平成十年過ぎ頃に聞いた実話ですが・・・
『わざわざ出家までしなくても菩薩の修業はできる!』
昔から現世に嫌気をさして出家した人は多い。
西行も然り、漣生坊こと熊谷直美もまた然りである。
現代においても長年平穏な生活を送っていた人が、
ある日突然に比叡山に入って頭を丸めたり、永平寺の雲水になったりする。
女流作家として既に名を成していた瀬戸内晴美女史は
51歳の時、当時天台宗の大僧正であり、中尊寺の貫主であった
今東光師に得度を願い出て瀬戸内寂静となった。
又比叡山二千日回峰の行者として有名な
酒井雄哉大阿闍梨は最初から宗門の家系ではなく、
39歳の時奥さんに自殺されたことが動機で得度して
62歳で二千日回峰を達成したという。
近年でも大企業で部長まで勤め上げた人が
地位も家庭も投げ打って出家したり、
東証一部上場会社の社長が後進に道を譲るとともに、
自分は一回の修行僧になると言って1996年頃
テレビや新聞のニュースになったことがあります。
(翌年9月に臨済宗妙心寺派の専門道場である円福寺(京都府八幡市)で得度。)
お坊さんになったからと言って生きている以上
俗世間と縁を切った訳でもないのです。
今東光和尚も亡くなるまで作家活動を続けていたし、
瀬戸内寂静も相変わらず小説を書いたり講演をしたり、
最近では「源氏物語」の現代語訳に挑戦したりしている。
もっともこの「源氏物語」には天台宗の文化が底に敷かれていて、
天台宗の事が良く理解できていないと
本当の解釈が出来ないと言われているので、
寂静氏が手掛ける事もあながち無意味ではないと思われるが、
それにしても宗門に入ってまでも
どうしてこんなに生臭い仕事をするのだろうか。
現代の日本の仏教は確か大乗の教えを説いているはずなのだが、
お坊さん達のやっている事を見ていると、
自分ばかりが「救われた、救われた」と言っているように聞こえてくる。
これはやはり皮肉れた根性だろうか。
今東光和尚は亡くなる二年前に「戸津説法」成るものを行っている。
「戸津説法」と言うのは,
天台宗の座主候補にノミネートされた高僧が
大津市の東南寺で五日間にわたって行う講会の事です。
この時には天台宗の信徒の他に
天台座主をはじめ比叡中の高僧、学僧が列席している。
その時、今東光和尚は
例によっておよそ仏教の説法とは思えないような
面白い語り口調で連日聴衆を沸かせていたが、
最後の一日の話の中で
最澄・伝教大師以来延々と受け継がれてきた
天台宗のむずかしい教学を見事にまで柔らかく
批判しながら次のように語っている。
【『大般涅槃経』と言うお経があります。
大と言うのはグレートという意味です。
偉大、大きい、涅槃と言うのは発展の事です。
悟りの段階と言っても良い。
その最高が、『大般涅槃経』と言うお経です、
しかしながらあまり用いられていません。
天台、真言その他でも、
『大般涅槃経』を中々お読み願えない。
しかし、私は、顕教の中に
『大般涅槃、法華涅槃』を入れて勉強したらいいのではないかと思う。
蜜は蜜として、むしろ独立させてしまえばいい。
五大院安然さん(平安時代の代表的な学僧で円仁の弟子)
の真似をするわけでわないが、
蔵・通・別・円・蜜(天台宗の教相判釈・教学の分け方)ではなく、
『蔵・通・別・円・大般涅槃経』という事にしたら、
もう一度天台宗がリバイバル、復活を果たせるのではないか。
そういう事を私は夢として考えていたのですが、
どうやら私の一生の間にこれを完成させる事は
五大院安然さんの様にできないでしょうが、
今日は比叡の学僧・高僧・名僧のご列座でございます。
今日の結願に私の悲願とする五教判をご一考頂けないものか。
蔵・通・別・円という天台大師の『教判・教学』に
『法華涅槃』『大般涅槃』を入れて
もう一度『顕教』を一つの理論として
発展させたらどうかと思うのだが!!』】
今東光和尚はれっきとした天台宗の高僧なので、
ここであからさまな事を言っていないが、
実は現在の日本の仏教界で
『大般涅槃経』を所依の経典として多くの人を救っている
宗教教団があることをチャンと知っているのである。
悩みを持った人が東光師の許を訪ねると
『俺は天台の坊主やさかい、
この寺へ行けという事はできないが、
しかし、サントリーの鳥井さんの‟へ行ってみー。
あの人やったらきっと
救われる方法を教えてくれるわい。』と言ったそうである。
案に此の教団に行けと言っているのである。
その教団の事は私も知っているが、
出家仏教ではなくて、在家仏教であるところに特色がある。
在家でありながら菩薩の境涯にまでも達する修業が出来るのなら、
わざわざ出家などする必要はない。
いやむしろ考え方によっては、
此の俗世間の泥の中にありながら
僧侶と同じ修行をしながら
蓮の花の様に汚れの無い心を
開いていく事の方がよほど難しく、
また本物の修行であり、
やりがいがあるといえないだろうか。
”定年退職したら出家でもしようか?”
と思っている人は
もう一度この今東光師の話をじっくりと読んで、
考え直してみたらどうだろうか。』
