『 扉の鍵 』
自分が死んだら、いったい、誰が悲しがってくれる?
その自己認識が、他者に対する、自分が許可する自分の対応となっている。
これ、無意識的にもな。
いったい、誰がいる?
親?
兄弟・姉妹?
親友?
恋人?
近所の人たち?
自分のファンたち?
担任の先生?
etc、etc?
自己認識として、
誰ひとり悲しがってくれる人の顔が浮かばなかった者は、
やっぱり、他者に対する対応は、異常にも映りし遠慮深さがあったりもするだろう。
その逆に、
自分が死んだら、世界中が悲しみにくれるだろう。
と、思えている人は、
よろしくない方向に向かえば、
人見知りという概念がアホらしく思えるほどに、
誰に対しても、我が儘放題なずうずうしい対応をするだろうし、
よろしい方向に向かえば、
誰に対しても、
同じく、人見知りという概念がアホらしく思えるほどに、
超フレンドリーな愛嬌あふれる垣根のない対応をとれたりもするだろう。
自分が死んだら、いったい、誰が悲しがってくれるだろう?
親?
兄弟・姉妹?
親友?
恋人?
近所の人たち?
自分のファンたち?
担任の先生?
etc、etc?
これ、
対象の誰か(他人)に問うた答えではなく、
自分に問うた自分の答えでなければ意味がない。
今度いちど、自分に問うてみるのも、よろし哉・・