1、外見だけで人を判断したらダメ
こんばんは、マヨラ13です。
ある人がイギリスで聞いた話で
「爆弾が落ちた時、イギリス人は負傷者がいないかと、そこに行く、日本人はそこから逃げて行く」と。
また「日本人は、うわさで判断する。外国の紳士は、必ず自分で見て確かめる」と言った人もいる。
日本人は、自分がない。と言うか、自分の目で見、自分の頭で考え、自分の信念で行動しない。
いつも、他人がどうかを考え、格好とか、相手との上下関係を気にして生きている。
かつて日本に赴任した、ある外交官のお話ですが、自分の肩書を言うと日本人の態度が一変するのが、とてもいやだったそうです。
「本当に心の通う交流がしたい」と思い、週末になると、わざと普通の格好をして、釣りに行ったり、小料理屋に行ったりしました。
もちろん、相手には絶対に自分の肩書を明かしません。
ある時、レストランで食事をして、一緒になった日本人といろいろ話をしました。
食べ終わって「ぜひ名刺を」と言ってきかないので、しかたなく渡したそうです。
すると、その日本人は、土下座をするようにして謝ったというんです。
その外交官の方は、びっくりするとともに「ああ、日本には本当の意味の「教育」がないな」と悲しくなったそうです。
もちろん語学は大切だが、語学はあくまで手段です。
問題は、その語学で「何をするか」です。
日本人は、ボランティア精神が薄いと言われている。しかし、それだけではいけない。
第一に、国際的に信用されない。第二に、自分自身が小さく固まってしまい、生き生きとしない。
「人のために」「社会のために」これは人間にとっての基本です。
今の日本の教育はそれを教えていない。
12、鍋は人生の縮図である
こんばんは、マヨラ13です。
毎日、暑い日が続きますね、体調管理をして夏の暑さを乗り切りましょう。
「会社に入ったら人間関係は大丈夫だろうか、今から不安です」と心配している人もいます。
たしかに会社という社会の中では、同僚、上下関係で、賢く、仲良くしていかないといけない。
自己中心だと嫌われ、排除され、会社・社会の敗北者となってしまう。
「賢く生きる」ことが仕事に生きる上で、大事な要件です。
汚いところもあるし、厳しいところもある。
それを安易に考えて、自分が社会の落後者になってはならない。
そうなってから、どんなに弁解しても、負けは負けです。
うまく泳ぎきっていかなければならない。溺れてはならない。
人間には三種類の人間がいる。
「いてもらいたい人」
「いてもいなくても、どちらでもよい人」
「いては困る人」
みなさんは「いてもらいたい人」になってほしい。
職業で好かれる人に、頼られる人になることです。
11、いつも心に一本のドライバー
こんばんは、マヨラ13です。
「できることなら、働きたくない」「きつい仕事、汚い仕事はいやだ。なるべく楽な仕事がいい」
「すぐには働きたくないから大学へ行く」「仕事はいやだが、お金のためにしかたがない。そのお金でレジャーとか楽しみを得るために仕事をする」という考えの人もいる。
全ての考えを否定するつもりはない。
しかし、こんな言葉がある。
ロシアの作家、ゴーリキの戯曲「どん底」です。
「働くことが楽しみなら、暮らしはきっと素晴らしくなる!
働くことが義務になったら、一生奴隷暮らしだよ!」と。
一日の大半の時間を使う仕事をどうとらえるかで、人生は180度違うものになってしまう。
アメリカの大学の哲学科、故ノートン教授が語っていた。
多くの学生は、仕事は「お金のため」だけだと思っている。
幸福とはお金で願望を満たすことだと思っている。
しかし、欲望には限りがなく、どこまでいっても心は満たされない。
本当の幸せは仕事の中にある。仕事を通して、自分をつくり、自分を満たし、自分のなかにある自分だけの価値を引き出し、その価値を社会にも分かち与える。仕事は「価値創造の喜びのためにある」のだと。
「はたらく」とは「は・た(周囲)を楽にすること」と言った人がいる。
何かで人の役に立つ喜びです。自分を必要としてくれる場があることは人生の幸福です。
たとえば、何も働かなくていい身分であっても、毎日ただ遊んでいるだけでは、人生は退屈で、空虚ではないだろうか。
仕事は、基本的に利害の契約だからです。
しかし、給料だけに左右され、働かなくなることは愚かなことです。
まして皆さんは若い。「自分は給料以上に働くぞ」というくらいでいいかもしれない。それが自分の修行になる。
働いて給料を得る。正しい道で得たものは、金額に関係なく尊い。
給料がいいに越したことはないだろうが、同じ一万円でも、汗水流して得たものは、黄金の宝です。
盗んだり、悪いことをして得たものは、糞か瓦礫のようなものだ。
犯罪とか横領で得たお金は不浄です。
また「悪銭身につかず」で、結局、幸福はない。
有力官僚になっても、汚職で一生涯、罪人として苦しむ人もいる。
心ひとつで、どうにでも変わる。
結局のところ、いい人生、いい生活、いい家庭のために、懸命に働き、いい社会人として、その職場で悠々と賢く努力をして、その場で勝利していくことが、いちばん幸せであり、人生の勝利者です。
10、起きて働く果報者
こんばんは、マヨラ13です。
今、社会で活躍している先輩も、初めは、その道を目指してはいなかった人も少なくない。
大事な事は、その場で自分を磨くこと、主体性です。
一度自分の決めた就職の場をたやすく変更したり、いつも不安がったり、不満をもって生きるような自分であってはならないと思う。
だからといって、その職場が「自分に合っている」「合っていない」を判断し、次の職業を決断することにも、決して反対はしない。
問題なのは、主体性がなくなって流されてしまうことです。
社会に出れば戦いであり、勝負である。
その時、そこで、生きていく宿命がある。
一本の木も、一日二日で大木にならない。
いかなる成功者も、一年や二年で大成したわけではない。一事が万事です。
「一芸に秀でよ」と言われる。その場で、信頼される人になることです。その場で光るんです。
初めは「嫌い」であっても、本当にその道に真剣になると、大好きになる場合もある。
「好きこそ、ものの上手なれ」で、好きになれば天分も伸びる。
そして、自分が「ここ」と決めた場合は、へこたれず、その道で後悔しない自分自身になっていくことが大切です。
そして、とにかく「有名な会社」に入りたいという人もいますが、それは自由です。
大いに努力してほしいと思う。
ただ、今、日本も不景気で、先行きは厳しい。
そのうえ借金大国になってしまった。終身雇用制も崩れつつある。
これまでの「有名」や個人の学歴などは通用しなくなってきている。
大きな会社でも、いつ、つぶれるか分からない時代だ。
有名というだけでは自分は守れない。そういう時代、社会なんです。
では、何が大事か。
「実力」です。旺盛な知識欲、専門的能力、精神的な強さ、柔軟さといった、ありとあらゆる「力」を磨き抜くことです。
大学を出た人も、それだけでは十分ではない。
一生、勉強です。「どんな理想的な大学であっても、生涯に必要とする一割も大学で学べるものではない」と言った人もいます。
また大学へ行かなかった人も、あらためて大学へ行く人もいるだろうし、通信教育もある。
「実力社会」をみんな勝ちぬいていかなければならない。
9、江戸一番のジャスタウェイ職人になるって決めたんだ!
こんばんは、マヨラ13です。
「自分には才能がない」という人もいますが、そんなことはない。
問題は、そう決めつける自分の弱さで
「だれでも何かの天才である」という言葉がある。
音楽や文学やスポーツの天才だけが天才ではない。
人と話す天才、友だちをつくる天才、人を和やかにする天才、看護の天才、ジョークの天才
物を売る天才、節約の天才、時間を守る天才、忍耐の天才、地道の天才、優しさの天才
チャレンジの天才、楽観主義の天才、平和の天才、人を勇気づける天才などなど
桜梅桃李です。桜は桜、梅は梅です。自分らしく咲けばいいんです。
自分の宝石、自分の天分が必ずある、それがわかるためには、どうすればいいか。
限界まで努力するしかない。
勉強でもスポーツでも何でも、限界まで全力疾走して初めて、自分の力が引き出される。
いちばん大切なことは、そうやって「限界まで努力する」習慣を身につけることです。
ある意味で、結果はたいした問題ではない。
高校時代の成績等は、それ自体が人生を決めるんではない。
ただ、「限界まで努力する」習慣が身についた人は、その後、何をやっても、その習慣を発揮して、必ず頭角を現すもんです。自分の天分も光らせることができる。
「人間は自分の夢以上にはなれない」とも言われる。
夢は大きくていい。そのうえで、夢は夢、現実は現実です。
大きな夢を実現するためには、現実を冷静に見つめた上で「死に物狂いの努力」が必要なのは当然です。
亡くなった恩師は「青年は、何かで第一人者になろうというだけの執念をもつことだ」と言われた。
また、大手の会社や官庁がよくて、小さい工場がよくない、つまらない、というような考え方だけで就職しても、現実はそうではない場合が多い。
就職してみなければわからないことが多い。人間が千差万別であるように、会社も千差万別です。
だから、自分が強く、賢く、どこへ行っても、そこで「すべてをマスターしていこう」「生活の力を勝ち取っていこう」
「名より実を取っていこう」「自分を掘り下げていこう」という意識が大切です。
そして、その場で「かけがえのない人」になっていくことです。
十九世紀、フランスの大統領が、ある大富豪の晩餐会に招待された。
行ってみると、大統領の席順は、なんと十六番目だった。
第一番の席は鉄道技師、二番目は文学者、三番目は化学の教授。
来賓の一人が理由を聞くと、主人は答えた。
「この席順は、実質的に偉い人の席順です。本当に偉い人とは、その人でなくてはならない、代理の出来ない人のことです」
つまり、一番目の技師は、世界一の技術をもった人だった。
しかし、大統領は、ほかの人にもできる、というのです。(例話大全集、玉川大学出版部)
こういう話しが伝えられていること自体、成熟した「大人の社会」を感じる。
「虚名」ではなく、社会を「実質」において支える、そういう人になってもらいたい。
また、そういう人を大切にする社会をつくってもらいたい。
人間は一生涯、生活をしていかなければならない。
生活をしていくために職業がある、これが社会であり、現実です。
どのような職業を選ぶかは本人の権利であり、自由です。
だからといって、たくさんの職業のなかには、それなりの学歴・力がなければ就職できない職業も多い。
家庭の事情や、自分の意志で、高校を卒業して就職する人もいるだろうし、大学を出てから就職する人もいるだろう。
家の手伝いをする人もいるだろうし、官僚の道を目指したり、技術を習得しようとする人もいる。
さまざまであるし、一切、自由です。
石川啄木にこんな歌がある。
「こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ」(一握の砂)
いわゆる「天職」です。
しかし、初めからそういう天職に恵まれる人は非常に少ない。
両親をはじめ、周囲の意見と、自分の希望が違う場合もあるでしょう。では、どうすべきか。
少しむずかしいかもしれないが、価値とは「美・利・善」です。
簡単に言えば「美の価値」というのは、好きだということ。
「利の価値」とは、得ということ。収入になって生活ができるということです。
「善の価値」とは、人の役に立つ、社会に貢献できるということです。
繰り返すようだが、初めからそういう天職につける人は少ない。
「好きだが、食べていけない」とか「得だが好きではない」とか。
それが現実でしょう。
また、自分が好きで、求め、夢を描いていた職業が「自分に向いている職業」ではなかったということもある。
恩師は、まず自分がいる場で「なくてはならない人」になれと言っていた。
自分の希望と違っても、それを嘆いているんではなく、その場で第一人者になれ、と。
そうすれば、次の道が開ける。そして次もまた頑張る。
これを繰り返していけば、最後に必ず「好きで、得で、善の仕事」につけるんだと。
そして、その時、振り返ってみれば、それまで自分がやってきた努力が、全部、その天職のなかに生かされていることがわかるだろう。何ひとつムダはなかった事がわかるんだと。
























