武道を習う人の目的は様々ですが、年齢を重ねるごとに強くなることが日本武術(柔術)の 特質であると考えていると思います。体の衰えは全ての人に与えられた法則(エントロピーの法則)ですが、日本柔術の特質は試合形式のスポーツには無い、力で無い力に重きを置いていることです。不思議な力と諦めないでこの力があることを信じて探求することが柔武道を探求する日本男子としての生きがいになると思います。日本柔武術の特徴は己の力を抜くこと、相手の力を抜くこと。言うのは易しいことですが表現するのは難しいことですが合気術がそれを可能にしてくれます。できる師範に習うしかありません。私より上の師範を求めてまた戻った人がいますが、「へなへなと力を抜かれた」ことを話したところ、ここはそういう流派では無い、できるわけ無いだろうと怒鳴られたとのこと。柔術系と違うところでこのような話をするべきでは無いと思います。
(いにしえをかんがみていまをてらす)
過去の名人、達人を見習うこと、常に武産合気に徹することで進化向上することが可能です。
資本主義は競争原理に基づく社会です。生産物を分け合うはずの共産主義も結局は人間の欲の基に崩壊しています。戦国時代の武術は自分だけが生き残るためのオンリーワンの技術です。ですから秘匿することが大切で絶対に教えることはありません。「一子相伝」という言葉はそれを伝えています。道場の師範とて同じです。スポーツ化したものは武術に限らずオンリーワンになる為には秘匿しなければ結果を得ることはできません。以前中学の柔道部の生徒が合気道に入門した時に友達も連れて来たらと言ったら、とんでもない、こんな凄い技を覚えられたら自分が不利になるという言葉が返ってきました。これは試合スポーツの本質をよく表しています、本来の柔道の試合は自分のレベルを確かめるためのものでした。最近のオリンピックを見て感じるのはドーピングや審判へのワイロ、金メダルをもらえば一生安泰を保証する国まで現われています。合気道は試合の無い武道であることを特徴としています。より「宇宙の法則」に近づくことを理想として精進します、その道を楽しみながら、互いに良いところを誉め、気になるところは気づかせてあげる、決して威張ってはいけません。ですから秘密主義に対して開放主義であり、知っていることは全て開放し全ての人が共に進歩し理解するように稽古する和合の武道、愛の武道、共存共栄の武道でなければなりません。私は新しい気づきや他の人がやっている私の知らない技は、即、道場で披露して身につけます。道場生は私が身につけるために教えていることに気づいていませんが、そうしないと私自身が即忘れてしまいます。秘匿することは忘れる事です。
剣対杖の説明中
高崎出身の剣豪で寺田五郎右衛門宗有という人がいました。一刀流の中西道場に入門、竹刀剣道をきらい、平常無敵流に入門し印可をえたが、藩主の命令で中西道場に戻った。組立ちの研究のほかに、白隠禅師の遺著を熟読、小田切一雲、金子夢幻の残した教えを研究し、心身を磨いた、また白隠禅師の系統の東嶺和尚のもとで修行し、断食し、水を浴びる修行を続けた結果、突然開悟し、これを禅師に告げると感嘆して禅の印可を与え「あなたの修行が天真に通じたのです」と言ったので一刀流天真道と名づけた。寺田宗有の悟りとは「剣法は、専ら人に勝つべきことをなす技だが、勝とう勝とうと思っていくものではない、ことにのぞんで、生死を明らめ行くのである。胸の中にわずかでも物があれば、形が生ずる。形が生ずれば敵が生ずる。敵が生じれば争いが生じる。争いが生ずれば心の霊明が失われる。一刀流の本旨は、この心の霊明を失わぬ真空阿字の一刀にある」「不動智神妙録」と同じ境地です。ことにのぞんで、生死を明らめ行くのである。
※寺田宗有については高崎市の金比羅神社境内に詳細な説明があります。
勝負の世界は確率が大切、負けると感じたら逃げたほうが良い。君子危うきに近寄らず。藪蛇(余計なことはするな)戦国時代の戦国大名の勝敗の確率で言うと、豊臣秀吉が一番良いのは、負ける戦いはなるべく避けたから。生き残りの条件は「人たらしとプライドを捨てる、油断をさせること」その点で言うと「どこの馬の骨かわからない秀吉」はもともとプライドなど無い、蜂須賀小六は地侍で秀吉の配下に(蜂須賀家は里見源氏を称し、高野山の里見氏菩提寺の光明寺に蜂須賀正勝の位牌有、私も手を合わせています)。家柄など勝利してから名乗ればよい、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は突然、河内源氏の嫡流の一派である世良田得川源氏を自称して征夷大将軍に任ぜられている。その前は豊臣秀吉とともに藤原姓で官位を受けている。とにかく勝たなければならない。生き残るためにはきれいな勝ちも汚い勝ちも無い。私たちが今あるのは、先祖が必死に生き残ったからです。
高崎市寺尾の永福寺墓地
(新田)源義重墓 父は源義国、祖父は源義家 義重公の騎馬像建立を八幡八幡宮に私が企画し進行中です。来年6月に建設予定
合気道の技には「一教返し、二教返し、三教返、四教返し、小手返しの返し、入り身返し、四方投げ返し」他多数存在します。もちろん、本物の合気道技なら返し技は通用しません。美術品やブランド品と偽物を見分ける方法として、本物と偽物を見分ける眼力、判断力を身につける方法として「本物を知る、体感する」最近はスーパーコピーが出回っているのでより難しくなっているようです。合気道では、返し技を学べるところで返し技を身につけることで、返せる技か、そうでないかを判断して、返せない道場を見つけることをお薦めします。ただし、力業で返せないはいけません。見つけられればラッキーです。
知っているようで知らないのが自分の国のこと、日本文化や伝統など、外国人にやりこめられるようでは恥ずかしい。昨今、海外からの観光客や日本通の外国人が増えているのだからなおさらです。受験中心のつめこみ主義は日本文化の知識を得る機会をなくしています。鈴木大拙著の「禅と日本文化」などは外国人向けに書いたものを日本語に翻訳したところベストセラーになったのだから、外国人の方がよく解っているかも知れない。「わび、さび」について説明できる日本人が何人いるだろう、まして私は合気道をやっていますと言った後ではなおさら恥ずかしい。そこで、合気道の技だけでは日本の伝統芸の一部をかじったに過ぎないことに気がつく。日々季節を感じ、流儀を大切にしながらも芸術を外側でなく内側から感じ、生活に取り入れながら極めてきた日本人の感性、いつのまにか忘れていた美意識や暮らしの知恵を合気道を通じて取り戻してみたい。合気道を通じてそれに関連することを肉付けしていけば外国人の質問くらい答えられるようになるのではないだろうか。死ぬまでの間じっくり合気道と日本文化を探求する人生もまた面白い。
「地の理」とはエゴを基本にして来た競争原理に基づく社会です。「地の理」の時代の武術は自分だけが生き残るためのオンリーワンの技術です。ですから秘匿することが必要です。大切なことは絶対に教えません。「一子相伝」という言葉はそれを伝えています。道場の師範とて同じです。オンリーワンになる為には秘匿しなければ尊敬を得ることはできません。次に「天の理」とはなにかと言うと、地の理とは逆です。天の理に基づく合気道は試合の無い武道であることを特徴としています。より「宇宙の法則」に近づくことを理想として精進します、その道を楽しみながら、互いに良いところを誉めあい、気になるところは上下関係なく気づかせてあげる。ですから秘密主義に対して開放主義であり、共存共栄の武道であらねばなりません。合気道の稽古は「天の理」「和合の原理」「愛の道」「武産合気…たけむすあいき」「宇宙の法則」に基づいたものにしていかなければならないことを大切に稽古をします。
合気道関係者は体術の上に剣術を置いている傾向があるように感じられます。確かに昇段試験の科目には二段以上に剣の科目が入ってきます。私の考えは初心者には剣の操作を体得してもらい、後に体術に進むのが良いと考えています。ふつうは体術を身に着けてから剣術に進むのがスタンダードな方法です。基礎が剣術で応用が合気道という考えもあっていいと思います。私が所持する林崎流居合目録(元禄三年発行)に「柄取りの事」つまり太刀取りが出ています。 新陰流の無刀取り、大東流も合気道も本は剣術から体術に移行した武道です。合気道はすでに体術として確立しているので剣については重きを置かない傾向が主流です。稽古の多くは公共施設ですから剣や杖を指導する環境にはありません。是非、里見道場に足を運んでください。
禅の悟りは心から心へと伝えられるため「不立文字・文字では表現できない」そうですが、合気道は体から体へと伝えられると師から聞いたことがあります。植芝開祖の受けを何回もとることで奥義を悟れということです。しかし、現在では植芝開祖の受けはとれませんので「小糠三合(約100g)を持つ力があれば合気道はできる」といった謎めいたことばを元に再構築しなければなりません。力を感じない力は必ずあります。そしてそれを稽古しています。開祖の時代は表現ほうほうも解説ほうほうも、数学、物理、化学、身体学、生理学、仏教哲学も合気道とは無縁でしたが、現代では色々な方面から合気力学(私がつけた仮名)ともいえる探究が進んでいます。文字で表現できる合気も徐々に増えてきています。