ザスタのクマさん

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あらゆるアート、デザイン、 特に写真が大好きなクマこと熊谷の作品集。

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地元のご当地キャラ知ってる?


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日付は「ご(5)とう(10)ち(1)」(ご当地)と読む語呂合わせから。
地域の活性化を目指し、街を元気にするご当地キャラクター
(ご当地キャラ)同士の連携を深め、それぞれのローカルキャラクターを
全国に発信することが目的。

記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。




2013年1月27日、全国各地のご当地キャラクターが長崎県佐世保市のハウステンボスに
集まり、「100体以上のキャラクターがリズムに合わせて5分間以上ダンスする」
ギネス世界記録に挑戦し、「世界最大のマスコットダンス」として認定された。

2017年5月時点で、日本ご当地キャラクター協会に会員登録されているのは252体。

「ご当地キャラ」、または「ゆるキャラ」(ゆるいマスコットキャラクター)として
有名な熊本県の「くまモン」など、同協会の会員でない「ゆるキャラ」も多く存在する。


五月十一日。五と十一を「ご当地」と読むという、やや無理のある
語呂合わせから生まれたこの日は、全国のゆるんだ獣たちが、いっせいに
「公式」や「非公式」の名札を胸に提げて街へ出るのだという。

熊本の駅前には、あの黒い熊が立っている。名をくまモンという。
丸い眼は墨を落としたように大きく、ほほの朱は、田舎芝居の子役のように
少しばかり誇張されている。その体躯は、太いというよりは、
むしろ「余白が多い」と言った方がよく、そこに県や企業のロゴが、
後から好きなだけ貼りつけられる余地を残している。

 子どもが一人、その腹にしがみついている。くまモンは何も言わない。
ただ、黒い沈黙のなかに、わずかに首をかしげる。その傾き方が、
見る者に「好奇心」を読み取らせるよう、周到に計算されていることを、
子どもだけが知らない。






同じころ、遠く離れた船橋の片隅では、別の果実じみたものが跳んでいた。
ふなっしーである。奇跡の梨の妖精と名乗るその者は、黄色い皮膚を震わせ、
甲高い声で何事か叫んでいる。声は裏返り、言葉の末尾には
必ず「なっしー」がぶら下がる。

時おり「ヒャッハー」といった理解しがたい叫びが混ざり、
そのたび観客の笑いが波のように押し寄せては引いていく。

ステージの上で、梨は激しく跳ねる。中空で一瞬、照明を受けた体から
見えない汁が飛び散ったように思えた。本人はそれを「梨汁ブシャー」と称し、
客席に向かって惜しげもなく振る舞っているつもりである。
しかし、実際に飛んでいるのは、汗と、わずかな熱気と、
それから疲労の気配ばかりだ。







この日、日本列島には数え切れぬご当地キャラがいる。
歴史の城下から生まれた猫もいれば、震災の町に微笑を運ぶ少女のような姿もある。

ゆるやかな体表と、はっきりした輪郭を持つ目と、記憶しやすい色彩。
それらは、どのキャラにも共通している。違うのは、中で汗を流す人間の数と、
その汗にどれほどの生活がかかっているかという、見えない勘定書だけだ。

夕方、熊本のくまモンは、駅前の広場から引き上げていく。
最後の一枚を撮ろうとした少年が、シャッターに間に合わず、
黒い背中だけを写真に収めてしまう。その写真の中で、くまモンは、
沈黙のまま歩き去る黒い塊にしか見えない。しかし、少年の記憶の中では、
あのわずかな首の傾きが、いつまでも「また会おうモン」と囁き続けている。

同じころ、船橋のふなっしーは、ステージ袖でぐったりしている。
さきほどまでの甲高い声は潜み、代わりに、低く、どこにでもいそうな
成人の吐息だけが残っている。それでも、スタッフに向かって
「今日もありがとなっしー」と、かすかに裏声を作る。
その瞬間、梨の皮はもう一度だけ、妖精の光沢を取り戻す。

五月十一日が終わるころ、日本中の更衣室には、脱ぎ捨てられた獣皮と
果実皮が積み上がる。ファスナーの口がだらしなく開いたその姿は、
どれも少し間の抜けた、空っぽの抜け殻にすぎない。しかし翌朝には、
またどこかの町で、あの黒い熊と、高音の梨が、子どもたちの前に現れるだろう。

そのたびに私は思う。地方を背負うということは、案外こうした布と
スポンジの重さに似ているのかもしれない。柔らかく、ゆるく見せかけながら、
背中には、名前も顔も知らない誰かの期待が、びっしりと縫い込まれているのだ。




今日が良い日となり、

明日がさらに素晴らしい日となりますように晴れ

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撮影  文 熊谷

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お母さんが喜びそうなことは?


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アメリカで始まった母の日。

アンナ・ジャーヴィス(Anna M Jarvis)という女性が、自分を苦労して育ててくれた
母親の命日に追悼の意を表し、フィラデルフィアの教会で「亡き母をしのぶ」という
花言葉の白いカーネーションを霊前にたくさん手向け、母親を偲んだというのです。

やがてその声は大統領にまで届き、1914年のアメリカ議会では、5月の第2日曜を
「母の日」と定め、国旗を掲げてお母さんに感謝の意を示すこととなったのです。


🌱 私たちにできる小さなこと

遠い戦地にいる母親や子どもたちのために、今ここからできることは
決して多くはありません。
それでも、事実を知ること、声をあげている団体の情報に触れてみること、
日々の会話の中で「遠くの子どもたち」の存在を話題にすることは、
わずかでも、世界の無関心を揺らす一歩になります。

母の日という名の、やさしい祝祭の影で、ガザでは子どもたちが飢えつつある。
母親たちは、あばらの浮いた子どもを抱きしめたまま、
声にならない声で「この子は死んでしまう」と繰り返している。



この1枚に、大きく心動かされた。

飢餓に瀕し大怪我をした娘を抱く母親、クーリエ・ジャポンより



その光景は、偶然の不幸ではない。封鎖と爆撃と、政治的決定の結果として、
子どもたちの口から食べ物が奪われている。飢えは、ゆっくりとした
殺人として進行している。

日本では、同じ空の下で、花屋のカーネーションがよく売れ、
食卓にはいつもより一品多いおかずが並ぶ。
そのこと自体は責められるべきではない。

だが、世界のどこかで、母親が子どもに与える
一口の食べ物を見つけられず、胸の内で自らを責め続けている時、
私たちは本当に沈黙していてよいのだろうか。

母の日に、私たちは、自分の母に感謝すると同時に、
顔も名も知らぬ母と子どもたちの事を
思い出すことができるはずだ。

飢えをもたらす制度と暴力に、これ以上の沈黙という
同意を与えないために、声をあげるという、ささやかだが
決定的な責任が、ここにいる私たちにもあるのではないか。
と、強く思うのだが。



我が国の政権は私とは違う考えらしい。


武器輸入の為、ネタニヤフ首相(右)と握手を交わす
自民党小野寺安保調査会長。




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熊谷

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好きなアイスの味は?


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1964年5月9日、東京アイスクリーム協会は、ゴールデンウィークが明けて
「アイスクリームのシーズンイン」となる時期に記念事業を行い、
諸施設や病院へアイスクリームをプレゼントしました。

これがきっかけとなり、以後5月9日が「アイスクリームの日」とされ、
日付の語呂合わせではなく「季節の入口」として選ばれた
少し珍しい記念日になりました。







アイスサーバーのレバーを引けば、金属の匙はためらいもなく、
今日という日の一部を繰り抜いてしまう。丸く成形された十二個の球体は、
それぞれ別々の時間から抉り取られた、ささやかな永遠だ。

撮影された十二個の惑星はモニター画面上で、重力から解放され、
画面の外へ逃走を始める。ピスタチオは左上へ、
ラムレーズンは右下へ、チョコレートは真ん中で踏みとどまっている。
まるで、この世界から一刻も早く退場したい味と、もう少しだけ
居残りたい味が、ばらばらの方向へ飛んでいくようだ。

手前ほど大きく、奥ほど小さくして遠近感を出す
アイキャッチになる「主役」を中央少し右上に配置
飛び散るように配置しつつも、ゆるい弧を描くラインでつなぐ
影は一方向から落とし、少しだけ長く引きずるように描き足す。

わたしは完成した画像を見つめながら、ささやかな不安をおぼえる。
レンズの前で少しずつ形を失っていった本物の球は、
いまどこに行ったのだろう。紙の上で躍る十二の冷菓と、
テーブルのうえで溶けていった十二の冷菓との間には、
どれほどの距離があるのだろう。

画面の中で、アイスクリームたちは、なおも飛び続けている。
その軌道の行き先が、じつは誰の舌にも届かないことを知りながら、
である。





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あなたが知ってるゴーヤー料理は?


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今日はゴーヤーの日
JA沖縄経済連(現:JAおきなわ)と沖縄県が1997年(平成9年)に制定。
日付は「ゴー(5)ヤー(8)」と読む語呂合せ。

まずは代表的なゴーヤ料理、ゴーヤチャンプル。
台湾料理などの中華料理の野菜炒めと比べ、
沖縄のチャンプルーは香辛料が少ない所に特徴で、

使われる野菜は一般的なタマナ(キャベツ)、
ニンジン、マーミナ(モヤシ)などの他に特にゴーヤー、
パパイヤなど、台湾や東南アジアの同様な料理と似ているが、
多くの場合沖縄独特の固い豆腐が加えられるそうです。








ゴーヤーチャンプルーの湯気が、カメラのレンズを
一瞬だけ曇らせて、すぐに、また世界がはっきり見える。

皿の上、緑と黄と淡い肉色が、思いがけず上機嫌な配置を取った。
箸を入れるたび、ゴーヤーの苦味が、年輪のように舌に増えていく。

ひと口ごとに、体のどこかで、見えないネジが静かに締まり
直される気がした。「長生き」とは、医者の言葉より、
このささやかな苦味の方を信じてみたくなる。

「長生きしような」とつぶやきながら、最後のひと切れ口に運ぶ。
生きてきた年月のように、少ししつこく、

しかし確かに、長く残る苦味だった。



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今日の一枚、夕暮れ時のフランスのシャルルドゴール空港から飛び立って
まもなく見たそれは、地平線も水平線も雲も金色に溶け込んでいって、
まるでバロックの天井画・天国のように饒舌な光景。

「すげぇー対岸に見えるのは、ひょっとするとイングランド?
まるで、『星の王子様』で有名な、飛行士で作家だった、
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリになったような気分だ。」

やがて眼下には祝福されたような大地、海が広がる。
金色に染まるそれはとても荘厳で、まるでこの世界には戦争も飢餓も貧困も
あらゆる不幸がないように見え、命に満ち満ちているように感じる。

ひょっとすれば、我々の世界は、人類がそのすべき愛の努力を怠り、
人が人を憎み苦しめている、悲しい歴史を繰り返してきただけの事で、
本来の姿は眼下に広がるこの美しい世界なのだろうとふと想えた。









🌊 金色の海峡

やがて眼下にドーバー海峡がひらける。
昼のあいだ無口だった海が、ようやく言葉を見つけたかの様に、
金色にゆらぐ海と大地のあいだには、国境も線も見えない。
あるのは、光だけだ。

🌍 祝福された大地

海峡をはさんで、両岸の大地が同じ色に染まっていく。
戦いの地図帳をひらけば、ここにはいくつもの線が引かれているはずなのに、
空から見ると、それらはすべて消えてしまう。
畑も町も灯りも、ひとつの刺繍のように縫い合わされて、
ただ「人が生きている」という模様だけが、夕日のなかに浮かび上がる。

それが祝福でなくて、いったい何だろう。

⭐ 子どものまなざし

こんなふうに世界を上から見ていると、
あの小さな王子が、いつのまにか隣に座っている気がする。
「きみの星では、海も畑も、ちゃんと話しかけてくれる?」
彼はそう尋ねるだろう。 ぼくは少し考えてから答える。

「うん。黄昏のときだけは、みんな同じことを言うんだ。
今日もよく生きたねって。」

📷 写真のためのひと言

この景色を写真に閉じこめるとき、
シャッターを押す指に、ひとつだけ願いを託す。

見る人が、もう一度だけ、子どもだった頃の目で世界を見られますように。

金色に染まったドーバー海峡が、国と国を分ける線ではなく、
ひとつの星のほくろのように見えますように・・・




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お好み焼きは好き?


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5月7日はコナモンの日で、たこ焼きやお好み焼きなど粉もん文化を盛り上げよう、
という日です。
日本コナモン協会が「こ(5)な(7)」の語呂合わせで制定したと言われています。

🐙 粉もんメニュー、たこ焼きが関東で、たこぽんは関西?がどちらが好きかな。

関東だとソースどっさりのたこ焼きが主流で、外カリっと中ふわが多いですよね。
一方で、関西だと出汁のきいた生地をとろっと焼き上げて、ポン酢や
だし醤油で食べる「たこポン」系のあっさりスタイルも人気があります。

まっ、たこ焼きとたこぽんで迷うあたり、
すでに関西の粉もん宗教戦争に片足突っ込んでますね。

関西ではお好み焼きやたこ焼きなどの粉もんが「大阪発の食文化」として、
もはや宗教レベルで語られてきました。







関西の粉もん文化は「粉+出汁+ソースやポン酢」でバリエーションが豊富。
関西原理主義者をブラック寄りにいじると、こんな感じになりがちです。

関東のたこ焼きを見ると「それは『たこが入った何か』であって、
たこ焼きと名乗るのは今日で最後にしてな」と静かに戒告する

ソースを選ぶ時だけ急にワインソムリエみたいな顔になって
「この銘柄はな、戦後大阪の庶民文化の血と涙がやな…」と語り出す。

粉もんを週3以上食べない関西人を「形骸化した信者」としてマウントする。

たこぽん派に向かって「お前それ粉もんちゃう、
ほぼタコの水風呂や」とか言い出す。

関西原理主義をネタにするなら、
好みはこう言うのが一番おいしいポジションです。

表向き「そらソースとマヨのたこ焼き一択やろ」と教義を守る。
裏では「歳とってからは、たこぽんのあっさりに魂救われてんねん」と告白する。
そして最後に「関西人やけど、一番よう食べてる粉もんはコンビニの冷凍やねん」
と宗派そのものを裏切ってオチをつけるとか。



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好きなコロッケは?


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五月六日が「コロッケの日」。五と六で「コロッケ」と読ませる、
その安直ともいえる語呂合わせは、しかし子供じみているというより、
むしろ子供の味方をしている。

僕のの幼少期、放課後の地図は単純だった。自宅と小学校、
その間の、やや手前。角をひとつ曲がったところに、
クラスメイトの家でもある肉屋があった。

十円玉を握って店に入ると、同級生の母親が「一本」でも
「一枚」でもなく、「ひとつね」と言って、トングでコロッケをつまみ上げる。

その「ひとつ」は、僕の胃袋の大きさではなく、手の中の十円に合わせて
測られている。小さな揚げ鍋に、油の雨がぱっと散る。友人の家の台所を
覗いているような、少しだけ後ろめたい幸福感とともに、その音を聞いていた。









揚がるまでの数十秒、時間は十円分だけゆっくりになる。
壁にかかったカレンダーの六日の下には、赤い丸も印もない。
ただ、油のはねる音だけが、今日を他の平日から区別している。

🌫 揚げたての記憶

できあがったばかりのコロッケを受け取ると、紙袋ごしに熱さが
指の骨まで伝わる。ひと口かじると、表面の衣が、
学校のチャイムよりも澄んだ音を立てた。

中身のじゃがいもは、まだ言葉を覚えきれない子供のように、
形を保てずにほぐれていく。それが「肉じゃが」と「ごちそう」の
あいだで迷っていることを、舌だけが知っていた。

 
🕰 日付のない祝日

大人になって、カレンダーの「五月六日」に
小さく「コロッケの日」と印刷されているのを見つけたとき、
僕は、どこかで見覚えのある落書きを発見したような気持ちになった。

あの日、十円玉を握りしめていた子供には、
そんな記念日の存在など知る由もなかったが、
油とじゃがいもは、とうの昔に僕の中で祝日を作っていたのだ。

学校で叱られた日、テストで点を落とした日、友達と喧嘩をした日。
そのどれかの帰り道、肉屋の前で足を止めさえすれば、
十円玉は静かにポケットの中で意思表示をした。

油が熱せられるまでの短い時間に、失敗や不機嫌は、鍋の中で
目に見えない泡となって浮かび上がる。揚がったころには、
どれが何だったのか、もう判別がつかない。

記念日とは、本来そういうものかもしれない。
誰かが決めた日付よりも早く、あるいは遅れて、
個人の胃袋や記憶の中で、ひそやかに制定されるものなのだ。

僕が肉屋の前で熱い紙袋を持っていた、
あの無数の午後に、後から名前をつけることはできない。

そして、あの肉屋はとうにシャッターを下ろし、
同級生も、その家族も別の町に移り住んだと聞いた。




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こどもの日に飾り付けやイベントごとした?

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こどもの日ですね!
一年のうちでこの季節になると、少し若返った気がします。

英国スコットランドの首都エディンバラ、東西に広がる街の東北側にある
カールトン・ヒルから、眺めた旧市街の絶景の夕暮れです。

エディンバラの夕焼けは、だいたい街の疲れをひとまとめにしてから、
まとめて焚き上げるらしい。カールトン・ヒルの上に立つと、その焚火の
煙に包まれたようなオレンジの空が、旧市街の屋根と尖塔を、
少し焦がし気味に照らしている。

風は冷たいのに、光だけはやけに熱い。その不釣り合いが、この町の人たちの
横顔を、どれも少しばかり物思い顔にしてしまう。観光客も地元の人も、
ここでは皆、等しく黄昏の観客であり、黄昏の一部でもある。

丘の上から街へ降りていく階段の入口は、ちょうど映画のエンドロールが始まる
時の扉のようだ。上りは期待、下りは回想、という役割分担が決まっているらしく、
ここを過ぎる人たちはたいてい、少しだけ真面目な顔で靴紐を確かめたりしている。

その入口付近を降りて行く、金髪美女の後ろ姿に誘われて、目で追えば、
手すりに、赤い影がぶら下がっているのに気づいたのは、その時である。








金髪美女とその横の大柄な男性は、この赤いお転婆の両親らしい。

少し褪せた赤のワンピースに、擦りむいた膝。両親らしき二人が、
少し離れたところでスマートフォンを覗きこみながら、熱心に夕景の構図を
相談している。娘の年の頃は、ちょうど日本の小学校低学年位だろうか。
鉄の手すりから両手でぶら下がり、両脚もかけて左右に
振り子のように、に大きく揺れている。

両親も、ちらと一度だけ眺めたきり、娘の acrobatics を、観光地のオブジェか
何かのように扱っている。子どもは親をあてにせず、親は子どもを信じ過ぎている
という、現代的な均衡がそこに成立していた。

この子が今すべり落ちたら、私は目撃者になる。日本の祝日に、
スコットランドの丘で、見知らぬ子どもの転落を見届けるというのは、
あまり縁起のよい経験とはいえない。そう考えると、
私の足は勝手に階段を降りはじめていた。





背中で、母親らしき女の声が、ようやく娘の名を呼ぶのが聞こえた。
名を呼ぶ声の調子には、叱責よりも、写真の構図から現実へ引き戻されたことへの
軽い不満が混じっている。子どもは、最後にひと揺れ大きく揺れてから、
猫のように軽く地面に降りた。拍子抜けするほど危なげのない着地である。

石段を数段おりて、また私は振り返った。ちょうどそのとき、少女が両親から
逃れるように、また手すりに手をかけるところだった。両親の英語は、
風にちぎれて私にはうまく聞き取れない。けれど、子どもの笑い声だけは、
やけにくっきりと耳に残った。

エディンバラのこの町には、子供の日も鯉のぼりもない。その代りに、
あの赤いお転婆が、夕焼けのたびにどこかの手摺にぶら下がって、
大人たちの不安を揺すぶっているのかもしれない。

そう考えると、自分もまた、その揺れの一部として、
この異国の階段を下りて来たような気がして来たのである。

ただ一つだけ、ささやかな願いを付け足すなら、「どうかあの赤いお転婆が、
自分の力でぶら下がる楽しさを、あまり早く忘れてしまいませんように」。
それは、かつてどこかの手摺にぶら下がったことのある、

すべての大人の、共通の祈りでもあるのだろう。


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感動した風景写真ある?


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今日はみどりの日。

熱帯林の衰退が、地球温暖化に拍車をかけてる。
緑の逆襲とかが来ないかなとずーと心に引っかかっていて。

世界のどこかでは、まだ今日も樹が倒れている。地図アプリで見れば、
いつかそこにもストリートビューが通い、舗装された道路とガソリンスタンドが
映るのだろう。僕は、その未来図を想像しながら、
目の前の「森」をレンズに収める。

ジャングルセットの湿った土の匂いが、スタジオの白さをじわじわ侵食していく。
今日は緑の日。自然に感謝しなさいと言われるたび、胸のどこかで小さな
ざらつきが鳴る。感謝する側の顔をして、温暖化を加速させているのは、
ほかでもない自分の生活なのだと知っているからだ。

僕が組んだセットの中心には、擬人化した「緑」が立っている。
モデルの身体に巻きつくつたは、造花と本物の葉を混ぜて編み込んだ。
片方の瞳は深い森のような緑で、もう片方は、焼けた地表を映すような鈍い茶色だ。

シャッターを切るたび、スタジオのジャングルが、ほんの少しずつ後退していく
ような錯覚があった。人工の樹々は動かないはずなのに、フレームの中の
緑の占有率が、じりじりと痩せていく。

とことで、温暖化を、加速させたのは人間だが、それでも最後にこの星を
覆い尽くすのは、コンクリートでもプラスチックでもなく、
どこまでも広がる何かの緑かもしれない。(多分シダ系だろう)








シャッターを切るたび、ストロボの光が熱帯林を真昼の尋問室に変える。
そのたびに、モデルはゆっくりとポーズを変える。腕を広げるときは、
まだ残っている森だ。胸に手を当ててうつむくときは、伐採された斜面。

片膝を折り、こちらを真っすぐ見据えるとき、ようやく
「緑の逆襲」という言葉が、スタジオの空気のどこかに輪郭を持ちはじめる。

僕は構図を変えた。彼女の顔を、できるだけ近く、大きく、背景の密林を
浅くぼかす。人間と森の境界線を、ピントの中で曖昧にしたかったのだ。

ファインダーの中で、瞳に光が刺さる。そこには、被写体としての従順さと、
伐り倒され続けた森の記憶が、奇妙な二重露光のように重なっていた。










やがて撮影が終わり、照明が落とされると、ジャングルはただの背景に戻る。
モデルは葉をほどき、スマートフォンの画面を確かめ、タクシーアプリを開く。
緑の逆襲は、タクシーの排気ガスと相殺されて、目に見えないどこかへ消えていく。

スタジオを出ると、ビルの谷間に、街路樹の若葉が風に揺れていた。
プラスチックでも、ビニール、ポリエステルでもない、本物の緑だ。



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我が家の絶対ルール


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1947年に日本国憲法が施行されたのを記念して、
1948年に国民の祝日として制定された。

憲法記念日になると、日本という国の「売り」が何だったのか、
急に皆が思い出したような顔をするのが不思議ですね。

日本国憲法の三大原則は。

国民主権

それまでの「大日本帝国憲法」では、天皇が最高の地位にあり国を治める 事ができる
「天皇主権」でした。しかし、政治のあり方やそれを実行する権力は
国民にあるという「国民主権」に大きく変わったのです。

天皇制から国民主権となったのは、戦後の日本にとって大きな変換点となりました。

基本的人権の象徴

基本的人権とは、人間が生まれながらにして持っている権利のこと。
日本国民は誰もが平等に、人間らしく生きる権利があり、
それを永久に保障するという考え方です。

平和主義

戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めるのが、日本国憲法第九条。
第二次世界大戦で原爆投下など甚大な被害を受けた日本では、外国との争いが
起きても戦争は行わず平和的に解決するという考えが生まれ、

戦争放棄を憲法で宣言したのです。





特に九条は、海外ではしばしば「見習うべき原則」と紹介されました。
ノーベル平和賞の候補に、条文そのものや、日本市民の取り組みが挙げられた事も。
世界から見れば、戦後の日本は「軍事大国ではなく平和国家として
立ち直った、奇妙で、しかし貴重な実験」として映ってきたのです。

平和国家という、戦後日本が辛うじて世界に差し出せたたった一つのブランドは、
いまやタカ市政権によって「扱いに困る旧モデル」としてゴミ箱に行きつつある。

代わりに売り出されるのは、「普通の国」という名の、戦場に行ける国、
武器を輸出できる国、つまりこの星の多数派に迎合するため、戦争対応日本
それを九条の「改正」「アップデート」と呼ぶのは、あまりにも控えめな
ブラックユーモアなので、私はきちんと「改悪」と呼ぶ。

私たちが手放そうとしているのは条文ではなく、
「二度と戦争をしない国であろうとした記憶」そのものだからだ。

📜 憲法記念日に問われる側は誰か

憲法記念日は、本来「権力を持つ側」が立ち止まって、自分を縛る紙を
読み返す日のはずです。ところが現実には、その紙を改造したい人たちが
マイクを握り、「もっと自由に動けるよう、皆さんの承認を」と呼びかける
日々になりつつあります。

九条を変えるかどうかは、結局は国民が決めることです。
けれど、問われているのは一人ひとりの良心であって、
世論調査の数字や、政権の都合ではないはずです。

九条をいじりたがるタカ市政権は、平和国家日本という長編小説の、
かなり質の悪い改稿者だと言えるでしょう。

原作者であるはずの我々市民は、その原稿を校正する赤ペンを、
まだ手放してはいないはずです。

九条を傷つけようとする政治の技術がどれほど洗練されても、
それが「平和国家」という日本の名札に、取り返しのつかない
傷をつけることだけは、どうしても忘れないでいたいと思います。



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