下記は、毎日新聞ソウル支局の記者が書いた記事。

同支局長の沢村は、韓国や北朝鮮関連の著書を書いているが、

甲乙つけがたい男だ。

 

中部本社整理部の後輩にはなるのだが、スタンドプレーが多い。

どこの会社でもそうだが、出る釘はたたかれる。

私もたたかれた(笑)。

 

朴大統領が先月29日に任期満了前の辞任を表明した際、 私は当然だと思った。

法律専門家も「改憲なしでも辞任可能」との見解でほぼ一致している。

必要かどうかは、国会議論の方向性を左右するだけに注目される。

 

韓国の法律には大統領が自ら退任する際の手続きが明記されていない。 

高麗大学法学専門大学院の金基昌教授は「憲法には大統領が欠位、

あるいは事故で職務を遂行できない場合、首相が代行すると書かれている。

 

そうした手続きを含めた話を意図的にあいまいに述べたのではないか」と指摘。聯合ニュースも法学者の話として「憲法には任期を満了せよとは書いていない。辞職は政治的判断さえあればよい」と伝えた。

 

しかし、前大統領は公私の別なく、韓国政界から退くことになるのだが、

父親の暗殺に続いて、「不祥事」でおさらばするのだから、かわいそうな気もしないわけだが、ジャーナリストとしての私の意向は、何ら弁解の余地はない、と言わざるを得ない。

 


 

終電に乗り遅れ、今、インターネットカフェにいる。

トランプ次期大統領の話をしようと思ったのだが、

「熱海さん、たまには視聴率の高いブログをください」とある読者に言われたので、

リクエストにお答えする。

べっぴんさんのヒロインは、芳見京子(スペルが間違っていたら、すみません。すみれ)

 

京子は、仕事が猛烈に急がしあったせいか、都立の定時制高校を卒業している。

まあ、仕方のないことだ。それだけ、忙しいのだから。

芳見の実年齢は19歳。それで、1児の母、妻の演技をしているのだから、

まあ、普通にすごい。

 

ただ、キルギスがどうのこうのと、展開していくのは、

見せばが乏しいということだ。

 

まあ、すみれちゃんで持っている番組には間違いないが、

それにしても、前作の「とと姉ちゃん」の方に軍配が上がると思う。

なぜなら、とと姉ちゃんの演技は、大卒だけあって、見事だった。

 

べっぴんさんを否定するつもりはないが、

展開不足が残念。

 

私は東京本社在勤中、著名人のインタビューの時に、

先方から、NHKの楽屋を指定される方が多かった。

 

1階の一番東側で、大河ドラマと連続テレビ小説はフロアーのみ違えど、

同じ撮影場所。

 

インタビューの始まる前に、よく俳優が演じるモニターを見たものだった。

それと、食堂も有名人がごろごろいた。

なので、NHK関連者がうらやましく思った。

 

先日、例の東京駅丸の内丸善書店で、先輩ジャーナリストと待ち合わせ。そのNHKの元社会部デスクだ。

 

お互い、長いつきあいなので、悩みは知っている。

問題は家族だ。

 

どんなに裕福でも、人それぞれ。

昨日は母親の誕生日だったのだが、諸々あって、喧嘩してしまった。

自分に非がなくても、喧嘩はNGだ。

 

両親に謝罪と感謝。

 

いつもはこの時間は寝ているが、目が覚めたのでブログを書く。

 

2016年上半期ベストセラー。「天才」。石原慎太郎著。

 

書評も仕事の一つ。

 

田中金権政治批判の急先鋒だった石原が万感の思いを込めて描く、

田中角栄の生涯。

 

石原は「この歳になって田中角栄の凄さが身にしみた」と言っている。

 

本書のメイン部分をを述べる。

田中角栄は、「高等小学校卒」

おさないころから見につけた金銭感覚とたぐいまれなる人間通を武器に、

総理大臣までのし上がった男の知られざるを素顔を描いた。

 

この書は章立てがない、まあ、ワンマンで有名な石原らしいと言えば、石原らしい。

田中は新潟出身。私の持論だが、わがふるさとに誇りをもっている人は、

「本当の国際人」といえる。

 

田中角栄は高等小学校を出た後、土木関係の会社を起こす。

 

故郷の新潟は田中は愛する。あまり知られていないが、田中は無理の映画好きだ。

以後は、戦前の話が多い。

 

田中の悲劇は長男を亡くしたことだ。

5歳の時、風邪を引き、肺炎で逝ってしまった。

長女は有名な田中真紀子である。

その反動で田中は飯田橋に事務所をかまえ、事業を拡張する。

 

そこで会社の顧問である男に、国政選挙に出てみないか、と誘われる。

二回目の選挙で旧新潟3区で見事、当選を果たした。

小学校しか、出ていないのにである。

 

その後は、すぐに法務政務次官に抜擢される。のちに大蔵大臣。

そして、54歳の時に、『日本列島改造j論』を発表し、内閣総理大臣に就任する。

 

私はこの時小学生だったのだが、NHKの単独インタビューを聞いて、

隣県の方が、こんなによどみなく話す彼に好意に親しみを感じた。

史上最年少で総理まで登りつめた感ももちろんある。

庶民感情がにじみ出ていた。

 

だが、1974年。月刊誌『文芸春秋』に、評論家の立花隆が「田中角栄研究」を発表。金脈問題を追及した。これを受けて、田中は内閣総辞職を表明した。

 

翌年の2月、ロッキード事件が発覚。

田中は5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法容疑で逮捕。

自由民主党を離党。以後無職属に。ほどなく保釈された。

 

1983年。ロッキード事件の一審で懲役4年、追懲金5億円の実刑判決。即日控訴。

1987年。同事件の控訴審で東京高裁は一審判決を支持。即日上告。1995年、最高裁が田中の5億円の収賄を認定。

 

この程度は、読者の方々はお分かりいただいていると思う。

が、このロッキード事件というのは、田中に関していうと、「冤罪」ではないか。

 

たとえば国民の多くのさまざまな精神に多大な影響を与えているテレビというメディアに造成したのは、ほかならぬ田中という若い政治家の決断によったものだし、狭小なようで、実は南北に極めて長い日本国土の機能的なものに仕立てた高速道路の整備や、新幹線の延長配備、さらに各県各県に一つずつという空港の促進を行ったのも田中だった。

 

またエネルギー資源に乏しいこの国の自活のために未来エネルギーの最たる原発を目指し、アメリカ傘下のメジャーに依存しまいと、田中は独自の資源外交を思い立った。

 

これがアメリカを怒らせた。

 

田中は、100億、200億を集める集金力があった。

田中にとってはロッキードの5億円など、単なる「はした金」だ。

米国はどのポジションで田中に攻撃をやってのけたのは、わからない。

推測の域を出ないが、ニクソン大統領とその側近あたりがやったのだろう。

 

案の定、ニクソンはウォーターゲート事件で、辞任におい込まれた。

私から言わせれば、ニクソンは「バチ」があたったに間違いない。

 

田中は公営住宅法、首都建設法、建築士法、官庁営繕法、道路法、原子力基本法などなど

提案者となって成立した議員立法は数知れない。

 

この書が「天才」と石原はつけているのだが、私も田中が「天才」だと思う。

最後が脳卒中で倒れた田中の一生であるが、

もし、彼が存命なら、日本の政界はもっといい意味で変わっているのかも知れない。

 

最後に話す。私は、田中の元側近に会ったことがある。彼もやはり田中のことを「天才」と言っていた。できることなら、ジャーナリストとして、是非、存命中に田中に会ってみたかった。

 

オールドパーというウイスキーを田中が大好物なのは知っていたので、おみやぎげも用意するつもりだった。

 

田中以外の政治家を超える人は彼をおいていないであろう。

出版社へこれから出かけるが、

めずらしく時間が1時間空いたので、ブログをしたためたい。

今日の朝刊各紙は全て読んだ。

少しイライラさせる記事があった。

毎日新聞が一番、怒っていた。

記事を書いたのは、後輩の社会部記者の阿部亮介。

 

以下、抜粋。

厚生労働省が検討する、高齢者関連の医療保険制度の見直し案の具体的な内容が分かったたという記事...

 

医療費の自己負担に上限をを設ける「高額療養費制度」では、

70歳以上で住民税が課税される年収約370万円未満の「一般所得者」の負担上限を引き上げるなど、負担を重くする。

 

75歳以上の後期高齢者医療制度では、扶養家族だった人ら約330万人を対象に、

保険料の特例軽減を廃止し、段階的に引き上げに、保険料の特例軽減を廃止し、

段階的に引き上げる。政府・与党内で最終調整を進め、一部を除き来年度から実施する見込み。

 

私は朝日新聞の記者より、「左」だとよく言われる。

が、あえていうが,,私は、日本共産党のように「何でも反対」はしない。

確かに国には膨大な借金(国債費という大借金)が積み残されている。

それは、自民党、民主党(現民進党)時代、一環として行われてきたツケだ。

だから、この措置によって、政府、与党は時間を費やしている。

よって、国会の延長幅が伸びた。

 

結論から言おう。だからと言って、老齢年金生活者や子育て世代にそのツケを払わせるというのはいささか、理にかなっていないのではないか。

来年度あたりから、法人税軽減が始まるらしいが、

政府、与党は「弱いものいじめ」をしているように、私は思えてならない。

 

自民党の「一強独裁」は問題だ。言ってみれば、「数のおごり」。

安倍総理の父親の慎太郎は毎日新聞の元政治部記者だった。

第一次安倍内閣の時は、毎日新聞の政治部記者にだいぶ、リップサービスをしたらしいが、現政権を、毎日新聞は一環として、「NO」と報道している。

 

なぜ、これだけ現政権の内閣支持率が高いのか、浅学菲才の私には分からない。

私は映画評論も仕事としている。ひさしぶりにいい映画を観た。

タイトルは「僕の妻と結婚してください」

 

簡単なあらすじ。

 

テレビ業界の第一線をひた走る放送作家が余命宣告を受け、

家族に残す「人生最後の企画」のため奮闘するさまを樋口卓治の人気小説を映画化。

 

愛する妻子の幸せのために、残された時間を使って妻の最高の結婚相手探しに奔走する主人公・修治を織田裕二が熱演。彼の妻を吉田羊、修治が見初めた妻の結婚相手を原田泰造、結婚相談所を営む修治の元仕事仲間を高島礼子が演じる。

 

監督は『県庁おもてなし課』などの三宅喜重、脚本を『電車男』などの金子ありさが手掛ける。

 

もう少し、述べる。

修治はテレビのバラエティー番組の放送作家として、45歳の役を演じていた。が、末期のすい臓がんで余命半年と宣告されてしまう。

 

ショックを受けながらも家族のため何ができるかと考えた彼は、自分の代わりに家族を支えてくれる人を見つけようとする。

 

そこで、以前一緒に仕事をしたことがあり、今は結婚相談所の社長である高島礼子に、自分が世を去った後の妻の結婚相手を欲しいと頼む。

 

奇跡的に相手が見つかったのだ!。相手は慶応大学経済学部卒のインテリア関係会社社長の原田。原田は今一つ、ときめきを感じて結婚したい相手が見つかることができず、高島に仲介を頼んだ。本来なら、「犯罪」だ。

 

原田は吉田羊のプロフィール(もちろん偽造)を見て、すっかり気にいってしまう。織田は高島の会社の社員という度重なる重罪。原田に吉田の魅力を吹き込む。

 

そして、女性アイドル(AKB45)と不倫しているところをわざと吉田に見せて、離婚届を出した。吉田が再婚をするには、それしかなかったからだ。何とそれが写真週刊誌に載ったのだ。

 

もちろん、それは演技。そして、織田は家を出て行った。が、その織田のそのシナリオを書いたメモ帳をうっかり忘れてしまった。そのメモ帳を吉田は発見。メモ帳を取りにもどった織田と吉田が鉢合わせ。

 

当然、吉田は織田を責め立てた。このシーンが泣かせた。

 

私は拙著『双極性障害~患者として、新聞記者』(無明舎出版)で自分のこれまでの一生を書いている。

 

双極性障害という病気で最愛の妻と職を失いながらも、ジャーナリストとして再起し、今に至る旨をしたためた。

 

だから、映画館で涙を流したのだ。年甲斐もなく。

吉田は原田と“共謀”して、結婚の直前まで織田に見せつける。

織田は安心してあの世に逝った。

実はこれが逆の吉田と息子の「演技」。観るものとしては二転三転するわけだから、波長は鋭かった。

 

夫婦には夫婦にしかわかりえない関係がある。

この作品には、従来の紋切り型にみられる悲壮感がない。

むしろ、コミカルには話を進めていく。

 

私はかつて、同じ闘病記である役所浩司が演じた映画評論を書いたことがあるが、それとは一味違った趣があった。

 

文句なく「名作」だ。監督の三宅と織田をはじめとするキャスト、スタッフに心からありがとうといいたい。

 

 

 

 

 

 

長らく、当ブログを離れていました。

それは仕事が原因です。

本日は雪のため、自宅待機だったので、

こうしてしたためておりますが、

これからは、基本、土日、祝日の執筆となりそうです。

 

私でしか書けないジャーナリストの立場から、

これからも切り込んでいきます。

 

ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

ある識者の言。

 

人生は短いようで長い。

勝時もあれば、負ける時もある。

行き詰まり、七転八倒する時もあるだろう。

だが、人生の勝敗は途中で決まらない。

栄光は、粘り抜いた逆転劇によって勝ち取るものだ。

 

どんなに悔しくても、朗らかに頭を向くことだ。

困難にぶつかることもあるだろう。

その時に、いよいよ負けじ魂を燃やす。

その人が、最後に勝つ。

本日は、東日本大震災から、

5年目です。


被災地から黙祷いたしました。


東北の復興はまだ、道半ばです。


被災地に住む方に、思いを寄せてください。

米国最大の都市、ニューヨークで、

日本食の裾野が広がってきたそうです。


すしや懐石など、比較的高級な料理にとどまらず、

最近では、ラーメンやお好み焼きなど「庶民の味」も人気が出てきたとか。

この人気に商機を逃すまいと、日本料理店が相次いでオープンしています。


ラーメンチェーン店「博多一風堂」は2008年に進出しました。

スープに使う豚骨や水など素材にこだわる「本格派」の味で成功しています。

こういう成功事例になぞられて、新たなラーメン店が続々、登場しています。

個人的にはみそラーメンが好きですが。


一風堂は最近、順番待ちの客に日本酒を提供するバーを店舗内に、開設しました。商品開発担当者は、「日本の食文化を知って欲しい」と意気込んでいます。


チェーン店では、「大江戸ごはん処」「ゴーゴーカレー」なども新設されています。


日本貿易振興機構は今月12~14日、米国進出を目指す日本の業者5社の料理をニューヨーカーらに試食してもらう予定とのことです。

一部、毎日新聞の記事を引用。


戦後の日本で、国と地方の大きな変化がありました。

まず、憲法で首長や地方議員の直接公選が定められ、

戦前の官選知事のような制度が廃止されてことです。


ただ、実際には、国と地方には上下関係的な制度が残されていました。


やがて、画一的な中央集権は行き詰まり、地方の多様性や自主性が逆に必要になりました。そういえば、かなり前ですが、よく「地方の時代」という言葉がありましたね。


そして、2000年地方分権一括法が施行されました。

この法律が、国・地方関係の「上下」から「対等」への転換をうたった、時代の要請であったことは、間違いありません。


この「対等」とは、何を意味するのかを考えざるを得ないのが、

米軍普天間基地の移設をめぐる国と沖縄の対立です。


沖縄県の翁長知事が辺野古沿岸の埋め立て許可を取り消したことは、既にご存知だと思います。


しかしながら、国はこれを取り消す代執行の手続きに着手しました。つまり、県に代わって国が事務を遂行するということです。


国が地方を上下関係で指揮した機関委任事務制度は分権一括法に伴い、

廃止されました。代執行はそれ以来、使われなかった手段です。


沖縄県は「自治権の侵害」を理由に訴訟を起こし、国と県双方が司法の場で訴えあうという展開となりました。


国の強引な手法は分権の歩みに逆行すると言わざるをえません。




ここまで、書いていて、思い起こしたのですが、「首都機能移転」です。あれは、確か、バブルの時でしたから、そういう構想もなりたったのでしょうが、国の財政逼迫を受けて、立ち消えになったのではないか、と私は思います。