夏木マリ
旧姓・旧芸名:中島淳子
生年月日:1952年5月2日
職業:歌手・女優



個性的で魅惑的な風貌や声、圧倒的なセンスと存在感を放ち、時にキュートな笑顔やユーモアで人々を魅了し続ける夏木マリさん。年齢を重ねる度にカッコよさに磨きがかかっているような気がする、まるで現代に生きる魔女のような彼女の魅力を、数秘で読み解いていきます。






【人物像をよむ】


Birth number (資質・性格・個性・生きる姿勢・潜在能力) #6-15
美意識や美的センスが鋭く、分野・年齢を問わずアーティスティックな幅広い友好関係を持つ。自分が心から良いと感じたから良いといったスタンス。日頃の服装はジーンズにTシャツといったカジュアルな恰好かフォーマルなドレス系と極端だと語っているが、選ばれたアイテム一つ一つが洗練され、人の思いが込められたものや、未来まで繋いでいく価値ある本物であることに重きを置いているあたりが、誠実に本物と向き合い、周囲との調和を大切にする愛情深いナンバーらしさといえる。

「丈夫も芸のうち」とプロ意識が高く、美しく歳を重ねるために食べる物や食べる順番などにこだわり、トレーニングを欠かさない。自分の体質をより詳しく把握するために、DNA検査や遅延性アレルギー検査を受け、体質に合った食事を積極的に取り入れ健康管理に余念がない。まるでそのストイックさすら楽しんでいるようだ。時に睡眠時間を削ってでも活動の現場に手作り弁当を持参するなど、やや完璧主義な面がうかがえる。

流行に敏感なのは彼女のSoul number#5が影響しているかもしれない。

バラエティー番組出演時には番組にまつわるネイルアートをして出演者を喜ばせたり、大御所と言われるようになっても誰とでもフラットに接する姿から、調和を大切にし平和で穏やかな性格といえる。

歌手と女優の他に、自身のライフワークである、愛と平和のための支援をパートナーと行っている。(詳しくは後述)彼女の天性のセンスに加え、様々な経験から培った実力と人脈を活かして天職を見つけ、崇高な理想をシェアする姿は、#6から#15へと生き方が進んでいるといえるだろう。

Destiny number(人生における使命や目的) #1-10 (旧姓 #5)
誰もやったことがない新しい芝居を創ってみたいという強い想いから、企画・脚本・構成・演出・出演・資金集めまで全てを手掛けるコンセプチュアルアートシアター「印象派」を主宰。台詞に頼らず身体で感情を表現する手法「身体言語」で芸術表現する独自の舞台を確立。

「何事もとにかく自分でやってみる」のが彼女のモットーで、その行動力や独創性は#1の持つ力が存分に発揮されている。またTypeⅡの特質も後押ししている。
芸術活動を行うなかで、人の情熱や自然のエネルギー、人種や宗教などさまざまな価値観を尊重し、今もなお学び続けている姿は、Spiritual Fallを迎え、本来の自分の使命に目覚めた証といえよう。

TypeⅡ(個性の傾向・特質)
〈Emotion〉情緒・感情の現れ #5 (旧姓 #6)

鋭く豊かな感受性と激しく情熱的なエネルギーを持ち、溢れるパッションやエネルギーを発信できる人、発信することでコントロールできる。
真実の愛に至る、ノンジャッジ、快楽・感情を自らコントロールし冷静に振る舞う、感情を俯瞰してみられる人、淡々としているようにみえるが自覚してコントロールしている。

〈Intelligence〉知性・知的才能をどう役立てるか #1
集中的学習癖、インスピレーション、閃きや直観、抽象的領域、知性が高く、視覚的なイメージからの学びが得意

〈Body〉身体の持つ創造的ヴァイブレーション(旧姓 #1)
バイタリティ循環、エネルギー治療、ホリスティック、体のエネルギーが強い、身体の状態や自分軸のバランスの大切さについて身をもって感じる。





Soul number(魂の欲求) #5 (旧姓 #3)
若い頃は「しょっちゅう人に惚れていた」が人と暮らすなんて考えられなかったし、恋愛の延長に結婚という考えが面倒くさく感じていた。グループサウンズの追っかけをしていたり、パーカッショニストである現在の夫にも、彼の奏でる音とそのセンスに惚れて、自分からアプローチしたという。惚れたら一直線な肉食系女子である。

結婚について「自分もしっかりしてないのに人の面倒なんてみれないと思っていた」というのはBirth number#6の誠実さの表れでもあるかもしれない。

人に決められたことが嫌いでフリーが好き。「人生一度きりなんだから自分の好きなように生きていくほうがいいよ」とことあるごとに発言しており、とことん自由を愛する人。
「人生は不安定なほうが面白い。安定したらブスになる。」と常に刺激や緊張感を持って、革新的な表現を追求している姿が印象的。多芸多才で鋭い知性を持っているからこそ、自分も楽しみ関わる人も観ている人も楽しめる独自の芸術表現を確立できたといえる。

歌、芝居、支援で人生を回している。フットワークが軽く、多芸多才で器用な人。

Personality number(社会的な仮面) #5 (旧姓 #2)
本業の歌手や女優だけに留まらず人道的な支援など活動は多岐に渡り、情熱的に活動する姿はまさに、活発で多才、なんだか魅力的に見える所以である。

世の女性が憧れるカッコイイ女性の代表ともいえる一人であり、「姐さん」と呼ばれ、親しまれていることがブログから垣間見ることができる。
女性性が強く見えるからこそ自由で独創的なカッコよさが際立ち、彼女の魅力をさらに増幅させているのではないか。

Realization number(今世達成しようと設定してきたこと) #7  (旧姓 #2-11)
芸術を通して精神性を探求し、昇華させることをミッションとして設定してきている。時に人間離れした、一見理解しがたくも感じる表現力は、世俗からの離脱に近いような気さえするほど神秘的であり、霊的感受性の鋭さの一端なのではないか。寺院での奉納公演も行うなど、誰かとコラボレーションしながら、天と地の橋渡し、人と人の橋渡しをする、設定どおりに生きている。精神性に通じながら、現実世界とのバランスを上手にとれている人である。

Stage(活躍する場) #1-10  (旧姓 #4)
創造性とオリジナリティ、インスピレーションの向く方に前進し探求する。支援活動によって外国の女性と子どもたちが生きやすい社会の仕組み作りを目指している。

Challenge(今世乗り越えようと設定してきたこと) #1-10
さまざまな経験や芸術からインスパイアされ、常に独創的な芸術表現を形に残すことに挑戦し続けている。

Nature(自然に醸し出す雰囲気) #2  (旧姓 #5)
優しく受け止めて、彼女なりの自由な発想でアドバイスしてくれそうな「姐さん」は、世の女性たちに頼りにされ雑誌の連載などで人生相談にのっている。

Action(行動パターン) #9  (旧姓 #3)
どんな人生にもそうである意味を持っていると思っている、自然主義。「皆それぞれの役割分担があって、何かの使命を背負っている。皆それぞれの人生に誇りを持って生きればいい。」とどこか達観した人類愛・ボーダーレスな価値観を持ち、自分なりの人生を楽しむことを実践・推奨している。

TypeⅢ(資質の得方)
〈Balance〉6

先天的にたくさんの資質を与えられている。
(旧姓 -2)後天的にたくさんの資質を経験によって得る。




【人生の流れをよむ】


0-30歳
Cycle number #5
家族問題、自らを表現する場の変化
Pinnacle number #7
幼少期や下積み時代に内省を求められる環境
Challenge number #3
どこにいても自分が心から楽しいと思えることを目指す


1952年(year cycle #24)0歳
・東京都豊島区に生まれる。


1961年(year cycle #24)9歳~1967年(year cycle #21)15歳
・母親と姑がケンカしたことが原因で引越し。小学校3年生から中学校3年生まで埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)で育つ。
・当時は幼少であったこととyear cycleが2から始まる2桁であることから自分の意思ではなく受動的な環境の変化といえる。また、家族内での人間関係の問題を身近で目の当たりにしながら育ってきたと考えられる。放任主義で育てられ、親に叱られたことがなかったそうで、内省を求められる環境であったといえる。
・中学時代、合唱部がなかったので自分で音楽サークルをつくる。楽しみ、楽しませることを実践。

1968年(year cycle #22)16歳~1970年(year cycle #24)18歳
・高校時代、グループサウンズにはまり、タックスマンの追っかけをして、個人的に仲良くなるまでに発展。

1971年(Year cycle #25)19歳
・中島淳子名義で「小さな恋」にて歌手デビュー。ロック&ブルースが好きなので、ジャニス・ジョプリンのような曲を歌いたかったが当時希望は受け入れられず、清純派アイドルとしてデビューした。しかしあまり注目されず、キャバレー回りの日々が続く不遇の時代を過ごす。

1973年(Year cycle #18)21歳
・夏木マリ名義で「絹の靴下」を発表。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットした。

1974年(Year cycle #19)22歳
・各局の歌番組に続けて出演するなど多忙な日々を過ごすが、低色素性貧血で3ヶ月もの入院と療養を余儀なくされる。復帰した時には仕事が激減してしまう。
・治療のための大量輸血により「性格が丸くなった」という。生死に関わる出来事により、彼女なりのSpiritual Fallが起きたのかもしれない。

1981年(Year cycle #26)29歳
・8年間のキャバレー回りで夢も希望も無くなり、「30代の自分のイメージは今の姿とは違う」と自己申告して事務所を辞める。
・その後ミュージックホールで2か月間働く。他のダンサーたちが忙しいスケジュールのなか楽しそうに稽古を積みながらショーをこなすプロ根性を目の当たりにし、いかに自分が学び足りないかを痛感。「好きという気持ちはなんて素晴らしいんだ」と気付く。ジャズダンスや歌を学び直そうと決意。キャバレーとホールでの魅せ方の違いを学ぶ。

1982年(Year cycle #27)30歳
・ミュージックホールでのショーを見ていた五社監督に見いだされ「鬼龍院花子の生涯」で映画デビュー。女優という新たな分野でのスタート。

1975年(Year cycle #20)~1982年(Year cycle #26)
・テレビドラマ「Gメン’75」に出演。

31-39歳
Cycle number #2
表現者と観客、表現者と監督者、表現者と表現者など、人との関わり方を模索
Pinnacle number #1-10-19
自ら開拓していく環境
Challenge number #6
理想の芝居、理想の自分、芸術性の追求を目指す


ミュージカルへの出演などの声がかかるようになるが、「芝居が好きじゃないのに芝居をしている自分」に気が付く。人に求められ自分が理想とする演技に、実力がついていかなかったり、自分軸がブレてしまう挫折感を味わいながらも、人に叱られ技術を磨いていける劇場という場が好きで芝居を続ける。あるとき集団での自分の立ち位置が分からなくなり、演劇が混沌としてきて一人になって時間を置きたいと考えるようになる。

1983年(Year cycle#19)31歳
・映画「里見八犬伝」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。

1984年(Year cycle#20)32歳
・映画「北の螢」で芸術選奨文部大臣新人賞受賞。

1986年(Year cycle#22)34歳
・ゴールデンアロー賞、紀伊国屋演劇個人賞受賞。

1990年(Year cycle #26)38歳
・単身NYへ半年留学。たどたどしい英語しか話せないがチャンスがあればブロードウェイに立ちたいという思いから、オーディションやダンスレッスンを受け、毎食プロデューサーに自らアポイントを取り会食するなど果敢に自らを売り込むが演出するに至らなかった。しかし、「自分の力でやってみる、ドアを叩けるようになった」ことが収穫という。自分も何かを発信してみたいと思うようになる。

40-48歳
Cycle numbers #2
表現者と観客、表現者と監督者、表現者と表現者など、人との関わり方を模索
Pinnacle number #8
結果が出る、人々を巻き込んでいきながら活動する環境
Challenge number #3
心から楽しみ、表現し、周りを照らすことを目指す


1993年(Year cycle #②-2)41歳
・コンセプチュアルアートシアター「印象派」を発表。海外で高い評価を得る。誰もやったことがない新しい芝居を創りたいという思い、創る楽しさ、表現方法の模索・探求。

1995年(Year cycle #4)43歳
・小西康陽からのアプローチを受けミニアルバム「九月のマリー」を発表。

49歳-
Cycle numbers #8-17
・達成の時、様々な力の中でのバランス、コントロールが要る時期
Pinnacle number #4-13-22
・現象化、社会的な認知・収穫、多忙の連続、ハードワーク、理想の現実化、現実世界での大きな事業の取り組み、組織力、強い感受性が発揮される環境
Challenge number #3
・感性の豊かさを活かした表現力により周りを照らす、楽しみながら人材育成を目指す

2001年(year cycle #11)50歳
・「千と千尋の神隠し」の湯婆婆・銭婆婆の声を演じ、幅広い年齢層に認知される。

2002年(year cycle #12)51歳
・映画「ピンポン」出演。日本アカデミー賞優秀助演女優賞受賞。

2004年(Year cycle #③-4)52歳
・著書「カッコいい女!」を出版。

2005年(Year cycle #③-5)53歳
・テレビドラマ「野ブタ。をプロデュース」に出演。
・著書「81-1」を出版。

2006年(Year cycle #③-6)54歳
・ブルースバンド「GIBIER du MARIE」(野獣とマリ)を結成。アルバムのプロモーションビデオの監督も務める。
・演劇・テレビ・コンサートの多岐にわたる活動と歌唱力で松尾芸能賞演劇優秀賞受賞。

2006年~2014年
・テレビドラマ「医龍-Team Medical Dragon-」シリーズに出演。

2007年(Year cycle #③-7)55歳
・国際NGO、World Visionチャイルドスポンサーとなる。せっかく支援するならまだ行ったことがない国と縁を築こうと、エルサルバドル、エチオピア、バングラディシュの3ヵ国のチャイルドを選ぶ。
・パーカッショニストの斉藤ノヴ(本名:斉藤信男)氏と交際中であると発表し、これをフランス婚と表現し、籍にこだわらないことを明かしている。
・万年筆ベストコーディネート賞受賞。

2008年(Year cycle #③-8)
・斉藤ノヴ氏の楽器と自身の声を持ってチャイルドに会いに行こう!とバングラディシュとエチオピアを訪問。
・「支援を始めてから、自分のことで精一杯だった私が人のことを考えられるようになり、優しく、また強くなったと思います。」「小さなことからでもいいので、心と心を繋ぐ活動をしたい。」
「ゆくゆくはエチオピアのバラ園を買って現地に雇用を生み出し、そのバラが日本にも輸出される。おばあさんになった時に実現していけたらいいな、というような大きな夢を持つようになりました。」
・著書「泣きっ面にマリ」を出版。

2009年(Year cycle #③-9)57歳
・パフォーマンス集団MNT(マリ ナツキ テロワール)を立上げ主宰。ワークショップを通じて後進の指導にも力を入れ、またその功績に対しモンブラン国際文化賞を受賞。カンパニーワークの印象派NEOシリーズvol.1「わたしたちの赤ずきん」を発表。さらに新たなスタートをきる。
・日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞。

2010年(Year cycle #③-10)58歳
・支援活動「One of Love」プロジェクト(途上国の子どもたちに未来の仕事を送るプロジェクト)を設立、スタート。一つの愛が集まると何かが変わっていくというメッセージが込められている。どうせやるなら、自分たちらしい支援をと考え、自身らが大好きな「バラ」と「音楽」を軸に、途上国の働く女性と子どもたちに支援している。毎年6月21日(世界音楽の日)に開催されるライブの収益と賛同する日本の花屋さんでのバラの寄付金(売上の15%が寄付に繋がる)で成り立っている。バラの種から選び、品種改良に取り組んだ「マリルージュ」を開発。ライブは様々なアーティストも参加。
・「それまでに色々な団体からのお誘いがあったが、広告塔になるのが嫌だったし、最後まで責任を持てる自信がなかったので、断ってきた。ボランティア精神はそもそもキリスト教に基づくものなので、日本やアジアでその感覚を自然に身に着けるのは難しい。でも、自分には自分からやりたいと思う時期がやってきた。そして実際にやってみたら、こんなにハッピーになれるのかと気付いた。」まさに#6の人の#10の時。
・モンブラン国際文化賞受賞。

2011年(Year cycle #③-11)59歳
・斉藤ノヴ氏と入籍。彼の家族と繋がることで、きちんと嫁として関わりたい、真面目な付き合いをした方がお互い安心だ、とある時感じたことがきっかけ。
・「彼は優しく(器が)大きいので自分も優しくなった。丸くなった。人の意見を聴き、受け入れ、乗ることもできるようになった。人生の後半で誰かと生きるのもいい。」
・支援前は字が読めなかった支援先のチャイルドから震災の影響を心配する旨のメールが届く。
・連続テレビ小説「カーネーション」晩年期の主役およびナレーションで出演。
・テレビドラマ「名前をなくした女神」「バラ色の聖戦」に出演。



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〈斉藤ノヴ氏との相性〉(1950年11月6日生まれ)
公私共に#7・#8がLostで、#1・#9が特に共通していることから、地位・名誉・ビジネスが目的ではなく、楽しみながら自分たちらしい人道的な活動を共に行える関係といえる。

夏木さんが#4を補い、現実的な問題を対処していると考えられる。

斉藤氏から#6を補ってもらい、本当の愛を学び、彼女の持つ#6のヴァイブレーションが強くなる。

斉藤氏のBirth#5、Destiny#8、Soul#7、Realization#4が彼女のコアナンバーやライフパスとリンクし、さらに彼女の本来の生き方を後押ししている。
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2012年(#③-12)60歳
・「人間60歳(還暦=ロクマル)で生まれ変わる」ときいたことから、今までの人生を振り返りやり残したことをもう一度やろうと、芸能界入りのきっかけでもありパッとしなかった歌をもう一度やろうと決意する。年を重ねることをユーモアに表現し楽しんでいる。
・ザテレビジョンドラマアカデミー賞特別賞受賞。
・ネイルクイーン2012協会特別賞受賞。
・ベストジーニスト2012協議会選出部門受賞。

2013年(Year cycle #④-4)61歳
・エッセイ「私たちは美しさを見つけるために生まれてきた」を出版。
・フジロックへの参加など勢力的なライブ活動で反響を呼ぶ。・NHKラジオ「夏木マリ 丈夫も芸のうち」でパーソナリティ、WEBマガジン「NATSUKI ROCK」natsukirock.comで編集長、音楽トーク番組「夏木スタイルOne of Love」でナビゲーターなど、多方面で幅広く活躍。
・ジャパンシガーアワード受賞。
・ベストドレッサー賞受賞。

2014年(Year cycle #5)62歳
・6月印象派NEO vol.2「灰かぶりのシンデレラ」を公演。かねてから親交の深い斉藤和義氏が夏木マリのために書き下ろした新曲「Player」がTVアニメ「山賊の娘ローニャ」のエンディングテーマになる。
・テレビドラマ「ファーストクラス」出演。

2015年(Year cycle #6)63歳
・自身初の全国ライブハウスツアー「MAGICAL MEETING TOUR Live&Talk2015」をスタートさせ、歌とトークを通して、キャリア44年の圧倒的なパワーを全国のファンに届けた。
・公式ブログ開設(2016年1月)。
・ミニアルバム「朝はりんごを食べなさい」リリース。表題曲は、ゆずの岩沢厚治氏が作曲を担当。(2016年4月)

2016年(year cycle #7)64歳
・全国11ヵ所でライブハウスツアー「MAGICAL MEETING TOUR Live&Talk 2016」を敢行。
・華原朋美、土屋アンナ、シシド・カフカ、LiLiCoと女性コーラスユニット「and ROREs」(アンド・ローゼス)を結成。(2013年6月21日Year cycle#④-4で考案していた)「紅のエピローグ」をリリース。強い女性が集まると、優しいものが生まれるという発見。
・旅行好きがこうじて、H.I.S.ヨーロッパ親善大使に就任。
・テレビドラマ「私結婚できないんじゃなくて、しないんです」に出演。
・印象派NEO vol.3「不思議の国の白雪姫」上演。(2017年3月)





【リーディングを終えて】


卒業レポートの話をきいたときに、なぜかピンときた夏木マリさん。実は、恥ずかしながら夏木さんの作品や著書を見たことはほとんどないが、Birth #6-15、Soul #5などさまざまなナンバーが私とリンクしており、選ばせていただいたことは必然だったのだと分かる。

人生におけるどのステージでも、情熱的でありながら、常に素直で謙虚に、まっすぐ自分の思いを伝え行動している夏木マリさんの人生が明らかになった。どんなときも他者への尊敬と愛を忘れないからこそ、あらゆる年齢・分野の人々に慕われ愛されているのだと分かる。また、過去の苦労や気付きをすべて自分の人生の糧とし、芸術表現を通じて世の人々にメッセージとエールを贈る姿がとても眩しく感じられる。

さらに、自分の魂がイエスと納得するまで行動しない、その時が来たと思ったらあらゆる場所で色々な人と関わり全力で情熱とエネルギーを傾けるという彼女の生き様は、私のSoul#5とリンクし、恐れながら私自身の生き方のモットー「ピンと来たらやってみる、納得できないなら進まない」と似ていることが素直に嬉しい。

彼女の日頃より知性と直観力を楽しみながら磨き、自分の魂の欲求を現実世界で受け入れられる形として表現していくこと、さらに愛するパートナーと手を取りながら、ライフワークとして色々な人を巻き込んで人道的な支援を行う姿は、まさに今世で私が挑戦しようと設定してきた姿そのものであることに気が付き、驚きを隠せない。

私はDestiny#3-12、Challenge#8、Realization#9で、自分の直観を信じ、今後は精神性への探求を生涯続けながら、自分も楽しみながら人々に光を当てていくことができる、そんなライフワークを見つけていき、様々な経験によって得たものを、誰かをサポートする力として現実世界に打ち出すこととなるのだと思う。
今回のリーディングでは、私はまだまだ表現することや行動することが苦手と思い込み、課題なのだと改めて分かった。幼い頃から生きづらさやこの世のスタンダードな人生を歩めていない焦りや劣等感などを感じていたが、自分のライフワークを見据えて、夏木マリさんから表現力の磨き方や周囲の人との関わり方のヒントのようなものをいただく機会となった。
夏木マリさんも不遇な時代や家族問題などを乗り越え、今輝いている。自分らしく生きていく勇気と自信をいただいた。

私も魂が望む本来の自分に近付いていけるよう、愛と感謝を忘れずに過ごしていきたい。





Reported by 
AEONS Numerology Basic the 13th Class
Miho @ Keio-Inokashira Class