1953年6月2日に戴冠式が行われたエリザベス女王ですが、父であるジョージ6世の崩御により1952年2月6日から在位期間は始まり、2022年には即位70周年を迎え、イギリスと連邦諸国ではプラチナ・ジュビリーを祝う行事が開催されるようです。



「エリザベス女王のプラチナ・ジュビリー(即位70周年)を記念する4日間のバンクホリデーウィークエンドが2022年6月に発表されました。詳細については、略歴のリンクをご覧ください。この機会を記念するさらなる計画は、やがて発表されるでしょう

※バンクホリデーとは、イギリスと王室属領の国民の祝日です。 この用語は、イギリスのすべての祝日を指します。これらの祝日は、制定法に定められているか、王室の宣言によって定められるか、コモンローに基づく慣習によって開催されています。「銀行休業日」という名の通り、銀行機関がそのような休日に営業を停止します。


2011年のウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式の日もイギリス全土でのバンクホリデーが宣言されました。



2022年6月3日(金)が追加の休日として選ばれました。  5月下旬のバンクホリデーも6月2日木曜日に繰り下げられ、特別な4日間の週末(木~日)が予定されています。




バッキンガム宮殿のスポークスマンは次のように述べています。「プラチナ・ジュビリーは、女王陛下が統治を通じて受けた支援と忠誠心に感謝の意を表す機会を提供します。女王陛下はできるだけ多くの人々が祝賀会に参加する機会を持つことを望んでいます。」
エリザベス女王は現在94歳ですが、一部では95歳を節目に譲位するのではとの噂もありました。
今回のプラチナ・ジュビリーに関する発表はそういった噂を一蹴しました。



現在94歳のエリザベス女王は、すでに英国史上最も長生きしている君主であり、5年前に英国で最も長く在位した統治者として、曽祖母のヴィクトリア女王を上回りました。

 

1951年のエリザベス王女(後のエリザベス女王2世)


女王は父親のジョージ6世の突然の死により、1952年2月6日に25歳で王位に就きましたが、戴冠式は1953年6月2日に行われました。即位○○周年として祝うのは戴冠式からではなく、実際に王位に就いたジョージ6世の命日からと考えるようです。



もともと病弱だったジョージ6世の健康状態は1951年に悪化しました。1952年1月31日、周囲の反対を押し切ってジョージ6世は、ロンドン・ヒースロー空港まで足を運び、イギリス帝国領のケニア植民地経由でオーストラリアとニュージーランドへの海外公務に旅立つエリザベス王女の送迎をしました。これが父娘の最後の対面であり、ジョージ6世の長女エリザベスが「エリザベス王女(Princess Elizabeth)」として最後にイギリス本国に存在した瞬間でもありました。また、ジョージ6世の妻でありエリザベス王女の母で同名のエリザベス王妃はエリザベス王太后(Queen Mother)となりました。


1952年2月6日、ナイロビのプリンセス・エリザベス病院を訪問されました。


1952年2月6日の朝、療養を兼ねて狩猟やスポーツを楽しむ為に訪れていたサンドリンガム御用邸のベッドで他界したジョージ6世が発見されました。死因は就寝中の冠動脈血栓症で、この時ジョージ6世は56歳でした。


突然の父ジョージ6世の訃報と自身のイギリス新女王への即位を滞在中のケニアで知らされたエリザベス王女は、「女王エリザベス2世(Queen Elizabeth II)」として即位するために、夫フィリップ殿下と共にイギリス本国へ急遽帰国しました。

2月9日から2日間、ジョージ6世の遺体が納められた棺はサンドリンガムの聖メアリ・マグダレーン教会に安置され、ウェストミンスター寺院のホールに棺が運ばれました。ジョージ6世の国葬はウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で、2月15日に行われ、礼拝堂地下にある歴代王族の墓所に葬られましたが、後に「ジョージ6世祈念礼拝堂」が建設され、1969年3月26日に同礼拝堂に改葬されました。



息子を亡くしたメアリー王太后(メアリー・オブ・テック、ジョージ6世の母、エリザベス女王の祖母)の悲しみは深く、翌1953年3月24日、孫娘のエリザベス2世の戴冠式を見ることなく崩御されました。戴冠式の2ヶ月と9日前のことでしたが、自分の死により孫の戴冠式に影響を与えたくないという生前のメアリー王太后の意向により、戴冠式は予定通り執り行われました。




1953年6月2日、世界各国の元首級の賓客らを招待してウェストミンスター寺院で戴冠式が行われました。この様子は世界各国に当時の最新メディアである白黒テレビにより中継されました。


エリザベス王太后とマーガレット王女の間で退屈そうにしているのはチャールズ皇太子です。



日本の皇室からも、昭和天皇の名代として皇太子明仁親王(当時)が参列されました。



ウェストミンスター寺院での戴冠式から戻った直後、バッキンガム宮殿のバルコニーに立つエリザベス女王とフィリップ殿下。



エリザベス女王は戴冠式で自身が着るドレスを含む王室のすべてのメンバーの衣装をデザインするようにノーマン・ハートネルへ依頼しました。 当時の連邦諸国の花のエンブレムが刺繍された白いシルクのドレスでした。(イギリスのチューダーローズ、 スコットランドのアザミ、ウェールズのニラ、北アイルランドのシャムロック、オーストラリアの編み枝細工、カナダのカエデの葉、ニュージーランドのシルバーシダ、南アフリカのプロテア、インドとセイロン(今のスリランカ)の2つの蓮の花、パキスタンの小麦、綿、ジュート)
このドレスは戴冠式後も連邦諸国訪問での議会開会式等で着用されました。




ノーマン・ハートネル(1901-1979)といえば、エリザベス女王のウェディングドレスを手掛けたことも有名ですが、最初の王室に関連する依頼はグロスター公爵ヘンリー王子(ジョージ6世の弟、エリザベス女王の叔父)と結婚するレディ・アリス・モンタギュー=ダグラス=スコットからでした。

1935年の結婚のために、ウェディングドレスとブライズメイドの衣裳が依頼されました。この結婚式でエリザベス王女とマーガレット王女もブライズメイドとしてノーマン・ハートネルのドレスを着用されました。



1940年頃にはエリザベス王妃(エリザベス女王の母)の衣裳を多く手掛け、イギリス王室お抱えドレスメーカーとしての地位を確立しました。それ以来、数十年にわたって、エリザベス女王、マーガレット王女をはじめ、多くの王室の女性たちのウェディングドレスを手がけました。
1977年3月、王室への50年にわたる功績、イギリス・ファッション界への貢献を踏まえ、サーの称号を授与されました。
最近ではベアトリス王女がエリザベス女王のノーマン・ハートネルのドレスをリメイクしてウェディングドレスとして着用されました。

ベアトリス王女&エドアルド・マッペリ・モッツィのロイヤルウェディング(2020年)


イギリス王室 ベアトリス王女のウェディングドレス特別展示会







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