ザスタのクマさん -18ページ目

ザスタのクマさん

あらゆるアート、デザイン、 特に写真が大好きなクマこと熊谷の作品集。

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1954年(昭和29年)のこの日、それまでの「汚物掃除法」を改正して
「清掃法」が制定された。

レンズのすぐ前では、砂にまみれたペットボトルが、異様なまでの精密さで
写しとられている。ボトルの側面を走る細い傷、指で押しへこませた跡、
こびりついた塩の白い結晶。

その向こうでは、背後の人影が、わざとらしくもなく、しかし
どこまでもあいまいにぼやけている。軍手をはめた腕が動いているのか、
ただ腰を折ったままの姿勢でいるのかさえ、判然としない。

だが、ピントを外され、顔かたちを奪われても、その人影の周囲には、
確かに何かが累積しつつある。さっきまで無造作に散らばっていたはずの
ごみが、ひとつ、またひとつと、透明な袋のうちに集められていく。

袋の口は、まだ縛られてはいないけれど、そこに集められた異物たちは、
もはや浜辺の景色の一部ではない。

砂の上から追放された、小さな罪科の群れである。

カメラはあくまで、足もとのゴミ屑だけに忠実であろうとする。
人間の顔を避け、背中をかすませる。その冷淡さが、かえってこの光景の
本当の主役をあらわにしているともいえる。

写されるに値しないと見なされてきた、ごみそのものが、いまや画面一杯に
その細部をさらけ出し、拾う者は影に退いている。








やがて太陽が少し高くなり、砂の色が乾いた灰色に変わっていくころ、
レンズの前には、拾いそこねた一本のストローが、ぽつねんと残されている。
その細い影が、浜辺に引かれた罰線のように見えるのは、清掃デーという名前の、
どこか他人行儀な響きのせいかもしれない。

人は今日一日、海辺をきれいにしたと胸をなでおろし、
明日になればまた、別の誰かが、同じようにかがみこんでごみを拾うのだろう。

ピンボケの背中は、終始何も語らない。ただ、画面の端でわずかに傾き、
また起き上がり、そのたびにレンズの手前では、新たなペットボトルや
ポリエチレン袋らが、砂から切り離されていく。

四月二十二日の海は、その一部始終を、波音だけを立てて見ている。



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リスボンの夕暮れ時の風は、昼間の熱をどこか置き忘れてきたように、石畳の上を
するすると撫で、さっきまで降っていた通り雨の名残りが窪みに小さな鏡を造り、
そこへ西日の色づいた空が、やや気恥ずかしそうに身をかがめて映り込んでる。

その坂を、古風なデザインの黄色いトラムがひとつ、ぎいぎい、と
古い戸口を押し開けるような音をたてて、こちらへ降りてくる。

車体の縁には、幾度となく指先と靴底に耐えたであろう塗装の剥げが、
年輪のように重なっている。濡れたレールに車輪が触れるたび、金属は
小さく悲鳴をあげ、その悲鳴が、どこか懐かしいオルガンの音色に似てるのが
不思議なのだが、通りすがりの誰も、その音をもう聞き慣れてしまったらしく、
わざわざ振り返ろうともしない。

ただ、私は夕立の匂いとともに、その音の方へ、黙って視線を送っていた。

店先のガラスには、ささやかな電燈がともりはじめ、まだ完全に
夜になり切れない空の青さと、互ひに遠慮し合つてゐる。









わたしの坐っている運転席の横では、古い木製の窓枠が、雨に膨らんだ
衣服のように、ところどころ軋んでいる。市電は坂を下りながら、別の一本の
線路を、まるで鏡の中の分身でも追いかけるように、ゆっくりと追って行く。

「おっと!危ない」

市電の出発寸前に、一番後ろの窓の外の縁に飛びついて無賃乗車する
12.3歳の少年達3人。彼らは何の罪悪も感じていないらしく、
むしろ自分たちの身の軽さが、この鉄の箱をいくらか明るくしていると
信じきっている風である。

濡れたTシャツを風に乾かしながら、さもさりげなく車体の端を掴んでいる。
その姿は、町のどこにも所属しない、小さな亡命者達のようだ。

次の停留所近くで減速したトラムから次々と少年たちが飛び降りた後、
最後一人になった少年だけが、まだしっかりと掴まっていた。
彼は連れの笑い声に頷きながらも、彼にとって世界とは、まだ、無料で乗れる物と、
まだ試していないものとに、単純に二分されているに過ぎないからだ。

無賃乗車という語は、彼の小さな辞書の中で、まだ「今日はうまくいった」
という程度の意味しか持っていない。

市電がカーブに差しかかると、彼の身体はふいに宙へ引き出された。
握った手が、一瞬、石畳と空とのあいだを綱渡りする。その危うさを、
彼自身はほとんど楽しんでいるように見えた。

だが、飛沫をあげて後ろへ流れてゆく街路の夕焼けは、もうすでに、
彼の知らない季節への切符を一枚、黙って切り離してしまっている。









その時はこの無賃乗車がなぜか?、リスボンの、のどかさを象徴しているような、
とても微笑ましい光景に思えて「ガンバレ、落ちるな、ガンバレ。」
って思いっきり、僕は心の底から叫んでいた。

彼は手すりを握り直し、体を少しだけ外側へ預ける。その身振りには、
いかなる将来も書き込まれていない。学業も、職業も、破滅も、成功も、
まだ一行も書かれていない白紙が、夕立のあとの風に何気なく晒されている。

この街では、雨はすぐに過去になる。濡れた路面も、濡れた少年の頬も、
あっという間に乾いてしまうだろう。けれど、乾く前の、わずかな湿り気を
帯びた時間のなかで、無賃という言葉は、料金所の外側に咲いた
花の名のように、ひそかに美しさを帯びる。

やがて市電が坂を曲がり、少年の姿は私の視界から消えた。データーの中には、
しかし、あの瞬間の横顔が、雨上がりの匂いとともに閉じ込められていて、
まだ何者にもならないことを許された年齢の、ひとりの少年がいる。

彼は、いまもどこかの街角で、料金表にない夕方の値段を、
勝手に支払い続けているに違いない。


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昨日に続いて今日も京都の話です。

💌 郵政記念日の朝四月二十日、郵政記念日。
新聞の片隅にそう刷り込まれているのを眺めながら、私は南座の前で信号が
変わるのを待っていた。郵便制度が始まったのは、明治四年のこの日だという。
東京と京都と大阪を結ぶ新しい仕組みが、飛脚の足音をそっと上書きした日で
あるという話を、どこかで読んだ。

もっとも、私にとって郵便というものは、歴史的事件というより、
ポストの赤い色のほうが先に思い出される。なかでも、このあたりに
一本残された丸いポストは、まるで明治の置き土産のように、静かに立っている。

信号が青に変わると、私は南座の軒先をかすめるように東へ折れ、
花見小路へと足を向けた。










🚶 花見小路の奥で
四条通の騒ぎを背中に置いて角を曲がると、空気の密度が少し変わる。
車の排気の匂いが薄れ、代わりに出汁の湯気と、畳の乾いた匂いが混じり合う。
石畳に沿って、格子戸の連なる茶屋が静かに口を結び、
昼の光を遠慮がちに受け止めている。

角を二つ数えたところで、例の丸いポストが見えてくる。
胴のあたりには、長年の雨風でうっすらと傷が入り、そのひとつひとつが、
知らない人々の手紙の数だけ刻まれた年輪のように見える。
表面の赤は、買ったばかりの朱肉のような鮮烈さをとうに失い、少
しだけくすんだ色に変わっているが、それがかえって、ここでは似合っている。

私はふと、丸い投函口を覗き込んだ。暗い口の奥には、
いま投げ込まれたばかりの手紙が、一通、二通、重なり合っている。

その封筒のどれか一つが、もしかすると、「祇園南座前」だとか、
「花見小路の角の茶屋」だとか、そんな宛名を書き連ねているのかもと思うと、
見知らぬ誰かの心の重さが、ポストの鉄の肌を通して、
じんわりと掌に伝わってくる気がした。

✉️ 手紙と街の呼吸
郵便という制度が生まれたとき、人々は、遠くの町へ言葉を
送ることの不思議に、どれほど胸を躍らせただろう。

今でこそ、指先ひとつで大陸を飛び越えられるようになったが、
その軽さに慣れてしまうと、逆に、切手を選び、宛名を書き、
投函口にそっと封筒を滑り込ませるまでの、
あの一連の重たさが、恋しくなる。

観光バスの吐き出す外国語や、スマートフォンの電子音は、
彼にとっては新しすぎる雑音なのだが、それでも彼は文句
ひとつ言わず、ただ淡々と差し出された手紙を飲み込んでいく。

私はポケットから一枚の絵葉書を取り出し、しばし逡巡したのち、
投函口にそっと差し入れた。花見小路の風情を写したその一枚が、
いつかどこかのポストに吸い込まれてゆくまでの旅路を思い描きながら、
私は南座の方へと歩き出した。

振り返ると、丸いポストは、何事もなかったように、
少し色褪せた赤い背中を、静かに通りに向けていた。



少年の頃の思い出の1曲





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そう言えば、3月もスペシアルだぜー

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そう言えば、6年程前立体の日本地図を撮影した事があった。

🗾 富士より伊豆を望む
卓上の日本列島は、プラスチックの海からそびえ立つ玩具の富士山である。
富士の南側に、短く張り出した半島がある。伊豆半島である。
教科書では温泉と火山の名所として紹介されるこの土地も、
立体地図の上では、湯気ひとつ立てない、黙りこくった突起物にすぎない。

私は指先で、その小さな半島をそっと撫でてみる。
すると、教科書の余白に書き足された、修学旅行の落書きのような
記憶が、じわじわとにじみ出してくる。

上から見る伊豆は、たしかに「地形」である。しかし下から見上げたとき、
私たちに迫ってきたのは、水平線の向こうまで続く「旅への口実」だった。

地図の上で半島は、ただ海に突き出しているだけである。
けれども旅人にとって、突き出しているのは、
きまって自分の物好きな心の方であった。










⛰ フォッサマグナと黒部

日本列島の真ん中に、器用な誰かが墨をこぼしたような溝がある。
学者はそれをフォッサマグナと呼び、少年にはただ「境い目」と説明する。
立体地図を斜めから覗き込むと、その境い目は思いのほか浅く、却って
不気味に見える。世界を分ける傷にしては、いささか控えめすぎるからだ。

一方、黒部の谷はどうだろう。こちらはむしろ、人間の側が傷口を広げた。
岩盤をくり抜き、ダムを築き、アルペンルートと名付けて、観光客を標高の
高みに押し上げる。立体地図の上で黒部を眺めると、その深さは誇張にも
戯画にも見える。谷はまるで、山岳を題材とした一枚の銅版画の上に、
黒々とした影を彫りこまれた挿絵のようだ。

思えば、日本地図というものは、礼儀正しすぎる。
フォッサマグナを、まるで上品な仕切り線のように描いてみせるが、
その実態は、国土が真ん中から「性格の違う岩同士」で喧嘩をした、
その古傷にほかならない。黒部の断崖もまた、その喧嘩の飛び火である。

地質学者は、フォッサマグナを語るときに詩人めいた口調になる。
数百万年の時間を相手にするには、学問だけでは少し心細いのだろう。

電力会社の技師は、黒部を語るときに寡黙になる。あまりに具体的な
苦労は、言葉にすればかえって安くなると知っているからである。

しかし、地図の上では、両者はただの凹凸にすぎない。フォッサマグナも
黒部峡谷も、指先でなぞれば、同じような谷筋としてすべり落ちてゆく。

立体地図というものは、世界を三次元にしながら、その実は
四次元目の時間を巧みに削り取ってしまう装置であるらしい。











🏯 京都という迷路

京都を上空から眺めれば、碁盤の目の整然たる街である。立体地図においてさえ、
その秩序は揺るがない。東西南北まっすぐに走る通りは、まるで古代の役人たちが、
巨大な定規を振り下ろして引いた跡のようだ。

ところが、いざ人間の背丈で歩き出すと、この街はたちまち迷路に変わる。
寺の山門に吸い込まれれば時間を失い、路地の提灯に誘われれば財布を失い、
川べりの桟敷に上がれば慎ましい決心を失う。

京都とは、失われたものの総量によって、かろうじて輪郭を保ってい都市である。

地図はその京都を、冷静な顔つきで俯瞰している。寺社のアイコンを並べ、
世界遺産に印を付け、標高差を几帳面に彩色する。だが、祇園の角を曲がった
時にふと胸を刺す、見知らぬ花の匂いを記号にすることは出来ない。
鴨川の水音に紛れて聞こえてくる、別れ話の一言を凡例に載せるこ事も出来ない。

地形的にみれば、京都は、山と川と盆地が、渋々折り合いをつけた結果できた、
ささやかな平地でしかない。ところが人間は、そのささやかな平地に、
政治と宗教と文学と陰謀を、これでもかと詰め込んできた。

その結果、立体地図の上では平らな盆地が、歴史の教科書の中では、
やたらと凹凸の激しい地名になってしまったのである。

私は、立体地図の京都のあたりに目を落としながら、ふと、そこに置かれた
都市そのものが、一種の「余白」ではなかったかと思う。

山と山の間の余白、権力と権力の間の余白、そして、過去と現在の間に、
なんとか挟み込まれた、あやうい静けさの余白である。

立体地図の京都は、北の山々が、控えめに市街地を抱きこみ、
東山がほんの少しだけ、街路に影を落としている。

そのささやかな起伏が、平面地図では伝わらない
「囲まれている感覚」を、不器用な手つきでなぞっているように思えた。

私はその模型の上に、そっと掌をかざす。もしもこの地図が、千年前の
都人の溜息を、ほんの一つでも吸い込んでくれているならば、京都という
迷路も、少しは歩きやすくなるのかも知れないと、根拠のない事を考えながら。











三枚の写真を並べてみる。
富士から伊豆を眺める写真。
フォッサマグナから黒部をなぞる写真。
そして、京都近辺を切り取った写真。

どれも同じ日本列島の一部であるはずなのに、見れば見るほど、
それぞれが別の物語を勝手に語り始める。

そのせいか、日本全体を俯瞰しようとすると、かえって、
どこにも足場がなくなるような心細さを覚える。

地図とは、本来、世界を掌に載せて安心するための道具であったはずである。
ところが、この立体の日本地図を眺めていると、落ち着きなく身じろぎをする
列島を、なだめすかしているような気持ちになり、
ほんの少しだけ敬語を使いたくなるのである。


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今日は良い肌の日。

同じような語呂合わせでも、よい肌、と声に出してみると、
四と一と八という数はどこか遠くへ退き、残るのは
「よ」と「は」と「だ」の、やわらかい三つの音だけになる。

超有名女優『Marilyn Monroe』が頭文字が『M・M』と
Rで締めていくのと同じような柔らかさだね。

それらは、洗い立ての布が風に揺れる音や、朝の洗面所で水をすくう
指先の気配と、どこかで密やかに響き合っている。








たぶん、どんな化粧品より、この青い胡瓜一本の方が、よほど誠実な慰めを肌に
与へてくれるやうな気がする。薄く削いで頬にあてがふと、雨音と同じ調子で、
胡瓜の冷たさが皮膚の下へ沁みてゆく。少しばかり火照つた血の色が、
ゆるやかに鎮まつてゆくのがわかる。

胡瓜を貼りつけた頬を撫でると、その上には、言葉にするほどの変化もない。
皺が消えたわけでも、色が白くなつたわけでもない。ただ、
指先に触れる自分の肌が、昼よりも少し静かになつている。

ささくれだった心持ちが、井戸水の底に沈んでしまつたと感じられる。

雨はまだ降つてる。窓の外の闇と、頬に貼りついた胡瓜の淡い匂ひとが、
部屋の空気をひつそりと満たしていた。

目を閉ぢて、なにか遠い昔から続いてきた、ささやかな儀式のやうに、
その冷たさが温もりに変はるまで、じつと息をひそめてみたのだ。


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 文  熊谷

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印象派を代表する仏蘭西の画家クロード・モネ。 
ジヴェルニーの自宅前の庭はチューリップの満開です。

風が吹くたびに、その放埒な色彩は一斉に小さく頭を垂れ、また元の位置に帰る。
そのしぐさが、まるで画家の筆先にこびりついた絵の具が、キャンヴァスの上で
微かに震えるさまを、幾千倍にも引き伸ばして見せているように思わた。

僕は、チューリップという花の持つ、いくぶん商人的な、
しかしどこか貴婦人めいた俗気を、これほどまでにあからさまに
見せつけられたことが、かつて一度もなかった。







日本庭園に向かう。
「日本風」とは、提灯か竹垣か、よくて盆栽が
一つ二つ置かれている程度の、国籍不明な異国趣味を意味するからだ。

ところがジヴェルニーの庭は、そうした安っぽい異国趣味とは
少し趣を異にしていた。
確かに、橋はあからさまに「日本風」で、色彩もどこか
芝居がかった緑をしている。
吊られた藤棚も、どことなく歌舞伎の書割のように見えなくもない。

それにもかかわらず、私がそこに立った時、奇妙な既視感が胸にひろがった。
「日本」としてはどこか違うのに、「日本的」とは妙に的を射ているのである。

そして日本びいきの彼が作った日本風庭園にある睡蓮の池。
絵に描かれているままの風景なのですが、「池」の割りにはやや大きい、




睡蓮 1907 イスラエル美術館



中央部分がモネの絵にそっくり




因みに写真中央奥に小さく見えるのが日本風の太鼓橋。



睡蓮の池、緑の調和(太鼓橋)1899年 オルセー美術館(パリ)

ちなみに現代では4月末から5月の頭、この日本風の太鼓橋をすっぽりと
覆うように、ぎっしりと花房をつけた藤が満開となる。

それでも、やはり、日本庭園というものの、僕にとってはあくまで
フレンチ、ジャパニーズのような、洋風な感じを否めない。






太鼓橋の上にいる自分は、どうにも居心地が悪い。日本から来た僕が、
フランス人の画家が想像した「日本」を、フランス片田舎の村で眺めている。
そのねじれた構図が、何とも言えぬ滑稽さを帯びている。

しかし、滑稽さの中には、少しの真心も混じっている。モネにとって「日本」は、
ただの趣味ではなく、老年に至ってもなお変わらなかった憧憬だった。
その証拠に、この庭は老境の画家の手慰みにしては、あまりに手がかかり過ぎてる。

池を覗き込むと、水面には幾枚もの葉が、まるで古い手紙のように散らばっている。
モネはこの葉を、一生かかって読み解こうとしたに違いない。

水面は空を映しているのか、樹を映しているのか、風が吹くたびに、水底の真実が
少しだけ揺らいでは、また何事もなかった顔に戻る。その水面に揺れている
曖昧な光だけをモネは一枚一枚、絵具で塗り固めていったのだろう。



そしてモネのアトリエ。





2階に上がり、見下ろすと窓いっぱいの春が素晴らしい。







花爛漫の世界の中、やや小さめの野外イーゼルとキャンバス、
油絵の具や道具を溢れんばかりにしたスケッチバッグをかついで、

釣針のやうに背中を曲げて、老年の、いや万年青年画家モネは日本庭園へ、
油絵を描きに点々と、その足跡を残していったに違いない。

そんな彼の後ろ姿を想像しただけでも、ずいぶんと心が励まされた。


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チャップリンの出演作、みたことある?


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今日はチャップリンの誕生日

サー・チャールズ・スペンサー・チャップリン(Sir Charles Spencer "Charlie" Chaplin, KBE、1889年4月16日 - 1977年12月25日)、映画の黎明期において、
数々の傑作コメディ映画を作り上げた「喜劇王」!

ロンドンのマダム・タッソー館の一隅で、蝋のチャップリンは永遠に考えている。
観光客のフラッシュが雨のように降りそそぎ、そのたびに、彼の頬は生気を
帯びたように見える。だが近づいてみれば、考える彼は蝋の皮膚であって、
そこには汗も脈もない。ただ、杖が左手首にぶら下がったままで
杖の先は宙に浮いたまま、フラフラと明日を占ってる。








中華街近くのレスター・スクエアにあるチャップリンの銅像。
ブロンズ色のその男は、鳩の群れに囲まれ、映画館の看板と
安物のネオンのあいだで、相変わらず帽子を傾けている。

雨上がりの舗道には、かつてのフィルムのように、水たまりが
途切れ途切れに連なっている。そこに映るのは、チャップリンの
逆さまの影と、スマートフォンをかざす観光客の手である。
 
彼が生きていた時代には存在しなかった機械スマフォが、
彼の像を撮っている。その無邪気な光景のどこかに、
モダンタイムスに出てきた機械仕掛けの工場が、
ひそかに笑っているような気がした。








そう言えばベルリンとかニューヨークとか世界の大都市でも彼を模した
大道芸を見たことがあった。さらに遠く、フランス・ストラスブールの川べりでは、
別の午後が流れていた。船着き場の欄干近く、カラフルなチョッキを着た男が、
木陰で休んでいる。帽子も髭も、それらしく調えられてはいるが、
その眼差しには、撮影の合間の俳優ではなく、観光客の乾いた疲労が宿っている。

川面をわたる風が、彼のチョッキの色彩を少しだけ褪せさせる。
背後の水面には、古い石橋と、観光船と、そして、21世紀の
喜劇王に成り損ねた、名もなき道化の姿が、ゆらゆらと重なり合っている。








こうして、ロンドンの蝋人形館と、レスター・スクエアの銅像と、ストラスブールの
船着き場のチョッキの男とは、互いに顔を知らぬまま、一人の名前を分かち合う。
チャップリンという名は、そのあいだを渡る、見えない橋なのかもしれない。
 
けれども、橋を渡っているのは、彼らよりむしろ、わたしたちの方である。
蝋の考え事と、銅の歩みと、人間の疲れ。その三つのあいだを行き来しながら、
私達は、自分自身の時代が、どれほど滑稽で、どれほど哀しいかを、
ようやく少しだけ理解するのだ。

4月16日の1Pカレンダーの頁を、わたしは折り畳んでポケットに入れた。
そこには、チャップリンの顔も、映画の題名も、印刷されてはいない。
ただ日付だけが、小さく黒く残っている。
 
チャップリンの誕生日としては、いささか質素にすぎる記念品であろう。
しかし、道化の涙は、いつも観客の見えないところで乾くのだとすれば、
この簡素な数字も、彼にはふさわしいのかもしれない。

そうそう、それでも、彼は今だに世界の喜劇王に違いないのだ。


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撮影  文  熊谷

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日付は「よ(4)い(1)こ(5)」(よい子)と読み、いじめない、いじめに負けない
「よい子」にエールを送ることを意味している。

毎年この日に音楽やエンターテインメントのイベントを開催し「生き抜く力、勇気」を
伝えていく。

記念日は2019年(平成31年)に一般社団法人・日本記念日協会により
認定・登録された。

良い子の日というには、私はずいぶん年を取り過ぎたのだが、思い出の1枚を


「楽園への歩み」


W. ユージン スミス。


そう言えば、今、ユージンの写真展もやっている。

W. ユージン・スミスとニューヨーク ロフトの時代

会場:東京都写真美術館
会期:2026年3月17日(火)〜6月7日(日) (artscape.jp)
内容:
ユージン・スミスが雑誌「ライフ」を辞めた後、ニューヨーク・マンハッタンの
「ロフト」で撮影した作品を中心に、ジャズミュージシャンや画家、
写真家たちが集った場の様子をおさめた写真が展示されています。

僕の思い出。

「楽園への歩み」という題を、僕はずっと写真の裏表紙に貼りついたままの
祈りのように覚えている。戦後のある日、暗がりから差し込む光に向かって、
小さな背中がふたつ並んで歩いてゆく。ユージンの子供達だと聞かされた時、
僕はその影の輪郭に、自分の将来までも約束されてる気がした。

あれから幾つかの春が過ぎ、学生だった僕は、卒業制作という名目を手に、
水俣という土地へ向かった。名目というのは、往々にして方便である。
先生の言葉を借りれば、「君の写真に必要なのは、題材ではなく覚悟だ」

列車の窓に映る自分の顔は、覚悟というにはいささか頼りなく、
むしろ観光客と大差ない表情をしていた。

 水俣の海は、おそろしく静かだった。波は声を潜め、港に浮かぶ船は、
ひそひそ話をしているように見えた。僕はカメラを提げて、しかしシャッターを
切ることを躊躇した。撮るという行為が、あまりにも軽く、
こちらの無知を白日の下にさらしてしまうように思えたからである。

ユージンとアイリーンに初めて会ったのは、
そんな臆病さを持て余していた頃だった。

彼らは、すでに水俣の風景の一部になりつつあった。
外国人というよりは、ここに長く暮らす、少し変わった隣人といった風情である。

ユージンは大きな身体を少し丸め、ファインダーの向こう側に、
僕には見えない何かをじっと見ていた。アイリーンは、その横で、
患者さんの話に耳を傾けながら、時折短い日本語を挟んでいた。

 「手伝うか」

そう声をかけられたとき、僕は、その「手伝う」という言葉の中身を、
ろくに理解していなかった。フィルムを替えたり、機材を運んだり、
そうした物理的な作業を想像していたのだが、実際には、
それよりもずっと静かで、重たい時間が待っていた。

僕の役目の多くは、ただそこに立ち会うことだった。患者さんの家にうかがい、
話を聞き、沈黙に居合わせる。ユージンがシャッターを切るときも、
切らないときも、その場の空気を乱さないように、しかし逃げ出さないように、
所在なげな日本の若者としてそこに居続けること。
それが、彼の言う「手伝い」だった。

ある日、帰り道の坂道で、ユージンは唐突に立ち止まった。
遠くで子どもの笑い声がしていた。海風に乗って、甲高い声が転がってくる。
彼はしばらく耳を傾けていたが、やがて小さくつぶやいた。

 「楽園は、いつも少しだけ遠い」

英語で言われたその言葉を、僕は完全には聞き取れなかった。
ただ、「パラダイス」という単語だけが、妙に鮮やかに耳に残った。

後になって、写真集の「The Walk to Paradise Garden」を見返したとき、
僕はあの坂道の風景を思い出し、ようやく、彼が言おうとしたことの
輪郭に触れたような気がした。

アイリーンは、僕にとって、もう一つのレンズだった。彼女は時折、
ユージンの言葉を日本語に訳しながらも、訳しきれない部分を、
自分自身の表情と沈黙で補っていた。撮影の合間、台所の隅で、
お茶をすすりながら、彼女はぽつりと言った。

「写真は、声が小さい。でも、小さい声を聞ける人が増えたら、
世界は少し変わると思う」

 当時の僕は、その言葉の正しさよりも、そのかすかな希望に救われた。
学生である僕の存在も、もしかすると、彼らの言う「小さい声」の一つとして、
どこかで数えられているのかもしれない、と。

卒業制作の提出日は容赦なくやって来た。水俣で撮ったネガを暗室で洗いながら、
僕は、自分の写真が、ユージンやアイリーンの見ていたものの足元にも及ばない
ことを痛感していた。だが同時に、あの日々がなければ、自分はカメラを
持ち続ける理由さえ見つけられなかっただろうとも思った。

フィルムを乾かすためにぶら下げた紐の下で、水俣の海、患者さんの手、
雨上がりの路地、笑う子どもたちが、モノクロームの世界から徐々に
浮かび上がってくる。その一枚一枚が、僕に問いを投げかけていた。
「おまえは、これからどこへ歩いていくのだ」と。

あれから、ずいぶん時間が経った。今日が「良い子の日」だと、誰かが呑気に
語呂合わせをしている。だが、大人になり損ねた良い子たちは、
今もどこかで、見えない毒に蝕まれているのかもしれない。

僕は、自分があの土地にいた時間の短さと、その短い時間が
与えた影響の大きさに、奇妙な眩暈を覚える。

それでも、僕はまだ写真を撮っている。
シャッターを切るたびに、あの背中ふたつが、光へ向かって
歩いていく光景が、心のどこかでうっすらと再生される。

僕にとっての「楽園への歩み」とは、結局のところ、過去に向かって
歩き続けることなのかもしれない。忘れてはならない場所へ、
忘れてはならない人々のもとへ、何度でも心を送り返す、

そのささやかな往復運動こそが、僕の原点であり、そしておそらくは、
僕に許された唯一の贅沢な旅路、最後までやり直しのきかない

『一枚のネガなのだ。』



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 文  熊谷

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なんか初夏ぽくなってきましたね。
という事で、久々にユーラシア大陸の最も西、
かつて訪れた、初夏のポルトの更新。極東の島国から、
わざわざ街並みの壁面を眺めにいった風景写真です。

ドン・ルイス1世橋は渡河施設、ただの構造物というより、半ば目を覚ました
巨大な獣である。錆を帯びた鉄骨は、その獣の肋骨であり、幾重にも
組みあがっている。時おり、電車が橋を渡るたび、その肋骨の奥を、
目に見えぬ心臓の鼓動がひびく。

そしてドウロ川の向こう側にある未来と、こちら側に続く過去をつなぐ、
時間の通路かもしれないのだ。






橋の欄干から見下ろせば、家並みは一冊の厚い本のように重なり合い、
その一軒一軒が、まだ誰にも読まれていない章のように見える。

バルコニーに置き去りにされた植木鉢、かすれた看板、
開きかけて止まった窓。どれもみな、書きかけの一文である。








川面が、先にこちらを見つける。ドウロ川の水は、まるで古い物語の
脚注のように、坂の雛壇に並ぶ街を隅から隅へと反射していた。

港町というより、川にひとつの街が沈んでんでいて、それが時おり、光になって
浮かび上がるのだとでも言われたほうが、私は素直に信じたかもしれない。









望遠で寄ってみると家々が積み木のように重なっている。
黄色、朱色、緑。日本の家並みが、互いに遠慮し合いながら並ぶとすれば、
ここでは家そのものが、隣家の肩に手をかけて、ひしめき合って立っている。







路地を抜けて大通りに出ると、その古風な電車は、木箱を無理やり
車輪に乗せたような姿で、トラムは、坂の傾斜に反抗するでもなく、
かといって従順に従うでもなく、ちょうど気のすすまない老人が、
医者へ行く道すがら、ぶつぶつ愚痴をこぼしながら歩くような調子で、
「がたごと」と進んで行く。








車体の色は、クリーム色と枯葉色のあいだの、曖昧な中年期にさしかかった
黄土色で、ところどころに剥き出しになった鉄が、陽に灼けて黒ずんでいる。








坂道を上るごとに、家々の壁の青は、少しずつ調子を変えます。
手前の青は、洗いざらしのワイシャツのように淡く、奥へ進むにつれて、
深海の底で眠る磁器の釉薬のように濃くなるのです。

どこからともなく教会の鐘の音が聞こえて、空の色が一段階だけ深くなり。
その瞬間、目の前の家の青は、陶器の絵皿に閉じ込められた風景のように、
時間から切り離されてしまう。







その壁に描かれた模様は、幾何学とも花ともつかず、一見教会の
装飾のようでありながら、よく見ると台所の壁紙の延長のようでもある。

宗教と日常が、ここでは同じ柄のタイルでできているのだろう。








坂をのぼるたび、家々は姿を変えます。
青いタイルをびっしり貼りつけた家は、まるで海から上がってきた
ばかりの魚のように、ひかりを細かく反射させている。







家々は相互に遠慮というものを知らぬらしく、肩を寄せ合い、
あるいは肘鉄をくらわせながら、斜面にしがみついている。

そこには看板も、観光客向けの地図もありません。
ただ、古びた木の扉がいくつか、目を閉じたまま並んでいるだけなのです。







開け放たれた窓の奥には、年老いた鏡台がひとつ見え、
鏡のなかには誰もいない昼下がりが、じっと座ってた。

家並みと家並みとのあいだには、風がひそやかに往き来し、
その風は、どこかインクの匂いに似ていて、古びた本の
ページを一枚ずつめくりながら通り抜けていきます。






そしてこの街並み、坂道を踏み続けたた感触は
日本の駅の床が、通勤者の足音で磨かれた現代の金属だとすれば、
ここは忘れられた修道院の回廊のように、沈黙を含んだ石でできている。

足を一歩進めるたび、百年前の旅人が、
靴底から立ちのぼってくるような気がした。



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撮影  文  熊谷

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☕ 可否茶館の記念日

明治二十一年四月十三日、日本で最初の喫茶店というものが
上野に産声をあげた。名を「可否茶館(かひさかん)」といった。
珈琲を「可否」と書くあたり、いささか気取っていて、しかもどこか腰が低い。
飲んでもよいし、飲まなくてもよい、とでも言いたげである。

文明開化の残り香と、まだ抜けきらない和服の裾の埃とが、
店先で押し合いへし合いしていたに違いない。

その歴史的店も1世紀前に閉店した

しかし僕が辿り着くのは、いつも決まって街角の
漠然とした色彩、ピンクとオレンジの間の古い喫茶店である。





煤けたガラス戸の向こうには、平成とういうかむしろ昭和が居残っている。
煙草のヤニを吸いこんだ天井、色あせたポスター、カウンターの向こうで
黙ってスポンジを握っているマスター。

忘れられたジュークからは、誰の趣味とも知れぬロックが、少し掠れた音で
流れている。ギターがリフをかき鳴らすたびに、ガラスの灰皿がかすかに震えた。

🍝 ナポリタンの匂い

 席に着くと、僕はいつものようにメニューを開き、
やはりいつものページで手を止める。

ナポリタン。

それは、昭和という時代の残骸からこぼれ落ちずに、生き残った一皿であった。
フォークで刺せば折れそうなほど柔らかいスパゲッティ。ケチャップの赤は
どこか煤けて、ところどころに緑と茶色の名残、ピーマンとベーコンの
薄切りが迷子のように散らばっている。

油の匂いに、トマトソースの酸っぱさが重なり、そこへ唐突に
ニンニクが割り込んでくる。ロックのギター音よりも先に、
僕の胃袋が小さくうなった。鉄板の上でパスタが跳ねる音が、
ドラムの裏打ちと奇妙に拍を合わせている。

🎸 ロックと昭和

 ロックは相変わらず安っぽい反抗を叫んでいたが、その声を真に
受けるほど若くないことを、僕はとっくに自覚していた。
 
それでも、安物のスピーカーから零れ落ちるギターのフレーズには、
どこか「これでいいのだ」と呟くバカボンのパパのような諦念と、
かすかな希望が混ざっている。

 昭和という時代は、結局のところ、こういう音とこういう味で
出来ていたのではないか、と僕は勝手に決めつける。

 やがて、オシャレな白い皿にのったナポリタンが運ばれてくる。
 ジュウという最後の抵抗を残して、麺は静まり返り、
代わりに湯気が立ちのぼる。

ソースに焦げた部分が店内の古いロックと同じように、
どこか歪んだ甘さを漂わせる。









ケチャップの甘さは、子供じみた慈悲のようである。
 ベーコンの塩気は、ささやかな懺悔のようである。
 そしてニンニクの匂いだけが、食後もしつこく口の中に居残り、
僕がこの店を出た後もしばらく、昭和という幻影をまとわせ続けるだろう。

 ふと、可否茶館のことを思い出す。もしもあの「可否茶館」の片隅で
出された珈琲が日本の近代という夢の序章であったとすれば、このナポリタンは、
その夢の余白に書き足された落書きのようなものかもしれない。

私は一口ごとに、ニンニクとうす甘いトマトの残響と、
いつまでも古くなりきれない昭和という時代の、
奇妙にあたたかい亡霊とを、ゆっくりと噛みしめているのである。



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撮影 レタッチ 文  熊谷

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