象の夢を見たことはない -289ページ目

エリ・エリ・レマ・サバクタニ 

やほーで検索したら、

ヘブライ語で「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」という意味でキリストが処刑される際に言った言葉だとか。


すいません、ヤフーは使いませんでした。グーグルです。ナイツねたでした。


浅野忠信、宮崎あおいとくれば見たくなるでしょう。パッケージの裏に「カンヌ映画祭で辛口の批評家からも賞賛を浴び」なんて書いてもあって、これは見なくちゃと思って先週末借りてきて見た。だらだらと見てたので今日やっと見終わった。だらだら見てた割りに印象深く、個人的にはおもしろかった。

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見て最初の感想は、浅野忠信的に『Helpless』に一応の答えを出したのかと。しかし、なぜ『Helpless』?

「浅野くん、自身の過去の作品に対して答えを出すために脚本を読んで応募したのか。だとしたら、浅野忠信、やはりタダモノではねえなあ」と、勝手に妄想


でも、なんでこの映画を見て『Helpless』が浮かんだのか自分でもわからなかった。

もう10年ちかく前にビデオを借りて見た映画なのに。不条理感?浅野忠信の無表情な感じ?


で、今日、ググって調べてみたら、監督が同じ青山真治であった。ええっ?


誰?


よく知らなくて記事を読んでたら、嫁さんがとよた真帆ということで、これもまた、ええっ?そうなんだと思いながらもなんだか納得。

なんか美人の女優さんで才能に惚れる人ってのはいるねえと。そういう人って独特の雰囲気持ってるよなあと、完全に妄想。


ちなみにカメラマンも同じたむらまさきだった。

そう言われると、『Helpless』でのカメラのまわし方と『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』のまわし方って似てると。動く車内から、動く主人公(あるいはその乗り物)を撮るっていう手法とか。ファミレスのシーンで窓越しに写すのと、今回にも似たようなシーンが。


内容はここでは書かないけれど、岡田茉莉子がいい味だしてます。御大筒井くんは、まあいつものあの感じ。なんかこのオヤジは独特の視点で作品選ぶよなあ。


昔かたぎの大河ファンなので篤姫は見てねーのだけれど、宮崎あおいはやっぱりなんか言われるだけのものはある。どっかにある。『NANA』と『青い車』くらいしか見てなくてよく知らないのだけれど。


『Helpless』は、北九州サーガ三部作のひとつで、『EUREKA』『サッドヴァケーション』と続くとか。

今知った。なんとそーだったのか。モノを知らないにもほどがある。それでこの映画が『Helpless』の一応の答えだとかよく書けたもんだと自嘲。


ということで、見てないおもしろそうな映画がまだまだいっぱいあるということらしいと、勝手にひらきなおり。

おもしろいことになってきやがった。

勝手な奴である。

日本人を見たら

前回の続き。


北京オリンピック前に経済紙『フォーブズ』が、「西洋人が中国で注意すべき8項目」という記事を載せて以下のような8項目の西洋と中国の違いをあげ、これから北京に向かおうという西洋人たちに寛容性を求めていた

とふるまいよしこさんがJMM で。


1)「ぼくが思うに」(I think)と「ぼくたちが思うに」(We think)の違い
2)「あんたのためにしてやった!」
3)「いくら稼いでる?」
4)(中国人の)話は最後まで聞くと理解できる
5)感謝しても「謝謝」と言わない
6)「なんで証拠がいるんだ?」
7)抱擁はしない
8)「ごめんなさい」はほぼ言わない


1はちょっとわかりにくいか。

「西洋では個人の利益が大事だが、中国ではグループの利益がすべてに優先される」とのことである。


まあ、ここまで中国人とつきあう前に日本人は帰ってきてしまうのだけれど、後で中国人ってこうだよって聞かされると『ああ、なるほどね』と納得したりなんかする。そんなもんである。

(てか、「観光で行って抱擁なんてする機会ねえだろ?普通」とか思うところはあるのだが、まあいいや。)


んで、本題。


間違って中国人の前でリクエストされて『昴』を歌ったりすると、日本人のこういうリストが増えるのである。(ふえねーよ!)


わっしは、あまのじゃくなので、それはそれで絶対歌ってやろうとか思うわけである。

「国益に叶ってねえよなあ」と思いながら。。

え?叶ってるのか?


ちなみに、インド人は日本人をどー思っているかというと

1)ドラえもんは日本にいると思っている。

そのくらいである。


日本、誤解以前に訴求力がないダウン

好意に応える

インドでクライアントのインド人会社が社員バス旅行を企画してくれたとき、バスのカラオケで歌わされたのは坂本九の「スキヤキ」だった。。歌えねー。

歌詞しらねーよと思ったのだが、意外と覚えていた。


昨年マレーシアでツアー会社の車に乗ったとき、その車の運転手はこっちが日本人だということで喜多郎をかけてくれた。。喜多郎なんて、NHKのシルクロード以降どこ行ったんだ?

実は、マレーシアでもコンサートを行ってて海外で活躍していたりする。


北京オリンピックの開会式をテレビで見てたら、谷村新司がゲストコメンテーターだった。

中国へ行ったら、谷村新司なのだろうか。


日本人がちょんまげだとか、フジヤマゲイシャスキヤキだとかは別にいい。許す。


だけど、谷村新司だったりすると、なんだかそっちのほうがみょー違和感があるのはなぜ?


坂本九だったり、喜多郎だったり、びみょーに納得してしまっている自分がどこかにいるから?


『昴』とか知らないのに歌えてしまう自分がどこかにいることに気付いてしまうとか。。


で、そっちだけ相手に納得されているらしいというのは。。


そういうときは、


『もうなんか、なんとかしてくれえ~』 


と心の中でそんなことを思いながら、薄ら笑いで好意に応えるのである。

偶然の旅人

偶然ということが、よく話題になる。


なにをもって偶然とみるかという地点で、すでに偶然ではない何者かが働いているのだけれど。


それを無意識とみるか、縁とみるか。


人それぞれだけれど、それに意味や面白みを見出すことからしか何ごとも始まっていかない。


縁とか直観とかそんな大それたものでもなく、人だったりモノだったり仕事だったり、生活のあらゆるところで知らない間にそういうことは幅を利かしていたりする。ついているとか、ついていないとかもそう。仕事ができる人とできない人っていうのも究極はそういうことだったりするのかも知れん。


ただ、出会いというのは、動かないと得られないっていう確率論もあたりまえのように物理的に存在する。


簡単な話だ。


簡単な話におもしろみなどはないはずだけれど、オモロイ話っていうのはそういうところからしか生まれない。


最近オモロイ話が自分にない。単純に動けてないからである。これはもう物理法則の方が理由である。


モチベーションうんぬんなんてそういうときには無力だ。


動け!自分。

『モオツァルト・無常という事』

マーティン・スコセッシの『タクシードライバー』を20代のときに見た。


「チェーンのように途切れることのない毎日」に絶望しきっている主人公という設定は、あまりにも当時の自分と似通っていて、その「毎日がチェーン」という言葉から逃れることがほんとうに長い間出来なかった。


過去から未来に向って飴のように伸びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)…


これは、小林秀雄の「無常という事」の中の一文。


ロバート・デ・ニーロが演じるそのタクシードライバーがとった行動はあまりに過激すぎるのだが。。

映画で描かれるトラヴィスには過去がない。彼の過去に観客が思いを馳せられるシーンは皆無だったように思う。不眠症で、いつも夜の街を流している。それが観客が知りえるトラヴィスのすべてだったような。


思い出を鮮明に思い出せる。

向田邦子さんのエッセイを読んで感銘を受けるのはまずそのことだったりする。泣く泣く朝餉のおひつの上で書き取りの宿題をしたときのごはんの湯気の具合まで覚えてたり。

私の妹も、そういう感じに小学校の頃のことを生き生きと語れたりするのだが、あれは女の人しかできないようにも思う。


してみると、飴のように伸びた時間なんていう妄想は男だけのものかとも思ってみたりもする。

少なくとも、理由もなしに連続殺人なんてすることにはなるまい。アレをするのはそういう理由であってそれは男だけだと本能はそう告げているのだが。。


上手に思い出すことは難しい。


そう小林秀雄は言う。そして上の言葉に続いていくのである。


上手に思い出すことは難しい。

だが、それが、過去から未来に向って飴のように伸びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える。


なるほど。。


そう思っているといきなり次の文である。


この世は無常とは決して仏説というようなものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。


え?どういうこと?


思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕らが過去を飾り勝ちなのではない。過去のほうで僕らに余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕らを一種の動物であることから救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。


そういう前置きに戻らされる。なんちゅう、読みにくい文だ。。


「余計な思い」というのが、まったくのところそのとおりだろうと。


いやはや、まったくもってこの本は恐ろしい。小林秀雄の最高傑作だと思う。

たぶん、明日は明日で別の読み方をするだろう。

こないだはこないだで別の読み方をしたように。

はたして、そんな風に毎度違ったように読めれば、自身が人の理にかなった生き方をしているということになるのかもしれない。

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