この5月の6日
大原スキー場の近くの山道に入ったら、ふきのとうと残雪残る春の山
散策したときの撮影です。
やっぱ~~自然は美しいニッポン!
アベちゃんじゃないぞ。
自由無き美しさは、ちっとも嬉しくも楽しくも無い
谷川の音に耳を澄ませてごらん・・・
自然の音の奏でる ♪ の楽しさ 身にしみる 谷川の流れ 痔余り あれ?
今ではお医者さんも言う時代になった
《 薬で病気は治らない!? 》
himaari 1999、5、19
え~~と、 「くすりでは病気は治らない」 のだナ。
まあた、そんなこと言っている!
いいかげんにしたらどうだい、薬が何たるものかも知らないどしろうとが、だからアンタは頭がオカシイと言われているんだよ。
だっ、だって、僕の先生も言っていたし、そのまた先生は神様の様な人でそれも今から七十年前にそれを言い出したんだ。
あ~~あ~~、あんたが馬鹿になっている神様かい。信仰もいいけどほどほどにしておかないとね。
チガウ!ちがうんだよ!
なにがちがうんだ。迷信を信じている者がいいわけする気か?
薬が毒で、だから薬で病気は治らないというのは当たり前のことなんで、何もこれと信仰とか神様とかに結びつけてしまうことはないんだよ。
あなたは、自分で理解できないこと、分からないことは、信仰にかこつけて否定しようとしているだけなんだよ。かえって薬で病気が治るという方が信仰的で迷信なんだがねえ。
またま~た馬鹿なことを言っている。しょうがないな!もう! 狂信者には。
くすりでは病気が治らないなんて言ったら、お医者さんに怒られてしまうぞ。
・・ん? なにを笑っているんだ!
やっぱ、あたまイカレてしまったかいな?
ちょっとこれをみてみてチョウダイ。
ナンダ、おまえが書いたのか? その本は。 そんなことあるわけないな。
ではお前の先生とやらが書いたのか? どうせ同じムジナの仲間のたぐいだろう。
んん~~ん、なになに、・・・・アレ!? 病院院長!・・医学博士?
それも、本の題名が「クスリで病気は治らない」だと!!
あ なたの言うように頭のオカシイ僕が言っていた事と、同じことを言っているお医者さんがいたんだね。なんたって、長屋の熊さんが言うことなら馬鹿にして信じ られないだろうが、代官様の言うことなら、ハハァ~~~と、すぐにはいつくばってしまうのが人間のサガなんだろうかなあ~・・・ ふふ
そのあと僕が勝ち誇って自慢たらたらと、いかに僕が先見のメイありとか、いろいろ自慢話をしたのがいけなかったのかどうか、その友人はその本の表紙を見た限りで、中を一頁もめくって見ようともしなかった。
かえって、彼の怒りをあおったようで、ますます僕を変人として見るだけで、けっしてこちらの話に乗ろうとはしなかったのだ。
どんな本当と思うことでも、相手の自尊心を考慮して話を出さないと、かえって反感をつのらせるだけで、逆効果になるということを僕はやっとおもい知ったのだった。
それがたとえ、正義やら真実だと思うことであっても、相手をへこませるような主張は逆効果だというのを知らなかったのだ。
(ナトーさんも知っているんかどうか?)
読 者の皆さんも、この僕が書いたりしているちゃちなサクブンはクマさんやはっつぁんのジマン話の様に思われるだろうが、そこは作者の鼻持ちならない性格が ちょっとのぞいてしまうからだろうから、そんな作者のシェイカクなどはほっぽといて、物事の真実性だけを見つけて欲しいんだな。
だいたい、人物の肩書や性格で情報の真偽を確かめようとするヒトがアマイんじゃわい。 おっと、また出てしまった、この性格なんとかならんかな。
わざわざ、反感をかうようなことを言いたがる。僕は好きなんだが人は嫌う。あたりまえか?。
いつものくだらない前置きはこれぐらいにしておいて、僕がオススメするというだけで知人が見るのも嫌った本を少し、むりやりでも見せちゃおうっと。
実はこの本の著者は生化学会の世界的権威・丹羽博士なのです。
ここで著者の名誉のためおことわりしておきますが、氏は現代医学を否定しているのではありませんし、薬をすべて否定しているのでもありません。
当然この僕との関係もまったくありません。(あたりまえだ!あんたのような狂信ものと一緒にされたらエライめいわくじゃわいーーー自演)
かえって僕のような極端論者はいましめられている様です。
それが、良いとか悪いとかは個々の判断と時が自然に決めてくれることでしょうから、あっちにおいといて。
この方は何十年間ものあいだ、難病・膠原病のプロとして治療と研究に専念して来られた先生ですから、マタギキ情報を垂れ流すこの僕とはチョット(おおいにちがうんだヨ!)違い、この方の説は実践面でも裏付けられてきた結果をまとめてあるものでした。
だから、ダレかがよく言われるように「理論的に武装された」?専門家がちょっとやそっとのケチをつけようとしても大ケガをされると思いますので、理論闘争はやめましょうね。
この中でも、癌に対する現代医学の三本柱の治療法の実態を書いてあります。
癌治療に使われる抗ガン剤の真実や放射線療法の真実等々。
いかに患者さんの期待を裏切っているか、医学に過大な期待を抱いている人には気の毒な内容ですが。
し かし、現代医学に対する単に非難するとかという次元の低い視点から書いているものではなく、事実、博士自身がその現代医学のなかに身を置いて、より安全で 効果の高い治癒方法を探求しているわけですから、利害を越えて真摯に医学を研究実践している本当の医学者であるということが伝わって来ます。
その癌治療に対しても、今の癌治療は“皆殺し療法”であると真実を喝破されていたのは、有名人となられた近藤医師よりも以前のことでした。
(そのずっと前、もう70年も経つが、このような医学治療の虚構性を指摘していたのが、僕がいつも名前を伏している人ですが、余計な先入観で情報を受けないように今だに出さないのです)
まさに、情報は適時に流されていないし、伝わらないーーーというのが歴史が示す事実です。
これは情報を発信する側と、それを広報する中間者(公的機関、マスコミなど)にも原因があるかも知れませんが、それとともに見逃してならないのは、受け取る側です。
実はここにこそ、重大な責任があるのかも知れません。
情報を受け取る側にこそ一番の責任を持って来なければならない時こそ、本物の情報が容易に流れる時代と言えるのでしょう。
あの、大本営発表だけが容易に流されていた時代は、やはり一般大衆にそのような受け入れ態勢が出来ていて、それ以外の情報は受け入れられないという様な一般世間の下地があったのだと思います。
現代までの大衆にとって受け入れらる医学情報と言うのはは、やはり一般大衆に何らかの特定の下地が出来上がっているのでしょう。
テレビでおもしろい事が出ていました。
誰もが、魚の絵を書くときには頭を左側に方に書くと言うのです。それもほぼ世界共通というのですが、それは世界最初に魚の図鑑を書いた人がそうした絵をのせて、それからずっと魚の図鑑は頭が左側になったというのです。
人はそれを何代も続いてインプットされているので、誰もが書くときはそうなるのだと言う説です。
これの真偽は確かめられませんが、医学情報にこれを当てはめて見ると、非常に参考になるものです。
昔から、医学情報の常識は単純にして見ると決まっている答えがあります。
そのひとつは、
病気は薬で治る
というお題目です。
ある一つの薬で治らなければ、きっとほかの薬があるのだから、それを発見するか開発するーーーーだから新薬研究は続くのでしょう。
(その裏には、いつまでも一つの薬が効いていないという現実が隠されているのですが)
誰もが生まれた時から、その親も生まれた時から、その親も生まれた時からーー
そう教えられ、そう信じて来ました。
これは顕在脳にも潜在脳にもしっかりと植え付けられているのではないかと思います。
だから、もしもこれに反する情報が届いたとしても、それを受け入れる下地が無いのです。意識的にか無意識かでそれを拒否してしまうのでしょう。
たいがいはそこに“怒り”という感情が伴うようですが。
たいていは、拒否反応としてなにかしら込み上げるイライラ感が感情を揺さぶり、それが不快な怒りになって思考するのを拒否してしまうのかも知れません。
よく言われるように、人間は本当のことを言われるとかえって反感をいだくーーような現象なのかも知れません。
ただ、感情さえも真実を判断するのに必要なこともあるというのですから、断定はできませんが、少なくとも新しい情報であっても、あまりにも基本的な下地からかけ離れていると、その譲歩を検討する手続きをも拒否してしまう状態になるのでしょう。
何も思考的な手続きだけが、物事を正確に判断できるものではないでしょうが、それにしても、何も検討するまえに即拒否してしまうというのも、おかしななことなのです。
そんな事は、科学の世界でも宗教の世界でも大いにあることです。
それが科学の世界でもあるということは、そのこと自体が科学的ではないことになり、特に医学は科学の最先端と行くと言われている世界ですから、固定されてしまった様な頑固な特定主義をけっしてもってはならないはずです。
私たちは一度インプットされた潜在意識を洗いだし、見なおし嗅ぎなおして見ることも、二十一世紀というかつてない変革を迎える時期において必要不可欠な作業なのかも知れません。
そんなわけで、『薬で病気は治らない』という、医学から見たら本当に非常識であり異端論とも言える情報であっても、怒りとか不快感情で単純に拒否してしまわないで、まずそれがどんなものかという科学心をもって覗いて見ることこそ文明人の証しとなりましょう。
“ 医の中の蛙 大海を知らず ”となりませんように。
中身のほどは、各人が自前で買うか市町村の図書館に(私は市の図書館で見つけた)頼めば良いでしょう。
今 回取り上げたのは、題名が私が普段から言っている言葉を応援してくれているからでしたが、この本のなかには、著者が開発した抗酸化作用のあるSOD様食品 の膠原病やアトピー性皮膚炎に対して治療効果が紹介してあり、現在の私の様に代替え療法を主張しないでただ薬害を述べまくっているのとはチョット??違う のでしょうね。
化学薬品の致命的欠陥を訴え、真の健康のあり方を説く
題名 【クスリで病気は治らない】
医学博士 丹羽 靭負ユキエ 著 (株)みき書房 1300円
下記も医学全般に対しての批評が衝撃的であり、これを読めば医学者も真っ青となる(かな?)と思われる本です。
【食と生命】
松本英聖著(保健学博士、医事評論家)・医事評論集(全六巻)
/第一巻---【食と生命】ーー病なき世界の実現を目指してーー
ISBN4-906255-17-5/\3000 技術出版(株)発行
《 薬で病気は治らない!? 》
himaari 1999、5、19
え~~と、 「くすりでは病気は治らない」 のだナ。
まあた、そんなこと言っている!
いいかげんにしたらどうだい、薬が何たるものかも知らないどしろうとが、だからアンタは頭がオカシイと言われているんだよ。
だっ、だって、僕の先生も言っていたし、そのまた先生は神様の様な人でそれも今から七十年前にそれを言い出したんだ。
あ~~あ~~、あんたが馬鹿になっている神様かい。信仰もいいけどほどほどにしておかないとね。
チガウ!ちがうんだよ!
なにがちがうんだ。迷信を信じている者がいいわけする気か?
薬が毒で、だから薬で病気は治らないというのは当たり前のことなんで、何もこれと信仰とか神様とかに結びつけてしまうことはないんだよ。
あなたは、自分で理解できないこと、分からないことは、信仰にかこつけて否定しようとしているだけなんだよ。かえって薬で病気が治るという方が信仰的で迷信なんだがねえ。
またま~た馬鹿なことを言っている。しょうがないな!もう! 狂信者には。
くすりでは病気が治らないなんて言ったら、お医者さんに怒られてしまうぞ。
・・ん? なにを笑っているんだ!
やっぱ、あたまイカレてしまったかいな?
ちょっとこれをみてみてチョウダイ。
ナンダ、おまえが書いたのか? その本は。 そんなことあるわけないな。
ではお前の先生とやらが書いたのか? どうせ同じムジナの仲間のたぐいだろう。
んん~~ん、なになに、・・・・アレ!? 病院院長!・・医学博士?
それも、本の題名が「クスリで病気は治らない」だと!!
あ なたの言うように頭のオカシイ僕が言っていた事と、同じことを言っているお医者さんがいたんだね。なんたって、長屋の熊さんが言うことなら馬鹿にして信じ られないだろうが、代官様の言うことなら、ハハァ~~~と、すぐにはいつくばってしまうのが人間のサガなんだろうかなあ~・・・ ふふ
そのあと僕が勝ち誇って自慢たらたらと、いかに僕が先見のメイありとか、いろいろ自慢話をしたのがいけなかったのかどうか、その友人はその本の表紙を見た限りで、中を一頁もめくって見ようともしなかった。
かえって、彼の怒りをあおったようで、ますます僕を変人として見るだけで、けっしてこちらの話に乗ろうとはしなかったのだ。
どんな本当と思うことでも、相手の自尊心を考慮して話を出さないと、かえって反感をつのらせるだけで、逆効果になるということを僕はやっとおもい知ったのだった。
それがたとえ、正義やら真実だと思うことであっても、相手をへこませるような主張は逆効果だというのを知らなかったのだ。
(ナトーさんも知っているんかどうか?)
読 者の皆さんも、この僕が書いたりしているちゃちなサクブンはクマさんやはっつぁんのジマン話の様に思われるだろうが、そこは作者の鼻持ちならない性格が ちょっとのぞいてしまうからだろうから、そんな作者のシェイカクなどはほっぽといて、物事の真実性だけを見つけて欲しいんだな。
だいたい、人物の肩書や性格で情報の真偽を確かめようとするヒトがアマイんじゃわい。 おっと、また出てしまった、この性格なんとかならんかな。
わざわざ、反感をかうようなことを言いたがる。僕は好きなんだが人は嫌う。あたりまえか?。
いつものくだらない前置きはこれぐらいにしておいて、僕がオススメするというだけで知人が見るのも嫌った本を少し、むりやりでも見せちゃおうっと。
実はこの本の著者は生化学会の世界的権威・丹羽博士なのです。
ここで著者の名誉のためおことわりしておきますが、氏は現代医学を否定しているのではありませんし、薬をすべて否定しているのでもありません。
当然この僕との関係もまったくありません。(あたりまえだ!あんたのような狂信ものと一緒にされたらエライめいわくじゃわいーーー自演)
かえって僕のような極端論者はいましめられている様です。
それが、良いとか悪いとかは個々の判断と時が自然に決めてくれることでしょうから、あっちにおいといて。
この方は何十年間ものあいだ、難病・膠原病のプロとして治療と研究に専念して来られた先生ですから、マタギキ情報を垂れ流すこの僕とはチョット(おおいにちがうんだヨ!)違い、この方の説は実践面でも裏付けられてきた結果をまとめてあるものでした。
だから、ダレかがよく言われるように「理論的に武装された」?専門家がちょっとやそっとのケチをつけようとしても大ケガをされると思いますので、理論闘争はやめましょうね。
この中でも、癌に対する現代医学の三本柱の治療法の実態を書いてあります。
癌治療に使われる抗ガン剤の真実や放射線療法の真実等々。
いかに患者さんの期待を裏切っているか、医学に過大な期待を抱いている人には気の毒な内容ですが。
し かし、現代医学に対する単に非難するとかという次元の低い視点から書いているものではなく、事実、博士自身がその現代医学のなかに身を置いて、より安全で 効果の高い治癒方法を探求しているわけですから、利害を越えて真摯に医学を研究実践している本当の医学者であるということが伝わって来ます。
その癌治療に対しても、今の癌治療は“皆殺し療法”であると真実を喝破されていたのは、有名人となられた近藤医師よりも以前のことでした。
(そのずっと前、もう70年も経つが、このような医学治療の虚構性を指摘していたのが、僕がいつも名前を伏している人ですが、余計な先入観で情報を受けないように今だに出さないのです)
まさに、情報は適時に流されていないし、伝わらないーーーというのが歴史が示す事実です。
これは情報を発信する側と、それを広報する中間者(公的機関、マスコミなど)にも原因があるかも知れませんが、それとともに見逃してならないのは、受け取る側です。
実はここにこそ、重大な責任があるのかも知れません。
情報を受け取る側にこそ一番の責任を持って来なければならない時こそ、本物の情報が容易に流れる時代と言えるのでしょう。
あの、大本営発表だけが容易に流されていた時代は、やはり一般大衆にそのような受け入れ態勢が出来ていて、それ以外の情報は受け入れられないという様な一般世間の下地があったのだと思います。
現代までの大衆にとって受け入れらる医学情報と言うのはは、やはり一般大衆に何らかの特定の下地が出来上がっているのでしょう。
テレビでおもしろい事が出ていました。
誰もが、魚の絵を書くときには頭を左側に方に書くと言うのです。それもほぼ世界共通というのですが、それは世界最初に魚の図鑑を書いた人がそうした絵をのせて、それからずっと魚の図鑑は頭が左側になったというのです。
人はそれを何代も続いてインプットされているので、誰もが書くときはそうなるのだと言う説です。
これの真偽は確かめられませんが、医学情報にこれを当てはめて見ると、非常に参考になるものです。
昔から、医学情報の常識は単純にして見ると決まっている答えがあります。
そのひとつは、
病気は薬で治る
というお題目です。
ある一つの薬で治らなければ、きっとほかの薬があるのだから、それを発見するか開発するーーーーだから新薬研究は続くのでしょう。
(その裏には、いつまでも一つの薬が効いていないという現実が隠されているのですが)
誰もが生まれた時から、その親も生まれた時から、その親も生まれた時からーー
そう教えられ、そう信じて来ました。
これは顕在脳にも潜在脳にもしっかりと植え付けられているのではないかと思います。
だから、もしもこれに反する情報が届いたとしても、それを受け入れる下地が無いのです。意識的にか無意識かでそれを拒否してしまうのでしょう。
たいがいはそこに“怒り”という感情が伴うようですが。
たいていは、拒否反応としてなにかしら込み上げるイライラ感が感情を揺さぶり、それが不快な怒りになって思考するのを拒否してしまうのかも知れません。
よく言われるように、人間は本当のことを言われるとかえって反感をいだくーーような現象なのかも知れません。
ただ、感情さえも真実を判断するのに必要なこともあるというのですから、断定はできませんが、少なくとも新しい情報であっても、あまりにも基本的な下地からかけ離れていると、その譲歩を検討する手続きをも拒否してしまう状態になるのでしょう。
何も思考的な手続きだけが、物事を正確に判断できるものではないでしょうが、それにしても、何も検討するまえに即拒否してしまうというのも、おかしななことなのです。
そんな事は、科学の世界でも宗教の世界でも大いにあることです。
それが科学の世界でもあるということは、そのこと自体が科学的ではないことになり、特に医学は科学の最先端と行くと言われている世界ですから、固定されてしまった様な頑固な特定主義をけっしてもってはならないはずです。
私たちは一度インプットされた潜在意識を洗いだし、見なおし嗅ぎなおして見ることも、二十一世紀というかつてない変革を迎える時期において必要不可欠な作業なのかも知れません。
そんなわけで、『薬で病気は治らない』という、医学から見たら本当に非常識であり異端論とも言える情報であっても、怒りとか不快感情で単純に拒否してしまわないで、まずそれがどんなものかという科学心をもって覗いて見ることこそ文明人の証しとなりましょう。
“ 医の中の蛙 大海を知らず ”となりませんように。
中身のほどは、各人が自前で買うか市町村の図書館に(私は市の図書館で見つけた)頼めば良いでしょう。
今 回取り上げたのは、題名が私が普段から言っている言葉を応援してくれているからでしたが、この本のなかには、著者が開発した抗酸化作用のあるSOD様食品 の膠原病やアトピー性皮膚炎に対して治療効果が紹介してあり、現在の私の様に代替え療法を主張しないでただ薬害を述べまくっているのとはチョット??違う のでしょうね。
化学薬品の致命的欠陥を訴え、真の健康のあり方を説く
題名 【クスリで病気は治らない】
医学博士 丹羽 靭負ユキエ 著 (株)みき書房 1300円
下記も医学全般に対しての批評が衝撃的であり、これを読めば医学者も真っ青となる(かな?)と思われる本です。
【食と生命】
松本英聖著(保健学博士、医事評論家)・医事評論集(全六巻)
/第一巻---【食と生命】ーー病なき世界の実現を目指してーー
ISBN4-906255-17-5/\3000 技術出版(株)発行
《 脳死と臓器移植に感じたこと》
1999,3,10 himaari
ここBBS8番掲示板にて、「臓器移植に物申す」という論文を読みました。
なるほど!と思うばかりで、私には専門的な詳細な原理は分かりませんが、まったくその通りとしか思えませんでした。
もちろん、善意によって行われる当事者方の心情も理解出来ないものでもありません。
人は、生きようという思いで必死でいることは、よく分かるからです。
だから私が横からチャチな論を入れて、その方たちの気持ちを悪意をもって踏みにじる様な気持ちは毛頭ありません。
ただ、そこに善意とか悪意とかの心情的な線を越えた、高所のところから考えてみることも必要なのではないかと思う次第なのであります。
これは、「私個人はこう思う」という、「ひとつの見方」としてとらえて戴き、今後においての何かの気づきの材料にでも,という思いで感想を書いて見ました。
ただし、「絶対にそうであるから」という様な、押し付けの意見ではないことをお断りしておきます。
◎臓器移植手術はなぜ行うのか?
答えは、当然ながら、「それが必要だから」ということになるのでしょう。
私はその答えの前に、病気というものを単純に考えて見ました。
人の「病気」とは個々に見ると、非常に複雑にして、原因も特定できないほどのさまざまな原因があると見なされているようです。
しかし、
私はその病気をただ一つの原因から発生していると見るわけです。
その原因とは血液の汚れ、つまり体内の濁血からすべての疾患(病気)が起こると見るものです。
「濁血」とは、本来、清浄な血液が、いろいろな原因によって、血液中に毒素が増えることにより、起こると考えています。
すると、毒素は身体各局部に集溜されて、だんだん固結して来ます。
その集溜毒素のため、身体各器官、臓器等が障害を起こす事になります。それが、内臓器官に集溜した場合、心臓に集まれば心臓疾患、肝臓に集まれば肝臓病、腎臓の周囲に集まって腎臓機能障害などと考えます。
では、その治癒にはどうすれば良いかというと、単純に考えると、その集溜毒素を排除することによって解決出来るわけです。
しかし、理屈は簡単であっても、その方法は意外と難しいようなのです。
なぜなら、現代医学ではそれを出来ないと言っても良いのではないかと思うのからなのです。
その理由として、医学の主な治療法としては、まず薬剤となるのでしょう。
しかし、「薬によって体内の毒素を排除できるか」というと、それはきっと不可能なのでしょう。
薬とは、あくまで「症状を一時的に抑える」という対症療法の手段であるからです。
なほ、まずいことには、薬が毒素を排除することは不可能というばかりか、その使用する薬剤そのものの毒性物によって、さらに血液を汚濁させてしまうとい悪循環が生じてしまうことにあります。
そのために、一時的に抑えたつもりが、いずれは、再びその臓器や器官にさらに障害を与えたり、ほかの器官にも障害を加えてしまう結果が起こり得ると考えます。
そこで医学は・・・次に手段として、手術によって取り去る。
「手術」・・・・事故による傷害などと違って、内的疾患に対する手術は、以上のことから必要悪として、ごく一般に当たり前の様に行われているものでしょう が、ちょっと考えて見ると良く分かるのですが、薬によってでは、体内毒素、濁血を除去できないことを表明している事になるのでしょう。
しかも、手術では毒素だけを取り去る事が出来ない事も明白なわけであります。
よって、手術とは、毒素によって障害を起こした内臓器官を取り去ることで、原因となる毒素だけを除去するという方法では無く、決して最良の治癒方法ではないことが分かると思います。
本来の治癒とは、なんら「内的器官に障害を与えずして、本来の姿に戻してやること」にあるからです。
しかし、薬や手術ではそれが出来ないが為に、次善の策として認めれて来たわけでしょう。
それが、必要悪の所以であります。
医学の考え方としては、人間自身の持っている『自然治癒力』を少しながらも認めるものですが、その力はごく小さなものとして見ているが故に、人間が外から 手を加えてやらないと自然治癒は不可能、という考えで見ているからなのでしょうか。そこで手を加えてやらないと悪化の一途を辿るという考え方です。
さらに、ある臓器は一部の切除でも機能は働くものもあり、もしくは、まったく無くても生命はなんとか維持して行けるのだから、全体の生命には代えられない、という考え方をしているのではないでしょうか。
手術後に起こるある程度の不具合は我慢しても、その為に大切な生命を延ばしたのだからという論理になるのでしょうか。
内的疾患の手術とは、決して本来の人間の姿に戻す手段では無いのですが、他に方法がないというのが医学の現実なのでしょう。
他に方法が無いのか、有るのかはここでは問いませんが、現代医学における手術の必要性とは、この様なことから起こって来たのではないでしょうか。
病気に対する「薬の無効性」という結果から発した、手術への転換というわけでしょう。
ただ、次に問題となるのが、手術によって臓器を取り去る場合、その臓器が人間の生命維持に必要不可欠な場合です。
たとえば、手や足を除去しても、鼻や眼球を除去しても、何とか生命は維持して行けます。
しかし、心臓や肝臓などを完全除去した場合は、生命を保つことは出来ません。
「薬によっては治癒できなかった」という結果により、次に手術の段階となるわけですから、医学的にはそれ以上出来る段階は無いことになります。
良くも悪くも手術は最後の砦の様なわけでしょう。
そこで、考えついたのが「人工臓器」というのでしょう。しかし、それは「機械」であって、決して人間の精妙な臓器の働きの代わりとなってくれるものでは無いのでしょう。
それでは・・と、次に考えられたのが、他の人間の臓器を取り出して来ての『臓器移植』なのでしょうが。
それでも、死んだ臓器では移植しても働いてくれないのでしょう。
どうしても、「生きている臓器」が必要となるのでしょう。そうして、生きた臓器をもって来るには、「生きた人間の臓器」でないと不可能でしょうから、そこに問題が生じて来たわけです。
まさか、生きた人間から取って来るわけには行きません。
たとえば、生きている人間から心臓を取り去れば、たちどころに死んでしまいます。
どうしても、「死んだ人間から取った、生きている臓器」が必要となるのでしょう。この矛盾した様な条件を適えるには・・
こうして、「臓器は生きているが、人間は死んでいる」という状態が条件付けられて来たのだと思います。
だから、「人は死んでいるが、心臓は生きている」という状態・・・それが「脳死」という、人類が史上初めての定義付けをした「死の状態」なのでしょう。
私個人は脳死も、臓器移植も認めませんし、希望もしません。
しかし、担当者や患者自身が納得して、あくまで自由意志でおこなう「脳死による臓器移植」を無理やり止めさせることも出来ないのです。
事の是非は、それを実行した方々が実際に出て来る結果によって判断されることで、今後の進むべき道が自ずと明らかになって行くのではないかと思っています。
そうして、それはどこまでいっても、それは強制されることではなく、もしも今後、大多数の人々が臓器移植に賛成する様になったとしても、少数の個人の自由意志は固く守られるべきなのです。
現状では少数といえども、自然治癒や自然死を選ぶ人達が、決して強制的に臓器移植を止められない事と同様にであります。
今後においても、『脳死』や『臓器移植』に対しての賛否両論が盛んに議論される事はあっても、どちらも自己の論理を相手に押し付けする事なく、公正な立場 において正確な情報を流して行くことで、未来の人類にとって最善の治癒の方法が自ずと明らかになって行くのではないかと感じている次第であります。
おはり
1999,3,10 himaari
ここBBS8番掲示板にて、「臓器移植に物申す」という論文を読みました。
なるほど!と思うばかりで、私には専門的な詳細な原理は分かりませんが、まったくその通りとしか思えませんでした。
もちろん、善意によって行われる当事者方の心情も理解出来ないものでもありません。
人は、生きようという思いで必死でいることは、よく分かるからです。
だから私が横からチャチな論を入れて、その方たちの気持ちを悪意をもって踏みにじる様な気持ちは毛頭ありません。
ただ、そこに善意とか悪意とかの心情的な線を越えた、高所のところから考えてみることも必要なのではないかと思う次第なのであります。
これは、「私個人はこう思う」という、「ひとつの見方」としてとらえて戴き、今後においての何かの気づきの材料にでも,という思いで感想を書いて見ました。
ただし、「絶対にそうであるから」という様な、押し付けの意見ではないことをお断りしておきます。
◎臓器移植手術はなぜ行うのか?
答えは、当然ながら、「それが必要だから」ということになるのでしょう。
私はその答えの前に、病気というものを単純に考えて見ました。
人の「病気」とは個々に見ると、非常に複雑にして、原因も特定できないほどのさまざまな原因があると見なされているようです。
しかし、
私はその病気をただ一つの原因から発生していると見るわけです。
その原因とは血液の汚れ、つまり体内の濁血からすべての疾患(病気)が起こると見るものです。
「濁血」とは、本来、清浄な血液が、いろいろな原因によって、血液中に毒素が増えることにより、起こると考えています。
すると、毒素は身体各局部に集溜されて、だんだん固結して来ます。
その集溜毒素のため、身体各器官、臓器等が障害を起こす事になります。それが、内臓器官に集溜した場合、心臓に集まれば心臓疾患、肝臓に集まれば肝臓病、腎臓の周囲に集まって腎臓機能障害などと考えます。
では、その治癒にはどうすれば良いかというと、単純に考えると、その集溜毒素を排除することによって解決出来るわけです。
しかし、理屈は簡単であっても、その方法は意外と難しいようなのです。
なぜなら、現代医学ではそれを出来ないと言っても良いのではないかと思うのからなのです。
その理由として、医学の主な治療法としては、まず薬剤となるのでしょう。
しかし、「薬によって体内の毒素を排除できるか」というと、それはきっと不可能なのでしょう。
薬とは、あくまで「症状を一時的に抑える」という対症療法の手段であるからです。
なほ、まずいことには、薬が毒素を排除することは不可能というばかりか、その使用する薬剤そのものの毒性物によって、さらに血液を汚濁させてしまうとい悪循環が生じてしまうことにあります。
そのために、一時的に抑えたつもりが、いずれは、再びその臓器や器官にさらに障害を与えたり、ほかの器官にも障害を加えてしまう結果が起こり得ると考えます。
そこで医学は・・・次に手段として、手術によって取り去る。
「手術」・・・・事故による傷害などと違って、内的疾患に対する手術は、以上のことから必要悪として、ごく一般に当たり前の様に行われているものでしょう が、ちょっと考えて見ると良く分かるのですが、薬によってでは、体内毒素、濁血を除去できないことを表明している事になるのでしょう。
しかも、手術では毒素だけを取り去る事が出来ない事も明白なわけであります。
よって、手術とは、毒素によって障害を起こした内臓器官を取り去ることで、原因となる毒素だけを除去するという方法では無く、決して最良の治癒方法ではないことが分かると思います。
本来の治癒とは、なんら「内的器官に障害を与えずして、本来の姿に戻してやること」にあるからです。
しかし、薬や手術ではそれが出来ないが為に、次善の策として認めれて来たわけでしょう。
それが、必要悪の所以であります。
医学の考え方としては、人間自身の持っている『自然治癒力』を少しながらも認めるものですが、その力はごく小さなものとして見ているが故に、人間が外から 手を加えてやらないと自然治癒は不可能、という考えで見ているからなのでしょうか。そこで手を加えてやらないと悪化の一途を辿るという考え方です。
さらに、ある臓器は一部の切除でも機能は働くものもあり、もしくは、まったく無くても生命はなんとか維持して行けるのだから、全体の生命には代えられない、という考え方をしているのではないでしょうか。
手術後に起こるある程度の不具合は我慢しても、その為に大切な生命を延ばしたのだからという論理になるのでしょうか。
内的疾患の手術とは、決して本来の人間の姿に戻す手段では無いのですが、他に方法がないというのが医学の現実なのでしょう。
他に方法が無いのか、有るのかはここでは問いませんが、現代医学における手術の必要性とは、この様なことから起こって来たのではないでしょうか。
病気に対する「薬の無効性」という結果から発した、手術への転換というわけでしょう。
ただ、次に問題となるのが、手術によって臓器を取り去る場合、その臓器が人間の生命維持に必要不可欠な場合です。
たとえば、手や足を除去しても、鼻や眼球を除去しても、何とか生命は維持して行けます。
しかし、心臓や肝臓などを完全除去した場合は、生命を保つことは出来ません。
「薬によっては治癒できなかった」という結果により、次に手術の段階となるわけですから、医学的にはそれ以上出来る段階は無いことになります。
良くも悪くも手術は最後の砦の様なわけでしょう。
そこで、考えついたのが「人工臓器」というのでしょう。しかし、それは「機械」であって、決して人間の精妙な臓器の働きの代わりとなってくれるものでは無いのでしょう。
それでは・・と、次に考えられたのが、他の人間の臓器を取り出して来ての『臓器移植』なのでしょうが。
それでも、死んだ臓器では移植しても働いてくれないのでしょう。
どうしても、「生きている臓器」が必要となるのでしょう。そうして、生きた臓器をもって来るには、「生きた人間の臓器」でないと不可能でしょうから、そこに問題が生じて来たわけです。
まさか、生きた人間から取って来るわけには行きません。
たとえば、生きている人間から心臓を取り去れば、たちどころに死んでしまいます。
どうしても、「死んだ人間から取った、生きている臓器」が必要となるのでしょう。この矛盾した様な条件を適えるには・・
こうして、「臓器は生きているが、人間は死んでいる」という状態が条件付けられて来たのだと思います。
だから、「人は死んでいるが、心臓は生きている」という状態・・・それが「脳死」という、人類が史上初めての定義付けをした「死の状態」なのでしょう。
私個人は脳死も、臓器移植も認めませんし、希望もしません。
しかし、担当者や患者自身が納得して、あくまで自由意志でおこなう「脳死による臓器移植」を無理やり止めさせることも出来ないのです。
事の是非は、それを実行した方々が実際に出て来る結果によって判断されることで、今後の進むべき道が自ずと明らかになって行くのではないかと思っています。
そうして、それはどこまでいっても、それは強制されることではなく、もしも今後、大多数の人々が臓器移植に賛成する様になったとしても、少数の個人の自由意志は固く守られるべきなのです。
現状では少数といえども、自然治癒や自然死を選ぶ人達が、決して強制的に臓器移植を止められない事と同様にであります。
今後においても、『脳死』や『臓器移植』に対しての賛否両論が盛んに議論される事はあっても、どちらも自己の論理を相手に押し付けする事なく、公正な立場 において正確な情報を流して行くことで、未来の人類にとって最善の治癒の方法が自ずと明らかになって行くのではないかと感じている次第であります。
おはり
【波動の法則】と【夜昼転換と薬毒論】
ひのもと異学 1998、4、2
波動の法則によると、この地球がテレポーションするという。そのときに地球と地球上のすべては、素の状態になり、波動が上がっていないものは再生できないというのだ。
いまこの地球はものずごく、テンションというのか、波動が上がって来ているそうだ。
ことの真偽は各自の判定に任せて、、
これに夜昼転換の法則で当てはめてみた。
夜昼転換によってこの地球世界は、
夜から昼へと完全に転換しつつあるのだから、昼は火素がうんと増えるのだそうだ。
夜の世界は月の精気、水素系の霊気が主であって、昼の太陽の精気、火素の霊気が弱く、水主火従の世界で光が弱かったのである。
光というのは火素と水素の密合したものであるが、光というのは火素が増すほど光が強くなるという。
したがって、昼の世界に入ると言うのは、太陽の霊気、火素の量が増えて、火主水従の光り輝く世界になるという。
これは目に見えない霊界の事象であるが、霊主体従と霊体一致の法則によって、霊界の変化はこの物質の世界、現象界にその影響が現れるのである。
もし、善悪でいうなら、悪主善従の世界から、善主悪従の世界になるという。
善悪というのは相対的なものの見方だけれど、悪が全くなくなるというより、善の方が主になる世界というのだそうだ。
すると、悪は善の支配下に下るのだから、人間で言えば良性、世界で言えば天国世界というわけ。
いまこの地球は夜のリズムに支配されていたのが、昼のリズムの世界に転換しつつある、有史以来の“ビックリ現象”なのだ。
宇宙規模の切り替え時なのだから、どうしても、不可解な現象が起きてくるのである。
もし、それが悲惨な破壊的な現象であってもそれは、方向としては良い方に向かいつつある一過性のものであるから、大きな目でみていないと、不安になってしまう。
けっきょく最後は、落ち着くつところに落ち着くというのだが、夜の世界のリズムで、しらずしらずのうちに人間はあまりにも霊の曇りをつくってしまった。
昼の世界のリズムに合致するには、その霊体の曇りをとらないと入れない多くの人がいるという。
これを波動の法則によると、人間の波動がうんと下がってしまっていて、地球の方の波動が上がっているのについて行けない人間が多いというのだろう。
いま、バブルの崩壊の影響で経済が・・・といっているが、これは近年だけの原因というより、夜の世界のリズムが調和に合わないから、不調和の状態が調和の状態になろうとする、大自然の働きによって起きているので、これが『大調和』なのだと思う。
そして、これは人間の思想、制度、すべてのものが大調和の働きを受けて、不調和の状態なら調和しようとして、浄化作用をおこすので、マイナスな面が見えてくるのだろう。
すべてが昼の世界に向かいつつあるのであると思う。
大きな洗濯機があると想像してみたい。
反転装置のある洗濯機が、いままで仮に左回りだったとする。
それが、こんどは右回りに反転しようという時間になったのだ。
中を覗いてみると、水の流れは左回りから、右回りになるには、急に変わらない、ひとときちょっと回転がなくなり、波立っている。
ちょうどその様な状態が現在の地球ではないだろうか。その水の流れが目に見えないリズムであり、仮に左回りを夜のリズムとすると、右回りの回転が昼のリズムと考えてみる。
すると、この洗濯機はとてつもなく大きな洗濯機なのだが、その中で回っているのが人間だとしたら、いくら頑張ってみてもその大きな流れに逆らえないのである。
たとえ、今まで勢いよく左回りをしていて、順調に過ごしていても、右回りに流れが変わろうとするときにも、左回りを続けていると洗濯機から跳ね飛ばされてしまうだろう。
これからは右回りに順応するようにしないと、うまくいかないのだ。
もしこれからの右回りにそって行こうとするのなら、宇宙の大洗濯機は優秀だから、きっと汚れを落としてくれながら、中のものをきれいにしてくれるのだろう。
波動の法則では、波動の周波数を上げるのは人間の『決心』であるそうだ。
調和の方向に向かおうという決心なのかもしれない。
人間の決心だけで・・・と思ってみたが、これは真理なのかもしれない。
それは、やはり昼の世界に限りなく近づいたからなのだと思う。
きっと、この地球は、我々のまわりは火素がうんと増えているのだと思う。光が強くなっているのだ。その光の中にどっぷりと浸かっているのがオレたちなんだ。ただ、気が付かないで。
だから、人間の『決心』だけで、うんと変わることができる世界に入っているのかも知れない。光というのはまわりだけでないという。自分の内側にちゃんとあるのだそうだ。
だから、決心というのは、その自分の内の光を呼び覚ます。覚醒させるということかもしれない。
光の救世主はどこかに捜し求めにいっても見つけられないで、気が付いたら自分の身の内に光り輝いていた・・という様な、そんな方向にみんなが向かうのかもしれない。
宗教は神と自分とを隔離させてしまった。求めれば求めるほど手が届かなくなる。
永遠に求め続けなければならない、ということを神様は教えてくれているのだろうか。
この波動の法則は今までは宗教で説いていたような法を『波動』という、実に現代人の感性に合わせてくれた言い回しで教えてくれているようだ。
波動の法則でいえば、人の周波数を上げなくてはならない。そうでないと来るべきテレポーションに人間として再生ができなくなる。
これは『夜昼転換』の原理に当てはめると、昼の世界になると、火素の多い光の世界になるから、人間霊体の曇りを少なくしないと、昼の世界の現実界に生存できなくなる、とともに、この地上に転生さえもままならなくなる。
どちらの説も、おそらくそんなに遠い時期に起こるものではなく、今はその圏内に入っているかのようでもある。
地球は調和の世界に入って来たのは確かのようだ。これ以上は人間は周波数を下げないように、かつ、できるだけ上げるようにと波動の法則では言っているようだ。
どちらにしても、キーポイントは “光” だ。
光が周波数を上げ、曇りを減らす。
ここで、心の問題はどうもオレの専門ではないから(ここでもう逃げているのだ。あまり偉そうなことを言っていると、恥ずかしくて外を歩けなくなるから)、ここは立派な人達が大勢いるし、本もたくさん出ているからあとで紹介することにしてと。
では、、、、やっと出ることができた、、
どうも精神面のほうはにがてで、、やっぱり、クスリのほうに行こう、、、
ここで、重大なのは、肉体をもっている人間を考えるときである。
霊主体従の世界とはいえ、霊体一致の法則も同時に存在するのだから、肉体をおろそかにしてはいけないのだ。
薬で血液を汚すということは、ボディだけでは済まないのである。それが霊体一致の法則によって、人間の霊体に曇り作ってしまう。
その曇りはやがて、人間の精神面も曇らすから、波動で言えば周波数が下がってしまうのだ。
たかが薬と言えなくなってしまう。人間の精神荒廃にまで陥れてしまうのだから、これは重大なのだ。
そのよい例が麻薬常習者である。彼らをみると、肉体ばかりでなく、心まで蝕んでしまうのはよく分かる。
薬というのは、この麻薬とちっとも変わらないということに気が付くべきなのだ。
違うのは急激に効くか緩慢に効くかという違いだ。
実はこの薬というものがもつ働きは夜のリズムに合っていたのだから、悪とはいえ、必要悪だったのだろう。しかし、昼のリズムには合わないことに注目。
今まで効いていたのがどんどん効き目が悪くなってしまう。
すると、薬の本質がすぐ現れてくることになる。本質というのは毒の性質だ。
医学的に言えば効能(主作用)がなくなって行き、反比例して副作用の方が早く出てくるというのだ。
果たして信じられるだろうか?
これから薬を使うにしても、こういう情報を頭にいれておいて自分で観察してみたらどうだろうか。
薬の波動というものが計れる時代になったそうだ。
MRAとかいう機械だそうだが、機会だから真の奥まで知り得ることはできないだろうが、かなり真実をつかみ始めているという。
EMで有名な比嘉教授が書かれていたが、『薬が病気の元になるという話がいよいよ信憑性をおびて来た・・』と。
やっとそこまで来たのか、、、それほど薬信仰は夜の世界の残した、根強い“迷信”なのだろう。それは、いまでもタブーとして力を残している。
足立さんの宇宙からの情報として、薬やウイルス、病原菌について今までの医学常識に反することを載せているが、まったく同感で、この様なことはもう半世紀以上前にこの日本で発表されていたのある。
驚くことに、いまビックリと思われているような話が、それほど前に出されていたのだから、モウビックリ!
いかに時期が大切か、、、いくら真理でも人間に受け入れられる時期というものがあるらしい。それを思うと先駆者の偉大さ、そして、世の中に認められないで、その真実を守り通して霊界に帰還していった人達の御苦労を考えると、
敬意を表し黙祷! ナノダ。
【霊的人類史は夜明けを迎える】/近藤千雄著/ハート出版/2600円
【バーソロミュー3】ヒューイ陽子訳/マホロバアート(有)/2300円所/1200円
【超波動療法と輪廻転生】宮坂平八郎著/たま出版
【地球と人間の関係そして真実】船井幸雄編著/龍村仁/村上和雄/沖
縄の一男性/天外伺朗/高木善之/中丸薫/赤峰勝人 /同朋舎
の本が多数。たいへん分かりやすく、みんなあとでつながって来ますね。
ほんとは極め付けの本を紹介したいのだが、、、
きょうはここまで、レイ!
ひのもと異学 1998、4、2
波動の法則によると、この地球がテレポーションするという。そのときに地球と地球上のすべては、素の状態になり、波動が上がっていないものは再生できないというのだ。
いまこの地球はものずごく、テンションというのか、波動が上がって来ているそうだ。
ことの真偽は各自の判定に任せて、、
これに夜昼転換の法則で当てはめてみた。
夜昼転換によってこの地球世界は、
夜から昼へと完全に転換しつつあるのだから、昼は火素がうんと増えるのだそうだ。
夜の世界は月の精気、水素系の霊気が主であって、昼の太陽の精気、火素の霊気が弱く、水主火従の世界で光が弱かったのである。
光というのは火素と水素の密合したものであるが、光というのは火素が増すほど光が強くなるという。
したがって、昼の世界に入ると言うのは、太陽の霊気、火素の量が増えて、火主水従の光り輝く世界になるという。
これは目に見えない霊界の事象であるが、霊主体従と霊体一致の法則によって、霊界の変化はこの物質の世界、現象界にその影響が現れるのである。
もし、善悪でいうなら、悪主善従の世界から、善主悪従の世界になるという。
善悪というのは相対的なものの見方だけれど、悪が全くなくなるというより、善の方が主になる世界というのだそうだ。
すると、悪は善の支配下に下るのだから、人間で言えば良性、世界で言えば天国世界というわけ。
いまこの地球は夜のリズムに支配されていたのが、昼のリズムの世界に転換しつつある、有史以来の“ビックリ現象”なのだ。
宇宙規模の切り替え時なのだから、どうしても、不可解な現象が起きてくるのである。
もし、それが悲惨な破壊的な現象であってもそれは、方向としては良い方に向かいつつある一過性のものであるから、大きな目でみていないと、不安になってしまう。
けっきょく最後は、落ち着くつところに落ち着くというのだが、夜の世界のリズムで、しらずしらずのうちに人間はあまりにも霊の曇りをつくってしまった。
昼の世界のリズムに合致するには、その霊体の曇りをとらないと入れない多くの人がいるという。
これを波動の法則によると、人間の波動がうんと下がってしまっていて、地球の方の波動が上がっているのについて行けない人間が多いというのだろう。
いま、バブルの崩壊の影響で経済が・・・といっているが、これは近年だけの原因というより、夜の世界のリズムが調和に合わないから、不調和の状態が調和の状態になろうとする、大自然の働きによって起きているので、これが『大調和』なのだと思う。
そして、これは人間の思想、制度、すべてのものが大調和の働きを受けて、不調和の状態なら調和しようとして、浄化作用をおこすので、マイナスな面が見えてくるのだろう。
すべてが昼の世界に向かいつつあるのであると思う。
大きな洗濯機があると想像してみたい。
反転装置のある洗濯機が、いままで仮に左回りだったとする。
それが、こんどは右回りに反転しようという時間になったのだ。
中を覗いてみると、水の流れは左回りから、右回りになるには、急に変わらない、ひとときちょっと回転がなくなり、波立っている。
ちょうどその様な状態が現在の地球ではないだろうか。その水の流れが目に見えないリズムであり、仮に左回りを夜のリズムとすると、右回りの回転が昼のリズムと考えてみる。
すると、この洗濯機はとてつもなく大きな洗濯機なのだが、その中で回っているのが人間だとしたら、いくら頑張ってみてもその大きな流れに逆らえないのである。
たとえ、今まで勢いよく左回りをしていて、順調に過ごしていても、右回りに流れが変わろうとするときにも、左回りを続けていると洗濯機から跳ね飛ばされてしまうだろう。
これからは右回りに順応するようにしないと、うまくいかないのだ。
もしこれからの右回りにそって行こうとするのなら、宇宙の大洗濯機は優秀だから、きっと汚れを落としてくれながら、中のものをきれいにしてくれるのだろう。
波動の法則では、波動の周波数を上げるのは人間の『決心』であるそうだ。
調和の方向に向かおうという決心なのかもしれない。
人間の決心だけで・・・と思ってみたが、これは真理なのかもしれない。
それは、やはり昼の世界に限りなく近づいたからなのだと思う。
きっと、この地球は、我々のまわりは火素がうんと増えているのだと思う。光が強くなっているのだ。その光の中にどっぷりと浸かっているのがオレたちなんだ。ただ、気が付かないで。
だから、人間の『決心』だけで、うんと変わることができる世界に入っているのかも知れない。光というのはまわりだけでないという。自分の内側にちゃんとあるのだそうだ。
だから、決心というのは、その自分の内の光を呼び覚ます。覚醒させるということかもしれない。
光の救世主はどこかに捜し求めにいっても見つけられないで、気が付いたら自分の身の内に光り輝いていた・・という様な、そんな方向にみんなが向かうのかもしれない。
宗教は神と自分とを隔離させてしまった。求めれば求めるほど手が届かなくなる。
永遠に求め続けなければならない、ということを神様は教えてくれているのだろうか。
この波動の法則は今までは宗教で説いていたような法を『波動』という、実に現代人の感性に合わせてくれた言い回しで教えてくれているようだ。
波動の法則でいえば、人の周波数を上げなくてはならない。そうでないと来るべきテレポーションに人間として再生ができなくなる。
これは『夜昼転換』の原理に当てはめると、昼の世界になると、火素の多い光の世界になるから、人間霊体の曇りを少なくしないと、昼の世界の現実界に生存できなくなる、とともに、この地上に転生さえもままならなくなる。
どちらの説も、おそらくそんなに遠い時期に起こるものではなく、今はその圏内に入っているかのようでもある。
地球は調和の世界に入って来たのは確かのようだ。これ以上は人間は周波数を下げないように、かつ、できるだけ上げるようにと波動の法則では言っているようだ。
どちらにしても、キーポイントは “光” だ。
光が周波数を上げ、曇りを減らす。
ここで、心の問題はどうもオレの専門ではないから(ここでもう逃げているのだ。あまり偉そうなことを言っていると、恥ずかしくて外を歩けなくなるから)、ここは立派な人達が大勢いるし、本もたくさん出ているからあとで紹介することにしてと。
では、、、、やっと出ることができた、、
どうも精神面のほうはにがてで、、やっぱり、クスリのほうに行こう、、、
ここで、重大なのは、肉体をもっている人間を考えるときである。
霊主体従の世界とはいえ、霊体一致の法則も同時に存在するのだから、肉体をおろそかにしてはいけないのだ。
薬で血液を汚すということは、ボディだけでは済まないのである。それが霊体一致の法則によって、人間の霊体に曇り作ってしまう。
その曇りはやがて、人間の精神面も曇らすから、波動で言えば周波数が下がってしまうのだ。
たかが薬と言えなくなってしまう。人間の精神荒廃にまで陥れてしまうのだから、これは重大なのだ。
そのよい例が麻薬常習者である。彼らをみると、肉体ばかりでなく、心まで蝕んでしまうのはよく分かる。
薬というのは、この麻薬とちっとも変わらないということに気が付くべきなのだ。
違うのは急激に効くか緩慢に効くかという違いだ。
実はこの薬というものがもつ働きは夜のリズムに合っていたのだから、悪とはいえ、必要悪だったのだろう。しかし、昼のリズムには合わないことに注目。
今まで効いていたのがどんどん効き目が悪くなってしまう。
すると、薬の本質がすぐ現れてくることになる。本質というのは毒の性質だ。
医学的に言えば効能(主作用)がなくなって行き、反比例して副作用の方が早く出てくるというのだ。
果たして信じられるだろうか?
これから薬を使うにしても、こういう情報を頭にいれておいて自分で観察してみたらどうだろうか。
薬の波動というものが計れる時代になったそうだ。
MRAとかいう機械だそうだが、機会だから真の奥まで知り得ることはできないだろうが、かなり真実をつかみ始めているという。
EMで有名な比嘉教授が書かれていたが、『薬が病気の元になるという話がいよいよ信憑性をおびて来た・・』と。
やっとそこまで来たのか、、、それほど薬信仰は夜の世界の残した、根強い“迷信”なのだろう。それは、いまでもタブーとして力を残している。
足立さんの宇宙からの情報として、薬やウイルス、病原菌について今までの医学常識に反することを載せているが、まったく同感で、この様なことはもう半世紀以上前にこの日本で発表されていたのある。
驚くことに、いまビックリと思われているような話が、それほど前に出されていたのだから、モウビックリ!
いかに時期が大切か、、、いくら真理でも人間に受け入れられる時期というものがあるらしい。それを思うと先駆者の偉大さ、そして、世の中に認められないで、その真実を守り通して霊界に帰還していった人達の御苦労を考えると、
敬意を表し黙祷! ナノダ。
【霊的人類史は夜明けを迎える】/近藤千雄著/ハート出版/2600円
【バーソロミュー3】ヒューイ陽子訳/マホロバアート(有)/2300円所/1200円
【超波動療法と輪廻転生】宮坂平八郎著/たま出版
【地球と人間の関係そして真実】船井幸雄編著/龍村仁/村上和雄/沖
縄の一男性/天外伺朗/高木善之/中丸薫/赤峰勝人 /同朋舎
の本が多数。たいへん分かりやすく、みんなあとでつながって来ますね。
ほんとは極め付けの本を紹介したいのだが、、、
きょうはここまで、レイ!
15年前の雉
どうでしたか?
うん、イケメン時代を思い出す脳。
でも、わしは読まないよ。
だって、きもい作文だ悶;
ーーーーーーーーーーーーーー
平均浄化作用
さて、ここでまた重要な事があります。それは『平均浄化作用』と言うことです。
ひのもと治療法で、ある一局部の溜結毒素を溶解した場合、間もなくその箇所以外の局
部に浄化が起る事があります。これを『平均浄化作用』と言います。
たとえば、左腕が痛むからそれを治療すると、今度は右腕が痛みだす。それを治療する
と背中が痛むというように、ちょうど痛みが移動する様に思えるので、患者も痛みの移
動を訴えるのですが、実際は痛みの移動などという事はあり得ないのです。
これらは平均浄化作用に因るものなのです。
ひのもと治療法によって体の一部がきれいになって来ると、その周りも同じようにきれ
いになろうとするのですから、とうぜん浄化作用が発生するわけです。その浄化の際の
苦痛ということになります。
だから平均浄化作用というものが発生するということは、体内が浄血して行くのですか
ら、「真に治って行く」という本当の治療方法だと思います。
浄化はありがたい。病気はありがたくない。しかし浄化は病気だ?
浄化作用によって固結毒素が溶け出すと、周りの神経を刺激しますから、浄化にはどう
しても痛み苦しみが付きものなのです。それで病気と名付けたのでしょうが。
だから浄化は「ありがたいもの」ですが、反面苦しいものなので「嫌なもの」なのでしょう。
その浄化作用の苦痛症状の面のみを見ているのが、「医学の考え方」です。苦痛という
症状を止めることのみを研究している、いわゆる「対症療法」です。苦痛症状さえ止め
れば病気は治ると思い込んでいるのですが、影絵の影のみを追い続けるばかりで、ちっ
とも裏側の本体、本源を見つけられないので、全然的外れな治療方法を行っている訳で
す。
そうして新たに病気(浄化作用)の原料を入れているのですから、無知という事は恐ろ
しいものです。
愚かであった人間の歴史が終わろうとしている
ほかのことならいざ知らず、これは人間にとって一番大切な、「生命と健康」を犠牲に
する「愚かな行為」なのですから。
「愚か」とは「無知であった」ということです。
この愚かなことを長い間一生懸命やって来たのは、先祖を含めて全人類と言っても良い
でしょう。
責任はひとり医学者だけではないのです。我々一人一人がそれを真理として認めて来た
のですから。
愚かな人間がいくら考えても、全く気づくことの出来なかったこの真実を知ることが出
来たのは、まさに時節の到来と言うしかありません。
ある人物を通しての神の恩恵は全人類に行き渡るという「天与の時」を思わずにはいら
れません。
しかし、私はその「ある人」を紹介するのが目的ではありません。
あるひとりの人間を通して伝えられた「真実」を、さらに私という人間を通してあなた
に知らせたいのです。
「真実」それだけを知らせるということが一番の目的なのです。
愚か者の一人であった私にもたまたまその機会が訪れ、そうして、それをあなたが受け
取る。
そのいうようにして、真実を知る者が鼠算式に増えて行くのではないかと思います。
ひとやすみ
どうでしたか?
うん、イケメン時代を思い出す脳。
でも、わしは読まないよ。
だって、きもい作文だ悶;
ーーーーーーーーーーーーーー
平均浄化作用
さて、ここでまた重要な事があります。それは『平均浄化作用』と言うことです。
ひのもと治療法で、ある一局部の溜結毒素を溶解した場合、間もなくその箇所以外の局
部に浄化が起る事があります。これを『平均浄化作用』と言います。
たとえば、左腕が痛むからそれを治療すると、今度は右腕が痛みだす。それを治療する
と背中が痛むというように、ちょうど痛みが移動する様に思えるので、患者も痛みの移
動を訴えるのですが、実際は痛みの移動などという事はあり得ないのです。
これらは平均浄化作用に因るものなのです。
ひのもと治療法によって体の一部がきれいになって来ると、その周りも同じようにきれ
いになろうとするのですから、とうぜん浄化作用が発生するわけです。その浄化の際の
苦痛ということになります。
だから平均浄化作用というものが発生するということは、体内が浄血して行くのですか
ら、「真に治って行く」という本当の治療方法だと思います。
浄化はありがたい。病気はありがたくない。しかし浄化は病気だ?
浄化作用によって固結毒素が溶け出すと、周りの神経を刺激しますから、浄化にはどう
しても痛み苦しみが付きものなのです。それで病気と名付けたのでしょうが。
だから浄化は「ありがたいもの」ですが、反面苦しいものなので「嫌なもの」なのでしょう。
その浄化作用の苦痛症状の面のみを見ているのが、「医学の考え方」です。苦痛という
症状を止めることのみを研究している、いわゆる「対症療法」です。苦痛症状さえ止め
れば病気は治ると思い込んでいるのですが、影絵の影のみを追い続けるばかりで、ちっ
とも裏側の本体、本源を見つけられないので、全然的外れな治療方法を行っている訳で
す。
そうして新たに病気(浄化作用)の原料を入れているのですから、無知という事は恐ろ
しいものです。
愚かであった人間の歴史が終わろうとしている
ほかのことならいざ知らず、これは人間にとって一番大切な、「生命と健康」を犠牲に
する「愚かな行為」なのですから。
「愚か」とは「無知であった」ということです。
この愚かなことを長い間一生懸命やって来たのは、先祖を含めて全人類と言っても良い
でしょう。
責任はひとり医学者だけではないのです。我々一人一人がそれを真理として認めて来た
のですから。
愚かな人間がいくら考えても、全く気づくことの出来なかったこの真実を知ることが出
来たのは、まさに時節の到来と言うしかありません。
ある人物を通しての神の恩恵は全人類に行き渡るという「天与の時」を思わずにはいら
れません。
しかし、私はその「ある人」を紹介するのが目的ではありません。
あるひとりの人間を通して伝えられた「真実」を、さらに私という人間を通してあなた
に知らせたいのです。
「真実」それだけを知らせるということが一番の目的なのです。
愚か者の一人であった私にもたまたまその機会が訪れ、そうして、それをあなたが受け
取る。
そのいうようにして、真実を知る者が鼠算式に増えて行くのではないかと思います。
ひとやすみ
え! まだ続くの~~
というあんたはエライ
しかし、
そんな応援文句にいちいち左右されないのじゃ菜
だって、もうろく爆心中!
眼は霞ガセ記、耳は音なしの構え免許皆伝。
なんだか15年前の自分に戻った感じがするけど、
よく読んでないY 自分の雉 ケ~~ン♪
逝け面が書く ひのもと健康法 (はよ シニヤ~)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
健康の判定は肩の柔軟度をみろ
次に、人間の健康、不健康を判別するについて、最も明確に知り得る方法として、まず肩
部を診る事です。
肩部が柔軟で、指で圧して指頭が一寸位没するような人は必ず健康なのですが、肩部が硬
く柔軟でない人は不健康と断定してもさしつかえないと思います。
結核患者は例外なく肩部が固く、重患者といえども肩の柔らかい者は回復し易いのです。
軽病者であっても肩の柔軟な者は回復し易いものなのです。
反対に軽症者であっても肩部が強く堅い者は回復困難と共に、強い浄化が発生し易く、
その為、生命の危険にまで及ぶことは免れ得ないものだからです。それほど体内の毒素
は上半身、特に首肩に集まりやすいのです。肩に毒素が少ない人は、やはりからだ全体
にも少ないという事でしょう。
肩を柔らかくするには、肩の毒素を少なくするしかありません。そのために常に日頃か
ら毎日肩のひのもと治療法をすることをお勧めします。
そこで、理想的健康診断法して肩部の柔軟度を診る事こそ、正確であり、簡単である事を
広く世の人にお知らせしたいのです。
つづく( お!
頭痛は首の周りを調べる
次に頭痛の場合には、必ず前額部に熱発を認めるのですが、その額の部をひのもと治療
法治療してもあまり効果がない事があります。その場合に、耳下腺を主とし、リンパ腺
へかけて大抵の人は固結があるのですから、そこを治療することによってすみやかに解
熱し、頭痛は去るものなのです。
そえゆえに頭痛以外の一般発熱者に対しても、耳下腺、リンパ腺、扁桃腺等を一応指査
すれば必ず大小の固結(グリグリしたもの等)が判りますから、そこの箇所をねらって
ひのもと治療法治療することによって下熱する場合が多いのであります。
ひのもと治療法は下熱する力ではない。しかし下熱する
この「ひのもと治療法をすると下熱する」という事は、ひのもと治療法というのは熱を
冷まさせる力というのではありません。熱の発生が不必要になるという事なのです。
人間だれでもが持っている体の自然の働きによって固結毒素を溶かす、その際に熱が必
要です。つまり自然良能力が働いて、「高熱で固まっている毒素を溶かし出す」という
のが「発熱」の原因なのです。
ところが、ひのもと治療法の力とは太陽熱の霊熱と言える「火素」なのですが、これに
よってもっと容易に毒素を溶かす事が出来るのです。
そのため自然良能力を強力に援助する、バックアップするという意味で、熱がなくても
固結毒素を溶かす事が出来るので、その結果として「ひのもと治療法すると下熱する」
ということになります。
これは体の働きが毒素排泄のための浄化作用を行っているところに、『ひのもと治療法』という味方が付いたようなものです。
反対に冷やしたり、薬という毒を入れることは、自然の体の働きを阻止することなので
すから、強力な邪魔者が生命力を弱めるという働きなのです。
「熱が出ると苦しい。だから冷やす。」というのは一見合理的な方法のようですが、実
は「せっかく溶け出そうとする、体にとっては有害な毒素を再び固めて出さないように
する」という、愚かな方法なのです。
そうしてもちろん、『薬は毒』そのものですから、毒を体に入れると生命力を弱めるの
で、とうぜん自然良能力の働きが弱くなります。すると浄化する力がなくなるのですか
ら発熱も引っ込んでしまいます。その結果、見かけ上は「熱も引いて、病気が治った」
と言う事になります。
しかし、浄化(病気症状)の因は体内に溜まった毒素なのですから、いつか再び、入れ
た薬毒を加えてさらに強力な浄化作用(病気)を予約してしまった様なものです。
次に腕、指などの疾患の場合、その本原であるリンパ腺から肩、腕の頂部に当たる所を充
分治療すべきです。それによって手指といえどもその治療が容易に奏功するものなので
す。
「ヒョウソ」など、激痛を伴う腫れ物の原因がその手指にあるんではなく、実は頸や肩
の辺にあるとは夢にも思わないでしょう。だからひのもと治療法をする場合に、痛む手
先だけを治療していてもなかなか良くならないのは、そこが本元ではないからです。
したがって脚に関する疾患も右と同様その根源である腎臓部、脚の付け根等をよく治療
すべきです。
また、ひざが痛いといっても、その裏側に原因があることもあります。
というあんたはエライ
しかし、
そんな応援文句にいちいち左右されないのじゃ菜
だって、もうろく爆心中!
眼は霞ガセ記、耳は音なしの構え免許皆伝。
なんだか15年前の自分に戻った感じがするけど、
よく読んでないY 自分の雉 ケ~~ン♪
逝け面が書く ひのもと健康法 (はよ シニヤ~)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
健康の判定は肩の柔軟度をみろ
次に、人間の健康、不健康を判別するについて、最も明確に知り得る方法として、まず肩
部を診る事です。
肩部が柔軟で、指で圧して指頭が一寸位没するような人は必ず健康なのですが、肩部が硬
く柔軟でない人は不健康と断定してもさしつかえないと思います。
結核患者は例外なく肩部が固く、重患者といえども肩の柔らかい者は回復し易いのです。
軽病者であっても肩の柔軟な者は回復し易いものなのです。
反対に軽症者であっても肩部が強く堅い者は回復困難と共に、強い浄化が発生し易く、
その為、生命の危険にまで及ぶことは免れ得ないものだからです。それほど体内の毒素
は上半身、特に首肩に集まりやすいのです。肩に毒素が少ない人は、やはりからだ全体
にも少ないという事でしょう。
肩を柔らかくするには、肩の毒素を少なくするしかありません。そのために常に日頃か
ら毎日肩のひのもと治療法をすることをお勧めします。
そこで、理想的健康診断法して肩部の柔軟度を診る事こそ、正確であり、簡単である事を
広く世の人にお知らせしたいのです。
つづく( お!
頭痛は首の周りを調べる
次に頭痛の場合には、必ず前額部に熱発を認めるのですが、その額の部をひのもと治療
法治療してもあまり効果がない事があります。その場合に、耳下腺を主とし、リンパ腺
へかけて大抵の人は固結があるのですから、そこを治療することによってすみやかに解
熱し、頭痛は去るものなのです。
そえゆえに頭痛以外の一般発熱者に対しても、耳下腺、リンパ腺、扁桃腺等を一応指査
すれば必ず大小の固結(グリグリしたもの等)が判りますから、そこの箇所をねらって
ひのもと治療法治療することによって下熱する場合が多いのであります。
ひのもと治療法は下熱する力ではない。しかし下熱する
この「ひのもと治療法をすると下熱する」という事は、ひのもと治療法というのは熱を
冷まさせる力というのではありません。熱の発生が不必要になるという事なのです。
人間だれでもが持っている体の自然の働きによって固結毒素を溶かす、その際に熱が必
要です。つまり自然良能力が働いて、「高熱で固まっている毒素を溶かし出す」という
のが「発熱」の原因なのです。
ところが、ひのもと治療法の力とは太陽熱の霊熱と言える「火素」なのですが、これに
よってもっと容易に毒素を溶かす事が出来るのです。
そのため自然良能力を強力に援助する、バックアップするという意味で、熱がなくても
固結毒素を溶かす事が出来るので、その結果として「ひのもと治療法すると下熱する」
ということになります。
これは体の働きが毒素排泄のための浄化作用を行っているところに、『ひのもと治療法』という味方が付いたようなものです。
反対に冷やしたり、薬という毒を入れることは、自然の体の働きを阻止することなので
すから、強力な邪魔者が生命力を弱めるという働きなのです。
「熱が出ると苦しい。だから冷やす。」というのは一見合理的な方法のようですが、実
は「せっかく溶け出そうとする、体にとっては有害な毒素を再び固めて出さないように
する」という、愚かな方法なのです。
そうしてもちろん、『薬は毒』そのものですから、毒を体に入れると生命力を弱めるの
で、とうぜん自然良能力の働きが弱くなります。すると浄化する力がなくなるのですか
ら発熱も引っ込んでしまいます。その結果、見かけ上は「熱も引いて、病気が治った」
と言う事になります。
しかし、浄化(病気症状)の因は体内に溜まった毒素なのですから、いつか再び、入れ
た薬毒を加えてさらに強力な浄化作用(病気)を予約してしまった様なものです。
次に腕、指などの疾患の場合、その本原であるリンパ腺から肩、腕の頂部に当たる所を充
分治療すべきです。それによって手指といえどもその治療が容易に奏功するものなので
す。
「ヒョウソ」など、激痛を伴う腫れ物の原因がその手指にあるんではなく、実は頸や肩
の辺にあるとは夢にも思わないでしょう。だからひのもと治療法をする場合に、痛む手
先だけを治療していてもなかなか良くならないのは、そこが本元ではないからです。
したがって脚に関する疾患も右と同様その根源である腎臓部、脚の付け根等をよく治療
すべきです。
また、ひざが痛いといっても、その裏側に原因があることもあります。
このまえ、かなりキツイ腰痛だったが
いまは治って毎日元気に発砲中
じゃないか!!
発泡酒。
もっとも今まで何度も難度も腰痛が痛かったことがあるので
いつか治るということには自信があったけどね。
でも、やっぱり腰痛中は難儀やnow
はやく治りたいという思いは強い悶じゃ
しかし、その強い思いがもっと治りを遅くする(苦笑
身体の中のお医者さんにお任せするというよい意味の依存症がよい。
もちろん、一時的苦痛緩和の薬など 要らんのじゃな。
そこで、好い子のみなさんも、自分のことは自分の身体にお任せすることと
薬等の対症療法はけっきょく、あとで再発してもっと苦しむ。
オットセイの。
まえがきのほうが長くなった。。Y
お! やっと出てきたようだが
なんちゃら治療法
ひのもと治療法 ナンチャッテ♪
ーーーーーーーーーーー
[治療についての注意]
表舞台より楽屋を見ろ
「ひのもと治療法」(一切の先入観を持たないための仮称とします)
ひのもと治療法(仮称)による治療について、いろいろな注意点について述べてみます。勿論これも人様からの受け売りの論ですが、実際にやってみると「なるほど」と感心す
る大事なポイントだと思います。
人間の体は霊体一致を原則としますが、霊と体とに区別する時は、背部は霊となり、腹部
は体に相応するのであります。「見える表の裏側をよく探れ」という訳です。
いつも言いますように、『霊主体従の法則』により、あらゆる病患は背部が重要であり、
背部の治療をよく行わなければ真の効果はないのです。
ちょうど影絵の裏側をのぞくと動いている本体があると同じように、直接見える影絵よ
りも見えていない裏側の方が本体という事なのです。
つまり背部裏側の毒素が溶解しただけは、前部、表側の病患は軽減する訳です。
たとえば、胃ケイレンの激痛であっても、その激痛部だけの治療では効果は少ないので
す。その場合、背部を診れば左右何れかの肩甲骨と背柱との中間に必ず固結があるもの
です。
その固結をひのもと療法をすると、すみやかに胃部の激痛は解消するものなのです。
それでは、その固結は何であるかというと、これは薬剤の固結したものです。
薬を飲み続けていて、人間夜は必ず横になって寝る関係上、胃の後方から浸透し、背部
へ沈殿固結するのです。
薬毒は固結すると共に、必ず微量づつであっても溶け出すものですから、それが少しで
も重みのある毒素ですから、下へ下へと下降するというのが原理です。
また湿性腹膜炎における膨満も、化膿性腹膜炎の膿結も背面腎臓部へ沈殿固結したもの
です。原因が背面腎臓部にあるのです。
その他、心臓、肺、胃、腸に関する疾患も、すべて背部を主に冶療すべきです。
いまは治って毎日元気に発砲中
じゃないか!!
発泡酒。
もっとも今まで何度も難度も腰痛が痛かったことがあるので
いつか治るということには自信があったけどね。
でも、やっぱり腰痛中は難儀やnow
はやく治りたいという思いは強い悶じゃ
しかし、その強い思いがもっと治りを遅くする(苦笑
身体の中のお医者さんにお任せするというよい意味の依存症がよい。
もちろん、一時的苦痛緩和の薬など 要らんのじゃな。
そこで、好い子のみなさんも、自分のことは自分の身体にお任せすることと
薬等の対症療法はけっきょく、あとで再発してもっと苦しむ。
オットセイの。
まえがきのほうが長くなった。。Y
お! やっと出てきたようだが
なんちゃら治療法
ひのもと治療法 ナンチャッテ♪
ーーーーーーーーーーー
[治療についての注意]
表舞台より楽屋を見ろ
「ひのもと治療法」(一切の先入観を持たないための仮称とします)
ひのもと治療法(仮称)による治療について、いろいろな注意点について述べてみます。勿論これも人様からの受け売りの論ですが、実際にやってみると「なるほど」と感心す
る大事なポイントだと思います。
人間の体は霊体一致を原則としますが、霊と体とに区別する時は、背部は霊となり、腹部
は体に相応するのであります。「見える表の裏側をよく探れ」という訳です。
いつも言いますように、『霊主体従の法則』により、あらゆる病患は背部が重要であり、
背部の治療をよく行わなければ真の効果はないのです。
ちょうど影絵の裏側をのぞくと動いている本体があると同じように、直接見える影絵よ
りも見えていない裏側の方が本体という事なのです。
つまり背部裏側の毒素が溶解しただけは、前部、表側の病患は軽減する訳です。
たとえば、胃ケイレンの激痛であっても、その激痛部だけの治療では効果は少ないので
す。その場合、背部を診れば左右何れかの肩甲骨と背柱との中間に必ず固結があるもの
です。
その固結をひのもと療法をすると、すみやかに胃部の激痛は解消するものなのです。
それでは、その固結は何であるかというと、これは薬剤の固結したものです。
薬を飲み続けていて、人間夜は必ず横になって寝る関係上、胃の後方から浸透し、背部
へ沈殿固結するのです。
薬毒は固結すると共に、必ず微量づつであっても溶け出すものですから、それが少しで
も重みのある毒素ですから、下へ下へと下降するというのが原理です。
また湿性腹膜炎における膨満も、化膿性腹膜炎の膿結も背面腎臓部へ沈殿固結したもの
です。原因が背面腎臓部にあるのです。
その他、心臓、肺、胃、腸に関する疾患も、すべて背部を主に冶療すべきです。
未だ出てこないって?
毒だのどうだのってバッカりじゃないか!
まあ、健康法なんてのは案外単純なんですよ(笑い
産まれ持った毒を出して逝くこと。
産まれてから出来るだけ毒を入れないこと。
そう、毒の有無で元気で逝けるかどうかの違い。
それは体質面ですが、それをどうこうするのは自分の意識がかなりありますね。
それは精神世界の方で。
でも、精神世界の超有名ブロガーさんたちは、病気になったら
病院に行く。薬を飲む。
ああ、これじゃあ、片手オチじゃないのかなあ~~
まあ、悟りといっても、全部のことを知るわけジャナイし、ショウガナイか・・
そこで、悟ったひとでも言わない、毒出し健康法がひのもと健康法というわけ。
超カンタンに言えば
一切の薬という毒物から解放される私になる。
という本当に簡単な健康法なのね。
それをくどくどと書いたもの
ーーーーーーーーーーーーー
そうして、この毒素というのは人間が神経を使う所ほど集溜固結する。現代人が神経を
一番使う所と言えば頭脳である。そこを目がけて毒素が集まろうとする。すると、途中
下車ではないが、肩や首の周りに固まる。
どんな人でも首の周りや肩の周りに塊があるから、押してみると判るはずだ。グリグリ
があったり、浄化して熱いところ、押して痛い所、みーんなそれが毒の塊なのだ。
肩や首が痛い、肩や首がこるなどと言ってしかめ面をする人があるが、みんな身の内の
毒のせいなんだ。
そして自然にその排毒作用、すなわち[浄化作用]が始まると熱で溶かし、鼻水や痰で
排泄しようというのが[風邪]である。
「放っておけば順調に排泄され、毒素が出た分だけ血液がきれいになり健康になれる」
という、天の恩恵による作用だという事を知らないため、極力止めようとする。その方
法が氷冷や[薬という毒]を入れることなのだ。
せっかく出ようとする毒素を固めるばかりか、そのうえに薬毒まで追加するのだから、
毒塊人間はますます増長することになる。終いにはそのきれいなお肌までも犯して、汚
い毒素のヘドロが吹き出してしまうのではないだろうかとも考えてしまう。
まさに「罪のうえに罪を重ねる」という言葉が当てはまるのだ。
頭脳を中心に集まった毒素のため、頭脳は明晰を欠き、一見頭がいいように見えて、中
身が丸っきりという愚鈍な人間ができあがってしまう。
そんな人間が集まってりっぱな理屈を言ってひしめいているのだから、まともな世の中
になるわけないだろう。
こう言うと私がずいぶん頭脳明晰な人間と言いたがっているようだが、この論はあくま
でも受け売りなのだから勘違いしないように。
ただ、私がみなさんと違うのは、できるだけ毒を入れないようにし、できるだけ減らす
という方向にいるという点である。
そうして、この毒素というのは人間が神経を使う所ほど集溜固結する。現代人が神経を
一番使う所と言えば頭脳である。そこを目がけて毒素が集まろうとする。すると、途中
下車ではないが、肩や首の周りに固まる。
どんな人でも首の周りや肩の周りに塊があるから、押してみると判るはずだ。グリグリ
があったり、浄化して熱いところ、押して痛い所、みーんなそれが毒の塊なのだ。
肩や首が痛い、肩や首がこるなどと言ってしかめ面をする人があるが、みんな身の内の
毒のせいなんだ。
そして自然にその排毒作用、すなわち[浄化作用]が始まると熱で溶かし、鼻水や痰で
排泄しようというのが[風邪]である。
「放っておけば順調に排泄され、毒素が出た分だけ血液がきれいになり健康になれる」
という、天の恩恵による作用だという事を知らないため、極力止めようとする。その方
法が氷冷や[薬という毒]を入れることなのだ。
せっかく出ようとする毒素を固めるばかりか、そのうえに薬毒まで追加するのだから、
毒塊人間はますます増長することになる。終いにはそのきれいなお肌までも犯して、汚
い毒素のヘドロが吹き出してしまうのではないだろうかとも考えてしまう。
まさに「罪のうえに罪を重ねる」という言葉が当てはまるのだ。
頭脳を中心に集まった毒素のため、頭脳は明晰を欠き、一見頭がいいように見えて、中
身が丸っきりという愚鈍な人間ができあがってしまう。
そんな人間が集まってりっぱな理屈を言ってひしめいているのだから、まともな世の中
になるわけないだろう。
こう言うと私がずいぶん頭脳明晰な人間と言いたがっているようだが、この論はあくま
でも受け売りなのだから勘違いしないように。
ただ、私がみなさんと違うのは、できるだけ毒を入れないようにし、できるだけ減らす
という方向にいるという点である。
つづく
まだ続くのねえ・・・
毒だのどうだのってバッカりじゃないか!
まあ、健康法なんてのは案外単純なんですよ(笑い
産まれ持った毒を出して逝くこと。
産まれてから出来るだけ毒を入れないこと。
そう、毒の有無で元気で逝けるかどうかの違い。
それは体質面ですが、それをどうこうするのは自分の意識がかなりありますね。
それは精神世界の方で。
でも、精神世界の超有名ブロガーさんたちは、病気になったら
病院に行く。薬を飲む。
ああ、これじゃあ、片手オチじゃないのかなあ~~
まあ、悟りといっても、全部のことを知るわけジャナイし、ショウガナイか・・
そこで、悟ったひとでも言わない、毒出し健康法がひのもと健康法というわけ。
超カンタンに言えば
一切の薬という毒物から解放される私になる。
という本当に簡単な健康法なのね。
それをくどくどと書いたもの
ーーーーーーーーーーーーー
そうして、この毒素というのは人間が神経を使う所ほど集溜固結する。現代人が神経を
一番使う所と言えば頭脳である。そこを目がけて毒素が集まろうとする。すると、途中
下車ではないが、肩や首の周りに固まる。
どんな人でも首の周りや肩の周りに塊があるから、押してみると判るはずだ。グリグリ
があったり、浄化して熱いところ、押して痛い所、みーんなそれが毒の塊なのだ。
肩や首が痛い、肩や首がこるなどと言ってしかめ面をする人があるが、みんな身の内の
毒のせいなんだ。
そして自然にその排毒作用、すなわち[浄化作用]が始まると熱で溶かし、鼻水や痰で
排泄しようというのが[風邪]である。
「放っておけば順調に排泄され、毒素が出た分だけ血液がきれいになり健康になれる」
という、天の恩恵による作用だという事を知らないため、極力止めようとする。その方
法が氷冷や[薬という毒]を入れることなのだ。
せっかく出ようとする毒素を固めるばかりか、そのうえに薬毒まで追加するのだから、
毒塊人間はますます増長することになる。終いにはそのきれいなお肌までも犯して、汚
い毒素のヘドロが吹き出してしまうのではないだろうかとも考えてしまう。
まさに「罪のうえに罪を重ねる」という言葉が当てはまるのだ。
頭脳を中心に集まった毒素のため、頭脳は明晰を欠き、一見頭がいいように見えて、中
身が丸っきりという愚鈍な人間ができあがってしまう。
そんな人間が集まってりっぱな理屈を言ってひしめいているのだから、まともな世の中
になるわけないだろう。
こう言うと私がずいぶん頭脳明晰な人間と言いたがっているようだが、この論はあくま
でも受け売りなのだから勘違いしないように。
ただ、私がみなさんと違うのは、できるだけ毒を入れないようにし、できるだけ減らす
という方向にいるという点である。
そうして、この毒素というのは人間が神経を使う所ほど集溜固結する。現代人が神経を
一番使う所と言えば頭脳である。そこを目がけて毒素が集まろうとする。すると、途中
下車ではないが、肩や首の周りに固まる。
どんな人でも首の周りや肩の周りに塊があるから、押してみると判るはずだ。グリグリ
があったり、浄化して熱いところ、押して痛い所、みーんなそれが毒の塊なのだ。
肩や首が痛い、肩や首がこるなどと言ってしかめ面をする人があるが、みんな身の内の
毒のせいなんだ。
そして自然にその排毒作用、すなわち[浄化作用]が始まると熱で溶かし、鼻水や痰で
排泄しようというのが[風邪]である。
「放っておけば順調に排泄され、毒素が出た分だけ血液がきれいになり健康になれる」
という、天の恩恵による作用だという事を知らないため、極力止めようとする。その方
法が氷冷や[薬という毒]を入れることなのだ。
せっかく出ようとする毒素を固めるばかりか、そのうえに薬毒まで追加するのだから、
毒塊人間はますます増長することになる。終いにはそのきれいなお肌までも犯して、汚
い毒素のヘドロが吹き出してしまうのではないだろうかとも考えてしまう。
まさに「罪のうえに罪を重ねる」という言葉が当てはまるのだ。
頭脳を中心に集まった毒素のため、頭脳は明晰を欠き、一見頭がいいように見えて、中
身が丸っきりという愚鈍な人間ができあがってしまう。
そんな人間が集まってりっぱな理屈を言ってひしめいているのだから、まともな世の中
になるわけないだろう。
こう言うと私がずいぶん頭脳明晰な人間と言いたがっているようだが、この論はあくま
でも受け売りなのだから勘違いしないように。
ただ、私がみなさんと違うのは、できるだけ毒を入れないようにし、できるだけ減らす
という方向にいるという点である。
つづく
まだ続くのねえ・・・
みなさんコメントありがとう~
ジジイ放談読んで戴いたそうで・・
なんとも(^u^;)ハァハァゼェゼェ… じゃないか!!
これからもおつきあいよろしく。
コメント返信しなくて申しわけありません。
「ひのもと健康法」?
ちっとも出てこないジャナイか!!
まあ、老い先短いからね。
途中でくたばって出てこないかも知れないし・・
ではその2
1999年頃に書いたものらしい・・(自分でも憶えていない)
朝夕わたしのまわりを毒の塊が歩いている
なんだか妖気ただよう光景を思い浮かべるだろうが、それはあなたの父であり、母であ
り、兄妹、姉弟なんだ。そして“あなた”でもある。
じゃあ、おまえはどうなんだ!と言われると、“じつは私もそうなんです”と白状する
しかない。
街を歩いていてきれいなオネエチャンを見かけると、心から喜びがわいてくるのは私だ
けだろうか。そんなとき、フト今言った事を忘れてしまう。「なんてつやつやした肌な
んだろう!きっと中身もきれいなんだろうな」などと、つい思ってしまうのだ。
いやいや、だまされてはいけない。(もっともオネエチャンがだましているわけないん
だけど‥)
この世の中で体の芯まできれいなニンゲンなんて居ないのだ。みんなみんな、毒の塊を
持っているんだ。だから私の周りを歩いている人はみんな毒の塊が歩いているようなも
のなんだ。そう思うと、きれいなオネエチャンも心なしか少し汚く見えて来た。あの美
しい顔の下に醜い顔が隠されているのだろうか?‥
そんなありもしないことをつい考えてしまうのだ。
しかしそういうことではない。つややかな肌の内部は肉とか血液とか骨である。その血
肉の中に毒が混じって、固まっていると言うのだ。
現代人に例外はいないと言う。体内に保有毒素を持たない者は一人としていないと言う
のだ。どんな人でも親からまたその親からと、祖先から受け継いだ毒素を持っている。
それを[先天性毒素]と言う。そして生まれてから入れた毒素。これを後天性毒素と呼
ぶ。
この毒素とは「薬毒」のことなのだ。風邪を引いたとき飲んだ薬、胃が悪いと言って飲
んだ薬、学校へ上がって予防だと言って打たれた注射、みんな[薬毒]なのだ。
それらが体の中に溜まって、それらのエキスみたいになったのが[毒素]である。もち
ろんその他、食品添加物や公害物質などもこの[毒素」の仲間に入る。
このように現代人は[毒の塊]と言っても良いのだ。ただ美しいい皮膚で隠されている
から、中身まできれいだと思い込んでいるだけなんだ。
こんな毒塊人間がいばりくさって理屈をこねて、世の中をきりもみして行こうというの
だから、うまく行くわけない。これでは世界中がおかしくなるはずだ。日本でも今の現
状がそれを雄弁に物語っているではないか。
あんなにオエライさん方が一生懸命考えてやって来たことがみんな破綻しようとしてい
るではないか。
いくら立派な理屈を述べても中身が汚いのだから、上滑りでどうしようもないのだ。
現に私がそうなんだから。さっきまで随分偉いことを言っていたのだが、さて二、三歩、歩いたと思ったら、もう忘れて我がまま勝手の気分次第、
「分かっちゃいるけど止められない‥」って言葉がそのまま。それもこれも身の内の毒
が十分詰まっているからだ。
私は薬を止めて十五年、その間すいぶんひのもと療法をして毒素を減らしたつもりだが、
なになに! 毒素は一生無くならない? 無くなるには二三代かかると言うのだから、
いやになる。
それほど多いのだ。もし人間の体から毒素がほとんど抜けると、寿命が百二十才という
のが普通になると言うのだから。
なんだ
まだ出てこないひのもと健康法とやらは?
それよりも、標準年齢が120才だって?
冗談ジャナイぞ!
これ以上、シワ輪せになってどうする!! 怒り
ジジイ放談読んで戴いたそうで・・
なんとも(^u^;)ハァハァゼェゼェ… じゃないか!!
これからもおつきあいよろしく。
コメント返信しなくて申しわけありません。
「ひのもと健康法」?
ちっとも出てこないジャナイか!!
まあ、老い先短いからね。
途中でくたばって出てこないかも知れないし・・
ではその2
1999年頃に書いたものらしい・・(自分でも憶えていない)
朝夕わたしのまわりを毒の塊が歩いている
なんだか妖気ただよう光景を思い浮かべるだろうが、それはあなたの父であり、母であ
り、兄妹、姉弟なんだ。そして“あなた”でもある。
じゃあ、おまえはどうなんだ!と言われると、“じつは私もそうなんです”と白状する
しかない。
街を歩いていてきれいなオネエチャンを見かけると、心から喜びがわいてくるのは私だ
けだろうか。そんなとき、フト今言った事を忘れてしまう。「なんてつやつやした肌な
んだろう!きっと中身もきれいなんだろうな」などと、つい思ってしまうのだ。
いやいや、だまされてはいけない。(もっともオネエチャンがだましているわけないん
だけど‥)
この世の中で体の芯まできれいなニンゲンなんて居ないのだ。みんなみんな、毒の塊を
持っているんだ。だから私の周りを歩いている人はみんな毒の塊が歩いているようなも
のなんだ。そう思うと、きれいなオネエチャンも心なしか少し汚く見えて来た。あの美
しい顔の下に醜い顔が隠されているのだろうか?‥
そんなありもしないことをつい考えてしまうのだ。
しかしそういうことではない。つややかな肌の内部は肉とか血液とか骨である。その血
肉の中に毒が混じって、固まっていると言うのだ。
現代人に例外はいないと言う。体内に保有毒素を持たない者は一人としていないと言う
のだ。どんな人でも親からまたその親からと、祖先から受け継いだ毒素を持っている。
それを[先天性毒素]と言う。そして生まれてから入れた毒素。これを後天性毒素と呼
ぶ。
この毒素とは「薬毒」のことなのだ。風邪を引いたとき飲んだ薬、胃が悪いと言って飲
んだ薬、学校へ上がって予防だと言って打たれた注射、みんな[薬毒]なのだ。
それらが体の中に溜まって、それらのエキスみたいになったのが[毒素]である。もち
ろんその他、食品添加物や公害物質などもこの[毒素」の仲間に入る。
このように現代人は[毒の塊]と言っても良いのだ。ただ美しいい皮膚で隠されている
から、中身まできれいだと思い込んでいるだけなんだ。
こんな毒塊人間がいばりくさって理屈をこねて、世の中をきりもみして行こうというの
だから、うまく行くわけない。これでは世界中がおかしくなるはずだ。日本でも今の現
状がそれを雄弁に物語っているではないか。
あんなにオエライさん方が一生懸命考えてやって来たことがみんな破綻しようとしてい
るではないか。
いくら立派な理屈を述べても中身が汚いのだから、上滑りでどうしようもないのだ。
現に私がそうなんだから。さっきまで随分偉いことを言っていたのだが、さて二、三歩、歩いたと思ったら、もう忘れて我がまま勝手の気分次第、
「分かっちゃいるけど止められない‥」って言葉がそのまま。それもこれも身の内の毒
が十分詰まっているからだ。
私は薬を止めて十五年、その間すいぶんひのもと療法をして毒素を減らしたつもりだが、
なになに! 毒素は一生無くならない? 無くなるには二三代かかると言うのだから、
いやになる。
それほど多いのだ。もし人間の体から毒素がほとんど抜けると、寿命が百二十才という
のが普通になると言うのだから。
なんだ
まだ出てこないひのもと健康法とやらは?
それよりも、標準年齢が120才だって?
冗談ジャナイぞ!
これ以上、シワ輪せになってどうする!! 怒り
たいした揉んだ。
いや、大した名前をつけたもんだ。
ひのもと健康法?
おそらく平成12年頃に書いたものらしいが。
《 ひ の も と 健 康 法 》
自分で自分の病気を確かめて見よう
ひのもと療法(この名称は要らない先入観を持たないための仮称です)
自分の体を触ってみることです。頭のてっぺんから、足のつま先までよーく触って見ま
しょう。すると必ずどこかに熱のある所があるはずです。そこを良くひのもと治療法す
ることです。そして、後は押して痛い所。指先で丹念に押してみてください。首でも肩
でも胸でも脚でも間接のどこでも、特に痛い所は必ず何カ所かあると思います。そこが
ポイントです。なお押しても痛くなくても、そこが晴れ上がったようになって膨らんで
いる所がある場合。
それも毒素の集溜する場所です。そこも良く溶かしておくべきです。肩でもそうですが、
堅い肩の人は浄化のときにもろいタイプです。柔らかくなるまで毎日時間さえあればひ
のもと治療法を欠かさないで下さい。
いつも言うように、ひのもと治療法の良いところはやり過ぎの無いところです。普段な
んでも無いときからのひのもと治療法こそ一番の効果を上げるコツです。
つづく
いや、大した名前をつけたもんだ。
ひのもと健康法?
おそらく平成12年頃に書いたものらしいが。
《 ひ の も と 健 康 法 》
自分で自分の病気を確かめて見よう
ひのもと療法(この名称は要らない先入観を持たないための仮称です)
自分の体を触ってみることです。頭のてっぺんから、足のつま先までよーく触って見ま
しょう。すると必ずどこかに熱のある所があるはずです。そこを良くひのもと治療法す
ることです。そして、後は押して痛い所。指先で丹念に押してみてください。首でも肩
でも胸でも脚でも間接のどこでも、特に痛い所は必ず何カ所かあると思います。そこが
ポイントです。なお押しても痛くなくても、そこが晴れ上がったようになって膨らんで
いる所がある場合。
それも毒素の集溜する場所です。そこも良く溶かしておくべきです。肩でもそうですが、
堅い肩の人は浄化のときにもろいタイプです。柔らかくなるまで毎日時間さえあればひ
のもと治療法を欠かさないで下さい。
いつも言うように、ひのもと治療法の良いところはやり過ぎの無いところです。普段な
んでも無いときからのひのもと治療法こそ一番の効果を上げるコツです。
つづく