明鏡止水の意味は雑念を捨て磨かれた鏡のような心、無の境地を言い表す武道でよく使われる四字熟語です。武術の奥義として「水月」として口伝されている水に写る月、水のあるところ、いかなるところにも、月が「無心」の状態で映る。その移り方を会得する。

嵯峨の広沢の池で読まれた御製に「うつるとも月はおもわず、うつすとも水はおもわぬ広沢の池」

合気道においては、倒すとも我は思わず、倒されると受けは思わず。(柔術)の達人と言われる江戸初期の武術家 関口柔心と対峙した人の感想を読んだことがありますが、なんで倒されたのか、なんで投げられたのか解らない。まったく力を感じない。柔心自信も力を感じていないので互いに「水月」の心境にあったと思われます。力とスピード、受け

の忖度から抜け出すために「明鏡止水」の境地を目指して稽古に励みたいと思います。

合気道は古武道に属すると考えると、武産合気(たけむすあいき)の解釈が解ってきます。合気道の教本だけでは行き詰まります。武術のテクニックは無限大です。つねに情報収集と確認が必要です。たとえば、以前高崎市内の箕輪城跡地で剣聖の上泉伊勢守の撮影があり、テレビで放映されました、その時 無刀取りの場面がありました。その動きをそっくりそのまま道場で再現しましたが、無理、つまり現実としては取れませんでした。現在は武術に関する書籍やビデオ、ユーチューブ等情報は溢れています。全てを確認することは不可能ですが、これはと思うことは確認し、使える技は取り入れる努力が大切だと思います。合気道は総合武道と位置づけると探求の道は永遠に続きます。人間の体が行う事ですから「人の経絡から逸脱」することはありません。

井伊直政の正妻は安中市に墓地があります。

 


敵を知り己を知らば百戦危うからず。相手の大小、力の強弱、男か女か、性格は、等全て相手の条件はちがうのが当たり前。(敵)相手を知り己を知らば百戦危うからず。つまり相手によって技は微妙に変えて対応しないと技はかからない。だから、たくさんの人と稽古をしないと上手くならない。技術的な面ではそうですが、長く楽しく続けるためには、楽しくなければ自然に足が遠のく、一番の原因は師範の場合もなきにしもあらずですが、稽古場所の人間関係が多いようです。仕事なら仕方なく自分の役柄を演じて我慢して調和がとれても、趣味の世界での優先順位は「非日常の世界に身を置くことでリフレッシュ」することですから、心地よくないところでは長続きできない。せめて、毎日のように稽古をしている道場なら、相性が合わない人を曜日で避けることも可能ですから探してみるのも良い。私は朝稽古を中心に稽古をしていました。


冷暖房設備工事が終了し、武道場が利用可能となりましたので、合気道弘道館では十月4日(水)を初回とし、毎週水曜日の午後7時30分から8時30分、富岡市の東中学武道館で富岡方面から弘道館里見道場に来

ている人を中心に稽古をしています。興味のある方は来てください。

合気道は日本伝統の古武道の範疇に入ると思います。しかし、かつての達人と言われる合気道の師範は他流試合のようなことで人間業とは思えない武術で有名になり、そして発展させました。幻のような変幻自在の演武に影響された人は多いと思います。武道界で最強と誤解している人も多いようです。現在でもユーチューブで幻の技を見ることができます。合気道に対する私の捉え方は日本伝統のなかの一つである格闘技、ただし、力と力の戦いと違う、力と無力の武術、つまり合気に繋がる無の世界は室町時代の新陰流の上泉伊勢守や江戸初期の柔術の大家関口柔心等の言い伝えを思い出します。それは力まない、構えない、戦わない、一体化 理 つまり禅(悟り)に通じる道に至っていたようです。強くなる事、勝つことを重きに置く人は試合のある武道が良いと思いますが、試合の武道も到達した人は低姿勢な人が多いようです。

私の家に伝わる武道の極意に「おはぎと手打ちうどん」の例え話があります。昔、ある武士が山越えをしているうちに夜なり、老夫婦の家に泊まらせてもらうことになりました。少し経ったころ、となりの部屋で、お武家さんにたいして、半殺しにしてやるか、それとも手打ちにしてやるかと相談してしている夫婦の声が聞こえてきました。それを聞いた武士は怖くなって逃げ出しました。おはぎにするか手打ちうどんで持てなすかの相談を勘違いした武士の話ですが、武術では半殺しにして手打ちにします。合気道も半殺し「崩し」てから手打ち「技を掛ける」にします。最初の動きで相手を崩して技を掛けることが大切です。


 

合気道の動きは剣の動作、操法(剣道ではありません)をそのまま体術に変更することが良いと考えています。ただし、体術である合気道では小手先等に一ひねり加えることが必要です。かつての達人は古武道についての基礎は できて当たり前、その基礎の上に体術が成立しています。「継ぎ足、撞木足、巴足、転身、転換、剣の動作」は必須です。
 鎌倉攻め(1333)鎧 道場内展示

希望を抱いて入門しても長く続けている人は少ない。私が入門した時(45年前)の数は五十人くらいでした。そのころの人で続けているのは一桁です。この間に多くの人が入り、そして辞めていきました。私が箕郷で指導を開始してから多くの人が入会し、退会していきました。転勤、転校、住所移転、飽きたなど理由はさまざまですが、続けることのむずかしさは今も昔も変わりません。いろいろな理由のなかでも合気道の指導や内容への不満が一番困ります。怪我をさせられた、パワハラを受けた、役に立たない(護身)等は私のところに移ってきた人が良く言う理由です。思考を良い方向に、プラス思考で稽古をしないと長続きは難しい武道です。楽しいか 楽しくないかは考え方次第です。コロナで稽古を休んでいる人が多いようです。復帰する人がいれば良いのですが。人の心は移ろいやすいものです。

今から二十五年以上前のことですが、私の合気道門下生が友達の柔道の現役(井上康生に負けてオリンピックには出られなかった)Y君を稽古場に連れてきました。いつもの通り両腕で私の腕をつかませたところ、筋骨隆々の彼に今まで感じたことのない圧力を感じたものの、一般人相手と同じ調子で軽く倒せると考えたのですが、「身体内の動き(発氣)で対応したところ、まずい、自分のパワーが自分に跳ね返り、腕が折れる」と思い別の立ち位置を変える合気方法で難を逃れました。合気道には試合がありませんが、私の前の発氣技術では対応できなかったということです。どうして駄目だったのか試行錯誤、創意工夫の機会でもありました。私にとって絶対大丈夫は無いという素晴らしい経験でした。合気道の稽古は道場稽古、受けが取りに遠慮しがちの忖度稽古です。小さな女の人や非力な男の人が受けが忖度していることを気が付かないで達人になったと勘違いすることが多いのが合気道、道場生以外の人に技が効かないことに一生気が付かない人もいないわけではない、危険な場面に出くわすことなど日本にいればほとんど無い。たまには道場生でない人に抵抗されながら技をかけることも必要だと思います。ラグビーの選手に前から押させたこともありますが、さすがにすごかったです。この経験が今の合気道にも生きました。
   

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ぐう、ちょき、ぱーの指使いには意味があります。ぐうは引く時、チョキは伸ばす時、パーは伸ばしたときリキミを伴いますが伸筋が力を発揮します。そして、手のひらを裏表することで機能が変わります。これをうまく使い分ければ面白い合気道が生まれます。ぐうの時の手首は細くなります。パーの時は太くなります。掴む側にとって太い腕は危険を感じます。力の入っていない手首が理想です。チョキはぐうとパーの中間です。半づかみ、猫手は古武術には必須ですが、一般の合気道では、開掌で指先から気を出すほうが重要視されているようです、私はそうは思いませんが。