マヨラサーティーン 土方の始末書 -3ページ目

其の悟、想像力は中2で培われる

こんばんは、マヨラ13です。

最近の読書についての記事で「マンガは読まないほうがいいのでしょうか?」という声があるんですが

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もちろん「いつもマンガばかり」では困るww


大事なことは「自分をつくる」ことです。

そのマンガを読んで、自分の生き方が変わった、目からうろこが落ちた、感動で心が洗われた。

そういう場合もあるでしょう。

つまらない活字より、ずっと素晴らしい作品もある。

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私も、「銀魂」をはじめ「結界師」「バガボンド」「うしおととら」「電影少女」「ダイの大冒険」「封神演技」「るろうに剣心」最近では「アラタ カンガタリ」など数え上げればきりがないが数多くを見てきた。


完全燃焼できるような青春ドラマが特にいい。

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ただし、マンガやテレビは、あらかじめイメージが与えられる分だけ、それだけでは想像力は育たないという意見もある。

その点、活字文化の長所は「想像力」と「思考力」を鍛えるという点にあると思う。

テレビで見るのと、読むのとは根本的に違う。

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「読む」ということは、頭脳・生命の中に刻みこまれる。

自分をつくる大事な「糧」となり、滋養となる。


「見る」だけでは、感覚的なものです。見ることは簡単であり、見ていることで知っているつもりになってしまうが

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これは「皮膚」のような感覚で、自分の「肉」や「骨」にはなっていないんです。


今、日本の文化状況は「手軽なインスタント食品が氾濫している」かもしれない。

そういう風潮に流されて、本格的な読書に挑戦しなかったら、中身のない、底の浅い人間になってしまう。

そうなったら大失敗です。


どんなに読んでも、勉強しても「もうこれくらいでいい」とは言えない。

未来の大樹となるべき皆さんです。今のうちに、どれだけ「心の大地」を読書によって耕したか。

それで決まってしまう。十分に耕され、養分を豊かにもった大地であれば、大樹は、いくらでも伸びていける。

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皆さんは、だれでも、自分の中に無限の「可能性の大地」をもっている

その大地を耕す「鍬(くわ)」が読書です。

自分は、精いっぱい読書に挑戦しきった「もうこれ以上は読めない」「もうこれ以上は勉強できない」

そう言いきれる青春であってほしいんです。

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次回からは、また歴史にもどるか、屯所の近況か、新たに美術に関してを綴ろうか、どちらにしようかと考えています。


其の詩、起きて働く果報者

こんばんは、マヨラ13です。

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だいぶブログの間隔が開いてしまいました。

何とか、みなさんの夏休みが終わる前までには、ある程度進めたいと思っています。

読書について前回の続きです。

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読書というのは、ある意味で、山に登るようなものだ。

山には高い山もあれば、低い山もある。

高い山に登るのは大変です。そのかわり、登りきった時の感動は大きい。

視界も大きく開けてくる。はるか遠くまで見渡せる。

見おろしながら、ほかの山や丘の低さも、全部わかる。

大変な分だけ、偉大な栄養になるんです。

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それを知ったうえで、たしかに、いきなり高山に登山せよといっても無理な場合がある。

挫折したり、遭難したり、高山病になってしまうかもしれないwww

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そういう場合は、まず手近な山から登るのもいいでしょう。

自分の興味がある分野の本から始めてもいい。

読書に慣れて、ある程度「読む力」の足腰がしっかりしてきたら、もっと高い山に挑めばいいでしょう。

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高校時代に読めなければ、大学で挑戦してもいい、社会人になって挑戦してもいい。

一生涯、勉強です。

大事なのは「人類の遺産を全部、自分の財産にしてみせるぞ」という決心です。

「青春時代に数千冊の本を読破するぞ!」というくらいの人であってほしんです。

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今、学生の皆さんは、これからの時代の「使命の人」です。

世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、ほかの事がどんなに優秀でも尊敬されません。

金もうけの機械のように思われてしまう。

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読書が人間を「人間」にするんです。

たんなる技術屋であってはならない。

どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないんでは、立派な指導者になれるわけがない。

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人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいなければならない。

これは非常に重要なことなんです。

海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。

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そして大事な事は、「書を読め、書に読まれるな」ということです。

読んだら、自分の栄養にするということです。

食べ物だって、消化し、吸収しなかったら、自分の血となり、肉とならない。

消化するには、自分で思索することが必要です。

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亡くなった恩師も言っていたが

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「本の読み方にも、いろいろな読み方がある。第一に、筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、最も浅い読み方だ」

「第二に、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本のなかの人物、またその本が表そうとしている意味を、思索しながら読む読み方がある」

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「第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方がある。そこまで読まなければ、本当の読み方ではない」と。


まあ、どうであれ、よい本を自分のそばに置いておくことは大切です。

かつて「竹沢先生と云う人」(長与善郎)という本を先輩からすすめられた。

その本から、多くのことを学んだものです。私は、よい友と一緒に、よい本を選びあいました。

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本を「自分のもの」にするには感動した文章などをノートに写すのもいい、自分の精神史にもなる。

そこまでできない人は、たとえば本の後ろに感想を三行でも四行でもいいから書いてはどうだろうか。

「面白かった」のなら「何が」面白かったのか。

「つまらなかった」なら「なぜ」つまらなかったのか。

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また本を読みながら線を引いたり、ところどころに感想や反論を書き込みする読み方もある。

もちろん借りた本には、してはいけないがwww

ともかく「書く」ことが、思索するきっかけになる。


ナポレオンもそういった「読書ノート」をつけていたようだ。「天才は勉強なり」です。

彼は、大変な読書家だった。子どものころから「ブルターク英雄伝」に親しみ「自分も将来、この英雄たちのように生きたい」と奮起したという。

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皆さんも「伝記」から入るのも、入りやすいかもしれない。

彼は、後にエジプトへ行っても、スペインに行っても、あらゆる分野の書物を持参した。

馬車の中にすら書棚を作ったと言われる。

彼にとっては、読書こそ「前進のエネルギー」だったんです。

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作家の河上徹太郎氏が紹介していたが、ナポレオンを尊敬していたスタンダールも、こんなことを言っていたという。

「ある程度、燃料をたかないと機関車が動かないように、毎朝起きて数百ページの読書をしないと、自分の平常の頭にならない」と。

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彼らにとって、読書は頭脳と精神の「ガソリン」のようなものだった。

そこから力を得て、創造し、闘争し、前進していったんです。


健康な体には「食物」の栄養が必要なように、健康な心には「書物」の栄養が必要なんです。

食べ物も、甘いお菓子や、歯ごたえのない柔らかいものばかり食べていたんでは、病気になってしまう。

また「食わず嫌い」や、偏食を重ねてはいけない。

同じように、書物も栄養のある良書を避けてはいけない。

「悪書は堕落の使者であり、非行の手引きであり、不幸への落とし穴であり、魔力の毒手である」と言った思想家がいる。

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良書は、教師であり、先輩であり、父であり、母のごとく偉大な存在です。

良書は、そこに「智慧の泉」があり「命の泉」があり「星」があり、人の「善なる魂」がある。

夢を信じて

小学校のころ、ドラクエのアニメをやっていて、その時のエンディング曲が
徳永英明の「夢を信じて」だった。
中学、高校になってもこれを聴くと、頑張る気持ちが湧いてきた思い出の名曲です。

疲れている時にふと、聴くと透き通る声で心が洗われます。

其の参、売店ではやっぱコロッケパンが一番人気

「何から読んだらいいのか、わからない」

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そう迷っている間に、一ページでも読んだほうがいい。

迷っていても進まないけど、一ページでも読めば、その分、前進できる。


ただ、人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある

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人間というのは、必ず何かの縁によって生きているもんです。

よい人と付き合えばよい心に染まり、悪い人と付き合えば悪い心に染まる。

どんな善人でも悪い世界に入れば、二、三割は悪人になってしまうでしょう

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良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるんです。

古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。

二十一世紀でも色あせない。一生の財産です。

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イギリスの小説家バーナード・ショーに、こんなエピソードがある。

ある婦人が、一冊の書名を挙げたところ、ショーは、読んでいなかった。

婦人は得意気に

「ショーさん、この本は、もう五年間もベストセラーですよ。それなのに、ご存じないとは!」

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ショーは穏やかに答えた

「奥さま、ダンテの「神曲」五百年以上もの間、世界のベストセラーですよ。お読みになりましたか?」

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またエマーソンも「出版されて一年もしない本など読むな」と言っている。

要するに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう


人生の時間には限りがある、ゆえに良書から読むことです。

良書を読む時間をつくるには、悪書を読まないようにする以外にない。


悪書は、たとえば仏法の十界論の中の六道輪廻で言えば

地獄、餓鬼、畜生、修羅の命を湧き出させる内容で、卑しい悲劇をもたらす、毒薬・麻薬のようなもんです。


それに対し、良書は、自身の向上と、知性と創造の方向に命を導き、思想・人生を建設する健全さがあるんです。

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中には「ゲーテトルストイも何冊か読んだが、チンプンカンプンというか感動しない」という人もいるだろうが

それは正直でいいねww

でも、トルストイゲーテに感動しないというのは、トルストイゲーテが悪いんではないww


古典というのは、釣り鐘みたいなもんで、小さく打てば小さな音しか出ない。

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大きく打てば大きく応えてくれる。こちらの力次第なんです。

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どうしてもむずかしいと思うところは、二、三十ページくらい飛ばして読んでもいいと思う。

後で内容がよくわかってから、飛ばしたところに戻って、読み直して理解すればいいんです。

要するに、何かを「学ぼう」という気持ちがあれば、必ず「宝」を見つけだせるはずです

其の弐、文字でしか伝わらないものがある

読書は、習慣づけることが大切です。

読書が習慣になった人は、電車の中でも、寝る前でも、寸暇を惜しんで読むものです。

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パスカルいわく「人間は考える葦(あし)である」

その「考える」ためには読書が不可欠なんです。ゆえに読書は人間の証と言っていい。

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「本を読む時間がない」という人もいるでしょう。

ただ、机に向かって読むだけが読書ではない。

昔から、文章を練るのにいいのは「三上」と言って

「馬の上」「枕の上」「厠の上」という。

今で言えば

「電車で」「寝床で」「トイレで」

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本を読めるんではないかということになるでしょう。


誰でも、好きな人には「たとえ一目でも、五分でもいいから会いたい」と思うでしょうww

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それと同じだ。


朝昼晩とそれぞれ十分の時間を作れば、一日三十分の読書ができる。

むしろ忙しければ忙しいほど、苦労してつくった読書の時間は、集中して読むもんです。

そのほうが漫然と読んでいるよりも、ずっと深く頭脳に刻みこまれることが多い。

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「受験勉強で忙しい」という人もいるだろうが、読書の力は、すべての勉強の土台です。

長い目で見れば、必ず成績にも反映されるにちがいない。

その上で「今の時間は勉強と読書と、どちらを優先すべきなのか」ということは自分が賢明に価値判断すべきでしょう。

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亡くなった恩師も「若いうちに勉強しておけ。そうしないと年をとって、子どもにバカにされ、人にバカにされる。若い時代に読んだことは一生残るものだ」と、強く強く語っておられた。

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今、私も同じ気持ちです。

皆さんに読書の喜びを味わってもらいたい。

そのために「読まないではいられない」となるまで、習慣づけてもらいたい。

中途半端であっては、後悔するのは自分です。