ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から  三井誠著 読了 | 52歳で実践アーリーリタイア

52歳で実践アーリーリタイア

52歳で早期退職し、自分の興味あることについて、過去に考えたことを現代に振り返って検証し、今思ったことを未来で検証するため、ここに書き留めています。

人々の共感を得るには事実を並べて「こんなに証拠がありますよ」ということではなく、よりわかりやすく相手の立場に共感しつつ、伝えていく努力が必要ということが重要だと認識。事実(厳密には科学的事実)よりも共感力とコミュニケーション力のほうが重要ということ。
大半の日本人としての感覚では、科学的思考は正しくて、その結果として生まれた各種自然法則は、正しいと「信じて」いる。ところが本書でのキリスト教の信仰にかかわる問題(進化論の事例)や、経済的政治的信条にかかわる問題(=地球温暖化の事例)については、素直に自然科学の法則よりも、信仰にもとづく聖書における事実や政治的に経済的に自分に都合の良い都合の良い考えに従うということです。


読売新聞記者による科学への疑念に関するアメリカの現地ルポ。日本人の一般的感覚からすると驚きの事実が盛りだくさん。

我々も振り返るとなぜ科学的思考を信じるかといえば、学校教育でずっと「洗脳」され、親や社会に「洗脳」されて科学的思考を信じているわけで、逆に親や学校から聖書に基づく「事実」をずっと教えてもらっていたら、進化論は納得できないし、人は6000年前に神様が創造したというのが事実と思うのは間違いない。

オークランド大学のマーク・ネイビン准教授(社会政治・哲学)曰く「私たちが科学的な事実に基づいて判断することなんてほとんどありません。人は自分が思っているほど理性的に物事を考えているわけではありません。何かを決めるときに科学的な知識に頼ることは少なく、仲間の意見や自分の価値観が重要な決め手になっているのです」

地球温暖化の場合は共和党支持者の35%が地球温暖化は人為的と考え、民主党支持者では89%と、政党の支持者によって大きく分かれる。

さらに興味深いのは、知識が増えると逆に自分がもともと信じている考え方をより強化する方向に向かうという調査結果。

したがって、知識を深めれば深めるほど、より科学的事実に基づいた考え方に変わっていくと思いがちだが決してそうではない。自分の主義主張を後押ししてくれる情報を選び取るという意味で「確証バイアス」がかかってくるのだ。

人は「みたいものだけみえる」「見たくないものは見えない」ということであり、いったん自分の主義主張を固めてしまうと容易にそこから方向転換することはできないということ。

インターネット社会における「フィルターバブル」と同じことは人間の頭の中でもすでに起きているということ。

確かに人間が理性的な存在であり、何かを決めるときに理性に頼るという志向はヨーロッパの啓蒙主義からスタートした人間700万年の歴史(キリスト教では6000年?)からすればたった200年に過ぎず、それまでは宗教的思考や日常生活における慣習や習慣に基づいて行動していたので無理もない(ネイビン准教授)。

これだけ社会の分断が加速する現代社会において、より重要なのは事実に基づく理論よりも、相手への共感とコミュニケーション力に基づく合意形成への道筋ということなのだろう。

*追記
地球温暖化による不都合と好都合はどちらが多いか?については私個人的にはどちらが正しいかはよくわからない。これは科学的にという意味で。