歴史ってのは、

そういうものだ、

今でも変わらない。

 

基本的に歴史の書物に書き残すためには、

権力者が同意しなければならないからだ。

 

今でも、国の歴史を正式に残して教科書にしているのは、

国のトップたちだから。

歴史上では、多くの出来事は、それを書き残せるときって、

基本的にその出来事が一段落したときなんだから、

それが何を意味するのかというと、

仮にAとBが日本のトップを争おうとして戦争を起こしたら、

勝敗が決着するまでの間は正式に日本の歴史として書き残せないんだ。

例えば最終的にAが勝利したら、そこで初めてこの戦争は何なのか、どのように経過して、どのような結末を迎えたのかを整理して、初めて歴史に残せた。

 

つまり、勝者であるAの視点でしか見ていない。それが「正史」というもの。

敗者であるBが反論する機会なんて最初から「正史」には存在しない。

Aにとっての戦争の正当性、強いてはこの国を握る理由をアピールするとともに、いかに負けたBが悪者だったのかを記述したのが、歴史なんだ。

要するに自分がいかに賢くて、イケて、容姿端麗、品行方正、人望が良く、悪人を裁き、国を守る正義の味方であることをひたすら語る武勇伝のような自惚れ話だ。

 

日本でも基本的にそうだし、となりの中国の歴史書をすべて読んで見ればわかるんだよ、

大体の王朝って、前の王朝の君主がいかに無能化、いかに国民を大事にしていないかという罪名を羅列しつつ、

それを革命で倒したこの王朝の君主が有能で、いかに国民を大事にしているのかを記載するんだよ。

 

でも実際は現代でのいろいろな研究で明かされたのが、

王朝の衰退は、為政者の有能や無能、革命成功者が有能や無能とはほぼ関係なく、

大体は気候変化に伴う凶作や飢饉、外敵の襲来などが起因である事が多い。

 

こういう基本的なことを理解せずに歴史書を読んでしまうと、

簡単にそれを書いた人の思惑に振り回されるんだ。

 

もう一度歴史書を読みたくなったら、

ぜひこのことを片隅に置きながら読んでみてください。

「歴史(正史)とは、勝者の自己PRであり、勝者の自惚れ話であり、勝者が勘違いした正義である、そこに事実は全く存在しない。」