谷川 俊太郎(Shuntaro Tanikawa)

1931年12月15日 生まれ

日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。

東京府東京市杉並区生まれ。

 

「スイミー」という作品をご存知でしょうか。私が初めて触れた国語の教科書に載っていた谷川さんの翻訳作品です。大好きなスヌーピーが出てくる「ピーナッツ」の翻訳版や「マザー・グースのうた」も谷川さんの作品。大人になってからは「生きる」「二十億光年の孤独」など数々の作品に出会い、母親となった今では息子に「もこもこもこ」を読む毎日です。

平易な言葉でわかりやすく書かれている谷川さんの作品は子どもから大人まで大変人気で、その人気は日本だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語、スロバキア語、デンマーク語、中国語、モンゴル語などに訳され、世界中に読者を持つほどです。

現在85歳。老いてもなお現役で執筆・講演活動をされており、また、様々な分野の方たちとのコラボやiPhoneアプリ「谷川」など新しい試みにチャレンジされています。

活動的で多才で多彩な詩人・谷川俊太郎さんは一体どんな方なのか?!数秘で紐解いていきます。

 

 

Birth Number 14-5

(生まれ持った資質・性格・個性・生きる姿勢や才能・その人の潜在能力・深層意識)

 

「5」は変化、自由、多才、機知、破壊、不安定のナンバー。

中学では戦中は軍事教育だったのに戦後から急に民主教育になりコロッと変わった先生がきらいで同じ教室にいるのも嫌で窓から逃げたことも。また、学校で“みんなで一緒に何かやりましょう”というのが嫌、異質な人間同士が協力し合って何かをすることはいいけど、“同質・均質”が嫌だったと谷川さんご本人も語っており、変化と自由を好む5の資質そのものです。高校は不登校、定時制高校に通い真空管ラジオ作りに夢中になっていた頃、文学青年だった友人に「同人誌を作るからお前も何か書け」と言われ、ほとんど書いたことなかったけれども書いてみようと思って書いたのが今日まで行っている作詩のはじまりです。

作詩のはじまりも冒険心と好奇心からというなんとも5らしいエピソードです。

その後も反安保活動、三度の結婚・離婚、突然の活動休止(活動再開まで沈黙の10年と言われている)、作詩だけでなく絵本・翻訳・映画製作・脚本、講演活動など常に新しいことに挑戦しています。若いころから多くの人に自分の作品に触れてほしいという気持ちが強かった谷川さんはどんなメディアでも仕事のオファーがあったら、できることであれば全部受けてきたそうです。それをやれてしまうマルチぶりも「5」ならでは。近年ではさらに活動の場を広げてインターネットから詩を釣るiPhoneアプリ「谷川」や、詩を郵便で毎月読者に送る「谷川俊太郎のポエメール」など、詩の可能性を広げる新しい試みにも挑戦しています。時流に乗り、たくさんの体験をして学び、新たに挑戦していく。いつまでも新しい感性を持ち続ける谷川俊太郎さん。まさに「5」ですね。

 

また、谷川さんはカルミックナンバー14を持っています。

「14」というのは過去生における「自由」の誤用を理解するためのナンバー。家族との協調、家や職の余儀ない変化や危険思想などの体験によって、真の建設的な自由とは何か?を学ぶことになる。異なること、自分の中にないものを合わせます。自分の中にある価値観にこだわり、執着を全て外していくナンバー。

谷川さんは「14」持ちらしく、家族を通して執着を外して自由となっていきます。

法政大学総長の父を持ちインテリの家庭で育った谷川さんは昔ながらの下町付き合いはなく、また、一人っ子で兄弟もいないため、学校へ上がるまで唯一人間とのつながりが母親という密接な母子環境で育ちました。父親は家庭を顧みないでずっと外にいる人だったせいもあり、母親に可愛がられ、とてもマザコンだったそうです。そのせいか、恋愛というものがいつでも自分の母親の願望にすごく染められていて、一夫一妻制を守るためなら浮気も離婚も辞さないと、一夫一妻制を狂信的に信じていました。三度の結婚と離婚で女性に捨てられてマザコンが薄まり、「痛い目にあって、痛い目にあったことを反芻していく過程で、やっと自由になれたようなかんじです」と谷川さん本人がインタビューで語られています。

家族の破壊と不安定といった変化は、つらく苦しいことも多かったかと思いますが、谷川さんが自由となる必要な課程だったのでしょう。

                    

Destiny Number 7

(表面意識・与えられた才能・個性をどう活かしていくか・人生における目的・使命・何を実現していくか)

 

「7」は知性、内省、独創性、分析力と直観力のナンバー。

谷川さんは「詩というのは書いた以上他人のもの」と公言しており、この発言だけ切り取ると「作品に愛がないのかしら!?」というクールな印象ですが、実際は自分の詩を起点に詩を連ねていくプロジェクトを喜んでおり、会得した智慧(詩や言葉)を世に広め、人々の心を豊かにするという「7」のミッションを果たしています。

作品からわかるように独特の世界観・価値観をお持ちです。母親との関係から、人間のつながりが希薄だったため、子どもの頃から、友達に相談することなく、ひとりで悩んできました。ゆえに、一般的な10代後半の悩みはなく、世界観は宇宙へ。そして「20億光年の孤独」が誕生しました。人間社会を超えた、場所や時間に自分を規定して書いたそうです。

 

「7」らしい独創的な世界観と知性溢れたこの詩は今もファンがたくさんいます。

宇宙の話なのにどこか温かみがあるのも親しみやすさや柔和な温かさ、平和的な面を持つ「7」ならではです。

また、独特で少し辛口の「7」をお持ちの谷川さんらしいエピソードをひとつご紹介させてください。

不登校新聞2001年1月1日65号のインタビューの最後の質問「21世紀と子どもについて一言お願いします」に対して、谷川さんはこう答えています。

「そういうのは拒否したいですね。「全然いつもと変わらない新年じゃん。どこがちがうんだよぉ」ってなほうがいいんじゃない?  メディアは騒いでいるけど、不登校新聞くらいはそういうのやらないで、「いつもと同じ繰り返しで、でも波には同じ繰り返しはないんだ」っていう矛盾したことを言うのが一番いいんじゃないかなぁ(笑)。」

このような考え方もある、みんなと一緒がよいという風潮に迎合しなくてもよいと考える人もいる事をインタビューで語り活字として世に出すことでホッとする人もいます。安心は心の豊かさにつながりますので、十分に才能を活かしている谷川さんなのです。

 

 

Soul Number 22-4

(1番大切な価値観、優先したいこと、自分の心の奥底にある魂の欲求)

 

「4」は規律、秩序、現実、信頼、安定のナンバー。

魂が安定を求めている谷川さん。三度も結婚・離婚されていますが、谷川さんご自身は生き方についてアンチ・クライマックス派でドラマティックになるのは照れくさいのでドラマを避けるそうです。秩序、安定を求めて結婚・離婚をされたのかもしれませんね。独り身の現在は倒れて人に迷惑をかけないように健康管理に気を付け、一日一食規則正しく、平凡な生活とのこと。「日常生活の中のリアリズム」を大切にしています。

作詩においても宇宙などの大きな話になっても自分のところへ戻ってくるように意識されているとのこと。前述した「二億光年の孤独」。講演会で谷川さんは「地球や火星人や宇宙が出てきた最後に「くしゃみ」を入れる。くしゃみによって現実に、日常生活に戻ってくるようにした」と語っていました。谷川さんは日常生活、現実をとても大切にしているというエピソードの一つです。

また、谷川さんは「22」の「4」。

「22」は創造性、偉業、インスピレーションのナンバーです。

波乱万丈でいろんなことをしてくナンバー。よりよい世界を創るために仕事をします。まさに谷川さんですよね!

 

谷川さんは自我が薄いと自覚されています。

自己主張はあるがギリギリまで詰められて出てくるくらいで、そこへ行くまでは自我が薄く、人を喜ばせたいという谷川さん。

その自我の薄さと詩を書くことについて、こうも語っています。

「詩を書くには自我がないということが一つの条件としてあるんだと僕は思っています。自分を空っぽにして言葉を呼び込むのが詩の書き方だと思ってるの。だから自分は自我が薄いというのは詩に向いてるって思ってますね。ぼくはやっぱり、詩人は巫女みたいなもんだっていう比喩は、正しいと思うんですよ。巫女って自分の言葉は語らないでしょ?人の言葉を語って、みんなが寄ってっちゃう。」

谷川さんの自我が薄いからこそ、インスピレーションで素晴らしい言葉が紡がれていくことをどこか感じられているのかもしれません。

波乱万丈な人生を歩んでいるのに「生活にエピソードがない、見えない」と言われるそうですが、それも巫女・谷川さんの自我が薄く空っぽにして呼び込んだ言葉が作品として世に出ているからなのではないでしょうか。

 

「書くこと=推敲」とも谷川さんは言います。よりよい詩にするために何度も考え作り直しているのでしょう。よりよい世界を創るためによりよい詩を作る。とても22-4らしい作詩をされているのでしょうね。

 

 

Personal Number 12-3

(社会的な仮面、他者の目に映るその人の表面的人格)

 

「3」は表現、生産、開放、楽観のナンバー。

他者からはおちゃめな遊び人、アイデアマン、多趣味多忙、人を癒し引き付ける人と見られます。世間から見た谷川さんは確かに笑顔がかわいらしいちょっとおちゃめなおじいさん。また、詩だけでなくインタビューなども拝見すると、何とも人を癒し引きつけられますよね。他人からどう見えるかというところを無意識に自然と活用しているのでしょう。

 

 

Realization Number 12-3

(今回の人生での可能性や実現性)

Personal Numberと同じ、12-3です。今回の人生での可能性も実現性もたくさんの経験を経て可能にして、形にして、実現させている谷川さんです。もう85歳の谷川さんにさらなる可能性を感じてワクワクさえしてきます。

 

History】

*Cycle Number (テーマ)                           0-31歳:#12(コラボレーション) -#3(創造)

*Pinnacle Numbers (状況)                       0-31歳:#9(精神的成長へ、才能の開花)

*Challenge Number (あり方)    0-31歳:#3(創造)

 

  

31歳までは詩を書くことなどの創造活動、詩人として活動していくためにコツコツ続けることがテーマ。結婚、離婚、のちに一緒に活動していく長男の誕生など、家族の創造もテーマとなります。また、コラボレーションナンバー#12がありますので「誰と組むか?」ということも重要です。

 

31歳までずっと2桁のYear Cycleが続いており、また、戦争もあり、疎開や学校生活に馴染めないなど現実面でも大変な時期でした。生涯の仕事であり自己表現でもある詩を書くことを友人がきっかけで17歳(#22)の時に始めます。父 徹三から三好達治へ詩が渡り、詩人としての第一歩を歩み、様々な友人たちと交流・コラボレーションしてくことでどんどん才能を開花していきます。20代後半には作詩だけでは食べて行けず、歌の作詞・翻訳・脚本・エッセイの執筆など何でも引き受け、内面的不安定さと仕事をこなすきつさと内面的な不安定さも伴いましたが、どんどん仕事をしていくことでさらなる創造の幅を広げ、また、精神的にも学ぶことが多く成長していきます。

現在のマルチな才能はこの頃がベースになっているのでしょう。

また、プライベートでは31歳までに一度目の結婚・離婚、二度目の結婚を果たし、長男が誕生し、父親として人としても精神的に成長していきます。

 

1931年0歳 #23:12月15日東京慶応病院で生まれる。

1936年5歳#19:ミッションスクール系の聖心学園入園。天国・地獄行きを決める善悪のはかりの掛け図が生々しく心に残っている。幼時から夏はほとんど 北軽井沢で過ごす。

 

1938年7歳#21: 杉並第二小学校入学。何度も級長を務めたが、学校が楽しかったという記憶なし。音楽学校出身の母からピアノを学ぶ。模型飛行機づくりや鉱石ラジオ などの機械いじりを好んだ。

 

1940年9歳#23:3年生の時、同級生の男の子に生まれて初めて往復ビンタされる。手を繋ぎたくない子と手を繋がされるのが嫌だった。当時は自分でも気づかずに強いエリート意識を持っていたようである。

 

1942年11歳#25:3月、作文「A-1型」、詩「模型飛行機」を書く。

 

1945年14歳#19:東京山の手大空襲。友人と自転車で近所の焼け跡へ行き、焼死体を見る。母と京都府に疎開。京都府立桃山中学校に転学。京都の友人になじめず、学校には行かずに木津川べりをぶらぶらしたりした。

 

1946年15歳#20:東京へ帰り、府立豊多摩中学 (のち都立豊多摩高校)に復学。ベートーベンの音楽に感激して夢中で聴き始めた。

 

1948年17歳#22:クラスメートの影響で、詩を書き始める。校友会誌『豊多摩』 に「青蛙」「つばめ」「教室にて」「あるもの」の4篇を発表。『金平糖』(ガリ版刷りの詩誌)に「かぎ」と「白から黒へ」の8行詩2篇を発表。

 

1949年18歳#23:ノートに詩を書きつけはじめた。この日からはじめて3冊のノートに書きためた詩が文壇デビューの契機となる。

 

1950年19歳#24:学校嫌いが激しくなり、度々教師に反抗。成績は低下し、定時制に転学、かろうじて卒業した。この時期にノートの詩が最も精力的に書かれた。ノート3冊が父 徹三から三好達治に渡され、三好達治の推薦で『文学界』に「ネロ他五篇」と題された6篇の詩が掲載された。すぐに単行本化が決定。雑誌『詩学』9月号の投稿欄に茨木のり子、友竹辰と共に詩が掲載された。保富康午の詩もあり、彼から手紙をもらってつき合いが始まる。

 

1951年20歳#25:『詩学』の推薦詩人の欄に「山荘だより1・2・3」が掲載。

 

1952年21歳#26:処女詩集『二十億光年の孤独』刊行。夏、幼なじみ の岸田衿子とのつき合いが始まる。ハワード・ホークス監督の西部劇映画『赤い河』を観て、強い印象をもった。以来、西部劇を人間の実存のドラマとして見るようになる。『二十億光年の孤独』を読んでくれた作曲家の湯浅譲二や佐藤慶 次郎、福島和夫などに、慶応病院に入院中の武満徹を紹介されて知り合いとなる。

 

1953年22歳#18:家を出て独身生活を始める。岸田衿子の家に近く、近所には詩人の保富康午もいて、親しくつき合っていた。川崎洋と茨木のり子の 誘いで雑誌『櫂』の同人に参加。第二詩集の『六十二のソネット』刊行。1953年4月から53年8月までの間に書いた100ほどのソネット形式の詩から選んだものである。

 

1954年23歳#19:詩人の鮎川信夫と共に『文章倶楽部』の詩の選評を担当。1956年1月まで続く。岸田衿子と結婚し、谷中の岸田家の持ち家に住む。新居は時に『櫂』の同人の集合場所となり、詩劇などについて活発な議論が交わされた。

 

1955年24歳#20:『大きな栗の木』(作・演出 谷川俊太郎)を文学座で大久保知子が演じた。結婚生活から逃げて、保富康午の家に数日泊めてもらった。岸田と別居して、四畳半のアパートに転居。一人っ子 で銭湯に馴染めず、実家に風呂に入りに帰った。早稲田大学「緑の詩祭」 で寺山修司の戯曲第一作『失われた領分』を見て感心、ちょうどアパートのそば の病院にネフローゼで入院中だった寺山を見舞って親しくなった。ラジオドラマ を書き始めた。退院した寺山とも一緒に書き飛ばしたりした。

 

1956年25歳#21:友人の北川幸比古がはじめた的場書房から写真と詩で構成された『絵本』刊行。写真は自ら撮り、北川と共に手づくり感覚で本を制作し、販売した。岸田衿子と離婚。岸田が肺病で療養中であった富士見高原のサナトリウムを訪れ、離婚届に捺印。仲人の三好達治に結婚の失敗を報告し涙をこぼされた。この年に、憧れの自動車免許証取得。

 

1957年26歳#22:大久保知子と再婚。港区青山の崖下にある四畳半二間の家を借りて住む。外には郵便貯金をはたいて買った質流れのシトロエン2CVが置かれた。初の エッセイ集『愛のパンセ』刊行。『櫂』の同人たちの作品に寺山修司の作品を加え た『羅詩劇作品集』刊行。鎌倉に住む武満徹をよく訪ねては、もっぱらポーカーを楽しんだ。

 

1958年27歳#23:父の借地の片隅に18坪強の玄関のないユニークな小さな家を建てる。

 

1959年28歳#24:『三田文学』主催のシンポジウム「発言」に参加。参加者は浅利慶太、 石原慎太郎、大江健三郎、城山三郎、武満徹、谷川俊太郎、羽仁進、吉田直哉。 日本の「怒れる若者たち」の発言とされた。毎日新聞で大江健三郎らと対談。

 

1960年29歳#25:長男賢作が誕生。三幕喜劇『お芝居はおしまい』を書く。集計用紙に注文内容と締め切りを書き、済むと消していくことをやっていた。メディアの中で注文仕事をこなさないと食べていけないきつさがあり、相当生活に疲れていた。内面も不安定であったように思われる。この頃から子どもの歌と校歌の歌詞を書き始めた。

 

1962年31歳#27:『週刊朝日』に時事風刺詩の連載開始。初の現代詩的な詩集『3』刊行。エッセイ集『アダムとイブの対話』刊行。「月火水木金土日の歌」でレコード大賞作詞賞受賞。

 

41~49歳:#11(霊性、直感) -#2(受容、バランス)

*Challenge Number (あり方)     32~40歳:#1(開拓、新生)

41~49歳:#2(受容、バランス)

*Cycle Number (テーマ)                           32~49歳:#15(成功) -#6(調和)

*Pinnacle Numbers (状況)                       32~40歳:#11(霊性、直感) -#2(受容、バランス)

 

0歳から続いていた2桁のYear Cycleが42歳で終わります。

49歳までこれまでの作詩だけでなく朗読や絵本執筆、翻訳、脚本など新しい世界へも進出していきます。社会的な成功がテーマで、様々な文化や人々に触れ、ものごとの本質への理解を深め、理想と寛容について学んでいきます。長女の留学、母親の介護問題を気に発する夫婦問題など家族の問題に向き合うことや自分の内面的なの調和もテーマとなります。

 

33歳からさらに様々な世界を体験していきます。

映画、絵本の世界へ進出し、36歳(#23)の時に初の訳書「あしながおじさん」を出版。

プライベートでは長女が誕生しました。

絵本、「スイミー」や「ピーナッツ」など翻訳の世界へも進出しました。

新しいことを受け容れ挑戦しながら、世界への進出も果たします。Birth Number#5らしく外国へ行き異文化交流も活発に行なっていきます。人と文化と触れ合うことで、自らの考えが深くなり、気づきやひらめきが研ぎ澄まされていきます。どんどん研ぎ澄まされていく感覚・感性が作品へ反映され、ますます作品に谷川さんらしさが加わっていきます。世界中にファンが増えていきます。

仕事での人間関係拡大、今日まで続く仕事の調和と成功の礎となったCycleでした。

が、一方で48歳(#8)の時、母親が植物状態になり、介護の問題で夫婦不和に陥ります。

 

 

1963年32歳#19:長女志野誕生。リオデジャネイロに謝肉祭を見物に行く。この年に、市川崑、和田夏十夫妻と知り合い、夏十のまっすぐな目の強さが心に残る。

 

1964年33歳#20:東京オリンピックの記録映画制作に脚本家の一人として参加。開会式ではカメラも回した。市川崑監督に助監督にならないかと勧められた。『平凡八)于』創刊。

 

1965年34歳#21:私家版の絵本『しりとり』刊行。さらに、長男賢作の「けん」をタイトルに入れた初の童話『けんはへっちゃら』刊行。子どもを読者とした出版の嚆矢とした。『日本語のおけいこ』と合わせて、子どもに向けての仕事が本格的に開始。また、詩「鳥羽」シリーズの連載を『現代詩手帖」に開始。

 

1966年35歳#22:ジャパン・ソサエティー・フェローとして妻と共に西ヨーロッパ、 アメリカ合衆国へ9ヶ月に渡る長期旅行。ハンブルクでビートルを買い、計1万2000キロを走破。パリの回顧展で初めてフェルメールの絵を観て感銘を受けた。フィラデルフィアではワイエス を観た。フェルメールには陶酔。ワイエスには陶酔できないところにその現代性を感じた。冬にニューヨークでいくつかのポエトリー・リーディング (詩人の自作朗読)を聴き、詩を声で語ることに強い関心を持つように。ニューヨークでは高層アパート27階に住む。画家の元永定正夫妻と上下階の部屋で暮らす。

 

1967年36歳#23:外国旅行より帰る。この長旅は全て休暇と考え、詩は一行も書かなかった。記録映画『京』の脚本を書く。絵本『あおくんときいろちゃん』を見て絵本の概念が一気に広がった。物語的ではない、自分に合った絵本の創作を考え始める。

 

1968年37歳#24:東京日劇でグループサウンズの「新春ウェスタンカーニバル」を観た。 歌詞は聴き取れなかったが、歌い手と聴き手の完璧な交流に感動。

 

1969年38歳#25:レオ・レオニ作の『スイミー』『せかいいちおおきなうち』『フレデリック』が刊行され、絵本の翻訳依頼を積極的に受けるようになる。長女 志野の名前をタイトルに入れた童話『しのはきょろきょろ』刊行。マンガ『ピーナツ・ブックス』の翻訳を開始。大阪万博の政府館やみどり館などの企画・制作に参加。

 

 

1970年39歳#26:招かれてアメリカ国会図書館主催の国際詩祭に参加。詩祭の捧尾を飾って「ビリイ・ザ・キッド」「月のめぐり」「夜のジャズ」「愛・ポール・クレーに」などを45分間に渡って朗読。その詩祭より谷川詩の翻訳者であるハロルド・ライトとその仲間の者たちと過ごしたオハイオ州コロンバスでの経験の方が心に残る。ベトナム 戦争を担う反体制者たちの自然へと帰属しようとする心の動きを感じた。福音館書店の月刊雑誌『母の友』に「私のことばあそび」の連載を開始、ひらがな詩の本格的な試みが始まる。

 

1971年40歳#27:アカデミー・オブ・アメリカン・ポエッツの招待により田村隆一、片桐ユズルらと共にアメリカ各地で詩の朗読旅行。家族とヨーロッパ旅行。『櫂』の同人たちと連詩の創作を開始。

 

1972年41歳#28:初の創作絵本『こっぷ』刊行。ここで認識絵本的な自らの創作絵本のスタイルを見つけた。ミュンヘンオリンピックを観に行き、オムニバス記録映画『時よとまれ君は美しい』の市川崑監督部分の脚本を書く。ミュンヘンでは、野外劇『走れメロス』を公演していた寺山修司と会った。思潮社の小田久郎の依頼で雑誌『現代詩手帖』に詩論「発語の根はどこにあるのか」を書く。さらにこの年「仮に勘と呼ぶ曖昧なものについて」「詩の現場がどこかにあるはずだ」など質の高い刺激的な詩論をいくつか書いた。詩に対する考えを深める年となった。

 

1973年42歳#2:映画『股旅』(市川崑監督)の脚本執筆に参加。雑誌『母の友』に連載した「私のことばあそび」の詩を単行本『ことばあそびうた』として刊行。「時間」をテーマに想を温めていた創作絵本『とき』を制作。『ユリイカ』の臨時増刊「谷川俊太郎による谷川俊太郎の世界」刊行。編集を任され、この企画の目玉の1つとして吉田健一に「近代詩抄」と題する小アンソロジーの選を依頼。

 

1974年43歳#3:将来の移住を考えて、北軽井沢の別荘地内に家を建てた。移住は結局、両親や伯母の介護などで実現せず。渋谷ジァンジァンで、粟津潔や林光などの友人と翌年にかけて9回に渡って続く対談を開始。

 

1975年44歳#4:初の英訳詩集"WITH SILENNCE MY COMPANION"(W・I・エリオッ トと川村和夫訳)をPrescott Street Press から刊行。『定義』と『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』という全く書き方が違う2つの詩群を並行して書き、同時刊行。2つの異なる詩を書く事の評価を知りたいと思っていた。秋 にロイヤルシェイクスピアカンパニーによる2つのアンソロジー「ホロウ・クラウン」と「プレジャー・アンド・リペンタンス」を観た。『マザー・グースのうた1・2・3』の翻訳で日本翻訳文化賞受賞。

 

1976年45歳#5:小室等とLP『いま生きているということ』を制作。絵本『わたし」、『あな』を刊行し、創作絵本制作への意欲を示した。前年の2つの詩集『定義』と『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』に与えられた高見順賞を辞退。

 

1977年46歳#6:街路樹が綿毛を散らすロッテルダムでの「ポエトリー・インターナショナル77」に参加。寛いだ雰囲気の中で異なる言語という壁と共に、それを超えようとする柔軟な試みも感じとった。詩祭の後、パリ在住の堀内誠一と画家の安野光雅と3人でロマネスク建築を見ようとノルマンディ地方をドライブ旅行。パリでは寺山修司にクスクスをご馳走になった。波瀬満子らと「ことばあそびの会」設立に参加。

 

1978年47歳#7:長女 志野がアメリカへ留学。フジテレビ番組「ルーブル美術館」の脚本を書く。波瀬満子の朗読によるLP『ことばとあそぼう』を監修。

 

1979年48歳#8:河合隼雄との対談『魂にメスはいらない』刊行。前年の対談から始まった2人の信頼関係は以後深まっていく。母 多喜子の入院。母はほとんど植物状態となっていて介護の問題が夫婦の仲に影を落とし始める。安野光雅・ 大岡信・松居直との共著で『にほんご』という文部省の学習指導要領に準拠しない小学1年生のための国語教科書を刊行。

1980年49歳#9:駐日イタリア大使館が主催したディナーでレオ・レオニに会う。少年のように若々しく明るかった。カリフォルニアに「スヌーピー」の作者 チャールズ・シュルツを訪問。12月から1981年6月にかけて『スヌー ピー全集』が刊行された。

 

 

 

 

その2に続きます。

 

三谷幸喜 Mitani Koki 

(1961年7月8日)

劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督、シスカンパニー所属

東京都世田谷区出身

世田谷学園高校、日本大学芸術学部 演劇学科卒業

 

今も現役で、才能を発揮し大活躍中の三谷幸喜さんの魅了と才能をリーディングさせていただきます。

Birth

5

Destiny

13-4

Soul

7

Personality

15-6

Realization

9

Stage

6

Callenge

7

Nature

13-4

Action

1

 

◇Birth … 「5」

   生まれ持った資質、性格、個性、深層意識 

世田谷区出身。父親は博多のクラブなどを経営。一人っ子で甘やかされて育った幼少時代。10歳の時に父親が他界。

母親はパブを経営しており、自宅にはパブで踊るフィリピン人ダンサーが数人同居しており、ショーの時と同様に家の中でもトップレスだったという独特の家庭環境に育っている。

 

親との関わりに影響を大きく受ける「#5」のナンバーの為、個性的で斬新で楽しい作品はこの環境から影響を受けているのではないか。

また、自由であり、好奇心、冒険心、柔軟性、鋭い感性を持ち、マルチな才能を持っている為、独特の世界観の作品を次から次へと生み出している。

 

テレビドラマ、映画、舞台の脚本演出を手掛け、「振り返れば奴がいる(1993年)」「警部補・古畑任三郎(1994年)」NHKの大河ドラマ「真田丸(2016年)」など多くの作品を手掛け、数多くの賞を受賞、2017年11月には「紫綬褒章(しじゅほうしょう)」を受賞している。

また、自ら演者となる事もあり、番宣などで色々な番組に出演して、彼の巧みな話術や独特の世界観があり人々を和ませる事のできる人気者である。

 

まさしく自由であり革新、冒険心、刺激的で多才な才能の「5」の数字をBirhに持つ、彼なのでマルチな才能を生かし、芸能界での活躍は頷ける。

 

 

◇Destiny … 「4−13」

  人生における使命や目的、何を実現していくべきか 

「4」

何かを自分で型作り、システムを作って世の中に提供する事が使命。

 

彼の数多くある作品の中にはリンクが張り巡らされている。

例えば、『やっぱり猫が好き』で登場するアパート「ゴーストキャッスル」が『古畑任三郎』にこの名前の店が登場したり、『王様のレストラン』の舞台となったレストラン「ベル・エキップ」が、『古畑任三郎』の中でこの「ベル・エキップ」から花が贈られている設定になっていたりする。

全く違う作品にその様なリンクを貼る仕掛けを作り、観ている人々がそれを発見する事によりワクワク感を与えて、「THE三谷ワールド」の中に取り込んでいくような魔法が仕掛けられている。

 

また、立場の弱い女性たちもスポットを当て魅了的に描いている。

歴史では女性は名前も残っていない事が多く、「誰々の妻」「誰々の子供」などではなく、一人一人のキャラクターにスポットを当てて「役割」ではなく「役」としてきちんと表現しているところも、神谷さんの作品の魅力でもある。

 

また、NHK大河ドラマ『真田丸』では3Dの立体的な地図などを使い、歴史解説をわかりやすく、また難しい言葉を使わなかったり、笑いを入れたりと、堅苦しくなく観る事ができ新たな層の視聴者を取り込む事ができたのではないだろうか。

 

彼のユーモアのある独特の世界観をこの様に作りあげ、世の中に発信して皆に笑いや癒しを与え、人気を博している。これをみると着実に彼は着実に自分の使命を全うしていて、更なる彼の新しい斬新な作品に期待している。

 

「13−4」

タロットで言うと「死神」。

怖いイメージがあるが、創造と破壊を繰り返しながら自分のエゴをバサバサと切っていく前向きなナンバー。

生きながらにして、死と再生を繰り返し経験しながら、常に学び成長していく事が今世での使命である。

 

この「13−4」は電撃結婚や転職が多い傾向があり、劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督と、多岐に渡り活躍されているのも、色々な事にチャレンジし、その経験によって、日々進化、成長しているところを見ると、彼は使命を順調に全うしていると言える。

 

また「13−4」は離婚の確率が高いナンバーであり、1995年、「やっぱり猫が好き」で仕事を一緒にした事をきっかけに、女優、小林聡美(こばやしさとみ)さんと電撃結婚。

この時の彼のYear Cycleは「3」愛されるより愛する穏やかな結婚ができる年。

小林さんのYear Cycle「8」婚約や結婚に適している年と、2人共に結婚に適したタイミングで結婚をしている。

 

16年の結婚生活の後に、2011年に考え方や価値観の小さな違いが積み重なって離婚に至っている。

この時の彼のYear Cycle「9」本質に沿っていないものは切り落とし、新しい流れに向かうタイミング。

小林さんのYear Cycle「14」自由。家や職の余儀ない変化によって本当の自由とは何かを学ぶタイミング。

 

それぞれ「変化」を余儀なくされるタイミングで離婚しているのは、やはりお互いの成長の為に意味があるものであったのではないだろうか。

彼は離婚する確率の高いナンバーである【#5(B)、#13−4(D)、#6(P・S)、#9(R)】を持っている影響も少なからずあると思われる。

 

 

◇Soul …  「7」 

   一番大切にしたい価値観 魂の要求

独創性、探究心、鋭敏な知性。

三谷の独創的な世界観を持つ作品は、ここから来ているのではないだろうか。

 

「7」の洞察力の強さ、こだわり、探究心の強さから、理想が高く、自分が目指す目標は一般的な人よりかなり高く、とことん突き詰めることができる人。

自分の殻にこもらず、世の中に自分の才能を打ち出していく事で更に飛躍していく人。

とても目標が高く、理想が高いため妥協を許さない。かなり筆が遅いと有名で、脚本が出来上がりが遅れ、開演時期がずれたり、俳優のスケジュールが抑えられなくなったりした事もあるそう。

 

1993年の『振り返れば奴がいる』で連続テレビドラマの脚本家としてデビューするが、プロデューサーは彼が喜劇専門であることを知らなかった為、脚本の喜劇の部分を製作スタッフにより、書き換えられ、彼の意図から外れた作品となってしまった事がきっかけであるかもしれないが、自分が関与できない形で作品が上演される事を嫌っている。

 

学校や演劇部など自分が関われない団体に対しては、上映許可を出さない。それは全ての台本を作る時に、先に役者を決めてから、その役者のイメージしながら台本を書く為、再演の度にその都度、新しい役者のイメージに合わせて改定する程のこだわりを持っている。

 

そして、作品作りで行き詰まるとティッシュを大量に箱から出したり、ベットと壁の間に挟まるなどの奇行に走る「変わり者」の部分が時折出てくるのも「7」の影響であろう。


 

◇Personality … 「6」

   社会的な仮面、他社の目に映るその人の表面的人格 

パーソナリティーに「6」を持つ彼は、堅実で保守的、誠実な面もあり、ユーモアのセンスに富んでおり、子供の様に茶目っ気がある。

 

元妻との結婚生活では、妻に嫌われたくないのでゴミ出しを率先してやっていたと言う彼。

ゴミ出しを忘れた時は自分の部屋に隠しておいた事もあるのだとか。

 

また、仕事で名古屋に行った際に誤って携帯ではなくリモコンを持って来てしまった事に気付き、もしかしたら動くのではと、リモコンを操作してみたという。

とっても茶目っ気たっぷりで可愛いキャラである。

 

また、芸能的才能、センスの良さから多くの楽しい作品が生まれている。

そして、審美眼の持ち主であり、元SMAPの香取慎吾(かとりしんご)さんも、元々持ち合わせている才能を更に開花させるきっかけを与えたのは彼の作品の影響が大きいのではないだろうか。

他にも多くの俳優さん達が新しい魅力を彼の作品から見出され活躍している人も多い。

 

  

◇Realization … 「9」

   今回の人生での可能性や実現性

「9」は「完結」を表す。1〜8の全ての要素が含まれるとても複雑なナンバー。

 

新たなステージに向かう為にも、自分にとって必要なものなのか。自分自身と真剣に向き合い、余計なもの、必要のないものを精査していく。

そして、自分にとってもっと大切な事を吸収していく準備をしていく。

 

人から批判されるのを恐れるため、インターネットなどはほとんど目にしなかったり、自分の家に人を入れるのを嫌うような繊細な部分もあり、とても神経質な性格。かたや、彼の作品は喜劇であり、ユーモアに富んだ作品が多く、また、独特の面白いキャラクター全開でテレビに出ていたり、掴み所がない不思議な魅力がある。

 

お金や名誉、作品、全てに関して、目標が高いので、より良い作品を生み出す為に作品が出来上がるのがギリギリなったりするのは、目指すところが高いからではないだろうか。

 

自分の人生は、外ではなく自分自身の中に答えがある事を学んでいく為に、ナイーブで自分の殻に閉じこもりがちな彼ですが、自分から溢れ出る才能を活かしながら、世の中に笑いや暖かさを与え、人々を感化・教化させることのできる素晴らしい作品を通して公的使命をまっとうしていると感じられる。

 

彼の内にある「霊性」とインスピレーションをガンガンと惜しみなく使って今までいない斬新で素晴らしい作品を今後も期待している。

 

  

◇Stage … 「6」

   一番輝ける場所

周囲の人への奉仕、サポートをし、社会貢献をする事。

 

世の中に一服の清涼剤の様な、リラックスできる作品。笑える作品を発信し続けている。

彼が一番輝ける場所で今まさに活躍中であると言えよう。

 

 

◇Challenge … 「7」

   人生における越えなければならない壁

多くの経験をどんどん重ねてゆき、視野を広げていく事。自己肯定していくこと。

 

神経質な彼は、元奥さんのお父さんさえ家にあげないほど。

人を受け入れ、自分も受け入れる事が課題です。

頭で考えるより、直感で動いた方が運命が廻り出す為、どんどん直感を使っていくと更に飛躍できるであろう。

 

 

◇Nature … 「13—4」

   自然な資質や本質

生きながらにして、死と再生を繰り返しながら、人の痛みや辛さを体感して、経験したからこそ相手を理解し寄り添う事ができるので人々を癒す事ができる。

そして、色々と経験しながら自分の能力を遺憾なく発揮してその才能を社会で活かしている。

 

 

◇Action … 「1」

   行動特性
プライドが高く、絶対的な存在。革命を起こす。

今までにない様な作品を次々と作りだし、陽気であり、リーダー気質を発揮して皆をまとめていくのが得意な為、演出家は天職であると言えよう。

 

 

◇Type II (その人の特質、個性)

Creation

(創造する力、何かを生み出す力)

Growth

(魂の成長〜何かを成長させる力))

Maturity

(完成度、成熟度、そして集合意識へのシンパス)

Lead

(リーダーシップ、牽引する力や 人をどう導くか)

Support

(サポートする力、何かを支援する力)

Make Mood

(ムードメーカー、雰囲気を作る力)

Body

(身体の持つ創造的ヴァイブレーション)

Emosion

(情緒 感情の現れ)

Intelligene

(知性 知的才能とそれをどう役立てるのか)

 

Creation (創造する力、何かを生み出す力) 「0」、Make mood(ムードメーカー 雰囲気を作る力)「2」以外の、上記の才能、特質が皆高い数値となっているのは、彼は幅広いマルチな才能を持っている事がここからもわかる。

 

Creation (創造する力、何かを生み出す力) は「0」ですが、「0」は何かを生み出していく力であり、自分では気づかなかったスイッチが入るや否や才能が開花し、特質した才能を発揮する事ができる。

彼は、多くの作品を生み出しているところを見ると、もう幼少期の頃からスイッチ全開なのであろう。

また、Maturity(完成度、成熟度、そして集合意識へのシンパス)が「5」と、特質的な個性となり、作品へのこだわりなどもここから来ていると思われる。

また「3」も多いのでセラピスト的な要素も持っていますので、作品や、ご自身のキャラクターで皆に笑いや癒しを与えているのも、ここから来ていると思われる。

 

 

 

◇Cycle

 

0  〜 31歳

          32  〜 49歳

50  歳  〜

32 〜40

42 〜49

 Cycle(テーマ)

7

8

8

 Pinnacle(状況)

6

16-7

4

6

 Challenge(課題)

1

9

8

1

 

【0~31歳】

*1961年7月 誕生。東京都世田谷区出身。

                 少年時代は、とんねるずの木梨憲武(きなしのりたけ)と同じサッカーチームに所属して

          いたが、木梨は2軍だったが、三谷は11軍。運動は苦手であった。

          また、かなりのテレビっ子で三度の飯よりテレビが大好きであり、幼少期の頃

          から脚本を書いていた。

 

*1983年   日本大学藝術学部 演劇学科在学中に、劇団・東京サンシャインボーイズを

         結成。脚本家、役者として活躍。

*1989年   テレビドラマの脚本を書き始める。

*1988年    深夜ドラマ『やっぱり猫が好き』の脚本を手掛け、元妻である小林聡美(こばやしさとみ)

                    出会う。

*1991年    東京サンシャインボーイズの代表作『12人の優しい日本人』が中原俊(なかはらしゅん)監督に

         よ って映画化。

 

【Cycle(テーマ) … 7】

自分の興味のあるものを探求していく。コンセプトや計画をより深め、研究や学びの時期。

少年の頃から脚本を書いたり、学生の頃から劇団を作ったり、着々と自分のやりたいものを極めていく。

 

【Pinnacle(状況) … 6】

愛を学ぶのがテーマ。家族や恋人から内面を養う時期。

幼少期の家庭環境や、将来の妻になる小林聡美と出会いによって向き合う事によって本当の愛とは何かを学んでいく。

 

【Challenge(課題) … 1】

開始。思考の方向性の変化が課題。

自分の中に才能があるのを見出す。彼は自分の才能を遺憾なく発揮できる環境を作り上げ、このチャレンジは成功している。

 

【32~49歳】

*1993年 『振り返れば奴がいる』で初めての連続ドラマの脚本を担当。

       彼の持ち味である喜劇ではなく、不本意にもシリアスな作品に書き換えられて

       しまったが、このドラマは大ヒットし彼の名が知れ渡った。

*1994年 刑事ドラマ『古畑任三郎(ふるはたにんざぶろう)』の脚本を担当。

       冒頭から犯人が殺人を起こしている様子が描かれ、それを古畑演じる田村正和(たむらまさかず)

       が完全犯罪だと思われていた事件を、巧みな話術と推理を持って暴いていくと

       いうストーリーでかなりの人気を博し、第三弾まで続き、更にはすべシャル番組と 

       しても数多く放送されている。

       その後も『王様のレストラン』『竜馬にお任せ!』『総理と呼ばないで』など次々と

       連続ドラマの脚本を手掛けている。

       

              同年、東京サンシャインボーイズの劇団は、30年間の充電期間に入る。

*1995年 小林聡美(こばやしさとみ)と結婚。

*1996年 ラジオドラマ『笑いの大学』を二人芝居として舞台化した結果、舞台版は「読売

       演劇大賞の最優秀賞」を受賞。高い評価を得る。

*1997年 初映画監督『ラヂオの時間』を発表。高い評価を得て数多くの映画賞を受賞。

*2000年 初のオリジナルミュージカル『オケビ!』は,演劇界の芥川賞とも言われる

       岸田國士戯曲賞(きしだこくしぎきょくしょう)を受賞。

*2002年 舞台『You Are The Top 〜今宵の君〜』の主演の鹿賀丈史(かがたけし)が初日直前に急病で

       降板というピンチが起こるが、5日延期して代役の浅野和之(あさのかずゆき)の努力により無事

               開幕する事ができた。

*2004年 NHK大河ドラマ『新撰組!』の脚本を担当。

       大胆な設定や、若手俳優の起用により賛否両論を読んだが大きな話題に。

*2006年 大河ドラマ史上初の続編となる『新撰組!!土方歳三(ひじかたとしぞう)最期の一日』が正月スペ

               シャルとして放送。

        監督第3作目、映画『THE有頂天ホテル』が公開。興行収入60億円の大ヒットを

               記録。

        脚本、大石静(おおいし しずか)大河ドラマ『功名が辻(こうみょうがつじ)』のオファーにより将軍足利義昭(あしかがよしあき)役で出演。

*2008年 映画『ザ・マジックアワー』映画第四作目となるが、またもや大ヒットとなる。

*2009年 テレビ『連続人形活劇 新・三銃士』で初めてNHKでの人形劇の脚本を手掛ける。

        11月には、ニューヨークのブロードウェイでミュージカル『TALE  LIKE  SINGING』で

               世界進出。日本オリジナル作品ではブロードウエイでは初。

 

【Cycle(テーマ) … 8】

れに乗る。今までの結果を出す。アウトプット。

これまで、様々な作品を真剣に向き合いながら世の中に発信していく。またその努力、実力を認められ、数多くの賞を受賞、NHKの大河ドラマを手がけるまでに飛躍している。

 

【Pinnacle(状況) 40歳まで … 16-7  41歳から … 4】

16 … 間違った「愛や信頼」の価値を修正するために多くの経験を積む。

7  … 探究心、小林聡美との結婚で、「愛や信頼」を学んでいく。

4  … 仕事に生きる。現実的なことと向き合う。

       ドラマ、脚本共に順調で大ヒットを収めている。

 

 

 

 

()

【Challenge(課題) 40歳 … 9  41歳 … 8】

完成。さらなる開花。

本質を見極める為に、いらないものを捨て、更に揺れながらも前進していく事をチャレンジし

続けている。

 

 

【50歳~】    

 *2011年 「三谷幸喜第感謝祭」と題し新作劇4作、映画、テレビドラマ1作ずつを発表

        例年にも増して活発な年となる。

         5月 小林聡美と離婚

         12月 第46回 「紀伊國屋演劇賞個人賞(きのくにやえんげきしょうこじんしょう)」受賞。

*2011年  初の自作以外の作品『桜の園』(チューホフ)

        初の文楽作品『其礼成心中(それなりしんじゅう)』の作、演出。

*2013年  7月 19歳年下の一般女性と再婚。

        (愛犬が亡くなって落ち込んでいた三谷を励ましてくれた事がきっかけ)

*2014年  1月 芸能事務所「シス・カンパニー」に所属。

        5月 2016年の大河ドラマ『真田丸(さなだまる)』 の脚本を務める事を発表。

        6月 再婚相手との間に第一子となる男の子が誕生。

*2016年  NHK大河ドラマ『真田丸』の脚本を担当。

        3Dの地図を使っていたり歴史解説がわかりやすい。わかりやすい言葉を使用し

        ていたり、笑える場面も多い為、今までにいない視聴者を取得したと考える。

*2017年  紫綬褒章(しじゅほうしょう) 受章。学術や芸術、スポーツなどの分野で功績を収めた人に贈ら

        れる。

*2018年  NHK正月時代劇『風雲児たち ~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~』放送予定

 

 

【Cycle(テーマ) … 8】

前のサイクル同様、流れにより、今まで培ってきたものを世の中にアウトプットし続ける事が

テーマとなる。

 

【Pinnacle(状況) … 6】

小林聡美と離婚。のちに一般女性と再婚し、男の子を授かり、まさしく「愛」を学ぶことをしている。

子供を通して親となりさらに「愛」とは何か学んでいき、あるがままの自分、人を受け入れること学んでいくのであろう。

ブロードウエイミュージカル『TALE  LIKE SINGING』では、「人と違うのはそんなに大きな問題なのか?人は違って当たり前だよ」という事を伝えている。

 

【Challenge(課題) … 1】

最終の課題となるのが「開拓、独創性と奉仕、自己信頼と成長」である。

日々、新しい事に目を向け、パイオニア的な存在で更に彼のさらなる魅力を発揮していく。

 

 

 

 

<最後に>

なかなかリーディング対象の方が決まらず、悩んでいた時に、なぜか三谷幸喜さんがパッと

浮かび、直感を信じてリーティングさせていただきました。

 

三谷さんの作品は、心から笑えて、そして感動もあり、リラックスして見られる作品が多いと

思います。

中身がない。くだらないなんて批判している人たちもいますが、私はそうは思いません。

生きていれば、辛いこと疲れる事は多いです。

そんな時、三谷さんの作品は、リラックスしながら意気がらずに素直に笑う事ができたり、少し心が温かくなったりと、疲れた心をヒーリングしてくれている様に感じます。

 

私も三谷さんを見習って自分と真剣に向き合いながら、自分の中の眠っているものを呼び起こし、日々努力して得たものを他の人たちにシェアしていく事が大切だと感じさせられました。

自分なんて…とよく思ってしまい、行動に移す事ができなかったりする事が多いのですが、自分に自信をもち私も三谷さんの様に、周りの人達を少しでもくつろぎ、心が温かくなる様な事をしていきたいなと感じさせられました。

 

皆違うのは当たり前。

怖がらずに自分の学んできた事、思っている事をアウトプットして行こうと思いました。

 

 

M.Y. | AEONS 数秘初級:文京タニアクラス13期 | 2017年12月10

夏木マリ
旧姓・旧芸名:中島淳子
生年月日:1952年5月2日
職業:歌手・女優



個性的で魅惑的な風貌や声、圧倒的なセンスと存在感を放ち、時にキュートな笑顔やユーモアで人々を魅了し続ける夏木マリさん。年齢を重ねる度にカッコよさに磨きがかかっているような気がする、まるで現代に生きる魔女のような彼女の魅力を、数秘で読み解いていきます。






【人物像をよむ】


Birth number (資質・性格・個性・生きる姿勢・潜在能力) #6-15
美意識や美的センスが鋭く、分野・年齢を問わずアーティスティックな幅広い友好関係を持つ。自分が心から良いと感じたから良いといったスタンス。日頃の服装はジーンズにTシャツといったカジュアルな恰好かフォーマルなドレス系と極端だと語っているが、選ばれたアイテム一つ一つが洗練され、人の思いが込められたものや、未来まで繋いでいく価値ある本物であることに重きを置いているあたりが、誠実に本物と向き合い、周囲との調和を大切にする愛情深いナンバーらしさといえる。

「丈夫も芸のうち」とプロ意識が高く、美しく歳を重ねるために食べる物や食べる順番などにこだわり、トレーニングを欠かさない。自分の体質をより詳しく把握するために、DNA検査や遅延性アレルギー検査を受け、体質に合った食事を積極的に取り入れ健康管理に余念がない。まるでそのストイックさすら楽しんでいるようだ。時に睡眠時間を削ってでも活動の現場に手作り弁当を持参するなど、やや完璧主義な面がうかがえる。

流行に敏感なのは彼女のSoul number#5が影響しているかもしれない。

バラエティー番組出演時には番組にまつわるネイルアートをして出演者を喜ばせたり、大御所と言われるようになっても誰とでもフラットに接する姿から、調和を大切にし平和で穏やかな性格といえる。

歌手と女優の他に、自身のライフワークである、愛と平和のための支援をパートナーと行っている。(詳しくは後述)彼女の天性のセンスに加え、様々な経験から培った実力と人脈を活かして天職を見つけ、崇高な理想をシェアする姿は、#6から#15へと生き方が進んでいるといえるだろう。

Destiny number(人生における使命や目的) #1-10 (旧姓 #5)
誰もやったことがない新しい芝居を創ってみたいという強い想いから、企画・脚本・構成・演出・出演・資金集めまで全てを手掛けるコンセプチュアルアートシアター「印象派」を主宰。台詞に頼らず身体で感情を表現する手法「身体言語」で芸術表現する独自の舞台を確立。

「何事もとにかく自分でやってみる」のが彼女のモットーで、その行動力や独創性は#1の持つ力が存分に発揮されている。またTypeⅡの特質も後押ししている。
芸術活動を行うなかで、人の情熱や自然のエネルギー、人種や宗教などさまざまな価値観を尊重し、今もなお学び続けている姿は、Spiritual Fallを迎え、本来の自分の使命に目覚めた証といえよう。

TypeⅡ(個性の傾向・特質)
〈Emotion〉情緒・感情の現れ #5 (旧姓 #6)

鋭く豊かな感受性と激しく情熱的なエネルギーを持ち、溢れるパッションやエネルギーを発信できる人、発信することでコントロールできる。
真実の愛に至る、ノンジャッジ、快楽・感情を自らコントロールし冷静に振る舞う、感情を俯瞰してみられる人、淡々としているようにみえるが自覚してコントロールしている。

〈Intelligence〉知性・知的才能をどう役立てるか #1
集中的学習癖、インスピレーション、閃きや直観、抽象的領域、知性が高く、視覚的なイメージからの学びが得意

〈Body〉身体の持つ創造的ヴァイブレーション(旧姓 #1)
バイタリティ循環、エネルギー治療、ホリスティック、体のエネルギーが強い、身体の状態や自分軸のバランスの大切さについて身をもって感じる。





Soul number(魂の欲求) #5 (旧姓 #3)
若い頃は「しょっちゅう人に惚れていた」が人と暮らすなんて考えられなかったし、恋愛の延長に結婚という考えが面倒くさく感じていた。グループサウンズの追っかけをしていたり、パーカッショニストである現在の夫にも、彼の奏でる音とそのセンスに惚れて、自分からアプローチしたという。惚れたら一直線な肉食系女子である。

結婚について「自分もしっかりしてないのに人の面倒なんてみれないと思っていた」というのはBirth number#6の誠実さの表れでもあるかもしれない。

人に決められたことが嫌いでフリーが好き。「人生一度きりなんだから自分の好きなように生きていくほうがいいよ」とことあるごとに発言しており、とことん自由を愛する人。
「人生は不安定なほうが面白い。安定したらブスになる。」と常に刺激や緊張感を持って、革新的な表現を追求している姿が印象的。多芸多才で鋭い知性を持っているからこそ、自分も楽しみ関わる人も観ている人も楽しめる独自の芸術表現を確立できたといえる。

歌、芝居、支援で人生を回している。フットワークが軽く、多芸多才で器用な人。

Personality number(社会的な仮面) #5 (旧姓 #2)
本業の歌手や女優だけに留まらず人道的な支援など活動は多岐に渡り、情熱的に活動する姿はまさに、活発で多才、なんだか魅力的に見える所以である。

世の女性が憧れるカッコイイ女性の代表ともいえる一人であり、「姐さん」と呼ばれ、親しまれていることがブログから垣間見ることができる。
女性性が強く見えるからこそ自由で独創的なカッコよさが際立ち、彼女の魅力をさらに増幅させているのではないか。

Realization number(今世達成しようと設定してきたこと) #7  (旧姓 #2-11)
芸術を通して精神性を探求し、昇華させることをミッションとして設定してきている。時に人間離れした、一見理解しがたくも感じる表現力は、世俗からの離脱に近いような気さえするほど神秘的であり、霊的感受性の鋭さの一端なのではないか。寺院での奉納公演も行うなど、誰かとコラボレーションしながら、天と地の橋渡し、人と人の橋渡しをする、設定どおりに生きている。精神性に通じながら、現実世界とのバランスを上手にとれている人である。

Stage(活躍する場) #1-10  (旧姓 #4)
創造性とオリジナリティ、インスピレーションの向く方に前進し探求する。支援活動によって外国の女性と子どもたちが生きやすい社会の仕組み作りを目指している。

Challenge(今世乗り越えようと設定してきたこと) #1-10
さまざまな経験や芸術からインスパイアされ、常に独創的な芸術表現を形に残すことに挑戦し続けている。

Nature(自然に醸し出す雰囲気) #2  (旧姓 #5)
優しく受け止めて、彼女なりの自由な発想でアドバイスしてくれそうな「姐さん」は、世の女性たちに頼りにされ雑誌の連載などで人生相談にのっている。

Action(行動パターン) #9  (旧姓 #3)
どんな人生にもそうである意味を持っていると思っている、自然主義。「皆それぞれの役割分担があって、何かの使命を背負っている。皆それぞれの人生に誇りを持って生きればいい。」とどこか達観した人類愛・ボーダーレスな価値観を持ち、自分なりの人生を楽しむことを実践・推奨している。

TypeⅢ(資質の得方)
〈Balance〉6

先天的にたくさんの資質を与えられている。
(旧姓 -2)後天的にたくさんの資質を経験によって得る。




【人生の流れをよむ】


0-30歳
Cycle number #5
家族問題、自らを表現する場の変化
Pinnacle number #7
幼少期や下積み時代に内省を求められる環境
Challenge number #3
どこにいても自分が心から楽しいと思えることを目指す


1952年(year cycle #24)0歳
・東京都豊島区に生まれる。


1961年(year cycle #24)9歳~1967年(year cycle #21)15歳
・母親と姑がケンカしたことが原因で引越し。小学校3年生から中学校3年生まで埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)で育つ。
・当時は幼少であったこととyear cycleが2から始まる2桁であることから自分の意思ではなく受動的な環境の変化といえる。また、家族内での人間関係の問題を身近で目の当たりにしながら育ってきたと考えられる。放任主義で育てられ、親に叱られたことがなかったそうで、内省を求められる環境であったといえる。
・中学時代、合唱部がなかったので自分で音楽サークルをつくる。楽しみ、楽しませることを実践。

1968年(year cycle #22)16歳~1970年(year cycle #24)18歳
・高校時代、グループサウンズにはまり、タックスマンの追っかけをして、個人的に仲良くなるまでに発展。

1971年(Year cycle #25)19歳
・中島淳子名義で「小さな恋」にて歌手デビュー。ロック&ブルースが好きなので、ジャニス・ジョプリンのような曲を歌いたかったが当時希望は受け入れられず、清純派アイドルとしてデビューした。しかしあまり注目されず、キャバレー回りの日々が続く不遇の時代を過ごす。

1973年(Year cycle #18)21歳
・夏木マリ名義で「絹の靴下」を発表。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットした。

1974年(Year cycle #19)22歳
・各局の歌番組に続けて出演するなど多忙な日々を過ごすが、低色素性貧血で3ヶ月もの入院と療養を余儀なくされる。復帰した時には仕事が激減してしまう。
・治療のための大量輸血により「性格が丸くなった」という。生死に関わる出来事により、彼女なりのSpiritual Fallが起きたのかもしれない。

1981年(Year cycle #26)29歳
・8年間のキャバレー回りで夢も希望も無くなり、「30代の自分のイメージは今の姿とは違う」と自己申告して事務所を辞める。
・その後ミュージックホールで2か月間働く。他のダンサーたちが忙しいスケジュールのなか楽しそうに稽古を積みながらショーをこなすプロ根性を目の当たりにし、いかに自分が学び足りないかを痛感。「好きという気持ちはなんて素晴らしいんだ」と気付く。ジャズダンスや歌を学び直そうと決意。キャバレーとホールでの魅せ方の違いを学ぶ。

1982年(Year cycle #27)30歳
・ミュージックホールでのショーを見ていた五社監督に見いだされ「鬼龍院花子の生涯」で映画デビュー。女優という新たな分野でのスタート。

1975年(Year cycle #20)~1982年(Year cycle #26)
・テレビドラマ「Gメン’75」に出演。

31-39歳
Cycle number #2
表現者と観客、表現者と監督者、表現者と表現者など、人との関わり方を模索
Pinnacle number #1-10-19
自ら開拓していく環境
Challenge number #6
理想の芝居、理想の自分、芸術性の追求を目指す


ミュージカルへの出演などの声がかかるようになるが、「芝居が好きじゃないのに芝居をしている自分」に気が付く。人に求められ自分が理想とする演技に、実力がついていかなかったり、自分軸がブレてしまう挫折感を味わいながらも、人に叱られ技術を磨いていける劇場という場が好きで芝居を続ける。あるとき集団での自分の立ち位置が分からなくなり、演劇が混沌としてきて一人になって時間を置きたいと考えるようになる。

1983年(Year cycle#19)31歳
・映画「里見八犬伝」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。

1984年(Year cycle#20)32歳
・映画「北の螢」で芸術選奨文部大臣新人賞受賞。

1986年(Year cycle#22)34歳
・ゴールデンアロー賞、紀伊国屋演劇個人賞受賞。

1990年(Year cycle #26)38歳
・単身NYへ半年留学。たどたどしい英語しか話せないがチャンスがあればブロードウェイに立ちたいという思いから、オーディションやダンスレッスンを受け、毎食プロデューサーに自らアポイントを取り会食するなど果敢に自らを売り込むが演出するに至らなかった。しかし、「自分の力でやってみる、ドアを叩けるようになった」ことが収穫という。自分も何かを発信してみたいと思うようになる。

40-48歳
Cycle numbers #2
表現者と観客、表現者と監督者、表現者と表現者など、人との関わり方を模索
Pinnacle number #8
結果が出る、人々を巻き込んでいきながら活動する環境
Challenge number #3
心から楽しみ、表現し、周りを照らすことを目指す


1993年(Year cycle #②-2)41歳
・コンセプチュアルアートシアター「印象派」を発表。海外で高い評価を得る。誰もやったことがない新しい芝居を創りたいという思い、創る楽しさ、表現方法の模索・探求。

1995年(Year cycle #4)43歳
・小西康陽からのアプローチを受けミニアルバム「九月のマリー」を発表。

49歳-
Cycle numbers #8-17
・達成の時、様々な力の中でのバランス、コントロールが要る時期
Pinnacle number #4-13-22
・現象化、社会的な認知・収穫、多忙の連続、ハードワーク、理想の現実化、現実世界での大きな事業の取り組み、組織力、強い感受性が発揮される環境
Challenge number #3
・感性の豊かさを活かした表現力により周りを照らす、楽しみながら人材育成を目指す

2001年(year cycle #11)50歳
・「千と千尋の神隠し」の湯婆婆・銭婆婆の声を演じ、幅広い年齢層に認知される。

2002年(year cycle #12)51歳
・映画「ピンポン」出演。日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。

2004年(Year cycle #③-4)52歳
・著書「カッコいい女!」を出版。

2005年(Year cycle #③-5)53歳
・テレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」に出演。
・著書「81-1」を出版。

2006年(Year cycle #③-6)54歳
・ブルースバンド「GIBIER du MARIE」(野獣とマリ)を結成。アルバムのプロモーションビデオの監督も務める。
・演劇・テレビ・コンサートの多岐にわたる活動と歌唱力で松尾芸能賞演劇優秀賞受賞。

2006年~2014年
・テレビドラマ「医龍-Team Medical Dragon-」シリーズに出演。

2007年(Year cycle #③-7)55歳
・国際NGO、World Visionチャイルドスポンサーとなる。せっかく支援するならまだ行ったことがない国と縁を築こうと、エルサルバドル、エチオピア、バングラディシュの3ヵ国のチャイルドを選ぶ。
・パーカッショニストの斉藤ノヴ(本名:斉藤信男)氏と交際中であると発表し、これをフランス婚と表現し、籍にこだわらないことを明かしている。
・万年筆ベストコーディネート賞受賞。

2008年(Year cycle #③-8)
・斉藤ノヴ氏の楽器と自身の声を持ってチャイルドに会いに行こう!とバングラディシュとエチオピアを訪問。
・「支援を始めてから、自分のことで精一杯だった私が人のことを考えられるようになり、優しく、また強くなったと思います。」「小さなことからでもいいので、心と心を繋ぐ活動をしたい。」
「ゆくゆくはエチオピアのバラ園を買って現地に雇用を生み出し、そのバラが日本にも輸出される。おばあさんになった時に実現していけたらいいな、というような大きな夢を持つようになりました。」
・著書「泣きっ面にマリ」を出版。

2009年(Year cycle #③-9)57歳
・パフォーマンス集団MNT(マリ ナツキ テロワール)を立上げ主宰。ワークショップを通じて後進の指導にも力を入れ、またその功績に対しモンブラン国際文化賞を受賞。カンパニーワークの印象派NEOシリーズvol.1「わたしたちの赤ずきん」を発表。さらに新たなスタートをきる。
・日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。

2010年(Year cycle #③-10)58歳
・支援活動「One of Love」プロジェクト(途上国の子どもたちに未来の仕事を送るプロジェクト)を設立、スタート。一つの愛が集まると何かが変わっていくというメッセージが込められている。どうせやるなら、自分たちらしい支援をと考え、自身らが大好きな「バラ」と「音楽」を軸に、途上国の働く女性と子どもたちに支援している。毎年6月21日(世界音楽の日)に開催されるライブの収益と賛同する日本の花屋さんでのバラの寄付金(売上の15%が寄付に繋がる)で成り立っている。バラの種から選び、品種改良に取り組んだ「マリルージュ」を開発。ライブは様々なアーティストも参加。
・「それまでに色々な団体からのお誘いがあったが、広告塔になるのが嫌だったし、最後まで責任を持てる自信がなかったので、断ってきた。ボランティア精神はそもそもキリスト教に基づくものなので、日本やアジアでその感覚を自然に身に着けるのは難しい。でも、自分には自分からやりたいと思う時期がやってきた。そして実際にやってみたら、こんなにハッピーになれるのかと気付いた。」まさに#6の人の#10の時。
・モンブラン国際文化賞受賞。

2011年(Year cycle #③-11)59歳
・斉藤ノヴ氏と入籍。彼の家族と繋がることで、きちんと嫁として関わりたい、真面目な付き合いをした方がお互い安心だ、とある時感じたことがきっかけ。
・「彼は優しく(器が)大きいので自分も優しくなった。丸くなった。人の意見を聴き、受け入れ、乗ることもできるようになった。人生の後半で誰かと生きるのもいい。」
・支援前は字が読めなかった支援先のチャイルドから震災の影響を心配する旨のメールが届く。
・連続テレビ小説「カーネーション」晩年期の主役およびナレーションで出演。
・テレビドラマ「名前をなくした女神」「バラ色の聖戦」に出演。



――――――――――――――
〈斉藤ノヴ氏との相性〉(1950年11月6日生まれ)
公私共に#7・#8がLostで、#1・#9が特に共通していることから、地位・名誉・ビジネスが目的ではなく、楽しみながら自分たちらしい人道的な活動を共に行える関係といえる。

夏木さんが#4を補い、現実的な問題を対処していると考えられる。

斉藤氏から#6を補ってもらい、本当の愛を学び、彼女の持つ#6のヴァイブレーションが強くなる。

斉藤氏のBirth#5、Destiny#8、Soul#7、Realization#4が彼女のコアナンバーやライフパスとリンクし、さらに彼女の本来の生き方を後押ししている。
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2012年(#③-12)60歳
・「人間60歳(還暦=ロクマル)で生まれ変わる」ときいたことから、今までの人生を振り返りやり残したことをもう一度やろうと、芸能界入りのきっかけでもありパッとしなかった歌をもう一度やろうと決意する。年を重ねることをユーモアに表現し楽しんでいる。
・ザテレビジョンドラマアカデミー賞特別賞受賞。
・ネイルクイーン2012協会特別賞受賞。
・ベストジーニスト2012協議会選出部門受賞。

2013年(Year cycle #④-4)61歳
・エッセイ「私たちは美しさを見つけるために生まれてきた」を出版。
・フジロックへの参加など勢力的なライブ活動で反響を呼ぶ。・NHKラジオ「夏木マリ 丈夫も芸のうち」でパーソナリティ、WEBマガジン「NATSUKI ROCK」natsukirock.comで編集長、音楽トーク番組「夏木スタイルOne of Love」でナビゲーターなど、多方面で幅広く活躍。
・ジャパンシガーアワード受賞。
・ベストドレッサー賞受賞。

2014年(Year cycle #5)62歳
・6月印象派NEO vol.2「灰かぶりのシンデレラ」を公演。かねてから親交の深い斉藤和義氏が夏木マリのために書き下ろした新曲「Player」がTVアニメ「山賊の娘ローニャ」のエンディングテーマになる。
・テレビドラマ「ファーストクラス」出演。

2015年(Year cycle #6)63歳
・自身初の全国ライブハウスツアー「MAGICAL MEETING TOUR Live&Talk2015」をスタートさせ、歌とトークを通して、キャリア44年の圧倒的なパワーを全国のファンに届けた。
・公式ブログ開設(2016年1月)。
・ミニアルバム「朝はりんごを食べなさい」リリース。表題曲は、ゆずの岩沢厚治氏が作曲を担当。(2016年4月)

2016年(year cycle #7)64歳
・全国11ヵ所でライブハウスツアー「MAGICAL MEETING TOUR Live&Talk 2016」を敢行。
・華原朋美、土屋アンナ、シシド・カフカ、LiLiCoと女性コーラスユニット「and ROREs」(アンド・ローゼス)を結成。(2013年6月21日Year cycle#④-4で考案していた)「紅のエピローグ」をリリース。強い女性が集まると、優しいものが生まれるという発見。
・旅行好きがこうじて、H.I.S.ヨーロッパ親善大使に就任。
・テレビドラマ「私結婚できないんじゃなくて、しないんです」に出演。
・印象派NEO vol.3「不思議の国の白雪姫」上演。(2017年3月)





【リーディングを終えて】


卒業レポートの話をきいたときに、なぜかピンときた夏木マリさん。実は、恥ずかしながら夏木さんの作品や著書を見たことはほとんどないが、Birth #6-15、Soul #5などさまざまなナンバーが私とリンクしており、選ばせていただいたことは必然だったのだと分かる。

人生におけるどのステージでも、情熱的でありながら、常に素直で謙虚に、まっすぐ自分の思いを伝え行動している夏木マリさんの人生が明らかになった。どんなときも他者への尊敬と愛を忘れないからこそ、あらゆる年齢・分野の人々に慕われ愛されているのだと分かる。また、過去の苦労や気付きをすべて自分の人生の糧とし、芸術表現を通じて世の人々にメッセージとエールを贈る姿がとても眩しく感じられる。

さらに、自分の魂がイエスと納得するまで行動しない、その時が来たと思ったらあらゆる場所で色々な人と関わり全力で情熱とエネルギーを傾けるという彼女の生き様は、私のSoul#5とリンクし、恐れながら私自身の生き方のモットー「ピンと来たらやってみる、納得できないなら進まない」と似ていることが素直に嬉しい。

彼女の日頃より知性と直観力を楽しみながら磨き、自分の魂の欲求を現実世界で受け入れられる形として表現していくこと、さらに愛するパートナーと手を取りながら、ライフワークとして色々な人を巻き込んで人道的な支援を行う姿は、まさに今世で私が挑戦しようと設定してきた姿そのものであることに気が付き、驚きを隠せない。

私はDestiny#3-12、Challenge#8、Realization#9で、自分の直観を信じ、今後は精神性への探求を生涯続けながら、自分も楽しみながら人々に光を当てていくことができる、そんなライフワークを見つけていき、様々な経験によって得たものを、誰かをサポートする力として現実世界に打ち出すこととなるのだと思う。
今回のリーディングでは、私はまだまだ表現することや行動することが苦手と思い込み、課題なのだと改めて分かった。幼い頃から生きづらさやこの世のスタンダードな人生を歩めていない焦りや劣等感などを感じていたが、自分のライフワークを見据えて、夏木マリさんから表現力の磨き方や周囲の人との関わり方のヒントのようなものをいただく機会となった。
夏木マリさんも不遇な時代や家族問題などを乗り越え、今輝いている。自分らしく生きていく勇気と自信をいただいた。

私も魂が望む本来の自分に近付いていけるよう、愛と感謝を忘れずに過ごしていきたい。





Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Miho @ Keio-Inokashira Class

有川浩(本名:山本浩子)

1972年6月9日生まれ

小説家

 

 

「フリーター、家を買う。」「県庁おもてなし課」「空飛ぶ広報室」「阪急電車」「植物図鑑」「三匹のおっさん」などなど、ドラマ化・映画化される作品を続々と生み出す、小説家・有川浩さん。
 

元々は10代をメインターゲットとした、「ライトノベル」という分野でデビューしているのをご存知でしょうか?
「ライトノベル」の定義は曖昧ですが、漫画テイストの表紙や挿絵が使われているのが主な特徴です。その特徴から、映像化される場合にはまずアニメ化されるのがライトノベルの王道コースです。
しかし有川浩さんの場合、アニメ化された作品は1作のみ(映画・ドラマは11作)。
「圧倒的にドラマ化・映画化の方が多いライトノベル作家」という、異色の作家・有川浩さんについて紐解いてみたいと思います。





●有川浩さんの持つ数字
・本名:山本浩子さん B7(16) D8 S8 P9 R6(15)
・作家名:有川浩さん B7(16) D6 S9 P6 R4(13)



●誕生数「7」好きなものをとことん突き詰める!研究者
生まれ持った資質を示すバースナンバーは「7」。

作家名でも本名でもどちらでも「7」が来ていることから、「7」の持つ深い探究心やスペシャリスト気質は、彼女の根幹とも言える要素でしょう。

家族愛から恋愛、はたまた地方自治体を舞台にしたお話など、様々なテイストのお話を生み出す彼女ですが、実は、デビュー作から4作連続で「軍隊モノ」を書いたほどの軍隊マニア。
陸海空すべての自衛隊を書き、さらに「図書館戦争」という作品ではオリジナルの軍隊を作り上げています。
自衛隊経験者なのかと思うほど詳細な描写がありますが、彼女には入隊経験はナシ。全て彼女の内的情熱による探究心と、凝り性気質に因るものです。

有川浩さんのYearサイクルは、25の7から始まり、13歳で一桁代に戻るまでほぼずっと20番代が続き、さらに13歳で始まったのは2の周期。21歳までずっと2の波動を受けていた彼女だからこそ「とことん調べる側」に回ったと読むことも出来ます。
もし1の波動から始まっていたら、好きが高じて本当に入隊してしまっていたかもしれませんね。

☆彼女の誕生数が「7」であることがよく分かる作品:「図書館戦争」


●運命数「8」実社会で現象化する力に満ちたエキスパート
仕事面に大きく影響が出る運命数は、本名が「8」、作家名では「6」が来ています。

軍隊マニアだった彼女が、その知識や愛情を「小説」という形にしたのは、まさに現実性とバイタリティに富んだ「8」を運命数に持つ人らしいですね。
さらに彼女の小説の登場人物には、超能力や魔法といったものを使える人物は出て来ません。
デビューから四作目までは、実在しない生物や現象が出て来ますが、それ以降はほとんど現実性の高いお話が中心です。
おとぎ話のような世界観ではなく、実社会で起こり得る話・もしくはすでに現実で問題となっているテーマをよく選んでいる点に彼女の「8」らしさを感じます。

また彼女の作風は、時には胸が苦しくなるシーンもあるものの、必ず最後はハッピーエンドで、主人公だけでなく作品を彩る脇役達までも幸せになるのが特徴。
愛と調和の「6」が作家名の運命数に来ているからこその作風だと読みました。

☆彼女の運命数が「8」「6」であることがよく分かる作品:三匹のおっさん


●ソウル数「8」「9」堅実さとバイタリティと強い夫婦愛を持つスーパー主婦
魂の欲求を示すソウルナンバーは本名で「8」、作家名で「9」です。

大学卒業後就職し、結婚を機に家庭に入った有川浩さん。
生活の基盤をきちんと担ってくれるご主人の元で専業主婦として生活しつつ、31歳でライトノベル作家デビュー。
現実的かつ大胆でもある「8」らしい経歴といえますね。

また、彼女の作家デビューのキッカケだけでなく、その後何作も彼女に執筆のヒントを与え続けたご主人。山本浩子さんとしてだけでなく、有川浩さんとしてもご主人の存在は欠かせないものとなっています。
ご主人との強い絆があったからこそ生み出された作品がいくつもあり、作家名のソウル数が「9」であることに深い意味を感じます。

もし、彼女のソウル数が「8」だけだったら、デビュー後ほぼ毎年複数の単行本を出すほどのバイタリティはあっても、「ラブコメ女王」なんて呼ばれ方はしていなかったかもしれません。

☆彼女のソウル数が「8」「9」であることがよく分かる作品:ストーリ・セラー、阪急電車


●人格数「9」「6」冷静だけど人当たりの良い社交家
他者の目に映る表面的人格であるパーソナルナンバーは、本名で「9」、作家名で「6」が来ています。

「小説家」というと、気難しくてで人嫌いなんてイメージを持っている人もいるかもしれません。

しかし彼女は、作品がアニメ化された際に仲良くなった声優から、本2冊も書けるほど様々な話しを引き出せる仲になっています。
撮影中の映画の現場には、出来るだけ通って差し入れを持っていき、手伝えることがあれば協力するなど、気遣いを忘れない姿勢も見せています。

下手をすれば、「話したことを何でも小説のネタにしてしまう人」と敬遠されてしまう可能性もある中、彼女に喜んで体験談を話す人に恵まれているのは、一つは彼女の人当たりの良さゆえ。そして、もう一つは、彼女が見せる世界は必ず優しく魅力的な世界だからという信頼に因るものでしょう。作り話だからと、無遠慮に攻撃的な要素を盛り込むことはせず、あくまで冷静に「人」との交流を大事にしている様が作品からも読み取れます。

「9」の持つ冷静な社交性と、「6」の持つ優しさや親身さが彼女の人格を彩り、仕事や人生にも大きく良い影響をもたらしています。

☆彼女の人格数が「9」「6」であることがよく分かる作品:シアター!、キケン





●実現数「6(15)」「4(13)」:欲を断ち切り社会貢献へ?
本名のリアライゼーションナンバー「6」から読み取ったのは、エンターテイメント作家ではなく、社会貢献に繋がる活動が彼女のライフワークにも繋がっているのかもしれないという点です。

有川浩さんの作品にはデビュー作から、実社会で起きている問題への問いかけといった要素が大なり小なり含まれていることが多いです。
端的な例としては、「図書館戦争」では「表現の自由」について一石を投じていますし、「県庁おもてなし課」では地方自治体による町起こしの難しさが描かれています。「三匹のおっさん」は、50代男性読者に定年退職後の人生について考えさせる作品にもなっています。

近年では子供や母子を題材にした物語や、絵本の執筆も手がけている有川浩さん。

彼女の中に欲や執着心があるのかないのか、それがどんなものなのか、一読者の立場からは推測の域を出られませんが、もしそういったものがあり、断ち切ることが出来た結果が近年の作風や活動に繋がっているのなら、「子供」のことに関わる活動が彼女のライフワークなのかもしれないと、実現数「6」から読み取りました。

また、現在は自身のことを「大人向けライトノベル作家」と自称している彼女の作家名でのリアライゼーションナンバーは、カルミックナンバー「13」を持つ「4」。
カルミックナンバー「13」は破壊と創造を繰り返し、常に学びを喚起されるナンバー。
ライトノベルは子供が読むものという常識を破壊し、大人向けライトノベルという独自のジャンルを創造し、更には自身の得意ジャンルと見られていた「軍隊もの」や「ラブコメ」作品以外のジャンルも精力的に執筆しています。

有川浩という作家名はご自身で付けたものなので、ご自身で「4-13」という実現数を設定し、それを運命数「8」のバイタリティや実行力で立ち向かっているように感じます。

有川浩さんが、次のステージへたどり着いた時、ご自身のことをなんと称するのか楽しみでなりません。





●現在のステージ「9」:揺さぶりの強い作家人生が終わる時
廃人ナンバーとも言われる「9」のサイクルで作家デビューした有川浩さん。
学生時代から賞への応募はしていたものの、その時は作家デビューは叶わずじまいでした。しかし、専業主婦となり、久しぶりに書いてみた小説でいきなりデビューを果たします。
それまで一介の専業主婦だった彼女が、あれよあれよという間に売れっ子作家になり、天国のような世界を見れた一方で、謂れのない誹謗中傷やデタラメな情報を流され一度出版した本を別の出版社に移すなど、売れっ子相応の地獄も経験しています。

この出版社変更問題が起きたのは2014年。イヤーサイクルで見ると「13」の年でした。お知らせが現象として現れたその年以降、彼女の執筆ペースはガクンと落ちます。
それまで年に3本でも4本でも書いていた彼女が、今では年1本ペースです。
自身のブログで、ネジ曲がった記事を書いた情報サイトを名指しで触れたり、心無い人間からの面白半分な悪口コメントにも、自身で対応していたり。
揺さぶりの強い9の時期に、一人で頑張ってしまう「7」や、勝負したがる「8」のアマチュアな部分が出てしまったように思えます。

現在は公的な連絡を出版社越しに取り、ブログのコメントも受け付けないように設定しています。しかし今でもツイッターという広くからコメントが寄せられるSNSを、自身で更新していたり、「ずっと一人で戦っている気がする」といったつぶやきをするなど、まだ少し7や8のアマチュア部分が残っているようです。

しかしあと2年で次のステージ「1」へ移ります。創造性を司る「1」が、イヤーサイクルにも来ているので、新生有川浩が始まる時なのではないでしょうか。

ここ数年の彼女は、筆を走らせるペースを抑え、ドラマや映画の撮影現場に赴き、変化や内省の時間を多く取っているように見受けます。
「1」のステージまでに信頼出来る人との仕事環境を整え、断捨離まで済ませ、満を持しての新生有川浩の始動を心待ちにしています。


●Type2
Lead・Intelligenceが本名でも作家名でも5以上と、高い知性とリーダーシップを持っています。
強い論調でオピニオンリーダーと化すより、リードしないリーダーという存在が適しているので、物語を紡ぎ出すなど直接的でない導き方は最適です。


●イヤーサイクルから見る有川浩さん
・誕生:#25 2の波動を受ける、どちらかと言うと受け身がちな探求者。なるべくしてなったオタク感。

・結婚:3周期 時期は不明ですが、大学卒業後、就職し、結婚して寿退社とあったので少なくとも23歳以降だとすれば3の周期で結婚したものと思われます。ただの仲良しというよりどこか微笑ましい印象を受けるお二人の関係は、図書館戦争や植物図鑑などから見る主人公とその恋人になる相手の、対等の立場で、対等にギャンギャン言い合ってるパターンの多さからも窺い知れます。

・作家デビュー31歳:#11 分岐の年に作家デビュー。一度諦めたはずの小説家への道を再び歩み出し、賞を取り、活動を続けていくことを決意した年がまさに分岐点でした。

・デビュー翌年:#12 二桁が終わる「3」の年。まさに嬉しい・楽しいが詰まった年だったのでは?

・代表作「図書館戦争」発行(2006):#5 これまでの実在する軍隊+ファンタジーな設定という組み合わせから変化を遂げ、イチからオリジナルの世界観を作り出す作風にシフト。「5」の年に現状にしがみつかず変化を選んだのが功を奏したのか、2006年から2008年にかけて、図書館戦争は様々な賞で受賞&ノミネートします。





作品から、作者の人柄を考えることはあっても、作者自身から作風を考えることはしたことがなかったので、今回のレポートで初めての体験でした。
また、ただのファン目線では見いだせない部分が、数秘という観点から見てみると引き出せるのも興味深かったです。個人的に作品紹介や推薦をするのであれば、全然違う内容になると思います。
<「自分の目」だけじゃない視点・観点を得る。>
これが、私が数秘を学んだ上での一番の大きな意義で、それを実感させてもらうために有川浩さんが降って来たのかもしれないと思いました。

図書館戦争、是非読んでみてください。

 

 

 

 

Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Ichiri @ Keio-Inokashira Class

白井剛史(プリミ恥部)
1975年4月2日静岡県生まれ
作家・ダンサー・演出家・宇宙LOVEアーティスト・歌手





プリミ恥部さんのFacebookの自己紹介には「プリミ恥部とは、作家・ダンサー・演出家の白井剛史による音楽プロジェクトの総称である」と、書かれておりますが、最新の著書『愛を味方にする生き方』には、宇宙LOVEアーティスト・歌手と書かれていますので、現在は活動の総称というよりは、アーティスト名と捉えて良いのではないかと思います。

プリミ恥部さんは、現在、どのような活動をされているかと言いますと、一言ではとてもお伝えしきれませんので、私が体験したことを少しご説明させてください。

私がプリミ恥部さん(以下プリミさん)に初めてお目にかかったのは、昨年2016年9月21日。
代官山にあるイベントスペース『晴れたら空に豆まいて』で行われた、彼のLiveでした。

プリミさんの存在は、4、5年前にちらりと聞いたことはありましたが「プリミ恥部の宇宙マッサージ」という、インパクト×インパクト=無限大∞の怪しさで、「いいカンジに仕上がった危ないオジさん」というイメージを持ってしまい、完全にスルーしていました。

それが何故、Liveに赴こうと思ったかといいますと、作家の吉本ばななさん始め、辛酸なめこさんや田村まゆみさんなどが、口々に「受けて良かった」と仰っていたのを短期間に何度も聞いたからでした。
「この頻度で耳にするということは、行った方がいいな」という直感に従ったのです。いわゆる「呼ばれた」ってやつです。

さて、Live会場に到着してしばらくすると、カラフルな大きなハートが全身にちりばめられたLoveパジャマを着たプリミさんが現れました。
髪型も、当時は肩より少し長い髪を片側だけ1本結び、と、そのお名前に負けず劣らずの「怪しさMAX」な風体でした。

ところが、そんな彼とちらりと目が合った途端、私は心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい。私は今までウソばかりついて生きてきてしまいました!」と泣きそうな勢いで謝っていました。
直感的に、ウソのないプリミさんを前にして、自分がとても恥ずかしくなったのです。
そして、会場で売っていた東大名誉教授の矢作直樹先生とプリミさんの共著『気をつかわずに愛をつかう』を購入しサインをしてもらい、握手をしてもらった時に、私の固定観念がまた一つ崩されました。

大きなとても柔らかい手で、握るか握らないかのふわっとした彼の握手はとても心地よく「握手というものは、きちんと握り返さなければいけない」というのは完全に思い込みで、心地よければどうだって良かったんだ、と、自分は無自覚のうちに理由なく「こうあるべき」という概念にがんじがらめになっていたことに気付かされたのでした。

キテレツとも言える彼の風体とは裏腹に、その目や佇まいは、まるで何十年も修行を積んだ修行僧のような、人を見通す澄み渡った目と、静かな、しかし迫力のある空気感で、一瞬にして向き合った人の意識を変えるオーラのようなものがありました。

彼について書かれたブログやツイッターでも、同じような感想を多く目にすることができますので、こういった感想は私の思い込みだけではないのではないかと思います。

ところで、ここでは、Loveという言葉を多用します。
それはプリミさんが多用するからなのですが、Loveは彼が人々に思い出してほしいもの、伝えて拡げていきたいものだからです。

Loveとは非常に概念的なものなので、言葉で説明するのはとても難しいのですが、プリミさんの説明の断片をつなぎ合わせるとそれは一言で「エゴや嘘のない状態」。

「元々Loveが気持ちいいということは人は魂や細胞レベルで知っている。また、宇宙にあるものはすべてLoveでできているということ。それを宇宙マッサージによって思い出してもらえたら頭に訴えかけるより早く、みんながLoveのバイブレーションを出し合って、響きあうことができたら、地球も宇宙も喜ぶし、宇宙全体がLoveになる。」と彼は語っています。

なんとなくそのあたりを雰囲気でつかんでいただいて、この先使うLoveという言葉を捉えていただけたらありがたいです。

…と、すっかり説明が長くなってしまいました。

そんな型破りなプリミ恥部さんのナンバーがどうしても気になってしまい、私は今回、彼のナンバーを読み解くことにしました。

プリミ恥部さんの本名は白井剛史。1975年4月2日静岡県生まれの現在42歳です。





誕生数(Birth Number)19-10-1
その人の深層意識を暗示し、生まれ持った資質、性格、個性に加えて、生きる姿勢や潜在能力などを表す。


プリミ恥部というぶっ飛んだ名前は、「原型、根源的な」という意味のプリミティブと「恥部」を掛け合わせたことで「理屈抜きでなければ…頭で考えてしまったらとてもつけられないようなこの名前にはLoveが表れている」と彼は話しており、また「恥部を解禁し、魂の感じるままに生きる」ということを表現した名前であるということ。ここにまず彼の独創性が表れていると言えるのではないでしょうか。

さらに「人々にLoveを思い出してもらいたい」と日本のみならず世界を飛び回ってなされている『宇宙マッサージ』というネーミングも独創的すぎるほど、ぶっちぎりで独創的です。

自分のインスピレーションを形にする、この世になかったものを形にするといった1の持つ特徴をこれ以上ないというほど、独自の行動力と想いの強さで現実化し、活かし切って生きている方なのではないかと思います。

カルミックナンバー 19
プリミさんは、前世から持ち越したカルマの数字を意味するカルミックナンバーを二つお持ちです。
19で表されているのは、家族や自分の殻から抜け出ようともがく。など。

まさに、彼は「家族だからこうでなければ」といった枠が大嫌いだと著書に書いています。
また、基本的には1人でも寂しくなく、友だちとつるんだりする意味が全くわからないとの発言から、もしかしたら今世では「みんなと一緒に楽しんだり、何かを成す」ということがテーマの一つになっているかもしれません。

さらにカルミックナンバー 10
一般に恵まれた環境で育ち、苦労の少ない幸福な人生を与えられるが、人生のある時期に全く別の道へ変化する場合が多くみられる。前世でやり残したカルマや目的を今世で果たすためのナンバーで、人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多くみられる。

彼は3歳で父親を亡くして、幼い頃はほとんどを祖父母に育てられています。
それは苦労が少なかったと言えるかどうかはわからないのですが、彼は著書に「父性的な社会常識にはまらずに、愛を使うには好条件な環境で育ったことはラッキーだった」と書いています。

彼は、見かけによらず、学生時代には『ポルシェ』というあだ名をつけられたほど足が早く、スピードスケートでは全国大会で入賞するほどのスポーツマンで、スポーツ推薦枠で、さほど勉強をしなくても大学まではすんなり進学できたようです。

大学卒業後は印刷会社に就職し、その後、本を書くことを理由に退職、Live活動をスタートしたことを考えますと、確かに、あるところを境にサラリーマンから全く別の道へすすみ、本を書いたり、歌を唄ったり、宇宙マッサージで人に癒しを与える活動に入っていることは、ご自分の才能を発揮する道にすすんでいる、と言えるのではないでしょうか。


運命数(Destiny Number) 11-2
その人の表面意識を暗示し、誕生数で与えられた才能や個性をどう生かしていくのか、人生における使命や目的、何を実現していくべきかなどを表す。

2は女性性で受容のナンバー。
調整やサポートが上手で、ヒーラーなど癒しを提供する職業が向いているナンバーですが、こちらもまさに宇宙マッサージという方法で現実化しています。

『気をつかわずに 愛をつかう』という著書にある通り、彼は「気を遣ったら即死する」と吉本ばななさんとの対談で話していますが、実際に彼に会うととても優しさを感じますし、無理強い
は絶対にされないな、という感覚が自然に伝わって来ますし、相手をとても尊重してくれます。
それは、愛を使ってくれているのかもしれませんが、そういったところは1の父性と2の母性がうまくミックスされて表現されているように感じます。

また#11でも表される、芸術的才能も、シンガーソングライターの活動や、奥様である映画監督の平岡香澄さんと共同で制作した映画『プリミ恥部の世界』でも生かされています。

#11を持つ人は感受性が鋭く、とても繊細な面があり、精神的に落ち込むことが多い傾向にあり、こちらでも、閉じこもらずに人と触れ合っていくこと、コンビを組む人を考えて探すというキーワードが出て来ます。
また、右脳に偏りがちという特徴もあるようですが、プリミさんの場合はその特徴を活かして、本来人間が持っているLoveを思い出させたいという、ある意味、直感力がなければやりにくいし、できない活動にうまく活用しているのではないかと思います。


ソウル数 (Soul Number) 7
魂の欲求を暗示し、その人の一番大切な価値観、優先したいことなどの強い内的な願望を表す。


探究心が旺盛で、分析力と並外れた直感力を持つ#7の方の特徴は、彼の著書から強く感じられます。マニアックな人に多くみられ、一つのことを究める人です。
彼はマッサージだけでなく、歌や舞、著書の執筆などマルチに活躍していますが、すべては『Love』を起点に行われているという意味では、Loveについてあらゆる角度から究めようとしているプリミさんらしい数字と言えそうです。

プリミさんのLiveは彼オリジナルの歌と、会場を暗くして観客全員が目を瞑った中で行う秘儀の舞(これは、薄眼を開けて見てみると、神主さんの所作のようなとても静かな身体の動きをされていました)、そして希望者全員に行う宇宙マッサージの三本立てで、歌の前には、まずご自分のギターを宇宙マッサージしてから始め、舞では観客の5分の1は席で上半身がゆらゆら揺れだし、宇宙マッサージは100人以上並ぶ観客を1人2分ほどずつ淡々とこなされ、終わった人は皆、良質なヤクでグッドトリップしたかの様にホワ〜ンとして帰るという、見るもの聴くもの全てがぶっ飛び体験、そして料金も「あなたが感じたLoveをお金にしてください」という宇宙料金、いわゆるドネーション制でした。
これらは主に、圧倒的なオリジナリティを追求する#1と、それを徹底的に深めていこうとする#7そしてこれからご説明します人格数#4の合わせ技でできたことではないかと思います。

そして、ここでも再度「心を開いて人と交流すること、なるべく1人にならないこと」というキーワードが出てきました。


人格数 (Personality Number) 4
その人の社会的な仮面(ペルソナ)を暗示し、その人が気づかないうちに身に付けてしまった第一印象、他者の目に映るその人の表面的人格を表す。


人格数に#4を持つ人は、コツコツと生真面目で責任感があり、几帳面、信頼ができる人です。
確かにプリミさんは1人で淡々と宇宙マッサージを様々な場所で日々こなされ、旅の多いスケジュール管理もご自身でされているにもかかわらず、ほとんどスケジュールを飛ばすこともなく誠実なお仕事をされている印象が強いです。

忙しい中、ツイッターでも小マメに発信し、さらに著書の執筆もするなど「パジャマにファラオのリュックを背負って電車に乗っている人」とは思えないような生真面目さを感じます。
これらは彼の持つ#4というナンバーが反映されているからなのではないでしょうか。

#4の人には頑固という側面があるようですが、彼は小学生の頃、国語の先生の示した答えが絶対に間違っていると思い納得がいかず、とうとう先生を泣かせてしまった、という逸話があり
それは#4の人がもつ生真面目さ、それが高じ頑固に転じたエピソードではないかと思います。

またある飲食店でバイト先で、しなくてもいいと言われている場所をしつこく掃除して、そこは彼には氣の淀みが見えたためにしたそうなのですが、いくら注意されてもやめないので、みんなに呆れられたという出来事があり、それも4のもつ一途さと頑固さが出たエピソードではないかと思います。

(ただしこのお話には後日談があり、氣の淀みが感じられたところをプリミさんが掃除したことによって、そのお店は急にお客様が増え、売り上げが伸びたそうです)

今でもLoveが使えなくなるという理由から「自分がしたくないことは絶対にしない」「人間関係のしがらみは絶対に作らない」という彼の信念は、強い精神力で一途に信念を貫き通す実直さが表れている一方で、ともすれば頑固さと周囲には映ることがあるかもしれません。

Realization Number 3
この先、ゆくゆくはどうなっていくのかを表す。


#3は精神的喜びを人に与えること、人々に未知の光を投げかけること、となっていますが、すでに宇宙マッサージや歌や舞、または著書を書くことによって実現されているのではないでしょうか。

強いていうならば、これからもさらにクリエイティブに新しいものを編み出し、マッサージや歌や舞、本の執筆以外にも表現の幅を拡げていくことが重要になってくるのかもしれません。

また何度もキーワードとして出てきている、人と一緒にやっていくということを加えることが新しい表現の糸口になる可能性があるのではないかと考えられます。

Stage Number 6
活躍する舞台の場所を表す。

あくまでもLoveの感じられる場所でLoveを表現し伝えていくのでしょう。
またフラワーオブライフに着目しているプリミさんなので、全体性の調和を常に心がけていかれるのでしょう。

Challenge Number 8
今世でのチャレンジ、試練を表す

#8で、バースナンバー1の逆相のナンバーが来ています。
どうも今世は本気でチャレンジしたい、ということなのでしょうか。
8は組織力を表すナンバーでもあるので、ここでも先ほどからキーワードとして出ている「みんなと協調してやっていく」ということがチャレンジのテーマかもしれません。

Nature Number 14-5
自然に出るその人の雰囲気 素に近い。

自由を求め、障害を乗り越えていく勇気ある魂であり、異様に知性が高いという#5のイメージはまさにプリミさんから感じられるイメージ。
また#14は海外度数でもあり、年に何度も海外に行って活動しているプリミさんらしいナンバーとなっています。

Action Number 2
行動パターン

行動パターンを表すアクションナンバーもディスティニーナンバーと同じ#2で「人に合わせがち」というナンバーなのですが、こちらは、小学生の頃、自分が買う自転車を、たまたま遠くから遊びに来ていたおば様の意見に従って決めてしまったことで、その自転車に乗るたびに猛烈な違和感に襲われ続けたため、もう2度と人の意見に合わせるようなことは止めようと心に誓ったそうです。

それ以来、彼は「人に気を遣ったら即死する」と感じ、2度と誰かに気を使って合わせるようなことはしないように心がけて生きてこられたようです。

それは、就職先の「職員は毎日残業するのが当たり前」になっていた印刷会社で、彼1人だけ本を書きたいがために毎日定時に帰っていた、というエピソードでもわかります。

これは見方によっては「自分勝手」「利己的」という#1の逆相にも見えますが、この徹底した「嘘のない」生き方は、彼が醸し出すオーラのようなものに表れており、今、それがなかなかできず、ともすれば他人ファーストになってしまいがちな我々に「それじゃLove出せないよ」と教えてくれているようにも感じます。





Cycle Numbers
0ー35歳 #4    36ー53歳 #2   54歳ー #4

Pinnacle Numbers
0ー35歳 #6   36ー44歳 #6   45ー53歳 #3   54歳ー#8

Challenge Numbers
0ー35歳 #2  36ー44歳 #2  45ー53歳 #9  54歳ー  #9


2000年8月8日 龍の写真を撮る「神様との対面」#8

2004年 プリミ恥部を発明 #3

2007年5月1日 著書『樹ぴター』出版 #6

2008年 印刷会社退職 
            Live+プリミ恥部な世界 プロジェクト始動 
            ファーストアルバム『シュペルヴィエル』リリース #7

2009年2月15日 『プリミ恥部な世界』映画ショー #8

2010年8月8日 宇宙マッサージを始める #9
                     長女 多有さん誕生

2014年7月30日 矢作直樹氏との共著『気をつかわずに愛をつかう』発行 #4

2017年5月25日 著書『愛を味方にする生き方』発行 #7

2000年#8の歳に龍の写真を撮って「神様と出会った」と感じた出来事から、同じ8月8日10年後の#9の年に宇宙マッサージを始めています。
#8は契約の年、神様との契約が結ばれて#9完成の年に宇宙マッサージという新しい才能を開花しドラマチックに変容された背景には、神様の存在があったのではないかと感じてしまうような絶妙なタイミングです。

2008年#7の年には映画のプロジェクトが始動していたり、初めての本の出版がありました。まさにコンセプトや計画をより深めて才能を開花させる時期に行われています。
また、この年に会社も退職されており、世俗からの離脱を果たされています。

今年はその#7の年にあたっておりますが著書『愛を味方にする生き方』が発行されたことで、彼の中でまた新たなチャレンジに向けて、今後の計画をより深めている時期なのかもしれません。

typeIIで目を引いたのは、サポートナンバーが6、ボディが5と高い数字になっているところです。
サポートナンバーの6は色々な人が助けを求めてくるので見極めさばいていくことが大切というナンバーで、まさにプリミさんそのものだと感じました。
彼の宇宙マッサージのやり方を見ていると、どんなリピーターであれ、初対面の人であれ、まったく同じ態度で、とにかく淡々と行なっているとしかいいようのない雰囲気なのです。

100人以上の人々が「マッサージを受けたい」という想いで自分の前に並んでいたら、普通は軽く目眩がしそうなものですが、彼はまったく動じている様子もなく、むしろ「エネルギーがチャージできるので嬉しい」と語り、顔色ひとつ変えずにあせっている様子もなく、ひたすら淡々と行なっています。

またBODYの5はBODY系のヒーリングが向いているというナンバーで、まさに天命を活かしているということが表されています。

pinnacleナンバーをみると、生まれてから現在までは#6で愛や調和をテーマに学び、2020年からはリアライゼーションナンバーと同じ#3で、独自なクリエイティブな表現をさらに進化させ拡げていくことがテーマとなりそうです。

また45歳以降のチャレンジナンバーが#9であることから、今世では最終的な完成を目指す魂であることがわかります。
個をやり尽くし個を超えていく、ということ、そして、ひょっとすると公的使命を果たす指導者的な存在になっていくのかもしれません。ただし彼の場合は、今までの指導者の概念を大きく覆し、Loveを使ったまったく新しい形で人々を導いていくというやり方で成し遂げることと思います。

彼が持つコアナンバーを全体的に眺めてみますと、絶対的な男性性の1がありながらも、他のナンバーは2、4、7と女性性のナンバーが多く、彼の宇宙マッサージを受けて「母の愛を感じた」とか「グレートマザーのイメージが浮かんだ」などの感想が寄せられているのも納得できます。

ヒーラーとかヒーリングというカテゴリーにはとても収まり切れないような、唯一無二のプリミ恥部さんの宇宙マッサージは、どんなに言葉を尽くしても伝わり切れない独創的なものであり、それはまさにバースナンバー#1の持つ特性がこれでもかとという程、存分に生かされています。

また、全体的なナンバーを眺めてみましても、生まれ持っているナンバーのmature面や人生のサイクルをうまくいかしながら、地位や名誉やお金にこだわることなく、ひたすら1人でも多くの人々がLoveを使える世界になるように、できることを淡々としている素晴らしい魂の輝きを感じました。





私が初めてプリミさんにお目にかかった際に、一瞬で自分の深いところに気付かされたあの感覚は、高みを目指す彼の魂が鏡となって見せてくれたものだったのかもしれません。

今後はたくさんの人々とチームを組んで、さらなる新しい表現方法を編み出し、最終的には一体どんな姿を見せてくれるのか…あまりにも独創的なプリミさんだけに、想像がつかなすぎて楽しみでなりません。


Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Hiromi.T @ Keio-Inokashira Class

小林麻耶 Kobayashi Maya
1979.7.12 新潟県小千谷市生まれ
青山学院大学文学部英米文学科卒業
元TBSアナウンサー
現在フリーアナウンサー



いつも元気いっぱいで明るいイメージが強い麻耶さん。しかし、人から見られる印象と本来の自分とのギャップに悩み、本来の自分とは何だろうと悩んでいたようです。

そんなメディアで見る印象と違う麻耶さんをリーディングしたいと思います。





誕生数 Birthday Number 9
生まれ持った資質、性格、個性、生きる姿勢や才能、その人の潜在能力を表す。
#9は「完結」全体意識、人類愛、正義、外交的だが、内向的、現実的で非現実的。

子供のころは、父親の仕事の都合で転校を繰り返していた麻耶さん。
新潟の小千谷市で生まれ、幼稚園から小学校1年生は埼玉、2年生から5年生までの2学期までは埼玉の違う小学校。5年生の3学期に兵庫に転校して中2までを過ごしてから、中3の時、東京へ。

その学校での出来事として、転校初日に、女の子に呼び出され「女子は全員あんたのこと嫌いだから」と言われ、ただいることで嫌われることを知ったそうです。その日以来、それまで活発だった麻耶さんは、自分から男子に話しかけないように、とにかく目立たないように嫌われないようにふるまうようにしていたそうです。それが学校で生存するための方法だったと話しています。

しかし、男子とあまり話さないようにしていたら、本来の自分よりミステリアスに見えて逆にモテてしまったそうです。その時が一番のモテ期だったといっています。そして、男子から告白されて断るたびにまた女子に呼び出され「なんで断るの。自分」何様だと思っているの」とすごまれ、逆に断らなくても、「なんで断らないの」と言われとにかく悩んでいたそうです。

この中学3年生の時の事柄が原因で他人の評価を気にするようになり、大人になってからも八方美人だったり、みんなに好かれようと自分を押し殺したりと、複雑な二極性でずいぶん悩んでいたのではないでしょうか。

麻耶さんには、三歳下の妹 麻央さんがいらっしゃいます。
同じ職業についたこともあり、よく比べられていたそうです。けんかをしたのは、中3の時楽しみにしていたハイチュウの夕張メロン味を妹に食べられて、「なんでハイチュウ食べちゃったの?」と泣きながら怒った、この1度だけだったそうです。


麻耶さんは妹に対して、「妹には、ちゃんと自分があり、人に嫌な印象を与えず、人の気持ちをザワザワさせることがなく、穏やかでゆったりした性格で自分とは全く違う」と言っています。私は病的に妹が好き麻央ちゃんのためなら命も差し出せるくらい。だから海老蔵さんと結婚してそばにいなくなった時、とても空虚な気持ちになったそうです。  
「海老蔵さんはいいな。かわいい麻央ちゃんを独り占めしてずるい。」というほどでした。9は共依在のナンバーと言われています。麻耶さんは麻央さんに対してそんな気持ちだったのではないでしょうか。だから麻耶さんは麻央さんが病気になったとき、麻耶さんは妹のために、姪や甥のために、周囲のすべての人に対して一生懸命に尽くしたのではないのでしょうか。


運命数 Destiny Number 5
人生における使命や目的、主に「仕事」に大きく影響する。
#5は「変化」自由、多才、冒険心、知性的、柔軟性と機敏さ。

知的分野で新しさを切り開く仕事、変化やロマンのある仕事、芸能、教師がむいているナンバーとされています。麻耶さんは、中高教職免許(英語)をお持ちで、アナウンサーでは人を引き付ける語術が巧みでマルチの才能を持っています。
ある人は、麻耶さんのことを何となく話をしていても自分にとってヒントになることにすぐに気が付く、自分でもどんどん考えてそれについての本もたくさん読んで、次に会う時には、すでに答えを出した状態で「こうなんですよ!」とすごいエネルギーと集中力の持ち主と言っています。
好奇心旺盛や知性的、機転がきくところは5番らしさといえるでしょう。

ソウル数  Soul Number  #1-10
魂の欲求、理屈ではなく根源的なレベルで望んでいる欲求
#1「絶対」創造、独立、男性性、開拓精神
新しいステップへ、明確な目標づくり

麻耶さんは仕事柄たくさんの方にお会いする機会が多いらしいのですが、実は人見知りで緊張も強いのだそうです。恋愛に対しては消極的で、第三者に強く背中を押してもらうか恋愛するしかない状況に追い込まれないとできないピュアな心を持っています。

また、「アナウンサーになりたい」「日本レコード大賞の司会をやりたい」「歌を歌いたい」と思ったときは、とにかくやりたいことを口に出していうようにしているそうです。ただお思ってるだけでは誰もその思いに気づいてくれません。「こうしたい」と伝えると良くも悪くもいろいろなアクションが起こるそうです。
結果、アナウンサーにもなりレコード大賞の司会も5年間やり続けられCDデビューもしています。まさに1の行動力と決断力直観を信じることが夢を実現にし、自分の創造性を表現していくことでしょう。

#10はスピリチュアルフォールと言って、人生のある時期に新たな道へ進む場合が多くみられます。前世でやり残したカルマや目的を今世で果たすためのナンバーで人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多くみられる数字です。
コアナンバーと同じ数字が来るとその数字の持つ意味が強くなると言われており、イヤーサイクル10の時に献血の大切さを多くの皆様に伝えていけるようしっかり努めていきたいと新たに決心しています。献血していただいた血液が一番使われているのが、癌の治療だそうです。健康だからこそできるのが献血。できることをできる範囲でと話されています。
また、麻耶さんは数秘を勉強され、資格を取得されているそうで、アメブロ限定でセッションも行っているそうです。

人格数 Personality Number 4
他者の目に映るその人の表面的人格、気づかないうちに身に着けてしまった第一印象
#4「安定」固定、形成、信頼、真面目

#4はコツコツ、生真面目、責任感であり几帳面、マイホーム的、信頼できる人、また場合によっては苦労している人に見えてしまうなどの印象ですが、麻耶さんはどうでしょう。
メディアで見る麻耶さんは、活発で多才、如才なく予想不可能、なんだか魅力的な印象を受けます。これは#5の人が、他人から見られやすい印象です。麻耶さんは4の逆相の5が全面に出ているのではないのでしょうか。中学生時代の経験や世間からの印象。見た目と中身のギャップから本来の自分を出せず、逆相の5が出ているのではないのでしょうか。

Realization  Number  5-14
今回の人生での可能性や実現性

麻耶さんは大学生だった21歳のときに、たまたま声をかけられてオーディションを受け、明石家さんまさんが司会の「恋のから騒ぎ」に出演します。
そこで初めて接したテレビの世界に魅了されてアナウンサーを目指し、TBSのアナウンサーになります。先輩アナウンサーに「レコード大賞の司会を5年間やり続けられたら、アナウンサーとして認められた証だよ」と言われ、その言葉の通り、5年間きっち務めあげたそうです。

その後、TBSを退社し、フリーのアナウンサーになっています。やりたいと思ったことはまずはやってみる。人に「無理だ」と言われた時の負の言葉を怒りのパワーに変換して乗り切っていたそうです。怒りのパワーは相手に直接むけると良くないが、自分を燃やす燃料にとても役立つと言っています。TBS時代、たくさんの番組を経験し、人とのつながりを作りTBSという枠の中での学びを今度はフリーという枠にとらわれず自由に智慧に変えていくのでしょう。
運命数と同じ5とカルミックナンバー14もあるので、テーマは自由(フリーアナウンサーの実際に見える自由さと真の心の自由)を麻耶さんは今後も学んでいくのではないのでしょうか。





Stage  Number 7
活躍する舞台
TBSアナウンサーからフリーのアナウンサーへ、また、本の出版やCDデビューと、常に探求心を持ち続ける麻耶さん。数秘について「コバマヤ数秘術」と言ってやっているそうです。
「人にはいろいろ好きなものがあるが、私は数秘術が好きなんです。すっごく楽しい」とアメブロで書いているほど。好きなことを書けなくなるのは悲しいので、アメーバ限定でセッションをやるそうです。探求心を持っている麻耶さんなので数秘を極めて飛躍まで行くのではないのでしょうか。

Challenge  Number 1-10
チャレンジする課題
ソウルナンバー1と同じ数字。世間からみられる印象と自分の内面との違いで悩んでいた麻耶さん。もっと自分に自信をもって自分を自分でほめてあげることで現状打破し、オンリーワンの自分を表現する。オリジナリティーをもっと全面に出していけると新しいステップへ。

Nature  Number 8 
自然に出るその人の雰囲気
麻耶さんのように人に好かれようと一生懸命になりすぎて空回りしていく感じは、10代くらいからある一定数の女の子たちが経験すること。麻耶さん自身も、自分はそういう病の象徴かと思い「小林麻耶という病」と呼んでいると。人に尽くしすぎて傷つくことも。6は愛を知るナンバーなので、まずは自分を満たし、自分を愛すること。NOという勇気。自分の自立性、精神性の向上のための真の救済を行うことが自己回帰していくでしょう。

TypeⅡ
9項目に及ぶその人の「特質」を知ることが可能
0,1は特質的な数字、5を超えた場合も特質的な個性としてフォーカスする

麻耶さんの場合は、0,1,5はなく、全体的にマルチでバランスが良いといえるでしょう。2が2個、3が5個、4が2個なので、ナンバー3に着目すると、自分が楽しむことで他人にも楽しみを与えるライトワーカーでありエンターテイナー。「笑う」をキーワードで真実を見つめること。表現することによって本来の自分に近づいていくでしょう。
          
Balance プラス8
プラスの場合→先天的にたくさんの資質を与えられている
マイナスの場合→後天的にたくさんの資質を経験によって得る


麻耶さんはプラス8です。5以上だと持っていても資質に気が付かないことが多いとされています。自分の「これが!」がなかなか見つからない人が多いそうです。



 

History
Cycle Number 環境や大きな流れ、学びのテーマ
Pinnacle Number 状況、環境
Challenge Number 挑戦する課題
 
0~27歳
Cycle #7    精神性への目覚め、本来の自分を内省し精神の充実を図り平穏さを保つ
Pinnacle #1-10  自己主張して、行動することによって現状打破していく
Challenge #4   基盤づくり、軌道修正

7回の引っ越しをする中で環境や人間関係を学んだ時期。
アナウンサーという夢を実現。たくさんの番組や多忙な日々、多くのことを経験し視野を広げる。

28~36歳 
Cycle #3-12   表現より多くの経験、楽観性、想像力を発展し豊かさを受け取るコラボレーション
Pinnacle #2-11  バランス、学び、穏やかさを妥協、人生の分岐点
Challenge #5  破壊、新しい風、外向きに活発化する

29歳(イヤーサイクル11)の分岐の年にTBSを退社。プライベートな時間を自分で上手に作ることができず徐々に心と体のバランスを崩していき、フリーになってからは自分のペースで仕事をして、親との旅行などやりたかったことができるようになったと話しています。Challengeナンバーが4から5へ変わっての出来事。バランスを取りながら、沢山真実に目を向けようよ、表現していこうよと最愛の妹麻央さんの結婚で喜ばしい反面、妹さんの病気が見つかり闘病を支え、Cycle3愛がテーマだったのでしょう。

37~45歳
Cycle #3-12   表現、より多くの経験、ライトワーカー、エンターテイナー
Pinnacle #3-12  豊かさを受け取る、感性、視野の拡大
Challenge #1  不要なものを整理して新しいステップへ、開始

現在38歳で、イヤーサイクルが11の分岐の年。麻央さんが旅立たれてすぐ11サイクルに入っています。勇気と決断をもって麻耶さん自身の道を進んでいく。来年はイヤーサイクル12。Cycle#3-12と3が重なってきますので、より自分の感情を誠実に表現し、内的エネルギーを解放し「笑う」をキーワードに人生が楽しめるともっともっと麻耶さんが輝けるのではないのでしょうか。

2017年、6月22日最愛の妹 麻耶さんが乳がんのため旅立たれました。最期の言葉が「愛してる」と…。海老蔵さんや、病室にいた両親や姉の麻耶さん。すべての人に対して向けた言葉だったのではないのでしょうかと、小林麻耶さんのリーディングをして思いました。

 

1979年 0歳 Year Cycle27 
新潟県小千谷市に生まれる。
父親はいつか嫁いで「小林」ではなくなるから「林」だけでも一生持っていてもらえるようにと「麻耶」と名付けたそうです。

1994年 15歳 Year Cycle6 
父の転勤で何度も転校をしていた。中3の時転校の初日にいじめにあう。

2000年 21歳 Year  Cycle12 
青山学院大学在学中「恋のから騒ぎ」の8期生として出演。最前列に座る。

2003年 23歳 Year  Cycle5
アナウンサーとしてTBSに入社。

2004年 25歳 Year Cycle7 10月~12月
チューボーですよ!」の4代目アシスタントに就任。
「輝く!日本レコード大賞」の進行役を務める。(~2008年まで)
初のラジオ番組への出演。
 
2005年秋 26歳 Year Cycle8
初のラジオ番組レギュラー。

2006年秋2007年2月 27才 Year Cycle9 
秋 バレーボール世界選手権のキャスター務める収録に向かうタクシーに乗っていたら後続車が追突・入院。全治3週間。
 
2009年3月 29歳 Year Cycle11
TBS退社。
アメブロで公式ブログ開設。
「総力報道THE NEWS」のメインキャスターを務める。

2010年3月 30歳 Year Cycle12
「総力報道THE NEWS」終了
6月 「LOVE in Action」のラジオのパーソナリティーをすることに(現在も続いている)
1月  妹の麻央さんが市川海老蔵さんと婚約

2010年7月 31歳 Year Cycle13 
麻央さん挙式。
2011年春 ポーラ化粧品のCM、姉妹そろって共演。

2012年 33歳 Year Cycle6
ラジオ「ザ・トップ5」でジェーンスーさんとの出会い。

2013年 34歳 Year Cycle7
「嫌われる勇気」の本に出会い考え方が変わる。
妹の麻央さん 人間ドッグで乳房のしこりが発見。

2016年1月 36歳 Year Cycle9 
ブリカマぶるーすでCDデビュー。
5月 TV「バイキング」生放送中に倒れ長期療養。
  「まや道向かい風でも笑顔の理由」を出版記念イベント中止。
6月 海老蔵さんが緊急会見「麻央さん、乳がんだと」会見する。

2017年4月 37歳 Year Cycle10 
11か月ぶりにテレビ復帰(自分のためには外出できないが妹のためには外出できたと療養中のことを話す)
中止していた自著の出版記念イベント
6月22日 最愛の妹さん麻央さんが旅立たれる

2017年7月 38歳 Year Cycle11 
現在
9年続いた「LOVE ㏌ Action」のラジオ番組が12/28で終わります。




 

 

リーディングを終えて

アナウンサーという成功と華やかな世界にいる活発で多才、いつも明るく笑顔の麻耶さん。
しかし、メディアにうつる麻耶さんから想像もつかない程、人の目が気になり、皆に好かれ
たいといつでも精神のアンテナがはった状態。良い娘、良い姉、良いアナウンサーでいなけ
ればと演じてきたのでしょう。
自分を愛することで他人も愛することができ、そして自己回帰していくと学んでいったのではないでしょうか。

麻耶さんの本を読んで、一番最初に「笑う門には福来る」の言葉が目に飛び込んできました。
私自身もこの言葉をモットーに頑張っていた時があったのでした。他にも私とリンクするところがあり、小林麻耶さんを選んだのは偶然ではなく必然だったのでしょう。

あと数か月で私はイヤーサイクル11になります。今の麻耶さんと同じサイクルになります。

麻耶さんの言葉“本来の自分へ向かう勇気と決断の時、未来はとても面白いから”は私へのメッセージでもあるのでしょう。

 

 

 

 

 

Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Hiromi.S @ Keio-Inokashira Class

アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)
1889年4月20日
ドイツ国首相/国家元首/国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)指導者







1.ヒトラーとは何者か

最大の悪人
20世紀最大の悪人として数えられるアドルフ・ヒトラー。第2次世界大戦を引き起こし、ユダヤ人の虐殺を率いたとして、その悪人ぶりは群を抜いている。
強いリーダーシップを発揮する政治家に用いられる非難の言葉も決まって、ヒトラーのようだと例えられる。20世紀に同じく独裁政治を敷いたスターリンやムッソリーニが引用されることは少ない。

また、ヒトラーの人物像を巡る解釈や証言は様々である。そしてそのほとんどは、ヒトラーを一方的に非難するものばかりだ。それは、ヒトラーに敵対していた人々が自らを正当化する意味や、ヒトラーに敵対ないし迫害されていた人々が現在そのことで利益を得ている場合もあろう。「勝てば官軍」で、戦勝国側の歴史の判断が反ヒトラーに傾いているという面が多分にあるに違いない。

このように、現在語られるヒトラー像は、誰かに都合のよいものになっている可能性が多分にある。ヒトラーも自身のプロパガンダのため、その実像が掴みにくくなっていると思われる。


そこで本稿では、数秘という先入観を介さないツールを用いて、偏見に満ちたヒトラーの実像を解明する一助とする。本稿ではヒトラーの基本的な性格やその特徴的な点を数秘で確認する。その後、ドイツや世界の歴史に影響を与えたヒトラーの出来事を年代順に見ていき、数秘の観点からその持つ意味を明らかにする。


救世主として
最初にヒトラーのコアナンバーを確認する。ヒトラーは1889年4月20日生まれである。パーソナリティーナンバーは8だ。パーソナリティーナンバーとしての8は「パワフルな仕事人間」、「アピール上手な人」、「仕切り屋」、「クールな存在感」等の印象を他人から持たれていることを意味する。ドイツやナチス党を強力なリーダーシップで率いたヒトラーの印象はまさに8そのものだ。ユダヤ人と共産主義者をドイツの敵だと断定し、理想のドイツを力強く演説するヒトラーの姿は8を彷彿とさせる。

 

またアウトバーン建設等による失業対策の成功、景気の回復、第1次世界大戦で敗れたフランスを第2次世界大戦の緒戦で撃破する等の功績からヒトラーは多くのドイツ国民から信奉されていたが、これは8の持つ「カリスマ性」とまさしく符合する。ヒトラーも自身のイメージをよく理解して行動していただろう。8は白黒はっきりさせるという意味も持つが、実際のヒトラーは決断を先延ばしにする傾向もあったようで、この点については後述する。


5の長所を最大限に生かす
バースナンバーは5-14である。バースナンバーとしての5は、「変化」や「多芸多才」、「雄弁」等を表す。この意味通り、ヒトラーの人生は変化に富む人生だったということが出来る。学生時代に芸術家を志していたものの、美術学校の受験に失敗し、一時期風来坊のような生活を送っている。そこから第1次世界大戦に兵士として参戦し、ドイツの敗戦後は軍隊での指導役を務めた。

 

また、当時の政府に敵対する組織に対するスパイ活動のような任務も行っている。そこから後のナチスに入党し、権力闘争を勝ち抜いて党首となり、やがては国政へと打って出る。このような変遷の多いヒトラーの人生を支えていたのは5の「変化」や「多芸多才」と言うことができるだろう。ヒトラーのタイプⅢのバランスは-6である。後天的に多くの資質を経験によって得るタイプであるが、5の持つ活動力で多くの資質を獲得していったのだろう。
 

ヒトラーのバースデーナンバーは5から14に移行する。14は海外度数と言われ、海外との縁が深い数字である。ヒトラーはドイツで首相になったものの、もとはオーストリア生まれでドイツ自体が外国である。また、戦争で一時期は西ヨーロッパのほぼ全てを支配し、東はロシアにまで戦線を拡大していた。海外度数が示す通り、外国と非常に縁の深い生涯だったと言える。
 

ヒトラーは「5」の持つ長所を最大限に生かしていた。5は新し物好きで、それをうまく取り入れる力がある。実際に選挙演説の際には当時本格的に利用が開始されたラジオやスピーカーを巧みに用いて遊説を行っている。飛行機も有効活用し、1日のうちにドイツ各地で演説を行い、支持の拡大に努めた。

また当時の政治家は視覚的な情報が大衆に与える影響を理解できず、写真を撮られることを嫌っていたというが、ヒトラーは写真を積極的に利用し、多くの自身の写真を撮らせている。「雄弁」という5の才能がヒトラーの演説を巧みにさせたのは言うまでもない。また、タイプⅡのエモーションも5で、鋭利な感受性で聴衆の気持ちを掴み、激しいエネルギーで聞く人の心を動かしていったのである。
 

しかし、ヒトラーは5のアマチュア面の影響も受けていた。ドイツの著名なジャーナリストであるセバスチャン・ハフナーによると、ヒトラーは前述の通り優柔不断で結論を先送りにする面が見られたという。これは、「首尾一貫しない」、「混乱と分裂」等の5の短所が現れ、決断を遅らせていたと解釈することが出来る。
 

このようにヒトラーは、バースナンバー5の短所を持ちながらも、多芸多才な才能で変化に富む人生を、進取の精神で生きてきたということが出来る。






霊能者ヒトラー
ヒトラーのデスティニーナンバーは2-11である。2のミッションは「イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化すること」である。第1次世界大戦では一介の兵士に過ぎなかったヒトラーがナチ党の党首となり、首相となって、やがては大統領職の権力も合わせて総統となり、ユダヤ人迫害やドイツの生存圏拡大等、自身の理想をドイツに実現していった過程を鑑みるに、良きにつけ悪しきにつけ、ある意味で2のミッションを最大限に果たしたと言えるだろう。

 

また、2は芸術も意味する。前述のようにヒトラーは美術家や建築家を目指しており、実際に絵画を売って生計を立てていたこともある。政治家になってからも、芸術に高い関心を示し、建築物や演説会場の設置において優れた芸術家を登用している。ヒトラーはまた第2次世界大戦後期にお抱え建築家のアルベルト・シュペーアを軍需大臣に指名している。建築物を設計、建造する際の事務的な能力の高さを買っての指名であったが、芸術そのものを評価していればこその指名ということもできるだろう。


ヒトラーは、霊能者としても知られている。第1次世界大戦の際には、戦場で人間ではない何者かの声を聴き、その声に従ってその場を離れた結果、今いた場所が攻撃に遭ってそこにいた味方が全員死んだこともあったという。このような体験を戦場で何度もしている。

また、イスラエルの建国や日本が第2次世界大戦でドイツ側で参戦すること、日本に原子爆弾が落とされること等を予言したとも言われている(ヒトラーの予言は、バースナンバー14の持つ予見力に由来するものと言えることもできる)。

 

しかし、霊能者としてのヒトラーは、一般的な研究書にはなかなか出てこず、採り上げられたとしてもオカルトや陰謀論を扱う書籍で扱われる程度である。それでは、ヒトラーの霊能力は検討に値しないものだったのだろうか。

 

ここでは、デスティニーナンバーの11に着目したい。11は「霊性」を意味する。霊的感受性が高く、高次からのメッセージを受け取ることが出来る11を持つヒトラーは、霊能力を持っていた可能性が高いと思われる。実際ヒトラーは自分にメッセージを送ってくる存在を認識しており、「あいつ」に憑依されていることを述べている。こう考えると、人々を夢中にさせた神がかった演説も、11による霊性の発露と言うことが出来るかもしれない。


純粋すぎた故に
ヒトラーのソウルナンバーは3-21である。3は子供のような純粋を表し、楽天的で創造性豊かなことを表す。

ヒトラーの人生を鑑みるに、3の意味が最も現れたのは、自分の理想に純粋過ぎたことだと思われる。すなわち、他国を侵略してまでもドイツ人の生存圏を拡大することや、世界を牛耳るユダヤ国際資本を倒すため、ドイツ及び占領地域のユダヤ人を抹殺すること、ユダヤ人だけでなく障がい者やジプシー、共産主義者等、優秀で健康なアーリア人の国家建設に不要な人々を抹殺することなど、自分の理想に純粋に、かつストイックに実行に移していった。当時からこれらの政策は批判の目が向けられていたものの、妥協を許さずに非人道的な施策まで用いて純粋な理想を貫こうとした姿勢に、3の持つアマチュア面が大きく出ていると言える。


信じる者は己のみ
ヒトラーのリアライゼーションナンバーは7である。7はスピリチュアルな意味合いも強く、精神性の探求を実現したいとヒトラーが欲していたと解釈することもできる。実際ヒトラーが単なる物質的な利益を超えて、純粋なアーリア人からなる理想の千年王国の実現を目指しており、精神性の面から7を解釈できる。


しかしここでは7の「独力で物事に対処する」 ということに着目したい。すなわち、ヒトラーは自分の力のみで大ドイツ帝国を築こうとしていたと捉えたい。実際ヒトラーは首相になった後も、時の大統領ヒンデンブルグが亡くなった後その地位も併せ持った総統に自らを就任させ、ドイツで最高の権力を手にして政治の采配を振るった。

軍首脳がスキャンダルで辞任した後(国防大臣ブロンベルク)、後任を置かず自らがその役割を引き継いだこともあった。大臣と閣議を行う回数も年を経るに連れ少なくなっていき、独裁と批判されるまでになった。戦争の過程では、敗戦が近づいていた状況でも軍人の忠告を無視して無謀な作戦を立案し、多くのドイツ軍人を死に追いやっている。
 

多くの人と交流し、心を開放して真実を分かち合うことが7の課題であるが、真反対のことを行っている。ここでも数字のアマチュア面が出ていると言えるだろう。デスティニーナンバーの11もパートナーシップの数であるが、誰かと組んで政治に当たった面は限りなく少なかった。そうであるからこそ、チャレンジナンバーが7だったのではないか。今世チャレンジするテーマが7で、深い精神性を探求し、皆でそれを分かち合うことにチャレンジするはずが、真逆の人生を歩んだと言える。    


それでも「人道的」だったヒトラー
ヒトラーのステージナンバーは9である。活躍する舞台が、人類愛や博愛、人道に関することを表す。しかし、ヒトラーが実際に行ったことはそれからかけ離れている。

それでは、ヒトラーは9の意味を全く発揮しなかったのであろうか。単純にそうだとも言い切れない。実際、景気回復、大衆車フォルクスワーゲンの普及、アウトバーン建設による失業者対策、ドイツへの好条件での帰還事業等、ドイツ国民やヨーロッパに広がるドイツ系住民のためにヒトラーは「愛」を持って政策を実行している。

 

それでは、迫害されたユダヤ人、ジプシー、共産主義者等は何だったのか。答えは簡単で、彼らはヒトラーにとって「人間」ではなかったのである。これには、デスティニーナンバーの2の暗黒面が強烈に働いていたと見ることが出来る。すなわち、善悪による対観念である。アーリア人=善、それを邪魔するユダヤ人、ジプシー、共産主義者等=悪という構図がヒトラーの中で固定化され、ひいては両者の間に人間と人間でないものの境界線が強固に引かれたわけだ。これに2の妄想癖が追加され、ユダヤ人が陰謀で世界を征服しようとしているという考えがヒトラーの頭に厳然とした事実として現れた結果、多くの悲劇が引き起こされたのだと思われる。





2.「怪物」の歴史

 ◆0~31歳(サイクル4、ピナクル6、チャレンジ2)
ヒトラーの31歳までの人生は主に幼少期、少年期、青年期を経て第一次世界大戦に従軍し、ドイツ労働者党(後のナチス党)に入党するまでの期間である。サイクルナンバーは4で、これからの人生の基盤作りの時期に当たる。若かりし日や戦争での様々な体験が、今後のヒトラーの人格形成において大いに影響したであろう。


ピナクルナンバーは6である。当時のヒトラーは、6の通り家族関係が人生の選択に影響していた。父親は自分と同じ官僚の道にヒトラーを進ませたかったが、ヒトラーはこれを嫌った。父親は職業に直結する実科学校にヒトラーを通わせたが、嫌々勉強していたからか成績は芳しくなく、卒業できなかった。結局ヒトラーは父の死後実家に戻り、その後ウィーンの美術学校を受験するが失敗する。その後母親も死去し、心の支えを失ったからか翌年の再受験にも失敗した。また、ヒトラーが祖国のオーストリアからでなくドイツから戦争に参加したのは、オーストリアの官僚だった父親への反発という面もあった。
 

チャレンジナンバーは2である。協調性や感受性を学ぶのが課題とされるが、この時期にこれらの課題をヒトラーが積極的に学んだとする文献は見当たらない。このことが後の悲劇を生む1つの要因になったのかもしれない。
 

1889年4月20日 オーストリア・ブラウナウで生まれる(0歳、サイクル14)
→ここから、激動と波乱の(5(14))のヒトラーの人生の幕が開ける。

1907年 画家を志し、ウィーンへ移住。美術学校の受験に失敗(18歳、サイクル14)。
→結果的に失敗したものの、クリエイティブ能力が高まるサイクルの14のときに美術を志し、移動が多い5(14)の時にウィーンに移住した。

1914年8月 第一次世界大戦勃発。バイエルン連隊に志願入隊(25歳、サイクル21)
→ヒトラーが祖国のオーストリアからでなくドイツから入隊に志願したことは、自分のドイツ人としての強いアイデンティティを示す一種の自己表現(3(21))であった。

1919年9月16日 ドイツ労働者党(後のナチス党)に入党(30歳、サイクル17)
→第一次世界大戦の敗戦後、軍の諜報部門にいたヒトラーはドイツ労働者党を偵察したことがきっかけで入党する。ヒトラーのバイタリティーあふれる(8(17))政治家としての活動開始である。


◆32~49歳(サイクル2、ピナクル1-10(32~40歳)、ピナクル7(41~49歳、チャレンジ6(32~40歳)、チャレンジ4(41~49歳 ))   
 
ヒトラーの32~49歳の時期は、おおよそナチスの党首に就任してから、第2次世界大戦が勃発するまでの期間である。

この時期のサイクルナンバーは2だ。調和や協調をテーマとする期間だが、ヒトラーが行ったことと、調和や協調の接点を見つけることは難しい。0~31歳のチャレンジナンバー2の続きとしてヒトラーの人生に設定されたのかもしれないが、自国及びドイツ人と、他国及び非ドイツ人との境界線を明確に設け、自分側でない方を一方的に攻撃するというデスティニーナンバー2と同様のアマチュア面が出た時期となった。
 

32~40歳のピナクルナンバーは1-10である。ナチス党首という党のリーダーとして活躍することが求められた。そして10の通り支持者に希望と活力を与えた時期だった。41~49歳になるとピナクルナンバーは7に移動する。野党のナチス党首としては、与党を攻撃するため国民の側に立つことを要求されたが、 首相、総統となるとポピュリズム的に攻撃する相手もなくなり、7の孤独主義が要求されることとなった。
 

チャレンジナンバーは4である。これはバースナンバー5のアマチュア面の散漫さに対するアンチテーゼあろう。時として首尾一貫しない姿勢に対して、着実に政策をこなすことがヒトラーの課題であったのだ。

1921年7月29日 ナチス党首に就任(32歳、サイクル19)
→ナチス党首に就任し、政治家としての活動を本格的にスタート(1(19))させる。

1923年11月8日 ミュンヘン一揆(1924年4月に有罪判決、12月出獄)(34歳、サイクル21)
→ヒトラー首謀(21の1)で武力による政府転覆を図ったミュンヘン一揆は失敗に終わり、刑務所での生活を余儀なくされた(21の2)。
 
1924年 『我が闘争』口述筆記(35歳、サイクル22)
→獄中でヒトラーは自分のビジョン(22)を描いた『我が闘争』を口述筆記する。

1932年7月31日 ヒトラー率いるナチス、国会の第1党に(43歳、サイクル21)
→この年ヒトラー率いるナチスは初めて国会の第1党に選出された(21の1)。しかし、議席の37.3%で過半数を越えられず、単独政権を樹立できなかった点に21の2が見て取れる。
 

1933年1月30日 ドイツ首相に就任(43歳、サイクル21)
→ ついにヒトラーが首相に任命される(21の1)。しかしナチ単独政権でなく、連立政権でかつ少数与党であり、ヒンデンブルク大統領の協力を得なければならなかった(21の2)のも事実である。

1933年3月23日 全権委任法可決、ヒトラーの独裁確立(43歳、サイクル21)
→首相が国会審議を経ずに全ての法律を制定できる全権委任法が可決し、ヒトラーの独裁が確立する(当時発生した国会議事堂放火事件で共産主義者が逮捕された。ヒトラー政府はこれを共産党による国家転覆の陰謀だとし、左派の国会議員を拘束したことなどから、同法の可決が可能になった )。

これはサイクル21の時の出来事だが、この法律をもとにヒトラーが大きなビジョンを実現に移していったことを鑑みると、4月20日の誕生日から始まるサイクル22の影響の方が強いと言える。

1934年8月2日  ヒンデンブルク大統領死去に伴い、総統に就任(45歳、サイクル23)
→ヒンデンブルク大統領死去に伴い、ヒトラーは首相と大統領の権限を合わせ持った総統となった。ドイツで最高の権力を持つ国家元首ヒトラーの誕生である。これによりヒトラーの野望を大胆に追及する(5(23))権力を手に入れたのだ。しかし、それと同時に後に起こる波乱の開始でもあった。

1935年3月16日 ベルサイユ条約破棄、再軍備宣言(45歳、サイクル23)
→第1次世界大戦に敗れたドイツは、ベルサイユ条約を結んだ。この条約はドイツに非常に不利な内容で、ドイツ国内で大変評判が悪かった。ドイツの再軍備を禁止していた同条約を破ってヒトラーが再軍備を宣言したことは、5(23)の自由への渇望を宣言するに等しかった。

1936年3月 ドイツ軍、ラインラントに進駐(46歳、サイクル24)
→ロカルノ条約で非武装地帯となっていたラインラント(ドイツ西部のライン川沿岸一帯)にヒトラーの指令でドイツ軍が進駐した。フランス軍の反撃を恐れつつも、自身の理想(6(24))とするドイツに向かって着々と手を打っていく姿勢からは、24の4を想起させる。

1938年3月 ドイツ、オーストリアを併合(48歳、サイクル17)
→ヒトラーは長年の悲願だったオーストリア併合を実現した(8(17))。同じドイツ民族が国境で隔てられた状況はヒトラーにとって何の意味もなく、早晩同一になるべき存在であったのだ。

1938年11月9~10日 水晶の夜(49歳、サイクル18)
→ヒトラーが政権を獲得してから、ユダヤ人の公職追放、ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚の禁止、ユダヤ人著作の焚書等、反ユダヤ人政策を進めていった。その内の1つの象徴的な出来事が水晶の夜である。ユダヤ人少年にドイツ人外交官が殺害されたのをきっかけに、ヒトラー政権は報復としてユダヤ人のシナゴーグ、商店や企業をナチ党員に襲撃させた。しかし、このような所業もヒトラーにとっては人道的な正義の表れでしかなかったのである(9(18))。





◆50~56歳(サイクル8、ピナクル3、チャレンジ4)
50~56歳は、第2次世界大戦開始から自決するまでの期間である。サイクルナンバーは8だ。その時期のテーマは統率力だった。良きにつけ悪しきにつけ、ドイツを勝利に導かねばならない。持ち前の天才的な演説で国民を鼓舞し、勝利に向けて勇気づけていった。
 

ピナクルナンバーは3である。緒戦はドイツ軍優位であったものの、徐々に苦境に立たされていく祖国ドイツ。そこで求められたのは、3の持つ豊かな創造性ではなかったか。イギリス侵攻に手を焼いている中で米ソへ戦端を開くには、現代の解釈では無理がある。戦争に勝利とまではいかずとも、講和に持ち込むのために常識を超えた創造性で巧みな戦略を立案し、局面を打開するが必要があったではなかったのか。
 

チャレンジナンバーは4だ。これは41~49歳の時と同じで、バースナンバー5の混乱と分裂から自らを諫め、政策を着実に現実化することが課題であったと解釈することが出来よう。
特に戦争末期は、デスティニーナンバー2の妄想癖もあり、いもしない軍隊がソ連軍に包囲されたベルリンの自分を救いに来ると信じたりしていた。50~56歳のチャレンジ4が課題としてより強いものになっていたと言えよう。

1939年9月1日 ドイツ、ポーランドに侵攻。第2次世界大戦勃発(50歳、サイクル19)
→ヒトラードイツはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦の火蓋が切って落とされた(1(19))。しかしそれはヒトラーにとって終わりの始まりでもあった(19の9)

1942年6月 アウシュビッツでユダヤ人大量ガス殺開始(53歳、サイクル22)
→後世まで悪名高きアウシュビッツ収容所でのユダヤ人のホロコーストの始まりである。しかしこれもヒトラーにとってユダヤ人なき世界の実現という偉業の達成(22)の一部でしかなかった。

1945年3月 「ネロ指令」(55歳、サイクル24)
→この頃のドイツは戦況が悪化し、好転の見込みが無くなっていた。ヒトラーは侵入した敵に物資を渡さないよう国土の焦土化を命じたが、この命令は国民の生活や戦後復興を完全に度外視したものだった。自分が理想とした強いドイツが実現できないのなら、滅んでしまえとするヒトラーの姿勢は、6(24)の理想主義の悪しき面が出たと言える。

1945年4月29日 エーファ・ブラウンと結婚(56歳、サイクル25)
→ソ連軍がベルリンの総統地下壕に迫る中、ヒトラーは恋人のエーファ・ブラウンと結婚する。ヒトラーは、女性票を失うこと恐れてエーファ・ブラウンの存在を公にしてこなかったが、ドイツの敗戦を目前にして 孤高な印象のあるサイクル7(25)で、愛する女性と結ばれたことは、心を開放して真実を分かち合うという7の課題を死の直前に1つ達成したと言えるかもしれない。

1945年4月30日 ベルリンの地下壕で自殺(56歳、サイクル25)
→祖国の敗戦が誰の目にも決定的となり、とりうる選択肢が無くなる中で(25の2)     ヒトラーは拳銃自殺した。このころになるとヒトラーは神がかっていた雰囲気は消え、ナースナンバー5の持つ才気煥発さは無くなっていいた。むしろ、不安定であったり、分裂的
であったりして5のマイナス面が出ていた。サイクル25の5と相まって、よりマイナス面が出ていた可能性もある。自分の人生についてもそうで、混乱と分裂の中で自分の生命を自ら断つことで自分の人生を強制的に終了させてしまった。ようは「ネロ指令」で国民の生活の資本を断とうとしたように、自分の人生をも滅ぼすことをヒトラーは選んだのである。





3.    大き過ぎた落差

アドルフ・ヒトラーを本レポートの対象として決めたのは、世界的な大人物であること、世界史に大きな影響を与えたこと、当時ヒトラーが戦争を仕掛け、また弾圧した対象が現世で大きな影響力を持ち、正当な評価がなされていないのではないかという問題意識があったからであった。
 

実際にヒトラーを数秘で見てみた最終的な結論は、数字の長所と短所の落差が大き過ぎるということである。ヒトラーはバースナンバー5の雄弁の才能を生かした神がかり的な演説、エモーションナンバー5の大衆の気持ちを掴む力、ステージナンバー9の「愛」の力によるドイツ国民への景気回復や失業者対策等輝かしい実績を残している。しかしその一方で、デスティニーナンバー2に起因すると思われるユダヤ人虐殺、リアライゼーションナンバー7による独裁、極めつけは、ドイツの焦土化を命令した、バースナンバー5の不安定による「ネロ指令」等、数字の暗黒面に取りつかれたとしか思えない政策を実施している。
 

それでは、何故このような事態が起こってしまったのか。これは、ヒトラーが、世界を変える力を持ちながら、自身の才能の開発を怠ったとしか考えられない。ほとんどの人間は数字のアマチュア面に止まっているというが、潜在能力が大きいと、世界を悪い方向に変えてしまえかねないのである。数秘は、自分の持っている才能に気づかせてくれる有効なツールである。生年月日と名前だけで、その人の才能や性格を教えてくれる。しかし、その長所を知っているだけでは意味がない。幸い、自分は数秘に触れることが出来、自身の長所を教わった。自分がヒトラーと肩を並べる才能があるとは言わないが、ヒトラーと同じ轍を踏まないよう、たゆまず日々精進していきたい。

 

主な参考文献
セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社、2017年)
石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社、2015年)
高田博行『ヒトラー演説 熱狂の真実』(中央公論新社、2014年)

 

 

 

 

 

 

Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Yuuki @ Keio-Inokashira Class

渡辺和子

キリスト教カトリック修道女

1927年2月11日 北海道旭川市にて生を受ける

 

 

 

29歳でナミュール・ノートルダム修道女入会後、アメリカへ派遣されボストンカレッジ大学院にて博士号取得。
36歳でノートルダム清心女子大学学長に就任し、63歳まで務める。
教育現場のみならず、執筆活動にも勤しんだり、マザーテレサ来日の際には通訳を務めるなど多方面で活躍。
和子のクリスチャン人生において、大きく影響を与えたマザーテレサ。間近でマザーの生き方に触れ、そのバイブレーションに共鳴し、その姿を追いながら、和子もクリスチャンの道を実践されました。リーディングでは数秘からみたマザーとの関係性にも着目していきます。
 

和子の著書「置かれた場所で咲きなさい」が200万部を超えるベストセラーとなった昨年、マザーから受け継いだその意志を、今度は私たちに伝えるお役目を果たし終えたかのように、2016年12月30日、89歳の生涯を終えイエス様のもとへと帰天されました。

お優しい笑顔が印象的なシスターですが、その生い立ちは厳しく、時代に翻弄された運命的なものを感じさせられます。
当時まだたった9歳の少女だった和子は、自分の父親を目の前で銃殺されます。
わずか1メートルの距離で、父親の最期をみとったのです。世に言う二・二六事件でした。
年の離れた3人の兄姉たちとまだ小学生だった和子を、母親は夫亡き後、さらに厳しく育てます。
そんな母親に反発するかのように、キリスト教への道を歩み始める和子でした。


~ 人物像をよむ ~

Birth Number・・・生まれ持った資質、性格、個性、生きる姿勢や才能、その人の潜在能力を表す
#14-5 「真の自由を求めて」


知性が高く、好奇心旺盛な冒険家、古いルールを破壊しリズミカルに変化を遂げます。常に新しい世界に飛び込んでいく勇気と行動力で、真の自由を模索していきます。
カルミックナンバー#14はAlchemyのナンバーであり、頭脳明晰、多分野における経験を積み痛みを伴いながら、真の自由とは外に求めるものでなく、内なる自由であることに気づいていきます。家族との協調、家や職などの余儀ない変化なども体験していきます。
また海外に縁のあるナンバーです。Challenge#(人生でチャレンジしたいこと)にも#14-5を持っています。留学経験のあるシスターは、アメリカでの5年間で経験した修道院の生活が、本当の意味でのクリスチャンとしての生き方を学ぶ機会となったといっています。

バースナンバー#5のバイブレーションを受けて、和子にとって大きな節目や出来事として現れているイヤーサイクル#5の年についても、イベントを追ってみていきます。

《誕生の時》
母が和子を身ごもったのが43歳、すでに兄2人姉1人を育て上げ、世間体ということもあり、母は出産を悩みましたが、父の「なんの恥ずかしいことがあるものか、産んでおけ」とう言葉で和子はこの世に生を受けました。父はその時54歳、孫のように和子をかわいがりました。一方で母にとっては必ずしも「欲しい子」ではなかったと後になって姉から聞かされた和子でしたが、それをまるで胎内で味わっていたかのように、他人より優れていないと生きていても申し訳ないという思いの裏返しで、競争心が強く負けず嫌い、仏頂面でいつも不機嫌な子どもでした。このころの和子は、#5のa‐matureの部分が出ていたようです。

《父の死》9歳 
#23-5 「家族」がテーマ

2月26日朝、30数名の陸軍青年将校たちが家にやってきて、43発もの銃弾で和子の父は惨殺されました。
この時、父の部屋に一緒にいた和子を、父はとっさに座卓の陰に隠しました。そして和子の目の前わずか1メートルのところで、父は銃殺されたのでした。
かくして和子は9歳にして仇を持つこととなり「許し」という重いテーマを背負うことになります。
またこの出来事をきっかけに家族、とりわけ母親との関係性の中で多くの葛藤を経験していきます。

《洗礼を受ける》18歳 
#23-5 「変化」の時

カトリックの中学校に進学するも信仰心を見いだせず、相変わらず他人に厳しく高慢で自己中心的な自分に対し自己嫌悪に陥っていた和子。母の大反対を押し切り、救いを求めるように洗礼を受けます。そして新しい自分を求め、キリスト教の勉強を始めます。当時を振り返り和子は、自分に欠けていたものは「柔軟」と「謙遜」だと言っています。
このどうにも行き詰った末の「変化」は、和子の人生に新しい風となり、#5のバイブレーションが巡りだしていきます。

《大学学長に就任》36歳 
#23-5 「柔軟性」を学ぶ

入会していた修道女会の命令で渡米。帰国後大学勤務を経て、異例の若さで岡山県のノートルダム清心女子大学の学長に任命されます。トップの地位にありながら、年齢では一番の若輩、また初めての日本人学長としての風当たりの強さと役割への葛藤で、耐えること、謙虚に生きることを教わりました。
#2の受容→#3の発展を経ることでどんなことにも対応し、#5内なる自分が柔軟であることを学んでいったのでしょう。
聖書より「重荷を負って苦労しているものは、みな私のもとに来なさい。私は柔軟であり謙遜であるから、私の軛を受け入れ、私の弟子になりなさい。」神は軛も荷も取り除いてはくださらない。しかし負いやすくしてくださる。そのためには、自分が柔和で謙虚にならなくてはならないのだということ。勝ち気でいつも一番を目指していた和子は、柔和と謙遜で一番になりなさいというメッセージとして受け止めたのでした。
また、大学で教壇に立つシスターの優しい語り口調の中に、時に厳しさを感じさせるのは、ご自身の経験から培った真理を伝えるためゆえの根っからの教育者としての姿なのでしょう。ここには#5の特徴である知性や話術の巧みさが発揮されています。
晩年は講演などで、「人生は思い通りにならない。どんな苦境にあっても、そこから逃げてはならない。境遇を選ぶことはできなくても、人にはそれに向き合う生き方を選ぶ【自由】がある」とお話になっています。
幼少期から、自分の意図しない出来事に取り巻かれていくドラマチックな体験から、シスター自身が手に入れた【真の自由とは】をうかがい知ることができます。


Soul Number・・・魂の欲求。普段意識しているよりも深い内的な願望で、本人も自覚していない場合もある。
#18-9  「母子関係を乗り越えて、本来の自分へ」


多くの経験を積むことで叡智を習得し、やがて人類愛、真理への道を歩む#9
TypeⅢBalance-8からも、多くの経験をすることで学びを得る人です。
和子は生涯独身でしたが、29歳の時、修道院に入会するため母を一人残し家を出ることを決意します。
それまでの7年間、和子は家の経済を支えるために働き、お給料は封を切らずに母に渡していました。そんな負い目もあってか母は入会については反対しませんでした。
入会の前日「結婚だけが女の幸せとは限らない」と呟いた母の言葉は、これまで女手一つで厳しく育てた娘に対し、そっと背中を押す言葉だったのかもしれません。
かくして修道女としての道を決意し入会する和子でしたが、その後すぐ渡米留学を命ぜられます。大学院にて博士号を取得するなどののち、5年後に帰国となりますが、赴任先は岡山。行く先々が初めての土地、思いがけない役職、未経験の事柄の連続に和子はだんだん自信喪失していきます。「誰もわかってくれない」「労ってくれない」「挨拶もしてくれない」と。

修道院を出ようかと思い詰めていたある日、一人の宣教師が短い英語の詩を渡してくれました。
【Bloom where God has planted you .置かれたところで咲きなさい 】
ベストセラーとなった本の題名にもなった言葉です。この言葉で和子は決心します。「咲くということは、仕方ないとあきらめることではなく、自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人も幸せにすることによって、神があなたをお植えになったのは間違いではなかったと証明しよう」と。和子が自分の道、神の道を歩みだした瞬間でした。
#9はいろいろな経験、痛い思いを糧としていくことで自分の真の姿に気づいていき、その方向性は個を超えた全体意識へと向かい、やがてはすべてを受け入れ許す人類愛となる強いエネルギーを持っています。
和子のクリスチャン人生に大きく影響を与えたマザーテレサ、マザーのバースナンバーは#18-9、和子のソウルナンバーと同じです。神の子としてのマザーの醸し出す#9の波動が和子のSoulを呼び覚まし、より高みを目指すための気づきを示してくださったのでしょう。マザーを手本とし、和子もまた多くの辛い経験を乗り越え、神に導かれるように信仰を貫いた真の実践者でした。

Destiny Number・・・バースナンバーで与えられた才能や個性を仕事などでどう生かしていくか。人生における使命や目的、何を実現してゆくべきかを告げるナンバー。
#8「パワーコントロール」

 

秩序、権威、現実的、信頼などのキーワードを持つ#8。若くして大学学長というトップの座に就任し27年間の学園生活において、和子が大切にしてきたことがあります。
それは学生たちに、あなたたち一人一人を大事にしたいという思いを伝えること。
和子はこの思いを伝えるために「あなたはご大切な人なのですよ」という思いを込めて、毎日自ら学生たちに笑顔で挨拶し、毎年新しい生徒の名前を覚え、下の名前で呼ぶことを実践しました。お互いがお互いのおかげで生きていることを自覚しあうかけがえのない機会だと言っています。
権威ある立場にして、地道な努力を続け自我をコントロールする姿は、学生たちにも大きな影響力を及ぼし、まさに#8の内面からあふれ出る情熱とパワーで、学園での秩序と信頼を得ていきました。

Personality Number・・・第一印象、他者から見たその人の表面的人格を表す
#26-8  「良き相談相手(#2)、優しくて親身(#6)、パワフルでアピール上手(#8)」

デスティニーナンバーと同じ#8であることから、情熱とパワーあふれるシスターの印象は、仕事ぶりとも一貫し、周囲に大きな影響を及ぼす存在と言えます。またその男性的な強いパワーの中には、一人一人に対し親身になってくださる良き相談相手という女性的な優しさを秘めています。
また#8と相性の良い情報発信という点で、今でも生前のシスターの講話をYouTubeで聴くことができます。

Realization Number・・・今回の人生での可能性や実現性を示す
#13-4 「堅実に実践(#4)→創造と破壊を繰り返し常に学びを喚起させられる(#13)」

思わぬ異動や転職を余儀なくされてきた人生の中で、修道女という立場ゆえの様々な修練を積み重ね、その度に現れるエゴと向き合い、手放し、高みへと上がりながら、多くのカルマを清算されたことでしょう。
そしてマザーテレサのリアライゼイションナンバーも#13-4。目指すところが同じということも、やはり和子にとっては揺るがないメンター的存在だったと言えるのでしょう。




Stage Number・・・活躍の場
#7「宗教やスピリチュアル分野」

厳しい修道女の道を選び、内省し、ミッション系大学という専門性の高い現場で多くの学生たちを導いていった和子。マザーテレサのソウルナンバーも#7、ここでも影響を受けていたのでしょう。

Challenge Number・・・人生でこの事はチャレンジしようと決めてきたこと
#14-5「真の自由の追求」

バースナンバーと同じ。規律の厳しいキリスト教の道を通して、真の自由を手に入れていきました。

Nature Number・・・自然体の自分
#3「笑顔の人」

学生たちに毎日笑顔でのあいさつを心掛けていた和子、何気ない和子の笑顔は自然と人を和ませたことでしょう。

Action Number・・・行動パターン
#2「一人一人との調和」

Character#(行動特性)とともに#2であることからも、いつも一人一人と向き合い、目の前の相手をそのまま受容する和子の姿勢を表しています。

TypeⅡEmotion ・・・感情の現れ
#5「束縛と自由のはざまで激しくのたうち回るエネルギー」

バースナンバーが#5でもあり、「自由」に対しての感受性が強く表れます。

TypeⅡintelligence・・・知的才能、その役立て方
#1「インスピレーション、直観力」

和子のインスピレーションは日々の祈りを続けることで磨かれていったのかもしれません。
晩年はその心の気づきを綴った著書を数多く執筆しています。

TypeⅢBalance・・・資質のあり方
-8「後天的にたくさんの資質を経験によって得る」

その生まれも、父を惨殺されたことも、クリスチャンとしての道もすべてが必要な経験であり、その学びを生かしていく人生です。マザーテレサも同じバランス-8。



 

 

~ 人生の流れからよむ ~

*サイクル表 ・・・人生を3つのステージに分け、そのステージごとのテーマや環境、達成目標を表します。
Cycle Number そのステージでのテーマ・課題
Pinnacle Number そのステージにおける状況や環境
Challenge Number そのステージの達成目標

《YearCycle》・・・人生の節目となるイベントに着目して、その年その年におけるテーマや方向性を捉えます。

*1stステージ 0歳-31歳 
サイクル  #2 受容の学び(母との関係性)    
ピナクル  #13-4 修練の場    
チャレンジ #9 母子関係の克服
若年期の性質を表すChildhood#2であることからも、相手(母)あっての学び、母との調和、協調、受容がこの時期の重要なテーマとなりました。

《誕生》
1927年、父の駐在先だった北海道旭川市にて、4人兄姉の末っ子、次女として生まれる。

《小学校入学》6歳
#20-2

1933年、東京に移り成蹊小学校に入学。環境の変化を受け入れる年。 

《父の死》9歳 
#23-5

1936年、目の前で父を銃殺される(二・二六事件)。血の海に倒れた最愛の父の姿は一生目に焼き付き忘れられない光景だという。父の死によって家族の生活は一変する。母は今まで以上に和子に対し厳しくしつけるようになった。家族がテーマ、悲しく辛い変化の年となる。

《中学校入学》12歳
#17-8

1938年、浄土真宗の渡辺家でしたが、これからは英語が話せた方がいいという母の方針でミッション系の雙葉中学校・高校に入学。
友人には「和子さんは鬼みたい」と言われるほど、競争心が強く、負けず嫌いでした。エネルギッシュな年。

《洗礼の時》18歳 
#23-5

1945年、時代は第二次世界大戦真っただ中、何の希望もなくただ今日一日を食べて生きる毎日。高校時代は全く信仰心のない和子でしたが、クリスチャンである教師たちの姿にも影響を受け、このままではいけない、どうにかしたいという思い、母への反発も後押しして、戦火の中すがるように洗礼を受ける。一筋の光を求めて動き出した変化の年となった。
    
《大学院修士課程修了》27歳
#23-5

高校卒業後、聖心女子大学に進学、その後上智大学で文書作成のアルバイトをしながら、1954年上智大学大学院修士課程を修了。多才で、意欲的に多分野における知識を身につけていった年と言える。

《修道女会へ入会》29歳 
#25-7

大学院に通いながら家計のため7年間の社会人経験を経て1956年、ナミュール・ノートルダム修道女会に入会するために家を出る。世俗からの離脱、精神性への目覚めへのステージアップとなった年。

《米国留学へ》30歳
#17-8

入会後すぐ、修道院の命令で渡米を言い渡されボストンカレッジ大学院へ。
1957年は、前年までのイヤーサイクル#16-7周期から#17-8周期へと切り替わった年。この切り替わりの時には環境の変化や、自分らしく生きられるタイミングとなる。


*2ndステージ 32歳-40歳 
サイクル  #11-2 変化を受け入れ、現実社会での大きな事業に取り組み、真の理想に向かう     
ピナクル  #12-3 笑顔、表現の場 
チャレンジ #1 決断力、現状打破
米国生活や大学勤務など多種多様な変化を余儀なくされますが、すべてを受け入れすべてを学びとしていきます。

《大学教授に就任》35歳 
#22-4

1962年、米国ボストンカレッジ大学院にて哲学博士号を取得したのち、修道院の命令にて岡山県のノートルダム清心女子大学の大学教授に就任。変化を受け入れ、新しいステージに向かう年。

《大学学長に就任》36歳 
#23-5

1963年、更なる変化が訪れる。前任の同大学学長の急逝で、和子は36歳という異例の若さで日本人初となる大学学長に就任。その後27年にわたり教壇に立ち、学生の心を支え指導していくこととなる。


*3rdステージ  41歳-49歳 
サイクル   #11-2 現実社会での大きな事業に取り組み、真の理想に向かう 
ピナクル   #7 内省し、精神性への目覚めへ    
チャレンジ  #8 社会でのパワーバランスの調整
デスティニーナンバー#8組織でのトップ、大学学長という立場でありつつも、日々自分の心と向き合う祈りの場を聖地とし、社会でのパワーバランスを調整していく時期となります。


*4thステージ  50歳- 
サイクル   #19-10-1 人道的な道へ   
ピナクル   #21-12-3 表現、著述    
チャレンジ  #1 不要なものを手放し、新しいステップへ
意欲的に学園生活を送る中で、どんどん不要なものを手放していく時期です。
うつ病も発症しましたが、祈り、神との対話によって乗り越えていきました。
晩年は、執筆活動に力を入れ、日本中の多くの人々が和子の智慧に導かれることとなります。

《うつ病》50歳 
#19-10-1

1977年、前年の18周期の#27-9から19周期に切り変わった年。
うつ病を発症し、強制的に調整のかかった年。しかしこの時の和子の病気に対してのとらえ方は、物事にはすべて意味がある、神は乗り超えられない試練は与えない、それに耐える力をつけるため試練は与えられるのだとし、病気も有り難く両手でいただき、すべてを受け入れ御言葉に支えられて生きていくことを決意する。

《2桁から1桁のナンバーへ》60歳
59歳までずっと2桁のイヤーサイクルがつづく。
翌年1987年19周期の#28から、初めて1桁の2周期#2となる。
このころから、執筆活動にも力を入れていく。

《学長を退任》63歳
#5

1990年、27年にわたる学長としての任務を終える。
今まで何度も繰り返した#23の#5から、初めての1桁の#5を迎え、新しいステージに飛びだしていく年。
バースナンバー#5のバイブレーションによって強められ、和子には今までの枠を超えた軽やかな動きに感じられたことでしょう。

《カルカッタ訪問》69歳 
#11 

1996年、マザーテレサの活動するカルカッタを訪問したことで、「神性への道」を確信していく分岐点となった年。
翌年から3周期の#3へと切り替わり、ピナクルの#12-3と重なりそのバイブレーションを高めていく。

《晩年~》
#5(バースナンバー)の文才を生かし、ピナクル#3の活躍の場としても意欲的に執筆活動に取り組んでいきます。また講演活動を通して#8(デスティニーナンバー)の和子の経験と智慧を多くの人へと循環していきます。
そして和子のSoulが求めてきた「自分の内なる崇高な信念・信仰」を見出し、数奇な運命を背負ってきた和子でしたが「許す」とはどういうことかを実感する時が来ます。
あるTV番組の企画で、父の命を奪った二・二六事件の加害者と面会する機会がありました。悩んだ末、会うことを決めた和子。涙する父の仇を前にし、頭では許すことができていたと思っていたものの、和子の心と体は震えていました。
聖書より「汝の敵を愛せよ」ということを実行するとすれば、せめて相手の不幸を願わないこと、と和子は言います。「老後をお幸せにお過ごしになりますように」と祈ることが精いっぱいの、イエスさまのみ言葉を守ることだと。
人間は弱いもの。だからこそ、弱い誰かにも「私もそういう思いがありますよ」と言えるようになったそうです。

いくつになってもひたむきに自分の心と正直に向き合い、すべてを神様にゆだねる和子でした。





~リーディングを終えて~

私が和子シスターを知るきっかけとなったのは、マザーテレサのことを書いた著書の作者としてのシスターでした。
子どもの頃からマザーテレサの活動に感銘を受けていた私には、マザーをお慕いし少しでも近づきたいと日々実践されていたシスターの姿はひたむきでとても親しみが持てました。
今回のリーディングにあたって、真っ先にこの方にしようと思ったのは、実はマザーテレサでした。
マザーの資料を読んでいるうちに、私が大切にしている本には和子シスターの書いたものが多いことに気づき、すでに私の手元には10冊以上のシスターの著書がありました。
シスターのチャートを出してみると、私と同じバースナンバー#5(私はデスティニーも#5)、シスターのデスティニーとパーソナリティー#8は私のソウル#8。そしてなんとサイクル表の数字はすべて一致していました。
私は修道女としての和子シスターの#5「自由」とはどんな世界なのか、そしてシスターを通してマザーテレサに触れてみたいと思い、和子シスターのリーディングをさせていただくことにしました。
シスターの全著書に目を通すことができたことは、私にとってかけがえのない宝物の時間となりました。
私はクリスチャンでもなく、マザーやシスターのような敬虔な祈りは捧げられませんが、いつも胸にはマザーのある言葉を大切に持っています。
それはマザーが日本に訪れた際、講演会での質問で「世界平和のためにできることは?」に対し、お答えになったお言葉「家に帰って家族を愛してあげてください」
世界の悲惨なニュースに胸を痛めつつ、3人の子育てに自分を見失っていたころ、目が覚めるようにハッとさせられた言葉でした。
今日も私は目の前の人に感謝し、小さなことにも大きな愛をこめて過ごしたいと思っています。
最後に、マザーについてシスターが書いた一冊の著書の巻末に寄せられたある神学者の祈りを紹介させてください。
「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける叡智を我に給え」
変えられるものを変える自由が与えられている。必要なのは勇気であった。
変えられないと判断したときは、主体的にその事実を受け容れる自由も与えられている。必要なのは心の静けさである。

「自由」はすでに私の中にある。               
   

 

 

 

Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Takae @ Keio-Inokashira Class

☆ 溢れ出す愛と情熱 * 李 準基(イ・ジュンギ)・・・Part1続き

 

Personality Number「第一印象、他者に映るその人の表面的な人格」

11-2(物腰柔らかくみんなを見守る感じ)   

誠実で礼儀正しく謙虚優しくて男らしい

イ・ジュンギを取り巻く人たちは皆口をそろえて彼をそう評価する

以下はイ・ジュンギと仕事をしたことのある人たちの、イ・ジュンギに対する印象を抜粋

 

ジャッキーチェン

「イ・ジュンギの最大の魅力は謙虚さにあるようです。

彼は香港のある程度の俳優たちより多くの取材陣やパパラッチに追いまわされています。

パパラッチたちはいつもスターたちの悩みの種であり、頭にくる存在ですが、

イ・ジュンギはそんな人々にまでポーズをとったり挨拶を交わしたりもするのです。

マスコミで彼を悪く言う人はいません。彼はいつかアクション映画を一緒にやってみたいといっていたが、

彼にチャンスを与えたいと思います。私はイ・ジュンギの謙虚さと心の美しさに魅力をかんじました」

 

ミラ・ジョボヴィッチ

「私たちが初めて韓国に訪れたとき北朝鮮と韓国の軍事境界線のパンムンジョムに

夫婦で慰問に行くと伝えたら、忙しい中飛んできてくれたの。

私のスタイルを見て「あそこはここより寒いから持って行って」と自分の着ているダウンコートを脱いで渡してくれたのよ。

細やかな心遣いに本当に感謝している。彼は礼儀正しく心遣いも細やかな優しい人よ」

 

 2の共感する力と11の自己を探求していく力で人の気持ちに共鳴しやすい彼は、

あらゆる人々に寄り添ってしまうのかもしれない

誠実で礼儀正しく謙虚な姿勢で、

人の領域に踏み込まないように細心の注意をしている繊細さを感じた

 

 

Stage Number「その人が活躍する舞台」

9(できないことはない、幅広い人との交流)

バースナンバーにカルミックナンバー14があるイ・ジュンギを強く優しく後押ししてくれるナンバー9

導く導師のようなエネルギーで真の自由とは何かを教えてくれるだろう

また、幅広い人との交流が可能なナンバーでもある

外へ開いていく5とタッグを組んで、広く大きく世界へと扉を開けてくれている

イ・ジュンギさん、あなたのステージは、大きく世界へと広がっていますよ

 

Challenge Number「課題、挑戦」

22-4(天と地の架け橋となるような社会貢献)

ソウルと同じ22-4である

ここでは一段進んで自らに課題を与えている

魂が本当に望んでいる世界を現実の世界に実現するために、

常識的なことを打ち破り、天と地を結ぶような活動を展開

 

Nature Number「素の自分」

13-4

#1

パイオニア、オリジナル、情熱的、シンプルな考え、行動力、計画力、創造力

「僕は常に何かをやり遂げたら、また欲が出る性格です。

既存のファンミーティングという概念を壊そうと思いました」

 

#3

天使っぽいピュア、楽しいことが好き、人を和ませる、社交的、陽気

「僕にとって仕事場は遊ぶところ。子供っぽいとよく言われるが、

それでよいと思っている。仕事場では、今まで蓄えてきたことを早くご披露したくてワクワクします」

 

#4

真面目、終始一貫、独立独歩,忍耐力

「ベテランの俳優になっても、ファンの方からデビュー当時と変わらない。

信じていた通りの人!と言われるようになりたい。それが僕の一番の目標」

  

Action Number「行動パターン」

5(変化、自由、破壊、刺激を好む、俊敏で大胆、柔軟、活動的)

 バースナンバーも14-5であるイ・ジュンギは変化変容を繰り返しスターダムにのしあがった

日常では興味があることには即行動を起こし、周囲のスタッフが疲れるほどだという

初めてのファンミーティングの前日の夜遅くに、

もっとファンを喜ばせたい!と踊ったことのないタンゴを本番まえまで猛特訓してファンにご披露したという話がある

本人もスタッフを振り回しているという自覚があるらしく、スタッフの皆さん、すみませんと度々あやまっている

 

Cycle Number「環境や大きな流れ、向き合うテーマ」

Pinanacle Nunber「その時の状況やあり方」

Challenge Number「挑戦する課題やあり方」

 

0才~31才

Cycle4    Pinnacle21-3   Challenge4

人にひきたてられながら自身のオリジナル性に磨きをかけていく時代

一歩一歩真面目に基礎を固めていくことにより土台を作り上げていくとき

29歳で軍に入り30歳で除隊するまでの約2年間は自分を見つめる大切な時間となったようだ

「イ・ジュンギという役者を作り上げたのは、自分ひとりの力ではなく、

私を支えてくれた人々の功績であることに気が付きました。

これからは、もっと誠実に謙虚に感謝を込めて俳優イ・ジュンギを作ってゆきたい」と言っている

 

Year Cycle

2004    #9   「ホテルビーナス」で映画デビュー

2005    #10  「王の男」が韓国で初上映。イ・ジュンギ旋風が巻き起こる

2006    #11  「王の男」で数々の映画賞新人賞を総なめ

2009    #5   ファンミーティングを始めた年。台湾で興行詐欺にあいファンとの約束を守りたいと自腹で開催

2010    #6   陸軍入隊、サイクル6の自己回帰の時、自分を見つめる大切な時間だったと話す

2012    #7   陸軍除隊、事務所移籍

2014    #9   現事務所移籍

 

 

32才~41才

Cycle17-8     Pinnacle 10-1    Challenge6

事務所の移籍後すぐにこのサイクルに入る

周りの引き立てにより土台を気付いた前サイクルから一歩前進し、自分の道を自分で切り開く時代

より自分の内面を見つめ、自己の開放を目指す

よりパワフルにガッシリとした土台をつくり、自分の内面に問いかけ直感を信じて進む時期

来年2018年はYear Cycleが5周期14の年

イ・ジュンギのバースナンバーの年だ

変容を繰り返すイ・ジュンギは本格的に全世界へと飛び出してゆくのかもしれない

 

Year Cycle

2014  #9    今の事務所に移籍後すぐに~~

      #10   サイクル10とピナクル10-1に変わる。この事務所に移籍してから、より」世界への扉が

            開かれる

2016  #12   世界的ヒットとなった、ドラマ「麗」に出演。再度イ・ジュンギ旋風が巻き起こる

            「バイオハザード・ザ・ファイナル」に特別出演しハリウッドデビュー

            中国映画「シチリアの恋」に出演

2017  #13   海外ドラマ「クリミナルマインド」の韓国版リメイクに出演

 

 

【まとめ】回、卒業レポートの話を聞いた時に、直感的にすぐにイ・ジュンギさんの名前が浮かんだ

それは以前から決められていた事のように自然な流れだったのだが、

その時はなぜ彼を選んだのかまではわからなかった

最初、私は過去にやり残してきたこと、
舞台やエンターテイメントの世界への未練がうずくのかと思っていたので

本心からその通りであれば、かなりつらい作業になると覚悟をした

しかし、読み進むにつれ、これは私が私に贈るエールであると気がついた

イ・ジュンギさんの数字と彼の歩んできた道の印象は、

大きな試練を乗り越えながらも素直に数字通りに生きている人だという事である

だからこそ彼のエンターティナーの面ではなく、

彼が歩んできた地道な努力と、コツコツと自分の道を着実に一歩一歩前に進む姿をうらやましいと思った

 

私の中のStage NumberとChallenge Numberの5が彼のように変容を恐れず前に進めと言っている

私の中のCycle Number 22-4が今までの努力を無駄にせず実を結ばせて完結せよ!と言っている

私の中のDestiny Number10-1が彼のように自己の世界を確立し、大きく変化せよ!と言っている

私の中のSoul Number11-2が彼のように己の理想に向かって突き進め!と言っている

 

そこには、もう俳優イ・ジュンギの姿はなく、

私自身が私に対して大きく旗を振り、進め!進め!進め!と応援している姿が見えました

 

Reported by

AEONS Numerology Basic the 13th class

Hiroko at Yokosuka class

いつもは見ないTVを何となく見ていたら、

いつもなら惹かれることがない韓流ドラマがやっていて、

その日は丁度暇でやることもなく、ボーーッと画面を見ていたら、

きれいな顔をクシャクシャにして演じている男優がいた

「この人目力すご!目で演じる人なんだなぁ」と思いながら、

へぇ~!ほぉ~!ふぅ~ん!と見ていたら、アッいう間に1時間が過ぎていて、

なんだか悔しかった

後に知るその人の名はイ・ジュンギ(Lee Junki)

何でこんなに惹かれるんだろう・・・とっても気になる人だ

 

 

 

李 準基 (イ・ジュンギ)

Lee Junki

1982年4月17日 35歳

 

Birth Number「生きる姿勢や才能、その人の潜在能力」

14-5(目的に向かう着実な過程により経験を積む  大胆に柔軟に変化してマルチな才能を発揮)

私がイジュンキを知るにつれ目を引いたのが彼につけられた数多くの異名だ

「女よりきれいな男」「クロスセクシャルの代名詞」「新時代のシンボル」「軍人の中の軍人」

「火のような性格で牛のように働く男」「最も時代劇を魅せる男」「演技職人」「天才俳優」など、

イ・ジュンギを彩る数々の異名は、彼の努力の歴史を示す

19歳で30万ウォン、日本円にして22000円を握りしめ俳優になるために釜山からソウルに上京した少年の

役者になるための道のりは険しかった

両親の反対を押し切り上京した彼は、1日にいくつものアルバイトをかけもちし、

隙間風の入るビルの屋上の狭い屋上部屋に住みながら、数々のオーデションに挑戦するも落ちる日々が続く

オーデションに落ちること200回以上

やっとつかんだデビューのチャンスは、

応募者2000名の中から勝ち取った日韓合同制作映画の「ホテルビーナス」だった

当時チョナンカンとして韓国でも人気のあった草彅剛の主演作である

日韓でヒットしたものの残念ながらイ・ジュンギが注目されることはなかった

しかし映画という場所に、きっかけを作った彼は、

この後代表作となる「王の男」という作品に出演することになる

彼が「王の男」のオーデションで獲得したコンギルという役は軽業師の女形芸人の役だ

映画の中で彼は美しく妖艶で王に愛される男を演じた

それは、これからの役者人生を絶たれるかもしれない大きなリスクをともなう役だった

なぜなら、韓国では中世的な男性像が嫌悪される傾向があるからだ

実際に映画自体はメガヒットしたにもかかわらず、

友人たちから「吐き気がするほど気持ちが悪かった」と言われたといっている

彼自身も韓国の男としてコンギルの役を演じるのは本当に辛かったと告白していた

しかし、そんなリスクのある役だからこそ、全身全霊を注ぎ込み取り組んだのであろう

軽業や女性の踊りの特訓を受けながら、テコンドーで鍛えあげた体から筋肉を落とし、女性的な体に作り替えた

そして女性的なしぐさを研究し、男の中の男と称えられる釜山の男は見事妖艶な女形へと変身したのだ

結果「王の男」は韓国映画史上ナンバーワンのメガヒット作品となり、イ・ジュンギは翌年の映画賞新人賞を総なめにしたのだった

作品のたびごとに仮面を付け替えるように、様々なキャラクターを演じるカメレオン俳優の誕生である

カメレオン俳優などというと軽々しく感じるが、

新しい作品に出演する度に変容を繰り返すイ・ジュンギの、作品への熱中度や生みの苦しみは相当なものだ

ドラマや映画の撮影が始まると友人や、彼が恩人と思っている人でさえ、一切の連絡がとれなくなるという

全ての撮影が終わると、申し訳なさそうにお詫びの連絡が来るという話だ

そして、終わった役から抜け出すのもかなり苦労をするらしい

役が抜けきらなく鬱のような状態になることもある

全身全霊で役を作りこみ、日常生活でも体から役が逃げ出さないようにするのだから、

人と連絡を取るのもままならないだろう

役作りに苦しみ、役から抜け出すのも苦しむ

痛みをともなう5番の特性ゆえなのだろうか

 

1つの役、1つのイベントを終えるごとに1つずつスキルを上げていく

アクション、ダンス、歌、殺陣、MC、所作それは最初から出来たものではない

しかし今や全てが本職のプロ並みである

努力を続けてきた結果、マルチな才能を身に着けていった

彼のことを何も知らずに見てみると、

一見すると大きなエネルギーの塊がうねるようにスターの階段を駆け上がってきたように見えるが、

実は変容とチャレンジを繰り返しながらコツコツと努力を積み重ね、着実に一歩一歩あゆんできた道なのだ

カルミックナンバー14の彼は、わざわざ苦難の道を選んでいるように見える

いや、自ら選んでいるのだろう

なんといってもイ・ジュンギの座右の銘は「若い時の苦労は買ってでもしろ」なのだから

その苦難によって自分の器の大きさを広げてきたのだ

かれのスター街道は幸運ではなく、彼の「自らに変容を科す」という努力の賜物であった

数多くの異名を欲しいままにしたイ・ジュンギであるが、

私が彼に名をつけるなら「情熱を楽しむ天才」とたたえたい

 

 

Destiny Number「人生における使命や目的、何を実現してゆくべきか」

6(美意識、献身的な愛をささげる、世のため人のために尽くす仕事)

バースナンバーでも触れたイ・ジュンギの異名だが、その中には、こんな美しい言葉もある

「世界で一番心のきれいな俳優」

私は最初にこの言葉を聞いて胡散臭いものだとおもった

愛する俳優を思うファンのひいき目?事務所やメディアの戦略?商品のイメージアップのための各企業のキャンペーン?

そんなうがった目で見ながら資料を読んでいた

彼は俳優としての活動とは別に、ライフワークにしているのがボランティアだ

王の男が爆発的なヒットをしたときに出たボーナスは、全て外国人孤児のために寄付をした

インドネシアに行って壊れた建物の修理をしたり現地の子供たちと遊んだり

イ・ジュンギの誕生日プレゼントに困ったファンからの質問が発端で

「ではみんなでボランティアをしよう」ということになり、無料給食の炊き出しをした

このイベントはイ・ジュンギの誕生日の恒例行事になった

お金が好きじゃないのですか?という質問に

「お金は好きですよ。でも僕はセンスが良くないので洋服もそんなに買わないし、食べるのもチゲがあれば十分なのです」と

イ・ジュンギに触発されたファンは仲間同士で募金をしあい、イ・ジュンギの名前でボランティア団体に寄付をするそうだ

2009年から始まったファンミーティングだが、
台湾で初めてファンミを開催するときに興行詐欺にあってしまい開催が危ぶまれたが、

ファンとの約束は破れないと自分の自腹1億ウォンを払って開催したという話もある

そしてファンミーティングでは愛するファンに楽しんで欲しいと歌をうたいダンスも踊りMCもこなし、

ファンとゲームもして楽しませる

周囲や世間から「俳優なのになぜ歌をうたったり、踊ったりするんだ!」と不思議に思われたり、

やり過ぎだと非難されたりしても「日ごろTVでしかお会いできませんので、

実際に私とファンの皆さんが触れ合える時間を楽しく幸せなものにしたいのです。

日ごろの感謝をお伝えするために皆さんが楽しんでいただけるなら、歌もうたうし踊りもおどります」と言っている

今では彼のファン以外からも「イ・ジュンギのファンミに行けるなんてしあわせだ」と言われるまでになった

このようなエピソードがたくさんありすぎて紹介しきれない

演技でも、イベントでも、日常でも、ファンや先輩や後輩や家族に、

今もっている自分の全てをささげ尽すようなイ・ジュンギに、

デスティニーナンバー6の「献身的に愛をささげる、世のため人のためになる仕事をする」の精神を見た

でもイ・ジュンギさん、やりすぎに注意ですよ

 

 

Soul Number「魂に内在しているその人の一番大切な価値観、優先したい事」

22-4(イメージの世界での価値ある創造物を現実社会で具現化)

ずっと私を悩ませていたSoulの22

確かにそれっぽい・・・・でも全てじゃない

ダブルの2と捉えたらストンと腑に落ちた

 

敬虔なカトリック信者のイ・ジュンギの神に祈りをささげている姿を周りの人たちはたびたび目にする

彼は自身の短所についてもよく語っていて、一度火が付くと手を付けられないように怒るし、

ワーカーホリックで仕事が終わってしまうと、家では全てを面倒くさく感じる若者がいるだけです

人に自分のものを奪われるのは嫌いで、奪われるととても頭に来ますと」語っている

全て4のアマチュアである

心の中で人を憎んでしまい、そのせいで人間関係を壊したこともあり後悔もあるが

全て無駄ではなく私の学びとなっていると真面目で勤勉で正義感あふれる彼の内面は、

ともすると理不尽なことに対する怒りに満ちることもあるのかもしれない

自分の感情に揺さぶられることなく、安定した平安の中に身を置くことを望んでいるのだろう

彼の様々な社会貢献活動は、自分の中の平安と感謝を人々や社会にお返しをしているように思えてならない

神に感謝の祈りを捧げるように、自身の周りの人や自身の生きている世界に

「人々が幸せであるように」と祈りをささげているように感じる

 

2の力で自分にも周囲にも安らぎを与えていきながら、
最終的に22の天と地の懸け橋になれるように昇華してゆきたいと魂は望んでいるのではないどろうか

その事はチャレンジナンバー22-4を見ても想像に難しくない

 

Realization Number「今回の人生での可能性や実現性」

11-2(芸術などにより精神性を昇華、天と地の橋渡し)

彼のナンバーはより内面へ、自己を探求するナンバーが度々でてくる

まさに11も自己探求し天啓を受け、それを芸術の域まで昇華させ表現してゆくナンバーだ

役者という仕事は、自己探求の連続で成り立っている仕事といえよう

仮面を付け替えるように変容してゆくイ・ジュンギは、様々な角度から自分を掘り下げていったに違いない

時には過去の傷をえぐり、時には幸せな記憶に癒されながら役になりきるために自我を昇華する

自分の内面を見つめ築き上げた高い理想の世界をアウトプットして循環させる動きが

バースナンバー14-5の外の世界へ、より、外の世界へと表現していく力を支え、人々の心をゆさぶるのだろう

 

 

 

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