H6恒星意識の説明のしかたの例には こういうのもある。

恋愛で燃え上がり
周囲のあらゆる事情が一切関係なくなって
2人で突っ走っているときの あの感じ

例ですよ。恋愛だけじゃない。



最近の言い方でいうと「無敵の人」も これに近いケースがあるのではないかな。どうかな。

Wikipediaの説明を引用すると、

“無敵の人(むてきのひと)とは、社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味するインターネットスラング。2008年に西村博之(ひろゆき)が使い始めた。”



怒りや失意に駆られてのそれは、H96の月意識で自分以外ものが見えなくなっている感じだから、違うことだと思う。





ある段階を超えると 善悪の区別がなくなる

と言いますな。


善悪のジャッジをやめようという教えもあるけれど、完全にその善悪機能を放棄して一線をこえると、そりゃあそういうことになってくる。


人知を超えた慈愛も救いもするし

人知を超えた破壊もする。


如来の領域ということかね。





一つの例として


コロナはミロク(弥勒)である という話もある。

ミロクであるなら、救世主とも言われる。


コロナは、ある見方からすれば、救世主ということになる。

分からんでもない。



でも、コロナで大変な思いをした人、コロナそのものでなくても そこからのことで大変な思いをしている人はたくさんいるのも分かる。


肉体の意識にいればしんどいことも、魂の意識にいればしんどくないどころか歓喜なこともある。

それも分からないでもない。



どっちも本当だ。



「救世主」という 純粋にありがたい感じのワードと結びつけたくなくて、ブログに書かずにいた。


精神修行をしてきていない人がいる場で、「コロナは救世主だ」と それだけ言い放つのは、私はやらない。



だいぶ前に

「あー、このままいけば、私も人の悲しみに“よかったですね”と言える人になっちゃうなー

それはやだなー

喜びだけの領域に至るのは しばらくやめとこ」

と思ったことがある。




でも、時代を進めるには もしかしたらあれほどのことも必須だったのかもしれない。分からんでもない。


でも、手放しには喜べない。

無理に喜ばなくていい。悲しんでもいい。

と思うようにしている。


喜んでいる部分があったとしても、それを公に表明しなくてもいい。とも思うことにもした。


双方に対し「分からんでもない」の心。





割り切れない、やりきれないものを

割り切らず、やりきらずに

なんとも言えない、なんとも言わないで

でも「それをただ心に持っている」というのも

ひとつ、一時期のありようとして、ありだろう。


逃げの姿勢と 攻めの姿勢を 同時にやっているような感じだ。





コロナとミロクの話は、H6恒星意識などの「善とか悪とか言えない」の一つの例として紹介した。


これだけじゃない。

こんなことがまだまだ大量にある。






そんなふうなので、「恒星意識に到達しよう!」と人に勧めることは、今のところ 私はしない。


そもそも人に勧められて志すようなシロモノではないだろうからね。




高次の意識や性質は 肉体や社会を破壊する。

ゲームなら、大抵、世界を滅ぼす大魔王として勇者に倒される。




でも、このブログの読者さんの多くは そこから来ている。

どこか、分かるものがあると思う。

自分の中に「無敵の人」「大魔王」がいるのを知っていると思う。




そんな「無敵の人」「大魔王」を携えてここにいるのだ。


なんのためにここに生まれてきたのか。

それを思い出さないことには始まらないものもあるんだろう。





スターピープル、宇宙由来さんが 思い出す道のりを「ウェイクアッププログラム」と呼ぶらしいことが分かった。


でも、私は「起きろ」というのは嫌いだ。

起こすのも 起こされるのも、大嫌いだ。

私は柳沢慎吾さんみたいに「いい夢見ろよ!」というのが好きだ。


起きたくなったら そのときに気持ちよく起きるのが好きだ。





H6恒星意識を軽く見るなよ

高次の意識ならいいってもんでもねぇぞ

という話でした。



ひとまず今は、公には全惑星意識をおすすめするのがちょうどいいと思っている。

あとは、公ではないところでこっそりやりたい。






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「無敵の人」って2008年からあった言葉だったのか…!