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今日はハイジの日。
八月十二日という日には、どこか薄い山の光が宿っているように思われる。
ハイジの著作権管理などを手がける株式会社サンクリエートが2010年に定めたもので、
日付はハイジの語呂にちなんだという。
夕映えのアルム
都会で老いを意識しはじめる頃、
子どもの耳に入った歌や物語が、
ふいに心の窓をひらくことがありますよね。
都心の夕暮は、ガラスの窓に映る雲までが、
どこか人の作つたものめいて見える。
電車の響きは絶えず、風は高楼の角に砕け、
遠い空だけがかろうじて昔のままの色を残してゐる。
かういふ時、私は老いた耳の底に、少年の日に聴いた
ビートルズの調べを、ふと蘇らせることがある。
あの旋律は、私にとつて単なる異国の流行ではなかつた。

むしろ、まだ見ぬ世界へひらく小さな窓であり、
胸のうちにひそむ感傷を、名もなく撫でてゆく風であつた。
その風に吹かれるやうにして、私はまたハイジを想う。
アルムの光の下を、頬を赤らめて駆けてゆく小さな少女。
おじいさんの偏屈は、山の巌のやうに険しく見えて、
実は深い沈黙のうちにぬくもりを宿してゐる。

世の人は、孤独な老人と幼い娘との暮しを案じたであらう。
けれども、ほんたうに人を養ふものは、
世間の賢い思慮よりも、山の朝露に濡れた草の匂ひや、
ひとつのパンを分け合ふ手のぬくさではないか。
そこには教訓めいた騒がしさはない。ただ、小さな者の
無心が、老いた魂の固い殻をやわらかく解いてゆく、
その姿はまた、リヴァプールの青年たちが
無造作な声で世界の憂鬱に風穴をあけた、
その無邪気にして気高い所作にもどこか似ている。
可愛らしいものは、とかく弱いものと見なされる。
けれども実は、可愛らしさとは人の心の
硬い殻をひそかに割る力である、

僕もまた老いつつある。記憶はときに黄ばんだ
レコードのようにかすれ、それでも針を落とせば、
昔日のひかりがかすかに鳴る。
ハイジが山の風に胸をひらいたように、
老いにもまた、遅れてくる innocence があるのではないか。
失うことばかりが年齢ではない。ようやく静けさの意味を知り、
ひとのぬくもりの尊さを知る、そのための時間でもある。

ハイジの笑顔は、可憐というより、
むしろ赦しに似ている。
都会の摩耗の中で長く生きた
僕には、その無垢が少しまぶしい。
だが、まぶしいからこそ、人はそこに帰りたくなる。

アルプスの山並みに抱かれたハイジの家と山小屋〜マイエンフェルト(スイス)
ビートルズを聴いた少年は、
老いた今も都会に住んでゐる。
窓の外にアルプスはない。山羊もゐない。
けれども夕暮れのビルの谷間を渡る風の一と筋に、
私は時々、失はれなかったものの名を聴く。
それは青春ではない。希望と呼ぶには少し古びてゐる。
併し、まだ柔らかい。
さうしてその柔らかさのうちに、
人が人を信じた頃の世界が、かすかに息をしてゐるのである。
ハイジの物語は親と子が感動を共有できる数少ない名作で、
時代にとらわれない多くのメッセージが含まれている。
「愛」「友情」「自然の大切さ」「明るく楽しく暮らせること」。
これらは現在の社会でも十分に通じるメッセージに違いない。
この度の熊本をはじめ地震に見舞われた
皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
最後までご覧頂きありがとう。
今日が良い日となり、
明日がさらに素晴らしい日となりますように
。
インスタフォロー宜しくお願いします↓↓↓
https://www.instagram.com/naoo_kumagai/
写真 文 熊谷
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今日はハイジの日。
八月十二日という日には、どこか薄い山の光が宿っているように思われる。
ハイジの著作権管理などを手がける株式会社サンクリエートが2010年に定めたもので、
日付はハイジの語呂にちなんだという。
夕映えのアルム
都会で老いを意識しはじめる頃、
子どもの耳に入った歌や物語が、
ふいに心の窓をひらくことがありますよね。
都心の夕暮は、ガラスの窓に映る雲までが、
どこか人の作つたものめいて見える。
電車の響きは絶えず、風は高楼の角に砕け、
遠い空だけがかろうじて昔のままの色を残してゐる。
かういふ時、私は老いた耳の底に、少年の日に聴いた
ビートルズの調べを、ふと蘇らせることがある。
あの旋律は、私にとつて単なる異国の流行ではなかつた。

むしろ、まだ見ぬ世界へひらく小さな窓であり、
胸のうちにひそむ感傷を、名もなく撫でてゆく風であつた。
その風に吹かれるやうにして、私はまたハイジを想う。
アルムの光の下を、頬を赤らめて駆けてゆく小さな少女。
おじいさんの偏屈は、山の巌のやうに険しく見えて、
実は深い沈黙のうちにぬくもりを宿してゐる。

世の人は、孤独な老人と幼い娘との暮しを案じたであらう。
けれども、ほんたうに人を養ふものは、
世間の賢い思慮よりも、山の朝露に濡れた草の匂ひや、
ひとつのパンを分け合ふ手のぬくさではないか。
そこには教訓めいた騒がしさはない。ただ、小さな者の
無心が、老いた魂の固い殻をやわらかく解いてゆく、
その姿はまた、リヴァプールの青年たちが
無造作な声で世界の憂鬱に風穴をあけた、
その無邪気にして気高い所作にもどこか似ている。
可愛らしいものは、とかく弱いものと見なされる。
けれども実は、可愛らしさとは人の心の
硬い殻をひそかに割る力である、

僕もまた老いつつある。記憶はときに黄ばんだ
レコードのようにかすれ、それでも針を落とせば、
昔日のひかりがかすかに鳴る。
ハイジが山の風に胸をひらいたように、
老いにもまた、遅れてくる innocence があるのではないか。
失うことばかりが年齢ではない。ようやく静けさの意味を知り、
ひとのぬくもりの尊さを知る、そのための時間でもある。

ハイジの笑顔は、可憐というより、
むしろ赦しに似ている。
都会の摩耗の中で長く生きた
僕には、その無垢が少しまぶしい。
だが、まぶしいからこそ、人はそこに帰りたくなる。

アルプスの山並みに抱かれたハイジの家と山小屋〜マイエンフェルト(スイス)
ビートルズを聴いた少年は、
老いた今も都会に住んでゐる。
窓の外にアルプスはない。山羊もゐない。
けれども夕暮れのビルの谷間を渡る風の一と筋に、
私は時々、失はれなかったものの名を聴く。
それは青春ではない。希望と呼ぶには少し古びてゐる。
併し、まだ柔らかい。
さうしてその柔らかさのうちに、
人が人を信じた頃の世界が、かすかに息をしてゐるのである。
ハイジの物語は親と子が感動を共有できる数少ない名作で、
時代にとらわれない多くのメッセージが含まれている。
「愛」「友情」「自然の大切さ」「明るく楽しく暮らせること」。
これらは現在の社会でも十分に通じるメッセージに違いない。
この度の熊本をはじめ地震に見舞われた
皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
最後までご覧頂きありがとう。
今日が良い日となり、
明日がさらに素晴らしい日となりますように
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写真 文 熊谷
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