誕生死から7日目。2012.09.18 | ~天国からの1週間~天使ママ→不育症乗り越え3児ママになれた彩衣里(あいり)ママのブログ。

~天国からの1週間~天使ママ→不育症乗り越え3児ママになれた彩衣里(あいり)ママのブログ。

◆2012.9.12◆第1子→39週で死産
◆2013.7.13◆第2子→稽留流産
◆2014.8.26◆第3子→男児無事出産!
◆2016.1.16◆第4子→稽留流産
◆2017.6.6◆第5子→待望女の子無事出産
◆2019.4.4◆第6子→3人目無事出産!
彩衣里ママの心のブログをつづっています。

1年前の今日、1月16日は彩衣里(あいり)が妊娠が判明した日です。天使
そんな想いでキラキラ「天国からの1週間」最終日キラキラを続き書きます。


初めての方はこちらから。
天使天国からの1週間バックナンバー天使
あの日のこと①~運命の1日~
あの日のこと②~陣痛室での告知~
あの日のこと③~出産~
あの日のこと④~非現実と現実の堺~
あの日のこと⑤~原因追究~
あの日のこと⑥~初めての夜~
誕生死から2日目→こちら
誕生死から3日目→こちら
誕生死から4日目→こちら。
誕生死から5日目→こちら。
誕生死から6日目→こちら。
誕生死から7日目→↓


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誕生死から7日目。2012.09.18



とうとうこの日が来てしまいました。
今日は、天使の彩衣里(あいり)の火葬の日。


もっと一緒にいたいけど、
もっと一緒にいるはずだったけど、

でも、これだけ一緒にいてくれて
がんばってくれてありがとうと
思えたよ。


この日のタイムスケジュールは朝10時から火葬が執り行われる予定。
8時半には家をでなくてはいけない。
朝5時に起きても足りないくらい。

朝の時間なんてあっという間。
本当にお別れなんだね。


いつものようにリビングを冷やし
可愛くエンゼルメイクをした彩衣里(あいり)が入ってる棺を移動させるのはパパの役目。
そんなパパは朝早くから、素早く黒い喪服に着替え、
この一週間今まで撮った写真をコンビニまでダッシュで現像してきてくれた。
530枚にもなった写真のうち、選び抜いた100枚を棺をいれる事にした。

彩衣里がお腹の中で確認されたエコー写真や、
生まれた時、病室にいた時の写真。
初めて家族で撮った写真。
初めて家に着いた時の写真。
初めて海に行った時の写真。
お家で家族だんらんしてた写真。
色んなご飯を沢山食べた写真。
可愛い服を着た写真。
最初で最後のメイクをした写真。
おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、いとこが遊びにきてくれた写真。

たくさんの思い出の写真を、
たくさんの想いと一緒に、
こんなことしたね、と思い出にひたりながら、
棺の1番下にたくさんの写真を引き詰める。

その次に、パパとママの匂いが着いたいつも着ていた洋服を敷いた。

いつでもさみしくないように、
パパとママのことも忘れないように、
パパとママに包まれているようにと。

他には、この一週間で読んであげた絵本3冊と、
オモチャと、おしゃぶりと
あとは、ベビ子が生まれたら使おうと思ってた産後ブラ。

ミルクの味も教えてあげられなかったなぁ…と思って
この日たまたま絞ってみたら、
もう出てこないハズの母乳(乳汁)のようなものがでたので
ブラに染み込ませ、彩衣里にママのミルクの匂いも
一緒に持って行ってもらうことにした。

そして、パパと書いた書道
【命名 彩衣里】や【幸】
【生まれてきてくれてありがとう】という書を入れました。


その上に、大きく育った小さい彩衣里をおき、
彩衣里の周りにはたくさんのお花で囲いました。

心臓の所には、1枚の写真。まだ心臓が動いていた最後の検診時38週(H24.9.6)のNST(赤ちゃんが元気がどうか調べる機械)のふり幅が大きく動いている写真を置いた。
彩衣里の生きていたことを、ママが証明するよ。
この時は動画も撮ったもんね。
写真も撮って良かった。彩衣里はドックドク動いていたもんね。

その上に白い掛け布団かけ、
さらに上には好きだった(勝手に)仲良くしていたアヒルくんのおくるみ。
このタオル生地のアヒルくんは、丸めるとぬいぐるみのようになって、
目が下をキョロリと覗き込んでるようで。
彩衣里の所に1週間ずっと置いといたら
なんか守護神のような存在になっていたので、
ぜひ、彩衣里を無事に天国に連れて行ってねと
私達の代わりについていてね。とお願いしました。

そして、最後に彩衣里の胸の上に
ハート彩衣里へハート」「大好きな彩衣里へ」というパパとママからの手紙を置き
棺の箱のふたにも写真をたくさん貼って
メッセージも書いて、
最後ふたを閉めました。


そこからは、パパはレンタカーで車を借りてきて
ママは棺に白い布をくるんだり、
仮位牌(白木のお位牌)も大切に白い布にくるみ、
私も黒い喪服に着替え、準備。
家を出ました。


この日は、パパの休みに合わせて平日。
そして朝8時の通勤・通学時間。

周りに人がいないか確認。
見られたくないというよりは、
そっとしておいてほしい、
人と会う気持ちにもなれないっていうのがあり、
キョロキョロ見たけど、1人くらいしかいなかった。(ホッ)
挨拶もぜずに、車の後ろに彩衣里の棺を乗せ、
ママも後ろに付き添い、パパが運転した。

この日も日差しが強かった。
9月だけど、まだ残暑が続く。
車は20℃以下に冷やし、
最後の家族だけのドライブ→火葬場へと向かいました。

この間は、パパとママは会話は無し。無言。
パパは、最後パパなりの気持ちがあったのだと思う。
これは、他の人では、私でも気持ちが分からない独特なものだったと思う。
ママは最後に彩衣里とお話ししてたかな。
でも、火葬場まではあまり記憶がない。
最後なんだな、ぐらいしか考えられなかった。


そして、火葬場に着き10時。
家族だけの密葬にすることにした。
すでに、両親、義両親、姉夫婦&姪っ子は到着しており、
そして私達夫婦。計9名が出席。

義母が手配してくれていたお坊さんと婦人会の方もすでに用意しており、
予定時間よりも早くに執り行われた。


最後のお別れですと、棺に花を置いていく。
まずは義両親や両親たち。
実母は、分娩日に宣告を受けた頃からかけつけてくれ、
分娩の瞬間も、産後も、産前もずっと見守ってくれた人だから
特別な思いがある。(当事者くらいな気持ちでいる)
なので、母が彩衣里へ言葉かけている間、思わず涙が溢れた。

次に姉夫婦、そして最後に私達。

とうとう、本当に本当に最後の最後なんだね。
何も考えられなかった。
自分が花を置く順番なんて回ってこないと思った。
でも、来てしまった。

彩衣里と一緒にいた9ヶ月、
彩衣里を産んだこと、
彩衣里が生まれてきたこと、
彩衣里が生きていたこと、
彩衣里の顔、
忘れないよ。かわいいよ。








そしたら、、、、、、、














なんか、、、、、、、、、、
















???















彩衣里が笑っている気がした。


























「ママ、わたし大丈夫だよ。」
















って言ってるような気がした。

















え?????

























その瞬間、パパと目があった。



















パパも同じこと考えてたみたい。





















2人で、いっせいに、


「彩衣里が笑ってるような気がするね。」


って言った事にすごいと感じた。


お互い言った言葉が一緒だったことに確信して、


2人一緒に、

「ねっ。うん。」


と、そろえて言い、


これで安心して送ってあげられる気持ちで、


最後ふたをしました。



そして、暗い部屋へ移動して


重い重い扉が閉まりました。




もちろん、涙は終始止まることはありませんでした。








「暗いよね」「怖いよね」「熱いよね」「ごめんね」


そんな言葉をかける親は多いと思います。

少なからずは思いますが、


私は彩衣里(あいり)の母親です。

親は、子供を安心させてあげる事が大事だと思い、

ずっと


「大丈夫だよ」「パパとママはいつでもここにいるよ」
「見守ってるからね」「すぐ終わるからね」
「アヒルくんもお地蔵様もついているからね」



と、お坊さんがお経唱えている間、
涙を流しながら、彩衣里に声をかけていました。




焼き終わるまでずっとお坊さんはお経を唱えててくれました。
ずっと想い想い手を合わせていましたが、
私は産後1週間のボロボロの体。
立ちくらみ、胃が痛い、子宮(後陣痛)が痛み、立っているのが辛くなり、
フラフラでしたが、
でも、娘が頑張っている時に途中退室はできないと思い、
パパが椅子を出してくれ、
ずっと終わるまでお祈りして待っていることが出来ました。



そして、彩衣里(あいり)は本当に天国に還っていきました。





骨になって帰ってきた彩衣里(あいり)。

新生児では骨は細くてもろいので、残りずらいと言われていますが、
頭蓋骨はしっかりと残って安心しました。

足や、手の骨も太いところがあり、
しっかり育ったね、と話しかけながら、
パパと1番太い骨を拾いました。


親よりも子が先に逝く、だとか、
最後を見とるなんて親不孝者、だとか、
そんなのこれっぽっちも思いませんし、思わせません。

ただただ、彩衣里はがんばったんだから。


彩衣里はこのような運命になっても、なお生まれてきてくれたんだから。
ありがとうと、親ならば、
よくがんばったねと褒めてあげることが1番だと思う。

そして、すぐではないかもしれないけど、
また会おうねと何度も約束しました。


それだけで、いいです。



そして、骨壺にいれ、
もっともっと小さくなった彩衣里を持って
家に帰りました。

両親たちみんなうちに来て、
義母が(結婚したばかりですが娘のように私を面倒見てくれて)
仏壇のようなもの一式用意してくれていて、

帰ってすぐに彩衣里(あいり)コーナーを作ることが出来ました。
みんなで、またお線香をやり、
私は力尽きてベットで横になってました。


お腹は空いてかったけど、
そっとしておいてほしかったけど
みんな揃ってるし、
みんな彩衣里の事を想っていてくれるのだから
感謝して一緒にご飯たべることにした。


お寿司とノンアルビール。
パパはたくさん食べていたけど、
あとで気持ちを聞いたらもっと深刻に考えていた。
(もうみんな帰ってほしい。そっとしておいてほしい)と。

食べたら、雑談。
私は、そんな雑談でも気持ちがまぎれ、少し明るくなれた。
でもみんなさっさと帰ってくれた。



その後は、パパとママとぽかんと、しーーーんとした時間を送り
記憶があまりない。





ずっと静かな日々を過ごしていた。

パパは仕事復帰(しなければならない状況)になり

その1週間後に、やっとネットをいじれるようになり、
アメブロで気持ちを表現できるようになり、
身近な友達にメールできるようになり、
テレビを見れるようになり、
死産した病院に行けるようになり(行かざるを得なかった)、
前に進むことに気持ちが進み、
少し笑える様になれました。
1ヶ月、2ヶ月と少しずつ進むことができました。


それは、日々のパパの支えのおかげだと思っています。

辛い時1週間ずっと一緒に居てくれて、
パパも辛いのに、私の話をずっと聞いてくれて、
私は自分の体もそうだが、
心のケアに彩衣里とずっと寄り添えるよう過ごさせてくれたこと。

本当に感謝しています。



そして、私達夫婦は
乗り越えることはしません。
心の整理はつけません。


これは、天使ママとパパにしか分からない特別な思いですが、
乗り越えなくていい。
整理はつけれないよ。
忘れることはできないし、
忘れるつもりはありません。


それは、ずっとずっと一緒に進んでいこうと思っているから。
ずっと一緒に家族3人でいる気持ちで。
私達の心の中で彩衣里はずっと生き続けるのです。


毎日、おはようも言うし、何かあったら聞いてもらいたいし。
これからもパパママと娘の関係でいるつもりです。



そう、私は母親になったんだ。
娘ができたんだ。
家族がいるんだ。

幸せなんだ。


ってこと、
誕生死した4ヵ月たった今でも、これからもずっと
そう思い続けます。



そして、いつか、
彩衣里に姉妹を作ってあげて、
優しい彩衣里お姉ちゃんがいたんだよと教えてあげたい。


それが、彩衣里が生まれてきた、生きていた証拠だと
生きていたことを繋げていきたいと思っています。




長々と、読んでいただき、ありがとうございました。
気持ちのムラもあり、なかなか書けずにまっていてくれた方ありがとうございました。



これからも彩衣里(あいり)ママは
天使あいりを想い、パパと一緒に新たな問題に向かって人生を歩んでいきますので
温かく見守って頂けたらと思っています。


彩衣里(あいり)ママより。



天使天国からの1週間バックナンバー天使
あの日のこと①~運命の1日~
あの日のこと②~陣痛室での告知~
あの日のこと③~出産~
あの日のこと④~非現実と現実の堺~
あの日のこと⑤~原因追究~
あの日のこと⑥~初めての夜~
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誕生死から5日目→こちら。
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