言わずとしれた神作品です。まず、ルルーシュがなぜ打倒ブリタニアという思考になっているのかは非常に謎です。

 

母親が殺されたことによって、「これ以上ブリタニアに政権を持たしてはいけない」と考えるところまでは理解できます。しかし、そこからルルーシュはブリタニアに敵対する形で、黒の騎士団を結成しています。

 

理知的なルルーシュにしては、非常に不合理な判断だと個人的には感じてしまいます。そして、最終的には自分が犠牲となり平和となっています。とんだマッチポンプ物語です。

 

ラグナレクの接続に関しては、「それでも明日がほしい」と回答して接続を拒否します。

 

集合的無意識を共有する行為は、嘘がつけない世界を作るという意味になりますが、そんな世界は恐ろしいだけです。理想的な世界っぽく言っていますが、私は絶対にラグナレクの接続は反対です。

 

個人的に血染めのユフィのエピソードは大好きです。ユフィと一度は和解したルルーシュですが、ユフィが暴走して人々を殺しだした瞬間にユフィを撃つという決断をするルルーシュは、冷静かつ狡猾です。そういった部分が好きだから、ルルーシュはやめられないといえます。

 

あとは、善意と悪意の対比です。主人公であるルルーシュが悪意の人間として描かれ、敵である枢木スザクが善意の人間として描かれています。しかしながら、主人公目線で物語は語られるので、スザクは悪の人間のように移ります。

 

このように、人の視点の違いによって、誰が悪か善かは切り替わるといえるでしょう。

 

名作です。特に18話と19話が神がかっています。

 

朋也は18話以前までずっと渚の死を引きずっていたため、まともに汐と交わろうとしていませんでした。その行動が汐の心にストレスがかかり、いつも泣いていました。

 

それに気づかなかった朋也がようやく菜の花畑での旅行を通じて、汐の内情に気づくことができました。そして、朋也の祖母である史乃から「直幸(朋也の父親)は誰の手助けも借りず朋也を育てていた」という事実を知り、朋也は今まで嫌っていた直幸に対する印象を変えました。

 

朋也は「なんで自分だけこんなに苦労をしているんだ!」という思いでしたが、周りの人の内情や心の傷を知ることによって、少しずつ自分の近親者とコミュニケーションをとろうとします。その過程がクラナド、クラナドアフターストーリーで描かれています。

 

19話も感動しました。19話で初めて朋也が大人になってから、直幸と本当の意味でコミュニケーションを取ったのだと思います。

 

朋也は周りに恵まれています。片親の状況を我慢した汐、陰ながら助言した史乃、雑ながらも良い関係を保とうとした秋生、心優しい渚、優しくサポートした早苗、粉骨砕身して片親ながらも朋也を育て上げた直幸。

 

18話と19話は、今まで自分ばかりにフォーカスを当てていた朋也がようやく周りの人間の苦労にフォーカスを当てて、その人達とともに前を向いた素晴らしいストーリーだったと思います。

 

名作と謳われている作品です。

 

本作が名作といわれているのは、クレヨンしんちゃん内で初めて、しんのすけが人の死に触れたからです。しかも、しんのすけの眼の前で殺されています。

 

又兵衛が誰に殺されたのかはよくネット界隈で話題になっています。そもそも又兵衛はしんのすけに出会った時点で殺されていたのですが、しんのすけがタイムスリップしてきたことにより、状況は変化し又兵衛が死なずに済みます。

 

それにより、又兵衛は生きながらえることができ、国と姫を守ることができます。しかし、過去の事象が変化してしまっているため、それを修正しようとする力が働き、元々又兵衛が死ぬ原因となった銃弾が又兵衛に当たりました。

 

「過去はどう頑張っても変えることができない」ことを表しているのではないでしょうか。

 

ラストシーンで青空を野原一家で見上げ、それを見てしんのすけが又兵衛(青空侍)の剣を空に掲げます。人の死を受け入れ、その上で前向きに生きようとするしんのすけの姿が映し出されます。

 

私も希望を持って日々生きていたいものです。

 

 

 

名作です。

 

本作はバブル崩壊後に作られており、それによって本作の舞台が遊園地となっております。しかし、それは歪な形をした遊園地です。

 

現実世界でも、バブル崩壊後の人々は先の見えない不安に取り憑かれていました。その不安を具現化したのが、本作の遊園地だといえるでしょう。

 

本作は虚無主義への抵抗がテーマだといえます。現にス・ノーマンというキャラクターは雪だるまの格好をしています。

 

冷めた感じで行動しているキャラクターが大勢います。それに対し、熱さで対抗するしんのすけ一味がいるのだと思います。

 

野原みさえは「踊りはテクニックじゃないわ。ハートよ。」と発言しています。ここでも熱さが強調されています。

 

そして、最後のチェイスシーンは名シーンです。ここで注目したいのが、みさえとひろしのセリフです。

 

追いかけっこをしている最中、みさえは夫の安否を心配するセリフしか発していません。そして、最後に敵を倒した際にひろしは「倒したぞー!」と発言するのではなく、「しんのすけ!」と息子の名前を発しています。

 

これは、クレヨンしんちゃん全編にいえることですが、野原一家の家族の絆がいかに固いものかを主張しています。

 

私も世帯を持ってみたいと思ってしまいました。

 

率直によかったです。疾走感もありました。

 

無理やり感動させるような描写も特になく、ただ単に秘伝のソースをソースの健にわたすため奔走する物語です。本作ではかすかべ防衛隊が活躍しています。

 

その点から、誰かと協力して物事を成し遂げる大切さが学べます。つまり、協調性です。

 

マサオ君ははじめ一枚のクッキーを自分だけ食べるために残していましたが、最終的にはみんなで分けるためクッキーをみんなで分けます。なりげないシーンですが、ここでも協調性が主張されています。

 

A級グルメ機構のグルメッポーイは、最終的にB級グルメの代表格であるソースの健の焼きそばに舌鼓を打ちます。ありきたりなシーンですが、とても感銘を受けるシーンです。

 

オトナ帝国や戦国、ロボとーちゃんなどの感動作もよいですが、ただ焼きそばをみんなで食べてワイワイする楽しい展開も良いのではないでしょうか。なんというか、クレヨンしんちゃんらしい展開です。

 

最後に焼きそばを作るのが、ソースの健ではなく、かすかべ防衛隊なのもクレヨンしんちゃんらしいです。

 

私もB級グルメが食べたくなりました。

 

泣ける名作です。本作の魅力は、ずばりラストシーンに集約されています。

 

つまり、ロボとーちゃん(野原ひろしの偽物)と野原ひろしの腕相撲シーンです。

 

ロボとーちゃんと野原ひろしは、全く同一の記憶を保持しています。ですので、ロボとーちゃん=野原ひろしという構図が一瞬できるのですが、生身の野原ひろしはもちろん一人しかいません。

 

みさえの「あなた勝って!」というセリフで、野原ひろしがパワーアップしたのに対し、ロボとーちゃんはそのセリフが野原ひろしに向けたセリフだと気づいてしまいます。その時点で、勝負が決着してしまいます。

 

しんのすけは優しい人間なので、両方応援していましたが、みさえは野原ひろしに肩入れしていました。本物の家族の絆が見られる良いシーンです。

 

ロボとーちゃん側からすると、非常に切ないシーンです。やりきれない気持ちで胸がいっぱいでしょう。

 

ロボとーちゃんという存在を作った科学者に責任があると思います。ロボとーちゃんは非常に不憫です。

 

双方の差が色濃く出たシーンだと思います。

 

私が偏愛しているアニメの一つです。簡単に言いますと、女装している殺し屋の物語です。

 

殺し屋や私立探偵、マフィア、暴力団などが入り混じった物語です。なぜかその人達が野球チームを結成しているというポップ感も好きです。

 

内容はかなり暗いですが、その内容をポップに表現しているので、非常に見やすい作品です。

 

林の昔の知り合いである緋狼のエピソードが個人的に好きです。中国の貧しいところから成り上がる泥臭さが非常に良いです。単に、泥臭いバトルが繰り広げられるのですが、それでいいのです。

 

群像劇の要素もあると思います。ですので、類似アニメでいくと、『デュラララ!!』になると思います。

 

OPもかなり良いです。疾走感のある曲であり、本作にぴったりです。

 

曲のタイトルは『ストレイ』です。「道に迷う」や、「さまよう」という意味があります。

 

孤独を強調しています。「生き残る」というメッセージもあり、本作と内容が被っています。

 

自分の泥臭さに磨きをかけることができる作品です。

 

名作です。自分のためにあるかのような作品です。

 

簡単にいうと、才能があってもプライドが高い人間は落ちぶれることを言いたかったのではないでしょうか。そもそも李徴が詩人になったのもプライドが高いせいですし、詩人になってからも、自分より才能が低い者に追い抜かされることに怯え、虎になったのでしょう。

 

最終的には李徴は草むらの中に帰ってしまいます。羞恥心に勝てなかったのです。

 

自分の実力不足を認め、自分なりに努力し、協調性を意識して行動を起こせば李徴の未来は変わっていたのではないかと思います。せっかく嫁や子供をもらっているのに、もったいないです。

 

本作のポイントは、救おうとしている仲間がいる点です。本作では袁傪だったりします。

 

そして、一人になればなるほど、自尊心と羞恥心が膨らむ結果になることを本作で教えてくれています。

つまり、社会になじもうとしないと、天から与えられた才能も無駄になってしまうことを本作で示しているのだと思います。

 

非常に面白い作品です。純粋に力を求める孫悟空たちの姿を見ると、自分ももっと純粋な気持ちで仕事に取り組む必要性があると感じました。

 

魔人ブウやセルは、孫悟空一人の力で倒されたのではなく、地球の人々の力を借りたり、悟飯との親子かめはめ波で倒されました。ですので、周りの人々の協力があってこそ真の力が発揮されることを言いたかったのではないでしょうか。

 

個人的に好きなシーンは孫悟空がカリンの塔に到達したときの報酬のくだりです。報酬は結局なく、ここまで来た己の力のパワーアップが報酬だという展開には感銘を受けました。

 

本作では武力で解決をするキャラクターばかりですが、唯一ミスター・サタンが武力ではなく人望や交渉術で敵を翻弄しました。彼の戦い方には学ぶものがあります。

 

そして、かなりプライドの高かったベジータが孫悟空を認めるシーンはかなり良かったです。一番人間的に成長したのはベジータだと思います。

 

そして、勝つことにこだわるのではなく、純粋に戦いを楽しむことにフォーカスを当てている作品だと思います。なぜなら、大人数で強大な敵に向かえばいいものの、本作ではじゃんけんをして一人ずつ出て敵と戦っているからです。

 

本作からはお金にとらわれることなく、「今この瞬間の出来事を楽しむ」ことが重要であることを教えられました。

 

個人的にはかなり好きな作品です。

 

家族で「今晩は奮発して買ってきた焼き肉にしよう」と意気込んでいたのですが、急に有限会社スウィートボーイズを名乗る集団に襲われ逃げることになります。非常にでたらめな物語です。

 

本作は夕飯に焼き肉を食べるためという目的のためだけに奔走しています。つまり、本作はたった一日の物語です。このハチャメチャ感が非常に好きです。

 

急に指名手配され、自転車に追われ、ボスと戦ったりと、道中では非日常シーンが続きます。しかし、序盤のシーンは日常シーンです。つまり、「焼き肉にしよう」と意気込んでいたときです。

 

終盤では新幹線に乗って、実家の春日部に戻り、焼き肉を家族で食らうシーンが映し出されます。よって、本作の構成としては、日常→非日常→日常という風にシーンが切り替わります。この荒唐無稽な感じが非常に好みです。

 

そして、非日常のときに絡んだ人たちとは、日常のときに絡む場面はありません。まさに、一期一会だといえるでしょう。

 

もう絡むことはないですが、このせつない出会いを繰り返している本作は非常に良いと思います。

 

非日常のシーンは我々では経験できないところですが、日常でのシーンの焼き肉を食らうという行為は我々でもできます。このアンビバレントな感じが非常に好みです。