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akyoonの異端の医学と不思議な情報

医学や健康医療の【トンデモ論】を主としています・
本人はいたってまじめ。 しかし自分で自分を検証できないので、眉唾と取捨選択が必要。

みなさん、こんちわ~¥¥

イケメンのボク突に応援ありがとう ¥¥

逝け面で朴訥ですが・・

(/""-"")まゆつばで読んでね ¥

 
《 現 代 医 学 は 科 学 的 医 学 という 迷 信 ? 》                       ひのもと異学 1997、3、31 初版 世界の医療界で燦然と輝く、現代医学・・・現代科学の頂点に立つ現代 医学、、、、 もしこれにイチャモンでも付けようものなら、たちまちグーの音も出な いように叩きのめされてしまうだろうなあ、、、 その殺し文句が“非科学的なマガイモノ”である。 そしてわけの分からない、「現代医学の常識」から外れている理解不能 なものは、“オカルト的なマガイモノ”となってしまう。 そうして、そのことに誰も偽論を差し挟まない。みんなが納得している のだ。 「科学的な医学に反するもの」などいっさい受け入れてはいけない、信 じてはならない。 聞くのも見るのもいけない。発表することなどとんでもないことだ。 社会に害のある情報を発信してはいけない。 なるほど、たしかにその通りのことが多いからね。 でも、、、医学にそれを取り仕切るほどの科学性があるんかね。 もしかしたら、自分のとこを棚に上げてほかの世話をやいていないのか な? そこで、僕はない頭をふりしぼり、“非国民的”情報を探して見たのだ が、、、 命題は『果たして医学は科学的か?』 世界中のほとんどの人は医学を科学的と信じている。しかし、これを 「非科学的」と言ったら、、、ということで情報を仕入れてみた。 【本来、自然料学とはあるがままの自然の実体を堀り下げて、その法則 を探求し、規準を生みそれによって人類の福祉に貢献する事でなくては ならない。 したがって毫末の独断も自然無視も許されるべきではない。】 と言うのだ。そこで、医学の治療法の根本とも土台とも言える、薬剤等 の試験に動物を使うことが果たして自然に合っているのかどうか? そこの処の急所を聞いて見たのがつぎのような内容だ。 【その前提として知らねばならない事は、先ず人間と獣類との相違であ る。 科学は人間も獣類も共に動物の範疇に入れているが、その事自体が既に 独断以外の何物でもない。 彼の医科学はモルモットやハツカネズミを研究して、それを人間に当は める事をもって唯一の方法としている。 右について人間と動物との相違点の種々面から考える必要がある。 それは殆んど根本的ともいうべき相違である。 即ち人間は唯心的であり、動物は唯物的である。 たとえば宗教、哲学、芸術、恋愛、同情等の精神活動は動物にはない。 また唯物的にみても形態、動作、体質、食餌、生活等人間との相違の余 りにも著しい事である。 動物は足が四本あって尾があり、全身の厚皮、厚毛は勿論言語も臭覚も 聴覚もすべての違いさはこれ以上書く必要はあるまい。 以上のごとであるから、今日の『動物実験は自然科学ではなく自然無視 科学である。』 】 と。 ここで、医学者側の発言も必要だろうから、合わせて引っ張り出した。 ◆【世界医薬産業の犯罪】(題名)                ―化学・医学・勳物実験コンビナート(副題))     ハンス・リューシュ著 大田龍訳 1993年発行 発行所――株式会社 三交社                                               より 《・・人間にとって猛毒であっても、動物には無害。人間には無害であっ ても動物には毒になる。このような物質ははたくさん存在する。{ここ に例があげられている(略)) 新薬の実験台として、動物ほど当てにならないものはないという事実。・ ・・・ ・・もちろん、保険機関や研究者たちもこの事実は十分承知しているの である。それでも彼らは、マスコミや一般大衆に向かって、お決まりの 脅し文句をつきつける――皆さんの子供さんを使って新薬をテストして もかまわないのですか? しかし事実はすべての新薬(すべての合成物質は有害である)は今も、 あなた自身そしてあなたの子供さんを使ってテストされ続けているので ある。動物実験では科学的に何にも解答は得られない、どころか、人体 への影響という点に関しては間違った答へと、ミスリードする。この法 則に例外はない。・・・ ・・今日の薬品市場の状況は言語道断、悲劇的でさえある。政府は製薬 業界が無用の薬を市場にあふれさせるがままに任せている。彼らに言わ せれば動物実験によって、それらの薬の有効性・安全性は十分にテスト 済みだという。 しかし、これは詐欺である。しかも政府公認の詐欺である。というのは、 薬のメーカーも、それを認可する政府も、動物実験などは元来まったく 無意味なものであるということを百も承知しているからである。・・ ・・・一九一二年、ドイツ人医帥ブォルフガング・ボーン博士は次のよ うに書いている。 【動物実験の公に言われている目的は、どの分野においても達成されて おらず、将来においても達成されないであろうと予言できる。それどこ ろか、何千人も人間を殺してきた。 動物実験の拡大がもたらしたものは唯ひとつ――科学の名を借りた拷問 と人殺しのみである。おそらくは、この人殺しは今後も増え続けるだろ う。なぜならば、それが動物実験の論理的帰結なのだから】  》 とね。 医学の根本が動物実験から導かれているとしたら、これほど自然無視の “非科学的方法”はないのではなかろうか。 さらに診断治療について、、、 【ここに医家の家族の一員が病気にかかったとする。 然るに不思議な事には大抵は主人である医家が診療しないで友人等の他 の医師に依頼するのは周知の事実である。 常識で考えてさえ大切なる家族の生命をして自分の手にかけず他人の手 に委せるという事は可笑しな訳である。それは全く自己の医術に自己が 信頼出来得ないからであろう。 実験上自分が診療するよりも他人に委せた方が結果が良いからである。】 というのは、事実は果たしてそうなのだろうか?推測に過ぎないのだろ うか?  さらに聞いたのは、つぎのようである。 【また少し難病になると、医師の診断は区々である。一人の患者に対し 五人の医師が診断する場合、恐らく五人共診断が違うであろう。 これ等も料学的基準がないからで、全く非科学的というも敢えて侮言で はあるまい。】 僕はこれを余り出したくなかった。これは「医学批判」から、ともする と「医者批判」に係わることになるからなんだ。 僕がいつも想うのは医学の犠牲者は患者ばかりではない、お医者さんも より医学を信じているからこそ、善意があふれるほどの医学治療を行う 人格者だと想う。 だが、それによってしばしば「医療ミス」と呼ばれる裁判ざたで訴えら れることを気の毒だと想うからである。 【・・今一つの例を挙げてみよう。有名な故入沢達吉博士の死因は盲腸 炎という事である。その際各地から恩師の病を知って走せ参じた博士は 無虜百二十数名の多きに達したと言われる。 これだけ多数の博士が頭脳を絞り、博士自身も苦慮されたであろうが、 最も治癒し易い盲腸炎の如きが治癒し得ず死に至った事は、医学の無力 を実証して余りあると思うのである。 その時博士は次のごとき和歌を詠んだそうである。 『効かすとは思ヘど これも義理なれば 人に服ませし薬 われ服む』】 この入沢博士は大正天皇の侍医となられた当時の医学の最高の地位に近 かった人と聞く。この辞世の句が注目点だ。 これもちょっと古いかも知れないが、 医学博士国島貴八郎氏著「結核と人生」より 『我々が医学を学ぶ一番最初に教わる言葉は“病気は自然に治る”とい う事である。 赤ん坊の時から自然によって生れ出る力、自然に身体に生じて来る力に 依ってのみ病気は治るのである。 という、生物はじまって七十万年の昔からの真理を教はるのが、医学の 第一時間目である。 今日の腸チブス、肺炎の辿る経過も、五十年前、百年前の医学の発達し なかった時代も少しも変らないのであって、どんな博士が診ようが、薮 医者が診ようが、金持ちのチブスも貧乏人のチブスも同じく四週間はか かるのである。 もし病気が医者と薬だけで治るものならば、百年前に四週間かかったも のならば、今日に於ては三週間なり二週間で治るという事になる可きで あるが、依然としてチブスは四週間かかるのである。 また急性肺炎の場合も同様で百年前のものも現代のものも一週間かかる のである。 薬の効く時間ではなくて、チブスなり肺炎なり微菌に侵されると、自然 にそれに抵抗する力が湧き上って、それ等の毒素を薄めて遂にそれを克 服し、組織を復旧するのに要する時間なのであるから、百年前も今も変 りはないのである。』 「医学は科学的である。医学は進歩している。このまま進歩を続けて行 くならば必ずや人類はこの世界から病気を克服し、心身ともに健康な天 国的世界を実現出来るだろう。」 このような考えが真実となるのかどうかは、各自が検証してもらいたい。 そして、科学的とは一体どういうものなのか、医学は果たして自然の摂 理に準じているのか、、     静かにひとりで考えて見よう。 ただし、その前に両方の情報を受け入れることが必要だろうが、 最後に、ふたたび【世界医薬産業の犯罪】より 《・・【健康というものに対する機械論的とらえ方、そして動物実験に 基ずく研究方法、という二重の不条理をベースに成立している現代医学 そのものが、今日の人間の病苦の最大の原因である】           一―――識者たちは現代医学のあり方をこう批判してきた。 しかし、人間というものは、その心身の形成期に与えられた価値観、す なわち人生で最初に出合った権威者たちに教え込まれた考え方に固執す るものなのである。 人生で最初に出合った権威者たちと言えば、両親であり学校の先生たち だろうが、いかんせん、これらの人々は皆、同じ教育を受けてきたので ある。中世の人々が教会の奇跡の力を、理性を越えて疑わずに信じるよ う教え込まれたように、現代の人々は、動物実験に基づく医学の奇跡の 力を信じるように教え込まれているのである。 実際のところ、現代の医学研究の科学的無効性を証明するのは、2+2 が5にならないということを証明するのと同じくらい簡単である。 しかし現代医学の数義は、科学の方法論――(すなわち、事実に基づく 論理的証明で、自由な議論の対象となる)――によるものではなく、宗 教教育に用いられる手法――(すなわち、証明できない命題を幼い頃か ら反復により教え込む)――によって導き出されたものである。 そのため、 【いかに証拠を示し合理性に訴えて説得を試みても、信じてしまった者 の心を変えることは不可能なのである。】 理屈ぬきで信じさせられてしまった人の信仰を、理性によって崩すこと はできない。一度浸み込んだ信仰は論理性を受けつけない。 これが、現代医学が科学ではなく宗教であると定義されてしかるべき理 由なのである。 医学神話を広める医師の多くは、自分自身その神話を固く信じて疑わな い。というのも、彼ら自身、ずっとそう教えられてきたからである。 彼らはこの組織的犯罪の共犯者というよりは犠牲者というべきだろう。 彼ら医師たちは自分の語る言葉を信じている。同じように、中世の司祭 たちの聖水の治癒力を信じていた――実際聖水はしばしば病人を癒した。 少なくとも現代医字の治療法よりははるかに害が少なかったことだけは 確かだろう。 ・・・・自分のやっていることに遅ればせながら気づき、あえてそれを 公言しようとする医師は、医師仲間からは村八分にあい、資格を剥奪さ れる危険を冒すのみならず、異端者として社会から追放される可能性す ら覚悟しなければならない。・・・ ・・本書でリボートしたざまざまなニュースは、一般の新聞雑誌にも載っ ているもので、誰の目にでも止まるものである。・・      》 以上。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆読者登録してねフォローしてね
これはパソコン通信時代のものである。
古代ローマ帝国時代はすべてパソ通だった(え!)


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《 病 気 ・ そ の 真 実 の 原 因 解 明  ロ 》 
   ひのもと異学 1997、3、30 初版 

前回の《・・ イ》を読んでいただいたろうか。ナニ、もう消された?
ニフの掲示板では出せるところが少なくて、7番では切除されるし、こ
んなもの出せるとこ無いんで、ここ(8番)でご迷惑かけます。
こんなもの嫌な人はインターネットで載せてくれるところを面倒見てく
れない?


次に『人口増加率逓減』と『死亡率減少』と並行するという事はどうい
う訳なのかを説明してもらった。

欧米各文明国において近年伝染病や肺結核が著しく減少したという事の
理由を医学者は、予防接種の効果と言うだろうし、またそうでない者は
社会衛生の進歩によるものとしているようだ。
だが、それは一部の理由とはなるだろうが、真の理由ではないようなん
だ。


もちろん衛生施設の完備がある程度の効果はあるが、それよりも大きな
原因があるというのがオジイチャンの解説なんだな。
それでは真の原因とは何か?
それは「体力の低下」のためである。

「体力低下」が伝染病減少の原因になるとはオレも不思議に思ったので
その理由を問うてみたんだね。

もともと各種の伝染病や結核等は体力旺盛によって起きる強力な『浄化』
の為であるから、体力低下の民族は浄化が不発生または微弱であるんだ。
体力低下の民族というのは、先進文明国と言われる欧米各国、そして日
本民族もこれに仲間入りしているんだろうね。


そして劣等民族に伝染病が多いという事は、衛生に無関心である事より
も「体力強盛」による事の方が有力な原因だというんだね。
体力旺盛な者がなぜ伝染病発生が多くなるのか、おかしいことを言うも
んだとオレも思った。
体力がないから伝染病にかかるんじゃないのか?  これが普通の常識
だよね。
いくらオレがアマノジャクでもすぐには納得いかなかった。


そこで、この理論を判りやすくするため、人間の健康を三種に分けてみ
ようと言うから、それを聞いて見ることにする。

 第一種の人は、
完全健康体で無毒であるから、浄化作用すなわち病気することはないが
こういう人は極く稀(まれ)である。

こういう人がいるとしたら、それこそ百二十歳は生きられるだろうね。
世界のごく長寿者に聞いて見たい、「あなたは無毒の体ですか?人より
も薬を飲まなかったですか?」とね。

 第二種の人は、
体内有毒者であって体力が強盛なるために、浄化作用(病気)が起こり
やすく、小患(軽い病気)または大患(重い病気)に時おりかかる。
まずはこの種の人がほとんど大多数であるそうだ。

それはそうだね。誰だって子供のころから予防接種をはじめ、風邪薬、
胃腸薬、そして毎日の食事から合成添加物やら農薬など、数えきれない
ほどの有毒物質を入れて来ているからね。
そうでない人でも何代も前からご先祖さんが一切薬を使わないで来た家
系などないだろう。

次に第三種の人、
この人は体内保有毒者でありながら、体力が劣弱なるために「浄化作用」
が起こり得ない。そして、起こっても微弱である。
ただこの種の人は運動等によって体力が多少強盛になった場合に起るの
である。


そうか、、、よく病気になると「お大事に」と言われ安静をすすめ、
「運動を極力避けるように」と言われるが、これで分かったぞ、運動す
ると浄化力が増すから病気が再発したように見えるんだな。


だからこういう人の場合は早速薬を用いて安静にすれば元(毒素が固結
した状態)に還元するから一時快復するのである。

ただし病気が治ったのとは根本的に違うんだね。原因は除去されていな
いんだから。

よってこれらの人は極力「過労」を避けようして仕事や運動を控えるよ
うに努めるので、元気の人が大いに元気を無くすようなものだろう。

病気は「疲れ」から来ると思う人は多いね。確かに疲れるとくたくたに
なり元気がなくなるけれど、これが病気の本当の原因じゃないんだ。
もしそうなら、世の中の時間が長く体力のいる仕事をしている人達はみ
んな弱くて病気ばかりしていることになる。本当にそうだろうか?周り
を見回して忙しく朝から晩まで働いている人だけが早死にしているだろ
うか?
金さん銀さんはあまり働かなかったのだろうか。そしてひと一倍に衛生
に気をつけて生きて来たのだろうか。
元は保有毒素なんだ。
体力活発になるとそれを排除する力がわく。つまり元気のある人ほど浄
化力がわく。すると体力旺盛な民族ほど病気、伝染病にかかりやすい。
こういう結論になるわけだ。
でもこれでは伝染病や病気で早く死ぬことになりはしないか。いくら体
力劣弱であっても長生きした方がよいというものだ。
これについてもう少し辛抱強く聞いて見ることにしようか。


今日の医学は、第二種の人を第三種にする事を治療道と考えて努力する。
その例として都会の児童や医師の関係者、すなわち最も医師に接する機
会の多い者、および今日の医学衛生の理論を忠実に守る人ほど虚弱者で
あるという事実がそれを物語っている。

しかし、第二種の人を第一種に改善しようとしても、現代医学では到底
不可能である。

これは当然だろうね、医学の治療の土台は薬剤にあるんだから。この薬
が毒であるということは薬学の常識だから。
治療すればするほど、保有毒素を増やすことになるのだから、、、
第二種の人を第三種の人にするというのが事実だろうね。


「病気発生が少ないのなら、これでも良いではないか」と言うだろうが、
いつまでもそうなら、体力低下と交換に寿命の延長を得たとしてあきら
めることも出来るかもしれない。
だが、これは永久的な寿命延長にはつながらないのである。
第三種の人は真からの健康体ではないのだから、必ずいつかは頭打ちに
なる。そしてそれが現れ始めたら今度は寿命が後退して来る。
そうなったらもう挽回は出来ないんだ。
体内に多量の毒素保有者はその浄化作用に耐えられないだろうから。


ここで体力旺盛な者が伝染病にかかり得る。それは健康保持のための浄
化力が強いからである。
という説なのだが、実際は非文明国では多くの伝染病のため死亡数が多
いのも本当だと思うね。その説明に納得できるかよーく聞いて見たが、、


では、「死」とは如何なる理由によるのであるかというと、世人は病気
のためと思っているが、実は病気に因る死は極く稀れであって、その大
部分は衰弱のためである。
それは病気即ち浄化作用を抑圧するからである。
なぜならば、さきに説いた様に医学は浄化停止を行うのに対し、肉体は
浄化作用を活発に行おうとするという訳で相克的に苦痛が増加する。
そのために衰弱は増加し、ついに死の転機におよぶのである。

医学によって「体位低下した」文化民族は「浄化微弱」によって強烈な
る浄化が起り得ないことになる。
この理由によって大患が少なく、それが死の機会を延長する。
すなわち「弱体」ながらもようやく生命を保ちつつ生存するという訳で
ある。

そのため今日の文化民族が未だ体力旺盛であった時代は強烈なる浄化す
なわち大患にかかりやすい。
医療はそれを強圧するために『摩擦する』→→『衰弱する』→→『死ぬ』
という訳である。

その証明として死亡率の高い時代ほど人口増加もまた高いという統計が
表われるのであって、これが、
《『人口増加率逓減』と『死亡率減少』と並行する》という事の“謎”
の解説である。 


なるほど、発病率が多いからそれだけ押さえ付けられる機会も多く、生
命力と薬毒との摩擦で衰弱するんだな。薬の方が勝てば、「病気は治っ
たが命は失った」ということになるのかな。


どうだったろうか、どこがジッチャンの言葉かよく分からないほどオレ
のチャチな感想も入っていて、どこまで真相かをよくつきとめて論と事
実を検討して見ようではないか。
しょくんのけんとうをいのる。     オレはつかれたからやすむ。

カロウシにならないようにね。

追伸
    いつも言いたいのは、僕の掲示を読んで全部賛成してくれなくてい
いんですよ。
正統医学に対してのひとつの異質な異学論という意味で、気軽にミテチョ
ウダイ。

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《 病 気 ・ そ の 真 実 の 原 因 解 明  イ 》 
        ひのもと異学 1997、3、29 初版 

人間がこの世の中にオギャアと生まれるや「純真無垢な赤ちゃん」とし
て・・・・というのが常識論だが、そこはそれ、ただでは済まないのが
天の邪鬼的な考え方で、、
純真はそうであったとしても、「無垢」と言うのはどうも当たっていな
いのが真実のようだな。
まあ、あまり「真実」などと上段に振りかざすと、そうでないときもあ
り得るのだから、「こういう考え方もある」という風に取っておいてちょ
うだい。


そこで赤ちゃんは、どうして「無垢」ではないのかと言うと、それは親
から、またその親からという様に『遺伝毒素』を生まれながら受け継い
で来るのがほとんどだからだね。つまり生まれながらに「汚れ」ている
んだな。

その「汚れ」の浄化作用がまず起きる時、幼児期にかかる病気というわ
けだ。
ハシカ、オタフク風邪、猩紅熱、百日咳・・・などなど。

まとめて言えば『天然痘毒素』が主なるものとして、種々の毒素を保有
しているんだな。
それを総称して『然毒』と呼ぶ。

いつものジッチャンの受け売りではあるが、医学界の近藤氏の向こうを
張って、建設業界の土方張蔵として切込隊の志士を気取っている。

こうして、オレたちは生まれながらに戴いている、ありがたくもない
「遺伝毒素」の支障によって健康が完全に保持出来得ないから、生理的
に体外に排泄されるよう、断へず『自然浄化作用』が行はれるよう造ら
れているのが人体なんだね。
では、『浄化作用』とはいったいどのようなものなのかを詳しく聞いて
見ようか。

それには誰でも一生のうち絶対に一度はかかると言ってもよいのが、
「風邪」だろうから、それを例にとって説明してもらったから、よく目
ん玉かっぽじって、、、

医学ではウイルスのせいにしているようだが、これは根本的な原因では
ないんだね。
そりゃあ、うつる風邪もあるだろうが、そうでない風邪も現実にあるん
だ。そんなことはようく考えなくても分かりそうなものだ。
現にオレが波はあるがずっと風邪のひきどうしなんだ。
人間にとって一番軽い病気といえる風邪の根本も分からないで、ほかの
病気を解決しようとするのもなにか、、
花粉症、アトピー、マツクイムシ、ン?

で、ジッチャンの言うのには、「これは最も簡単なる浄化作用の一種に
過ぎないのである。」そうだから、風邪の原理を解明した者こそホンモ
ノの医学者だと思うな。
そこではオレの感想など邪魔になるだろうから、あとで切除しながらこ
の論を見るとよおーく分かると思うよ。


  風邪は簡単な浄化作用
それは、まず感冒にかかるとすると、発熱、頭痛、咳嗽、喀痰、鼻汁、食慾不
振、発汗、倦怠感、節々の痛苦等が伴うのである。

浄化作用を大別して『第一浄化作用』と『二浄化作用』とに分類する。

『第一浄化作用』とは
 血液中にある種々の毒素が身体各局所に集溜固結するのである。
集溜すベき局所としては、すべて神経を集中する局所および人体静止の
場合の下部である。

(河の汚れはどうして掃除する?そう、ゴミを一カ所に集める。濁った
血液も一カ所に集める。そうして段々と固まるのだな。また「人体静止」
と言うのは夜寝ているときがほとんどの場合だろうね。その時に「下部」
というと背中側にあたるわけ)

そうして集溜毒素は時日を経るにしたがい漸次硬化する。
俗に「凝り」と言われるものもそれである。この場合苦痛は全然無い事
もあり、あるとしても肩の凝り位の程度である。

(苦痛はないというが、肩凝りもけっこうつらいものだね。凝りで頭痛
もするし、胃痛も起こるし、各部のマヒもあるし、第一浄化作用も馬鹿
にできないほどの影響があると思うな。オレのもの忘れやらガンコやへ
んくつさもきっとこの“凝り”のせいだ。元はほんとに性能がよい頭な
んだがね、、)

次に『第二浄化作用』とは、
これは第一浄化作用である固結がある程度を超える場合、自然排除作用
が発生する。
その際排除し易くするため液体化しようとする作用が即ち『発熱』であ
る。
発熱の高下は固結の毒素の性質と硬軟と量と患者の体質とに因るのであ
る。

よく運動後疲労の結果往々発熱するのは、運動が浄化促進の役目をする
からである。
そうして液体化した毒素は、発汗、喀痰、鼻汁等によって、体外ヘ排泄
せられるのである。
この場合の咳嗽(せき)は喀痰(たん)を排泄するがためのいはばポン
プ作用ともいうべきものであり、また鼻汁を排泄せんがためのクシャミ
である。
ゆえに咳嗽(せき)の後は必ず吐痰(たん)があり、クシャミの後は必
ず鼻汁が出るにみても明らかである。

(どう、これはすばらしい解釈だと思うが、、ナニ?そうは思わない、、
、アンタアタマコッテナイ?  ゴミによって汚れた河を局所に集めて
固めて小さくした。しかしこれもいずれは河の流れやらに悪影響するゴ
ミなのだから排除しなくてはならない。そこで今度はそれを固まってい
るから移動しやすいように溶かして液状にしてから排除する。溶かすに
は熱が必要だな。うーん、実によく出来ている。さすが造物主。ところ
がこの造物主を崇める世の宗教家がこの造物主の作品にケチをつけてい
るんだからね。宇宙人もそう言ってないだろう。そうするとこれは世界
的というより、宇宙的発見かな。)


そして「食慾不振」は発熱と吐痰と服薬のためである。
頭痛および節々の痛苦はその部に固結する毒素が溶解し、液体となって
排除されようとしての運動が神経を刺激するからであり、咽喉(のど)
部の痛みは喀痰(たん)中に含まれている毒素が粘膜に触れるため粘膜
を刺戟しカタルを起こすからで、声がしわがれるのも右の理によって声
帯にカタルを起すからである。

(発熱は食欲がなくなる原因だそうだが、オレはここんとこ仕事休むほ
どでも食欲不振などはほとんどないなあ。色欲不振はあるかも。それは
薬を飲まないからだと思う。薬や点滴は食欲不振をまねくと思うな)




このように風邪の原理を解説したが、ほかの病気も含めて人間に浄化作
用という働きがなかったとしたら、自分の代、そして、次の世代へと毒
素は累積していくばかりで、ついには人類という生き物は蓄積毒素のた
めに滅亡してしまうだろうね。

そういう意味で、風邪は一番簡単な浄化作用でなんの手当もせずに放っ
ておくだけで順調に毒素は排泄されるから、保有毒素は段々減るばかり
で、健康の度は増すことになるんだ。

だから、風邪は万病を防ぐ元といっても良いんだ。
けれども医学は風邪は万病の元と言う。それはどうしてそうなのかと言
うと、自然に逆らって逆療法を行うからなんだ。
熱が出れば冷やし、鼻汁が出る止め、痰が出ると止め、下痢をすると止
め、咳が出ると止め、、、、
徹底的に浄化作用を止めようとするのが医学の治療なんだね。
それで薬を使うわけだが、功を奏して症状が止まるとどうなるか?
せっかく溶けた毒素は再び固まってしまうだけで、健康になった訳では
ないんだ。
氷冷、投薬によって第二浄化作用を第一浄化作用の状態にまで後戻りさ
せるだけのことなんだ。

毒素は一時的に固結するから毒素排泄作用の苦痛も消滅するから、これ
で病気は治ったと錯覚するんだね。

これでは借金の催促に待ったをかけただけで、支払いを遅らせただけは
利子も増え、次はもっと多くの請求が来るというわけさ。
そのうえ、そのうえにだよ!
浄化停止に効力を発した薬というのはもともと毒なんだから、今度はそ
の薬毒も加わってしまうんだ。

小さい病気をたびたび止めていると、いつかは累積した毒素が一度の浄
化して、大病になるというわけだ。


よく医学の進歩を褒めたたえているが、医学が進歩したというのは、浄
化停止方法が進歩したということなんだ。
ということは、

医学の進歩とは病気を治癒させる進歩ではなく、病気を治癒させない進
歩という事になりはしないか!?

最初自然に任せておけば、軽い病で済むものを重い病にまで発展させる
のが医学の治療ということになると、、
これはエライコトですよ。


こんなことが真実だとしたら、もう世界中ビックリギョウテン!
大騒動になるだろうね。
けれどオレは簡単にはそうならないと思うよ。
ナゼって、みんながみんな、医学を信じ切っているからね。
こんなことはウソだと思うだろうね。世の中をまどわすヤカラが悪意を
もって掲示しているんだと、、、
ヒコクミンは排除せよ!  ということになるだろうな。

で、オレの方に味方があるとしたら、それは「自然」しかないだろうな。

結局はいやでも自然の摂理が、最後の審判を下すことになるだろう。
このまま時節が過ぎて行き、オレの方が「アウト」と判定されたら被害
は少ないが(信じる者はほとんどいないからね)、そうでなかったとし
たら、、、

長くなったから、それじゃあ続きを別の掲示に、、どうか次も見て見て
ちょうだい、、オクサン

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《 三 毒 》
 ひのもと異学 1997、3、24 初版

ひまあり異学


 またオジイサンの異学論を参考にして、みなさんに分かりやすいようにかみ砕い
てみました・・・ペッペッ・・
人様の受け売りがケシカランと言うでしょうが、でも“正統”の人たちも同じ受
け売りでしょう?   ひとりですべてを研究することなどだれも不可能でしょ
うね。
では、そのウケウリを・・

◆あらゆる病気の原因は体内毒素であると、すでに何度もイイフラシタが、その
毒素とはと言うと大まかに三つに分けられるのでして、それを『三毒』と呼びま
しょう。

『然毒』、『尿毒』、『薬毒』のことを三毒と言います。

それではまず『然毒』とは何?と言うと、
これは「薬毒の遺伝」ともいうベきものです。
薬毒が何人かの人体を経てついに変化し一種の毒素となったものであると言うん
です。

薬が毒素になる!?
これは大昔から薬の常識ですね。
東洋では漢方薬がその代表で、西洋ではハーブとでも言うんでしょうか、どちら
にしても、昔から薬は草根木皮、動物、鉱物、その他自然界にあるあらゆる物か
ら作られて来ました。
そしてそのほとんどは、毒性物が薬としての効力を現していたのです。

では、日本においても歴史はそれを物語っていると言うのですね。

すなわち天然痘は干三百年以前、欽明天皇時代以後から発生したという事になっ
ているそうです。
それは飲明天皇十三年に仏教が渡来し、間もなく初めて各地に疫病が発生したの
だそうです。
そこで、時の執権者は、仏教渡来によって日本の神々の御怒りになった為である
となし、仏教を禁じたと言います。
だが、疫病はいっこうに減退しないので、仏教に関係は無いとして再び許された
という事です。
おじいさんの考察によると、仏教渡来よりもよほど以前に漢薬が渡来した為であ
ろうと言うのですね。
もちろんこの『疫病』とは天然痘のことだそうですが。

このようにして、先祖伝来の遺伝毒素、つまり然毒は自然浄化作用の働きの結果、
主に天然痘となって排泄されたのは今も昔も変わりなく、人体の健康保持のため
に、どうしても病気というものは必要不可欠と言う事です。


次に『尿毒』とは、腎藏の機能的活動の鈍化に因る余剰尿を言うのだそうです。

それはどういう訳かというと、元来医学においても唱える様に腎臓機能は尿の処
置とホルモンの生産ですね。
すなわち飲食物中の不必要分が糞尿となって排泄される場合、先に述べた様に異
物は全部を排泄することは出来ないので、それが腎臓内部より外部ヘ浸透して、
その附近に累積固結すると言うのです。

その固結が腎臓を圧迫する結果、「萎縮腎」となり、余剰尿を生じ、だんだんと
脊柱の両側より肩部へかけて溜積固結するのです。
それが背や肩の凝りになるのです。

そして次に、延髄部、リンパ腺、耳下腺、扁桃腺等に移行するんだそうです。
これによると、歯槽膿漏は、これらの「尿毒」が歯根より排泄されようとしての
病気であるから、この病気は尿が腐敗して口内から排泄される訳です。
本当にこの原因を知ると、その不潔さに顰蹙(ひんしゅく)するであろうとおじ
いさんは宣うのです。

この様にして尿毒は万病の原因になるといってもよいですね。


次が『薬毒』と言う事ですが、これは前から説いたから略しまして、いろいろな
薬毒の表れ方について説明を受けました。

薬毒の浄化による苦痛というのは、発熱、痛苦、掻痒苦、下痢、嘔吐、麻痺、不
快感等が重なるものですね。

そして『発熱』は薬毒多量者程甚だしいと言います。
生来「無薬用者」はほとんど発熱は無いと言っても差し支えないそうです。
『発熱』は固結毒素を排泄する際にそのままでは排泄されにくいから、液体化し
て容易に排泄されるように、熱が発生すると言うのは何度も聞いていますね。
人体というのは正に神秘な小宇宙と言われますが、毒素のあるところに熱が集中
的に発生するように出来ているのです。
風邪をひいても発熱しますが、そうすると液体化した毒素は鼻水や汗となって出
ますね。
毒素が強いと鼻がヒリヒリと痛むでしょう。喉に集まると痛み、下痢をすると肛
門がヒリヒリする事ありませんか?


また、薬毒痛にも種類があるそうで、
「西洋薬」は鋭痛が多く、針刺型(針で刺すような痛み)、錐揉型(キリでもむ
ような)、稲妻型(いなずまのように来る痛みか?)等で、
漢方薬はそのほとんどが鈍痛であるそうです。
掻痒苦(かゆい苦しみも大変だそうですね)は、西洋薬に多く、特にカルシニー
ム注射は必ずジンマシンの原因となるから注意すべきというそうです。

これら『三毒』の区別を知る方法があるのだそうです。
それは固結部を指頭で圧診したとき、
然毒は無痛、
尿毒は軽痛、
薬毒は強痛であるから熟練によって見分ける事が出来るようになるそうです。


以上のように僕なりにかみ砕いたお祖父さんの説明は簡単で明瞭なものです。
僕の思うには、これら三毒はやはり元を正せば、すべて『薬』から来ていると考
えられます。
然毒は古い薬毒で先祖伝来、
薬毒はもちろん自分の代に入れた薬、
そして、尿毒は主として腎臓の周りに薬毒が集溜したために委縮腎となるのです
から、元はやはり薬にあるようですね。

ああ、この世にゲニオソロシキハ“ヤクドク”カナ・・・
と結論づけるのは極端すぎるでしょうか。

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himaariと言いながらひまなしです。
呑むのにイソガシクテ、コメントくださる方々に返信もしないで申し訳ありません。

ちなみに、年賀状もいっさい返礼しなくなって四年です(自慢


 結 核 の 解 剖 》その2
        ひのもと異学 1997、3、7
(その1よりのつづき)
◎医学の診断の結果ラッセルを認めることになる。
ところがラッセルは呼吸による喀痰の響きであり、それを病気と誤り滞
溜喀痰を固める手段をとる。
その手段とは安静、薬剤使用、湿布、水冷等でこれは、
「せっかく清掃のために汚物が肺臓という中途の機関まで来たのを喰止
めて排泄されないよう極力固めようとする」
のである。
それが濃度化した喀痰がレントゲン写真に雲影となって写るや、結核と
断定する。
これが結核の真相である。


☆もしもそれが真実ならば重大ですね。
意識的でないとしても医学が結核を作り出し、しかも結核を治さないよ
うにしているという事になる。
こんなことがあり得るとは信じがたい話ですが。
しかし、事実アメリカでは結核が急増しているというし、何が真実なの
だかをよく検討しなければ、、

でも結核というのは結核菌の伝染によるものでしょう?


◎ここで問題なのは結核菌そのものが病気の原因では無いということで
ある。
それについて医学は菌のみに囚われ、菌さえ殺せば結核は解決出来るも
のと誤信している事である。
しかし菌といえどもまさか偶然空中に発生したものでなく、又人問の体
内に理由無く騰いたものでもない事はもちろんで、その発生原因が必ず
どこかにあらねばならない筈である。
それがいよいよ私によって発見されたので、以下詳しくのべてみるが。


結核菌は自然発生であって、決して感染ではない。
最初のある時期までは菌はないのである。

しかしながら、無菌喀痰といえども排泄されずして長く滞留する以上固
結するから益々排泄困難になるばかりか、人間の体は体温という微生物
発生に好条件があるから喀痰が古くなれば結核菌が自然発生するのは当
然である。
そうして結核菌であるが、これは医学で言うように伝染するものではな
く自然発生であるというのは、肺臓内に固めた痰は、時日を経るに従い
腐敗する。
腐敗すれば微生物が湧くのは物質の原則であり、しかも体温という好条
件がこれに拍車をかけることになる。


☆結核菌が直接の原因ではなく、あくまで液体化した体内の固結毒素が
肺臓内に入り、それを薬毒によって出さないようにしているから、そこ
に腐敗菌がわくというのですね。


◎結果として、医学の誤まりは結核菌を作り培養するという訳になるか
ら、この点パスツールの菌の自然発生否定の説はまったく誤りなのであ
る。


☆パスツールの菌の自然発生否定説は間違いだとする医学者や生物学者
が世界でもいるようですが、僕のようなシロウトでもおかしいと思いま
すよ。
菌が自然発生したものでなければ、それは何時、どこから来たのでしょ
うね。すべてのウイルスや細菌類は宇宙から飛来したとでも言うんでしょ
うか。それを証明出来た人なんでいないんでしょう。たんなる憶測だと
したら、医学も僕たちと同じ“非科学的”と言われてもおかしくないで
すよね。


◎今一つ見のがしてはならない事は、陽性の際、結核発病を注意するが
この事は逆効果となる。
何となれば、その一言によって患者は地獄の門に入ったと同様、前途不
安に襲われる。
もちろんその為の神経作用によって意気消沈はもとより、食慾不振、不
眠、神経衰弱を引き起こすのである。
中には神経性結核となり生命を奪わるる者さえ往々見受けるのである。

また陽性後の強労働を戒めるのは、浄化力が発生するからで、医療の固
める目的とは反対であるからである。


☆これについては、今の時代では“癌”がその主役ですね。いずれ“エ
イズ”というライバルにその座をあけ渡すでしょうが。
これらの病名を宣告されたら最後、だれもがもう“死の宣告”を受けた
かのように意気消沈しますよ。
体内毒素の浄化作用なのだからアリガタイなどと言う人はまず居ないで
しょうからね。
僕だってそうですよ。原理がわかっていても苦しみ死んでいくのという
のは本能的に嫌なものですから。
でも薬を飲んだ方が楽で長生き出来るとかはけっして思いません。
その方がむしろ苦しみが倍増してしかも命を縮めてしまうと知っている
からです。
いま話題になっている近藤医師の『患者よガンと闘うな』などもその点
を指摘しているのだと思います。

自然に逆らうよりか自然の摂理にしたがっているほうが楽に長生き出来
るはずですね。
そうでなくては、人間を守る自然の摂理などという法則は存在しないこ
とになりますから。
健康法や療法にしても、その浄化作用という鉄則にかなっているかどう
かで判断しなければならないと思います。

では、現代医学で否定されている『菌の自然発生』の原理についてもう
少しくわしいご説明をしてください。


◎それに就いて前もって知っておかねばならない事は、人体なるものの
構成であって、科学は人体を単なる物質とみなしているが、これが大変
な誤りである。
なぜならば、もしそうだとすれば、人間の生死はどう説明していいか分
らない事になる。
ここで肝腎な事は、人間の精神即ち心である。
これは目には見えないが、科学といえども否定は出来ないであろう。
というのは人間は肉体と同様の形をしている霊という無に等しき個体が
厳然と存在しているからである。
というように霊と体とは密着不離の関係にあり、死とは霊が脱出し、体
の活動が休止する事である。
そうして心は一秒の休みもなく動いており、人間が何等かの意慾が起る
や、問髪を入れず体に移りて行動となるので、体が勝手に動くのではな
い。
としたら人間の本体は心即ち霊にあり、霊こそ支配者であり、体は隷属
者であるから、霊主体従である。
このの理によりて病といえども最初、霊に発し、体に移写するので、こ
れが真理である。
したがって根本は霊を健康にする事である。


☆なんだかよく解らないのですが、霊を健康にするとは?
不健康な霊っていうのはどういうことですか?


◎霊の実在等というのは非科学的にて問題にされないのである。科学者
の間では、いまだ物質の究極は、真空であり無であり何も存在しないと
しているからだ。
しかし一部の科学者に「真空中にはエーテル状の何かがある」としてい
る。そうでなければ科学の理論が行き詰まってしまうからであろう。
しかしこれは物質では無いから発見されることはない。

☆物質科学では発見されないから、“無い”とされるのですね。

◎そこで理論として知っておいてもらってもよい。
霊というのは何かの原因によって純粋透明な人体の霊体に不純的不透明
的な無限微粒子ともいうべき曇りが発生するのである。
この霊の曇りがすべての病気の発生原因となる。
そして、霊主体従の法則により物質的存在の人体に影響するのである。
それが濁血である。血液の汚れとなって移写するのだが、その排除作用
が病気と呼ばれる浄化作用なのである。


☆霊というから幽霊とかオドロオドロしたものを想像しましたけれど、
もっと根本的なものなのですね。

◎体的に病気発生の前に霊の段階でも浄化作用が既に発生しているので
ある。
霊界では先に霊の曇りとも言うべき不純な無限微粒子の払拭作用が行わ
れ、それが物質界となる人体に写り濁血の浄血作用、清掃作用が行われ
る。
ばい菌、ウイルスといえども同じく霊界から発生するのである。物質界
では検知出来ないのだから“無から有が発生する”ように見えるが、実
在する世界から湧くのだから、初めから“有”なのである。

☆パスツールの『菌の自然発生否定』は物質だけを見ていたからで、そ
の奥が実在するとは考えられなかったのですね。

◎自然界は物質から非物質界へ分離した形ではない。宇宙の無限大は物
質の無限小へとつながる連続であり、裏と表、上と下、右と左、経と緯、
、、一体の存在なのだから、微生物も霊界の不純物から発生したそれが
連続線上に物質界に現れて来るだけである。


☆いまの科学がそれを発見出来た時点で“存在する”ものになるのです
ね。
もっと詳しい原理は別の項で僕なりに解釈したものを載せましたから、
このへんで失礼します。
しかし、この結核に限らず、多くの伝染病と言われているものには間違っ
た解釈によって、不幸な目にあった人がいるんでしょうね。

◎医学が真の病気の原因を知らず、誤った治療法を施すことに気づかな
ければ、これからも無数の不幸を作り出すことは確実であろう。


☆ハンセン氏病(癩病)患者の隔離問題もずいぶん気の毒でした。あれ
は厚生大臣が誤って済むことではないでね。
失ったものは戻って来ない、けれども、医学に盲信しているのは医師だ
けではなく、かえって一般の人の方が信じ切っているのではないでしょ
うか。
それに気づくときが来るのでしょうか?


◎どちらがより盲信しているかと言う事は断定出来ないが、『真実』に
“気づく”のは簡単ではないだろう。
これは力づくで変えることは出来ないからで、ともすれば、よほど多く
の犠牲が伴わないと気づくことは出来ないのでは、、、
あの戦争が原爆という大きな犠牲によって終結したように、、、

☆そんなことがあっては困ります。いくら天の邪鬼の僕でも。

もしもおじいさんのいう事が真実なら、きっと伝わるはずです。日本だ
けでなく世界中で認められるはずです。
ボクグワンバリマス。セッカクケッカクノベンキャウヲシタキッカケヲ
ダイジニシテ、、、

           参考になる図書

   【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】
  レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井俊介訳
社団法人  農山漁村文化協会  発行   


異端の生物学者  千島喜久雄論はノーベル賞に値する
  【間違いだらけの医者たち】
            忰山紀一 著   徳間書店発行

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



他人様の説を少し脚色して書いたものです。
いま読んで見たら、自分でも全部信じて良いものやら・・
(なら出すなよ!)

デモ、モッタイナイ・・・(おい、それが理由か)

けっかくですし・・(せっかくですし)


《 結 核 の 解 剖 》その1
       ひのもと異学 1997、3、7

今はガンが“不治の病”といわれ、(医学では治癒が容易であるかの様
に言うが、事実はガン患者になればほんとかどうか分かるだろうね)
そして、ちょっと前までは結核がその代表とされていたようです。

しかし『医学の進歩で予防効果が上がって、治療薬も進歩して今では結
核は簡単な病気のうちに入っている』というのが常識になってますよね。

しかし僕は、この『医学のお陰』というのはどうもまゆつば物ではない
かと思うんです。(またまたこんなことを言い出す!・・ドウモ)

予防についての効果は益よりも害が多いという事実が出ているようでし
て、それでは治療効果の成績の方はどうだかというのですが、実際に結
核での死亡者が減ったというのも事実なんですね。
だから、医学の進歩のお陰なんだという事を素直に聞けないのがあまの
じゃくのヘソマガリでして、「ようしなにかイチャモンを、、」と、例
のおじいちゃんに聞きに参りましたと、、

話の伝え方を僕なりに変えてはありますが、できるだけ内容を大切にし
てありますから、これが真実かどうかをよく見極めてくださいよ。


☆医学で結核の死亡者が激減したのはどういうわけでしょうか?

◎それは薬で一時的に固めたまでで、一時的に病気症状が減るから効く
と思うだけで、実は小康を得るにすぎないのである。
したがって、単に死ぬのが延びただけで、もちろん長くは続かないから
安心は出来ないのである。

☆なんで長続きしないのですか?戦後数十年たった今では結核は安心で
きる病気となっていますよ。

◎では、今まで通りにしていれば今後どうなるかというと、むろん時の
経つにしたがい、再び浄化が起り始め患者の数も増すので再び薬を用い
るが、今度は以前ほどに効かないから毒をいっそう強めた薬が出来る事
になるのはもちろんで、ちょうど麻薬中毒患者と同様である。

そうしている中にいよいよ効かなくなり遂には全然効果がなくなると共
に、今迄の強い薬毒の浄化も加わって悪性結核激発となり急死する者数
知れずという事になろうから今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろ
う。
以上のような訳で、その時になったら今度の記念祝典を憶い出して身が
縮むであろう。

☆僕はそうなるかどうかは思わないですが、おじいさんの言うように浄
化を止めたために結核は減ったのでしょうが、その為にガンなどの悪性
の病気に転化したんではないでしょうか。
ちょうどモグラたたきのようにね、、

で、その『記念式典』というのは結核が激減したお祝いなのでしょう。
戦後すぐの時期だったのでしょうね。


◎私はこの様な悲観的な事は言いたくはないが、そうなるのは今から判っ
ている以上、警告せざるを得ないのである。

ここで重ねて言うが、今日のごとき死亡率半減期間は一時的であるから
再び頭をもち上げ始めるのはもちろんであるから当局も一般人も大いに
あわて出し、結局医学が今日の新薬恐怖時代を作った事に気が付くこと
になるのである。

☆なるほど、どうも調べてみると日本での結核は減ったままですが、まっ
たく無くなると言うところまで行かないということは、結局、本当に治
せる薬がいまだに出来ないということでしょうね。

そういえば、いまアメリカでは結核出の死亡者が激増しているそうです
ね。
半世紀以上もの前に、おじいちゃんの言った警告は現実となって来たん
でしょうか?

◎私はこうも言っておいたはずだ。
新薬の効果によって直ちに死なない半病人が増えるからこわれ物扱いを
されなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働
らく事も出来ず軽作業がやっと位の人間が夥しい数に上るであろう。
としたら国家全体からみても由々しき大問題である。

☆そうなんですよ。
僕もそうなんですが、いくら言っても人間て忘れやすいんですよね。
でもおっしゃるように、今ではなんでも「無理をするな、疲れるような
仕事はさしひかえて、体をたいせつに、、」という時代になりましたね。

いつも栄養たっぷりの美味いものをたらふく食べていてもまだ、「栄養、
栄養、、」といってビタミンだの何だのとうるさい世の中になってしま
いました。
ということはやっぱり半健康人が増えたからなんでしょうかね。
では、どうして結核になるのかということと、それが減少したのかとい
うことを教えてください。


◎いかなる人間も、一人も例外なく先天性及び後天性の種々の毒素を保
有している。
その毒素は平常時は体内あらゆる局所に団結しているが、一度浄化発生
するや溶解し始める。
もちろんその場合、発熱、咳轍、節々の痛み、食慾不振等の初期の結核
症状が表われるのである。
それによって保有毒素は排泄されて真の健康体となるのであるから、浄
化発生こそ大いに喜ぶべき事で自然の大なる恩恵である。

ところが医学はこれを反対に解釈したため、病気というものを、健康上
不可なるものとして恐れ、極力鎮圧手段に出るのである。
すなわち、せっかく毒素排除活動が起こったのをもと通り固めようとす
る。
それが医学の療法であるから、今日までの医学がいかに誤っていたかを
知り得るのである。


☆そうですか、、、で、医学と言っても数千年も続いて出来上がったも
のでしょう。それがいつのころから間違ったのでしょうねえ。
毒素排除作用を浄化作用というんですね。それを勘違いしてくい止めよ
うとしたのが間違いの始まりなんですね。
でも無理はないですよね、浄化作用と言っても長く苦痛が伴うんでしょ
う。

◎それは借金と同じようなものである。
最初の催促で返しておけば軽くて済むものを、何度も借りては支払いを
延ばして来たからである。
元金に利子が付いてだんだんと返済が苦しくなるのである。

☆ふーん、、借金かあ、、薬毒の借金、、いや一時的に苦しみのがれの
借薬、借毒とでも言うんでしょうか。
体内の毒素というのは薬が主なんですね。

◎そうして薬毒が体内の各局部に集留固結して、その浄化作用として感
冒がおこり熱によって溶解した液体毒素は痰(タン)となって肺臓を通っ
て出ようとするのである。
というわけで、肺とは喀痰排泄のための“通過駅”ともいうベきもので
あるから、痰はいったん肺臓内に滞り、咳というポンプ作用によって咽
喉を通って出るので、咳と痰が出れば出る程よく浄化される訳である。


☆溶解毒素の通過駅ですか、、それがセキによって吸い出され、口から
タンとなって次々と排泄される。セキはポンプ作用なんですね、痰を吸
い出すための。
うまく出来ているんですね、餌健康保持のために働く、人間のからだの
しくみってのは。
するとゼンソクなども同じ原理なのでしょうか?


◎すべての病気がこの浄化作用の原則に基づいているのだから、排毒さ
れただけ人間は真の健康体を取り戻すことになる。
ただ、ひとによって毒素の固結場所が違ったり、薬毒の種類が違うこと
で病気症状も千差万別となる。

☆一時的に苦しくてもがまんして排毒作用に任せておけば自然に治り、
毒素が出ただけ健康に戻れるんですね。

◎ところがそれを逆解した医学は、咳(セキ)と痰(タン)を極力停め
ようとするのであるから実に驚ろくべき錯誤である。
この結果、痰は肺臓内に滞留したまま日を経るにしたがい、漸次固まっ
てしまい、しばらくすると再び浄化が起り風邪を引く。
その時医師に診てもらうと、発執と肺臓内にある痰の固結、咳や吐痰、
喘音等によって結核初期と断定するのである。

なお、また前の時軽微な肋膜炎もあったのでその固まりが溶けて肺から
出ようとする。                         
                          これを肺浸潤
といい、首肩の凝りが溶解し、肺の上部から侵入するのを肺門淋巴腺、
又は肺尖加答児というのである。


☆むずかしいことは分かりませんが、自然は出そうとする、医学は出さ
ないようにする。
この違いでしょうか?

◎これを一言にして言えば自然浄化によって体内の汚物が出ようとする
のを医療は出さない様にするのである。
もちろん服薬も注射も安静も何もかもことごとく“固め手段〃であるか
ら、『医学の進歩とは毒素固め方法の進歩』でしかない事は余りにも明
らかである。


☆「毒をもって毒を制する」と杉田玄白先生もおっしゃていますが、“
毒を制する”というのは“固める”という意味だったんですね。
僕たちが子供のころからやって来た注射はいまの時代でもやっているよ
うですが、ここのところを詳しくお願いします。


◎近来結核の早期発見を奨励しており、その唯一の手段として用いるの
に、ツベルクリンの注射がある。そうして反応のないものを陰性といい、
紅く鍾れるのを陽性といい、陽性に対しては先ず半ケ年間は結核発病の
危険あるとして、その問一ケ月に一度の試験注射を行うを可としている。

半ケ年を経て異常のないものは一先ず注射を解くが、それでも当分三ケ
月に一回の注射を励めるのである。

最初半ケ年の要注意期間中はなるべく過撤な運動を避けるように注意を
与える。
というのはそれを守らないと、発病の危険があるからというのである。


☆ツベルクリン、、、なつかしいなあ。あのころを思いだしますよ、僕
も純粋無垢でした。いつからこんなに根性曲がりになったんだろう、、
ああ、、思い出せない、、
ところで、今のやり方はどうか分かりませんが、だいたいの基本は同じ
でしょうね。


◎最初ツベルクリンの注射によって陰性であるという事は体力劣弱にし
て浄化発生の力がないからで、それに引きかえ紅く腫れるのは浄化力旺
盛であるからである
すなわち紅く腫脹する理由は、体内に注射液という異物が侵入するため
その異物を体内深く侵入せしめざるよう、いわば防衛手段が発生するの
である
その防衛手段とは血液が異物侵入局部に集中し、異物との闘争を開始す
るためである。
その結果異物の毒分を弱めて侵入の害から免れようとするのである

右の理は、最初陰性であったものが、再三注射するや陰性が陰性に転化
する。
これを医学では陽転というが、このわけは注射液が少量のばあい弱体者
は浄化発生の必要が余りないが、多量になる場合はそれを防止するだけ
の浄化力の発生が必要となるのは当然で、自然は人体擁護の手段を遺憾
なく具えているのである。


☆そうですか、、、ツベルクリン反応の結果で結核を断定することの危
険性は、最近は医学関係者でも言うようになりました。
それにしても、お医者さんでもないのによくそれが解りましたね。それ
もだれも言わないずうっと前から。
それにしても、、浄化力が弱い人の方が陰性とはね。
異物の侵入に対して抵抗力のある人が陽性になるんですね。


◎元来肺臓という機能は前に述べたごとく、体内各局部の固結毒素が発
熱によって溶解液体化したのをいったん肺臓が吸収する。
その毒素は間もなく喀痰となって、次々体外へ排泄されるのである。
その際の咳嗽は喀痰を吸引するポンプ作用であるから、咳嗽(せき)の
後は必ず喀痰(たん)が出るにみて明らかである。

かくして体内の不純物は清掃され、その結果健康は増進されるのである
から、実に自然は人体の健康保持に対しよく出来ているのである。

右の理を知れば肺患などはあり得るはずはないのである。
なぜならば、右のごとく体内毒素が排泄の際の一時的停留所ともいうべ
き機能であるからである。
その理を知らない医学は、一時的滞溜の喀痰を肺自体から作られたもの
と解釈するのである。


☆なるほど、何度聞いても、なるほど、、
よく僕もゴミ出しをさせられるのですが、収集車が来るまえにゴミ置き
場に一時的に置くんです。
それを汚いからと言って一時預かりの場所を排除してもゴミはなくなり
ませんよね。ゴミは家から出すんですから。
一時預かりの場所からゴミが出ると思っているのが医学なんですね。
もともと原理を知らないから治療法が検討違いとなって、真に元から治
るのではないんですね。
一時的停留所をいくら閉鎖してもゴミは溜まり続けるわけですから、結
局はゴミ収集車に持って行ってもらわないと、家の中は始末にならない
ほどゴミの山になってしまいます。
それであふれたゴミは別のはけ口を求めていろんな悪性な病気が出て来
るんでしょうか?
結核の激減も安心出来ないというのもようやく分かりました。
それでは、もうすこしこまかくお話を、、
                          (その2につづく)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

《 医 学 は 科 学 的 治 療 法 ? 》
       ひのもと異学 1997、2、25

こうまで言うか!
というほど現代医学の批判の論を載せている僕自身が、果たしてオレの情報は正
しいんだろうか?とふと考えてしまうほどであるのだから、これを聞く方の人は
もっともっと疑問をいだくでしょうね。
なにかこの人は“取りつかれた”様に次々と医学の誤りろやらを述べ続けている
が、これはきっと、キの字に近いのかも、、

いや、そう思うのは当たり前かも知れない。自分でも果たしてこれは真実なのか
どうか考えてしまうこともあるからね。
そんな無責任なことを載せるな!

もし間違っていたらごめんなさい。
でもよくよく考えてみても、こちらの方が正しいという気がするんだな。
いろいろな本がそれを裏付けてくれるから、どうしても流れは医学の欠点を知ら
せることになってしまうんだ。

現代医学の理論を見ると、なるほど個々の研究だけを見ると確かに事実そのもの
のように思えるのだね。そして個別には真実なのかもしれない。

でも、人間全体として見つめてみると、どうも真理と掛け離れてくるような気が
するから不思議な気がするね。
それはどうしてだろう?

人間を物質だけのものとしてみているからだろうか?
だから人形の部品みたいに個別に研究して、その結果を総合して成り立った様な
学問が医学なのかも知れないな。

個々の専門家はそれだけを研究して深く掘り下げていくから細部のことまで事細
やかに調べ尽くしているが、いざ別の部門に関してとなるとさっぱり専門外だか
ら分からない。
これでは生命を持った人間を知ることは出来ないのだろうね。
死んでしまった人間を調べることは出来ても、総合機能体である生身の『ひと』
を知ることは出来ないんだね。

だからいくら人体を細かく微細に調べ尽くしても、それは物質のとしてだけの人
体だから、いざ病気の真因を探ろうとしても、上面のところしか分からないのだ
ろうね。
深いところの原因が探り出せないのだから、根本の治療は出来なくてどうしても
対症療法となってしまうのだね。

その原因は現代医学は現代科学を土台として成り立っているからだろう。
現代科学は唯物科学と言って物質だけを対象にしているんだな。
簡単に言えば、物質の究極はやはり微細な物質とみているんだろう。

たとえば、真空と言う状態は何も存在しないという事になっているらしい。
真空には物質ではない何かがあるという論は否定されているようだから、生命は
やはり物質界の内に存在しているという理論だろうね。
ところがその真空中にエーテルと言う非物質が存在しているという科学者も居る
というから、僕もそれをネタにして、いままで教えられて来た論を紹介しよう。

それによると、非物質界とは霊界という存在のことらしいね。
そして霊の世界でも霊子というものがあるという。これはもう電子とか陽子とか
言われる微粒子などとは比べ物にならないほどの超微粒子だそうだ。
これは粒子というよりかもう精気とでも言うか、霊気とでも言うような存在であ
るという。

しかしこれは厳然たる実在であるそうだ。
この霊の世界に生命は属するのだから、人間を調べるとしたら物質だけでなく、
この霊の体も知らなくては全部を知ることは出来ないのだ。

人間は霊と体、生命力と物質元素が合致して、『人』となって存在しているのだ。

だから、この霊体という生命の分野を度外視して病気を解決しようとしても無理
なのだそうだ。

そして病気の原因として本命視されているばい菌、ウイルスなどもこの霊界から
発生するという事を知らないと、菌やウイルスだけを殺すことだけに血道を上げ
ている医学はやはり対象治療であって、根本の治療法ではないのだ。

菌やウイルスは結果であって、その原因は霊界にあるのだ。科学界ではエーテル
の世界とでも言うんだろうか? 
樹木や草で言えば、葉っぱが元気がないときその原因が見えないところの根にあ
ることを知らず、葉っぱだけを研究しているようなものだね。
だから、これから医学がいくら進歩しても、それは結果だけを対象としているの
だか“永遠に”人間の病気の解決は無理だろうと言うことだね。


さて、科学の進歩とは機械や電子機器の進歩ばかりと思っている人が多いね。
“霊”などと言うと、「この科学時代に、人間が月に行く時代に、非科学的な話
を、、、」と笑う人がいるが、なにも人工的に作り出したものだけが科学的でも
なかろうに。
だいいち、電子でも磁力でも何の法則でもそれは人間が発見しただけで、それ以
前から、太古の時代からその法則は厳として存在していたのだろうに。
人間はその法則を見つけただけで、それを利用しただけであって、自然界の法則
は先にあったんだ。

だから人間が法則を作ったんじゃないんだ。既に存在している法則を人間が探り
だし究明することが科学することだろう。
だから“科学的”というのは、自然界の法則に合致したものなんだろうね。それ
を真理に合ったものというんだろう。

人間の病気も健康も自然界の法則にあった原因と結果があるんだね。それも人間
の知恵が発達する以前からすでに“存在済み”というわけだ。
なにも今の時代ような物質的科学が発達しなくても、人間はその摂理によって支
配され続けて来たんだよ。

ただ進歩途上の現代の科学ではいまだ発見されていなかっただけなんだね。
ところがこれを科学者が発見できないでいるというだけで、ほかの分野の人がす
でに発見したというわけさ。
その人はいわゆる『科学者』ではないが、自然界の法則を発見したのが真実だと
したら、これこそ本当の『科学者』と言えるだろうね。

逆にこれを否定する人達は、自然界の法則を無視するのだから、非科学的な“に
せ科学者”と言えるだろうね。

その判定は結果が示してくれるのだ。

現代医学が自然の法則に則った治療法ならば、病気も病人も減少の一途となるだ
けなんだな。
ただし、一つの病気を解消したと言ってほかの病気をいくつも作り出していては
“減少”とは言えないよ。

そうなった時、それこそ『科学的治療法』だとエバッテもいいんだよ。

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みなさん、ご訪問ありがとう~
コメントは最近はお返しするヒマが無くてすみません。
でも、ぜんぶ拝見して嬉しくて嬉しくて♪

ヒマが無いhimaariとか

ここで、まとめて御礼とお詫びを申し上げまして、
皆さん(あなた)のご検討を祈る!


まあ、この記事が正しいか誤りなのか
それは
自分で考えてみてね
(100パーセント ○も●も無いと考えて)
   

《 寿 命 の 延 び た と 本 当 の 原 因 》
     1997年記事


寿命の延びたのは医学の進歩のせいだとされているよう
ですが、またまたアマノ
ジャクの登場で、何とかほじり出して見たいと思うので
す。

医学の進歩を誇るときに必ず言い出されるのは、寿命が
延びたことと数々の伝染
病を克服したことでしょうね。
伝染病の方は

すべての親が知るべきこと
   【 危 な い ぞ 予 防 接 種 】
             イギリスからのメッセージ
  レオン・チャイトー著   毛利子来監修  藤井
俊介訳
社団法人  農山漁村文化協会  発行   
1992年9月30日 初版           2,
200円

という本で、それは真実ではなかったという事が暴かれ
ました。
では寿命の延長も医学の進歩のせいでしょうか。

ここで単純に考えると、医学の進歩で寿命が延びたのな
らは、元気で長生きして
いる人は体が弱くて、短命の人よりもより多く医学のお
世話になっていることで
しょう。
ということは、人よりも多くの薬を飲み続けているから
という事でしょう。
では、事実はどうでしょうか。

長寿で元気な人の話を聞くと、「わたしは元気だからお
医者さんにもかかる必要
も無く、薬もほとんど飲んだことが無い」と言う人が多
いのではないでしょうか。

このように健康だから特別に健康法などに気をつける
ことも無かったと言う人
が多いのでしょう。
だから医学のお世話にもならないので、長寿の本当の原
因は医学の進歩のせいと
も言えないのではないでしょうか。

だが、実際に日本人は近代になってから平均的に長寿に
なったのも事実なのです。
だからそれが医学の進歩のせいと言っても、だれも疑問
を持たないのでしょう。

どうも僕のアマノジャク性はこれでは納得せず、またま
た、例のおじいさんのと
ころに行って聞いて見ました。
次の話しはあくまで一つの見方としてこころにとどめて
ください。



◎本当の原因は、漢方薬と西洋薬の関係にある。
実は寿命が延びたのではない。寿命が短くなったのが一
時的に少し延びただけな
のである。
では寿命が短くなったのはいつ頃からかというと、漢方
薬が渡来してからなのだ。

上代の日本は百歳以上の長寿が普通であったものが、千
百二十八年ごろ雄略天皇
の時代に、支那文化とともに漢方薬も渡来した。
そのころよりだんだんと寿命も短くなり始め、病人らし
い病人も出来た。


◇そういえば、古来の日本人は長寿であったようだ。秦
の始皇帝がそれを知って、
日本には不老長寿の薬があると推測して家来を派遣した
というくらいだから。

◎それから、漢方薬は普及したらしく、それとともに疫
病が発生したのは歴史に
あるところだ。
漢方薬の恐ろしいところは、非常に大量に飲まなければ
効かないとされているか
らである。
したがって長年月飲み続けて結果、その薬毒の浄化時に
は大量の排毒のため体力
が持たないことが多いのであろう。
自然の生薬と言っても、効力の主成分は毒物である。だ
から大量の毒物は寿命を
縮める。
だんだんと日本人は短命になった来たところへ、薬の形
態が変わった。
明治に入って、西洋文化とともに西洋薬が主流になった
のである。
西洋薬は量が少ないので、害が少なくなったのである。
それと、薬学の研究によって浄化停止の効力が強くなっ
た反面、副作用の現れ方
が延びたからである。
そのため浄化と浄化停止の摩擦がよほど緩和されたこと
による。


◇薬害によって死ぬときはこの摩擦が非常に影響するの
ですね。
生命力は浄化作用と行おうとするのですが、薬毒の力は
この生命力を弱めて浄化
を停止しようとするのです。
この綱引きが摩擦なのです。これが長引くと体力消耗の
ため極度に衰弱してしま
うのです。


◎そして薬の成分が今迄とは異なったものが発見された
からである。
これが抗生物質である。これが多いに効いたのである。

◇一時はこれこそ病気克服の救世主とも思われたくらい
ですね。
これらの原因によって、寿命は大きく延びたかのように
も見えたのでしょうね。

◎しかしそれは根治ではなく、あくまで一時的な浄化停
止方法に変わりはないの
です。それに漢方薬で非常に短命になったものを、少し
ばかり元に戻したに過ぎ
なかったのです。
だから、これが根本的な寿命延長になるとは言えないで
しょうね。

どんなによく効く薬でも長く使うとだんだん効かなくな
るからです。
そこで薬を変えるとまた一時的に効く、それを繰り返し
ているうちに本当に効く
薬というのは無くなってしまうのです。

◇薬効というのは根治とならないからです。
病の一時おさえというのが真相だからで、その一時おさ
えが今までより延期した
だけなのだから、医学の進歩とは病の一時延期の進歩で
しかないというのですね。


◎こうして、病の根治ではないから、若いのに老人のよ
うな消極的健康者が増え、
元気はつらつたる人間が減って来たのである。


◇どうにかこうにか病気をしないが無理もしない、から
だをむやみにいたわり、
健康ばかりを気にするという人が増えたのです。
本当に健康に自信がある者は健康などに気を使わないし、
無理をする人でしょう
ね。

おそるおそる健康を維持し、ちょっとでも浄化(病気)
すると、すぐさま薬を用
いて止めようとする。だから病原菌などと言われる極端
に恐れ、やわな体を少し
でも長持ちしようとしていろんな健康法に目を向けるの
でしょう。

半病人で長生きしたというのが真相ならこれは本物では
ないのだから、いづれこ
のにせの寿命延長は終焉を迎えるのではないでしょうか。
もし医学の進歩によって寿命が延びたのであったら、そ
れこそ危ないと言えます。


そのわけは、薬毒を体につぎ込んだ結果だからと言う事
になるからです。
早晩、その薬毒の爆弾は破裂する運命になるのは、自然
の摂理と言うものでしょ
う。

予防接種の神話は崩れ、抗生物質の神話も崩れ去ったい
ま、長寿大国日本ももろ
くも崩れてしまう神話となり得る不安は、僕のようなこ
のアマノジャクばかりな
のでしょうか、、、


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追記  2003-12-10

この寿命についてはちょっと考えてみたが、漢方薬だけ
の原因ではないと思えるので
これを考慮して頂き、安保徹氏の免疫理論などからも参
考になる情報から、ひとを取り巻く
環境が大きく変化した事。
そして大自然の意志が関与しているのかも知れない。
ただ、上の理論はすべて誤りとも思えないので、修正の
件も含めて参考に残しておきます。

ここの論に限らず、すべての過去記事を見直すことも必
要ですが、これはこの時期において
正直に書いているものですから、これはこれとして残し
ておきます。
要は各自が同調するところだけ参考に採り入れて、そう
でないところは遠慮無く捨て去ることです
ね。 あたりまえですね。

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この記事も本当に正しいのか間違いなのかは
「自分では分からない」というものでしょうが

 

《 異 端 の 科 学 と 疑 似 科 学 》
     ひのもと異学 1997、2、22


科学的でないといって異端の科学を非難する者たちが多
いが、彼らのその背景に
は既製の科学を絶対に正しいとして、ものごとの真偽を
調べようとする態度など
はまったく無いようだ。
そこには、コリン・ウィルソン氏の言うように、
(科学的でないと言う非難者は・・・・「批判」ではな
い、是非を調べる気はな
いから・・)




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
・・・自分には間違いがあるはずがない」とする絶対の
前提がある。・・
・・人間の知識の進歩は最も「疑問の余地がない」真理
についてさえ一片の疑い
を抱くことから出発する。・・・・人間の知識の充実は、
問を発することで成立
する。これが真理だ。牛は何も学ばない。なぜか。牛は
問を発することが出来な
いからだ。牛の世界はいっさい変わらない。昔と比較し
て以上でも以下でもない。
問を発する対象もない。・・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆


つまりこれは進歩がなくなった世界では通用するだろう
が、これを真の科学と呼
称するのなら、こちらの方が真理を探究することをやめ
た疑似科学というのが正
体であろう。

体制派に迎合することが好きなの優等生的学者は、今の
居心地のよい地位に満足
しているからか、現状維持を非常に重んじるようだ。
その時のその時代の多数派である“権威”の上層部から
の論を絶対のものとして
受け入れることしか知らない。
それに反すると居場所がないことをよく知っているよう
だ。じじつ異端の論をも
つ者はたちまち排除されてしまうから、自分の身を守る
すべを知っている者は、
たとえ真理と反すると知っていても既存の理論の軍門に
下ることをよしとする。

そうでない者は最初から既存の論を鵜呑みして勉強して
(これは丸暗記と同じで、
それをよく記憶できた者だから)学者や専門家と呼ばれ
世間から尊敬されること
になる。
またそうでなくては、真理を認識出来ない無能力者とで
もなるだろうから。

異端の論をはじき出すのは既存の権威側からみれば簡単
なことである。
その優位性をバックにして、何でもかんでも自分の信じ
る論から外れた異端の説
であると排除しようとする態度は、ひとつの罪悪である
と思う。
そんな人達が「科学的」とか「進歩的」とか言うのは、

そういうことは言語道断とでも言うんだろうか。


『ビックバン理論は間違っていた』コンノ ケンイチ著
より
偏差値教育
「偏差値教育が日本を滅ぼす」西沢潤一氏が危惧されて
いるように、
今の教育現場は一から十まで暗記主義に偏差値一辺倒、
教わった
ことを鵜呑みにして頭に詰め込むだけで物ごとを深く考
えることが
できず、そこから恐るべき事態が起きている。
多くの学生は既存の学説に何の疑いも持たない権威主義
に傾いて来
ており、教科書に書かれていないこと、実験で本と合わ
ないことが
出てくるとキモをつぶして、猛烈な拒否反応を起こす、、
、、
と言うことが現実に起こっている。

そうなんだ、拒否反応を起こしてヒステリックに非難す
ることはみぐるしいのだ。
自称“科学的な人物”となれば、単純な非難ではなく
『批判』をしなくてはなら
ないのだね。

やれ非科学的とかオカルト的とかと言って、なんでもか
んでも即それで切り捨て
ることはイケナイことだよね、マコトちゃん、、、

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