我が家に届いた年賀状。

元日には1通も届かず、5日にたくさん届いた。
珍しいw



おみくじ付き年賀状に書いてある私の住所を見て送ってくれる方もいるので、私のホ◻︎スコープ研究所関係のものは分かるんだ。

そういうホ◻︎スコープ研究所関係ではない、
毎年届く親類や企業さんからのもの、彼殿宛てのものまでみんな5日に届いたのがおもしろい。


私の体調回復にあわせて 見えない誰かさんが調整を入れてくれたのかな?
謎ですw

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年賀状を付き合いでとりあえず送る文化は、私はあまり得意ではないです。
それで数年は完全に年賀状から離れていたのでした。


しかしこうして改めて年賀状をやってみると
「久々に連絡を取りたくもあり、しかし特別な用事があるわけでもないから、まぁ、またいつかそのうち…」
という気持ちになる相手がいるときに、年賀状はすごくいいな という気がしてきました。

特別な用事がなくても、年賀状という文化を口実に送ることができる。



あってもなくてもいいような程度の「年始のあいさつ」という 薄い軽い口実というところがまたいい。

大事な要件の雰囲気モリモリだったら、相手が手間や負担に感じちゃうかもしれないからね。


「いうて年賀状だし、そんなずっしり重みのある話ではないですよ。だからもちろんがっちり受け止めてもらわなくて大丈夫
という姿勢やニュアンスを醸し出せる形にして送れるというところも、気づかいや優しさ、日本的な奥ゆかしさを感じます。



そこまで重要ではないけど、
「でもちょっと軽い雑談でも交わせたらうれしいかも」
「そうして、絆とか 契約とか 相談したいことがあるとか 占いの約束とか 仕事の依頼とか 文通とか メル友とか グループLINEのメンバーとか、そういうことじゃないけど、このつながりが今も生きているというのを お互いになんとなくでも感じられたら」
みたいなもの、あるね。

「つながり」なんていう言葉を使うのすら 強すぎるくらいのもの。

そこまではっきり言語化されない 気分みたいなものとして、ある。

「ガチガチの絆とか契約とかじゃないけど、このつながりが生きているというのをお互いに なんとなく感じられたら」
↑これくらいの薄い小声の感じで すごくささやかにある。

塩や味噌や醤油じゃない、昆布だしのような気持ち。



そこに温度がある みたいなこと。
熱い温度というわけではない、でも温度がなくなったわけではない、ほのかに かすかに 淡く淡くある温かみの残り香のようなもの。


はっきりしたやりとりがなくても
関係とかつながりというほどでもなくても
たまに目が合えば 軽く笑って会釈したり ウインクしたりできるものがある みたいなこと。


そういうものに 淡く淡く助けられること、あるね。




一文おみくじ付き年賀状を思いついたとき以上に、「これはじんわりしたよさがあるな」と感じているよ。





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