(あらすじ)※Amazonより
どんな攻めをも、はね返す石垣。
どんな守りをも、打ち破る鉄砲。
「最強の楯」と「至高の矛」の対決を描く、究極の戦国小説!
越前・一乗谷城は織田信長に落とされた。
幼き匡介はその際に父母と妹を喪い、逃げる途中に石垣職人の源斎に助けられる。
匡介は源斎を頭目とする穴太衆(あのうしゅう)(=石垣作りの職人集団)の飛田屋で育てられ、やがて後継者と目されるようになる。匡介は絶対に破られない「最強の楯」である石垣を作れば、戦を無くせると考えていた。両親や妹のような人をこれ以上出したくないと願い、石積みの技を磨き続ける。
秀吉が病死し、戦乱の気配が近づく中、匡介は京極高次より琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を任される。
一方、そこを攻めようとしている毛利元康は、国友衆に鉄砲作りを依頼した。「至高の矛」たる鉄砲を作って皆に恐怖を植え付けることこそ、戦の抑止力になると信じる国友衆の次期頭目・彦九郎は、「飛田屋を叩き潰す」と宣言する。
大軍に囲まれ絶体絶命の大津城を舞台に、宿命の対決が幕を開ける―。
◇◆
第166回直木賞作品である。
↓あもる一人直木賞(第166回)選考会の様子はこちら・・
候補に挙がるたびに今村さんの作品を読んできたわけだが、これほど短期間でうまくなる人がいただろうか。・・まあいたとは思うのだが(笑)、とにかく書けば書くほどうまくなるんだなあ、と毎回実感させられたのがこのお方の作品。何事も鍛錬あるのみであります。
そしてこのたびその鍛錬が実り、見事直木賞受賞。おめでとう~。
私は外しましたけど~。ギリギリまで迷って!(←ココは言いたい)
物語は初めが肝心。まずは読者の心をギュッと掴めるか否かにかかっている。
特にエンターテインメント作品はそうであろう。
その点でこの作品は100点満点、いやそれ以上であった。
主人公の匡介がまだ幼い頃、戦乱に巻き込まれ(織田信長が越前浅倉に攻めてきた)、両親そして妹の花代と家族で逃げ出すも、助かったのは匡介ただ一人であった。
守れなかった妹。
混乱の人混みの中に消えていく、花代が匡介に伸ばした小さな手。
匡介に助けを求めて伸ばした手を匡介は掴むことができなかった。
匡介にはそのことがいつまでも重くのしかかり、心に溜まった澱のようであった。
逃げ出した先で偶然、石工の頭領であり塞王とまで呼ばれる天才石工の源斎に助けられ、匡介は石工になる。
子供ならなんとか抜けられる小さな隙間からまだ小さな子供であった匡介を母親が逃すシーン。
涙なしでは読めません!!!
わたくし、年齢的にはもう老婆と言ってもおかしくない年齢になので(笑)、つい母親の気持ちになって読んでしまう><
何も力を持たなかった幼き頃に受けた心の傷を背負って、この恨み晴らさないでか!と生きていく姿は、直木賞候補作であった逢坂冬馬の「同志少女よ、敵を撃て」の始まりとよく似ている。
あちらもわかりやすいエピソードであったが、こちらはこちらで王道中の王道作品である。
石工である匡介が石工としての技術を積んでいく過程はすんごく面白い。
知らないことが多く、なるほど城壁や石垣ってそういう風に作っていくんだ〜といちいち面白く読んでいける。
また、たとえばその領地の殿様が「籠城」という作戦をとった場合、「籠城」というものは城に籠ってひたすら耐えるもの、と思っていたのだが、石工にもやることがあって、じゃんじゃんバリバリ鉄砲やら石礫やらで攻撃を受けると、世の中に壊れないものなどないように、当然城壁や石垣が崩れたりする箇所も出てきますわな。
そしたら雇われた石工たちは総出で崩れた側から修復したり、相手の出方次第で石垣や城壁の形を積み替えたり(懸(かかり)という)するらしい。
銃弾や弓矢が飛び交う中で・・こわっっ。
いや〜知らなかった〜。城や石垣なんて建てたら最後だと思っておりました。
子供の頃に天才石工の飛田源斎に拾われ、石工の修行を二十数年重ね、飛田組の跡継として指名された匡介は様々な城を石工として守っていく。
大事な人をこれ以上死なせたくない、ただそれだけのために。
飛田組には源斎の親戚筋にあたる玲次という石工がいたが、彼も大変に才能がある石工であり、匡介とライバル関係でもあるのだが、血縁関係のない匡介が跡継として指名されたとあらば、大抵描かれそうな嫉妬や妬みというものがこの作品にはほとんどなく、ストレスなく読めてよかった。
嫉妬や妬みはあってもいいのだが、石工って1つ間違えば命を落とすじゃないですか。
嫉妬から誰かが怪我したりするのを見るのは嫌だな〜なんて下世話な心配などしていたのだが、さすが金持ち喧嘩せず・・ではないが、才能あるものは才能のあるものを妬んだりしない・・
いや内心は妬んだりはしても、変な真似はしないんだなあ。
才能のあるものに敬意を払うだけの度量とプライドがある玲次に好感!
飛田組の中での人間関係、雇われた先での人間関係と描いていき、そして最後には矛と盾という永遠に敵であり続ける鉄砲と城壁、鉄砲作りの天才・国友彦九郎と石工の天才・飛田匡介が火花を散らす。
てなことが延々と書かれてありまして(言い方!!)、実は途中でちょっと飽きちゃってね。
別に何が悪いわけでもないのだが、ああでもねえ、こうでもねえ、と戦い方について城をいかに守るか考える匡介たち・・・ってお前の横に立っている武士たちや殿様は無能か!
何もやってない〜><
籠城の最中も、なんかやたらと作戦だの考えて動いているのは石工ばかり・・・
ええええええ〜。
描かれていないところでお侍さんたちも色々やってるんでしょうけども〜。
前半の石工の修行のところくらいの面白さがあればなあ。
鉄砲作りの天才・国友彦九郎とのライバル関係についても、なんかこうダレているというか。
鉄砲で戦乱の世に決着をつけて平和をもたしたい彦九郎と、城壁でどこまでも大切な人たちを守り続けたい匡介。
どちらが本当に大事な人を守れる世の中を築けるのか。この先に答えはあるのか。
という苦悶が二人にそれぞれのしかかる。
・・・のだが、登場人物の価値観が全体的に現代的なのがものすごく違和感。
あえてそうして書いているのかもしれないし、当時もそう考える人もいたんだろうけど、それはかなり少数でなかなか進歩的な思考の持ち主だと思うとそうすんなりは受け入れられなくて。
一方、最後の籠城戦(このまま天下分け目の関ヶ原にもつれるから)であった京極家での「懸」の場面で、夜中、船に石を運び入れるのではなく、石垣を積んで敵からの攻撃を避けながら石を運びいれる、という描写はワクワクしたし、三国志的な雰囲気もあってよかった。
が、京極高次とその奥方であるお初の感じがこれまた現代的でねえ。これまた違和感。
あとは今村さんの特徴でもあるのだが、会話の書き方が誰が話しているのかわかりづらい、というのが気になった。
特に身分が同じ、年齢もほぼ同じの男同士二人(匡介と玲次)の会話がわかりにくい。
セリフの内容に少しだけ気を付けるだけでだいぶわかりやすくなると思うんだけどなあ。
(別に語尾とか特徴つけろ、とかではなく、何を指しているのか、誰を指しているのか、とかとかわかりにくかった。)
匡介が助けてくれた源斎に自分の名前の「匡」を説明するとき、「コを逆向きにした中に王」というものがあったのだが、まさかのカタカナ!
いや、カタカナも戦国時代にはあったはずだし、詳しくないからわからないが、今と同様普通に使われていたのかもしれないけど、カタカナ=外来語表現、と思っている私には衝撃であった。
でもこれは絶対今村さん、狙ってやってると思う(笑)
私を驚かせたいのね〜。
そして「匡・・王を守る、いい字だな」と源斎に言わせたい。←ここから物語の構想が浮かんだのかもしれん!
ただ師匠である源斎とのつかず離れずの信頼関係、それは最期の最期まで同じでよかった。
親子でありながらも、師弟でもある。
死に際のライトな描写、あれはあれでよかったのではないだろうか。だって思いっきり戦闘中ですし!
石工として、そして跡継である匡介に敵方の鉄砲隊の情報を死の間際でもしっかり伝える。
それで十分ではないか。
また終わり方も王道って感じでこう出なくっちゃ!という終わり方でよかったです。
匡介さん、みんなの分まで幸せになってくだせえ。
モンクイストあもちゃん、文句を色々挟みながら読み進め、途中で飽きちゃったのも事実なのだが(とにかく長いっ)、全体を思い起こしてみた時、なかなかよくできた作品だったんじゃないかなあとか思ったので、暫定1位にしていたにも関わらず、心は柚月さんヒトスジだったため、最終的に外したんですけど〜。
この作品、まさに「ザ・エンターテインメント」という作品でもあり、銃をぶっぱなしてカウントダウン、そこから流れ飛ぶ銃弾や矢の合間を縫って石垣を補修していく描写、「矛と盾」という響きはまさにフジテレビで昔放送されていた「ホコタテ」そのもの。
もちろんBGMはこちら!
とにかくストレスなく(本の厚みにまず圧倒されるかもしれんが笑)、心の底から楽しめる作品であった。
今村さん、直木賞受賞、おめでとう!!!
ところで先日は節分だったが、今村さんは「童の神」という小説で、節分にゆかりのある人物を書いております。
どうゆかりがあるのか・・についてはこちら↓