それだけじゃなく
あなたと私は、「しっくり」くる関係。
互いを信じているけれど
現実に対して盲目じゃない。
傷ついたり、痛みを感じる繊細さと
それらを自力で癒すだけの寛容さがある。
あなたと一緒にいると毎日が楽しく
どこへ行っても「旅」になり、そこには必ず学びがある。
言葉の重みを知っているから
永遠の約束よりも、今が尊く愛おしい。
あなたのために創られた私と、
私のために創られたあなた。
安定よりも安息を求めて
長いこと生きてきたのかもしれない。
あなたと私は、恋をしているけれど
それだけじゃなく
密やかでも、自慢できる恋なんだ。
ときどき何かの役に立ちます
電磁波を察知できるものの(?)何の役にも立たない 私には
ひょっとしたら、ときどきは何かの役に立つかもしれない
マニアックな記憶力があります。
でもそれはやっぱり、世間一般的にはあんまり役に立ちません。
<例>
「ココナッツサブレ食べてるところ。」と聞けば
「それって5枚で143kcal?」とソラで言えたりする
学生時代は、年号や化学式を憶えるのに苦労したのに、
今となっては完璧にまっさらです。
でも、好きなことに関しては、ワスレラレナイ。
脳の「海馬」が人の記憶をつかさどるといわれていますが
私の海馬には、私だけのたからものが詰まっているのでしょう。
初めてのデートで着ていたシャツの色とかね。
風邪が長引いてしまいました。
ぐずぐずした低空飛行のままで、咳、鼻水、声変わりが回復しません。
中途半端に不健康。スッキリしないというのが困りものです。
パブロンSを飲みつくし、ちょっとアップグレードしてみました(右)。
ゴールドって付いてますし、効きそうじゃありませんか?
ドリンク剤だってゴテゴテした名前になればなるほど効くようですし。
しかしながら、裏面の全成分表示を見ると
それは過信のような気がしてきました。
だってこの2つ、ほとんど処方が同じなのです。。。
違っていたのは、ある成分の配合量と、
ゴールドだけに入っていると思しき、僅かに追加された成分。
これらがどれほど差をつけてくれるのか、謎です。
随想 100512
「へそくり」「棚からぼたもち」などという日本語に
江戸~昭和の茶箪笥や、磯野家を勝手に連想する私ですが
茶箪笥や冷蔵庫にいれたままの「とっておき」を
すっかり忘れてカビを生やしてしまうとか
思いがけず見つけてニンマリするとか
時間差でやってくることは、多々起こるものです。
今日はそんなお話です。
フリーメールならGmailだ!という評判に乗り遅れ、Hotmailを使っています。
主にブログやネット上の登録と、外出時用に使い分けているのですが
日頃は開くことなく、基本的には放置されています。
今朝のこと。
たまには掃除しなくちゃまずいだろうと思い立ち、
半年振りにブログ用のHotmailを開いてみたのです。
するとそこに、意外な「へそくり」を発見しました。
ずらっと並んでいた自動配信メールのタイトルは
「○○さんからメッセージが届きました」というものばかりでした。
内容があるというよりも、ただの「お知らせ」に過ぎないメールです。
でも、これらの受信履歴が物語るのは、ひとと繋がってきた縁の記録で
もちろん、それらのメッセージは既読なのですが
本当にただシンプルに嬉しかったんです。
時間差のギフトのように、後からじわじわ味わう価値。
それは、「初心に帰ろう」と気付かせてくれるものです。
コミュニケーションツールは、日進月歩で進化していますね。
便利で新しいものは上手に取り入れたいですが
茶箪笥のアナログさも、忘れたくない・・・忘れちゃいけない。
「告られちゃった」だとか、「別れちゃった」というやりとりが
携帯ひとつで済まされてしまう時代を
一口に「進化」と言ってしまうには
ちょっと寂しい気がする、三十路女なのでした。
Fix You
雨がなかなか止みませんでしたが
それはそれで、「いい天気」。
何だか音楽づいていた一日の終わり
夜になって聴きたくなったのは、Coldplayの「Fix You
」でした。
とにかく、歌声も曲調もあたたかくやさしいので
「全然Coldじゃないじゃん」と思ってしまう一曲です。
悲しいとき、落ち込んでいるときに
「I will try to fix you」なんて、励まされたい・・・。
PVの後半からのライヴ映像、格好いいです。
観客に向かって「グッナイ!」といっているし
やっぱり夜に聴きたくなります。
眠りに落ちる前、大切な人を思い浮かべながら。
★
Tears stream down your face and I...
Lights will guide you home
And ignite your bones
And I will try to fix you
家(うち)へおかえりと
光が君を導いている
涙が君の頬をつたうなら
壊れた心が癒えるまで
ふたたび魂に火が灯るまで
僕はここにいる
コーヒーの渦
私の水分補給は主に、
コーヒー、コントレックス、汁物でまかなわれています。
特に、朝と夜のコーヒーは欠かせません。
(まあ・・・昼も飲んでいるのですが)
その傍らには、もちろんチョコレート(笑)
それにしても、一体いつからこんなにコーヒー好きになったのか。
記憶の糸を辿ってみることにします。
17歳の誕生日に、コーヒーメーカーをもらいました。
この辺りでは、すでにコーヒー好きになっていた。
16歳のころは?
高校生になったとき、招かれた知人の家で
おいしいコーヒーをいただきました。
それまで実家にあったインスタントとは違う、芳香と味わいに
これ、別の飲み物じゃないの?と思ったような。
ランチセットのドリンクを、
アイスティー(先出し)からホットコーヒー(後出し)に変えたのは
おそらくこの辺が転機だったはずです。
★
高校の修学旅行でのこと。
数学科のK先生が、お茶に誘ってくれました。
(などと書くとハレンチですが、そうではありません。)
私は生徒側の面倒な取りまとめを担当していましたので、
旅行の最終日に、それまでの労をねぎらってくれたのと、
K先生自身も、ちょっと気分転換したかったんだろうと思います。
夜の自由時間になると、
京都の宿泊先だったホテルを「正々堂々と」抜け出しました。
その近くに、古くからある喫茶店があり、私はコーヒーを頼みました。
すると意外そうな顔をして、K先生は
「ずいぶん落ち着いた風に飲むんだね」と、笑いました。
その頃の私は、当時よく見かけたゴールドブレンドのCMのように
クリームを、なると状の渦を描くように注いでみたいと思い
本気であれこれ試してたのですが
(先にスプーンで渦を作ったところに、そっと注いでみるとか)
「ことごとく、上手くいかないんですよ」と、K先生に話しました。
少しおしゃべりしすぎたために、帰りは「こっそりと」宿舎に戻りました。
K先生まで真剣になって、渦を作る方法を提案してくれたり
父娘のような、そうではないような
他愛もない、ほのぼのとした時間だったように思います。
あのとき私は京都にいたのかと思うと、何だか感慨深いです。
ちなみに今でも、コーヒーの渦は上手に作れません。
定点観測
幸せそうなひと、悲しそうなひと、
口をへの字に曲げたひと、笑っているひと、
やたら急いでいるひと、のんびり抜かされていくひと。
信号で立ち止まったひとが
緑色の号令とともに散らばっていく。
誰にだって向かう方向と歩いてきた道があるし、
みんな今を生きてる。
彼女は公衆電話の横で、彼を待っていた。
「今の私は、前よりずっと幸せ」と確信しながら
見慣れた彼の姿が人混みをかき分けてくるのを
少し背伸びして、目を細めて。
だけど、彼女が身を焦がしていた、一つ前の恋も
「とてもいい恋愛」だったから
失ったときの痛みは小さい時限爆弾みたいになって残っている。
その爆弾は、ときどき彼女の胸をしくしくさせ、
ついでに「彼」の胸まで、うずかせている。
通り過ぎた恋愛なんて、あって然るべきで
目が眩むほど幸せな記憶、身を切るように辛い別れ
みんな、そういう要素を持っているのに
普段はあまり気づかず、気づいた途端
不安になったり切なくなったり悲しくなったりする。
もし胸が苦しくてしかたなく、ぽろぽろ涙がこぼれたとしても
それは一過性の、ちょっとした発作で
目の前にある幸せを、もっともっと、大切にするべきだってこと
教えてくれているんだと思う。
きっと、そうだよ。
Just The Way You Are
母が田舎暮らしを始める前に、「家族集会」なるものがあり
姉、私、弟に、それぞれ渡したいものを持ってきました。
卒業証書や、通知表、記念写真、縁のものたち。
その中に、一つだけ見慣れない印刷物があって
「何これ?」と、母に聞いてみたところ
「あなたの作文が載ってるじゃない」と言われました。
そんなものがあったこと、すっかり忘れていました。
高校を卒業する前に、担任から頼まれたのです。
「三年間の思い出」というクサイ作文を。
黄ばんだ通知表を開くと、
お世話になった先生方からの「客観的エール」。
三つ子の魂百まで・・・
私は「書くこと」が好きだったようです。
★
少し理屈っぽくなりますが、独り言を書きます。
本当の意味で、心を明け透けにして
「素顔を見せられる人」は、
世界にどれほど居るのかなぁと、このごろよく考えます。
誰かを好きになったときに、
その人を深く理解したいと思ったり
もっと知りたいと願うのは自然なことですが
ただ「愛している」と突っ走るのは、ただの独り相撲ですし、
天秤が一方に傾かないように
無理してバランスを取らなければいけないならば
それもきっと、本物ではないのでしょう。
恋していれば、
甘い言葉ばかり交し合うものかもしれません。
それでも面と向かって
「愛している」と伝えるのは勇気が要ります。
私自身のことをいえば
小説と違い、現実の世界においては
この言葉だけは禁句のように思えて
軽々しく口にするまいと思っていました。
映画「プリティ・ウーマン」で、
コールガールに扮するジュリアロバーツが
“仕事相手にキスだけはしない”と決めていたけれど
「愛している」と分かりもしないで
言葉が白々しく宙ぶらりんになることが、嫌だったのです。
恋愛のみならず、それ以外のすべてにおいて
「完璧」といえるパートナーは得難いもので、
もしも得られたとすれば幸運かもしれません。
しかしながら、30代にして思うのですが
すべてにおいて「完璧」でないからこそ
愛おしくもあり、胸が痛くなり、ともに歩く価値がある。
誰かを大切に思いやることに、損得感情はなく
たとえ割り切れないものばかりだとしても
得手不得手、長所や短所も等しく見つめていたいのです。
相手を受け入れることは、受け入れられることと同じで、
実は自分にとっての「しあわせ」だったりします。
そのときがきたら
「愛している」と伝えられると、今は思います。
I would not leave you, in times of trouble,
We never could have come this far,
I took the good times, I'll take the bad times,
I'll take you just the way you are.
I don't want clever, conversation,
I never want to work that hard,
I just want someone, that I can talk to,
I want you just the way you are.
だから、
そのままの君でいてください。





