焦げ茶色の4WDのパトカーがあるなんて・・・
続いてデスヴァレーに向かう途中で、痛恨の失態をやらかしてしまった。
「夕陽を撮りたいから、少し急いでくれる?」という、カメラマンK氏のリクエストに応えて、後ろを注意しながらアクセルを踏んだところ、焦げ茶色の4WDのバンが負けじとついてきた。おかしいなと思った瞬間、突然バンの天井が光りだしパトカーがその正体をあらわにしたのだ。
「え~っ、変な色したあんな車種のパトカーがあるなんて反則だよ。ずるいよぉ」
こんな思いと、免許を取得してわずか2ヶ月で違反キップを切られてしまった落胆。そしてロング・ドライブの疲れがどっと出て、ハンドルを握ったまま警官が来るまでぐったりしていた。
しかし、後日「そのポーズで待つことが、とても大切なことだ」と教えられ、改めて驚いた。
「もしも、バックミラーで警官が近づくのを見ながら、服の内ポケットから免許証を取り出すとか、ダッシュボードに仕舞ってある免許証を取り出そうと、上半身を傾けでもしようとしたなら、間違いなく拳銃を突きつけられていたよ」と脅された。
拳銃所持が許されているこの国で、そんな動作をしたら「反抗」のサインになってしまうという。知らなかったでは許されない、こんな重要事項をどうして誰も教えてくれなかったのか、「ギャグにもシャレにならないよ」と思ったものである。
いずれにしても、スピード違反の事実に変わりはなく、理由はどうあれ「罰金は取材費で落とすことはでき
ない」と、帰国して編集者に告げられて二重のショック。さらには、「免許書き換えのときに、1度も違反していなければ書類の送付だけで更新できるけど、違反した人はDMVまで出頭しなければならないはず」と、
追い討ちをかける情報まで耳に入ってきた。「あ~ぁ」である。
それでも、デス・ヴァレーの夕陽にはなんとか間に合ったが、宿が取れずにモーテル捜しにひと苦労。日没後に、夕食も取らずに眠気をこらえて140km近く走ることになってしまった。
翌日、偶然通りかかったレッド・ロック・キャニオンというキャンプ場で、モデルになった。このとき撮影したカットが、雑誌の特集の巻頭写真として見開きサイズいっぱいに使われるとも知らずに、である。
予期もせず雑誌に載るのは、どこかこそばゆく変な気分がするものだが、それよりもキャンプ場を見晴らせる岩場に寝そべって、ここちよい風に吹かれたときの気分の良さが、忘れられない。
発売された雑誌のキャプションにも、
「ストレスが身体の芯から溶けてゆくようだ」と書いたが、まさにそんな気分を味わった。
そしてキャンプ場の入口の料金表に、ペットとしての犬は有料だが、ブラインド・ドッグつまり盲導犬はフリー(無料)とあったことも、おおいに感心したためか印象に残っている。
ロサンゼルスの近くまでやって来ているのに、時間がなくて誰にも会わずに通り過ぎるしなかい。仕事でき
た辛さといえようか。ロスの北100kmほどのところをかすめて、出発地にもどるべく、ハンドルをさらに北へきった。
次に紛れこんだのは、ジェームス・ディーン主演の映画『ジャイアント』そのままの世界。地平線の果てま
で石油を掘削する油井が並んでいる、タフトという田舎町である。空気そのものがガソリン臭い町には、石油の歴史を知らせる小さな博物館があった。
「インディアンが、原油の染み込んだ“燃える石”を使っているのに気がついた白人が、本格的に地面を掘っ
たところ高さ35フィートも油が噴出し、砂袋で囲んで広大な油の池ができた」
当時の新聞記事や、時代を感じさせる掘削器具などが展示してあり、なかなか面白い。結局、カリフォルニア州サンフランシスコを出発して、オレゴン州やネバダ州にも足を踏み入れて、出発地に戻った6泊7日の一筆書きの取材旅行は、走行距離にして3500km。これは、日本列島最北端の稚内から最南端の波照間島までを、走り抜いた計算になる。
しかも、免許取りたてピカピカの若葉マーク付き運転者にとって、初のドライブ旅行である。そして残念無
念にも、スピード違反という嬉しくない“土産”まで付いてしまった。
美しい海岸の秀逸な、ポイント・レイズへ
最初の目的地は、サンフランシスコの北約50kmのところにある、ポイント・レイズ・ナショナル・シーショア。国立公園局が認定する、合衆国本土の東西の海岸に各1ヶ所づつしかない、海岸の地形的な美しさ珍しさから選ばれたエリアである。
緑の台地が海と出合って波に削られ、白い崖となって海面と交わる、緑白青の3色のコントラストが素晴らしい自然美を形成している。公園内のビジターセンターで聞いた話によると・・・。
その昔、マゼラン海峡やパナマ地峡を渡って太平洋側に出たスペイン人やイギリス人がやってきて、この地に暮らしていたインディアンに領土宣言をしたが、それきり現れなかったという話が伝わっているという。
ちなみに、サンディエゴからサンフランシスコまで、スペイン人が入植して教会を建てた証である「サン」
または「セイント」の付く地名は、サンタバーバラやサンルイオビスポ、サンノゼにサンタクララなど軽く30
を数える地名を数えることが出来る。その北限になるのが、オレゴン州との州境に近いカリフォルニア州北部には、ギリシャ語の「我見つけたり」を表すユーリカ(EUREKA)という町があり、大航海時代の苦労が忍ばれる。
海と川が入り組んだ沼沢地を歩くトレッキングに参加したかったが、仕事で来ている以上色々回らなければならず、のんびりしていられないので別の機会に譲ることにした。とりあえず、ポイント・レイズの突端まで走ってみたら、途中の道路に孔雀や羊が現れたり、緑の大地が急峻に海に落ち込む半島の端には灯台が建っていたり、どこかイングランドを思わせる光景が広がっていた事を思い出す。
西海岸沿いの道をさらに北へ。オレゴン州の手前には、地球上で一番高く伸びる木、コースト・レッド・ウ
ッドの森が国立公園になっている。世界最高の樹は高さ116m、30階建てのビルに相当する。そこまで毛細血管で水を吸い上げることは出来ないが、この地には地球の自転により大陸の西側には寒流が流れるという法則により、大量に湧く霧が木の上に水分をもたらしてくれるため、太古の昔から生き延びてこられた訳である。
また、世界中で最も高い・古い・大きいの3大樹木のうち、アメリカには高いと大きい(ヨセミテ国立公園)
木が生えている。
レッド・ウッド国立公園では、鳥たちの囀りもずっと上の方で聞こえ、世界一高い並木道を走る爽快感を体
験した。この原生林の森は、年間4000mm以上の降雨量により生育するという。森が雨を呼ぶのか、天気
が森を育てたのか、たとえ雨が降らなくても、午前中はたいてい霧に包まれている、原始の森である。
最初の予定では、そのまま北へ走りオレゴン・サンド・デューン(砂丘)で、サンドバギーに乗るはずだったが、「晴れなければいい絵が撮れない」からと中止になってしまった。2日半かけて北上した道をインターステイツ・ハイウエイの5号線をひた走って1日でもどり、レイク・タホを経由して395号線に出た。そこで、ヨセミテ国立公園を東から西へ横切るつもりでいたが、4月も半ばだというのに積雪のため道路封鎖されていて、入ることができない。
またまた予定を変更し、仕方なくそのまま南下、上から眺めると湖岸が真っ白に見えるモノ・レイクに出た。遠目には雪かと思えた白色の正体は石灰で、近くの火山から鉱物質を含む温泉水が湖に流れ込み、湖にはブラインド・シュリンプなる海老が大量に棲息している。その海老を食べに、これまた多数の渡り鳥がやってきて、鳥たちが落とす糞が水中の草を育てる。そして水草は海老の餌になるという、大いなる自然界の食物連鎖が働いているという。この不思議な湖を観た作家のマーク・トゥエインも、自署に書き記しているそうだ。
40代で取得した免許証で、豪華ロング・ドライブ出発
免許証を手に入れたからには、運転しなければ宝の持ち腐れである。そこで苦しい時の神頼み、鰯の頭も信心からの例えに習って星に願いをかけてみた。
「1日も早くアメリカへ行き、思う存分車を運転できますように・・」と。
そうしたら、神様に代わって雑誌社が願いを叶えてくれたのである。
というのも、何年もご無沙汰している編集部に立ち寄って、知り合いの編集者に近況報告がてらアメリカの話しをしたところ、
「ちょうど旅の特集を予定しているので、その体験を簡単な企画書にしてくれる?」と誘われた。
願ってもないチャンス、古い歌の文句ではないがグッド・タイミングである。
そこで、知ってるようであまり知られてない、感激もののアメリカをいろいろ書いて提出したところ、そのうちの1本が採用されたのだ。
思いつくままに書き出した企画をいくつか挙げると、こうなる。
「絶景街道PCH(パシフィック・コースト・ハイウェイ)を旅する」
「アメリカは田舎が面白い」「映画の名シーンに立ちを、グッズを購入する」
「土地っ子として楽しむL.A.」
「地球が生まれたままの姿・原生自然と温泉の旅」
「インディアン・カウンティーで、ネイティブ・アメリカンに出会う」・・等々。
フリーランスの雑文業を生業にして早15年以上たつが、海外取材は初めてのこと。これを「ラッキー、チャ
チャチャ」と喜ばずにおれようか。
初の海外取材は、日本航空のタイアップを取りつけたため、座席はビジネス・クラス。機内ではウェルカム
・シャンパンで迎えられ、松花堂弁当をパクつきながら渡る太平洋の心地好さといったら、文句のあろうはず
がない。
さらになにを勘違いしたのか、カメラマンと2人6泊7日の旅なのに、大枚4000ドルというとても使い切れそうもないほどの取材費を渡された。ほとんど手にしたことがない、わくわくするような大金が懐にある。
サンフランシスコに到着後、レンタカー会社のカウンターで早速俄か成金に変身した。まずは日本で予約した車をキャンセルして、2ランク上の高級車種に変更。これが自腹なら、最も安い1300ccクラスのコンパクト・カーで決まりだが、ここはどかんと奮発して、3000ccクラスのサンダーバードを借りるという、大盤振舞の挙にでてしまった。
心に残るアメリカ車といえば、まずは'60 年代の連続テレビ映画『ルート66』に登場した、憧れのシボレー・コルベット・スティングレーが、押しも押されもせぬ不動のナンバーワン・カーである。次が、'70 年代にデビューしたての頃のムスタングで、3位がこのサンダーバードである。1位と2位は、「いつの日にか乗りたい夢の車」としてとって置くとして、念願の3番目の車に乗れるわけである。
しかし、ハンドルを握るのは実に12年ぶりのこと。自分でも「これでいいのだろうか」と思わぬでもないが、
ここまできた以上もう後には引けないし、そのつもりもない。ほとんど初対面同然のカメラマンK氏にも、そんな事情を説明してあるが、それほど心配してないようだ。K氏と相談して決まった旅の間のルールは、次の3ヶ条だった。
「走りながら写真を撮る必要があるので、基本的に車の運転はこちらがするが、疲れて眠くなったり、万一の場合は交替する」
「取材費はたんまりあることだし、出発の準備を手際よくするために、バスもトイレもふたつあった方が便利
だから、1人1部屋にして別々の部屋に泊まろう」
「コレといって音楽に趣味がないなら、カーラジオはカントリー&ウエスタンのチャンネルにして欲しい」
最後はK氏のリクエストだが、こんな取り決めをする必要がないくらい、都市部を離れて田舎へ行けば行く
ほど、FMステーションはカントリーが多くなる。たった1局しか入らない場合は、ほとんど9割以上の確立
でC&W専門局になるほどである。そしてまた、大空と大地が広がる田舎のハイウェイには、C&Wのメロディーが不思議とよく似合うのである。
聞けばK氏、カントリーでもグリーン(ブルー?)・グラスの愛好者で、仲間とバンドを作り自分も演奏するし、本場アメリカ南部での演奏ツァーを追いかけた経験もあるという。なかなかどうして、面白そうな人なのである。
ギリギリ75点で実技試験もパス
そして日本では見かけない、「DIP」「YIELD」といった道路標識もある。
DIPは、スピードを出すと危険な住宅地や駐車場などでよく見かけるもので、辞書には「落ちる」とか「潜る」とか「沈む」とあり、道路に溝が掘ってあるか、帯状の小山が設けてあるので車を徐行させればよい。
もう一方のYIELDは、「許す」「与える」「譲る」といった意味で、曲がった道の後方に車両がない限り、一時停止しないで合流してよい標識である。
試験管に言われた事で少しだけ理解に苦しんだのが、「スリー・キック・ターン」という指示である。その意味も分からぬまま、「ターン」の言葉を頼りにハンドルを切りつつ、Uターンが無理な幅員の狭い道で、ハンドルを切り返すこと3回でやっとターンでき、いまの動作に間違いなさそうなことに気がついた。
結局、車庫入れも縦列駐車もしないまま、時間にして15分ほどでDMVに戻ってきた。日本では、これが出来ないために試験に落ちる人が多いという、一番難しい車庫入れと縦列駐車がなぜないのか、その理由を聞いて納得した。
「車庫入れはほとんどの場合、あなたの車をあなたのガレージにしまうのだから、ぶつけて傷をつけたり壊し
ても、その責任はあなた自身にあるわけでしょ。だから、あなたが壊さないように馴れればいいわけで、私が
わざわざ教える必要もない。車のサイズもガレージの形もそれぞれ違うし、それを試験にして採点の対象にするのは間違っている」
聞けば聞くほど、「ごもっとも」と納得する他ない。縦列駐車にもこんな理由がある。路上のパーキング・
メーターに停めるより、ちゃんとした駐車場が至る所にあるし、その場合、停めるのは前からが原則。バック
で停めると、排気ガスを建物の壁や植え込みにかけることになり、その結果ビルの耐用年数を早め、植物に害を与えてしまう。
そして何よりも、前から停めたほうが時間も早いし、ぶつける可能性も大幅に減るはず。反論の余地がない合理性が、ここにも活かされていた。
実技の試験結果も、その場で出された。結果は75点でギリギリの合格。
返された用紙には、「左折時に膨らみすぎ」とか「レーン・チェンジのタイミングは注意が必要」など、12項目中6項目に「改良を要す」または「拙劣である」の欄にチェックが入っていた。
さらには欄外にも走り書きで、「ハンドルの切りすぎ」「完全な停止の不備」など、減点対象になった要注
意事項がメモされていた。
ここで言い訳をさせてもらうと、オーバー・ステアリングとされたのは、先のスリー・キック・ターンに原因がある。ターン中に対向車が来たら迷惑だろうと、張り切って思いきり素早くハンドルを切ったら、減点の対象にされてしまったわけで、こちらとしては心外である。
もうひとつの、停止のあいまいさに関しては、確かに迷いがあったと感じている。交差点ギリギリにバンパーを合わせて車を停止させると、左右が見えない。安全第一と考え、見える状態まで徐行させながら停めたのがいけなかったようだと、こちらは素直に反省している。
100点満点で70点以上という、合格ラインすれすれで試験はパスしたものの、本物の免許証を受け取らないうちに帰国してしまった。浮き浮き気分で待つことひと月、T君から届いたエアメールのなかに、待望のドライバーズ・ライセンスが入っていた。
42歳にして手に入れた宝物である。嬉しさと人に見せて自慢したいという、極めて幼稚にして無邪気な動機から、誰彼かまわず見せびらかしては、ひとり鼻高々。はた迷惑を考えずに、歳を忘れてはしゃいでいた気がする。
「アメリカの運転免許証、見たことある? これ、向こうで取ってきた本物。ほら、見て見て、格好いいでし
ょ」
ちょっと見は、写真入りのクレジット・カードといった感じである。どの州で取得したかひと目で識別できるように、一番目立つのがカリフォルニアの文字。日本と違うのは、住所・氏名・生年月日・性別の他に、身長・体重に加えて髪の毛と目の色まで書いてある。
さすが多民族国家である。髪の毛の色の黒(ホントは白髪交じりだが)はともかく、自分の目の色は生まれてこの方、黒だとばかり思っていたのに、「茶色」であると初めて知らされた。
またドライバーズ・ライセンスを見た人の半数から、こんなことを言われた。
「これ、日本で通用しないの。アメリカで国際免許にすればいいのに・・」
アメリカはビザが不要になった代わりに、普通の観光客が滞在できるのは3ヶ月に限定されている。一方、
国際免許の発行は、3ヶ月以上滞在した人に限られている。つまり、留学生や駐在員のようなビザ発給者じゃなければ、国際免許も発行してもらえないわけである。それを知ってか知らずか、こんな悪知恵を授けてくれる人もいる。
「アメリカの国際免許なら、警視庁のコンピュータに登録されてないから、日本で違反しても点数減らないし、免停や取消しもなくて罰金だけですむよ」
そんなことは重々承知なのである。しかし、何重にもかけられた税金を払って車を買い、家賃並みに高額な駐車場を借りなければならない都会に住んでいて、なにが悲しくて車を持つ必要があるのか、と常々思っている。
さらには言わせてもらえば、慢性的に渋滞する道路に、停めるところのない駐車禁止だらけの道、バカ高い高速道路に利権を生む車検制度。加えて、石油を99.8%を輸入するこの国で、限りある資源としての化石燃料を、個人的な理由で使用するのもあまり好まない。時間があれば電車のひと駅やふた駅なら歩くし、タクシーに乗るのも年に数えるほどしかない。
つまり便利とか快適性以前の問題として、日本の車社会を冷静に見つめたとき、なにひとつ良いところがないような環境のなかで、車を運転したいとは爪の先ほども思わないのである。ましてや、そんな姑息な手を使うのも私の好むところではない。
そしてクルージングの醍醐味を堪能するなら、やはりアメリカである。それも都会を離れて田舎へ行けば、渋滞なんてどこ吹く風。1日中走り続けても赤信号で止まらないどころか、信号機そのものに1度も遭遇しないなんて芸当が、いくらでも可能な世界が広がっている。 免許証を手に入れた以上、1日も早くハンドルを握り思う存分車を運転したい、と考えるのが人情である。そんな気持ちが原動力になったのか、意外に早くそれが実現することになる。
日本語のテープを聞いて学科試験パス
アメリカ人なら、ロサンゼルスからバンクーバーへ行くには、車を使わず飛行機で行く。南カリフォルニアを出発し、オレゴン州とワシントン州を南北に縦断してカナダまで行くには、日本列島を縦に走る倍近い距離を運転しなければならない。
6泊7日で走った距離は、実に2759マイル(約4400km余り)。単純に計算しても、来る日も来る日も東京~神戸間以上の距離を走り続けたことになる。いくら信号機がないフリーウエイを走り続けたとしても、運転するのも疲れるだろうが、座っているしか能がなく運ばれるだけの人間にとっては苦痛である。
そう考えれば、飛行機を利用するのが当然と思えるが、旅費を節約するためにレンタカーで行くことになっ
た。マイカーがありながら、わざわざレンタカーを借りるのも変だと思うかも知れないが、整備万全なレンタ
カーを借りた方が安心だし、マイカーの走行距離を飛躍的に延ばすと、下取り時の査定に響くという配慮もある。
交通量が少なくなる真夜中にロスを出発して、トイレと食事と給油以外止まらずに、時速100km以上で走り続けても、翌日の夜ヘトヘトになって泊まったのは、ワシントン州のシアトルだった。次の日、やっとの思いで着いたバンクーバーは、クリスマスでほとんどの店が休業。とても物見遊山どころではない。帰りは、少しでも景色の良い道を走ろうと、海岸沿いに出れば雨にたたられ、楽しかるべき旅行気分はどこへやら。
これが、少しでもハンドルを握っていればともかく、ただ座っているしか能がない者にとっては、どこかに
売られて行く牛や豚にでもなった感じで、とてもドライブ気分どころではなかった。誘ってくれR子さんには
申し訳ないが、
「ただただ疲れるために出かけた」という印象しか残ってない。
そんなドライブ旅行での、窮屈な待遇を改善したいという願いが、ほんの少しヤル気にさせた。しかし決定
打になったのは、やはりコレ。
「トーランス地区では、日本語で法規の試験が受けられる」という、情報を手に入れたことだ。
日本語の試験の場合、通常の筆記試験に比べて申し込んでから日数がかかるが、暇ならいくらでもる。こ
れだけの条件がそろって、ぐうたらな居候は細やかなる決意を胸に、やっと重い腰をあげたわけである。
「10代で取得し20代で破棄した運転免許を、40代になって遥かこの異国で取り直そう」と。
申し込んでから2週間後に、オーラル・テストという方法で試験が受けられることになった。その内容とは、ヘッドホンから流れてくる日本語のテープを聞いて、マークシート式の答案用紙に○か×をつけるだけ。
これでひと安心と思いきや、こんな忠告をする人が現れた。
「そのテープの日本語は、日系1世の人が吹きこんだらしく、やたら古文調で時代劇がかった言葉使いなので、すごく分かりにくいという噂だよ。少しでも英語ができるなら、絶対辞書を持ち込みで試験を受けたほうがいいと思うから、考え直したら・・」
しかし、ここまできたらもう後には引けない。覚悟を決めてヘッドホンを耳に当て、テープレコーダーのスイッチを「再生」にしたところ、流れてきた日本語は確かに評判通りのものだった。たぶん、日系1世の人がボランティァで吹きこんだのだろう。すこぶる丁寧ではあるが、かなり日本語が怪しくなっていて、これまで耳にしたことがない言い方に戸惑うばかり。
それは我慢するとしても、1問だけ助詞の使い方に誤りがあり、まともに答えると正誤が逆になってしまう問題があることを発見した。テープを巻き戻し何回も聞き直してみたが、どう考えても言い回しが違っている。その間違いを正したいのだが、いかんせんそのことを英語で伝える語学力がこちらにない。どうすることもできず、またひとつ心残りをトーランスのDMVに置いたまま、わが人生は川の流れのように通り過ぎてしまった。
いずれにしても、テープによるオーラル・テストは1回でパスし、あとは実技試験が残るだけ。しかし大詰
めにきて、またしても問題が生じてしまった。実技試験に適した、運転が簡単なコンパクト・カーを持ってい
る人が周囲にいないのである。知り合いは、こんな主張を持つ人ばかり。
「アメリカに来たからには、日本では不似合いなアメリカン・サイズのビッグな車に乗りたい」
例えば、T君の愛車は強化クラッチ付きダッヂの大型ヴァンなので、借りるのは問題外。R子さんは、ちょ
っと前までホンダのシビックに乗っていたが、ボルボのヴァンに買い替えてしまった。
それでもこの車が一番、試験用に手頃だと狙っていたが、当日その車は修理中でだめ。さらに、R子さんの婚約者であるH氏が乗っているのは、古き佳き時代のキャデラックのフルサイズ・モデルなので、これまた試験用には向きそうもない。
困った挙句、あらゆる伝を求めて行き着いたのが、W出版社のLAブランチで働くMさん所有の日本車である。その車にしても、パジェロ(4WD)のヴァンである。よほど、カローラかファミリアのレンタカーを借りようかと思ったが、50ドル足らずの費用を惜しんで、その車で受けることにした。
しかも、普段Mさんが通勤や仕事に使っているため、路上練習を1度もしないまま、試験当日を向かえてしまった。決められた時間にDMVへゆくと、ずらり緊張気味の顔が並んでいた。それも白人は少なく、メキシコ人や黒人が大半を占めていて、みな無口におし黙ったまま壁に寄りかかって、自分の番がくるのを待っている。
みんなの緊張に追い討ちをかけたのが、「ガシャン」という大音響。そちらを見れば、さきほどスタートしたばかりの車が、まだDMVの敷地内にいるのに衝突事故を起こしていた。嫌な予感が脳裏を去らないうちに、順番が回ってきてしまった。
車に乗り込み、シートベルトをしたりバックミラーを直していたら、採点表を手に助手席に座った少し太め
の女性の試験官が、なにかしゃべっている。通訳してくれた、Mさんによるとこうなる。
「こんな時には、右手に持ったペニー(1セント硬貨)を、左の肩越しに後方に投げると、幸運が舞い込むか
ら、やってご覧なさい」
どうやらドキドキする胸のうちを、見抜かれているようだ。
しかし、実技試験の内容はあっけないほど簡単だった。DMVの敷地内で、指示通りバックすること3m。
次は外に出て、
「ネクスト・ターン・ライト(又はレフト)」と、指示される。このくらいの英語なら理解できるので、いわれた通りにハンドルを切ればよい。
日本とまるでルールが違うのが、踏み切り。こちらでは一時停止する必要がない。遮断機が降りてない限り、車はそのまま通り過ぎてかまわない。というより下手に停止すると、追突事故を招きかねないので要注意である。日本からやってきて、レンタカーを運転してて踏切りにさしかかると、反射的にブレーキを踏んでしまうので、くれぐれもご用心。
運転免許証の取得は、わずか2ドル
特に目的もなく訪米をくり返しているうちに、周囲の人たちから耳にタコ状態で言われ続けたことがある。
「すごく簡単だから、アメリカで車の免許を取ればいいのに・・」
しかしこう言われる度に、人が想像する以上に英語ができないことが、唯一にして最大のネックになってい
た。わけあって、いまでこそ日本では免許を持ってないが、車の運転なら昔とったきねづか、お手の物なのである。幼稚園児のころから車の助手席に座り、どうしたら車が動くか見続けていたので、小学校6年生のときに悪戯で動かしたことがある。自慢じゃないが、軽自動車の免許取得は、教習所に行かずにいきなり試験を受けて1回で合格した男である。
それだけに正々堂々とハンドルを握れないことが、どれだけ歯がゆく地団駄を踏む思いをしたことか。モー
タリゼーションのメッカであるアメリカに来たからには、片側5車線のフリーウェイを、はたまた果てしなく地平線の彼方へと続く道を、思う存分クルージングしてみたい。そんな願いを抱きつつ、いつまでたっても実現できない堂々巡り。こんな胸のうちを、分かっていただけるだろうか。
ともあれ、この国で運転免許証を発行するのは、警察とは違ってDMV(デパートメント・オブ・モーター・ヴィークル)という役所の管轄になっている。
現地にいて色々と情報を集めると、建国以来の合理的精神がモータリゼーションの世界にも生きていて、日本とは比較にならないくらい、簡単に取れる仕組みになっているという。さすが、世界で初めて自動車専用の高速道路を建設した、“車は下駄代わり”と言われる土地柄である。
試験の内容からして、日本のように「落とさんかな」という姿勢がまるでない。車の運転技術を教える教習
所もあるにはあるが、ロス在住者たちの大方の意見は、こうなる。
「こんなに試験が簡単なのに、わざわざ教習所に行く人の気が知れない。いったいどんな理由があって、わざわざ金を払って習いに行くのだろう」と、首を傾げるばかり。
どれくらい簡単か、その手順を踏んでみるとこうなる。
まず必要なのが、ソーシャル・セキュリティー・カード。DMVの申請書類には、ソーシャル・セキュリティー番号を記す欄があるので、まずはこれを取得することが絶対条件になる。ソーシャル・セキュリティーとは、社会保険のことである。この国でまともに働く場合必要なもので、労働ビザ(査証)さえ持ってない単なる観光客に発行してくれるものだろうか。
そんな一抹の不安を胸に役所に出向いて書類を見ると、アメリカ国内の住所を書く欄がある。そこにはT君の住所を書き込み、密入国者でない証しとしてのパスポートを提示したら、それでOKだという。こちらが観光客がどうかの詮索もされず、ビザのチェックも無し。驚くほど簡単に手続きが済んでしまい、拍子抜けしたものだ。
この社会保険番号を含め、DMVの書類を完成させ、受験費用の12ドルを添えて申し込むと、まずは交通法規のテストから受けられる。この12ドルで、試験は3回まで受け直しが効くほか、免許証の発行費用から写真代と郵送代まで含まれているのだから、驚きである。日本の場合、
「運転免許を手に入れるには、年齢と同じ分だけ教習所の費用がかかる」
が広く世間に流布されている常識だが、こんな不条理な相場のことを考えると、ほとんど、ただ同然。
この数式を当てはめた場合、40代以上の人なら日本で教習所に支払う費用と1ヶ月ほどの休暇が取れれば、アメリカを旅行したついでに免許を取れなくもない、という計算も成り立つ。たっぷりの暇ができる定年退職後、日本であきらめていた免許をアメリカで取得。そこでキャンピング・カーを買い、アメリカ一周の旅に出かけるなんて、壮大な計画も決して夢ではない。
交通法規の試験は、DMV内のカウンターで立ったまま行う。その際、辞書の持ち込みが可能なうえ、試験を解くための時間制限もない。役所が開いているAM9~PM5の間ならめいっぱい利用できるので、朝一番で申し込めば問題を解くのに8時間もかけられる。
そして噂によれば、交通法規の問題は5種類しかないそうだ。
「だから、いざとなったら試験問題を丸暗記すれば大丈夫」と、知恵を授けてくれる人もいる。
さらに、こんな激励もされた。
「試験問題は、毎年発行されるロスの日本語版電話帳に載ってるし、それを3年分切り取ってあるから、じっ
くり勉強してみれば・・。12ドルの申込金で3回までOKだから、たとえ1回目の試験がその3種類と違っても、3回あるチャンスのうちにその3種類のひとつがでるはずだから、絶対大丈夫」
いずれにしても、筆記試験の合格不合格はその場で出される。合格すると、コンピュータ用紙をちぎっただ
けの、仮免許証が渡される。そのテンポラリーの免許証には、
「助手席に運転免許証保持者が乗っていれば、公道を運転してもかまわない」と、書いてあるという。
つまり条件つきではあるが、来たるべき実技試験の日に備えて、晴れて公道でハンドルを握り練習してもよい、お墨付きを手にできるわけである。そして実技試験で使う車は、受験者持参が原則。つまり、免許に合格したら乗る予定の自家用車や、ハンドルさばきの簡単な運転しやすい車を使えるわけである。だから、コンパクト・サイズのオートマチック車を、DMVに乗り付けてもいっこうにかまわないわけである。
日本では望むべくもない、これだけの好条件がそろっていても、英語の基本的な文法さえ覚えてない中年男には、まだまだ不足なのである。試しに、英和辞典と首っ引きで試験問題に取り組んでみたが、1問解くのに40分もかかったうえ、マルかバツで選んだ答えが正解かどうかの自信さえない。ましてや、全部で50問前後あるO×の順番を正確に暗記できるほど、わが灰色の脳細胞は元気がない。
そんな理由が重なって99%あきらめていたのに、
「いっちょ、挑戦してみるか」とヤル気になったのは、さらなる2つのプラス要因が加わったからである。
そのひとつは、R子さんに誘われるままに出かけた、ロサンゼルス~バンクーバー間の長距離ドライブ旅行が、決心を新たにしたバネになった気がする。もうひとつは、T君がロングビーチの飛行場への通勤に便利なようにと、日本人の多く住むトーランス地区に引っ越したことである。
RTDでディズニーランドを目指したものの・・
数々の失敗にもめげず、路線バスでサンフェルナンド・ヴァレーからディズニーランドまで行こうとしたことがある。
しかしロス在住者や留学経験者にとっては、「狂気の沙汰」と思われても仕方がない行為なのである。危険が伴う社会的弱者の交通手段を使って、東京で例えるなら千葉から八王子までとか、熊谷から横浜まで路線バスで移動するイメージだろうか。
言葉が通じない異国で、詳しい地図も知らずに乗る以上、緊張のしっぱなし状態。しかも乗ったばかりバスは、フリーウェイを降りて住宅街に入り、再びフリーウェイへ入るの繰り返しで、さっぱりロスのどこを走っているのか見当もつかなくなってしまった。
バスはフリーウェイに乗ったり降りたりを繰り返し、その都度料金を徴収されるので、多めに用意した小銭も無くなりかけ、3時間近く乗っているのにまだ着きそうもない。日本のように停留所のアナウンスはないし、通りの名前だけを頼りに乗っている以上、居眠りしてて見過ごしたら一大事である。それ以前の問題として、いつ危険な目に合うか分からないので、とても寝てなんかいられない。
そんな緊張が3時間も続けば、もはや限界である。もう我慢できないと、途中で断念してしまった。途中下車したのは、もともとはナッツさん家の苺畑だった土地に誕生した遊園地、ナッツベリー・ファーム。ご存知スヌーピーをメイン・キャラクターにしているが、ミッキー・マウスとは人気の桁が違うのか、それとも季節柄なのか、とても閑散とした遊園地だった。どのアトラクションも行列なし。好きな乗り物に効率よく乗れるのがいい。
その反面、ひと気のなさがわびしさを誘い、ひとりぽっちの中年男は3時間ほど遊び、暗くならないうちに帰りのバスに飛び乗った。その出来事を、居候生活を通じて知り合ったにロス在住の知り合いに話すと、ほとんど同じ感想をが返ってきた。
「(サンフェルナンド)ヴァレーから、オレンジ・カウンティーまで路線バスで行くなんて信じられない。ひと言いってくれれば車で送ってあげたのに・・」
そればかりか、初対面の人に紹介される際も、必ず頭にこう付け加えられるようになってしまった。
「この人、ヴァレーからディズニーランドまで、路線バスで行こうとしたeさん」
あまり有難くないレッテルを貼られてしまったが、これほどロスを知る人にとっては、「あり得ない行為」としてニュースになったわけである。
T君の部屋に引っ越した後も、バスに乗る習慣はますますエスカレートしていった。前に比べて多少は安全な地域とはいえ、周辺を歩いても「街」らしいものはなく、退屈であることに替わりはないからである。歩いて5分の所にスーパー・マーケットがあるくらいで、ウィンドウ・ショッピング気分で歩ける場所となると、やはりバスに乗らなくてはならない。
通りの名でいうと、ベンチューラとヴァンナイズの交差点から、西へ10分ほどの所までが、一番近くの比較的歩いても大丈夫そうなエリアである。そこには、タワー・レコードをはじめ、六本木にも姉妹店があったハンバーガー・レストランのジョニーロケッツ。日本でも人気のファッション・ブランド、バナナ・リパブリックなどがそろっている。
そして、なんといっても一番お世話になったのが、「ハウス・オブ・ビリヤード」という名前のプール・バーである。高校時代にモノクロ映画の『ハスラー』を見て以来、趣味にしているビリヤードを、まさか本場のアメリカにきて、居候の暇潰しに手を染めるとは、我ながら呆れたものである。
店の方でも、英語もろくにしゃべれない東洋人がひんぱんに現れるようになり、さぞかし不思議に思ったに違いない。しかもそこは、ロスでもかなりレベルの高いプレーヤーが来る店で、3~4人の常連ハスラーと挨拶を交わすくらい通っていた。T君が用事があるときは、ビリヤードに興じたり、ピザとジョッキ1杯1ドルの生ビールを飲みながら時間を潰したものである。
顔見知りになった、ギョロ眼が恐そうだが、笑うと愛敬があるように見える大柄な黒人から、「俺とゲームをやらないか?」と誘われたり、かってはハスラー(賭けゲームのプロ)として鳴らしたが、年老いて視力を落とした男が、撞点が最も合わせにくい黒色の8番ボールをどう処理するのか、ゲームの駆け引きを見ているだけで飽きることがなかった。
ポール・ニューマン演じる“ファースト・エディ”と、肥満体のハスラー“ミネソタ・ファッツ”が対戦する、モノクロ映画『ハスラー』を見たのは高校生のときだった。学校の帰り道、池袋の盛り場でポケット台のあるビリヤード場を見つけ、友達と熱中したのは早ふた昔以上も前のことである。
その映画がカラーになり、老ハスラーになったポール・ニューマンが、才能ある若者トム・クルーズに賭けゲームの駆け引きを教える、『ハスラーⅡ』が上映された。この映画をきっかけにして、日本中でプール・バー・ブームが起こったものの、「流行りものは、廃りもの」の例え通り、ブームは2年ほどで終わってしまった。しかしこの映画をきっかけにして、中年男の胸の奥にくすぶっていた遊びの虫が、本格的に目覚めてしまった。
暇にまかせて開いたイエローページ(職業別電話帳)でビリヤードの欄を捜すと、たいてい自転車(バイシクル)の次に並んでいる。住所をメモし、路線バスを利用して1軒1軒巡りはじめ、ついにはロスにあるビリヤード用具店の、ほぼ8割を制覇してしまった。
そのあげく、自分専用のキュー・スティック(玉突き棒)が欲しくなり、次々に買い求めること8本。そのうちの1本をT君に預けっぱなしにしているほど、入れ込んでいまに至っている。1周約10mの台の周囲を動き、玉を狙うために上半身を折り曲げてストレッチ。場合によっては2m先の的玉に「髪の毛3本分の厚さ」で手玉を当てるため、神経の集中を必要とする。しかしながら、心拍数を上げることはないので、心臓に負担のかからない歳をとってもできる生涯スポーツとして楽しんでいる。
またまた、RTDの話ですが・・・
映画『スピード』には、サンタモニカ市のビッグ・ブルー・バスが使われているし、ディズニーランドのあるオレンジ・カウンティー(郡)へは、RTDでもゆけるが、現地ではOCTDという会社のバスの方が、ずっと幅を利かしている。
料金もまちまちで、RTDは基本料金1ドル35セント。1時間以内なら乗り継ぎができるトランスファー・チケットは、プラス25セント。回数券の替わりのトークン(代用硬貨)を使えば、10枚で9ドルだから1回90セントで乗れて安上がり。1ヶ月の定期券は、49ドルになっている。
これがロングビーチ市のバス会社なら、基本料金が75セント。トーランスのバスはさらに安くて50セント。乗り継ぎ料金も、同じ会社のバスならプラス5セントでOK。ロングビーチ・バスの定期券は、一般が31ドル。学生なら15ドル。60歳以上のシニアと身障者はさらに安く、ひと月8ドル(盲人は無料)で乗り放題になる。
料金面から見ると、いかにも社会的弱者の乗り物という感じがするし、これでこそ公共の交通機関である。停留所ひとつ乗るにも料金が200円もかかり、乗り換えチケットさえないどこかの国の公営バス会社は、見習って欲しいものである。
迷子になった後の初めての路線バス旅行は、忘れもしないウエスト・ウッドを経由して、サンタモニカへゆくことを試みた。通りの名前を覚え、観光客だと悟られないような短パンTシャツのファッションで、アパートを出発。途中、市立博物館を見学して、ウエスト・ウッドで日本食の店を見つけ、焼きそばを食べてからサンタモニカに向かった。
そこでまずチェックしたのは、帰りに乗るバス停のありか。これさえ確認しておけば、バスが出たばかりでもひたすら待てばいい。バス停に時刻表が明記されているケースは珍しく、例えあったとしても時間通りに来ないことの方が多いので、当てにしない方が得策である。だから、最初から時間通りにこないと思っていれば、イライラも軽減される。
ここまでバスの危険性や悪口ばかり書いてきたが、ここらで名誉挽回のためにバスの良い点、楽しかった出来事など、長所になりそうな点をいくつか挙げてみたい。
一番可笑しかったのが、エリビス・プレスリーになりきった運転手がいたことである。プレスリーといっても晩年の太ったプレスリーの方で、体型だけが似ている中年の運転手が、乗ってくる客を捕まえてはプレスリーの物真似をするという、こんな人を運転手として働かせていいのだろうかと疑問に思うくらいの、ひとりよがりのエンターテナーぶりを発揮。
次第に混雑してきたのを幸いに、ハンドルを握りながら横にいる乗客に対して、リクエストされてないのに次々に芸を披露。唇を歪めつつ決まり文句を言ってみたり、ヒット曲のサビの部分を歌ってみたりで、危なっかしいったらありゃしない。あまり似ているとは思えないのに、本人だけがその気になったままバスを運転し続けているのである。ハンドルを叩き、リズムを取りながら運転する姿を見ているうちに、バスを降りて1台見送ろうかと真剣に悩んだものだ。
また感心したのは、バスが油圧操作により傾りたり、エレベーターが収納されていることである。ステップが高すぎて階段に足が掛けられない老人や、松葉杖をついている怪我人の乗客に対して、バスに乗りやすいように傾けてくれるのである。車椅子の場合はさらに驚きで、降車側の扉から油圧式のエレベーターが出てきて、地表からバスの床面まで上げ下げしてくれる仕組みになっている。車内にもちゃんと車椅子専用のスペースが確保してあり、急ブレーキやカーブで動かないように、シートベルトまで用意してあるという親切さ。
こんな社会的弱者への配慮を忘れてない点が、なんともいい。これでこそ「公共」の交通機関として胸を張れる姿である。日本でも最近になってやっと、段差のないノンステップバスが導入されだしたが、18年前のロスのバスにまだ追いついてない気がする。と同時に、駐停車禁止のはずのバス停に平気で駐車して悪びれない国の民たちに、「公共」の意味を改めて認識してもらいたいと願うばかりである。
『地球の歩き方』にも書いてない、RTDの詳細
実際バスに乗ってみると、しばらくしてとんでもない車内風景に出くわした。それは例によって、シーサンに向かうバスに乗っていたときのことである。
黒いビニール袋を抱えた、やたら陽気な黒人が乗ってきた。しかし、よく観察すると単なる陽気さとは違って彼は、どうやら薬でハイになっているようなのだ。袋の中身はすべて拾い集めた空き缶。黒人の異常さに気付いた回りの乗客たちは、恐いものから離れるように前へ前へと席を移動。バスの後ろ半分をその黒人1人で占領し、前半分はラッシュ並みに混雑したままのバスが、およそ20分ほど走り続けた。
途中バス停で停まっても、前の扉から降りる人はいても、乗る人はひとりもなし。後ろの扉からステップに足をかけた人も、車内に漂う空気を察知して、素早く回れ右してしまう。取り残され、話しかける相手がいなくなった彼は、少しも気にせず流れてもいない音楽に酔いしれるように、リズミカルに座席や窓枠を空き缶で叩きはじめた。乗客の中には、もっと危ないことが起きないうちに、バスを1台遅らせた方が得策とばかり、乗り換えチケットを請求して降りる人もでてくる始末。
だからといってバスの運転手は、騒いでいる男を注意することもない。それも後で考えたら当然といえば当然である。拳銃の所持が認められている国で、万一男が武器を持っていたら、やられるのは間違いなくこちらである。ならば、下手に藪をつついて蛇をだすより、君子危うきに近寄らずの教訓に従うほうが、得策と言えよう。そして、何もしない運転手を客がなじっても、運転手はきっとこう反論するにするに違いない。
「俺の仕事は、バスを無事故で運転することであって、危ない奴に立ち向かい、まともな乗客の身の安全を守るのは、俺の仕事ではない」と・・・。
そこまで詳しく、マニュアルに書かれてあるかどうかは知らないが、下手に正義感に目覚めて行動に出たとしても、1発の銃弾の前でそれは無力である。正義感なんて防弾チョッキほどの役にも立たないことは、子供でも分かる常識としてこの都市の生活者たちは、肝に命じていることだろう。
臭い物に被せるフタが無ければ、自ら遠ざかるのが正解なのだ。 その黒人が降りたときには、車内に安堵のため息と共に「ホッ」としたに空気が流れたのは、いうまでもない。と同時に、運転手がマイクに向かってなにやらアナウンスをはじめた。きっと、こんな意味のことを言っていたのでは、と推測される。
「これで危険は去りました。安全なバスによる移動をお楽しみください」
アナウンスが終わるや、乗客たちはいっせいに拍手したものである。こんな危険な出来事も、“付録”としてセットされている路線バスを乗りこなす第1歩は、暇つぶしにめくっていた電話帳にヒントが隠されていた。
公共の施設や機関のアクセス頁のなかに、その地域のバス路線図が番号付きで掲載されているのを知り、行きたい所に通じるバスの路線番号と、通りの名前をメモしておけば、目的地にたどり付けることが分かったのである。
例えばサンタモニカへ行きたい場合は、ウエスタン通りでバスに乗りウィルシャー大通りで乗り換えれば、その途中にある市立博物館やビバリーヒルズにも寄れるし、反対車線で乗ればダウンタウンにもたどり着ける、というわけである(その場合、ウエスタンを走る207番か576番でウィルシヤーに出て、20~22番か210番320番322番426番に乗り換えればよい)。
シーサンに行くにも、これまではウエストウッドで乗り換えるしかないと思っていたが、ウィルシャーを通り越してハリウッド・フリーウェイで降り、423~4番か427番に乗り継いだほうが時間的にも早いことがわかった。そして、ダウンタウンから行けるラインがあることも判明。
こんな些細な発見が、小躍りしたくなるほどの喜びになり、大いなる進歩であると自画自賛したくなる気持ちは、いくら言葉を尽くして説明しても、きっと理解してもらえないに違いない。グルグル巻きになっていた足枷の鎖が解けて、自由に空が飛べる羽を手に入れた、と言えばいいのだろうか。これまで蟻ん子ほどしかなかった世界が、これでバッタか蝶々ほどに広がった気がしたものである。
バスを利用する場合、注意しなければならないのは、紙幣の両替機はほとんど付いてないので、必ず小銭を用意すること(最近やっと、両替機付きのバスが増え始めたようだ)。基本料金の1ドル10セント(当時)はもちろん、「トランスファー・プリーズ」といってもらう乗り換え券は無料だが、次のバスに乗るときには券と一緒に25セントか50セント必要になる。
また、路線番号が3桁のバスは高速バスなので、フリーウェイに乗る手前で追加料金を取られる。例えば、高速バスに乗り換えてどこかへ行く場合、往復分の小銭を用意するとなると、ポケットに穴が開くほどのかなりの量になる。英語が達者なら、現地の人のように、小銭を持たないままバスに乗ってきて、他の乗客に両替してもらうこともできるが、そこまで英語がしゃべれないしそんな度胸もない。
余談になるが、この追加料金がどうにも納得できない。フリーウェイは、文字通り無料の道である。バス会社は、日本の首都高速のように利用料金を支払うわけでもないのに、乗客から追加料金を徴収するのはどう考えても合点がゆなかい。渋滞が少ない分、ガソリンだって節約できるはずなのに、である。
しかし、それを詰問するほどの英語力はないし、バスに詳しい日本人も見つからないので、この疑問はいまもそのまま凍結されている。
ロスの路線バス事情
居候先が、多少安全エリアに移動したものの、主は仕事や通学に朝から晩まで部屋を留守にするので、休日以外相手をしてもらえない。せっかくアメリカに来たのに、部屋でボーッとしてる状況に飽きた居候は、一大決心の末ついにひとりで外出することにした。
と言っても広すぎるこの町で使える交通手段は、公共の路線バスしかない。現在はメトロと呼ばれる鉄道が、ブルーラインとレッドラインの2系統走っている。グリーンやイエローなど、さらに新たな路線も工事中なのは、主演キアヌ・リーブスで大ヒットした映画『スピード』のラストシーン近くを見ればお解りいただけるはず。しかし、最初に出来たブルーラインのことを、開通後2年たっても知らない人が、どれだけいたことか。滞在当時、知っている人は1割もいなかった。皆にその事を訪ねると、こんな答えが戻ってきた。
「噂で聞いたことがあるけど、ホントなの?」
という人でも、やっと1割強。ロス在住者に聞くと、ほとんどの場合こんな答えが返ってきたものである。
「なに寝ぼけたこと言ってるの。ロスに地下鉄なんてあるわけないじゃない。長距離列車のアムトラックと、勘違いしているんじゃないの」
自分が利用しないものは知らないし、存在しないものと決めつけるのは、ロスがいかに車社会であるかということと、この特大都市の広さを物語っているといえよう。
それはともかく、バスに乗ろうと思った最大の理由は、いたって個人的な敵討ち(?)という動機である。つまり、
「バスで迷子になったからには、それを自在に乗りこなせるようにならなければ、迷子の屈辱は晴らせない」
こんなコンプレックスに裏打ちされた怨念を、心のバネにして行動に出たわけである。
「なんだ、そんな簡単なことか」と思うなかれ。
ロス在住の日本人にアンケートを取れば、10人中9人(もしくは全員)から、
「あんな危険な乗り物には乗らない方がいい」
という答えが返ってくるほど、市営の路線バスは、限りなく危ない乗り物なのである。ロスで知り合った人に話しを聞くと、こんな凄いエピソードが次々に飛び出してきた。
「バスの中でマッチョな黒人に現金を脅し取られた」
「ドア近くに立っていたら、降りてゆく人に首からネックレスを引きちぎられた」
「他の乗客が降りてしまい、私だけになった途端、バスを暗がりに停車させた運転手が、スボンを降ろしながら襲いかかってきた」
「エーッ、まさか」と思うかも知れないが、冗談でも作り話でもない。すべて体験者から聞いた真実なのである。他にも、知り合いから聞いたという話しも含めて、直接間接の被害が出るわ出るわ。
この犯罪多発都市で少しでも災難を遠ざけたいなら、
「路線バスには昼間、それも必要止む負えないとき以外は乗るな」
が、ロス在住の日本人の一般常識であり、賢明なる知恵であると教えられた。
なにを隠そうこの私も、バスに乗ろうとして一度だけ危ない目に会いそうになったことがある。忘れもしないその事件は、例の危険地帯に建つ友人Iのアパートから、T君のアパートへ引っ越すときに起こった。ダウンタウンでバスを乗り換えて、T君の住むエリアに向かうバス停を捜したが、どうしても見つからない。
引っ越し荷物を抱えて、何度も行ったり来たりしているうちに、何気なく後ろを見ると人相の悪い男が3人ついてきている。黄昏時で刻一刻と暗さを増す舗道を歩きつつ、どうする術もない。襲われてもいないのに、助けを求めるのもどうかと思うし、第一そんな状況を英語でどう表現してよいのやら、皆目見当もつかない。
「マズイ・ヤバイ・ドウシヨウ」の言葉が、頭のなかを高速で回転している。
店に入ろうにも、次々にシャッターを降ろすところが多く、あれほど昼間確認しておいたバス停が、焦れば焦るほど見つからない。万事窮す、切羽詰まったとはこのことで、パニック寸前。とにかく目指すバス停を見つけたい一心で、右往左往するばかり。肉食獣に狙われた、ヌウやインパラになった心境である。
悪漢と思しき3人がすぐ後ろに迫り、もはや絶体絶命と思った瞬間、サイレンを鳴らしたパトロールカが、ピタッと車道に止まり警官が降りてきた。か弱い観光客が襲われそうなのを察知して、親切な誰かが通報してくれたのかと一瞬考えたが、警官達はこちらには目もくれず、小走りに先の路地を曲がって駆けて行ってしまった。
後ろを振り返ると、くだんの3人は回れ右して早足で去って行くではないか。ホーッと胸をなでおろし、やっと目当てのバス停も見つかり事なきを得たが、あそこに偶然パトカーがやってこなかったら、間違いなく3分以内に襲われていたと、いまも確信している“幻の絶体絶命・危機一髪事件”である。
こんなニアミスを体験し、バスは危険と知りつつも、それに乗るしか行動範囲を広げる手立てがなく、それを実行しようということは、もはや冒険を通り越して無謀とさえ呼べる行為といっても過言でない。
文字通り“車は下駄代わり”のこの都市には、片側6車線のフリーウェイが縦横に走り、世界屈指の車社会を形成している。この広大なるメトロポリタンでバスに乗る人、それを必要としている人のことを考えると、いろいろな背景が見えてくる。
つまりバスに乗るということは、逆から見れば運転免許証を持ってないことになる。この国では写真のないクレジットカードより、ドラハーズ・ライセンスは、I.D.カードとして最もポピュラーで信頼性の高い身分証明書でもある。それを持てない理由を列挙するとこうなる。
まずは、試験を受けられない密入国者や逃亡中の犯罪人。
そして文字の読み書きができない人。
加えて車が買えない低所得者。
運転が無理な子供や老人、あるいは身体障害者。
つまり、いわゆる社会的弱者か、犯罪者に2分されるわけである。