4、何事もノリとタイミング
こんばんは、マヨラ13です。
昨日は、ちょっと疲れていたのか凹み気味でしたが無事復帰しました。
気持ちが負けてトッシーになるのは、まっぴらごめんですからねw
気が緩んだ時には、まだまだ自分自身を鍛えないと、改めて思い知った。
そろそろ本題に入ると
実は、人間は、たいていの人が、心の中に「優しさ」をもっている。
生まれた時から冷たい心しかなかったという人はいないでしょう。
しかし、大きくなるにつれて、自分が傷つくのを恐れたりして、優しさを胸の中に埋めたままにしていると、やがて本当に冷たい人間になってしまうんです。
そして「自分中心」だと、周囲が全部、敵に見えてしまう。
そこで、ますます自分を鎧で包む。
権威の鎧とか、名声や地位の鎧とか、冷たさの鎧とか「いばり」の鎧とか。
それでは「人間性」ではなく「動物性」になってしまう。
古代インドのシャカはいつも「自分から声をかける人」だったという。
相手が声をかけてくるのを傲慢に待っているのではない。
「声をかけて冷ややかな反応だったらどうしよう」などとも思わない。
軽やかに、温かく「声をかける」人だったらしい。
優しさにも、勇気が必要だ。
「臆病は残酷の母」であり「勇気は優しさの母」です。
オーストリアの小説家でシュテファン・ツヴァイクという有名な作家がいます。
彼が高校生の時の話しです。
一人の秀才の同級生がいた。
人気者だったが、ある時、大会社の社長である彼の父親が、ある事件で検挙されてしまった。
新聞は、彼の家庭の写真入りで、非難・中傷する報道をした。
彼は学校にも来られず、二週間も休んだ。
三週間目に登校してきた彼は自分の席に座ったが、教科書に目を落としたまま顔を上げなかった。
皆の視線を避けていたのです。
ツヴァイクたちは、彼を傷つけまいと、遠くから見ているだけだった。
彼が優しい言葉を求めているのはわかっていた。
しかし、迷っているうちに、次のベルが鳴った。
そして次の時間になると、彼はもう学校から出て、以来、二度と彼の姿を見る事はなかった。
あの時、一声かけていたら、その後悔は一生、彼の心をさいなんだのでしょう。
また、日本人は「あの人が悪い」という話しがあると、確かめもしないで、うわさをする。
本当かどうかを、自分で確かめ、納得していく誠実さがある。
優しくするといっても、具体的に何をすべきか、もちろんケース・バイ・ケースではある。
ただ、根底に、相手の幸せを思う気持ちがあればいい。
そのうえで、「小さな優しさ」「中くらいの優しさ」「大きな優しさ」がある。
ただ、「大きな優しさ」の場合は、かえって相手に誤解されることもある。
親が子どものために、あえて厳しく「しつけ」をする心なども、そうかもしれない。
皆さんも「大きな優しさ」の場合には、優しくした相手から、反対に憎まれたりするかもしれない。
しかし、それでも相手のためを思って、尽くしていくのが本当の優しさではないだろうか。
そして、その時はわからなくても、大誠実を尽くしておけば、きちんと信用が残るものです。
いつか「あの人は、自分の事をこんなにも思ってくれたのか」とわかるもんです。
「どのくらいの優しさをもてるかが、その人の大きさをはかる尺度だ」ということです。
表面だけの優しさではなくて、大きな感動を与えるような生き方をしていきたいと思います。






