Just The Way You Are | 恋愛小説家

Just The Way You Are

母が田舎暮らしを始める前に、「家族集会」なるものがあり

姉、私、弟に、それぞれ渡したいものを持ってきました。

卒業証書や、通知表、記念写真、縁のものたち。


その中に、一つだけ見慣れない印刷物があって

「何これ?」と、母に聞いてみたところ

「あなたの作文が載ってるじゃない」と言われました。

そんなものがあったこと、すっかり忘れていました。

高校を卒業する前に、担任から頼まれたのです。

「三年間の思い出」というクサイ作文を。


黄ばんだ通知表を開くと、

お世話になった先生方からの「客観的エール」。

三つ子の魂百まで・・・


私は「書くこと」が好きだったようです。



少し理屈っぽくなりますが、独り言を書きます。


本当の意味で、心を明け透けにして

「素顔を見せられる人」は、

世界にどれほど居るのかなぁと、このごろよく考えます。


誰かを好きになったときに、

その人を深く理解したいと思ったり

もっと知りたいと願うのは自然なことですが

ただ「愛している」と突っ走るのは、ただの独り相撲ですし、

天秤が一方に傾かないように

無理してバランスを取らなければいけないならば

それもきっと、本物ではないのでしょう。


恋していれば、

甘い言葉ばかり交し合うものかもしれません。

それでも面と向かって

「愛している」と伝えるのは勇気が要ります。


私自身のことをいえば

小説と違い、現実の世界においては

この言葉だけは禁句のように思えて

軽々しく口にするまいと思っていました。



映画「プリティ・ウーマン」で、

コールガールに扮するジュリアロバーツが

“仕事相手にキスだけはしない”と決めていたけれど

「愛している」と分かりもしないで

言葉が白々しく宙ぶらりんになることが、嫌だったのです。


恋愛のみならず、それ以外のすべてにおいて

「完璧」といえるパートナーは得難いもので、

もしも得られたとすれば幸運かもしれません。


しかしながら、30代にして思うのですが

すべてにおいて「完璧」でないからこそ

愛おしくもあり、胸が痛くなり、ともに歩く価値がある。


誰かを大切に思いやることに、損得感情はなく

たとえ割り切れないものばかりだとしても

得手不得手、長所や短所も等しく見つめていたいのです。

相手を受け入れることは、受け入れられることと同じで、

実は自分にとっての「しあわせ」だったりします。


そのときがきたら

「愛している」と伝えられると、今は思います。



I would not leave you, in times of trouble,
We never could have come this far,
I took the good times, I'll take the bad times,
I'll take you just the way you are.


I don't want clever, conversation,
I never want to work that hard,
I just want someone, that I can talk to,
I want you just the way you are.


だから、

そのままの君でいてください。