其の参、売店ではやっぱコロッケパンが一番人気
「何から読んだらいいのか、わからない」
迷っていても進まないけど、一ページでも読めば、その分、前進できる。
ただ、人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある。
人間というのは、必ず何かの縁によって生きているもんです。
よい人と付き合えばよい心に染まり、悪い人と付き合えば悪い心に染まる。
どんな善人でも悪い世界に入れば、二、三割は悪人になってしまうでしょう。
良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるんです。
古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。
二十一世紀でも色あせない。一生の財産です。
イギリスの小説家バーナード・ショーに、こんなエピソードがある。
ある婦人が、一冊の書名を挙げたところ、ショーは、読んでいなかった。
婦人は得意気に
「ショーさん、この本は、もう五年間もベストセラーですよ。それなのに、ご存じないとは!」
ショーは穏やかに答えた
「奥さま、ダンテの「神曲」は五百年以上もの間、世界のベストセラーですよ。お読みになりましたか?」
またエマーソンも「出版されて一年もしない本など読むな」と言っている。
要するに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。
人生の時間には限りがある、ゆえに良書から読むことです。
良書を読む時間をつくるには、悪書を読まないようにする以外にない。
悪書は、たとえば仏法の十界論の中の六道輪廻で言えば
地獄、餓鬼、畜生、修羅の命を湧き出させる内容で、卑しい悲劇をもたらす、毒薬・麻薬のようなもんです。
それに対し、良書は、自身の向上と、知性と創造の方向に命を導き、思想・人生を建設する健全さがあるんです。
中には「ゲーテやトルストイも何冊か読んだが、チンプンカンプンというか感動しない」という人もいるだろうが
それは正直でいいねww
でも、トルストイやゲーテに感動しないというのは、トルストイやゲーテが悪いんではないww
古典というのは、釣り鐘みたいなもんで、小さく打てば小さな音しか出ない。
大きく打てば大きく応えてくれる。こちらの力次第なんです。
どうしてもむずかしいと思うところは、二、三十ページくらい飛ばして読んでもいいと思う。
後で内容がよくわかってから、飛ばしたところに戻って、読み直して理解すればいいんです。
要するに、何かを「学ぼう」という気持ちがあれば、必ず「宝」を見つけだせるはずです。








