9、江戸一番のジャスタウェイ職人になるって決めたんだ!
こんばんは、マヨラ13です。
「自分には才能がない」という人もいますが、そんなことはない。
問題は、そう決めつける自分の弱さで
「だれでも何かの天才である」という言葉がある。
音楽や文学やスポーツの天才だけが天才ではない。
人と話す天才、友だちをつくる天才、人を和やかにする天才、看護の天才、ジョークの天才
物を売る天才、節約の天才、時間を守る天才、忍耐の天才、地道の天才、優しさの天才
チャレンジの天才、楽観主義の天才、平和の天才、人を勇気づける天才などなど
桜梅桃李です。桜は桜、梅は梅です。自分らしく咲けばいいんです。
自分の宝石、自分の天分が必ずある、それがわかるためには、どうすればいいか。
限界まで努力するしかない。
勉強でもスポーツでも何でも、限界まで全力疾走して初めて、自分の力が引き出される。
いちばん大切なことは、そうやって「限界まで努力する」習慣を身につけることです。
ある意味で、結果はたいした問題ではない。
高校時代の成績等は、それ自体が人生を決めるんではない。
ただ、「限界まで努力する」習慣が身についた人は、その後、何をやっても、その習慣を発揮して、必ず頭角を現すもんです。自分の天分も光らせることができる。
「人間は自分の夢以上にはなれない」とも言われる。
夢は大きくていい。そのうえで、夢は夢、現実は現実です。
大きな夢を実現するためには、現実を冷静に見つめた上で「死に物狂いの努力」が必要なのは当然です。
亡くなった恩師は「青年は、何かで第一人者になろうというだけの執念をもつことだ」と言われた。
また、大手の会社や官庁がよくて、小さい工場がよくない、つまらない、というような考え方だけで就職しても、現実はそうではない場合が多い。
就職してみなければわからないことが多い。人間が千差万別であるように、会社も千差万別です。
だから、自分が強く、賢く、どこへ行っても、そこで「すべてをマスターしていこう」「生活の力を勝ち取っていこう」
「名より実を取っていこう」「自分を掘り下げていこう」という意識が大切です。
そして、その場で「かけがえのない人」になっていくことです。
十九世紀、フランスの大統領が、ある大富豪の晩餐会に招待された。
行ってみると、大統領の席順は、なんと十六番目だった。
第一番の席は鉄道技師、二番目は文学者、三番目は化学の教授。
来賓の一人が理由を聞くと、主人は答えた。
「この席順は、実質的に偉い人の席順です。本当に偉い人とは、その人でなくてはならない、代理の出来ない人のことです」
つまり、一番目の技師は、世界一の技術をもった人だった。
しかし、大統領は、ほかの人にもできる、というのです。(例話大全集、玉川大学出版部)
こういう話しが伝えられていること自体、成熟した「大人の社会」を感じる。
「虚名」ではなく、社会を「実質」において支える、そういう人になってもらいたい。
また、そういう人を大切にする社会をつくってもらいたい。
人間は一生涯、生活をしていかなければならない。
生活をしていくために職業がある、これが社会であり、現実です。
どのような職業を選ぶかは本人の権利であり、自由です。
だからといって、たくさんの職業のなかには、それなりの学歴・力がなければ就職できない職業も多い。
家庭の事情や、自分の意志で、高校を卒業して就職する人もいるだろうし、大学を出てから就職する人もいるだろう。
家の手伝いをする人もいるだろうし、官僚の道を目指したり、技術を習得しようとする人もいる。
さまざまであるし、一切、自由です。
石川啄木にこんな歌がある。
「こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ」(一握の砂)
いわゆる「天職」です。
しかし、初めからそういう天職に恵まれる人は非常に少ない。
両親をはじめ、周囲の意見と、自分の希望が違う場合もあるでしょう。では、どうすべきか。
少しむずかしいかもしれないが、価値とは「美・利・善」です。
簡単に言えば「美の価値」というのは、好きだということ。
「利の価値」とは、得ということ。収入になって生活ができるということです。
「善の価値」とは、人の役に立つ、社会に貢献できるということです。
繰り返すようだが、初めからそういう天職につける人は少ない。
「好きだが、食べていけない」とか「得だが好きではない」とか。
それが現実でしょう。
また、自分が好きで、求め、夢を描いていた職業が「自分に向いている職業」ではなかったということもある。
恩師は、まず自分がいる場で「なくてはならない人」になれと言っていた。
自分の希望と違っても、それを嘆いているんではなく、その場で第一人者になれ、と。
そうすれば、次の道が開ける。そして次もまた頑張る。
これを繰り返していけば、最後に必ず「好きで、得で、善の仕事」につけるんだと。
そして、その時、振り返ってみれば、それまで自分がやってきた努力が、全部、その天職のなかに生かされていることがわかるだろう。何ひとつムダはなかった事がわかるんだと。










