ポルトガル・ポルト、(街並み壁を巡る旅) | ザスタのクマさん

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なんか初夏ぽくなってきましたね。
という事で、久々にユーラシア大陸の最も西、
かつて訪れた、初夏のポルトの更新。極東の島国から、
わざわざ街並みの壁面を眺めにいった風景写真です。

ドン・ルイス1世橋は渡河施設、ただの構造物というより、半ば目を覚ました
巨大な獣である。錆を帯びた鉄骨は、その獣の肋骨であり、幾重にも
組みあがっている。時おり、電車が橋を渡るたび、その肋骨の奥を、
目に見えぬ心臓の鼓動がひびく。

そしてドウロ川の向こう側にある未来と、こちら側に続く過去をつなぐ、
時間の通路かもしれないのだ。






橋の欄干から見下ろせば、家並みは一冊の厚い本のように重なり合い、
その一軒一軒が、まだ誰にも読まれていない章のように見える。

バルコニーに置き去りにされた植木鉢、かすれた看板、
開きかけて止まった窓。どれもみな、書きかけの一文である。








川面が、先にこちらを見つける。ドウロ川の水は、まるで古い物語の
脚注のように、坂の雛壇に並ぶ街を隅から隅へと反射していた。

港町というより、川にひとつの街が沈んでんでいて、それが時おり、光になって
浮かび上がるのだとでも言われたほうが、私は素直に信じたかもしれない。









望遠で寄ってみると家々が積み木のように重なっている。
黄色、朱色、緑。日本の家並みが、互いに遠慮し合いながら並ぶとすれば、
ここでは家そのものが、隣家の肩に手をかけて、ひしめき合って立っている。







路地を抜けて大通りに出ると、その古風な電車は、木箱を無理やり
車輪に乗せたような姿で、トラムは、坂の傾斜に反抗するでもなく、
かといって従順に従うでもなく、ちょうど気のすすまない老人が、
医者へ行く道すがら、ぶつぶつ愚痴をこぼしながら歩くような調子で、
「がたごと」と進んで行く。








車体の色は、クリーム色と枯葉色のあいだの、曖昧な中年期にさしかかった
黄土色で、ところどころに剥き出しになった鉄が、陽に灼けて黒ずんでいる。








坂道を上るごとに、家々の壁の青は、少しずつ調子を変えます。
手前の青は、洗いざらしのワイシャツのように淡く、奥へ進むにつれて、
深海の底で眠る磁器の釉薬のように濃くなるのです。

どこからともなく教会の鐘の音が聞こえて、空の色が一段階だけ深くなり。
その瞬間、目の前の家の青は、陶器の絵皿に閉じ込められた風景のように、
時間から切り離されてしまう。







その壁に描かれた模様は、幾何学とも花ともつかず、一見教会の
装飾のようでありながら、よく見ると台所の壁紙の延長のようでもある。

宗教と日常が、ここでは同じ柄のタイルでできているのだろう。








坂をのぼるたび、家々は姿を変えます。
青いタイルをびっしり貼りつけた家は、まるで海から上がってきた
ばかりの魚のように、ひかりを細かく反射させている。







家々は相互に遠慮というものを知らぬらしく、肩を寄せ合い、
あるいは肘鉄をくらわせながら、斜面にしがみついている。

そこには看板も、観光客向けの地図もありません。
ただ、古びた木の扉がいくつか、目を閉じたまま並んでいるだけなのです。







開け放たれた窓の奥には、年老いた鏡台がひとつ見え、
鏡のなかには誰もいない昼下がりが、じっと座ってた。

家並みと家並みとのあいだには、風がひそやかに往き来し、
その風は、どこかインクの匂いに似ていて、古びた本の
ページを一枚ずつめくりながら通り抜けていきます。






そしてこの街並み、坂道を踏み続けたた感触は
日本の駅の床が、通勤者の足音で磨かれた現代の金属だとすれば、
ここは忘れられた修道院の回廊のように、沈黙を含んだ石でできている。

足を一歩進めるたび、百年前の旅人が、
靴底から立ちのぼってくるような気がした。



最後までご覧頂きありがとう。

今日が良い日となり、

明日がさらに素晴らしい日となりますように晴れ

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撮影  文  熊谷

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