比叡山スタンプラリー 後半 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

シャトルバスは30分間隔で運行されているので、横川では1時間を過ごした。しかし横川は1時間では回り切れないので、いつかはもっとゆっくり過ごしたいと思っている。
 

 

 

弁慶のにない堂の左側、常行堂では、四種三昧の修行中と掲示されていた。ここで行われる修行は、四種三昧のなかの常行三昧である。お堂の中央にある阿弥陀如来の周囲(四方の壁際)を念仏を唱えながら90日の間、回る続ける。途中でどうしても耐え切れなくなった場合、平行棒のように配置された竹の間に身体を入れて、わきの下で支えるようにして休息することが許されているが、横になり休むことはできない。

 

比叡山の住職になる為には、この四種三昧を修行することが条件になっている。

 

 

 

 西塔の本堂にあたる釈迦堂。ここも必須のスタンプポイントである。西塔は第2世天台座主寂光大師円澄により開かれた。



久しぶりなので、御朱印を頂いた。大雄殿とは本堂、金堂などと同一の意味である。


横川には僧侶の為に研修施設があったが、西塔には一般人の研修道場である居士林があり、修行の体験ができる。

 

 

 

 元三大師得度之霊跡の碑があったのは、釈迦堂境内の右手であった。

 

 

 

 さらにその奥には東海自然歩道が延びていて、元三大師道の道標があった。ここを辿ると横川に通じるということだろう。いつか歩いてみたい。

 

今回はその反対側、東塔までを徒歩で移動することにした。

 

 

 

 

歩道を辿ること10分くらいで浄土院がある。浄土院は伝教大師最澄のお墓、御廟(ごびょう)所である。最澄のお墓は御廟、元三大師のお墓も御廟と漢字にすると字面が一緒になるので、それぞれを「ごびょう」、「みびょう」と呼んで区別されている。

 

 浄土院ではいわゆる「掃除地獄」と呼ばれる十二年籠山行が行われる。十二年の間、この院内から外部にでることは許されず、伝教大師に食事を献ずるほか、座禅、勉学、掃除に明け暮れる日々を過ごす。千日回峰を達成した大阿闍梨にさえ、厳しいと言わしめる修行である。たかが掃除と思うが、殺生を禁じられているので、虫一匹殺さないように気を配りながらの掃除は、例えば落ち葉を拾うのも庭に這いつくばるようにしての掃除なのである。

 

 

 
浄土院からは石段を登る。

 

 

 

 振り返ると浄土院が見える。東塔から歩いて来ると、最初にこの景色で浄土院が見えるのかと思うと、その方が良い気がする。

 

 

 

 

次にたどり着いたのは山王院堂である。第六代天台座の円珍の住んでいた坊であったが、滅後100年に円珍派と円仁派の間に争いが起きて、円珍派の僧侶たちは堂内より円珍の像を担ぎ出し、三井寺に逃れた。聖護院の時に書いた通りである。

 

 

 

左が弁慶水


実は弁慶は山王院堂に千日間の参籠をしたのだ。もちろん朝寝坊のほうではなく武蔵坊のほうである。その時に閼伽井として水を汲んだのが、この井戸だという。

 

 

 

東塔に着いた。東塔の由来である法華総持院東塔と阿弥陀堂は根本中堂からはちょっと離れた位置にある。

 

 

 

10分くらい歩いて根本中堂に到着。 根本中堂は修繕中で、現在は屋根の構造がよく見える。ここで最後のスタンプをゲットして、スタンプラリーは満了である。


 

 

 さらに比叡山会館方面に進み、それも通り過ぎて次の目的地へと向かう。そこもまた、観光客は普通行かないであろう場所。


 

 

 かなり急な下り坂を慎重に降る。慌てると危険なくらいの坂である。


 

 

 法然上人得度御旧跡


ここは法然上人が15歳からの3年の間、修行を行った場所である。しかし法然上人二十五霊場というものがあるが、ここは含まれていない。


 

 

法然堂


観光として訪れてもちっとも楽しくないだろうけれど、なんとなく落ち着く田舎のお寺のような佇まいである。残念ながら不在だったが、まさにお盆の期間なので、それは仕方がない。




最後にバスセンターでスタンプ帳を見せて、比叡山マーク入りのアルミの水筒をもらってミッションクリアとなった。さて、山を降りよう。

ね。