『 自分を誤魔化さない習慣 = 幸せ体質への道 』
得体の知れない不安やら虚脱感やらの精神的な不快感は、
自分の正直な思いを自分の意識のコントロール下におけることによって、
癒しに向かいます。
人は、意外と、自分の正直な思いを知らないことが多いのです。
知らないというか、そう認識することはイケないことだと思って、
心の地面に穴掘って覆い隠したりとかしてるのです。
しかして、
いくら、地中に埋めたところで、
その思いが消滅することはなく、
なんらかのキッカケで地表に影響を与えてくるのです。
たとえば、連想的な思考中にヒョコっとな。
思ってはイケないことって?
認識してはイケないことって?
たとえば、
この世で生きてりゃ、当然のごとくに、嫌いな人もいるでしょう。
普通だったら、あの人嫌いと思えるのだけども、
その人が、自分の親友が大事に思っている人のことだったり、
自分の恋人の親や姉妹・兄弟だったり、
恩師ともいえる先輩の知り合いだったりとかすると、
自分的には、受け付けられないくらいに嫌いな人であっても、
親友の大事な人だから・・とか気をつかって、
コイツ大嫌いという本心を、ほぼ強制的に意識外に覆い隠して、
「 やぁやぁ♪ 」 という気持ちで
「 自分もこの人に好意的だよ♪ 」
というアピールで付き合ったりとかしてしまいます。
しかして、
いくら好意があるぞ!と思い込んでも、
自分の意識外、コントロール外に追いやられた 「 この人嫌い!」 という思いは、
確実に生きているのです。
生きているというだけではなく、
出所が分からない悪臭 ( 不愉快・不快な思い ) を放って生きているのです。
( 意識外であるゆえ、自分では正体がつかめていない。 )
たとえば、
その人たち ( 嫌いな人も一緒の ) と、何月何日に、一緒に旅行いきましょう♪
という計画を立てたとします。
「 楽しみだね♪」 などと、口やら体やらで表現(アピール)していても、
その何月何日が近づいてくると、
心の奥底から、なんとも言えない得体の知れない虚脱感やらが湧き上がってきて、
「 はぁ~~、なんだか分からないけど、不快な気持ち・・もう、、イヤ・・ 」
という、鬱病のような心境になってしまったりとかするのです。
しかして、
当人は、意識外に覆い隠しているため自分では分からないのですが、
その心の不調の原因は、
「 親友の大事な人だけど、自分は吐き気がするくらいに嫌い!!! 」
という思いを自分の意識外に覆い隠しているせいなのです。
「 嫌い!!」 と自分でハッキリと認識しながら、
嫌いなヤツだけど、親友の大事な人だから、
しかたなく、好意があるような演技で付き合ってあげましょか!
しょーがねー!
という、
嫌いという思いを意識のコントロール下においた状態であれば、
そのような心の病にはかからないのですが、
自分の親友の大事な人だから
「 嫌いだなんて思ってはイケない!」
「 嫌いだという素振も悟られてはいけない!」
という気持ちで、
嫌いという本当の思いを自分に誤魔化しながら、
その反対の意思表示をし続けていると、
そのような心の病にかかってしまうのです。
ゆえ、
まずは、自分に誤魔化している正直な " 思いたち " を、
自分の意識の表舞台に、
すなわち、
地中に覆い隠した " 思いたち " を地表に掘り起こす作業をすることが、
不快な心の病、治癒への第一歩となるのです。
嫌いという思いを好き寄りに変えたいにしろ、
まずは、嫌いという思いが自分の正直な思いだということが認識できなければ、
変えようもないのです。
心の病のほとんどは、
「臭い ( くさい ) ものには蓋」という言葉がありますが、
その、蓋をされた下にある腐ったものからの臭い ( におい ) の影響なのです。
自分が地中に埋めた、
自分の認められない思いたちからの作用なのです。
だからゆえ、
まずは掘り起こして、地表に出す。
自分の認められない思いを地表に出すというのは、
ま、いわば、腐乱死体を掘り起こすくらいに目を背けたい作業なので、
当然のごとくに快適なものではないのですが、
その工程を通過&処理しなければ、
心の奥底から爽やかで心地よい気持ち ( 自分 ) には永遠になれないのです。
シェークスピアの、
「 正を守りて恐れることなかれ! 」
という素晴らしき言葉がありますが、
その文形をデフォルメ的にいただきまして、
「 正直な思いを意識のコントロール下において恐れることなかれ!」
で、生きるのも、よろし哉。
『 潔暫 』
勝ちたい!
失敗できない!
失敗したらどうしよう?
負けたらどうしょう?
などなど、
まだ見えぬ未来の " それ " に不安がる雑念などシャットアウトして、
今、自分ができることだけに意識を集中する!
今、自分にできることを懸命に頑張る!
今、自分にできること。
間違えるな!
今、自分を守る為にできることではなく、
今、このテーマの為に自分ができることだ。
そんなの何だっていいんだ。
日本語を話すことができるなら、日本語を話すことに意識を集中すればいい。
首でうなずくことができるなら、うなずくことに意識を集中すればいい。
走って、ジャンプして、着地することができるなら、それに意識を集中すればいい。
楽しいことを考えられるのならば、楽しい思考に意識を集中すればいい。
( 自分の頭の中は、完全なる、自分の自由空間なのだ。
自分の頭の中の空間でまで、奴隷になる必要などまったくない!)
etc、etc。
例を一つあげれば、
100mの短距離競争に出場するとする。
観客も、なぜにか、多い大会だ。
スタート前の思考は、
・1位になれたら、みんなに凄いと思われるよな・・
・ビリになったら、みんなにトロイ奴と思われるよな・・
・どっちだろう?せめて、真ん中くらいの順位にはなりたいものだ。
とか、いろいろなことに意識が拡散集中してしまうだろうが、
今、自分のできる事はと言えば、
今まで練習してきた感覚で、0mから100mまでを全力で走りきることだけなのだ。
0mから100mまで全力で走りきることだけに意識を集中すればいい。
凄いと思われる・・トロイと思われる・・ということに意識を集中するのではなく、
今、自分にできる、
0mから100mまで全力で走りきることだけに意識を集中すればいい。
ということだ。
できないことや、我欲や、不安要素に集中したところで、
自分の思いが成就してくれるどころか、
自分の心身を制御できなくさせやがるだけになっちまうのがオチだからな。
今、自分に何ができるのか?
いつも、、というか、一時間おきに、、
と言ってもいいくらいに、
「 今、自分にできることって何だ?」
という自問自答を日々する習慣をもとうとする心がけは、
自分の心と身体にとって非常に大事なことだと思う。
当然ながら、
普通の人間には、
心身に習慣づいてないことは、急には上手くできないものだからな。
~~~~~~
よく、あわてて見える知り合いに、
「 焦んな!」「焦らないで!」などなどの声かけ(応援)をする人がいる。
いやいや、
そんなことは、本人が一番よく分かっていること。
分からない人も勿論いるが、
ほぼ大半の人は、
「 焦っちゃいかん!」と自分で自分に思っている。
「 焦っちゃいかん!」と思っているのに焦ってしまうから困りものなのだ。
だから、あまり、
他者からの「 焦んな!」「焦らないで!」などなどの声かけ(応援)は、
実際あまり効力がなかったりもする。
それよりは、
「 自分のできることに集中して~!」的なニュアンスで応援したほうが、数倍、効力があったりもする。
『 扉の鍵 』
自分が死んだら、いったい、誰が悲しがってくれる?
その自己認識が、他者に対する、自分が許可する自分の対応となっている。
これ、無意識的にもな。
いったい、誰がいる?
親?
兄弟・姉妹?
親友?
恋人?
近所の人たち?
自分のファンたち?
担任の先生?
etc、etc?
自己認識として、
誰ひとり悲しがってくれる人の顔が浮かばなかった者は、
やっぱり、他者に対する対応は、異常にも映りし遠慮深さがあったりもするだろう。
その逆に、
自分が死んだら、世界中が悲しみにくれるだろう。
と、思えている人は、
よろしくない方向に向かえば、
人見知りという概念がアホらしく思えるほどに、
誰に対しても、我が儘放題なずうずうしい対応をするだろうし、
よろしい方向に向かえば、
誰に対しても、
同じく、人見知りという概念がアホらしく思えるほどに、
超フレンドリーな愛嬌あふれる垣根のない対応をとれたりもするだろう。
自分が死んだら、いったい、誰が悲しがってくれるだろう?
親?
兄弟・姉妹?
親友?
恋人?
近所の人たち?
自分のファンたち?
担任の先生?
etc、etc?
これ、
対象の誰か(他人)に問うた答えではなく、
自分に問うた自分の答えでなければ意味がない。
今度いちど、自分に問うてみるのも、よろし哉・・
『 お薦めの言葉。』
「 あなた自身があなたを愛するようになれるまで、
あなたが探している愛はいつまでたっても見つからないわよ。」
by レディー・ガガ
この、ガガの言葉は、
幸せに成る為の方法について書いてある400ページ級の本の内容を、
たった2行に圧縮させてみると、こうなってしまうのだ!と言っても過言はない。
まさに!まさに!まさに!な、2行であります。
しかし、
「 あなた自身があなたを愛するようになれるまで、
あなたが探している愛はいつまでたっても見つからないわよ。」
by レディー・ガガ
、と言ってるが、
自分自身で、自分を愛すること自体が、もの凄く難しいことなのに・・。
どうやったら、嫌いな自分を自分自身で好きになれるの?
言葉で、自分で自分を愛していると言い聞かせても、
なんとも言えない違和感と空しさだけが心に漂うだけじゃん。
他人に好いてもらえない自分を自分で愛するだなんて、どうやっても無理!
親にすら可愛がってもらえなかった自分を自分で愛するなんて、ありえなく無理!
etc、etc、、といろいろな言い分もあるでしょうが、
いいのです。
「 あなた自身があなたを愛するようになれるまで、
あなたが探している愛はいつまでたっても見つからないわよ。」
by レディー・ガガ
という、自分界ではありえない言葉(技術)を知ることによって、
多少なりとも、
自分の心の中の不幸感の牙城に楔を打ち込むことができているのです。
一本は、必ず、楔が入っているのです。
一本も入らないよりは、進化・進歩しているのです。
確実に、自分の心の中に幸せ寄りの革命が起こっているのです。
レディー・ガガも言っているし、あの俳優も言ってるし、
歴史上の人物も言っているし、Angelyも言っているし、、etc、etc。
これだけ、同じようなことを言っている人がいるということは、
法則的には、間違ったものではないのだろうと受け取ったほうが、
自分にとってもお得なのです。
信じて試した方が、信じられなくて拒絶してるよりも、
絶対的にお得な変化があったりもするのです。
Angely的に言うならば、
過去・現在を含め、世の中に、3人同じことを言っている人がいたら、
とりあえず、拒絶よりも受け入れる余地を心に作れ!
ということである。
身体健康法的で例えば、
とあるダイエット運動やら、
アレクサンダー・テクニークという身体技法やら、
最近よくきく、耳ひっぱり健康法&ダイエット法などなどのGoodな効果を、
3人くらいの人が言っているのを聞いたなら、知ったなら、
拒絶して実践しないよりは、柔軟に受け入れて実践してみたほうが、
いろいろとお得な変化を実感できる確率が高まりますよ。
、ということである。
昔からその方法は知ってはいたが、あの時は嘘だろうと思っていたので、
実践する気にもなれなかったが、10年たった今、とあるキッカケで実践してみたら、
嘘のように、小顔になるし体脂肪も減って美&健康的な身体になっちゃった♪
ってな時に、
あの時、知ってたのに実践しなかった・・、という、
若しきあの頃から今までの10年間を後悔したりもしたりとかとね。
そういう現実もあります。
*
一応、3日坊主ではなく、ある一定の期間、実践してみる。
だいたい、どのような分野や世界であっても、
とりあえず、
自分のものになれるであろうな訓練期間は、3ヶ月くらいだといいます。
なので、3ヶ月ぐらいは頑張って実践してもらいたいのですが、
ま、1ヶ月くらいでもいいでしょう。
でも、1日や1週間という短期間では、
そうとう敏感な人でない限り、ほぼ、変化は分からないと思います。
1日や1週間の実践で、変化を感じられず、やめると、
「 やっぱり嘘だったじゃん! 信じて費やした時間が大損害だ!」
という効果しか得られませんので、
初動からしばらくは、騙されるつもりでやった方が、
放棄したくなる気持ちからの軌道修正ができたりもします。
ま、損害になるといえば、費やした時間くらいなのですが、
ま、騙されたつもりで実践したほうが、損害に過敏反応しないと思うので、
ま、『 騙されるつもり精神 』 を薦めておきましょう。
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「 あなた自身があなたを愛するようになれるまで、・・ 」に戻ると、
ちなみに、
自分に自信のない人や、自己卑下・自己嫌悪の強い人は、
自分が成功したり、幸せに成ってる自分をイメージ(想像)し難い為、
ついついと、自分のその迷路のような不幸感覚を麻痺させる為に、
意識的にも、無意識的にも、
他人も不幸になることを求めたり、
他人の傾いた現実を見て、
「よしよし・・!なんとも良かった!良かった!安心だ・・!」
etcという思いをいだいてしまい易くなります。
しかし、
他人の不幸に安心=喜ぶ心が、更なる、無限地獄のような不幸感をもたらします。
その反対に、
自分に自信のある人や、自己肯定力のある人は、
幸せ感覚で満たされているので、
他人の幸せを見て、心からの祝福をしたりもします。
これ、
「 与えられて満たされているという満足感。現実が充実している。 」という感覚が、
他人の幸せを祝福できる土台になっているというのは、まぎれもない事実ですが、
鵜呑みにも、その事実に理解納得撃沈してしまった人には、
残念ながら、天からの梯子が降りてきてくれたりはしないのです。
でも、
というか、
兎に角、
他人の幸せを祝福できることが、
自分自身を愛せれる自分になれる為の革命的な方法であることには間違いないのです。
自分の心に幸せ寄りの革命を起こしたければ、
成功した人をみたら祝福の心をいだこう!
受験に受かった人をみたら祝福の心をいだこう!
嬉しいことがあって喜んでいる人をみたら祝福の心をいだこう!
告白して恋が成就した友人に祝福の心をいだこう!
総じて、
自分が成りたかった幸せを得ている人を見たら、祝福の心をいだこう!
とは言っても、
しかして、祝福の心とは、異常な思行為と言っていいくらいに難しいことである。
なにせ、
普通の人間生活を過ごしてきた者であるならば、
自分が得たいものを、他人が得ていたら、自然と嫉妬心が燃えたぎるものなのだ。
なのに、それを、嫉妬ではなく、祝福の心を発信する。
人間超越の如くに恐るべし精神境地でもある。
嫉妬ではなく、祝福の心をいだく。
騙されたと思って、試すが得だ! 試すが勝ちだ!
と、思えてならない。
『 裏切られた感がもたらす不和・・ 』
他人に好かれなくってもいいから、個性的に生きよう!
他人に嫌われたって、
未来結果、
損害なんてほとんどないから、個性的に生きよう!
それがイチバンだ!
、と、思う。
他人の一念に、自分の幸せやら何やらの全てをゆだねる・・
一般的な例をあげれば、
「あの人に気に入られたら幸せだ♪」
「あの人に正しく理解されたら、心が成仏できるのに。」
、的な、自分の幸せを、他者の思い(一念)に依存してしまう精神だ。
これって、恐るべしすぎる人間精神だと思う。
奴隷になりたい願望のある人にとっては、もってこいの精神でもあるけどもな。
「 あの人も、自分と同じ考え方をする・・。 」 と思い込む(信じる)思考が、人間関係不和の素。
「 あの人も、自分と似たような考え方をする・・。」、、程度ならば、まだまだいいのだけどもな。
それぞれの個人には、十人十色の考え方・個性がある。
自分の愛するあの人にも、あの人独自の考え方と個性がある。
この事実を認めよう。
これ、
複雑かつ繊細な思考のできる人間同士間での調和にとっては、
非常に大事な考え方だと思う。
『 光と影 』 『 善と悪 』
やはり、
正しき者は強くなければならない。
心優しき者は強くなければならない。
善なる者は強くなければならない。
でなきゃ、悪の跋扈をゆるすだけの世界が展開してしまう。
正しき者は強くなければならない。
心優しき者は強くなければならない。
善なる者は強くなければならない。
どのような悪に対しても、
その ” 存在 ” だけで躊躇させ、
そして、蹴散らせるような ” 強さ ” を保有・更新し続けなければならない。
正しき者こそ、悪以上の武力を持て!
心優しき者こそ、悪以上の武器を持て!
善なる者こそ、悪以上の強かさを持て!
でなきゃ、悪の諸行が悠々とのさばる世界が展開してしまうだけだ。
「 平和で幸せな世界を築くのに、武器も武力も必要ない! 」
と、吼える人もいる。
その通りだろう、、
悪思・悪考が、人間の心の中から一切発生しなければな・・
『 わたしの心の中の英雄たち 』
自分の心の中に、英雄はいるかい?
その英雄を思い浮かべると、
ヤル気などのエネルギーが湧き上がってくるような存在。
負の存在(思い)を、追い祓ってくれるような存在。
負の存在(思い)を、叩き潰してくれるような存在。
そんな英雄(存在)、いますか?
いなければ、探せ!
探していなければ、創れ!
映画の中の存在だろうと、
漫画の中の存在だろうと、
自分の想像の人物だろうと、なんだっていいんだ。
要は、その存在を思い浮かべると、エネルギーが湧き上がってくるような存在。
せっかくの探そうとしているのに、
せっかく創ろうとしているのに、
その思いを邪魔してくる 『 現実逃避 』 などという概念なんぞ断ち斬って、
前向きに探しなされ!ワクワクと嬉しがって創りなされ!
その英雄の数は、多ければ多いほど、心強い!
場面状況によって、使い分けたってイイ!
自分の心の中に英雄がいれば、
数ヶ月前よりは、絶対的に強い自分が、” そこ ” に存在しているはず!
この世の様々なる諸問題に耐性のある自分が、
確かに ” そこ ” に存在しているはず!
『 使え!自己暗示という実体のある力を!』
何度も、何度も、何度も言ってるが、
自己暗示とは、本当に力のある技法だ!
自分の思い通りに展開してくれない世の中の諸行に、
ムカついたり、イラついたり、
不安がったり、悲しがったりしている時間があるのならば、
その時間を、
プラス方向の自己暗示のためについやしたほうが、
圧倒的に、自分にとって実幸のある結果をもたらしてくれるものだ。
自己暗示には、プラス方向の自己暗示とマイナス方向の自己暗示がある。
幸せを愛する人は、プラス方向の自己暗示を!
不幸を愛する人は、マイナス方向の自己暗示を!
プラス方向かマイナス方向かは、自分の気分が教えてくれる。
気分が快くなる方向が、プラス方向だ。
気分が不快になる方向は、マイナス方向だ。
方向を間違えない限り、
試して損害をうけることなんて、何一つない!!!
この、自己暗示の力に、 「 おおっ!ホントだ! 」 と気づける時期は、
若ければ若い時期ほど、
お得なことがいっぱいあると思えて思えてならない。

