最近はあまり「激おこプンプン丸」という言葉を聞かなくなったな。
怒っていることを表す言い方で、たしか数年ほど前に流行していたはず。

それに対し、笑っていることを表す「w」「草」は けっこう長く使われている印象だ。

「怒っている」「笑っている」という なんのひねりもないそのままな言い方は、もっともっと長生きしている。



短命な言葉、長生きな言葉
短命な習慣、長生きな習慣
流行り、廃り

こういうのを観察するのもおもしろい。




言い方はいろいろあるけど
高次の成分が多いもの、
グルジエフ水素でいうと「H◯◯」の数字が小さいもの(いちなるものからの分離が少ないもの)、
進化の度合いが大きいものは、
長持ちする。


仏教の教えや聖書などの聖なる教えが 時代をこえて多くの人に読まれるように。
クラシック音楽が 時代をこえて多くの人に聞かれるように。
神社仏閣や伝統的な建造物が 時代をこえて多くの人に訪れてもらえるみたいに。



クラシック音楽を聞いたり
伝統的な文化に触れたり
山や川や海など 自然豊かな場所を訪れたり

そんなふうにとても長くあるものに触れると
高次の成分、振動、雰囲気などが伝わってきて
自分にも取り入れることができる。

自分が高次な状態になる、進化することの助けになる。


なんのひねりもない 長持ちしている言葉を多用するのも、進化の助けになるかもね。
(流行りについていくのを諦めた私の、己への慰めの理論である)

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「長持ち」というと、サビアンシンボルで長い時間を感じさせるものもおもしろい。




http://www.246.ne.jp/~apricot/sabian/sabianfr.htmlより



長くあるものは、時代によって磨かれる。

不要な部分は削ぎ落とされ、シンプルな形で残る。

シンプルな形だから、長く残る。


"ひねり”みたいなことを省いていって残った芯のようなところ、だからこそこんなに長持ちするということ。


体は服をまとう。
服は着替え・衣替えがしやすいけれど、肉や骨を変えるとなると 着替えよりも大ごとになってくる。

長持ちする ひねりの少ない物事は、そんな骨のような“芯”に近いところに該当することなんだね。

芯に近いことほど、衣替えは少なくなる。




言葉は生き物。変わるもの。
正しい言葉を使おうといっても、そもそも何が正しい言葉なのかよく分からない。

変わることを受け入れるのが正しい(正しいというか 変化に対応できるものが生き残るのに有利)という見方も、分かる。

しかしそれでいて、
正しいとはまた違う、「長持ち」という基準に注目してみるのは ひとつおもしろいことであるな。

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言葉は、合言葉のように 仲間かそうでないかを見分ける判断材料になる。

「チョベリバ」が通じるかどうかで、ある種の仲間であるかどうかを見分けられる。
(超・ベリー・バッドの略。とても悪い、最悪の意味だ)

ギャル語、オタク語、若者言葉、スピリチュアル用語、占星術用語、科学用語…いろいろある。
それが通じるかどうかで、なんらかの仲間であることを識別できる。

また、敢えてほかの人は分からない・通じない言葉づかいをすることで、意図しない相手との接触を減らすこともできる。


これは、双子座(言葉)と蟹座(心の通じる仲間・身内)が 隣り合う星座ということと併せて考えるとおもしろい。
言葉と仲間、言葉と身内というのは、近いところのことなのだと。

というのを、ずっと前に石井ゆかりさんの文章(たぶんブログ)で読んだことがある。





こういったことから考えると、
先ほどの「長持ちする言葉」は、世代をこえて、時代をこえて、分野をこえて、多くの人を仲間とすることができる言葉でもある。
多くの人に通じる。
多くの人と語らえる。

言葉自体はそこまで高次元ではないそうだけれど(言葉では言い表わすことができない感動的な体験って多くあるものね。それは言葉よりも感動的な体験のほうが高次だということ)

しかしなるほど、世代をこえて、時代をこえて、分野をこえて、多くの人を仲間とすることができる言葉ならば、
言葉の中では 統合的、進化的、高次元的といえる。



高次元とか進化ということを考えると
愛や 優しさや 美しさなどを思い浮かべやすいけれど

あるいは、
怪しいことや 特別なことが必要なんじゃないかと思ったりもするけれど

こんなふうに長持ちしていること・普遍というところ・あるいはシンプルさで考えてみてもおもしろいね。




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アーキタイプにどれくらい近いか ということでもあるんだろう。
私たちは 型にはまらない生き方を望むことも多いけれど、普遍的な型に近づくのは すごいことでもある。

人類や表現などの、なにがしかの代表みたいなことでもあるからな。