JAFの2023年の調査では、横断歩道で歩行者に譲らなかった割合が55%を上る。
これだけを見ても、日本は民度は高くない。
いや、そもそも世界を見ても民度が高い低いとか考えるのは無意味。
民度が高いとか低いとかと人が錯覚してしまう理由は、
自分の文化慣習で相手の挙動を当てはめようとしたからだ。
つまり、日本人が自分たちの民度が他国より高いと思っているのは、
日本の文化や慣習、教えなどをそのまま物差しとして使い、他国のことを一方的に押し付けて評価しているだけに過ぎない。
そもそも他国の文化や慣習、教えなどが自分たちと甚だしく異なってもだ。
まさに無理解から生じた自己満的な勘違いで、自分たちの社会に存在している問題から目を逸らしているだけとしか思えない。
過去に「日本はすごい」とか「日本人はすごい」みたいな自国礼賛的な番組が流行っていたのも、
生活的にも経済的にも政治的にも苦しく、全く脱出の目通しがつかないこの社会的な環境からいっときの安らぎを求めたがる国民たちの潜在意識の現れなのだ。
日本人も結局昔から変化し続けてきた社会の規範の元で行動しているだけ、
例えばとある行動をするとその規範から逸脱してしまい社会から制裁を受けてしまうなら、やらないほうがメリットが高いとみんなが考えて動くので、その行動をすることを控えてしまうのだ。
また、とある行動をしても、法律を違反してしまうが、社会的にバッシングを受けないことが多く、やってもデメリットが少ないであれば、たとえ法律違反でもやってしまう。
殺人は前者であれば、横断歩道における歩行者無視は後者である。
本来、現代社会における法律の成り立ちは、特にその発祥とも言える欧米諸国では、本来国教であるキリスト教をもとに構築されてきた社会的なルールや慣習、考え方などがそのまま明文化されて法律になったので、法律と社会のズレが少ないと考えられる。
しかし近代日本の法律の成り立ちは、基本的にすでに出来上がった欧米の法律そのものを移植してきた歴史があるため、もちろんローカライズはシているが、本来日本社会に馴染んできた社会的なルールや規範をそのまま明文化していなかったため、ズレが発生している。
そして何よりも人間は、出来上がったものに対してそれ自体を変えることに何らか抵抗を自然的にする人の割合が多く、その結果百年以上も前の社会にふさわしくても今の社会に全くふさわしくない法律がそれでも有効であり続けて改正できないことが多い。
また、「日本人は〜」とかと考える事自体は間違いで、
そもそも日本人とかアメリカ人とか中国人とかで考えるとまるでDNAレベルで違いがあるような話になるので、
正確に言うと日本という社会、アメリカ社会、中国社会など、環境の話である。
何が言いたいかというと、仮に日本人がアメリカで生まれ育ったら、その人が日本国籍のままであれば確かに日本人だけど、
考え方や行動規範などはすべてアメリカ社会に適応した状態であって、決して日本社会に適応した状態とは言えない。
なぜなら彼らはアメリカで生まれ育ったからだ、アメリカの社会に適応せずに生き残れない。
だからよく帰国子女が日本の社会に浮いていると言われる事が多いのも、そういう理由なのだ。
民度は存在しない。
あるのはその社会規範に適応し、その社会で生き残るために行動が最適化された人間の集合のみ。