
夫は驚いた。三十一歳の新妻は辞書の引き方を知らず、読めない字がある時は、別の媒体でその同じ字を探して、読み方を知ろうとしていたのだ。
「とうちゃんが、中学時代に使ってた辞書をくれたの。それで引き方を教えてくれたのよ」》
85歳になる今も、毎日、「食べる」ように本を読んでいるのだそうです。よい本を読んで、こちらも幸せな気持ちになりました。
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むすめふさほせ
NHKのドラマで、松坂慶子が和歌の師匠になって、江戸時代の江戸の下町で、歌カルタの弟子を育てるというのを放映しています。その中で、「むすめふさほせ」という「謎のことば」を弟子に残して去る、いったい何だろう、と話が展開しました。小倉百人一首をカルタにして勝負するゲームは、今も正月を中心に、日本各地で行われているでしょうが、始まりは江戸時代のようです。
いくら時代が江戸に設定されているとはいえ、「むすめふさほせ」が「謎」であったはずはないでしょう。この字で始まる和歌がそれぞれ一首ずつしかない、いわゆる「1枚札」のことを指すからです。家族で、カルタ取りをする場合、子どもは、1枚札を覚えて、それだけでも取れるように耳をそばだてて身構えているし、親や、おじおばなどは、手加減して、小さい子に取らせるようにしたはずですから。
ただ、なぜ「むすめふさほせ」という順番にしたのか、それには諸説あるようです。「娘、房干せ」という具合の、語呂のよさを誰かが考えついたもののようです。
以下の七首がそれです。有名な和歌も、一読しただけではよく意味の取れない歌も、混じっています。「住の江」の歌は、「よるさへ」が「寄る」と「夜」の掛詞になっているのがミソです。
村雨の 露もまだ干(ひ)ぬ 槙の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮
(寂蓮法師)
住の江の 岸による浪 よるさへや 夢の通い路 人目避(よ)くらむ
(藤原敏行)
めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな
(紫式部)
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
(文屋康秀)
寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮
(良暹法師)
ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば ただ有明の 月ぞ残れる
(後徳大寺左大臣)
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ
(崇徳院)
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