(あらすじ)※Amazonより
あなたは、哀れでも可哀相でもないんですよ
北海道根室で生まれ、新潟で育ったミサエは、両親の顔を知らない。昭和十年、十歳で元屯田兵の吉岡家に引き取られる形で根室に舞い戻ったミサエは、ボロ雑巾のようにこき使われた。しかし、吉岡家出入りの薬売りに見込まれて、札幌の薬問屋で奉公することに。戦後、ミサエは保健婦となり、再び根室に暮らすようになる。幸せとは言えない結婚生活、そして長女の幼すぎる死。数々の苦難に遭いながら、ひっそりと生を全うしたミサエは幸せだったのか。養子に出された息子の雄介は、ミサエの人生の道のりを辿ろうとする。
数々の文学賞に輝いた俊英が圧倒的筆力で贈る、北の女の一代記。
【編集担当からのおすすめ情報】
絡み付いてね。栄養を奪いながら、芯にある木を締め付けていく。最後には締め付けて締め付けて、元の木を殺してしまう。その頃には、芯となる木がなくても蔓が自立するほどに太くなっているから、芯が枯れて朽ち果てて、中心に空洞ができるの。それが菩提樹。別名をシメゴロシノキ。
※内容に触れる箇所があります。
◆◇
第167回直木賞候補作である。
↓あもる一人直木賞(第167回)選考会の様子はこちら・・
第167回直木賞候補作であり、あもる一人直木賞受賞作であった作品。
・・私が推したばっかりに・・河﨑さん、ごめんよ><
それはさておき。
タイトル、こわっっ:(´◦ω◦`):!
と思いながら読み始めたのだが、その内容はタイトルの怖さの比じゃなかった。
めっちゃ怖い!!!!
超絶怖い!!!!!!
げにおそろしきは人の業。
この作品は最果ての地・北海道根室で「多難の道」を歩き続けたミサエの物語である。
昭和10年。
幼い頃に両親を亡くし祖母に育ててもらっていたミサエだったが、その祖母も亡くなり新潟に住む遠縁の親戚に引き取られそこで貧しいながらもひっそりと穏やかに暮らしていた。
そこへ祖母が以前働いていたお屋敷(根室)から、ミサエに家業を手伝ってもらいたい、という手紙が届く・・・
それが困難の始まりであろうとは誰も・・・
いや、そこまではなんとなく読んでいると誰もがわかることなのだが、その困難ってのがとにかくもう、凄まじい!!!!!!
想像を絶するってのはこういうことを言うのか、と叫びたくなるレベル。
この根室の厳しい気候といい、お屋敷の冷淡かつ凄まじさといい、超絶陰湿で田舎特有の閉塞感といい、男尊女卑といい、ミサエがあらゆる場面で辛い目に遭う・・><
このお屋敷の人間が、揃いも揃って(子供達も含めて)クズ。
くわ〜〜〜〜〜〜!!!!!
もう見ていられない><
でも見る!
の繰り返し。
でもミサエには1つ武器があった。
それは「知恵」である。
賢いということは人生において大きな武器となる。
知性は人を救う。
彼女はとにかく勉強をした。
たとえそれが未来永劫、このお屋敷に仕えて虐げられるだけの人生だったとしても、役に立つか立たないかではなく、とにかくミサエは勉強をした。
この屋敷の息子が大人になりつつあるミサエを近いうちに襲うんじゃないか・・
とヒヤヒヤしていたのだが、その前にミサエは自らの武器(賢さ)であのお屋敷を脱出することができたのだ!ヤッホーイ!
と思ったら、悪夢再び・・
次から次へと襲い掛かる幸せと不幸せ。
まさに禍福は糾える縄の如し。
ミサエに襲い掛かる不幸(ほとんどが田舎特有の陰湿さ)もこれでもか、というくらい緻密に描写されるし、それがあまりにリアルで岡山の田舎のことを色々思い出しました。
あ、いくら岡山のど田舎出身だからって、流石にこんなに陰湿じゃなかったけど。
新聞のお悔やみ欄を見て電車に乗って葬式に駆けつける爺さん、の描写とかすごく懐かしかった。
うちの母も新聞のお悔やみ欄を毎日チェックしてたもんな〜。
あの時は、ゴシップ好きのうちの母が興味本位で見てるのかと思っていたが、まあそういう面もあるにはあるんだろうが(怒られる笑!)、
あら、〇〇さんとこのおばあちゃん亡くなったのね
と車飛ばして香典持って駆けつけて行ってたもんね。
田舎のコミュニティの濃さと密さを肌感でわからないヒトはなんとなく読み飛ばしてしまう箇所かもしれない。
(後日アップする予定だが、その差が直木賞選考委員の選評に出ていたように思う)
保健婦として働くミサエが緊急のお産に立ち会うシーンとかもすんごく丁寧にミッチリ描写。
読んでいるだけのこちらですら手に汗握るほどであった。
さらにこの作品がいいな!
と思うのは、ミサエが一方的に不幸というわけでもない、というところ。
幼い娘を亡くしてしまう描写があるのだが、それはミサエのせいでは決してなかったのだが、ミサエにも悪いところがあって、幼い娘にもっと向き合えていたら違っていたのではないか、という可能性も描かれていたところ。
小さい頃からミサエは苦労しっぱなしで、誰からも無償の愛情を注がれることもなく、だから・・というわけではないが、自分の娘をどう扱ってよいのか、どう育ててよいのか、試行錯誤で、自分はもっと同じ年齢の頃頑張ってた、と思うと、のんびり頼りない自分の娘にイラ〜っとして、
お母さんが子供の頃はもっと自分でなんでもできてたわよ!!!!
とか叱咤激励(子供からすれば無理難題)して、娘を突き放してしまうシーンとか、ミサエをひたすら可哀想な存在として描かないあたりが上手すぎる!と唸ってしまった。
不幸な結婚生活も9割以上はクズの旦那のせいなのだが、ミサエにイラッとしちゃうクズ旦那の気持ちがわからなくもない部分もあったりして、こういういちいち下手したらサラっと書き流しちゃいそうな部分もミッチリキッチリ書き込んでいた。
この作品に出てくる男はほとんどがクズで、これでもかってくらいきっちり丁寧にクズを描写するのだが(上記の緊急のお産でも男のクズ描写はもちろん忘れない笑)、ミサエの息子の雄介(養子に出している)はミサエの遺伝子が濃いのか、思いやりがあり、賢くて行動力もあり、時代も移り変わったこともあって、その雄介の存在に癒されていく後半。
それでもミサエに続き、雄介も多難な人生を歩むこととなる・・・
でもその雄介の存在に私は救われた。
でも100万は現金をそのまま部屋に置いてちゃダメー!!!
ミサエもそうだったが、雄介も自分の強い意志と誰よりも賢い頭で困難を切り開いていく姿に、あもちゃん、癒された。
感動とかじゃなくて、ミサエの苦労が息子の雄介で花開いたのかと思うとひたすら癒された。
残念ながらミサエは幼くして亡くした娘についても、この雄介についても、愛情表現についてはあまり描かれていないのだが、でもやっぱり不器用ながらも愛していたのだと思う。
娘と同じ墓にひっそりと眠るミサエ。
そして生き続ける雄介には、自分は爪に火をともすような生活をしながら多額のお金を残した。
そのお金は誰が雄介に渡したか・・と思うと、ミサエを取り巻く環境や人間関係は決していいものではなかったが、それでもミサエを見守ってくれている人はいて、そういう微妙なバランスも大変上手に描かれていた。
最後の最後、ミサエも知らない事実を雄介は知らされることになるのだが、雄介はそれを自分の気持ちの持ちようで乗り越えていく。
そしてず〜っとミサエの人生に伴走してきた私たち読者は、その事実を知らされて走馬灯のようにミサエの人生を思い出すことになる・・・
え〜じゃああの時・・
ってことはあの人って・・・
え〜
モヤモヤモヤ〜。←いい意味で。
最後の最後まで読者をだらけさせない作品であった。
あと忘れちゃならないのがお屋敷の大婆様の存在。
そりゃもう厳しくてねえ。
でも・・・
厳しいけれどもそれは誰に対しても厳しくて、ミサエにも血縁者である孫やひ孫に対しても平等に厳しかった。
礼儀作法や常に家の中を整えておくことや、お客様を丁寧におもてなしすること、などそりゃもう厳しく叱っていたが、一方で大婆様が大事にするネコを可愛がっているミサエを温かい目で見守っていることもあった。
ミサエが武器(賢さ)を持って屋敷を出た、と上で書いたが、それを許したのも、遡ってミサエが学校に行くことを許したのも大婆様だった。
ミサエが長生きしていたら、案外大婆様みたくなったのかもね・・・と思ったり。
さてこの作品のタイトル、絞め殺しの樹、だが、wikiによると
絞め殺しの木(Strangler Fig)とは、熱帯に分布するイチジク属や一部のつる植物などの俗称である。絞め殺し植物や絞め殺しのイチジクなどとも呼ばれる。他の植物や岩などの基質に巻きついて絞め殺すように(あるいは実際に殺して)成長するためにこの名前が付いている。(略)「絞め殺し」の結果として宿主側の植物が枯死した場合には、絞め殺しの木の中心部分(宿主植物があった部分)が円筒形の空間となり、しばしば空いたまま残る。
とあり、雄介のユリ叔母さんの話によると、お釈迦様の菩提樹も絞め殺しの樹だったそうな。
(本当の菩提樹はインド菩提樹で暖かい場所でしか育たないから、日本ではシナノキを菩提樹になぞらえたそう)
そんなおっそろしい木の上で悟りを開くとかお釈迦様こわ〜笑
そういう話を微笑みながら雄介に語るユリ叔母さんもまたこの小説にはなくてはならない存在。
とにかくこの小説はせっまい田舎の世界と狭くて密な人間関係が描かれているのだが、どの人物も中途半端に描かれることはなく、濃い。とにかく濃い。
さらに小説を通じて登場する白猫一族といい、絞め殺しの木といい、出てくるアイテムの描写すら全く無駄なものはなく、そしてどれも濃い!
私は河﨑さんの作品を読むのは初めてだったのだが、北海道の方はみな、なんというかこう湿り気多めの肝っ玉が座ったようなゾワッとする文章を書くのでしょうか笑?
私の周りに北海道出身の方がいないからわからないのだが、直木賞作家である桜木紫乃さんも確か北海道出身でこういう感じの文章と世界観を描いていたなあ。
(選評で宮部みゆき氏が桜木紫乃の傑作小説「ラブレス」と比較していた。。)
この作品の壮大さを思うたび、どこがどう似ているというわけではないが、遠田潤子の「銀花の蔵」を思い出していた私であった。一代記というのがそうさせるのかもしれないし、ふと気づいたのだが、私は女の一代記という小説が好きなのかもしれん。
ミサエが根室で優しく温かくもてなされた時に
根室の厳しい冬が人を陰湿にしているのかと思ったが、陰湿なのはあの屋敷の人間の個性だった
と気づくところ。
サラッと屋敷の人たちをディスっていて、フフと思ったのだが、旭川のイジメ問題(イジメというには大きな、もはや殺人事件に近い)とかあったじゃないですか。
全く関係ないのだけどそういう事件をふと思い浮かべてしまったね。
閉鎖的な街と北海道の厳しい気候、そして昔ながらのヒエラルキー。
そういう全てが事件を包み飲み込んでいく・・・
北海道という土地や環境すべてが悪いわけじゃないけれど、あの屋敷の人間のような陰湿な人間を生み出すのはやはりその社会や環境。
時代は全く違うのに、何かつながるものを勝手に感じてぞっとした。
この記事を書く際にAmazonのあらすじを読みながら、感想欄をチラッと見ると
「これを一冊読むと、根室には金輪際行きたくなくなる。」
をいう記載があって、
それ、ちょっとわかる・・
と旭川の事件も合わせて、しみじみ思う私であった。