ロスの路線バス事情 | it' my america

ロスの路線バス事情

 居候先が、多少安全エリアに移動したものの、主は仕事や通学に朝から晩まで部屋を留守にするので、休日以外相手をしてもらえない。せっかくアメリカに来たのに、部屋でボーッとしてる状況に飽きた居候は、一大決心の末ついにひとりで外出することにした。
 と言っても広すぎるこの町で使える交通手段は、公共の路線バスしかない。現在はメトロと呼ばれる鉄道が、ブルーラインとレッドラインの2系統走っている。グリーンやイエローなど、さらに新たな路線も工事中なのは、主演キアヌ・リーブスで大ヒットした映画『スピード』のラストシーン近くを見ればお解りいただけるはず。しかし、最初に出来たブルーラインのことを、開通後2年たっても知らない人が、どれだけいたことか。滞在当時、知っている人は1割もいなかった。皆にその事を訪ねると、こんな答えが戻ってきた。
「噂で聞いたことがあるけど、ホントなの?」
 という人でも、やっと1割強。ロス在住者に聞くと、ほとんどの場合こんな答えが返ってきたものである。
「なに寝ぼけたこと言ってるの。ロスに地下鉄なんてあるわけないじゃない。長距離列車のアムトラックと、勘違いしているんじゃないの」
 自分が利用しないものは知らないし、存在しないものと決めつけるのは、ロスがいかに車社会であるかということと、この特大都市の広さを物語っているといえよう。

 それはともかく、バスに乗ろうと思った最大の理由は、いたって個人的な敵討ち(?)という動機である。つまり、

「バスで迷子になったからには、それを自在に乗りこなせるようにならなければ、迷子の屈辱は晴らせない」
 こんなコンプレックスに裏打ちされた怨念を、心のバネにして行動に出たわけである。
「なんだ、そんな簡単なことか」と思うなかれ。
 ロス在住の日本人にアンケートを取れば、10人中9人(もしくは全員)から、
「あんな危険な乗り物には乗らない方がいい」
 という答えが返ってくるほど、市営の路線バスは、限りなく危ない乗り物なのである。ロスで知り合った人に話しを聞くと、こんな凄いエピソードが次々に飛び出してきた。
「バスの中でマッチョな黒人に現金を脅し取られた」
「ドア近くに立っていたら、降りてゆく人に首からネックレスを引きちぎられた」
「他の乗客が降りてしまい、私だけになった途端、バスを暗がりに停車させた運転手が、スボンを降ろしながら襲いかかってきた」
 「エーッ、まさか」と思うかも知れないが、冗談でも作り話でもない。すべて体験者から聞いた真実なのである。他にも、知り合いから聞いたという話しも含めて、直接間接の被害が出るわ出るわ。
 この犯罪多発都市で少しでも災難を遠ざけたいなら、
「路線バスには昼間、それも必要止む負えないとき以外は乗るな」
 が、ロス在住の日本人の一般常識であり、賢明なる知恵であると教えられた。
 なにを隠そうこの私も、バスに乗ろうとして一度だけ危ない目に会いそうになったことがある。忘れもしないその事件は、例の危険地帯に建つ友人Iのアパートから、T君のアパートへ引っ越すときに起こった。ダウンタウンでバスを乗り換えて、T君の住むエリアに向かうバス停を捜したが、どうしても見つからない。
 引っ越し荷物を抱えて、何度も行ったり来たりしているうちに、何気なく後ろを見ると人相の悪い男が3人ついてきている。黄昏時で刻一刻と暗さを増す舗道を歩きつつ、どうする術もない。襲われてもいないのに、助けを求めるのもどうかと思うし、第一そんな状況を英語でどう表現してよいのやら、皆目見当もつかない。
「マズイ・ヤバイ・ドウシヨウ」の言葉が、頭のなかを高速で回転している。
 店に入ろうにも、次々にシャッターを降ろすところが多く、あれほど昼間確認しておいたバス停が、焦れば焦るほど見つからない。万事窮す、切羽詰まったとはこのことで、パニック寸前。とにかく目指すバス停を見つけたい一心で、右往左往するばかり。肉食獣に狙われた、ヌウやインパラになった心境である。
 悪漢と思しき3人がすぐ後ろに迫り、もはや絶体絶命と思った瞬間、サイレンを鳴らしたパトロールカが、ピタッと車道に止まり警官が降りてきた。か弱い観光客が襲われそうなのを察知して、親切な誰かが通報してくれたのかと一瞬考えたが、警官達はこちらには目もくれず、小走りに先の路地を曲がって駆けて行ってしまった。
 後ろを振り返ると、くだんの3人は回れ右して早足で去って行くではないか。ホーッと胸をなでおろし、やっと目当てのバス停も見つかり事なきを得たが、あそこに偶然パトカーがやってこなかったら、間違いなく3分以内に襲われていたと、いまも確信している“幻の絶体絶命・危機一髪事件”である。
 こんなニアミスを体験し、バスは危険と知りつつも、それに乗るしか行動範囲を広げる手立てがなく、それを実行しようということは、もはや冒険を通り越して無謀とさえ呼べる行為といっても過言でない。
 文字通り“車は下駄代わり”のこの都市には、片側6車線のフリーウェイが縦横に走り、世界屈指の車社会を形成している。この広大なるメトロポリタンでバスに乗る人、それを必要としている人のことを考えると、いろいろな背景が見えてくる。
 つまりバスに乗るということは、逆から見れば運転免許証を持ってないことになる。この国では写真のないクレジットカードより、ドラハーズ・ライセンスは、I.D.カードとして最もポピュラーで信頼性の高い身分証明書でもある。それを持てない理由を列挙するとこうなる。
 まずは、試験を受けられない密入国者や逃亡中の犯罪人。
 そして文字の読み書きができない人。
 加えて車が買えない低所得者。
 運転が無理な子供や老人、あるいは身体障害者。
 つまり、いわゆる社会的弱者か、犯罪者に2分されるわけである。