マヨラサーティーン 土方の始末書 -7ページ目

ごあいさつ

こんばんは、マヨラ13です。


コメントをいただいているにも関わらず、コメントが返せずに申し訳ありません。


自分自身まだまだ若輩者で、このような素晴らしいコメントをいただけるような人間ではありませんが、皆様の励ましのコメントに恥じないよう、日々もっと学び自分自身をさらに鍛え磨いていきますのでどうぞよろしくお願いします。


本当にもったいない、お言葉を残していただきまして誠にありがとうございます、励ましをいただきとてもうれしく思います。


8、てめーらァァァ!!それでも銀魂ついてんのかァァァ!

こんばんは、マヨラ13です。

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7月15日のブログで辞めようと思いましたが、まだこれからの大事な時期に伝えなければいけない事が多い。

個人的にも時間が厳しい時もありますが、何とか少しずつでも進めていきたい。

「鉄は熱いうちに打て」ですから、時間はどんどん過ぎて行く、止まるわけにはいかない。

これからの素晴らしい可能性、未来ある方たちへ伝えたい残したい、インターネットのブログという中でしかできない方法ですが、いつか役に立つときがくるだろうと思いを込めてやっていきたい。

あと、どれくらい続けられるかは分かりませんが、残り時間も頑張りますのでこれからも、よろしくお願いします。


皆、将来の夢はさまざまです。

「保育士になりたい」「歌手になりたい」「漫画家になりたい」「声優になりたい」「外交官になりたい」「プログラマーになりたい」「正義のジャーナリストになりたい」「福祉の仕事がしたい」「難民問題のために働きたい」「美容師になりたい」「教師になり、生徒が大きな夢と希望をもてるよう、力になりたい」などなど。


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「将来を決めている」という人のなかにも、本気で取り組んでいる人もいれば、ただなんとなくそう思っているだけ、という人もいると思います。

その一方で「医師になれと言われているが、迷っている」「以前はフライト・アテンダントになりたかったたが、なれる自信がない」「学校にくる求人票で決めているので、選択の余地が無い」「一人っ子なので、家の仕事を継ぐべきか、悩んでいる」「とくに好きな事はないが、何かで有名になって目立ちたい」「いろいろな人に会うたびに、夢が変わる」

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「自分が何になりたいか、わからなくて、あせってしまう」という相談も受けるんですが。

人生は長い。本当の勝負は四十代、五十代、六十代です。

青春時代は「学びの時代」「鍛えの時代」と思って、何にでも挑戦してみることだ。

だれにでも、自分にしかできない自分の使命がある

しかし、その使命は、努力もしないで、いつかだれかが教えてくれるわけではない

自分で見つけるのが根本です

宝石だって、初めは鉱山の中に埋まっている

掘り出す努力をしなければ埋まったままです

掘り出してからも磨かなければ原石のままです

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皆、絶対に宝石をもっている。全員が「宝石を秘めた山」です

それを埋めたまま一生を終わってはつまらない。

だから学校の先生や両親が「勉強しなさい」と言うのは、言いかえれば宝石を掘り出しなさい、磨きなさいと言っているんです

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もちろん勉強だけが、宝を掘り出す努力ではない

今の点数だけで自分という人間を決めつけてはいけない

暗記中心の勉強だけで測れるほど、人間は小さな山ではない。

とくに最近は「IQ(知能指数)」よりも「EQ(心の知能指数)」のほうが大事だ、などと論じられている。

知能テストだけでは測れない、人間としての思いやりとか、不屈の闘志とか、幅広い人間としての能力が大切だということです。

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だから、十六歳や十八歳くらいの学校の成績だけで、その後の人生が決まるように思うのは、あまりにも愚かです。

人間の可能性は、そんなものではない

問題は、周囲の風潮に流されて「自分は今、成績がこのくらいだから、こういう人間にしかなれない」と自分で決めつけてしまうことです。

そうしてしまうと、伸びる能力さえ伸びなくなってしまう

宝石を掘り出す努力を自分でやめてしまえば、もう、それっきりです。これが一番怖い。

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反対に、大学に入ったら、とたんに真剣な努力をしなくなる人もいる。

また有名な会社に入った、せっかく人に尽くせる職業である官僚になった、医師になった、弁護士になった…そのとたんに、人間として伸びなくなる人もいる

「人に尽くしていこう」という心をなくす人も多い。

本当は、その時やっとスタートラインについたわけです

そういう人は「何になるか」だけを考えていて「何をやるか」を考えていなかったのです。

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「自分は成績が悪いからダメだ」と思うのも「自分はいい就職をしたから、もういいんだ」と思うのも、どちらも間違いで、人間は一生涯、自分自身の宝石を掘り出し、磨いていくべきです。

学校時代にはあまりパッとしなかった人が、社会に出てから、いろいろ経験をするうちに、今まで掘り当てていなかった自分の鉱脈を発見する例は無数にある。

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だから就職は自分を発掘するための「スタート」であって、決して「ゴール」ではない。

あせる必要はない。あせらず、休まず、へこたれずに、大切な自分の一生の坂を上っていくんです。


将来の進路を、すでに決めている人は、執念をもって、目標へ突き進んでほしい。

中途半端はいけない。執念をもってやった場合には、かりに失敗しても悔いがない。

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成功すれば大きな花が咲く。

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いずれにしても、次の道につながっていく。

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また、進路をまだ決めていない人は「今やるべきこと」に全力を注ぐことです。

そして真剣に考え、周囲ともよく相談し、もがきながら「自分の道」を見つけていくんです。

5、節目節目で気合を入れなおせ

こんばんは、マヨラ13です。

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2つ前の記事で「だれもが多くの人の優しさに支えられて生きてきた」と書いたが、じつは、もっと大きく見れば

だれもが、地球と宇宙の無数の命に支えられて、ここに存在しているんです。

優しさには、人間の崇高さがある。東洋での仏法の慈悲に通じる。

また西洋での「人格」の根本である「愛」にも通じる。

花たちも鳥たちも、ありとあらゆる生きものも、太陽も大地も「一切が互いに支えあって」生命のシンフォニーを奏でています。

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地球では、生きものの誕生は四十億年前という。

それ以来、命が命をはぐくみ、命が命を支えて、私たちを生んだんです。

この「生命の輪」が一つでも欠けていたら、あなたは今、ここにいない

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生命が次の生命をはぐくんだのも、根本的な意味で「優しさ」とは言えないだろうか

もっと根本的には、その生命を生んだ地球全体が、一つの大きな生命体であり、大きな優しさの固まりなのではないだろうか。


全宇宙が本来、慈悲の活動をしている。

「地球に優しい」という言葉がありますが、その前に「地球に優しくされている」んですね。

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自分の背後に、四十億年の、いや全宇宙の「優しさの歴史」が支えてくれているんです。

だから、絶対に自分を粗末にしてはいけない。

生命以上の宝はありません。皆が皆、その生命をもっている

皆、かけがえのない宝の存在です。

生命を生んだ宇宙は、地球は、そして母は、我が子を「かけがえのない存在」として大切にします。

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そういう絶対的な優しさ「生命への慈愛」を社会に広げていくことが、二十一世紀にとって、一番大切なのではないだろうか。


そうなれば戦争とか、人権抑圧、環境破壊もなくなる。

そのためには、まず自分が成長することです。

自分が人間として向上していこう」という姿勢の心は、優秀な心であり、それ自体、優しさに通じる。

人を押しのけて、自分だけは、という姿勢の心は、傲慢の心であり、怒りを含んだ醜い心です。


だから、「二十一世紀の主役」の皆さんは、「強く」「優しい」人間へと、自分自身を鍛え上げてほしいんです。

百年もすれば今いる人類は、ほとんど、だれもいなくなる、たまたま同じこの時代に十年やそこら早く生まれただけにすぎない私も大差ありませんから、まだまだ自分自身を鍛え上げなければいけない。

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なぜなら確実に後から凄まじい勢いで駆け上がってくる、このブログを読んでいる、あなたに負けないためにも生涯勉強、生涯青春で今以上に頑張って鍛えていきます。

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まだまだ解決しなければいけない問題は多くあると思いますが、いくつか、青春時代に思い悩むであろうときの、乗り越えるヒントを残しておきます。(PCだけリンクに正しく飛びます)

恋愛について想い悩んだとき

家庭について思い悩んだとき

青春時代のさまざまな悩みもある

友情についての悩み

将来への希望を持てなくなるときもあるでしょう

優しさについて

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4、何事もノリとタイミング

こんばんは、マヨラ13です。

昨日は、ちょっと疲れていたのか凹み気味でしたが無事復帰しました。

気持ちが負けてトッシーになるのは、まっぴらごめんですからねw

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気が緩んだ時には、まだまだ自分自身を鍛えないと、改めて思い知った。


そろそろ本題に入ると

実は、人間は、たいていの人が、心の中に「優しさ」をもっている。

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生まれた時から冷たい心しかなかったという人はいないでしょう。

しかし、大きくなるにつれて、自分が傷つくのを恐れたりして、優しさを胸の中に埋めたままにしていると、やがて本当に冷たい人間になってしまうんです


そして「自分中心」だと、周囲が全部、敵に見えてしまう

そこで、ますます自分を鎧で包む。

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権威の鎧とか、名声や地位の鎧とか、冷たさの鎧とか「いばり」の鎧とか。

それでは「人間性」ではなく「動物性」になってしまう。


古代インドのシャカはいつも「自分から声をかける人」だったという。

相手が声をかけてくるのを傲慢に待っているのではない。

「声をかけて冷ややかな反応だったらどうしよう」などとも思わない。

軽やかに、温かく「声をかける」人だったらしい。

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優しさにも、勇気が必要だ。

「臆病は残酷の母」であり「勇気は優しさの母」です。

オーストリアの小説家でシュテファン・ツヴァイクという有名な作家がいます。

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彼が高校生の時の話しです。


一人の秀才の同級生がいた。

人気者だったが、ある時、大会社の社長である彼の父親が、ある事件で検挙されてしまった。

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新聞は、彼の家庭の写真入りで、非難・中傷する報道をした。

彼は学校にも来られず、二週間も休んだ。

三週間目に登校してきた彼は自分の席に座ったが、教科書に目を落としたまま顔を上げなかった。

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休み時間になっても、一人で窓の外を眺めていた。

皆の視線を避けていたのです。

ツヴァイクたちは、彼を傷つけまいと、遠くから見ているだけだった。

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彼が優しい言葉を求めているのはわかっていた。

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しかし、迷っているうちに、次のベルが鳴った。

そして次の時間になると、彼はもう学校から出て、以来、二度と彼の姿を見る事はなかった。

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あの時、一声かけていたら、その後悔は一生、彼の心をさいなんだのでしょう。

また、日本人は「あの人が悪い」という話しがあると、確かめもしないで、うわさをする

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悪宣伝をする。優しさの反対です。優しさには公平さがある

本当かどうかを、自分で確かめ、納得していく誠実さがある。

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優しくするといっても、具体的に何をすべきか、もちろんケース・バイ・ケースではある。

ただ、根底に、相手の幸せを思う気持ちがあればいい。

そのうえで、「小さな優しさ」「中くらいの優しさ」「大きな優しさ」がある。


ただ、「大きな優しさ」の場合は、かえって相手に誤解されることもある。

親が子どものために、あえて厳しく「しつけ」をする心なども、そうかもしれない。

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皆さんも「大きな優しさ」の場合には、優しくした相手から、反対に憎まれたりするかもしれない。

しかし、それでも相手のためを思って、尽くしていくのが本当の優しさではないだろうか

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そして、その時はわからなくても、大誠実を尽くしておけば、きちんと信用が残るものです。

いつか「あの人は、自分の事をこんなにも思ってくれたのか」とわかるもんです。

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「どのくらいの優しさをもてるかが、その人の大きさをはかる尺度だ」ということです。

表面だけの優しさではなくて、大きな感動を与えるような生き方をしていきたいと思います。

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3、あんたを奈落から引き釣り上げるための縄なら幾らでも用意してやらぁ

こんばんは、マヨラ13です、本日2本目です。

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今の人間関係は「もめごとを起こさない」のが目的になっていると、ある人が言っていました。

人と深くかかわると、自分も傷つきそうだし、人とかかわりを「あまり持ちたくない」

かかわることによって思わぬ事故で、とやかく言われることを考えると、人の世話や手助けも考えものと。

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たしかに、せちがらい世の中だから、自分のなかに閉じこもってしまう気持ちはわかる

しかし、そこには大きな錯覚があるのではないだろうか

それは、今まで自分自身が多くの人たちの「優しさ」に支えられて生きてきたという事実を忘れているということです。

お母さんの優しさがなかったら、この世に生まれ、大きくなることはできなかった。

また、お父さんや、他の家族、親戚、友人。保育園・幼稚園以来の先生方。

学校の先輩・後輩。思い出せば無数の優しさに包まれて生きてきたのではないだろうか。

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優しさとは損・得を度外視した友情です。

人が苦しんでいれば、苦しんでいるほど、その人に愛情を持つ。

「立ち上がらせてあげよう」という勇気の心を与える。

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人の不幸を不幸として見つめつつ、苦しみをわかろうとする。

分かちあおうとする。そのなかで、自分も成長していく。相手も強くなっていく。

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優しさとは、よい意味での励ましの道場です。


大切なことは、相手に同情する、あわれむ、ということではなくて

「わかってあげる」ということです。「理解」することです

人間は、自分のことを「わかってくれている人がいる

それだけで生きる力がわいてくるんです

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優しさといっても、目には見えない。

見えないからこそ、何らかの形にしないと、相手には伝わらない。

ただ、なかなか、その勇気が出ないというか「もしも声をかけて、よそよそしくされたら、どうしよう」と。


なかには、こういう声もあります。

「電車で、老人が乗ってきました。席を譲ろうと思うのですが「どうぞお座り下さい」となかなか切り出せません。「席を譲っても老人扱いされたと思い、いやがられるのでは」とか「周りの人は私のことを、いい子ぶった優等生と思うのでは」などと考え、ためらってしまうのです」と。

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たしかに、相手の反応はわからない。自分の気持ちを素直に受け止めてもらえないこともあるでしょう。

それどころか、ばかにしたみたいに笑われることもあるかもしれない。

それでも、相手を責めてもしかたがない。恐れても、しかたがない

大切なのは、自分がどうしたいかです。

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自分の優しさに忠実に行動する勇気が大事なんです。

そして、相手の態度がどうであろうと、思い切って行動したら、その分、自分が開けるんです。

自分の中の「強さ」=「優しさ」が、ぐんと育つんです。

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ただ「良い人、性格が優しい」=「優しさ」ではない。

いざという時に力がないのは「弱い」ことにすぎない。

「弱い善人」は、結局、悪に負けてしまう。

これは純粋に腕力の話ではなく、心の強さだ。

「善いことをしないのは」「悪いことをする」のと、その結果において同じで

道路の中央に、大きな石を置くのは悪であり、後から来る人が迷惑をする。

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それを承知しながら「私が置いたんではないから」と取り除かないで通り過ぎれば「善いことをしない」だけであるが、後の人が迷惑をする結果は同じだ。