其の詩、起きて働く果報者
こんばんは、マヨラ13です。
何とか、みなさんの夏休みが終わる前までには、ある程度進めたいと思っています。
読書について前回の続きです。
読書というのは、ある意味で、山に登るようなものだ。
山には高い山もあれば、低い山もある。
高い山に登るのは大変です。そのかわり、登りきった時の感動は大きい。
視界も大きく開けてくる。はるか遠くまで見渡せる。
見おろしながら、ほかの山や丘の低さも、全部わかる。
大変な分だけ、偉大な栄養になるんです。
それを知ったうえで、たしかに、いきなり高山に登山せよといっても無理な場合がある。
挫折したり、遭難したり、高山病になってしまうかもしれないwww
そういう場合は、まず手近な山から登るのもいいでしょう。
自分の興味がある分野の本から始めてもいい。
読書に慣れて、ある程度「読む力」の足腰がしっかりしてきたら、もっと高い山に挑めばいいでしょう。
高校時代に読めなければ、大学で挑戦してもいい、社会人になって挑戦してもいい。
一生涯、勉強です。
大事なのは「人類の遺産を全部、自分の財産にしてみせるぞ」という決心です。
「青春時代に数千冊の本を読破するぞ!」というくらいの人であってほしんです。
今、学生の皆さんは、これからの時代の「使命の人」です。
世界の舞台では、にじみ出てくる教養、人格がなければ、ほかの事がどんなに優秀でも尊敬されません。
金もうけの機械のように思われてしまう。
読書が人間を「人間」にするんです。
たんなる技術屋であってはならない。
どんな立場の指導者であれ、世界的な長編小説も読んでいないんでは、立派な指導者になれるわけがない。
人間主義、人間原点の社会をつくるには、指導者が本格的な大文学を読んでいなければならない。
これは非常に重要なことなんです。
海外の人は、よく読んでいます。日本人は「読んだふり」をしているだけの人が多い。
そして大事な事は、「書を読め、書に読まれるな」ということです。
読んだら、自分の栄養にするということです。
食べ物だって、消化し、吸収しなかったら、自分の血となり、肉とならない。
消化するには、自分で思索することが必要です。
亡くなった恩師も言っていたが
「本の読み方にも、いろいろな読み方がある。第一に、筋書きだけを追って、ただ面白く読もうというのは、最も浅い読み方だ」
「第二に、その本の成立や歴史的背景、当時の社会の姿、本のなかの人物、またその本が表そうとしている意味を、思索しながら読む読み方がある」
「第三に、作者の人物や、その境涯、その人の人生観、世界観、宇宙観、思想を読む読み方がある。そこまで読まなければ、本当の読み方ではない」と。
まあ、どうであれ、よい本を自分のそばに置いておくことは大切です。
かつて「竹沢先生と云う人」(長与善郎)という本を先輩からすすめられた。
その本から、多くのことを学んだものです。私は、よい友と一緒に、よい本を選びあいました。
本を「自分のもの」にするには感動した文章などをノートに写すのもいい、自分の精神史にもなる。
そこまでできない人は、たとえば本の後ろに感想を三行でも四行でもいいから書いてはどうだろうか。
「面白かった」のなら「何が」面白かったのか。
「つまらなかった」なら「なぜ」つまらなかったのか。
また本を読みながら線を引いたり、ところどころに感想や反論を書き込みする読み方もある。
もちろん借りた本には、してはいけないがwww
ともかく「書く」ことが、思索するきっかけになる。
ナポレオンもそういった「読書ノート」をつけていたようだ。「天才は勉強なり」です。
彼は、大変な読書家だった。子どものころから「ブルターク英雄伝」に親しみ「自分も将来、この英雄たちのように生きたい」と奮起したという。
皆さんも「伝記」から入るのも、入りやすいかもしれない。
彼は、後にエジプトへ行っても、スペインに行っても、あらゆる分野の書物を持参した。
馬車の中にすら書棚を作ったと言われる。
彼にとっては、読書こそ「前進のエネルギー」だったんです。
作家の河上徹太郎氏が紹介していたが、ナポレオンを尊敬していたスタンダールも、こんなことを言っていたという。
「ある程度、燃料をたかないと機関車が動かないように、毎朝起きて数百ページの読書をしないと、自分の平常の頭にならない」と。
彼らにとって、読書は頭脳と精神の「ガソリン」のようなものだった。
そこから力を得て、創造し、闘争し、前進していったんです。
健康な体には「食物」の栄養が必要なように、健康な心には「書物」の栄養が必要なんです。
食べ物も、甘いお菓子や、歯ごたえのない柔らかいものばかり食べていたんでは、病気になってしまう。
また「食わず嫌い」や、偏食を重ねてはいけない。
同じように、書物も栄養のある良書を避けてはいけない。
「悪書は堕落の使者であり、非行の手引きであり、不幸への落とし穴であり、魔力の毒手である」と言った思想家がいる。
良書は、教師であり、先輩であり、父であり、母のごとく偉大な存在です。
良書は、そこに「智慧の泉」があり「命の泉」があり「星」があり、人の「善なる魂」がある。


