※「悪事千里を走る」(よい行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪いことをしたという評判はあっというまに世間に知れ渡り、遠方までも広がるものである。
※「悪事千里を走る」(よい行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪いことをしたという評判はあっというまに世間に知れ渡り、遠方までも広がるものである。
「楽しい運動とは」心身の力みや緊張が解消され、自分の身体や自分のこころに対する気づきが深まり、それに伴って情動や葛藤の自己コントロールが可能になってくること。さらに、内的な活動の自己コントロール能力の向上にともなって、自、他をあるがままに受け止めることが可能になれる。心と体が調和し、心身一如の状態となった時、私たちは充実した自己の存在を実感できる。これが合気道の稽古による効果と言われます。「最近の健康ブームは、運動のやりすぎで、身体に故障を起こす人が後をたたず、またプログラムについていけずに、挫折感を味わったりする人も多いようです。心身の健康やストレス解消のために始めたつもりが、逆に新たなストレスになっている人もいます。より強い、筋力鍛練に主眼が置かれてしまうと心身の心地よさや満足度に達成基準がおかれないためにすぐ挫折します。外面的な形のみを追求する運動は「中高年には」つらいことです。合気道の稽古方法も指導者で違いがありますが「和合・調和・結び」をベースに「力を感じない力の探求」をすれば楽しく続けられると考えるのは私だけでしょうか。
受けに対しては半掴み、小鳥を掴むようにという表現で接するように指導されていると思いますが、「受けが反発しないように優しく接する」ことが重要視されているのが合気道です。腕力に頼らない象徴として合気があります。もし、思い切りつかんで技を掛けていたなら優しく接するようにしてください。怪我の多い道場に在籍している人は特に注意してください。受けも人差し指を浮かして握ると体のリキミがとれて怪我が減少します。流れの稽古では受けも取りもやわらかく掴む。護身術的な硬い稽古(受けに動きが無い)の時は受けは硬く握る、掴む、取は柔らかく接すること。
富山県高岡市の鋳物(騎馬像)を依頼している人に「里見さんは伝道師」ですね。と言われたので、意味が分からずもう一度聞いたところ清和源氏の歴史の伝道師だといわれ、なるほどと納得しました。群馬県初となる騎馬像は源義重公をモデルとして制作中です。義重公は八幡太郎源義家の嫡孫です。徳川家康公は源氏長者を名乗り義重山大光院新田寺を義重公のために建立しています。無名に近い義重公を世に知らしめる役目だと言う表現として「伝道師」と表現したようです。私にとって騎馬像の建立は一時的なことで伝道師とは思っていません。それよりも本業の「真の合気道」の伝道師としてこれから生きていくつもりです。これは死ぬまで続けるつもりです。そのために16年前に財産の多くを使って道場を建立しています。いつの日か合気道の伝道師と言われるようになりたいと思います。
一教は大東流や養神館合気道では一か条です。合気会系は一教と言っていますがこれも大東流から来ています。この技は合気道独特ということは無く、古流の柔術の各派に存在しています。大東流ではこの技を小野派一刀流兵法の小太刀からとっています。二教、三教、四教と変化しますが、基本となる技なので大変重要な技です。元となるのは、上段から切り下ろされるところを前に進んで相手の肘、小手を押さえて制する表と受け流す裏技と腰の刀を抜く寸前に相手が小手を押さえてきた場合〔交差取り〕に一教の表、裏で制する。これが一教の原点となっています。この技は非常に地味な感じがしますが格闘技系の相手と対戦した場合応用次第で大変な効力を発揮します。
一教の成り立ちはいきなり一教で抑えるのではなく、二教→三教→四教→一教抑えと私は理解して指導しています。写真の左の左手の押さえには「私独特」の反撃されない秘密があります。
合気道の稽古は左右の稽古をします。左半身、右半身と両方稽古することでバランスのとれた体ができあがります。どうしても右利きの人は左が苦手です。左利きの人は右が苦手です。稽古をしているうちになんとかなります。左脳右脳を刺激することで体も脳もバランスがとれてきます。そして、中心軸がしっかりしてきます。中心軸がしっかりしてくると心も体もなぜか良くなります。片方ばかりでは歪(ゆが)み・つまり正し不「ただしからず」が生じます。
道場で合気道技を説明する時、入身や一教において、スポーツ的な発想で相手をいかにやっつけようかと、相手の側面に思い切り飛び込んだり、当身を入れながら入ったりしないと説明していますが、それは、敵として対峙するのではなく、相手をいかに向かい入れるかと言う発想の転換です。この発想の転換によって、相手に対しての殺気、嫌気がなくなります。倒そうとか、勝とうとして相手を睨みつけることで気が出ていると勘違いしている人がいるようです。倒そうとすると倒せない、勝とうとすると勝てないものです。向かいいれることで和合の世界が生まれます。襟首をつかんで振り回したり、腕を捻っての投げは受け手の反抗心を起こさせます。合気道は柔術(やわらかな技術)から生まれた一派のはずです。
相撲の取り組みでは、相手が押してきたときに姿勢が整わないうちに中途半端に引くとチャンスとばかりにそこをつけ込まれ、下にもぐって押し出されてしまいます。お互いに押し合って相手が後ろに反ったときに上手く引ければ相手は引き倒されます。合気道も下手をするとつけ込まれてしまいます。例えば片手取りで前足を後ろに引いたあと四方投げ表技に入った時に、足を引くと同時につけ込まれる隙が生まれます。どんな技でも理合いが正しくないと付け込まれる隙ができます。とにもかくにもつけ込まれない工夫をしなければなりません。
南朝最期の後亀山天皇の陵墓です。陵墓の見える京都嵐山の家で数年前に二日間過ごしました。南朝支持の楠正成の騎馬像