朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -88ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

GoTo第3段。正確には仕事で泊まったユーカリヶ丘もGoToで予約してしたけれど、所詮会社持ちだから安くなろうが高くなろうが知ったこっちゃない。そう言うのもユーカリだと出張扱いにはならないから宿泊料以外は持ち出し。最近はコロナで外食しなくなったせいか、すごく引っかかる。


 
さて、(ブログの中では漸く)9月になった。例年なら10月の京都は五花街の温習会がそれぞれあって先斗町は水明会が行われる。それに備えて9月はおとなしくしているはずの月であったが、今年は軒並み中止となった。せっかく昨年から観劇デビューしたのに、たいして観ないうちにコロナ禍とはね。
 
自転車を頑張ろうとすると前立腺が悪くなったり、ゴルフを頑張ろうとすると頸椎が悪くなったり、帰り道にスポーツジムに通い始めると高速乗らないとたいへんな遠距離営業所の応援をしばらくしなければいけなくなるとか、この手のつまずきは私の人生において非常に多い。
 
とりあえず行けるうちに行っておかないと、また行けない雰囲気になりそうな気もするので、直前に予約してとりあえず新幹線に乗った。行先はまたまた新幹線の中で考えればいい。
 
そして京都駅から地下鉄で国際会館前まで行って、こそからバスで叡山電鉄の市原駅近くまで行った。
 
 

補陀洛寺
 
通称「小野寺」あるいは「こまちてら」。
 

 

 

 

想像ではもっと静寂のなかにあるのではないかと思ったが、貴船、鞍馬に通ずる幹線道路沿いだった。

 

補陀洛寺は、小野小町が晩年を孤独に過ごし、誰に看取られることもなく亡くなった寺といわれている。本堂には小野小町老衰像が安置されていて写真も撮ることが出来たが、その姿を敢えてブログに晒すのは心が痛む。

 

本堂およびその隣の寺務所らしき建物は共に不在だった。

 

 

 

 

境内の13本に幹が分かれた檜の銘木と、その横の小野皇太后の供養塔。小野皇太后は第70代後冷泉天皇の皇后、藤原歓子の通称である。

 

 

穴目の薄。小野小町の亡骸が朽ち果てて、その髑髏の目の穴からススキが生えたというが、それはこの場所だと石碑には書いてある。

 

吾れ死なば 焼くな埋むな 野にさらせ やせたる犬の 腹こやせ

 

小野小町の辞世の句だという。ただ小野小町にはもう一句、辞世の句とされる句があるので、そちらも併記させてもらう。私的にはこちらのほうが似合っているように思う。

 

あはれなり わが身の果てや 浅緑 つひには野辺の 霞と思へば

 

 

 

小町の姿見の井戸

 

倉敷市の日間山法輪寺の近くにも小野小町が毎日姿を写して見たという「姿見の井戸」が今でも残されている。悪瘡を病み、日間山法輪寺の本尊正観音に願を立て、毎日この井戸を鏡として姿を見たと伝えられているとのことなので、やはり小町の晩年は決して華やかな物ではなかったということであろう。

 

 

 

境内左手の小高い場所にある小野小町供養塔

 

 

 

そこから見下ろせる場所には深草少将の供養塔もある。

 

 

 
そのまま墓地へと向かうと立派な舎利塔があった。この墓地から降りたところにお寺と関係していそうな住宅があったので訪ねて御朱印を頂いた。
 
 
 
本尊阿弥陀如来。
 
御朱印は本堂横の寺務所らしい建物にて書いて頂き、その間に本堂内も参拝させて頂けた。そして本尊の右側に安置されている小野小町老衰像を見たわけである。本尊左側には老僧の遺影と、その横には、まだ私より若いであろう僧侶の遺影と遺骨が安置されていたので、世の無常をより強く感じたのかもしれない。
 
ね。

 

 

 

 

初代ジェイムス・ボンド、ショーン・コネリーが亡くなった。ありきたりの言葉では表現できないので、あえてしない。

 
黙祷。

 

 
 
 
 
その少し前のことだった。たぶん新型コロナなどというウイルスが蔓延しなければ起きなかったことだと思うが、我が家にサイドカーがやって来た。たぶんコロナウイルスに脳をやられたのだ。
 
 
 
Ural Gear-Up 
 
第二次世界大戦中にドイツで活躍したBMWのR71サイドカーをソ連がパクったのが起源のサイドカーである。
 
その後、なんの改良もなく脈々と計画生産されてきたこのサイドカーにもペレストロイカの風が吹いた。吹いて吹いて、たぶん吹き終わった頃、そうね、だいたい数年前あたりからエンジン周辺機器の近代化がなされて、6年くらい前からキャブからインジェクションになったりパーツも精度の悪い自社製から外注に変わったりと、すごくまともになりましたとさ。
 
 

でもエンジンは基本的に変わっていない749cc水平対向2気筒OHVなので、スピードはたいして出なしカチャカチャとうるさい。だからジジイには安全である。ハンドルこじって関節がボキボキなろうが、パッセンジャーには聞こえない。
 
スピードがそんなに出ないことは、もう一つありがたいことがある。なんてったって、ベンケイシーは自動二輪の免許を取ったことがない。もちろん現在も持っていないし、今後も取ることはないだろう。乗ったことがあるのは、唯一友人のパッソルだったかパッソーラだったか(1970年代後半に発売されたヤマハの原付スクーター)を河原で少し。河原だったのは免許持ってなかったからね(爆)。
 
このサイドカー、最初からサイドカーとして生産されていて、改造車ではない。また、軍用ベースで実はオートバイ側と側車側のタイヤが共に駆動する後輪二輪駆動である。よって、3輪バイクのトライク同様で、いわゆるオート三輪の範疇となり、自動車免許がないと運転できないのである。(注、自動二輪の免許では運転できない。
 
つまりトライクと一緒のカテゴリーなわけで、その気になればヘルメットすら必要ない。もちろん安全の為に被るけど。
 
 

 

サイドカーという乗り物、外見はオートバイに側車が付いた構造なので、オートバイ乗りにはすぐに乗れそうに感じるかもしれないが、実はまるっきり別物なのである。一番わかりやすいのが、車体を曲がる方向に傾けられないということだと思うが、そんな単純なものではない。したがって、二輪免許のあるなしに関わらず、ウラルディーラーは納車に際して、必ず運転講習を実施する。だいたいこの時に「俺は大丈夫だから」という人ほど、事故を起こすらしい。

 

ベンケーシーは一応1時間半くらいで見極めもらって納車終了。あとは早起きしたり人のいない広場を探したりしながら自己研鑽をすることになった。


これでショーン・コネリーに一歩近づけたと思ったが、ふと見ると、なんとショーン・コネリーは側車に乗っているではないか!このままだと、ハリソン・フォードになってしまう!


(ならないってば。)


いやはや、ショーン・コネリーへの道のりは遠い。




来るものもあれば去るものもあるのが世の道理。このブログ開設当初の音泉巡りの脚といえば、この古いランドクルーザー。FJ55G 1974年カルフォルニア仕様。【因みに55GのGはワゴン仕様を指すが、日本ではバン仕様のVしか発売されなかった。)


北陸の愛好家の元に運ばれて行った。6年くらい不動だったが、小一時間の整備でエンジンが無事、咆哮を上げた。久しぶりに聴いてなんだか懐かしかったし、もったいなくなったけれど、維持費が大変だし、身一つでは何台も面倒みる時間もない。それにそろそろ断捨離を意識して行かないといけないのだと思う。


ね。


 
 
 
八瀬に降りた。八瀬からコインロッカーに預けた荷物を取る為に三条京阪駅まで戻り、市営地下鉄乗換で北大路駅である。
 
 
 

北大路駅から徒歩で加茂川を渡る。北大路橋からは大文字が良く見えるが、ここにLEDが灯されたのは数日前。

 
 
 
照月
050-5457-9059
京都府京都市左京区下鴨上川原町24 
 
 

 

付け出し

 

もう3か月前だし、覚えてなんかいないんだけど、左側の粒々は鱧の卵、緑は万願寺唐辛子かな。右はジュンサイ。

 

 
 
鱧である。
 
 
 
生姜の香りが拡がる鍋。
 
松茸はまだ季節的に香りが弱い。鰻も入っている。そしてごぼう。
 
 
 
筒ごぼう
 
そうだよね、ごぼうって皮が美味しいんだよね。
 
 

 

日本酒はたしか真名井。

 

 
 
お造り。
 
 
 
焼き物。
 
 
 
ごはんのおかずの魚っぽいものは鯖だったかな。
 
 
 
果物。
 
実はこの日は新幹線往復付のGoToで行ったのだが、以前よりちょっと出かける人が多くなってきたようで、希望の新幹線が全く取れなかった。こちらならと提案された時間があまりに遅い時間で、京都21:07(だったかな)の新幹線、しかも「ひかり」だったのである。

つまり、これから帰るのだが、東京駅は5分で京浜東北に乗り換えて、更に上野で最終の高崎行乗換なのである。これが今回でもっともスリリングな出来事(爆)。
 
 
 
そんな時間なのに阿闍梨餅が売っているなんて、一年前には考えられないことだよ。
 
ね。
 
シャトルバスは30分間隔で運行されているので、横川では1時間を過ごした。しかし横川は1時間では回り切れないので、いつかはもっとゆっくり過ごしたいと思っている。
 

 

 

弁慶のにない堂の左側、常行堂では、四種三昧の修行中と掲示されていた。ここで行われる修行は、四種三昧のなかの常行三昧である。お堂の中央にある阿弥陀如来の周囲(四方の壁際)を念仏を唱えながら90日の間、回る続ける。途中でどうしても耐え切れなくなった場合、平行棒のように配置された竹の間に身体を入れて、わきの下で支えるようにして休息することが許されているが、横になり休むことはできない。

 

比叡山の住職になる為には、この四種三昧を修行することが条件になっている。

 

 

 

 西塔の本堂にあたる釈迦堂。ここも必須のスタンプポイントである。西塔は第2世天台座主寂光大師円澄により開かれた。



久しぶりなので、御朱印を頂いた。大雄殿とは本堂、金堂などと同一の意味である。


横川には僧侶の為に研修施設があったが、西塔には一般人の研修道場である居士林があり、修行の体験ができる。

 

 

 

 元三大師得度之霊跡の碑があったのは、釈迦堂境内の右手であった。

 

 

 

 さらにその奥には東海自然歩道が延びていて、元三大師道の道標があった。ここを辿ると横川に通じるということだろう。いつか歩いてみたい。

 

今回はその反対側、東塔までを徒歩で移動することにした。

 

 

 

 

歩道を辿ること10分くらいで浄土院がある。浄土院は伝教大師最澄のお墓、御廟(ごびょう)所である。最澄のお墓は御廟、元三大師のお墓も御廟と漢字にすると字面が一緒になるので、それぞれを「ごびょう」、「みびょう」と呼んで区別されている。

 

 浄土院ではいわゆる「掃除地獄」と呼ばれる十二年籠山行が行われる。十二年の間、この院内から外部にでることは許されず、伝教大師に食事を献ずるほか、座禅、勉学、掃除に明け暮れる日々を過ごす。千日回峰を達成した大阿闍梨にさえ、厳しいと言わしめる修行である。たかが掃除と思うが、殺生を禁じられているので、虫一匹殺さないように気を配りながらの掃除は、例えば落ち葉を拾うのも庭に這いつくばるようにしての掃除なのである。

 

 

 
浄土院からは石段を登る。

 

 

 

 振り返ると浄土院が見える。東塔から歩いて来ると、最初にこの景色で浄土院が見えるのかと思うと、その方が良い気がする。

 

 

 

 

次にたどり着いたのは山王院堂である。第六代天台座の円珍の住んでいた坊であったが、滅後100年に円珍派と円仁派の間に争いが起きて、円珍派の僧侶たちは堂内より円珍の像を担ぎ出し、三井寺に逃れた。聖護院の時に書いた通りである。

 

 

 

左が弁慶水


実は弁慶は山王院堂に千日間の参籠をしたのだ。もちろん朝寝坊のほうではなく武蔵坊のほうである。その時に閼伽井として水を汲んだのが、この井戸だという。

 

 

 

東塔に着いた。東塔の由来である法華総持院東塔と阿弥陀堂は根本中堂からはちょっと離れた位置にある。

 

 

 

10分くらい歩いて根本中堂に到着。 根本中堂は修繕中で、現在は屋根の構造がよく見える。ここで最後のスタンプをゲットして、スタンプラリーは満了である。


 

 

 さらに比叡山会館方面に進み、それも通り過ぎて次の目的地へと向かう。そこもまた、観光客は普通行かないであろう場所。


 

 

 かなり急な下り坂を慎重に降る。慌てると危険なくらいの坂である。


 

 

 法然上人得度御旧跡


ここは法然上人が15歳からの3年の間、修行を行った場所である。しかし法然上人二十五霊場というものがあるが、ここは含まれていない。


 

 

法然堂


観光として訪れてもちっとも楽しくないだろうけれど、なんとなく落ち着く田舎のお寺のような佇まいである。残念ながら不在だったが、まさにお盆の期間なので、それは仕方がない。




最後にバスセンターでスタンプ帳を見せて、比叡山マーク入りのアルミの水筒をもらってミッションクリアとなった。さて、山を降りよう。

ね。

翌朝はきっちり早起きしてとは言い難く、坂本から登る計画を変更して八瀬から比叡山に登った。たまたま見かけた比叡山スタンプラリーに参加するためである。
 
比叡山スタンプラリーは、比叡山観光エリアの東塔、西塔、横川のそれぞれの中心となるお堂のほかに選択制の2つのスタンプポイントの計5つのチェックポイントでスタンプを集めてコンプリートとなる。景品との交換場所は比叡山バスセンターである。
 
当初の計画は、坂本の滋賀院門跡、ケーブル坂本駅から比叡山でコンプリートを目指したが冒頭に書いたように計画を変更した。八瀬にはケーブルカーの駅しかスタンプポイントがないので、登ってから4つ集めることが必要になる。
 
 

 

ますばケーブルカーで中腹まで登る。

 

 

 

続いてロープウェイで山頂に到着。

 

 

 

比叡山ガーデンミュージアムはスタンプポイントの一つだが、入場は有料なのでここはパス。

 

 

 

山頂からシャトルバスだが、このようにガラガラだった。

 

 

 

峰通レストランは比叡山ドライブウェイのドライブインである。ここがスタンプポイントだったので、あえて何も食べずにここまで我慢してブランチとする。

 

 

 

最澄像は比叡山開山1200年記念で作られた。

 

 

 

ウォーク祈念碑

 

何故ここに?と思って調べたところ、ブラジルでウォーキングの普及に尽力した故細川晃央氏(広島出身)の功績を称える為の記念碑だとはわかったが、それ以上のことは謎である。

 

 

 

 

レストランはチケット制だった。

 

 

 

 

レストランからの展望は琵琶湖である。

 

 

 

無難に比叡山そばを選んで、食後は横川から回る。

 

 

 

横川中堂のスタンプポイントでスタンプゲット。

 

 

 

正面からまっすぐ進んで突き当たりをまずは右へ向かう。

 

 

 

恵心堂

 

元三大師の修行の為に作られた念仏三昧の道場である。源氏物語で登場人物のモデルとなったとされる恵心僧都は、ここに籠って往生要集を書いた。

 

 

 

 

元三大師御燈明

 

麓に暮らす母に無事を知らせる為に、元三大師は毎晩ここで燈明をともしたと伝わる。

 

 

 
四季講堂(元三大師堂)
 
 
 
元三大師堂の正面にある箸塚弁財天もまた元三大師ゆかりの祠である。
 

 

今回は箸塚弁財天の御朱印をいただく。

 

 

 

 

行院。現在の僧侶の修行の建物。テレビで見たら護摩壇がいくつも並んでいて、ここで護摩の作法について勉強をしているようである。

 

 

 

 

裏の山道をたどり元三大師御廟(みびょう)を目指す。

 

 


元三大師御廟は南無元三大師常住金剛と唱えながら時計回りに3周する。

 

 

次は西塔に向かう。

 

ね。