ソースコードの開示
<覚書>
YOMIURI ONLINEの今日のニュースで面白いのがあったのでメモ
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20080919-OYT1T00011.htm
中国政府が外国企業に対し、デジタル家電などの中核となる製品情報を中国当局に開示するよう命じる新制度を2009年5月から導入する方針であることが18日わかった。
対象はICカードやデジタル複写機のほか、薄型テレビなども含まれる可能性がある。開示を拒否すれば、その製品の対中輸出や中国での現地生産、販売が一切禁止される。企業の知的財産が中国企業に流出するおそれがあるほか、デジタル機器の暗号技術が中国側に筒抜けとなる安全保障上の懸念もある。経済産業省や米通商代表部(USTR)などは制度の撤回を強く求める構えで、深刻な通商問題に発展する可能性がある。(2008年9月19日03時09分 読売新聞)
すげえなあ、中国。
自動車なんて組み込みITの塊みたいなものだし。いまのところスタンドアローンなものにはウィルスなんて大義は通じないけど、新聞記事からだけだといま要求している機器からだけでも、そんなことなど屁とも思ってねえだろう姿勢が見えなくもない。
会社同士の機密とかは、従業員が流動的でしかも人道的にそういう意識が希薄な国に工場や会社をぶっ建てた時点で、あるいはそれらの国の会社と一緒に仕事した時点で、日本側にリスク意識がすっぽり抜けてる部長とかがいたら、製品ごといろいろすでに筒抜けだったりするのだけれど。。
井筒監督のパッチギを見たあとだけにこのニュースはインパクトがあった。
あまっちょろい情感だけでは成り立っていかない。人生には大事だけれど、それだけではすまない。だからおもしろいのだが。
戦争っていうのは日常だということを叩きつけられるよいニュースだった。
YOMIURI ONLINEの今日のニュースで面白いのがあったのでメモ
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20080919-OYT1T00011.htm
中国政府が外国企業に対し、デジタル家電などの中核となる製品情報を中国当局に開示するよう命じる新制度を2009年5月から導入する方針であることが18日わかった。
対象はICカードやデジタル複写機のほか、薄型テレビなども含まれる可能性がある。開示を拒否すれば、その製品の対中輸出や中国での現地生産、販売が一切禁止される。企業の知的財産が中国企業に流出するおそれがあるほか、デジタル機器の暗号技術が中国側に筒抜けとなる安全保障上の懸念もある。経済産業省や米通商代表部(USTR)などは制度の撤回を強く求める構えで、深刻な通商問題に発展する可能性がある。(2008年9月19日03時09分 読売新聞)
すげえなあ、中国。
自動車なんて組み込みITの塊みたいなものだし。いまのところスタンドアローンなものにはウィルスなんて大義は通じないけど、新聞記事からだけだといま要求している機器からだけでも、そんなことなど屁とも思ってねえだろう姿勢が見えなくもない。
会社同士の機密とかは、従業員が流動的でしかも人道的にそういう意識が希薄な国に工場や会社をぶっ建てた時点で、あるいはそれらの国の会社と一緒に仕事した時点で、日本側にリスク意識がすっぽり抜けてる部長とかがいたら、製品ごといろいろすでに筒抜けだったりするのだけれど。。
井筒監督のパッチギを見たあとだけにこのニュースはインパクトがあった。
あまっちょろい情感だけでは成り立っていかない。人生には大事だけれど、それだけではすまない。だからおもしろいのだが。
戦争っていうのは日常だということを叩きつけられるよいニュースだった。
香りの意味
友達からオードトワレとインセンスを頂いた。やれ、うれしや。ありがたや。
インセンスは、

香りのイメージとして
ひとつは、みずみずしく揺れる緑、しっとりと豊かなグリーンオアシス
もう一個は、明るい空の下、かわいた風が通り抜けるサンタフェブリーズ
と書いてある。
オードトワレは、

ユニセックスで使えるとか。むかし、妹が居候してたとき誕生日にくれたのも女の人が使う感じのだった。なんか、自分が発散しているイメージがあるのだろうか。
香りのイメージを光景であらわすのはわかるのだけれど、
経験したことのない香りや匂いでは具体的なものは立ち上がってこない。
匂いで立ち上がるのは記憶で、どっかの場所とそこの記憶だったり。
それは、とおい過去にそういう場所を訪れたことを覚えるためで、未来へ伸ばされた記憶の糸みたいなものなのかもしれない。
遊牧民だったり、原始人だったことはないが、場所につく匂いというものはかわらなくて、そこに行ったとき、オアシスだったり、果実がなる木の場所だったりの一連の記憶を一瞬で甦らせるための発火装置。
そのときの感情とかも、とうぜん生きるためには不可欠に思い出さなくては意味がない。
そういうものなのか。だから、記憶と匂いはよく寄り添う。ああ、そういうことか。やっとわかったさ。
儀式にも匂いがよく寄り添うのは、なんらかの手順記憶を呼び起こすためとか。
自分が香りが好きなのはなにか生きる糧を得られるかららしい。良い気持ちのする記憶は生きるための糧だ。
まあ、毎度のことながら、そんなふうに分析しても、リアルなモノや現実はそんなたわ言をはるか超えてくる。
それも、自分にとってはありがたいことだったりする。
インセンスは、

香りのイメージとして
ひとつは、みずみずしく揺れる緑、しっとりと豊かなグリーンオアシス
もう一個は、明るい空の下、かわいた風が通り抜けるサンタフェブリーズ
と書いてある。
オードトワレは、

ユニセックスで使えるとか。むかし、妹が居候してたとき誕生日にくれたのも女の人が使う感じのだった。なんか、自分が発散しているイメージがあるのだろうか。
香りのイメージを光景であらわすのはわかるのだけれど、
経験したことのない香りや匂いでは具体的なものは立ち上がってこない。
匂いで立ち上がるのは記憶で、どっかの場所とそこの記憶だったり。
それは、とおい過去にそういう場所を訪れたことを覚えるためで、未来へ伸ばされた記憶の糸みたいなものなのかもしれない。
遊牧民だったり、原始人だったことはないが、場所につく匂いというものはかわらなくて、そこに行ったとき、オアシスだったり、果実がなる木の場所だったりの一連の記憶を一瞬で甦らせるための発火装置。
そのときの感情とかも、とうぜん生きるためには不可欠に思い出さなくては意味がない。
そういうものなのか。だから、記憶と匂いはよく寄り添う。ああ、そういうことか。やっとわかったさ。
儀式にも匂いがよく寄り添うのは、なんらかの手順記憶を呼び起こすためとか。
自分が香りが好きなのはなにか生きる糧を得られるかららしい。良い気持ちのする記憶は生きるための糧だ。
まあ、毎度のことながら、そんなふうに分析しても、リアルなモノや現実はそんなたわ言をはるか超えてくる。
それも、自分にとってはありがたいことだったりする。
三渓園で 横浜トリエンナーレ
三渓園も横浜トリエンナーレの会場。
いちおうちゃんといいところも説明しておかなければならない。
『パフォーマンス』はかなりすごい。
ただ、これもピンキリでそこがこういうイベントのおもしろいとこなのだけれど。
みどころは、一番は日本郵船海岸通倉庫。
田中泯、勅使河原三郎、佐東利穂子とか。
で三渓園ではティノ・セーガル振り付けで「Kiss/キス」。
http://yokohamatriennale.jp/2008/ja/blog/2008/06/post-8.html
これだけ見れたのだけれど(※1)、9月14日(日)に演じてた女の人のほうは凄かった。
観客は私を含め2人。
ありえないのだけれど、なぜこういう状況になるのか、良いものに人が集まらないのか。
いまの日本の状況って、あるいはいつの時代もそうなのかもしれないけれど、ぜったいおかしいって。
CMとかマーケッティングが嘘八百だからか。あるいは自分がおかしいのか。
そんなことを考えつつ、園内で池をながめながらボーとしていたら、ねこが。
カメラを向けたらこんな感じでヨソ向くのだが、カメラをはずすとこっちをじーっと見る。かわいらしい。

※1 ほかも見たのだが、見なかったことにした。見た自分があまりにバカで5分で出たくなるが閉められてて出られない。そんな自分がかわいそうになるような時間の無駄的なモノもある。
いちおうちゃんといいところも説明しておかなければならない。
『パフォーマンス』はかなりすごい。
ただ、これもピンキリでそこがこういうイベントのおもしろいとこなのだけれど。
みどころは、一番は日本郵船海岸通倉庫。
田中泯、勅使河原三郎、佐東利穂子とか。
で三渓園ではティノ・セーガル振り付けで「Kiss/キス」。
http://yokohamatriennale.jp/2008/ja/blog/2008/06/post-8.html
これだけ見れたのだけれど(※1)、9月14日(日)に演じてた女の人のほうは凄かった。
観客は私を含め2人。
ありえないのだけれど、なぜこういう状況になるのか、良いものに人が集まらないのか。
いまの日本の状況って、あるいはいつの時代もそうなのかもしれないけれど、ぜったいおかしいって。
CMとかマーケッティングが嘘八百だからか。あるいは自分がおかしいのか。
そんなことを考えつつ、園内で池をながめながらボーとしていたら、ねこが。
カメラを向けたらこんな感じでヨソ向くのだが、カメラをはずすとこっちをじーっと見る。かわいらしい。

※1 ほかも見たのだが、見なかったことにした。見た自分があまりにバカで5分で出たくなるが閉められてて出られない。そんな自分がかわいそうになるような時間の無駄的なモノもある。
2008横浜トリエンナーレ
いったい、何をどう言うべきか。
ひとことでいえば、
「デカいはずれ」
これだけでかくハズレるというのも、そしてハズレを体感することもここんところなかった。
そういう意味で、まさにクレバスだった。裂け目にずっぽしである。
会場が分散しまくっていて、無駄に歩かされた上、みるべきものがまったくない。
パーフォーマンスに焦点をあてています。
そうパンフレットにある。それはいい。それは一応置くとして、インスタレーションやビデオとか、あまりにちゃっちい。しかもちっちゃい。
前回のトリエンナーレと比べると、体感で三分の一あるかないか。しかも、品質悪すぎ。
トリエンナーレやビエンナーレというイベント自体終焉を迎えつつあるのかもしれない。
<気になった展示>

このオノ・ヨーコ*の作品ははしごを登らないと意味がまったくないのだが、危険だということで登れなかった。
魂の高揚がテーマであって、それは「危険を冒してはしごを上り、台の上で仰向けになること」でしか感じられない。体感できないのでくっつけられてる反射板の意味もわからなかった。

作者の意図が通じなくなるような作品だったら、展示すること自体辞めるべきだと思うのだが、そのへんの玉虫色さ加減というのが裂け目をいろいろ埋めるなにものかなのかもしれない。
どっかの裂け目は自分でみつけるしかなくなってきている。
ん?それを感じろということか!
そういう意味でタイムクレバスというのは実感できたかもしれない。むっちゃ無理やり。。
*間違いである
作者は、マリナ・アブラモヴィッチ。
魂の手術台。
ひとことでいえば、
「デカいはずれ」
これだけでかくハズレるというのも、そしてハズレを体感することもここんところなかった。
そういう意味で、まさにクレバスだった。裂け目にずっぽしである。
会場が分散しまくっていて、無駄に歩かされた上、みるべきものがまったくない。
パーフォーマンスに焦点をあてています。
そうパンフレットにある。それはいい。それは一応置くとして、インスタレーションやビデオとか、あまりにちゃっちい。しかもちっちゃい。
前回のトリエンナーレと比べると、体感で三分の一あるかないか。しかも、品質悪すぎ。
トリエンナーレやビエンナーレというイベント自体終焉を迎えつつあるのかもしれない。
<気になった展示>

このオノ・ヨーコ*の作品ははしごを登らないと意味がまったくないのだが、危険だということで登れなかった。
魂の高揚がテーマであって、それは「危険を冒してはしごを上り、台の上で仰向けになること」でしか感じられない。体感できないのでくっつけられてる反射板の意味もわからなかった。

作者の意図が通じなくなるような作品だったら、展示すること自体辞めるべきだと思うのだが、そのへんの玉虫色さ加減というのが裂け目をいろいろ埋めるなにものかなのかもしれない。
どっかの裂け目は自分でみつけるしかなくなってきている。
ん?それを感じろということか!
そういう意味でタイムクレバスというのは実感できたかもしれない。むっちゃ無理やり。。
*間違いである
作者は、マリナ・アブラモヴィッチ。
魂の手術台。
エロスとタナトス
バタイユの『エロティシズム』。
まえがきだけ読んだ。だいたい見えた。
エロスとタナトスが表裏一体であること。
要はそういうことを言いたいらしい。
タナトスというのはフロイトが晩年に言い出したというか苦し紛れに編み出したのだけれど、生と死が表裏一体であることを考えれば、やっと晩年で彼の理論は帳尻があったのだとも取れる。
ここで免疫の話を少し。
免疫的な拒絶反応は、しばしば個体そのものを破壊するまで突っ走ってしまうことがある。
胸腺は免疫をつかさどる器官であるが、人間では十代前半で最大となり、約三十五グラムに達する。性成熟後は急速に小さくなる。
T細胞はその胸腺の中で作られるのだが、「自己」そのものと反応して、「自己」を排除してしまう可能性のある細胞は、「死」がプログラムされる。細胞の中ではDNAがズタズタに引き裂かれて細胞はゆっくりと死んでいく。これはアポトーシス(プログラムされた死)と呼ばれる。
胸腺はまた、それ自身かなり正確な生物時計である。胸腺の退縮に応じて免疫系にはドラスティックな変化が起きる。自己と非自己の識別の失調を含む自己の崩壊過程である。
(以上、参考『免疫の意味論』多田富雄)
かなり無茶を言えば、生物の進化の過程であるいは複雑化しあるいは単純化していった細胞や器官の機能そのものが、快・不快、快楽と恐怖の感情とともに無意識に刷り込まれていると考えられなくもない。
あるいはそれら自身がなにかを象徴する形でメタ認識として無意識的に畳み込まれてたりとか。
ただそもそも、自己と非自己の認識なんていうシステム自体が多田さんが「超(スーパー)システム」なんてことを言われるくらいでどうやって制御されているのかわけわからん系だったり。
そんなふうに免疫と心理学というのは、かたちが見えなくて非常にあいまいなところが似ていたりする。
ただ、そのあいまいさの意味するところは、しばしば劇的に二律背反で、致命的な結果を伴うようにもみえる。
人の機能というのはどうやら本来そういうものらしい。社会学もそういう「自然科学」を無視して進むことはできない。
それで、バタイユの『エロティシズム』は理系的にはおしまい。
理系という考え方はなにかを切って捨てるには結構便利な道具である。
三島由紀夫が一番親近感をもっていたのはバタイユだと。うそかほんとか知らないがもっともらしい。
その三島由紀夫の哲学をそんな風にあじもそっけもなく解釈したところでおもしろくもおかしくもない。
逆にそんなことで、彼の小説のおもしろさは損なわれることはなく、しっかり人という存在の中で立っていたりする。
ということでバタイユ終わらしたいのだが、そうもいかないのかねえ。
哲学っつうのはまったくやっかいである。
まえがきだけ読んだ。だいたい見えた。
エロスとタナトスが表裏一体であること。
要はそういうことを言いたいらしい。
タナトスというのはフロイトが晩年に言い出したというか苦し紛れに編み出したのだけれど、生と死が表裏一体であることを考えれば、やっと晩年で彼の理論は帳尻があったのだとも取れる。
ここで免疫の話を少し。
免疫的な拒絶反応は、しばしば個体そのものを破壊するまで突っ走ってしまうことがある。
胸腺は免疫をつかさどる器官であるが、人間では十代前半で最大となり、約三十五グラムに達する。性成熟後は急速に小さくなる。
T細胞はその胸腺の中で作られるのだが、「自己」そのものと反応して、「自己」を排除してしまう可能性のある細胞は、「死」がプログラムされる。細胞の中ではDNAがズタズタに引き裂かれて細胞はゆっくりと死んでいく。これはアポトーシス(プログラムされた死)と呼ばれる。
胸腺はまた、それ自身かなり正確な生物時計である。胸腺の退縮に応じて免疫系にはドラスティックな変化が起きる。自己と非自己の識別の失調を含む自己の崩壊過程である。
(以上、参考『免疫の意味論』多田富雄)
かなり無茶を言えば、生物の進化の過程であるいは複雑化しあるいは単純化していった細胞や器官の機能そのものが、快・不快、快楽と恐怖の感情とともに無意識に刷り込まれていると考えられなくもない。
あるいはそれら自身がなにかを象徴する形でメタ認識として無意識的に畳み込まれてたりとか。
ただそもそも、自己と非自己の認識なんていうシステム自体が多田さんが「超(スーパー)システム」なんてことを言われるくらいでどうやって制御されているのかわけわからん系だったり。
そんなふうに免疫と心理学というのは、かたちが見えなくて非常にあいまいなところが似ていたりする。
ただ、そのあいまいさの意味するところは、しばしば劇的に二律背反で、致命的な結果を伴うようにもみえる。
人の機能というのはどうやら本来そういうものらしい。社会学もそういう「自然科学」を無視して進むことはできない。
それで、バタイユの『エロティシズム』は理系的にはおしまい。
理系という考え方はなにかを切って捨てるには結構便利な道具である。
三島由紀夫が一番親近感をもっていたのはバタイユだと。うそかほんとか知らないがもっともらしい。
その三島由紀夫の哲学をそんな風にあじもそっけもなく解釈したところでおもしろくもおかしくもない。
逆にそんなことで、彼の小説のおもしろさは損なわれることはなく、しっかり人という存在の中で立っていたりする。
ということでバタイユ終わらしたいのだが、そうもいかないのかねえ。
哲学っつうのはまったくやっかいである。