6、捜しものをする時はそいつの目線になって捜せ
こんばんは、マヨラ13です。
これからの時期、自分を大切にし毅然とした振る舞いを心がけてもらいたいものです。
アメリカのローザ・パークスさんは、人種差別と戦った志士ですが「優しく、そして強い人」です。
差別が横行していたころも、彼女は「黒人用」と書かれたエレベーターには乗らなかった。
差別と妥協せず、あえて階段を使った。
そして黒人の席を白人の席から「隔離」したバスには乗らず、遠い道も苦労して歩いた。
暑い日に、のどがカラカラに渇いても「黒人用」という札のついた水飲み場では水を飲まなかった。
「私は、二流市民として扱われることに妥協したことがありません。ほかの人に敬意を払ってほしかったら、まず、自分自身を大切にすることです」 by:ローザ・パークス
毅然として生きる事です。その人格が人権の根本です。
目先の利害にとらわれない社会にしなくてはならない。
それには、まず自分が自分を大切にし、誇りをもって毅然と生きることです。
その人が、他の人も大切にできるんです。
大河も最初の一滴から始まり、大海へと注ぐ。
身近なことで言うと、人の良いところを認め合う。人の個性を認め合う。
違いがあっても「同じ人間なんだ」という、しっかりした人間観をもつことです。
ある大脳生理学者によると
何かの「違い」を見つけるのは脳の浅いところの働きであり
「同じ」面を見つけるのは、脳の深いところで行われる高度な情報処理なのだという。
つまり、だれに対しても「同じ人間として」付き合える人こそ「優秀な人」であり、本当の教養がある人です。
自分の人間性が豊かな分だけ、他人の中にも、人間性を発見できる。
人をいじめたり、いばったりする人間は、その分、自分の人間性を壊しているんです。
こんな詩があります。
夜には千の目がある
昼には一つの目しかない
けれど明るい世界は消えるのだ
太陽が沈むときに
知性には千の目がある
心には一つの目しかない
けれど人生の光は消えるのだ
愛が消えるときに
(F・W・ブーディロン)
世界を照らす「太陽」は「人権」人間愛です。
思いやりであり、優しさです。
その太陽の光によって、社会に世界にそれぞれの違う花が咲き誇っていくんです。
人権という太陽をこの二十一世紀に昇らせるのが、今生きている人々の使命です。
5、少年はカブト虫を通し生命の尊さを知る
こんばんは、マヨラ13です。
本当は学校で「人間として」という根本を教えなければならない。
まず、教育で人権を大いに高めなければならないでしょう。
教育でも人権を教え、哲学でも人権を教え、政治では人権を尊重していく。
その他、万般にわたって、人間を「手段」ではなく「目的」として見られる社会を作らなければ、永久に差別社会
不幸な社会、不平等な社会、弱肉強食の動物的な社会は、なくならない。
流転を繰り返すだけです。
水俣病は、戦後最悪の公害病の一つです。
人々は、あおむけのまま、両手両足を天につきだすようにして悶え死んだ。
また、口もきけなくなり、意識も戻らなかった。
多くの人が、胎児の時に水銀に侵されて生まれてきた。
その原因となったチッソ本社(東京)に、水俣病の患者さんたちが行った。
熊本から不自由な体で、無理をして。
「人間としてどうおもうな。あんたも人間。わたしも人間。あんたは東大を出たかもわからんばってん、切ればおんなじ血の出るばい。」
東大閥とも言われ、エリートが集まる同社の社員は答えた。
「はぁ、それはわかります、しかしこれは単なる交渉事でございますから」
それどころか「あんまり皆さんがそう言われると、わが社は倒産しますから、これは重大な社会問題ですよ」と
(石牟礼道子「石の想い」、「陽のかなしみ」)
「人間としてどうおもうな」
この言葉が受け止められない。
生きた生身の人間の苦しみ、痛みが、少しも感じられない。
それが、日本の「一流コース」と呼ばれる教育の結果なのだとしたら…
本当に病は重い。
教育の問題は大きい、何でも管理、管理で自分の意思を言いにくい。
また「成績差別」が根本にあって、テストの点数が悪いというだけで、まるですべての面で劣っているかのように扱われます。
「できない生徒」には人権がないとでも言わんばかりの教師もいるようです。
しかし、実際には、点数は「人間として」のごく一部にすぎないわけです。
しかし勉学は「人間として」自分を豊かにしていくためにある。
また、より多くの人に貢献していくためにある。
成績は、そのための一つの目標にすぎない。
それが勉強に励んだ結果、人間性をなくしてしまうなら、本末転倒です。
第一、その人が、どういう人なのか、試験の数字だけでわかるわけがない。
「星の王子さま」(フランスの小説家サン=テグジュペリ)と言えば、「二十世紀の古典」と呼ばれる傑作です。
こんな一節があった。
新しくできた友だちの話しをするとき、おとなの人は、肝心かなめのことは聞きません。
「どんな声の人?」とか「どんな遊びが好き?」とか「チョウの採集をする人?」とかいうようなことは、聞かずに
「その人、いくつ?」とか「兄弟は、何人いますか?」とか「目方はどれぐらい?」とか「お父さんは、どのくらいお金をとっていますか?」とか
言うような事を聞くのです。そしてやっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。
人間を「数字」で見る大人の愚かさです。
そこでは「肝心かなめ」の「人間」が、すっぽり見えなくなってしまう。
そもそも、子どもの心は、本来、人を差別したりしない。
親が偏見を植えつけなければ、黒人も白人もアジアの子どもも、一緒に楽しく遊ぶもんです。
また、家がお金もちだとか、お父さんがどんな地位だとか、子どもの世界には何の関係もない。
子どもは本来、「人間は皆、平等だ」ということを知っているんです。
教育は本来、そういう人間らしい心を、もっともっと強め、広げるためにあるはずだ。
4、運に身分は関係無い
こんばんは、マヨラ13です。
いじめについて、こういう声がありました。
「こいつはオレより弱そうだとか思って、弱い者をいじめるやつがいる。そのかわり自分より強いと思われるやつの前ではペコペコしている。そういうやつは、本当に人間として許せないと思う。」
「自分自身いじめを受けました。友だちといえる人がいたので、その人のおかげで助かりました。あと、いじめてくる人に反抗することです。勇気をもって反抗すれば、だんだん少なくなっていきます。あと、私一人が苦しいんだと思わないことです。絶対に負けない!あいつらのために一生を棒にふってたまるか!という気持ちで頑張ってきました。」
「私もいじめにあったことがあるんですが、私には何でも話せる友だちがいて、一緒に戦ってくれる両親がいました。そして何よりも信念がありました。今はそんなことありませんが、自分がこういう立場だったことを、これからも絶対忘れず、今度はそんな人たちに対して優しい手を差し伸べてあげられるような心の広い、そして強く、優しい女性になれるよう、心がけています。」
「僕は逆にいじめていたほうでした。しかし、その罪の重さを感じて、その友人に謝り、今ではとても仲良くしています。」
いかなる理由があろうと、いじめは絶対にいけない!
自分の苦しさを、他の人にぶつけているのかもしれない。
しかし、どんな理由があろうとも、いじめや差別を正当化することは絶対にできない。
いじめは「人道上の犯罪である」ことを、皆の共通認識にすべきでしょう。
悪い人間に対しては厳しさも必要です。これも人権闘争です。
善い人間を守る。これも立派な人権闘争です。
「いじめを止めようとすると、今度は自分がいじめられる。それで、何もできない自分がいやになる」という人もいます。
自分が言えない場合、校長先生や、担任の先生や、上級生、両親に言うなど、知恵をもって対処してはどうだろうか。
今、行動できなかったり、言えなくても、よくないことを「よくない」と認識する心を忘れなければいい。
いつか自分が強くなってから変革すればよいと思う。
すぐ行動しても、けんかになっては負けては、しようがない。
人権に対する土壌がないところで、いちいち人権侵害を訴えても、なかなか、まともに解決しない。
この二十一世紀は、理想的な人権の国になるように、一人一人が「意識」していくべきだと思う。
どうして、人間は人間を差別するのでしょうか。ラオス出身の女の子が語っていたそうです。
ある子に「スターでも何でもないのに、テレビなんかに出てバカじゃないの」
と言われました。私は何の事かよくわからずに「どうしてそんなこと言うの?」と聞くと
「あんたは、日本に住ませてもらっているんだから、あまり目立つな」
(幼い難民に未来を24号、幼い難民を考える会編。喜多明人)
外国人を「同じ人間」として見られない。それは心が貧しいからです。
自分が「人間として」どう生きるかという哲学をもっていないからです。
哲学を学ばず、目先しか見ていない。欲望のままに貪る「餓鬼」の心
強い者にはへつらい、弱い者はいじめる「畜生」の心
その悪根性で出来あがった社会であるから、人を差別する心、人権を無視する社会ができてしまった。
大事なのは「人間として」生きることです。それなのに多くの日本人は
「人間として」生きる前に
「日本人として」発想してしまう。
心の狭い島国根性です。
少しでも「異質」だと思うと排除したり攻撃する。
たとえば、在日朝鮮・韓国人の方々が大勢おられるが、その二世、三世の方が韓国・朝鮮語を学び、祖国の文化や歴史を学ぶためには、朝鮮学校や韓国学校に通うしかない。
しかし、一般の高校と違い、「各種学校」扱いであるため、長い間、インターハイも参加出来なかった。
通学のための学生定期も、もらえなかった。
現在でもなお、一部の私立・公立高校を除いて、大学を受験する資格が得られないんです。
憲法に「基本的人権の尊重」がうたわれていても、人権侵害が厳然と制度として存在している。
3、こいつが届く範囲は俺の国だ
こんばんは、マヨラ13です。
今の季節は夏ですが「冬来たりなば、春遠からじ」とイギリスの詩人シェリーは歌った、どんなに苦しく寒い冬が続いても、冬は必ず春となるんです。
これが宇宙の法則であり、生命の法則です。
だから人間も、どんなにつらい冬が続いても、希望を捨ててはいけない。
希望をなくさない限り、必ず春が来る。春とは開花の季節です。
何度も言うように桜には桜の美しさがある。
梅には梅の香りがある。
桃には桃の彩りがある。
すももにはすももの味わいがある。
人それぞれに使命があり、個性があり、生き方がある。
それを認め、尊重することです。
それが自然です、現に、花たちの世界はそうなっている。
ところが人間の世界は、違いを尊重できないで「差別」をしたり、「いじめ」をしたりする。
人権の破壊です。ここに根本的な不幸が生まれる。
だれもが、人間として、人間らしく開花し、人間として使命をまっとうしていく権利がある。
自分にもある、人にもある、それが人権です。
人権を尊重しないだけでなく人権を侵害するのは、すべて秩序を破壊しているようなもんです。
人権を大切にし、人を尊重できる、そういう「自分自身の確立」が必要です。
「差別」や「いじめ」は身近なところにもあります。
また、戦争とか弾圧とか、極端な形をとることもあります。
形は違っても、根っこは同じと考えていい。
「いじめは小さな戦争だ」と言った人もいる。
第二次大戦中の私の恩師の見た話しです。
ある兵士が女性と連れだって、やってきた。
たまたま、そこには上官がいた。兵士が上官とすれ違ったとき、上官は
「貴様は、ちゃんと敬礼しなかった」と言って
兵士をめちゃくちゃに殴ったり、蹴ったりした。
本当は、きちんと敬礼したんだが、上官には、女性連れの兵士に「焼きもち」があった。
そこで彼女の前で、さんざん殴った。
大勢の人も見ているなかです。兵士は反抗するわけにもいかない。
あの時の、泣いていた彼女の顔が忘れられない。
それを見て、本当に日本人はいやだなと思ったと言っていました。
軍隊は横暴だ、間違っていると、こういう「狭い心」「いばる心」「嫉妬」「自己本位」
それら低次元の感情が人権を壊すんです。
その延長に「戦争」や「犯罪」もある。
犯罪といえば、ヨーロッパでは「差別は犯罪である」と、はっきり認識している国が多いと言われている。
その点、日本は、まだまだ人権後進国だと思います。
多くの人が、そう指摘しています。
そういう「社会のゆがみ」が陰惨な「いじめ」にも影を落としている。
2、外国人から見たらこっちも外国人 宇宙人から見たらこっちも宇宙人
哲学と言うとむずかしいが、「これだけは譲れない」という信念のことです。
哲学というものは、西洋の哲学でいうデカルトやカントなどのように、めんどうなものではない。
哲学するということは、考えることだ。
一番やさしい哲学は、水戸光圀の漫遊記がある(水戸黄門)
そのなかに、田舎でおばあさんに水をくれと言って、米俵に腰をかけたら、おばあさんが、これは水戸様に出す米だといって怒られた。光圀は頭を下げて謝った。
聞けばこっけいな話だが、おばあさんには、自分の作った米を領主様に差し上げること
このことが哲学である。
「誰がなんと言おうと、これだけはどうしようもない」これが哲学だ。
要するに、日本人だから、外国人だからということではなくて、同じ人間として、ともに苦しみ、悲しみ、喜び、連帯していける人こそ、本当の「国際人」ではないだろうか。
国際人というと英語がペラペラで、外交的で、スマートでといったイメージもあるが、考えてみてほしい、語学がどんなに出来ても、それを使って他の国の人を苦しめていたのではしかたがありませんね。
国際人として大切なことは「約束したことは守る」ということです。
「日本人は、その国で約束しても、日本に帰って、飛行機から降りると、もう約束を忘れている」と言われる。
それでは信用が得られるはずがない。
海外の人は、日本人が思っているよりも、ずっと深く「友情」を大切にしている。
「友情」が一つのバックボーンになっている。
友情を裏切らない人、友情を結んでいける人、それが国際人の要件です。
みなさんの中には、「自分は英語も苦手だし、国際人なんて関係ない」と思っている人もいるかもしれない。
しかし現実は、望もうが望むまいが、みなさんが生きる時代は急速に「世界一体化」になっていきます。
インターネットをはじめ「情報の国際交流」もすごいスピードです。
だからこそ平和の方向へ向けていくための「心の国際交流」が絶対に必要なんです。
平和・文化・教育の運動は一番世界に必要なことです。
小さい島国の中で、島国根性に気付かず、的外れの批判ばかりしている日本の社会は、それだけで「国際化から遅れている」ということだと思います。




























